2019/04/10

薩長藩閥の蛮行を正当化するマキャベリアンはただの野蛮人

(会田誠氏へ「作品云々以前に頭が悪すぎるのが問題」と述べているツイートに関する分析)
芸術知能は他の知能と違う前提で(たとえば写実的に絵が描けたり、次々作品ができる時点で芸術知能は一般の人より高い)、ここで指摘されている「頭の悪さ」って、一体どういう意味の頭の悪さなのかきちんと定義されてない。だから誹謗にしかみえないのだが、実際、何を欠陥、問題としているのだろう?
 nuclear(@tagahi)さんのツイートの前後関係(一つ前のツイート(リツイート)一つ後のツイート(リツイート))を追うと、会田さんが天心・新渡戸・大拙という、日本精神を紹介した英語著書で有名な人々の一部を紹介した直後に人格否定としてこの記述がされているので、本当にこの方が指摘したかったのは日本精神の否定じゃないですか?
 さらに言うと、このnuclearさんはこのツイート(Shoko Ogushi(@vostokintheair)さんによる、「新渡戸稲造はありえない。キリスト者でアメリカ人の妻への見栄から書いたエセ武士道(しかも水戸の儒教派ベース)の著者ごときを復活だと!!! ない。新渡戸など、焚書の上、叩き斬る!」と述べるツイート)をリツイートして直後に、会田さんの人格否定ツイートをしている。Shokoさんの中での新渡戸否定は、新渡戸武士道の倫理観の一部(当然全てではない)が水戸学(日本独自の思想体系)と同一視された上で(これは事実誤認でしかないが)、それが儒学的側面を含むことに遡源されている。しかも焚書に言及しながら、新渡戸武士道を「エセ」といい、儒教派を否定している。この部分をもう少し詳しく分析すると、Shokoさんは水戸学が「儒教的側面を含む」ことを、日本独自思想として不純、とみなそうとしていると。がそもそも天皇の先祖は中国(神武は弥生時代頃に入ってきたとされる)・朝鮮(桓武天皇の母)からの渡来人で、水戸学での国学上の独自性は差異化なんですね。国学的な純粋性を輸入的文物を取り入れた上で諸外国との差異化(いわゆる国風化)なしに追求しようとすると、アイヌ文化や縄文文化がどれ程、海外文化の影響なしに存続していたかはわからないけど、岡本太郎的に縄文精神に還るしかない。故に弥生時代以後の本州~西日本文化は大まかに差異の体系です。Shokoさんが新渡戸の思想を水戸学と同一視しているのはただの誤認ですが(新渡戸は水戸学者に敬意を持っていた様な記述はしているが、その尊王論以前にあたる戦国時代の実践的な武士らへ肯定的評価含む分析等も沢山している)、新渡戸も国学的伝統(国風化、差異化)を含み、倫理的にエセではないと。
 武士道には大まかに2つの側面があって、一つは江戸時代を通じ醸成された正統派の新渡戸武士道(倫理的なもの)であり、もう一つはマキャベリズムに限りなく近い鎌倉時代から戦国時代くらいの葉隠的な武士道である。渋沢の仕えた最後の将軍の考えは教育的基礎及びその尊王論に関する限り水戸学であり、そもそも水戸の徳川家の子孫でどちらかといえばだが新渡戸武士道に近く、勝てば官軍という西軍の信じていたのが後者である。
 より詳細にこの部分をいうと、最後の将軍であった徳川慶喜の考えは教育的基礎及びその尊王論に関する限り正統の水戸学的ではあるが、当人の考えは幕末の現実の中で独自の面も含む開国派で神戸や横浜を自ら天皇に願い出て反対派をおしきってまで開港していて全部が全部、固執的に踏襲されていないと。また西軍といっても松陰や西郷の基礎的な考えの中では、水戸弘道館に留学しにきていたことの影響は大きく、尊王攘夷論を少なくとも採用し薩英戦争や下関戦争の思想的な原型になっていると。また松陰は倒幕論に転向し最終的には無政府主義に近い主張をして尊王論まで否定していたと。西郷はそもそも尊王論さえ彼や彼の主君である島津氏に有利な道具と見なしていた節があって宗教としては信じておらず、皇族やら天皇やらへ『戊午の密勅』『倒幕の密勅』など偽書を書かせたり、戊辰戦争時には錦旗を別の皇族と勝手に作って幼帝(10代)明治天皇の名分を偽り、権謀術数に利用していたと。つまりこの論旨で大まかな新渡戸側に水戸学の系譜を、また西軍に非水戸学(マキャベリズムに近い葉隠武士道)をあてているのは、より厳密には正しくない便宜的な分類だということです。Shokoさんの「儒教派」概念が、我々を含む近現代日本人は全員水戸学の影響下にあるが厳密にその理念と一致しえない(尊王論の通り将軍に代わり天皇を帝なり象徴として擁立したが、後期水戸学で主流だった(厳密には最終的に、水戸学者・豊田天功『防海新策』の便宜的開国論によって部分的に否定されていた)攘夷論(外国人排斥)の即時実行自体が不可能だった上に、現時点でも移民を巡って議論が続いている)ので、武士道を巡る思想史的にはほぼ不可能なんですね。
 で、Shokoさんとnuclearさんは武士道を巡る思想的立場から、戊辰戦で奥羽越列藩同盟側だった新潟出身の会田さんが、無意識に、新渡戸武士道(倫理的なもの)に日本精神を遡源する発言をされたので、多分、両者は西軍的勝てば官軍葉隠武士道(マキャベリズム)から反発を覚えたのではないだろうか? 要するにですね、徳川支配の封建体制の下で、儒学、神道、仏教、国学などそれまでの日本思想の要素を純化し、日本独自の精神的・倫理的支柱をめざし水戸学者の色々な本とか、その後に新渡戸『武士道』がキリスト教との比較文化論として客観的に書かれたと。しかし明治政府はこれを否定して成り立つと。明治維新という徳川擁護派(奥羽越列藩同盟や江戸等)へのテロリズムとか、薩長藩閥(明治寡頭政)を、勝てば官軍葉隠武士道で正当化し、安倍晋三(長州閥)や麻生太郎(薩摩閥の末裔)の政権下で平成までやってきている西日本の一部の人達とかからみると、「徳川時代を復活するな!」となったのでは。実際にShokoさんとかnuclearさんが西日本の一部の人達かどうかはわからない。しかし、とにかく明治以前の、江戸時代の精神的遺産を擁護されると、関が原の戦以後の250年間が正当化されてしまうので、その期間の日本精神を否定しなければならない、と偏執的に妄信している人がいるのではないですか。
 この江戸時代の思想を否定したい、という狂信的教義の背後にあるのは、明治維新以後の近現代日本政府が、ただのテロによって捏造された、覇道政府である、という後ろめたさがあって、まあ倫理的にはどうしようもない悪徳暴力団なわけです。新渡戸武士道や天心の批判の通り「欧米の猿真似」に過ぎない。欧米列強は侵略的植民地主義で近代世界中を荒らしまわり、しかも山口県(安倍さんの地元)の吉田松陰はこれを模倣し、明治以後平成までの薩長藩閥系政府にとって「猿真似」の原型となったと。新渡戸は『武士道』でこれを嘆き、日本人の表皮を剥げば不死鳥のよう侍精神が復活するだろうといっていたと。
 まあ長々と(もしくは手短に)分析してみましたけど、nuclearさんが会田さんを「頭が悪い」といっている原因は、ただの推測ではあるが、マキャベリズムを新渡戸武士道的な江戸時代を通じて醸成された日本精神より優先していないことにあてられているのではないでしょうか。
 私個人の意見では、「弱肉強食」は『韓愈』にみられる文言で、人間は倫理がない禽獣と違うのだ、人間に道徳的尊厳があればこそ動物のよう常に天敵に怯えなくても済む社会を作れるのだ、と啓蒙的な意味を持つ言葉ですし、そこからもマキャベリスト(マキャベリアン)は、ただの野蛮人だと思います。

※このブログURLは2019年6月8日に
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