2019/04/02

天才とは自分の個性を信じ続けること

天才というのは、皆さんが深刻に考えている種類のものではないんですよ。私が知るかぎり、それは自分自身の生まれ持った個性、要するに自分が自分であって他の人ではないんだな、ってことですよ。だから私の意見では全人類は天才です。問題は自分を守ろうという人が殆どいないのです。自覚がないから。
 学校教育が洗脳であるということは皆さんご存知のことかと思います。知らないとすればちゃんと学問すれば、数学、自然科学(特に物理学)、哲学ですら真理を確定しきれていないのはすぐわかります。不完全性定理、不確定性原理、脱構築など色々な概念でそのことはわかっている。ですので、天才というのは、そういう学校教育からの抑圧、脳をのっとられることを自分でなんとか防いで、「うん、そういう考えもあるよね。でも僕はこう思うのさ」という、実に子供の時と同じ素直さを保ち続けられたかどうかで、強化の度合いが決まるというだけなんです。
 一体どうやって私がこの天才の定義を知ったかというと、私の高校の美術教師であった磯上いそがみ先生が私に次の様に言った。「絵は自由。全ての絵にはよいところがある」と。私はこういうことを臆面もなくいう磯上先生を当時もとても尊敬し、この人の言うとおりにした方がよさそうだと思い、従順に従っていた。磯上先生は東京造形大の卒業生で自分でも絵や平面作品を作っていた。私は少なくともこの教師から学べることは学び、卒業後は幾人かの人達から色々学んだ。けど、基本的に自力で考え、磯上先生の最初にいっていた「天才」の概念を当然だと思ってきた。どんな罵詈雑言いわれても無視されても平気だった。
 自分の天才を信じる、というのは、世間の人達が考えている類の「賞賛される才能」「羨望される高い技量」とかいう通俗的な意味もあるにはあるけど、私の知るかぎり、結局その種の傑出に至ったのは、磯上先生のいうところの「よいところ」つまり自分の個性を完璧にのばしきったからです。世界中の国々が、軍隊を大勢送りつけてきて銃口を突きつけ「これがよいといえ」といってきても、或いは皇軍の旗を掲げくりかえし拷問し、「これが美しいんだな?」と自分が気に入らない絵を指していってきても、絶対に自分の感じていることをごまかさない、というのが個性ですよ。それを天才ともいう。
 (改めて考えてみたら、自分は磯上先生から学んだ、絵を通じた全ての個性の尊重、いわゆる天才ミームに脳をのっとられてきたのかもしれない。今後はいかに天才をのりこえるかを試す。その先に何があるかはわからないが。)
絵なんて画材があれば子供のころ誰でも一度以上描いたと思うけど、自分も描いたけど、みんな途中でやめるだけでしょ。だから絵の天才というのがいるとしたら、なんらかのきっかけで絵を描くこと(結果は常に個性だから全て正解であり欠点を含んでいる)を続けている人のことだよ。実に簡単ですよ。

※このブログURLは2019年6月8日に
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