2019/04/07

あいちトリエンナーレ2019は結局男性差別の違憲違法な展覧会

まーーーた津田さんがブロックですよ。議論から逃げるのって卑怯じゃない? 考えてみて欲しいんですよ。言論人ですよ? 言論人ともあろうものが、言論の自由を放棄して、議論から逃げてしまうと。これ何。質低すぎると思わない? 別に応答しなけりゃいいだけだと思わない? 他人の言論を封殺する(当人の主観からみて)ってのがおかしいよね。それ言論人じゃなくファシスト。私も言葉は使うけど、言論人の端くれではあるが、本職ですよ。ジャーナリストって。あと誰のことかいわなくてもわかるとおもうけど、某批評家。この人も大変おかしいよね、ブロッカーって。だって批評って色んな意見を聞いて、その正否を語る人のことだよね。ギリシャ語krinein(選ぶ)からきてるの。
 正直、私のほうが言論人としての格上だと思いますよ。嘘抜きで。このおふたがたより。だってわたしは逃げませんよ。議論から。
 打ち明け、ぶっちゃけ、ね、東一派ってほんと言論人の風上にも置けない、安倍政権級の排他的ファシスト集団じゃないですか? だって批判的・批評的言説みたら即ブロックってそれファシズムのやり口だよ? リベラルぶれるわけないよね。とるに足りない言説なら無視すりゃいいだけだと思うよ。茂木健一郎氏も堀江貴文氏もそういってたよ。なぜブロックとかいう封殺をするのか。許容力が狭すぎるからだし、それって自由さ、寛容さが足りないからだと思う。自分の意見が絶対に正しいなんてありえないことでしょう。全否定されて当然ですよ。自分から封殺という蛮行によって言論の自由を放棄しますと。そして本職本業がジャーナリストですよと。これで報道自由度67位からあがるわけもないよ。しかもフリージャーナリストでそれだよ? どっかの会社組織にいる人じゃないのでしょう? 平成の言論界って終わってるな。段々分かってきた。ツイッターって自動化で誤判定はうざいけど、意外と自然的には言論人として誠実な側が生き残る様になってるのかも。ブロッカーって同調してくる愚者ばかりお仲間にするからな。ひとりでに自滅するルートだよ。
 あいちトリエンナーレ2019について考えた美術批評で「歴史的にみて西洋画の文脈と似てる」ってかいたら、津田さんが私に返信してきましたと。それに普通に美術批評的な専門用語などで応答していたら、大勢のモブに罵詈雑言等をはかれましたし、いいねとかリツイートとかで10も20もさらされましたと。普通にさ、欧米思潮のフェミニズムをアートに持ち込んで、多少不公平でも子供だましの性別比にした、という論理じゃん。だからそうなんですよね、っていっている。そんなの世界中のだれがみても0.1秒以内にわかるよね。だからなに。それで怒るのも謎。ちゃんと勉強して欲しいと思うよ。愚民はばかだから、結果の性別比1:1なら、機会平等とか理解する知能はないので、だませますと。赤点女を満点男より優遇するとまではいかずとも、不当に片方の性をおとして、医学部不正採点みたいな蛮行をあいちトリエンナーレ2019アートでしていますと。じゃあそれ「これ不正審査じゃん」といえよ。ジャーナリストって社会の不正を暴く側でしょう? 自分が不正に加わる側になったら、今度は保身に回っちゃうの? 自分の過ちを認め、普段自分が謝罪要求してきたよう謝罪したらいいだけじゃないですか? 今までそうしてきたのではないですか。記者の皆さんって。不正入試問題の時もそうでしたよ。
「男性を不当に冷遇するならOK!」
こんな意味不明な論理でフェミニズムアートぶってるの?
 私が津田さんの立場なら、愛知県に言って「これはたしかに指摘されてるよう、性別比を意図的に同数にするために男性作家を冷遇したことになるから、不公平でした。ということで元々候補だったが選に漏れた人々への保障として何かできることはないでしょうか」とか相談すればいいだけじゃないですか?
 幼稚すぎる極悪衆愚が「女ひいきで当然だろう。男なんて死なせればいいんだよ」みたいなことを平気で言っている。だから何度もいってるじゃないですか。日本男は世界一不幸で、日本女は世界一幸福とワールドヴァリューサーベイでわかっていると。しかも男が2倍以上自殺し易く、純粋美術作家は極貧と。日本人男性純粋美術家が世界一不遇だといっていいよね。事実上。経済的にも社会的にも。それなのに、不当に国際女性作家を優遇しますと。これで保障もされませんと。しかも全体の奉仕者たる公務員の、税金(地方交付税含む)を使ったイベントですと。これで文句いわないほうがわからない。自分が男性作家で。機会平等、審査不公平、結果不公平(無理やり性別同数)。これどうみても今後の美術展文化にとって最悪の実例じゃん。審査からして不当に女性だから優遇されており、しかも最終結果の性別比さえ無理やり優秀な男性作家より無能な女性作家が数揃えの為に採用されている。なんなの。愚民扱いしてるの? これから審査は全部、透明に公開してくださいよ。全過程を。そもそも密室で審査することそのものがおかしいんだよ。ネットで全部中継してアーカイブに残してよ。そしたらもっと公論が興るでしょう? 一体、よい美術とはなんですか。皆さんもそれを知りたいと思っています。審査の公平性とは何ですか。私は全財産は30万ちょっとですよ。その人もちゃんと税金を払ってますと。消費税だの住民税だの。全てとどこおりなく。そんでなんだかんだいってそれが国税を経由して愛知県にそそがれていますと。その美術展でなんで日本人男性作家が冷遇されるの? 俺の税で? ばかなのか。俺の税かえして?
 国連にも教皇にもダライラマにも相談したんだけど、もっと上の人どっかにいないかな。トランプとかにいってもしょうがねえからな。
 たしかに応募比(選考対象)の性別比が、生物として男性の方が数が多いし、もともと1:1じゃありえないから、最終的に1:1に絞っちゃうと最初の時点で競争率が変わって機会平等ですらない。
 機会不公平、審査不公平、結果不公平(機会と審査を無視し無理やり性別同数)と、全て不公平だな。根本的に性別って男の方が少し多く生まれてくるはずなので、機会平等を達したかったら応募・選考時点で自然には男性比のほうが多くなるはずだから、そこからして、実力審査を無視し、結果を性別比1:1にするというそもそものフェミニズムの意図が不公平になるといえる。色眼鏡で「女ひいき」しようと思って、アーティストも観衆もだます擬似選考機会をつくってるあいちトリエンナーレ2019の主催者側(愛知県)って、一体、生まれつきY染色体をもって多少多く生まれてくる人類の人権を何だと思っているのですか? 機会平等なら男性作家の方が多く応募選考されるでしょ?
 岡本太郎的感覚論が主流の日本美術では、「そもそも美術に公平な審査がなりたたない」というのは、全く然りであるから、審査過程を全て公開アーカイブ化しても、それ以前にくだらねえ根回しとか情実で決められてしまう可能性が残るわけで、審査はもう観客の一般投票以外ありえないとおもうんだよね。先ずアーティストにプレゼン資料をA41枚とかツイート1個とかで提出してもらって、それを来客する人達が事前チケット買ってその番号つきで投票して、みたいものを選んでもらうと。そんで受かったものを展示すると。これが大衆枠って意味では最も真っ当な審査です。+専門枠でキュレーターが選べば?
 津田さんは「建設的議論」が成り立たないとかいっていた。どこが? 私はあなたの死後も美術活動すると思いますよ。長寿で。しかも私の作品は未来永劫残るんですよ。その為に生きてきましたから。現世を捨てて。私達求道者ですよ。建築家、美術家、建設しかするわけないでしょ。ダメなら作り直しだよ。
「女ひいき」されれば、自分は女ですから。女がひいきされて金儲け、売名、権力乱用なんでもある。ばかみたいな貧乏画家なんてぶっ潰し、自分が天下のおねえアーティストでござい。こんなでしょ? セクハラされましたと。男性もされています。強姦されましたと。男性もされています。ひいきは卑怯だ。
 ま、なんにせよ、所詮、天才以外の人達の世界だけどな。展覧会云々って。だって本当に超絶天才級だったら性別だの性差だの超越してるからな。そして世俗の展覧会での審査がどうとかそんな次元にいないしな。歴史上に残ってる人達でも展覧会って副次的要素だったと思う。印象派やアンデパンダンでさえ。性差と性別の違いを見分けないままで、わけのわからん小学校の学級界級の性別等分でギャアギャアアーティストいじめしてるモブのおろかしさ。
「性差という舶来語の意味わかってないまま使ってるの?」というタイトルで稼ぐか。1円。
「性差平等(gender equality)」なら、性別比がどんなに偏っててもいいのではございませんこと? あたくしそう思います。だって性差、genderって社会的に偏見として文化ミームの中に形作られている性格的役割の思い込みのことではございませんでしたかしら? たしかあたくしの大学校ではその様に。愛知県とかいうトヨタ傘下の労働者の方々って、一体全体、ジェンダーをセックスと誤解されていらっしゃるなんてことはございませんのですわね? まさかね。そんな中学生より低い知的水準で、一体全体、偉大なる大知識人アーティストの皆様をののしりさしあげていらっしゃったのでしたかしら? しかもですのよ。性差自由(gender free)と、性差平等(gender equality)って、大分ニュアンス、そう語義に微差があるとおもいますのよ。性差が解放されていることは現代社会で必須のLGBT、もしくはLGBTTQQIAAP(Lesbian、Gay、Bisexual、Transgender、Transsexual、Queer、Questioning、Intersex、Asexual、Ally、Pansexual)のみなさまがたの共通の願いですのよ。けれども平等とはなに。みな違うのではなくて? 性差平等ってなに。本気で。寡聞にしてはじめてきいたんだけど。性差自由ならよく聴くんだけど。是非定義して欲しい。性差平等って、勿論のことだけど生まれつきY染色体もってる個人をいじめるなんていう、あいちトリレーンナーレ2019暴徒が現に私にやってきている大蛮行のことじゃないよね。結果を無理やり生まれつきY染色体の保有率が低い生殖細胞群のほうへ有利に不正操作し、不公平な審査(審査過程が不明な上に性別で落としている)、不公平な機会(そもそも自然的に男性の方が多い筈)を伴って性別差別展覧会を開きながらも、愛知県という自治体さまはLGBTTQQIAAPの皆様に平等をとな? 違うから。LGBTTQQIAAP皆違うから。平等とか言われても。違いを認めて頂けます? なんで俺がほかの性差の人と一緒なの? ありえなくないか。何が平等? 普通に違うし。だから自由なんだろ? PZN(Pedophilia、Zoophilia、Necrophilia)については? これらの倫理的偏見を問うとか、それが性差アートでしょ? LGBTTQQIAAPPZNの自由を問うと。さらにそれに平等といっているよね、愛知は。平等ってどういう意味で使っているの。PZNと一緒です、平等ですっていわれたら怒る人いると思うよ。いわゆる何の性的少数者の性差ももってないのをN(Normal)と仮に置きましょうか。LGBTTQQIAAPPZNNというまあこれでも実に大雑把だけど15種類くらいの性差の類型がみられますと。純粋美術の世界で昔から行われてきた議論ってこの様な次元の話だよ。嘘抜きで。ほんとにそうよ。ゴヤとかバルトゥスとか。
 失礼だ失礼だと津田さんは怒っていた。あのね、あなたがしていることってほんと知識人の世界に土足で踏み入れて、ものすっごく次元の低い話をモブとまきちらしながら、無礼千万していることなのよね。だーーれもそうとははっきりいってくれない。なぜかというと気を使ってるからなのさ。僕もそうした。
 本音を書いてみましょうか。これは単に、純粋美術レベルでの性差の議論の為にですよ。
「うわー、この素人ジャーナリストとかほんと恥ずかしいな。だって『我が子を食らうサトゥルヌス』とか『Made in Heaven』、『Miss Ko2』、バルトゥス、同人誌、春画とか、何もしらんでアーティスト差別っしょ?」
「会田誠がスクール水着きせたティーンを滝にならべて変態妄想を描いてアダルトビデオみたいな裸群像もどきを描いていますと。じゃあこれは性差別ですかと。クーンズ自身が有名ポルノ女優との交尾を彫刻化して高値で取引されていますと。村上隆が男女の性器を巨大彫刻にして画廊で売る。でっていう」
「北斎がタコと尼さんの性行為を描いていますと。これは獣姦の一種ですがアートですかと。同じ触手モチーフが同人誌の中で使いまわされていますと。これはアートですかと。ゴヤが子供を食べる恐ろしい絵を残していましたと。これは獣姦の一種なのでしょうかと。性差平等? 男性が女性差別? え?」
「バルトゥスという幼児性愛の画家が、子供を家につれこんで卑猥なポーズをとらせ絵を描いていましたと。マネが娼婦を黒人家政婦の前に裸体で並べ古代ギリシアのビーナス像と重ね公募展に展示しましたと。村上隆は日本女性へのオリエンタリズムに重ね乳で縄とびするオタク偶像をさらに重ねましたと」
「オキーフは植物の女性器であるところの花弁みたいなでかい絵を砂漠の真ん中でずっと描いてましたと。ルイーズブルジョワがママンという母の名をつけた蜘蛛を各地にばらまきましたと。クリストは夫婦で金集めて世界中の建物を布で覆いますと。ピカソは愛人多数で一夫多妻みたいなもんでしたと」
「さらにダビンチは一度、ホモセクシャルのかどで逮捕されたことがありましたと。モンドリアンは生涯独身だがアメリカにわたった老人期にもコールガールの電話番号を聞いていましたと。ウォーホルがホモなんだかエイセクシャルなんだかバイセクシャルなんだか誰もわかりませんと。ダリは女性崇拝者と」
「アーティストが性差に解放されていたことなんて古代から殆どなんも変わりがないのに、なんでいまさら? 何も知らないのはわかってるけど、テーマが単純すぎるんじゃない? でも一々教えてあげるにもこの人プライドばっかり高くて、素直に言うこと聞かないし、どういってあげりゃいいんだ」
多分キュレーターの人らは、程度こそあれこれと似たことを感じて、僕と一緒で気を使って津田さんに接していたと。本音をいうとぶちぎれブロックしてくるし、いわないならいわないで全く勘違いしまくった誤導で一般大衆にアーティストを意図的に矮小化した性差別主義者みたいにしてしまうしと。
「ホモ写真家っぽい男性裸体の写真集を猥褻物認定されたメイプルソープとか、女装写真のシンディーシャーマン、森村泰昌、あと芸術としては古代ギリシアの神像以来の神聖化の手段だったヌードを世俗的に撮る篠山貴信だの荒木経惟だのは? オタクのエロフィギュアは土偶と共に性差別かい? と」
「性差だか性の問題を扱うなら美術界には実に豊富なバリエーションがあると。しかし性差+平等とかいう謎タームで、LGBTTQQIAAPPZNNをまとめて女性差別主義者と呼ぶのはいかがなものかな。そんなに単純なわけないよ。その切り口。しかしこの人にいってもしょうがないから黙っておくか? 上がいうし」
本音からみても実に下らない次元に、あいトリ(あいちトリエンナーレの略)モブの議論って矮小化されてるわけで。「男性アーティスト・アート関係者は性差別」って。そんなレベルで生きてると思ってるの? もはや笑い話にすらならなくて、性差と性別の違いわかります? とか聴いても大発狂で横文字で肯定行動(affirmative action)とかいう。
 ハイアートって自称してるくらいだからガチ(ガチンコの略で、本気という意味の相撲用語)哲学、ガチ科学と完全に連関しながら自己の論理展開してきた真善美の一角(しかも最頂点)を占める純粋美術がさ、なんでいまさら性差別主義よ。それ聖母子像描いてる最中のラファエロにいえるの? ミロのヴィーナスみてそれいえる? 土偶みていえるの? で、あなたはどうですかと。わたしですか。わたしはこの世の全生物がTWICEしかいなくなっても別にどうでもいいですよ。どうでも。一般の独身男性ですからね、肉体は。確かに紳士ではあると思うけど。普通に考えて女性を大切にしていますよね? 師も女、恋人も女、普通にしかも愛する人が女に多いと。
 散々考え直したが、やっぱりあいちトリエンナーレ2019って完全に男性差別展覧会だから、政治的正当性もまったくないね。愛知県は男性差別の自治体だといっていいでしょう、この件に関する限り。人権面で違憲だ。法の下の平等に反するんだから行政裁判すべきだ。あいちトリエンナーレ2019で群れて男性作家差別しまくっている極悪人達も同罪だ。憲法第十四条に反し、性別によって政治的、経済的又は社会的関係において、差別している。この人達は全員、民事その他の裁判によって罰される必要がある。あいちトリエンナーレ2019において男性作家を性別によって政経社会的関係において差別した、違憲な愛知県および当該展覧会及び、男性差別を煽っていた全てのツイッター等での発言者らは男女共同参画社会基本法を破っている無法者であるから、行政裁判、民事裁判等で具体的に制裁措置を命じるべきだ。男なら差別してもいいなんて話になるわけないだろ。あまつさえ自分がその性なら、全生命力をかけて全世界で極悪衆愚に反旗を翻し、女性ひいきの極悪人どもが全滅するところまで戦いきるべきだろう。男性作家は自分のはらった税金で腐った愛知県という日本国政府の一部を構成する行政から差別されてんだから、全力で訴えて不当な違憲行政を覆すべきだ。
 周辺状況を情報収集し、自分に想定しうる全ての場合を考えた限り、今回のあいちトリエンナーレ2019は機会不公平(応募・選考の性別差を最終的に1:1比にすることでの機会ロス)、審査不公平(性別比を最終的に1:1にする前提で性別を理由にした違憲・違法な選考)、結果不公平(男性の方が数が多い)。主催者側は話題になるとかいうどうしようもない悪意で、憲法14条に反し、法の下の平等を不当に侵害する、男性差別・女性逆差別をおこなった。これはわが国の法秩序、倫理観を完全に馬鹿にした話であり、断固として許し難い。主催者側と群れて違憲なる性別差別を煽っていた全衆愚も同罪である。
 私はあいちトリエンナーレ2019に群れた衆愚の一部から、或いは最低でも20人以上の大勢から、集団で憲法14条法の下の平等に反する不当な男性差別を容認して当然かのように、いいねやリツイートの連打などで脅されました。その上その中の数人から直接「狭量だ(男性差別を受け入れろ)」など侮辱された。今後、あいちトリエナーレ2019に群れた衆愚の一部、特に私の名誉を不当に傷つけながら、憲法14条法の下の平等に反する不当な性別差別、男性差別・女性逆差別を強要・教唆しようとしてきた極悪人達が、どれほど賠償してもどれほど刑罰にあってもどれほど懺悔しても、私側についた傷は消えない。
 独立した美術家と、美術関係者(教授、美術館勤務者、画廊勤務者など)は、先ずまったく別の職業であり、この両者を意図的に混同するなかれ。また美術関係者らの世界で男女共同参画社会に反する実例があったというなら個別に、実名で、直接訴訟するべきである。虚報ではないならそれができるであろう。美術家の世界で作品以外の要素によって評価されうる余地はない。もしその様な評価をしている者がいたとしても、その者は単なる愚物である。美術史は作品によって構成されているのである。或る作品を作った者が、その作品の意味内容によってのみ、美術史に記述されている。主は作品、従が作者なのである。これが美術家の世界だ。素晴らしい作品をつくりえない者が、なぜ性別で評価されうると思うのか。作品をつくれないから無能なのである。無能な者が労働者の様、採用される余地はない。或る美術作品を作りえた者が、結果として、或る作品の作者として美術史に記述されている。その作品を作った者が女性であれば女性の名が刻まれている。或る美術館において所蔵作品の作者の性別に男性が多いならその作者らが有能だっただけだ。美大生に女性の数が多かろうと必ずしも有能ではないのだ。下らない作品を収蔵した美術館に、どの程度の意味があるだろうか。無能な作者がたまたま女性であったならひいきしてその作品を購入する。駄作を購入する動機に、性別による差別があるとでもいうのか。美術館はテーマや歴史的意義に基づき重要な作品を購入している、作家の性別でそうするのではない。「生まれつき、或いは生後の努力の度合いにおいて、結果として優れた作品と認められる物を作りえた者に、男性が多い」もしこの様な事実があるとしても、既に美大芸大生の数において女性の方が圧倒的に多い以上、優れた作品を作りえない女性側の生まれつきの才能か生後の努力が足りないかどちらかだ。生まれつきの才能か、生後の努力か、いずれかが足りないだけである人物、それが男性であれ女性であれ、その様な者が駄作を作り、美術館に収蔵させようとしても無駄な努力だ。美術館側の予算は限られているのだ。展示も保管も費用がかかる。一流以上の作品を作りえた者の名誉だけが残る。性別ではない。もし駄作がふえてもよければ、あるいはテーマに沿った展示という意味でなら、女性作家の作品だけ集めていくということは容易にできるであろう。同等以下の金額でより歴史上重要であったり、作品として必要だが、作者が男性ならそれを購入しないとする鼓舞は、一般的には高コストなので不可能なだけだ。
 作家と兼業している教授の場合、この人が教授への昇格人事の際に性別で差別しているなら、単に男女共同参画社会基本法、男女雇用機会均等法にとって違法である。だがこの人物は、美術家自体としては性別でひいきしてもらえない。作品が全てなのだ。駄作しか残さなければ秒で消える。思うに教授選考時に、他の教授らは永続的勤務が見込める人物を選びがちだから、結婚等によって専業作家として本格的に活動していない類の兼業女性作家を選ぶのは困難なのではないだろうか。それなら専業作家としてやっている者から選びたくなるのではないだろうか? 兼業でも有能なら選ばれる筈だ。
 美術館長の場合、女性の中に館長にふさわしい人物がみつかりづらいか、そもそも館長を選考する側に何らかの意図があるのではないか? 美術館は往々にして行政がもっているから、性別比の偏りが生じている直接の原因は、日本国政府と各地方自治体にある。これについて私は何も知らない。政治の問題だ。

※このブログURLは2019年6月8日に
https://yuusukesuzuki.blogspot.com/
へ変更されます。