2019/04/08

労働者は自業自得ではないか

人生ってばかとつきあうと終わりだな。
 会社員になる人間って最初から才能がない。学生時代には物凄く威張り散らし、蛮行三昧しているのだが、元々無才なことには気づいているから労働者以外を目指す知能すらない。そういう連中の一生を思うと、本当に生存価値があるのか疑問である。若い頃は悪業三昧し中年に機械になり老年ですぐしぬ。なぜこの種の凡愚が会社員なり公務員といった型にはまった人生をめざしているかといえば、元々頭が悪く自力で物を考えられないからだが、次には臆病者だから群れていないと生きていけないのである。奴隷、社畜、公僕、色々な言い方はあるが、要するに自由になれないのだ。一生涯。ばかなので。なぜ無才が凡愚としてどうしようもないほど卑しい存在におちぶれていくかというと、元々そうなる素質しかないのだ。教育で改善されるかと思えば全くされない。学生時代には自分が世の才人らと似た存在かのよう思い上がっているが、労働者志望の時点で全くのうそだ。AIに置き換わっていく人達の実態だ。
 学生時代にまじめに勉強している、といった人はなるほど、労働者になるまい。自由人にまでなれなくともちょっとした学者になるかもしれないし、世間から少々の尊敬は得られるかもしれない。しかし学生時代にさえ遊び回っていた輩が、その後どうなるか見たら確実に凡百の労働者になっている様である。
 労働階級の地位向上をめざした社会主義者とかマルクスとか。彼らは本当に、平成日本で労働者となる人々の実態を知らなかったと思う。自分が身近でみたかぎり彼らに同情の余地は全く何一つない。だって学生時代、彼らはあれだけ時間があったのにネット犯罪三昧していた。逮捕されないのをいいことに。労働者の悪徳についてはいまさら語るまでもないから省くけど、主婦と労働者が悪業三昧しているのは匿名SNSを覗けば瞬時に理解できる。逮捕されないようこそこそと匿名偽名を使っているだけだ。もともとの素質が悪いのに加え教養程度が低い人達なら当然なのだが。社畜と主婦は閑居して不善をなす。
 では社会民主主義を採用している北欧は? 彼らは正義をおこなっているのだろうか。より自由主義的で、自己責任論がはびこっているアメリカは? 日本の労働者の精神構造の物凄いゲスさを知っていたら、北欧になりようがないと思うのではないか。奴隷根性どころではない。もっとひどいなにかなのだ。日本は文科省の学習指導要領で縛る公教育の質が低すぎるので、結果、ろくでもない遊び人匿名犯罪学生とそのなれのはての凡百労働者しか生まれないというのは確かだが、じゃあその文科官僚がどうかというとこっちもどうしようもないくらい頭が悪いのだろう。パソコンに入力すれば終わり程度の型にはまった科挙的受験しかできなかった連中である。
 結局、なんだかんだいって労働者というのは日本の下層階級というしかないのだろう。勿論、階級制度は消えているけど、そして当の労働者達は自分らの中では所得ピラミッドが社会階級だと思い込んでいるから、そのラットレースから逃れ出る脳はない。老人まで奴隷を続け、差別相手を探ししぬのである。労働者達の唯一の慰めは、脱出できない囚人的生活を合理化する為、無理やり自分達以下の被差別階級を捏造しようという悪意である。これがニートとか引きこもりとか、浮浪者とか娼婦・男娼、やくざとかいった労働者ではない生き方をしている人達なのである。労働者の脳内では、非労働者で金を持っていない人々が、被差別階級にされている。労働者は一般に、皇室、政治家、資本家、上司、あるいは顧客には永遠に頭があがらないので、とにかく常にへこへこし、金をもらう為あちこち駆けずり回った末に匿名SNSの中で罵詈雑言と悪業の限りをまきちらして憂さ晴らししている、とんでもない悪魔的な衆愚である。少なくとも日本ではそうである。そして労働者達に虐げられ、一方的に差別され、誹謗中傷の限りを尽くされている、より自由な立場の人々は、正直言ってこの労働者達を見下している。特に高い教養をもっている人ほどそうだ。両者には断絶がある。労働者は忙殺を喜びとする機械的な奴隷脳であり、自由人はこの逆の主人的脳なのだ。皇族は全国民を奴隷化している邪教祖なので、労働者だろうと自由人だろうと暴力装置の政府から搾取し放題であるが、労働者側はこれを疑問にも思わず逆に永遠なれ、とかいっている。それほどおろかなのだ。だから奴隷の様に扱われるのを望むのである。
 みなが主人公にはなれないのだ、この世界の構造上。実際、我々は労働者の人生を生殖細胞から灰になって墓におさめられ家族も殆ど来なくなるまでみたとしても、大して面白くない。平凡だからだ。何が平凡かというと心のあり方が凡愚なのだ。だから飛躍的な変化もないし決定的な挫折もないし、とにかくつまらない。誰もが伝説にはならないのである。
 政治家は功利主義者ならこの労働者全体の幸福度をあげようとか考えるだろうけど、自分がその人達の一部を標本としてみた範囲では、全然そんな必要はないと思った。逆に学生時代あんなに悪業三昧してたのに、こんな連中が幸せになる権利あるわけないと思う。そしてそのとおりなのではないか? 正直いって労働者を目指す時点でもうどうしようもなくおろかだから、その時点で見限っていいくらいだ。間違いないと思う。だから自分は、かつては社民主義的に労働者の幸福度向上が大事かと思っていたけど、最近は彼らがどれだけ不幸でも自業自得の様に思うし、自由でいいかなと思う。単純に無能だから、平凡な肩書きをつけ、凡愚な道のりをたどり、どこにでもいそうで全く意味がない機械的な作業をこなすわけで、まあ意味がないのだ。彼らの人生というのは。天皇の奴隷でしかない。だから歴史の中にも全然記録されないで消えてしまうのだ。彼らに何の価値があるだろう? 自業自得を自己責任論と読み違えているのだ、大抵の人は。悪しき行いをしていて幸せになどなれようはずもない。自由はその責任をみずから受けることなので、学生時代に仮に与えられたのに自ら、労働者になりたがる者にそれは無用の長物だ。

※このブログURLは2019年6月8日に
https://yuusukesuzuki.blogspot.com/
へ変更されます。