2019/04/01

擬似立体要素や再現性は絵にとって嘘をつくのと一緒

あいちトリエンナーレに含まれてる文谷有佳里さんという人はじめてしったけど、山本直樹さんもだけど、キュビズム的に多少の奥行きがある擬似立体空間を作りながら、平面要素をそれを無視するよう挿入して、暴力感を生む、という手法。ベーコンと似てるけど、僕はこれは虚構だと思うんだよね。
 しばらく前、奥行きの期待される風景画を先ず描き、そこに無理やりアクションペインティングやアンフォルメル風の平面的色彩を上書きし、下書きになった写実性が失われない状態でとめる、というリヒターのフォトペインティングを現物の油彩でやる的なのを試してたんだけど、あんまり興味もてなかった。
 絵画が虚構を明らかに感じさせるものであるべきか、そこにリアリティがあるべきか。二次元表現でしかない、という絵画固有の条件を、琳派からスーパーフラッターまで日本画の正統表現の人らは公然と利用してきたのだろうし、よくわかるが、立体感を擬似的につくる、というのはうそだと思うんだよね。ダビンチやアリストテレスは、絵が模倣的な再現芸術として完成されているのを典型的な美の規範としていたが、自分的に大して面白くないというか、正統表現自体は使い古された手法というのは何も変化がないのだと思う。世間はそれが典型的絵画だと思ってるんだろうし、擬似立体感が好きなんだろうけど。
 擬似的立体感を平面要素で否定する手法は、まだ総称がないけど、仮に新キュビズム(new cubism、新立体派)とすると、純粋に平面的要素だけで絵画平面を構成すべきだ、という自分の今の理想主義の立場は、スーパーフラットに含まれる新キュビズム傾向も否定できると思うんだけど。擬似立体感や、再現性は、絵を具象表現に近づけてしまうので、象徴としての抽象度が低いものになってしまう。カントがいうには理念をより深く表現できるのが優れた芸術形式なので、純粋抽象をめざすべきだと今の私は思う。それが平面要素以外を否定した、私のいう理想主義なのだが。

※このブログURLは2019年6月8日に
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