2019/05/16

東京中華思想の権化である港区自慢は関西における同和問題の愚をくり返す火種

(「東京港区に土浦から働きに来ている女子を「港区女子」ではなく「土浦女子」とわざわざ言いかえていた人への説教」の続き。「黙れよ茨城県民、納豆臭えんだよ」との侮辱的ツイートに対する返信)
この侮辱表現(と思われるもの)について二週間ほど考え、一体どういう意味なのか分析しました。
 先ずあなたは「納豆」という発酵食品を侮辱の為に使っていて、恐らく茨城県が日本では最大の生産地だという知識に基づいて、相手の住んでいる県の特産物を差別的文脈に置こうとした。
 第一に、食物を粗末に扱うことは、一般に日本の道徳の中ではかなり厳しい禁忌になってます。都会で生まれ育つと一生その種の道徳に触れないのかもしれないが、少なくとも食料生産の労苦や、飢饉の経験を経てその大切さを噛み締めている農村部では「食べ物を粗末にするな」と親・教師等から必ず叱られます。
 第二に、この「納豆」という食品についてだが、先ず現時点の生産地としては確かに国内では茨城県の水戸市内の会社や、愛知県の某企業に買収はされたものの常陸太田等に工場があるが、消費地としては量の面で東京都、或いは福島県が最大です。即ち納豆の消費の観点ではなく生産の観点を侮辱している。そしてこの「食料生産を侮辱する」ことについて、なぜあなたのこの表現があなたの中で侮辱になるのかな? というのがわからなかったので、(今日みてみたらいいねが52人、リツイートが12人ついてるので侮辱の意味を理解している人もいるみたいですが)、私なりに理解しようと色々思考を巡らせました。
 私の常識だと「食料生産を侮辱する」ということは、まあ農本主義という考え方があって、わが県でも水戸の徳川家がその種の啓蒙を行っていた歴史もあり、まずありえないことなわけです。何しろ人々は食べ物がなければ即死しますので「農は民の天、国の本」と中国人が解釈していたのは正しいわけです。では一体なぜあなた(及び総計52人)が、「或る発酵食品の生産」を、敢えて侮辱しうると、脳内で考えられるのかです。私はこれがわからなかったので、ただの地理にも詳しくない程度の、浅はかな下衆のわめきごとなのかなと思って素通りというか無視していました。即ち農本主義の否定を含む差別表現。
 恐らくあなたの中ではモノカルチャー(単一の生産)を差別の文脈に置くのが侮辱度が高い表現になるのだろうと、先ほど漸く気づきました。即ち植民地主義の焼き直しなわけです。その為、或る地域の特産品を象徴化し、その地域は「モノカルチャーに過ぎない」と悪意で矮小化することで後進性を強調した。ところが、私ははじめあなたの「食料生産の侮辱(何しろ最大消費地としては人口が数倍多い東京の筈なのですから?)」があなた(と計52人)の中で成立するのか認識できなかった。なぜならわが県はモノカルチャーどころか多数の作物で生産高が長年日本一な上に、工業製品においても類似だからです。
 即ち、地理、特に生産に関する知識の落差(いわゆる無知ですね)があなたと計52人にあり、わが県から国内外に出荷され日々消費・利用されている多くの生産物の本の一部に過ぎない或る食品が、発酵食品であることを種にそれを差別の文脈に置くというのは、一言でいえばただの下らない誤解なわけですね? その上、植民地主義自体が否定されている今日、フェアトレードその他の文脈でモノカルチャーを侮辱するということそのものが実に野蛮であって、まあいってみれば後進的なのはその種の差別を平気で行っている自称文明人の方だという話になりますし、しかもわが県は有数の生産性をもつので事実に反する。更に、例えばここで対比先になった某区に関しても、東京都は日本で最大の納豆消費量をもっていますので、恐らく当該食品を差別の文脈に置くならその消費が少ない、又は消費していない人の主観にしか訴えがたいわけです。つまり納豆消費量が日本で少ないのはどこかといえば主に関西地方です。
 元々納豆がどこから興ったかといえば奈良の寺院で僧侶の食事としてはじまったとか、秋田で生産がはじまったと考えられていたりしますが、そもそも納豆は東アジア一帯の食文化で中国等にも類似食品があるわけです。しかしなぜか関西地方では消費量が相対的に少ない。なぜ関西地方だけ納豆を消費しないのかといえば幾つか理由が考えられますが、そもそも関西地方は渡来人の集住地です。即ち朝鮮民族(弥生人、百済人、新羅人、高麗人など)が帰化した地域です。ご存知のよう朝鮮半島の発酵食品といえばキムチ。関西地方人は帰化後も日本のそれを食さない可能性がある。いいかえれば、あなたの使っている「モノカルチャーの象徴化による食品への侮辱・差別表現」は、関西地方に関していえば日本の首都圏等で最も好まれている食べ物の一つへ、反日的な意図を持ち発言されている、という文脈になるわけです。「関西地方ではキムチは食べるけど納豆食べないのね」みたいな? 勿論、この種の侮辱・差別表現そのものが実に幼稚で、例えていえば「アメリカ人はハンバーガーばっか食うな」とか「イギリス人はフィッシュアンドチップス」「インド人はナンで腹いっぱいか」この種の実に稚気に満ちた愚劣な色彩を帯びるので、まあ省みる価値もない子供の戯言程度のものにみえます。ですから私も「こんなの相手にする価値もないかな」と思って流していた。一方私の脳は、2週間、一体なぜあなたがこの様な言動をとったのか無意識に分析をくり返していた。それでさきほど閃いた。「ああ植民地主義を国内でやってるつもりの、食品を侮辱する関西人だかの中華思想的反日表現なんだ」と。
 東京都は関東地方より、むしろ関西地方の一部(京阪神)との相関係数が高いというデータがあります(ただの民間人のサイトですがね)。これは歴史的に大坂商人が江戸に家康から呼び寄せられ、また東海道を辿って関西人が流入した経路からいって、或る程度、遺伝子や気質としてもいえるかもしれません。
 港区を中華思想で上位者扱いし、その他の地域のうち、今回の件でいえば土浦市を下位者の文脈に置く、というのはただの門地差別だと既に指摘しました。当然ながら港区に犯罪者もいれば土浦市に人格者もいるからですね。要するに人類の一部がもっている何らかの愚かさが、地域間に差別を脳内で捏造する。したがって、なぜ或る食品の最大の消費地の一つたるべき東京港区の驕りを解く私によるこの一連の指摘の中で、逆にあなたがその生産地をモノカルチャー風に(恐らく無知で)後進地扱いしたかの理由は、論理的には、関西地方の帰化人らが日本独自の発酵食品を差別の文脈に置く論法の延長上にあるということです。その上、中華思想そのものが中国や、小中華思想という意味で朝鮮に由来し、関西地方、即ち京都や奈良を世界或いは日本の中心かのよう偽装する地域差別のイデオロギーを意味し、東京、特に港区・千代田区界隈の小中華思想もこれの焼き直しにすぎない。つまり関西地方的「後進的」中世の踏襲なわけです。
 おわかりでしょうか。私はこれに気づいて、この一連の返信をすることにしたのですが、面白いでしょう?
 植民地主義や中華思想の様な中世並びに近世の真に後進的な差別を、現代においてもそのままくり返している人が、逆にその差別思想の中では侮辱されるべき相手から非難されまくし立てられ焦ってしまったと。しかも例えば他国の発酵食品の臭いを揶揄するなら、まだ愛国的な文脈として下らないにせよ理解はできるものの、なんと東京で最大の消費量をもつ日本特有の食品の方を差別してしまっている。つまり期せずしてあなたは反日的中華思想を、即ち日本人差別としていうべき台詞を無意識にいってしまっている。計52人の「いいね」をした人達も、あなたと同質の「日本人差別」、特に東京港区をもちあげる文脈で逆に東京が最大に消費している食品を侮辱してしまっているという、いってみればいかにも関西人的な矛盾に気づかない。東京をもちあげ、より茨城をけなすふりをして東京人を貶してしまっているのですよ。
 あなたと計52人の「いいね」をした方々の知的水準に敢えてあわせて上記のことを分かりやすく述べますと、例えば京都地方の人に向けて「黙れや、ニッキ臭いねん」とのたまう場合です。京都からすると観光客向けの食品を侮辱されて特に侮辱にもならない上に、八橋を買い捲る観光客を逆に差別していると。全く同じことが、茨城県民に向け納豆臭い云々という場合にもあてはまります。当然ながら水戸市内の一部の会社だの常陸太田市あたり等でしか生産してませんし全県民からすればごくごく一部の人しか生産にすら携わっていないと。そして殆どの出荷先は県外なので、まあ観光客向けも含め輸出品であると。
 もっといえば、そもそも水戸市で納豆の生産が始まったのは比較的最近で、常磐線が通った近代、偕楽園での観梅客向けに、仙台から習った某企業の社長が売り出した観光客向け商品に他ならなかった。つまりは茨城からすれば納豆のブランドというのは商品経済上の伝統っぽい戦略でしかないわけなのですよ。
 総じてあなたの諧謔に満ちた侮辱表現は、私が上記の分析を結構な期間を経て脳内で勝手にやった結果、全く以て稚拙で、喧嘩にすらならない。ですから実際私も無視していた。歯牙にかける価値もないほど子供じみていると感じたからです。ですが、こうして復讐にやってきたのは面白いと思ったからです。
 あなたは私達がいかに食べ物を大切にしているか、全くご存知ない。ではあなたは恐らく都会で生まれ育ち死んでいくだけの商売人か何かですかな? カネさえ出せば食べ物は買える。カネのほうが重要だと思って生きてきた、罰当たりの驕れる悪徳商人に過ぎないかもしれないが、農家はどう思うでしょうね。
 もしあなたが極貧に落ち、浮浪者になり、私はあなたがきっとそうなると信じていますが、東京港区だかのの大都会の河川敷の片隅で青いシートに包まれ真冬にがたがた震えている中で、嘗てあなたにいいねをした52人も素知らぬ顔で通りすがり、食べ物がないといっているところに誰かが現れます。その何者かはいうでしょう。
「以前、あなたはツイッター上で、今はこうして荒廃した驕れる港区をもちあげ、或る発酵食品をそこへ供給してきた生産者の方々の土地を差別の文脈に置く発言をしましたね? 私は全てを知っています。ここにその食品がありますがあなたには与えられない決まりです」
あなたが「キムチなら食べられるけど納豆はいらへんわ」といい、そのまま餓死したとしましょう。私はああこの人は下らない差別だか中華思想だかを関西地方だかから持ち込んできて自業自得だと思います。大切な食べ物を粗末にし天罰が下った、発酵食品の意味すらわからない男だったのだと。いやあなたは女かもしれませんけど、いずれにしても同じ意味で、この人は都会で商売さえしていればカネが儲かり、農家が大豆から丁寧に作った貴重な食べ物を侮辱し、差別し、発酵食品の健康に対する有益性にすらまともに気づかず、臭いからいらへんわ、とかいい胃腸すら痛め寧ろ息も臭かったのだと。今こうして浮浪者となったこの人は、しばらく前、ツイッター上で港区は上位者だ、カネさえあれば居住地で差別しまくれるんだと実に愚昧な考えをもっていた或る人物にたかって、計52人の外道どもと一緒になって違憲な門地差別をばらまいていたのだと。しかし、一切同情に足らないなと私は思いますよ。
 あなたが浮浪者になることは、以上の推察からもほぼ確かだと思いますし、その浮浪者になる場所も港区だといっていいでしょうね。だってそれ以外の可能性は全くないほど、あなたといいねをした計52人の宿命は因果応報で定まっていますから。悪因悪果をご存知ないわけではないですよね。
1.食べ物を粗末にするなかれ
2.生まれ育ち暮らす土地で人を差別するなかれ
3.愚者と群れ悪事に加担するなかれ
4.国内の地理や文化についてもっと学びなさい
以上のことはそこらの小学生でも分かっている話ではあるが、あなたと計52人は分かっていなかった。もう少し高い教育を受けることです。いや、元々高い教育を受けるほどの経済的余裕がないからあなたの様な誤解だか差別だかに耽るわけなので、教育を受けよとまではいわない。自力で立派な人々の考えを学びなさい。善なる知識を身につけなさい。さもなければ、あなたにたかった計52人と同じ末路になりますよ。業は消えないのですから。

(「確かにコイツ(私)には黙ってほしいが、納豆臭い云々は茨城県民を傷つけるのでやめてほしい」とのツイートへ)
「義を見てせざるは勇なきなり」と『孟子』に書いてありますよね。
 目の前で県内のある自治体が、県外のある自治体と比較され、県内のある自治体が差別の文脈に置かれていた時、ただ通りすがるのは勇気ですか? たとえ全人類が悪意だろうと構わず正義を主張せよと孟子は言う(「千万人と雖も吾往かん」)。私もそう思いますよ。
 場合によっては全人類が悪意に満ちた極悪集団であったとしても、まあそんなことは先ずありえないが、日本人衆愚みたいに群れ易い愚民の群れだとそれに近い現象は起きる。即ち今回、計52人の愚物が上記の差別的ツイートにいいねをしている。この人達はどれほど責められても足りませんよ。人権侵害です。人権侵害というのは重大な犯罪なので、現在、全人類の有志(国連等)はこの悪意と戦っています。あなたは人権侵害を行うとんでもない極悪人53人だか54人足らずと群れて、全人類74億人を傷つける側に回るのですか? たとえ東京都民1000万人と立ち向かってでも74億人の尊厳を守るべきでは?
 東京都には複数の区があり、港区というのはその中で最も搾取している自治体です。金儲けとは言い換えれば搾取ですからね。ですから港区が自分達は中華的上位者で他の自治体は下賎なのだとでも言い始めたら、他の区が迷惑こうむる。「都外を差別する」「区外を差別する」いずれも門地差別に過ぎないと。
 なぜ私が、わざわざ馬鹿の戯言を無視して通りすがらなかったか、ご説明しましょう。
 私は東京でも約10年以上くらしていて関西地方との違いも随分と認知しました。京都で千年以上続いた差別の文化は、150年前東京に天皇と共にもちこまれたが、関西におけるほど激しく残りませんでした。
 関西地方ではいまだに差別との戦いがあります。いわゆる同和問題です。西日本一帯に類似文化がありますが、あなたもご存知のよう東日本、特に関東ではほぼその種の問題が周りにない。知っていても行政の一部の人しか知らないくらいで、関西と関東では差別の質も、内容も、歴史すら違っています。あなたがもし国内東西のこの差別に関する意味内容の違い、文化差を認知していればだけれど、高々港区が中華思想に驕るといっても、その程度は、関西地方で京都市上京区が崇仁地区や洛外、或いはウトロ地区にもっている類の中華思想とは全く中身が違うのです。先ずこのことを認識してください。
 港区は江戸城、現皇居のある千代田区の西隣にあり、都内商人が最も地価の高い場所として一種の俗物根性で選好する傾向のある土地です。それは懸案の最初のツイートに如実に表れていますよね。「港区女子」は金持ちにたかるお高く留まったいけ好かない女、といったニュアンスを持つ俗語です。
 ところで私は差別に反対です。当然ながら全差別は脳の単純化志向が誤って判定した何らかの事実誤認に基づく人権侵害に過ぎないものなので、全ては撤廃されねばなりません。したがって関東、現首都圏において全差別は消滅させられねばなりません。個人の脳を管理できない以上、制度上においてですが。
 したがって「港区女子」は、全く他の女子と同じ人権の保有者として扱われるべきで、当然、幾ら金持ちにたかる人達とはいえ軽蔑すべきでもなければ逆に単にそれだけで尊敬すべきでもない。即ち出身地とか居住地に関わらずその人達はただの一人類にすぎない。「土浦(在住)女子」でも同じです。
 最初の人がツイートしていたテレビ取材の対象者は夜間、港区で働き、土浦で保育か何かの昼の仕事に帰るという日程になっていましたね。そしてこの種の生活様式で都内特に港区に通っている人達は、上述のとおり沢山いるわけです。いいかえれば土浦に限らず昼夜間人口の出入りが激しいのが東京で港区と。
即ち
1.関西地方はじめ西日本一帯で同和問題として残る深刻な門地差別は首都圏・関東地方では先ず見られない。
2.港区が中華思想を主張していても関西のそれとは質が異なり単なる金持ち自慢の虚栄心程度。
3.昼夜間人口の出入りをみても都外からの勤労者を差別の文脈に置くのは不正に他ならない。
したがって私がなぜ『孟子』「勇」の文脈で港区自慢兼土浦差別を批判にかかったかいえば、首都圏、関東、東日本及び日本全国で、再び京都市洛中を中心とした同和問題の様な華夷秩序の愚をくり返さない為です。つまり「関西の様なことをここでやるな。向こうでも苦労してるじゃないか」というわけです。東京都民だかの大概の人間が、京都市民と同等以下の公徳水準であれば、計52人もが下らない門地差別に「いいね」を肯定的な文脈でしたことも頷けますが、都内には1000万人以上の人口がいる上に各区民もしくは市民等の殆どは、港区に差別されるいわれはないのだから私の方法論に公益を得るのです。
 こういう理由があるので、私は言論の自由を人権擁護の観点から正しく用いるべき義務があり、実際にその義務に従って私以外の誰も行わなかった「港区・土浦市どちらの出身でもそれは立派な勤労者じゃありませんか?」という尤もな指摘をする必要がありました。全ては卑しい差別文化を消滅させる為です。
 あなたは東京都民の民度を過度に低くみつもりすぎていると私は思いますよ。私が書いた一連の批評(ある種の国内比較文化論にあたるでしょうね)は、都民の民度の質から言うと「尤もだな」と思う人もかなりの数いる筈です。港区といったって最近になって栄えだしたところで高が干拓地が大名屋敷気取りでなにいってるのだろうってね。
 都民には固有の驕りの気質があります。武蔵国について『人国記』に出ているくらいだから江戸時代に家康がきてからというもの、また天皇が明治時代にきてからというもの、その驕り高ぶり易い性質はますます激しい。しかしことが差別になると、ただの気風と話は別です。人権侵害は是非防止しましょう。

※このブログURLは2019年6月8日に
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