2019/04/12

人の性格を見抜ければ社会で道を誤らない

やっぱり某サイコパス女について思い出すだけで吐き気してくる。よほど相性が悪いに違いない。ある人の言動を見るだけで吐き気が止まらなくなるほど醜いって、この世で2人しかみたことがない。一人は某女性作家、もう一人はあるサイコパス女だった。
 心の醜さって、何らかの悪徳や悪意が結晶したもので、しかも野蛮さに限りなく近い何かだ。それをみるだけで吐き気が止まらなくなるほど醜悪で、とにかく卑しさを極端にしたものだ。世人はまず人を見た目でしかみていないらしく、心の姿を感知していない。ところが自分はまず心からみる。だから一度も見た目を見たことがない人とでも長い間つきあっているし、それで何の痛痒も、不都合も感じない。そして自分からみて醜悪なのは、そのあるサイコパスの心の質だ。漫画家は女の外見だけ描いているから内面を殆ど描写できていない。それは実に皮相な見方だ。特にオタクらは性的価値としてしか女体を評価していない。人として重要なのは心なのだから、その価値の高下を何らかの形で批評する作品がよい作品といえるだろう。見た目がどうあれ中身が腐っていたらそれは腐っている。人も同じだ。中身が腐っている人間で、見た目だけ着飾っている時、余計心の醜悪さが際立ってみえてくる。逆に見た目が地味でも心が輝いていたらその人は尊敬すべき貴人に見えるはずだ。俗人の世界では逆なのかもしれないが。
 聖書がいうとおり、若さに相応している見た目の美は失われるが、心の美は失われない。だから貞徳を磨くべきだと書いてあるが、実際、心のうつくしさのゆえに尊ばれている人がいれば、その人にとって加齢は恐怖よりむしろ成熟の目安になるだろう。人徳は容貌より高齢化社会にとって重要な価値なのだ。
 性格の悪さは、知能の一種の質の低さなので、あたまの悪さの一種ともいえる。ところが性悪自身はこのことに気づかない。賢愚は単純な人の中では何らかの学校の試験の結果、IQ、もっと単純に競争試験の入試結果などという風に矮小化されている傾向にある。だから性悪が自称賢い場合も、非常によくある。性格が極めて悪い人は結婚市場では不人気なので、離婚するか独身のままになり易いとして、この種の性悪は対人関係知能が低いといえるだろう。だから賢愚は一律化できないのである。一流大卒だろうとIQが150近かろうと物理学の権威だろうと、性悪は当然存在し、それはおろかさの一種なのである。逆に、私がしるかぎり自閉症でIQが知的障害付近だろうと、性格がとてもよいという人がいる。この人は性格的知能、対人関係知能の一部において、一般人より遥かに賢いのだ。一体、人間関係でどうふるまえばうまくいくのかを注意深く学んだ結果かもしれないし、生まれつき共感的で性善なのかもしれない。共感的知能とか相手の立場にたって物を考える能力は、しばしばIQと正相関し易いといわれることがある。だからリベラルなほど高IQな傾向があると。だが現実には全てがその通りになっていない。そもそもIQは論理的思考力の精神年齢が同年代より若干高いという程の代物で、性格的知能と関係ないのである。IQと共感性に擬似相関がみられる原因は、論理的な類推力によって相手の置かれている文脈を読み取れる場合があるとか、主として教育の中で対人経験をより早く他人から学び易いといった別の側面があるだろう。それでIQと共感性には、基本的に因果関係はない。共感に由来した性格のよさも同じだ。
 結局、人として社会生活を営むに際し、対人関係知能の中で性格のよしあしがきわめて重要になるので、この点で非常に劣っている人間、或いはもともと良心の欠如したサイコパスなどの場合、その種の愚によって人間関係から幸福を得られないとしてもなんら不思議はなく、その他の賢さと関係もないのだ。そもそも性格のよさは社会適応の為に作られた心の働きだろうから、もともと典型的な既存科学の履修を主とした昨今の学業成績ではかれないが、対人関係で幸福を得るため最も必要な特性だ。だから甚だしい性悪をみると我々は実に気分を害するのであり、その人が大金持ちでも美人でも、変わらないのだ。
 性悪は社会に有害な影響をもたらすと予想されるからだし、実際に自分が被害にあう可能性も十分に見通せるし、しかもこの悪性者が力をもっていたり、見た目だけ優れていたりすれば、余計多くの人々を騙せるので悪疫が甚だしくなる。私が吐き気がする程その種の性悪に嫌悪を覚えるのは全く社会的反応だ。世人は性悪に簡単に騙され、金を貪られ、地位を奪われ、名誉を与えてしまう。彼らは肩書きや見た目といった外形しか見れないからだ。それで性悪達から悉く利用され、使いにされ、時には冤罪にかけられ自死に追い込まれていたりする。私はその現場をみてきたし被害にもあったから、余計、気分が悪い。
 心の価値、性格のよしあし、対人関係知能の質、いわゆる人徳を見通せる者でなければ、社会の中で幸福を得ることもむずかしい。また高い地位にふさわしくない悪性者を就けてしまう甚だしい公害を避ける為にも、私程一般人は人徳を見抜けないのだから、私のよう敏感に心を察知する者の意見を聴くがいい。

※このブログURLは2019年6月8日に
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