2019/05/06

『この世界の片隅で』は民衆の悪意と愚行に満ちた戦争の現実を描けていない

『この世界の片隅で』今みたけど、ジブリの『火垂るの墓』と似たコンセプトでなんで有名人が大絶賛してたのかさっぱりわからん。ところどころ感動的な部分はあるものの、全体として作者のほのぼの感みたいなのが、主観的で不快だ。戦争ってこんなにほのぼの終わらないよ。それとこのすずとか言う主人公、途中でなんかわけのわからん兄だか何者だかに浮気してたし、共感できない。そもそもラブシーンみたいなのが多くて戦時中のドラマじゃないでしょこれ。戦後の価値観だよこれは。貞婦を描かないと駄目だと思う。
 あと女性を美化しすぎじゃないかな。女ってこんな生き物じゃないよ。もっととぐろを巻いて毒々しい悪意があるし、素朴な女性にしたって女性の本性ってこういう感じじゃないと思う。娘が女に変貌するみたいな辺りの描写がうそ臭い。女にこうあってほしいという願望が、私のそれと違うから共感できない。
 そしておまけに広島弁で通してるから殆どなに言ってるか分からない。これは致命的な欠陥ではないだろうか。日本人なら広島弁わかるとおもうんだろうか。ほぼ分からなくてもOKってスタンスなんだろうか。標準語でなんで描かないのか。ところどころ広島弁ならいいけど、勉強してみてくださいってことか。
『村上春樹いじり』のドリー氏が、前、このアニメの登場人物らは戦争に受身すぎといってたけど、私はその点は作者の狙いで、民衆は天皇や軍部に翻弄されてたといいたいんだと思う。一般庶民がいかに公共精神がないかを描いたと。その意味で偽善ドラマというか民衆が戦争煽ってた現実は無視されてるね。戦争の悲劇を描くという戦争映画の類型に対して、完全に庶民の目線でほのぼの的日常にキノコ雲だの嫁入りする娘をとりまく事件を描いて、戦争遂行していた人達のはた迷惑さを表現した様な作品だ。そして広島の呉の人らを温和に描いて美化すると。はっきりいって子供だましの作品だと思った。現実の日帝って庶民が日露戦争あたりから植民地侵略を煽ってたんだから、もっと右翼的な卑しさが世論を形成していたわけで、大正デモクラシーだの天皇機関説の弾圧だの百人斬り礼賛だのをしていたのに、対米戦争の面だけを描く。これは卑怯だよね。日帝の悪行を隠してるんだからさ。
 たぶん大礼賛してた人らは、アニメの新表現としてところどころ絵本じみた表現が挿入されるところに感動したのかもしれない。確かにその点では高畑勲っぽさもある。表現形式の先駆性はあるが、内容の方が戦争解釈として平凡だから、映画としてはエンタメの域を出ていないな。

※このブログURLは2019年6月8日に
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