2019/04/06

日本の一般社会では相変わらず恥が良心におきかわっているかもしれない

(偉い人がお年寄りに先に席を譲って、「席を譲る速さでは負けないんです」と述べたツイートについて)
何がかは分からないが、偽善のにおいがする。
「人に見せるために善行するなかれ」という聖書の文言は、善行は単に良心の満足の為にするものだから、他人から名誉を受ける為にするのは偽善だ、と、そして他人からうらみを買い易いのだ、と教えている。陰徳を積むのが真の善業である。だから周囲に譲りたかった人がいても自分が先に譲ったとしてもそれを誇るか自慢などありえず、単に「あなたも譲りたかったの、先に譲ってごめんね」って位の感じになるはずなのだ。真の善意とは何かを知らない人が、偽善を善行と取り違えるからこそ、聖書の文言が作られているのだろう。
 該当ツイートのコメント欄をみると、俗人ってほんとに偽善と善行を見分けられないんだな。これは偽善者がはびこるわけだ。とんでもなく野蛮な国に生まれてきてしまったものだ。
 おそらくこの「偉い人」は出世欲とか上司の見栄といった外聞の為に、善行に見える行動をしたからこそ、他人にそれを自慢し誇ったのだ。ということは人がみていないところでは善行をしないかもしれない。特に人から濡れ衣を着せられたり、自己犠牲を含む善行、定言命法の善をためらうかもしれない。日本人一般の倫理観って同調圧力やひとにみせるための偽善といった集団監視・制裁に対する見栄しか機動原理がない「恥の文化」だ、と、ルース・ベネディクト『菊と刀』からいわれてるけど、いまだにその様だ。これでは永遠に善行は生まれないだろう。

※このブログURLは2019年6月8日に
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