2019/05/08

芥川『手巾』は大正時点で武士道と個人主義の矛盾を皮肉っている

(「新渡戸稲造は徹底したキリシタンで、キリスト教と一致する部分を武士道からみいだした南部藩士の子弟。なので相当美化されている」というツイートへ)
「なので」という順接の意味がわからないのだけど、美化されていることと、南部藩士の子弟、またはそれ以前の文節のどれかの要素に何のつながりがあるのか?
 因みに、芥川の『手巾』みたいなのが書かれてるわけで、昔も今も、新渡戸は特に美化されてないとおもうけど、一体、誰が美化しているとあなたは思っているのか? あとあなたは新渡戸を徹底したキリシタンというけど、北大時代に洗礼を受けてたような気がするが、先ずそれ以前の時点では違うとおもう。
「日本人が武士の子孫を美化している」といいたいのか、「キリシタンが(西洋人の中で?)美化されている」といいたいのか? そのどちらもなのか? 前者の場合、武士の子孫を美化してない人も相当いると思う。芥川もその一人だったから大正の時点で、武士道と西洋個人主義の矛盾を臭味と皮肉ったと。後者の場合、リチャード・ドーキンスみたいな無神論者とか、ニーチェみたいな反キリスト教の人もいるし、一般的な西洋人の中で特にキリシタンが美化されるなんてことあるのか疑問だな。そこまで単純な考えの人がいるとしても、かなり知的には低い程度だとおもうけど。

※このブログURLは2019年6月8日に
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