2019/04/03

恋愛において必要なこと

私は今から、全人類のとっても為になることを言います。
 私はこれまで、小学校くらいから好きな女性がいたとしても、その人が自分のこと好きじゃなかったら告白されるだけで困るだろうし、或いは他の男性がその人に告白したがっていた場合、その女性が受け入れてたらその女性が幸せになるのだろうから、相手の幸せを願い、自分は犠牲になろうと考えていた。
 この考えで長い間やってきたが、大人になってからその自分が好きな女性を追いかけている人達の実態を、アメーバピグというサイトではじめてつぶさに見る機会を得た。するとその男たちというのは、なんと、その女性を好きというより単なる性欲でおいかけていたのである。下衆根性からきた獣欲で。これまで自分以外の男性の心を見る機会がなかったので私は物凄く驚き、その男たちに一体、(私の心において好きな)女性が好きなのか? と問い詰めてみたら、一人の例外もなくすぐ逃げ出したのである。なんと、世の中の男性の殆どは、異性が好きでもなく、性欲でおいかけていたのです。驚きますよね? 私が超例外の人物であって、私以外の殆どの男性が、私が好きだった女性を単なる性欲で追いかけまわし、その上、相手であるところの女性側に心で愛しているかのごとくに勘違いさせて事を済ませている、というこの凄まじく悲惨な現実。
 私はこれを知った時は、酷く後悔し、ああもうこれは完全に私が間違えきっていた。私は姉と、家の中で女性ばっかの家庭だったので他の男性というのがどういう下衆どもなのか全く何一つしらなかった。女性と同じ様に優しい心で誰かを思いやって、愛情を持つようになるのだろうと思ってしまっていた。私の勘違いだったからもうどうしようもないのだが、今後は二度と同じあやまちをするまい、と心に決め、私は自分が心において愛を感じた女性に対しては、全てそれをできるかぎり伝えようと考えた。
 その結果、確かに女性側は私と同じ様な気持ちの持ち主であるから、愛してくれる人を嫌うはずもない。いや嫌うこともあるかもしれないが。その様な場合は自分が経験の範囲内には今のところない。それはなぜかというと、愛していると伝えられて、そしてそこに何の不純な想い、下心のかけらもないとしたら、ありがとう、という感想しか人は持ちようがないからです。私がいいたいのは、男性の中で、私と同じ様になんらかの女性中心の環境で生まれ育つか、あるいは根が上品か、紳士にできている人は、つい他の男性たちの気持ちをおもんばかって、友人が自分の好きな女性を好きとかいっていたら一歩引いてあげてしまいたくなるが、これはやめた方がいいということです。わたしの経験上(たいした経験ではないですね)、譲ってしまうとほぼ確実に、自分の好きな女性は不幸になる。なぜかというと、他の男性は先ず確実に自分より下衆だからである。性欲でその女性を追いかけているのである。心で愛していない。そもそも心がなにかすらない次元なのばっかなのだ。男は。
 わたしが35年間色々な同性の人達とも関わってきたけど、なにせ男子校だったので男性の有様というのは見たんだけど、自慢では全くなく僕みたいな心優しいといおうか、女性みたいな思いやり深い人物というのはいない。性欲で動いてる実に単純でばかみたいな人達が99.99%以上を占めている。
 わたしのこの文章を読むくらいですから、きっとこれをお読みになる男性も心優しい方だという前提で、自分が心からある女性を愛しているといえるのならば、その気持ちはしまっておくことなく、何とかしてその相手に伝えるべきである。そして別の男性がその女性を好きだといっていても、自分がその女性を半ば強制的にその男性から奪うべきだ。勿論、言うまでもなく女性側の意思は尊重すべきである。しかしここで遠慮すると、自分より下衆な男にその女性が交尾された結果、離れると女性に損な面がでてくるので一層状況が悪くなるのだ。「誰より」心からその女性を愛しているのか? という点は、想像を超えて、男性側からは完璧な盲点になっている。だから断言してもいいが、ストーキングとかじゃなく、普通に愛しているのですよと、言葉で愛を伝えるかぎり、自分がぶっちぎりで勝利することになるだろう。このことはうそではない。
 ちなみにわたしも小学生の頃とかは好きな女性に告白する勇気などもちあわせていなかった。ただのかわいらしいめがねっこであって女子かと間違われていて女風呂はいってたくらいのもので、好きな女子がいても猫の振りしてカーテンにくるまって求愛してたくらいの感じである。
 であるから、女性に愛を伝えるということは、最初はかなりの勇気が必要なことなのではあるが、大人になるまでにくりかえし後悔し、やがてはなんとか自分の勇気の度合いと対話しながらできるようになるものなのであり、このことは単なる精神的な成長、性的な成熟と共に、自然にできるはずなのだ。
 まあ自分で書いて読み返してみましたが、おそらく世の男性の99%以上は、わたしがなにを言おうとしているのかわからないと思う。しかし非常に例外的なことだが、純愛というものを理解できる男性がいるかもしれない。もしかしたら全世界で自分以外いないのかもしれない。だがとりあえず書いてみた。で、女性側の話だけど、今書いたとおり、実は世の中の男性というのは99%以上がただの獣類でしかないのである。これはいずれ知ることになるというだけで、女性の人生の初期ではまったくしられていないとんでもない野蛮な真実である。
 男性があなたに言い寄ってきました。ところがその相手はなんと、ほぼ一人の例外もなくあなたを心から愛してなどいないのである。恐ろしいですが、そうなのです。しかもこのことを知らずに体をゆるしてしまうと、その男は殆ど確実に裏切ってくるというか、消えてしまうのである。なぜなら飽きるから。世の中の男性は愛情というものを基本的に持っていなくて、性欲しかもっていない。ここでいう性欲とは何かが女性側からはまったく見えない。似たようなものはあっても男性のいう性欲ではないからだ。男性のいう性欲は腹へってるときに牛丼の前でおなかがなってる状態でしかない。そこに愛情などない。世の中の男性の性欲のしくみは、まあ女性にもそれに近いのはあってもだいぶ違う(テストステロン値を抑える女性ホルモンがある上に精巣がないので性欲の恒常値が違う)のだけど、はっきりいって愛情を邪魔としている。性行為した相手がその後、死のうがどうでもいいくらいのレベルなのだ。本当に。
 ではなぜ男性が結婚を決めている場合があるのかなというと、実は、女性を性行為の相手としてみているからなのだ。これは驚かれるでしょうが、実際にそうなんですよ。男性側にも反論が出る余地があるだろうけど、実際、性行為なしに結婚してくれる人がいたら、その人こそ例外的な愛の持ち主です。男性のほぼ全員は、いちいち交尾相手を探しにいく手間がはぶけてラッキー、毎日会うから性格悪いのはめんどくさいけどな、という実に皮相な感情で結婚相手をえらんで、その後、子供が生まれてしまうと自分の子だしなあと思うくらいの良識があれば世話を手伝う、または世間体を気にして結婚するのだ。
今の部分、大分省略したけど、要するに
1.性欲で交尾相手を探す
2.結婚という長期契約になるなら性格もみる
という2つの行動原理しか、男性側にはないんですね。ただこれは殆ど全ての男性というだけで、勿論、全体の何億分の1という確率では私みたいなのもいますよ。愛だけで結婚してもいいと。
 私は高校のとき友人に誘われて知的障害者の福祉施設にボランティアにいきました。そこで世話した方々とのふれあいから、私は障害をもつ人への偏見が解除されています。ただ生きている私達と似た様な人間だと思っている。私は今も、ある自閉症の女性を最も愛しているのだけど、その人が性行為できなくても愛していることは変わらない。相手がとんでもない醜い姿であれ、言葉を話せなかったとしても、それでもその人が好きなことは変わらない。交尾はしたこともないし、それどころか会ったこともないのだけど。その自閉症の女性は決して醜いわけでも、性行為できないわけでも、また別にあいたくないわけでもないのだが、私は心からその人物を愛しているので、性行為が目的ではないのでそうなるのです。これはまた非常に例外的な男性である上に、女性側からすると私のわずかな性欲はどうなるのかとなるのだが。
 私が説明したとおり、女性側が、性欲が強い人もいるとは思いますが、大抵、愛というものを前提に異性をみているのに、男性は性欲がほぼ完全に脳内を占めていて愛とは何かすら知らないのがほぼ全数と。これが人類界の基本構図である。だから女性が愛を確かめたければ、体を許さず試すべきなんですね。似たように求愛してくるようにみえるあらゆる男性の中で、或いは求愛されないなら世の中にいるあまたの男性の中で、一体どのひと(場合によっては同性かもしれない)が自分を一番愛してくれるのだろうか、という風に考え、体をゆるさなくても自分を大事にしてくれるのかな? と試験を繰り返します。勿論、女性は、男性側で優秀な遺伝子である筈の人を求める傾向もある。女性から見たら人気があるだけのやつがそうみえてしまうのだが(男性として生まれてみてみると、彼らは実際はただの遊び人なだけなのだが)。だから求愛するにしても、自分を愛していない人と関係しても捨てられるのは当然である。
「ただ女遊びが得意なこと」も一種の優秀性ではあるだろうけど、これ以外の優秀性をもっている人もいるので、結局、チャラ男というのはそれ以外では無能になってしまいがちです。英雄は健康度が高いから男性ホルモン値も高く、性欲は強い傾向にある。だが英雄とチャラ男は全然違うんですね。本物の英雄というのは一見したらわかる話で、いわゆる偉人と呼ばれる人達です。圧倒的に傑出しているので周囲の男性からも尊敬の念を勝ち得ています。チャラ男というのは他の男性からみたらただ愛がまったくない性欲だけで動いている馬鹿で、軽蔑されているのです。
 世の中には全然もてない女性もいるでしょう。その人はチャラ男の遺伝子だろうとなんだろうと交尾できりゃいい、と考えるものでしょう。チャラ男の側はまあ女ならなんでもいいか、という割に、美女は余ってるからわざわざそんなの相手にしないのである。これが腐女子が出てくる原因でしょう。何が申し上げたいかというと、確かに需給関係はあって恋愛市場でうまくマッチングしている様に見えて、女性一般は男性側がただの獣類なのを見抜けておらず、男性一般は人の気持ちがわからないただの馬鹿だということである。だから女性は男性の愛を見抜く努力が必要、腐女子は逆に高望みしすぎである。腐女子は自分がもてないんだな、というのは事実として認め、じゃあそんな私でも交尾なり愛してくれるなら「チャラ男」がいい、とまたも訳のわからない恋愛弱者的な間違った選択をしている。ここで選ぶべきは、自分と似た様にもてない男性で、しかも自分と相性がいい相手である。無よりましなのだから。
 確かに遊び慣れている男性の方が性行為が上手とかいうことは可能性としてはあるが、私にいわせていただければ、それは性関係になった相手との間で、女性に対して思いやりを持ってくれる(自分だけを愛している)男性と試行錯誤しながら満足していった方がはるかに心において満足できるということだ。以下でより詳しく述べますが、実際には性行為においては本能が全てに優越しているので、性行為が上手な者、性的魅力だけ高い者というのは確かにいると思う。ですが、女性の性の場合はちょっと違う面もありますね。
 性的な満足と、心で思いやってもらえることへの感謝の念、愛の念というのが、女性の場合は脳内で混濁しているので、現実には性的に上手な遊び人と、本当に自分を愛してくれているパートナーとの性的満足度を比べると、性行為単独でみても、後者の方がいいな、と思う女性の方が多い筈ですね。女性の性は男性ほど単純(視覚的興奮に起因する)ではなくて、しかも当人が性的に満足を得ることができる方法がひとによってかなり違っているとされている。なぜかといえばそもそも女性の性欲というのは若い間は女性ホルモンで覆い隠されており、当人達も性的満足を得られていないからですね。男性の中からその女性の満足が得られる性行為の仕方を知っている人というのがいきなり出現する可能性というのは基本的になくて、逆に、長い間、相手を思いやってその女性に喜びを与えようと思っている人のほうが、いいかえれば愛してくれている相手のほうが、総合値としては満足度が高くなると。
 ヒトも哺乳類なので女性も浮気する。だから決まったパートナー以外と、単なる性欲だけで関係したことのある人がかなりいるといわれることもあり、パートナーだけで完全に満足しきっているかといえばそうともいえないが、愛情を確かめる形で女性が恋愛相手を探しているのは、総合満足面からは正しい。
 長くなってきて何がいいたいか分からないだろうけど、全部まとめると、
1.男性は心から愛する女性へは迷わず想いを打ち明け、他の男性に遠慮すべきでない(勿論ストーカーとかではなく、純愛として)
2.女性は男性の殆どは純愛などもっていないのを前提に体をゆるさないことで愛を確かめる方が利口
3.もてない女性は遊び人を狙っても相手にされないので、身の程を知って、同じ様にもてない男性(或いは女性)から相手を選んだ方が現実的
4.女性にとって性行為の満足度という意味で遊び慣れた相手のほうが上手なことはありうるが、総合すると愛のあるパートナーのほうがまさっている

※このブログURLは2019年6月8日に
https://yuusukesuzuki.blogspot.com/
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