2019/05/07

学校は教育にとって一手段でしかない

日本の公的学校教育で生まれ育つと大抵の人らは労働者に仕立て上げられるわけだから、その外で育った方が自由度が高くなるのは当然としても、この国民全般にはその種の自由度は理解も共感もできないので迫害される結果になる。日本の学校って一種の監獄で、知性全体にとっては有害なんだろうな。
「他人の高い自由度を迫害する習性」ってどう考えても洗脳によっているとしか思えないし、その刷り込みを与えたのは親か周囲、教育課程のどこかで協調性を仕込まれたことによる。
 知能自体はどう発達してもよいわけので、国に好都合な特定の方向に仕向ける政府の暴力を鵜呑みにするのは集団愚行だ。
 ゆたぼん(小学生の不登校YouTuber)みたいに例外的個性で、しかも家庭学習みたいな国際潮流を暗に利用し大衆を炎上気味に扇ると金になる、というSNSの枠組み。売名が金になると察知してTikTokerの中高生とか、とにかく目立ちたがるわけだ。
 彼は拝金主義者の中でも、相当程度に成功してるだけだな。
 そこらの会社員なんてゆたぼんに数日で抜かれるでしょ、生涯所得? それで大いに嫉妬して迫害するんだろうけど。でもゆたぼんが天才だということの証明にしかならないね。資本主義信者の世界では金儲けが全てだもんね。
 日本の公的学校教育って、IQが高い人にとってはぬるいゲームで退屈な上に不良に足引っ張られる最悪の経験だし、IQが低い人にとってもついていけないばかりか虐められるだけだし、IQが中くらいの人で平凡な遺伝子のやつで、従順で天才もってないやつにしかあってないよ。自分の経験上は、塾は自分の理解度にあわせて飛び級みたいなのさせてくれるからとってもよかった。しかし学校はほんとぬるゲーでペースが遅くて自分でやった方が遥かに早いから高校以後は独学するしかなかった。しかも馬鹿が集まると虐めとかはじめるから進学校にしか行く価値ないね。
(追記・前、公立の小中学校は貧乏人の子とかも多くとんでもない有様と書いたが、これは貧乏人が悪いという意味では全然ない。寧ろ貧しい子を助けてやったらいいと思うのに、親の(道徳の)教育程度が低い家庭だと親が子を殴ってたりもするので逆タイプの虐めっ子みたいなのがいる可能性が高いといいたい。
 自分の経験だと一店舗のみの個人商店の息子みたいなのが虐めっ子をやっていた。逆に医者の子とかは自分ですら真面目なのにその遥か上を行くくそ真面目さで勉強しかやらない。また農家の子は善良素朴みたいな違いがあり、諸職業の子供と育つと正直いって士農工商は真実ではないかと思える節もある。士農工商はただの偏見で、差別だというのが現代の基本見解だから自分も科学的には信じてないが、何がいいたいかというと教育程度が高い家庭で育ってる子の方が、安直な虐めに耽る愚行はし辛い傾向はある。ただし例外もあって、自分の経験上は理系の高学歴と道徳には先ず相関がない。倫理が苦手なのだ。東大物理・工学博士だの京大経済学修士だの東工大だか東北大の工学士だのの子というか成人共を見たが、彼らの全教育課程では倫理学だの文学だのを全く無視していた節があってサイコパス級の極悪人が多かった。知識を利己に使って当然と考えていて他人を利用三昧し恥じていないし、共感性が低かった。
 だから高学歴すなわち倫理的とは全然いえない。ある意味、道徳とは孔子「己の欲せざるところ人に施すことなかれ」イエス「自分がしてもらいたいようにせよ」で共感知能が高ければいいだけだから、学歴とは関係がない。しかしIQかEQには少し関係しているという研究もみられるから、学力に多少関係ある筈だ。IQは人の気持ちを読み取る為の機能に使われている部分があるらしく、例えば国語の現代文の課題で「登場人物の気持ちは次のうちどれか」みたいな問題で言語IQを使っているかもしれない。実際、高度に倫理的な概念も言語で伝えられている(慈悲とか)。だが言葉が分からなくても共感的なら同じことだ。EQは共感知能の部分に関してはほぼ道徳性に直接関係があるだろう。そもそも利他性を拡張したのが道徳(特に公徳)といっていいからだ。この為、教育歴が全然なくても共感知能がとても優れていたら、普通に高学歴理系のノーベル賞科学者より遥かに道徳的であるなんてことは容易に想定できるのだ。
 したがって、最初にあげた「公立小中学校は貧乏人の子も多く、酷い環境だ」というのは物凄く大雑把な言い方で、「親の教育程度が低い子も混じっているが、そもそも教育と道徳には一部にしか関係がないから厳密にはいえないにせよ、往々にして貧すれば鈍するになりがちなのも事実」といいたいのだ。
 ただ、私が上に書いたところでもわかるとおり、色々な職業の親の子とか、多様性が高い環境で育った方が世知を得られる面もある。この意味で公立小中学に敢えて子供を投入するのも千尋の谷に虎の子をつきおとすみたいな意味では正しいかもしれない。国際学校とか諸国を転校したら、なおさらだろう)
 進学校の場合は良い意味で変わった人が多いからまあ社会経験とみたら有益な経験かもしれない。でも普通の学校とか偏差値低い学校だと不良とか同調圧力かけてくる馬鹿が多いから、行くと暴行受けて自殺とかするよね。教師もそんなのにあわせてるくらいだから平均して凄く質が低いし。
 学校ってプラトン学園とか孔子の弟子みたいに本来なら貴族の子供が暇だから行くところで、しかもアレクサンダー大王がアリストテレスに受けたみたいな家庭教師がより本来の姿だけど、これを庶民がまねようとしてイギリスの公的学校みたいな集団教育が生まれて質が劣化した。さらにその西洋風の学校、特にドイツの軍隊教育的な全体主義の公的学校を明治期にまねたのが伊藤博文とかいう愚物で、こいつのせいで日本人は無理やり最低レベルに質の低い義務教育とかいうのに詰め込まれることになった。全員が入るって最低レベルのを護送船団式に運ぶから、とんでもない環境になる。金持ちなら少なくとも小中学校は公立行かないのは当然で、だって悪い意味で貧乏人の子供が入ってたら親の教育程度も高が知れてることが殆どだから、そういう不良と混じって教えられて悪い習慣の影響ばかり受ける。田舎は私立が少ないので公立行かざるを得ないかもしれないが、できたら私立のがいい。
 明治期のドイツ猿真似システム自体に問題があったのが事実だから、日本の教育体制そのものが相当ろくでもないわけで、もっとお金があったら最初から家庭教師、或いは塾で教えた方がいい。何しろ庶民と混じっていいことなんて先ずなくて、社会経験の名目で下衆の生態を知っても人生に暗い影が落ちる。確かに肯定的にみれば、庶民の現実を知るのは彼らとの心理的な同情心を育む効果はある。隔離されて育てられると本物の貴公子だかお嬢様みたいになって、下衆が丸きり理解できなくなる。それが育ちのよさではあるけど、極端だと色々不都合も出てくるかもしれない。質の高い公立ならまだましという話。田舎の場合、高校以後は公立の方が質が高いことが多いから、高校行くなら公立になる。まあ都会より田舎の方が下衆が少なくて人的環境はいいといっていいし、科学的にも子供を都会で育てるとストレスに弱くなるとかいわれてるから、その辺は親が考えるべきことだ。いずれにしても学校は必須ではない。
 何らかの技術に関して専門学校で身につけるのは、自分が体験した限り、教育自体は単科大学、短期大学とほぼ変わらない。要は2年制の大学といっていい。大学以後の教育に関しては自分の体験・見聞きしている範囲では、教授の質に依存しているので、優秀な教授が見つからなかったら独学の方がいい。
 大学院以後の教育課程は自分はまだ行ってないからはっきりしたことはいえないが、結局、値の張る研究設備が必要でなければ教授の分かっている範囲しか教わり得ないことは確かなので勉強の仕方が分かったら長居する意味はない。教授など教育関係者になるつもりなら別なんだろうが。
 世人の殆どはどこかの会社か役所の労働者になって、その人生の範囲で必要な手段としか教育をみていないので、正直いって教育の意味を極めて限定的に、実利面でしか捉えていない筈だ。だから教養主義の様な考えも戦後は先ず持っていないだろうし純粋な真理の探求など理解するほどの知能水準にはない。それで子供が自分の教育課程を択ぶ時、自分が一体それをどう使いたいのかによって相当違う進路になる。ただの労働者になりたいなら典型的なシグナリングを目的に高学歴っぽい学位だか入学歴を得たら出ればいいし、人生の目的を知りたいならできる限り長期間、多数の分野を習い学内にとどまればいい。特定の職業に就きたければそれに最もふさわしい進路(高等専門学校とか)をとればよく、そもそもどうしていいか分からなければ選択肢が増える最も汎用的な進路(一般教養の課程だろう)をとればいい。或いは最初から個性が強い人の場合は、塾や家庭教師など個人教育を択ぶか独学がいい。
 某小学生不登校ユーチューバーをみて学校に行けといっている人達は教育を極めて狭くしか捉えていないからただの無知である。歴史的に言えば個別教育の方が本来の姿なのだし、当然だが労働者以外の人生は無数にある。昔は情報が少なく親の世間の狭さを否定できなかったろうが、自分で進路決めればいい。

※このブログURLは2019年6月8日に
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