2019/04/05

あいちトリエンナーレ2019を巡る美術関連批評集

(津田氏が記者会見で提出した、美術業界が男性優位かどうか一部の美大・芸大・専門卒の女性にインタビューした資料について)
これは全体の一部の意見だから、これを標準とするには統計的な裏づけが足りない。まあこういうことがあるというのは間違いないけど、残念ながら一般社会のほうが遥かにひどい。美大芸大社会は男性の数が少ないからこういうことが起きる頻度が低いのよ。一般社会の方が頻度が高くなるのはそういうわけで、美術関係者が特殊とかいう社会通念を悪用しちゃダメよ。
 あとBさんについては「閉鎖的な芸大美大社会の構造」を指摘してるのに、途中で全然関係ないジェンダー論にすりかえてるね。これはNG。
 なお「閉鎖的な大学の構造」は、理系文系その他問わず、大学は全てそうです。美大しか出てない人はその閉鎖性が特殊なんだと思い込む。
 あとヌードモデルの問題。これは皆で議論した方がいいと思うよ。確かに古代ギリシアが人格神(人型の神)をもっていて現地が明朗な気候だったこともあって裸像を人間美の規範とする伝統があって、明治期に欧米から輸入され、日本でも元々あった春画をこえて裸像や裸体画が作られるようになった。明治以後も知識人の中で裸像・裸体画が猥褻かについては議論が重ねられてきた。ヌードモデルを使って裸像・裸体画を作ることは、ギリシアでいうエロス(ギリシア的な愛の神)の象徴化みたいな意味で、欧米の影響を受けた文化圏で正当化されている。上の女性らによるインタビューではあんまり言及されてないけどね。
 ま~全体として津田さんは美術系の男性観が物凄く間違ってるというか、一般社会の男性より、美術関係の男性って優しくて、女性尊重の念が強かったと思うよ。これは間違いないよ。私はいずれの社会も経験したからわかるけど。だから優しい男性を、一般社会でもっと野蛮な男性がいじめてるだけなんだけど。なんであなたがこんな非人間的な仕打ちというか、優しくて女性を尊重する傾向がある美術系の男性をいじめまくるかというと、あなたが一般社会側の男尊女卑をそのまま美術系にあてはめようとしているからなんだけど、これは業だと思うよ。だって普通より女性を尊重してる人らをいじめてるんだから。統計的データとか、標本のとりかたや母数が怪しい主観的な少数インタビューとかから、無理やり、現場で少数派の男性たち(しかも優しい男性たち)をいじめている。そしたらその少数派の男性たちは抵抗しないと潰されるだけなんだから、悲しみの余りあなたをうらんでもおかしくないとおもうよ。
 ちゃんと現実に、ひとりひとり、美術大学を目指している画学生とか、実際に美大芸大にいる男性たちと知り合って、どういう人達かみたほうがいいですよ。私はそういう人達もみたし、一般社会の男性もみました。一般社会の男性のほうがずーーーーっと野蛮でしたよ。本当に。美術系は優しいんだよ。
 教授が学生を搾取する構造が腐っている。これはいえると思う。だから美大芸大は潰した方がいいと私も思っています。そもそも美術というのは教えられないんですね。だから徒弟制になってるんですよ。でも、普通大学の研究室もそうですので、美大の場合は教えられないのにあるところだけが違うんですね。東京芸大を明治政府が作ってから、問題がねじれてきて今に至るんです。本質的に教えられもしないのに美大芸大を各地に、大学制度を間借りして量産している。だから美大芸大は全部禁止して潰した方がいいと思いますよ。でも、男女差別の解決はもっとひどい政治界、会社、他の学校のほうが優先かもね。
 くりかえしいっていますけど、美術系大学の学生はほぼ女性という、普通大学と違う環境で、その点では普通大学より遥かに女性中心ですよ。津田さんも実際に入って、確証バイアスをはずす証拠集めをした方がいいと思う。

(津田大介氏が突如、ツイッターアカウントをブロックしてきてからの独り言)
東浩紀氏に続き、津田大介さんも私の正論に耐え切れず、私をブロックしてしまいました(のちに自ら解除されました)。批判的精神がないと、ある意見の反証という科学的な検証過程に耐えられない。自分の主張が悉く正しいと思っちゃだめだよ。それを思った瞬間、確実に道を間違えるんだから。単純に科学的事実を述べてるだけなのにブロックするって、どういうことなんだろう。想像もつかないんだけど。
 前からいってるけど、ツイッターって2chとかピグの逆で、自動ブロック機能ついてるのだよね。自分に危害を加えうる人ってなぜかツイッターだと勝手にブロックしてくる感じ。
 津田氏は無理やりジェンダーひいきイデオロギーで美術関係者全体を敵に回してどうすんだろうな? そんなひいきに媚売ってくる人って全体の一部だと思うぞ。男だって女だって無闇にひいきされたら気分悪いと思う。ちゃんと実力で評価しましょう、ってのが公平なのは当たり前だよ。確証バイアスを集めて偏った意見を正当化しだしてるのに、なんで反証的意見に耳をふさぐとかいう愚行に走るのかが分からない。それをしてると崖から落ちても文句いえないでしょ。あなたの走ってる方向は崖ですよ、と教えてもらったらブロックというのはどういうことなの。まあ東浩紀氏の関係者はブロッカーが東氏と津田氏と2名いるのはわかったが、なんで正論に耳をふさぐとかいう意味不明なことをするのかはさっぱりわからない。議論を深めなかったらよりよい意見にたどり着くはずもないんだから、もし自見を主張するだけならわざわざブロックする意味もないじゃん。結局、自見を正当化する人だけ集めてるなら、それは自分でノート書いてるのと一緒でしょ? 公論に付したら色々な意見が出て、その中で進歩があるんだよ。
 政治界の男女差別、例えば皇室制度は権力にはばまれて変えられないけど、美術界ならジェンダー論ぶればヒーローになれると計算高く考えて、美術関係者をひとくくりに差別主義者扱いで挑発すれば、詳細にコンセプトを練り直すより自分の得になるとかおもってるのだろうか? そんな幼稚な世界じゃない。
 ま、いいか、俺の展覧会じゃねえし。単に美術関係者をひとくくりにして全員差別主義者あつかいみたいな津田氏のファシズムが危険というだけで、その因果を受けるのも津田氏自身だから、俺は十分忠告したよ。当人の責任だよ、その業は。
 俺は全世界からあらゆる差別を撤廃する為に死力を尽くすつもりだけど、だれもの中に偏見や差別が育ちの中でできてしまうものだから、それを自己解除するために必死で反対意見に正しいところがないかいつも全力で検証してるのにな。改めて東浩紀氏の関係者達(津田氏、茂木氏、東氏)の言動をみてみて思うのは、彼らは自己宣伝のリツイート、自見の確証バイアスを強化するフォロワーの意見をリツイートして、反対意見は封殺している。この態度は本当に危険だ。当人達は、多分気づいていないと思う。フォロワーが膨大にふえると、反対意見の量も膨大になるから、一々、それをとりあげるわけにいかなくなるのかもしれないけど、科学的精神の真逆に位置する自己正当化にツイッターを使うのは、本当に愚者を近づけ、賢者を遠ざけるふるまいだ。
 私は彼ら東派を反面教師にするつもりなので、是非とも、私のツイッターをご覧の方々で私の誤りに気づいたら、すぐにでも返信などでお教えいただきたい。私が馬鹿でなければきっとそれで反省し、過ちを改めるだろうから。津田大介さんは今回の私へのブロックで、おそらく奈落の底というか、誰も彼の過ちを制してくれなくなると思うけどな。東浩紀氏のときも、私がユーチューブで「批評しろ」って忠告したらブロックしてきて、その後、雑用で疲れたかなんかで物凄く落ち込んで鬱病みたいになってたよ。同じ行動とってるな。
 美術関係者の男性の方が、一般社会の男性より優しくて女性尊重的なのはほんとなのに。なんで現実をみずに単なる一般社会と同じ男女比みたいになってる資料とか、一部の女性のセクハラとかだけみて、事実をごまかすのか。一般社会の男性の方がはるかにナンパだの合コンだの女ばっかり追いかけてたよ。美術界は女性が多いから女性を特別と思わなくなるんだよ。だから女性に接しても、一般社会みたく単に女性を性的に追いかける男性と違って、柔和に対応する人が多くなるんだよ。なんでその現実的体験をしていないのに、少数派の男性をいじめるのか。周りの何も知らない人達あおって。天罰あたると思う。
 そもそも自分がなんでこの件に絡む必要があったかといえば、津田氏がやってるのは弱いものいじめだからなんだよね。美術家の男性って経済弱者だし、少数派だし、世の中に居場所がないし、ただでさえ差別を受けている。そこにジャーナリストが政治的野蛮な風習でさらにいじめてたら、ほんとばちあたる。なんて野蛮な連中なんだ。男女平等を建前に、弱い立場に置かれた男性を他の男性とひとくくりにいじめまくり、何も恥じる気配がないとか、それが楽しみとかいっている。どういうことなの。その議論の粗雑さ、卑しさ、野蛮さ。愚劣なのか邪悪なのか粗暴なのか悪意なのか。暗愚なのか陰険なのか。怖い。
 人生全体の中でも今日ほど自称リベラルの野蛮さを完璧に把握した日はないわ。こういうことなのか。確かに偽善でしかないね。女性受けする為ならどんな不正でもやってのけていたのか。自称リベラルって本物の偽善者なんだ。今まで右翼がリベラルを攻撃してた真の理由がわかってしまった。確かにこれは生かしておいたら大変なことになるに違いない。女性受けする為なら弱い立場の男性をめちゃくちゃにいじめまくって自由だってなんなんだ、自殺しちゃうよ。そんな粗雑な議論してたのか。
 今日をもって私はリベラル側に与するのはやめた。これはあんまりだ。そんな馬鹿みたいな人達が偽善ごっこしていたなんて知らなかった。弱いものいじめを正当化するために建前つかってるだけじゃん。リベラルって。ネット右翼が馬鹿だといっているリベラル側も似たような馬鹿で、しかもやってることの卑怯さからいったらより陰湿で策謀に満ちてるだけで大して違いがなかった。右翼は差別で、リベラルは逆差別によって少数者をころそうとしてる、という点で相似形だったのか。信じられん。まさかここまでリベラルとか左派とかいってる人達って、幼稚な上に偽善的だったなんて。男女差別を撤廃する名目で、少数派で虐げられている男性を踏み潰しても、女性受けすればいいんですってなに。子供か? その次元でリベラルとか左派とかいって政権とったらどうなるよ? リベラルって本当に悪い奴らだな。外聞だけ差別と戦う振りし、裏では逆差別によって別の少数派をいじめてるのに気づいてるのに、その人達を虐殺しようってんだからこれは信じられん。卑怯者すぎる。差別と戦う振りをして別の少数派を虐殺しようって、明らかに極悪でしかない。差別主義者とかいう仮想敵を捏造して、実際には差別主義者でもなんでもない人を無理やりその枠組みにあてはめてころそうってなんだよ? 今まで人生でみた中でも最大の偽善。自称リベラル、左派の卑怯さ。こんなことがあるのか。男性の方が女性の2倍以上自殺し易い日本で、しかも経済弱者の最たるものとわかっている男性美術家が、現に窮状を訴えてるのに、くそみたいなイデオロギーで差別主義者扱いでひとくくりにしてブロック抹殺。
 女性の幸福度が世界一高い日本で、相対的に世界一不幸な日本男性のうち、しかも最も社会的に弱い立場、経済的最弱になるべくして育てられてる男性美術家を、滅茶苦茶に粗雑な議論で一緒くたに殺処分にまで言及するとか、左派ってほんと右翼がいっていたとおりの極悪人なのか。真実をみてしまったぞ。
 日本の女性ってそこまで馬鹿じゃないから、津田氏のやってるやたらめったら不公平なひいきで犠牲になりまくって自殺する男性美術家らをみたら、同情のあまり反あいちトリエンナーレ2019に転向するに違いないよ。さすがに女性の知能を馬鹿にしすぎだよ。人としてそんなことできる馬鹿いるわけないだろ。「不公平でもひいきされたらうれしいです」「権益えられるならなんでも利用します」「実力なんてどうでもいいです」「金がほしい」「地位が欲しい」「1:1なら平等って中身なんてどうでもいいんですから」とか。そんなに女を馬鹿にして楽しいの? そこまでばかなわけないでしょ? 「女程度なら1:1とかいう明らかに実力無視の当分割で納得するやろ」「女の脳に芸術性で選ばれてないなんて気づく能力あるかいな」みたいな逆差別。こっちの方がかえってたちが悪いくらいだ。左派独特の裏返ったひいきによる差別。これは子供ですら騙せない。学級委員長レベルなら実力投票にするわ。
 芸術界を不公平な競争を前提にしたら、全体として女だから(男だから)ひいきされる、男だから(女だから)差別される、となって、駄作ばっか残るじゃん。なんでそんなわけのわからない計画経済みたいなのするの? 普通に迷惑だというのは当たり前の話でしょ。どの分野で実力なしで競争させてんだよ。
 芸術の素人だから男女差別・逆差別で無理やり芸術家を差別しますと。それにムリがあるのは誰でもわかるのに、愛知県はなんでそんな社会的に公害しかない炎上案件にGO出すの? 実力のある男性作家がかわいそうなだけじゃん。女性に生まれたら無能でも努力しなくてもひいきされて天下のあいちトリエンナーレで大作家扱いです。どういう不公平だよ。それを話題になったからいいや、とか、論争になってるからいいやとか。東浩紀氏、茂木健一郎氏、ひろゆき氏も完全に共犯だと思う。これはぬぐえない罪だよ。永遠に追及すべきだ。

(私のツイッターへのブロックを解除した津田氏へ)
あのですね、私は善意しかないのです。全人類に。公平を求める真摯な気持ちしかない。正直、この議論している皆そうだと思う。だから穏やかに話し合いましょう。それが人の道です。私は命かけて芸術やってる。みんな芸術家はそうだと思う。だから不公平に審査されるととってもとっても困るのですね。ハンディキャップをつけるとしても、ちゃんとルールの合意とらないと、これはずるいとなってしまいます。私も女性に生まれてたらもっといけたのに、ってなっちゃうでしょ?

 (上述ツイートへの「僕が命賭けていまの仕事をやってないと思うのもあなたの思い込みですよね。不公平に審査されたと喧伝するのはただの被害妄想です。」との津田氏からの返信へ応えて)
いえ、不公平に審査されたなんて思ってないですよ。そして津田さんが命かけて仕事やってないなんて思ってないし、どっちも書いてないですよ。
 「もし」不公平に審査されたら困る、といってるのですね。命なんてかけなくても仕事はできるしそれでいいとおもいますけどね。特攻隊じゃあるまいし。
 そもそも芸術の評価に公平さ何てほとんど期待できないから、あったとしても欧米美術の歴史的批評家の脳内でくらいなので、いいんですよ。そこは。要するに男女差別はよくないといってるんです。

(独り言(単独ツイート))
んじゃさ、もうあいちトリエンナーレ2019の参加者は全員、今後性転換必須でいいじゃん。全部女性にならないと参加できないことにしたらいいと思う。本気で。その方が公平だと思う。この世の男性がいるせいで喧嘩や戦争が起きるんだから男性が全て悪い。だから芸術家になりたいものは宦官になりましょう。私もその覚悟はあるよ。芸術家になろうとして出発したんだから。そのくらい厳しくしないと男女差別は終わらないらしいから。愛知県によると。トヨタの浄財の為にみな去勢しろ。
 まあさらに深く考えると、そもそも芸術の実力ってなに? という根本的な審美判断に事が至る。だから芸術作品の質に公平な判断がありうるなら、きちんとした美術批評的な体系がないといけない。それがないところで議論してると、根本的な公平さには永遠にたどりつかない。作品に名前も何も表示せず審査させるべき、っていってる人いたけど、これは当たり前のことだよね。その上で公平によりよい芸術ってなに? というところの体系が、まあ欧米美術でさえ歴史的文脈という筋しかなくてしかも構築的に作られるという。日本側の審美体系が曖昧すぎるので、公平な審査がない。日本の美術は、審査体系すら曖昧なのに、さらに男女比を無理やり等分にして実力を完全になしにしていこうってんなら、そもそも作家を選ぶ理由すらないでしょ? 応募者全員が展示できるのにすればいいのに。日本の美術って文脈付けの力とかほぼ皆無で、歴史的にもごちゃごちゃ海外の流行混じっててサブカルとの境界もほぼぶっ壊れてるし、体系的に作品評価する空間じゃないんだから、審査なんていらないだろ。なんで審査してるかって展示スペースが足りないからだろ。ピクシブみたいに電子空間にすれば? 美術を審査することが可能だとしても、日本美術のゆがんだ空間(いわゆる悪い場所)では全部虚実皮膜なんだから、そもそもあいトリもとんでもねえ歪曲空間の手前で喧嘩してるだけだよ。実際にその歪曲空間に入っていってしまうと混沌度が5億倍くらいになる。

(芸術について話したいなどと数多の質問を重ねてきて、途中からゴロツキなどと私を誹謗し、最後にブロックして去っていった、或る偽名アカウントへの返信)
私は女性しかこの世にいなくなってもいいと思ってるくらいですからね! それなのにいじめられてんですよ。私らは作品がすばらしいかなっていって芸術をみてるのであって、作家が男性だから女性だからレズだからホモだからってその作品を貶めるなんて絶対ないよ。そんなアホなわけないでしょ。ぶっちゃけ、作ってる作家がただのピングーだったとしても、そこらのヒトの作品より素晴らしかったら感激して大礼賛するでしょ。
 いや私は別にはら立っていないですよ。あいちトリエンナーレ2019を客観的にみて、美術の文脈上どういう批評が成り立つかなと思ってるだけだよ。
 ブロックされたのはこっちは単に美術批評してるのに悲しかったのと、あと左派・リベラルは寛大な筈なのにファシズム的に少数派弾圧してたのがショック。
「貧しくて恵まれない男性美術家」って僕の親友もそうだし友達もほぼそんなだから、そういう物凄く社会的に弱い立場にいる人が高校の時から友情をもってる人なのに、その人が「差別主義者め!」とかいわれてるとおもったら、これは美術批評として何とかいってやる必要あると思わざるを得ない。
 特別視もなにも小説(エミリーブロンテ?)だの物語(紫式部)だのは最初から女性の手になったものだし、文学は女性中心にはじまってるみたいなもんでしょ? 音楽だったら椎名りんご聴いてるでしょ、みんな。素で。男女がどうとかないよ。音だよ。僕の親友は僕がその人の彼女を、当人がいないところでちょっとからかっただけでぶちぎれてきたくらい女性尊重主義者ですよ。
 歴史を学べばわかりますよ。文学はかなりの程度、女性からはじまっていて、日本文学についてはかな文字自体が女手でしたから。作品が面白ければAIが書いててもどうでもいいよ、私は。
 ゆえに? ジェンダー論みたいなのが現代日本文学に影響を及ぼしているといいたいのですか? ジェンダー論をなんらかの意味で採用してる作家の中で、だけじゃないかと思うけど。芥川受賞作とか全く文学だと思ってないけど私は、ジェンダー論とかフェミニズムとかに影響されてる人は欧米かぶれの中には当然いると思うよ。でもそれもただの思想だから、それを否定したりのりこえていたり無視していたりもするでしょ。
 フェミニズムって『自由論』のミルくらいから、ミルの妻はいい人で賢かったから女性の選挙権を得ようって感じでミルが運動しだした。で、イギリスの友人がいう感じだと、それがやがて欧米で変質して、女性が男勝りなことをする運動に変わった。だからフェミニズムっていっても色々だ。性と性差の区別で、性差をジェンダーと呼んで、後天的に異性っぽくてもいいじゃん、という文化的性差の議論ってあるけど、今回のジェンダーって明らかに性(セックス)の方だからおかしいよね。
 芸術の著作権法上の定義は、思想をなんらかの形で表現したものだったと思うけど(2条に著作物は「思想又は感情を創作的に表現したものであって、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」と定義されている)。
 アリストテレスがいうには、形相という概念で、思想と形は一体不可分のものです。
 なお上でいった「文学とおもってない」ってのは、「立派な文学、純文学として素晴らしい作品、世界史に残る傑作」だと思ってないって意味で、そのレベルからしたら駄作が多いって意味ですよ。勿論、世俗的な意味では芥川受賞作は全部、ただの文学作品だよ。
そういう意味での「ただ」じゃなくて、思想は乗り越えられるもの、信仰ではないって意味ね。考えを変えるということはあるでしょ? そして思想と共に生まれつくでもない。だから思想は幾らでも変えられる。当人が信仰とか教義とかにしてしまっているとなかなか変えられないだけで。私は自分の全思想はいつでも全部とっかえられるようにしてあるよ。
 芥川賞受賞作をあなたがすきなのは分かるけど、人には好みがあるんだよ。私は私小説的なものはあんまり好きじゃない。私が今まで読んだ小説で一番好きなのは、『チップス先生さようなら』です。あなたは自分の好みの作品が、他人の好みの作品と違うだけで敬意がどうとか意味不明なこといってるけど、他の作家への敬意と作品の好みなんて全然違う議論だよ。
 未来の子供に読ませたいと思う本たくさんあるの? 芥川賞に。あるなら教えてけろ。
 そうか? 又吉のは? 東京の文芸誌ってほとんど私小説だと思うけど。
 私がいってる私小説って個人的経験を書いた、人称小説のことだよ。そこからいうとドストエフスキーもトルストイもピンチョンも違う。だって文芸誌なんてほとんど読まないよ。好きではないから。昔、東京の文壇関係者の色々ひどいところを見たから。たださっきもいったように個人経験を離れて書いてる海外の作家はたくさんいるのだけど、日本の小説家の人達はそれを相変わらずやってるようにみえますけど。何の進歩もなく。
 あなたあおってきてますよね? 匿名・偽名でこういう言動とってくる人は自分が傷つかない場所から色々悪さする傾向があるんで、ここで打ち切っていいですね?
 抽象的思考が出来るからに決まってるでしょ。形式が違うもの私小説的形式を踏襲しないと文芸誌に載らないのだから、そこで例外的な作品が出たとしたら別の方法でそうなったやつだよ。『送葬』みたいにね。形式が違うものがあるなら言及すればいい。
 敬意がどうとかいっているが、「私が敬意を持っている作家にあなたも敬意をもつべきだ! それをしないお前は馬鹿だ!」みたいにいいたいのかもしれないけど、そんな単純なことでどうするんだ。世界中の人はあなたの好きな作品なんてほとんど知らないよ。あたりまえだけど。
 まあよくわからないけど、自分が好きな作品だか作家だかを他人も好きで当然だって、そんなのまずほとんどないことだから、あるとしたら平凡な好みをもってる証拠だし、そんなので一々めくじらたててたら今後、文学よむほど他人を誹謗しちゃうんじゃないの? 『チップス先生さようなら』が僕は一番好きです。ではあなたは? っていってあなたはよんだことないわけでしょ。だから判断できない。そしたらあなたが私だったら「作家に敬意がない! ゴロツキ! 議論に値しない」、下手すると「下手くそ!」とかいいだすわけですけども、それはしらないだけだよ。
 まーーーた逃げた。なんで議論から逃げるの。

(私の住んでいる「ど田舎の」県では進学を周囲が止める、など必ずしも事実でない(大学進学率は50%ほど)情報をのせながら、こんな奴(私のこと)が生きてるのが悪いなどと誹謗まじりに言ってきたツイッター上の人物への返信)
私の周りでそんなのきいたことないから、茨城といってもとってもひろいんだよ。私は祖父母まで全部大卒だし、祖父は津田さんと同じ大学(注・早稲田大学)の卒だし、姉は美大卒だよ。
 考えて欲しいんだけど、日本で一番博士が多いのは茨城県ですよ。筑波に1万人くらいいる。
 要するに家庭の文化ですね。
 なお、私は都内にも10年くらい住んでたけど、茨城は田舎ってほどでもないよ。全国でみたら都会の方です。文化的にも洗練されています(立派な哲学の体系として水戸学みたいなのがあったくらいですし、近代日本画の夜明けを作った五浦派がいたり、のちにプリツカー賞をとる某建築家の設計した現代美術館も時代を先駆けて、町の一部になってとっくに定着してるでしょう。日立駅も日立市役所も、別のプリツカー賞受賞者の権威ある作品だし、人口あたりの研究所数も傑出して日本一多く集まっていて、科学や技術の発達した県でもある。偕楽園や西山荘みたいな古典建築・名園もあれば、まあ語りつくせないほど文化的には尊敬に値する高貴なものが多いなどといった意味)。人口をみてみたらいいですよ。11位です。それより人口が少ない36県を何だと思っているのかわからないけど、全国を旅したほうがいい。

(「無能で努力もせずに大作家扱いされてるアーティストって誰のことですか?」との質問へ)
考えてみたけど分からないのでいないんでは? ただ私が知らないだけかもしれないけど。まあ有能・無能とか、努力・怠惰って人によって定義が違うから、全員がそうでした。
(上記と同一人物からの「偽の仮定で怒っても仕方ないと思います」との返信へ応えて)
怒りも仮定だと思いますよ。

(独り言の続き)
美術を審査することが可能だとしても、日本美術のゆがんだ空間(いわゆる悪い場所)では全部虚実皮膜なんだから、そもそもあいトリもとんでもねえ歪曲空間の手前で喧嘩してるだけだよ。実際にその歪曲空間に入っていってしまうと混沌度が5億倍くらいになる。
 津田さんは批評を何だと思ってるの? だーれも津田さん個人になんて言及してなくて、単に男女平等と美術の実力の間にどういう関係があるのかを問い直してるだけだよ。自分仕事と自分が一体化してるの? 津田さんは美術予備校とか美大とか一回入ってみたらわかるけど、普通に罵詈雑言ってレベルじゃないことを毎日毎日、アホみたいに講師や教授からいわれまくって鬱病になりまくったり、そこから復活して描いてたらいきなりほめられて、批評というのを知っていくんだよ。
 本気で批評するというのは相手の仕事を完璧に否定しきったり、完全に礼賛しきったり、中途半端にけなしたり、部分的に褒めたり、色々なパターンがあって、しかもそれらは相手の人格を尊重しながらやるルールみたいなのがあるんだよ。
 東浩紀派閥のカオスラウンジの師弟関係みたいに、仲間内で褒めあう、ギルド的なものは批評とはいいません。師だろうが弟子だろうが本気でいいたいことをいい、ずけずけといい、仕事が本当によいものなのかを皆で真剣に考えるんですよ。東浩紀さんは美術界の人じゃないから、ガチ批評を一度も体験したことないだけだよ。
 俺がいってたすいどーばた美術学院の講師とかゴミ未満の扱いしてくるよ。印象論しかいわねえし。でもそうやってなにをいわれても自分の為になるものは受け取り、自作に生かしていくというアーティストとしての初歩的態度を習うわけでしょ。観客だって好き勝手いいまくるんだから。
 本気でよいものを作りたかったら、師弟関係だか友情だか恋情だか私情を何一つ挟まず、これはよい、ここがよいがここがダメだ、なぜならこういう理由でだ、とはっきりといいあわないといけない。そして真剣にそれが正しい意見かを考え、間違っていたら否定し、正しかったら受け取って、自作に生かす。仕事を全否定されたくらいでぶちぎれてたら、アーティストとかほざいて1日目で自死してるだろ。だってどうせほぼ全員が全否定してくるんだから。そこから最初の一歩を踏み出してるんだよ。
 芸術での批評って、幾らなに言われようが作品自体は決して変わらないというかずっとそこにあるわけだから、ある意味ではなにを言ってもいい。作者からしたら全否定されてショックな時もあるのかもしれないけど、それは修行が足りないだけで「本当にこれはどうしようもないのか?」と検討するんだよ。科学で理論に対してレビューをやりあうのと一緒だよ、芸術批評。作品を検証の為に、レビュワーに否定させまくるんだよ。そして慣れてきたらその過程を一人でできるようになるの。だからうまくなるんだよ。
 あいちトリエンナーレ自体が総合芸術なんだから、否定されまくってぶちぎれるって、それは素人だからであってアーティストは厳しい批評と制作をくりかえす訓練を予備校生のときから毎日毎日やってきてるのさ。
「この否定には正しい部分があるのか」「あっちの賞賛は中身のないお世辞」「この全否定はそもそも抜本的に理念を問うている」とか、意見を検討しながら、よりよい仕事へと自分の芸術(祭)を高めていくんですよ。どうせなにいわれても自作を作り続けるだけなんだから、所詮、参考でしかない。
 最初は下手なんだから貶されまくるに決まってるジャン。なんで最初からほめられるつもりでいるのか。少なくとも完膚なきまでに完全敗北してから再出発しないかぎり、冒険に出たことにならないんだよ。芸術家で順風満帆なんてみたことない。
「私は学歴が高いです。だから私はなんでも出来ます。芸術でも」
できるわけないでしょ? だから先ず完膚なきまでに叩きのめされ、ゼロから学びなおすしかない。だってIQが高い人だって最初から全力で戦ってる舞台に、あとから入ってきて戦闘ルールをしらずにいきなりボコボコになるの当然だ。
 先ずあいちトリエンナーレ2019の最初のコンセプトが「男性美術家」を差別主義者、と同定して、そこから女性を半々までふやしました、というものだった。これは当然、男性美術家のかなりの部分を仮想敵にしてしまうから、ボコボコにたたかれることはやる前から見えてるでしょ? コンセプト自体が仮想敵を含むものだから、そのまま貫くなら最後まで仮想敵と戦う演技をするか、修正するなら実力の定義から問い直すことにするか、男性美術家や美術関係者全体に対して侮辱的な部分を削除してより穏健なものにするか、とか、幾らでも考えようはあると思うんだけど。「は? 俺が差別主義者のわけねえだろ」ってなってぶちぎれてくるのが最低でも数百万人以上は想定されるわけだから、しかも美術関係者全体まで仮想敵にしてる場合、その規模は数千万人以上と膨れ上がる可能性もあるから、十分対策すべきだよ。一体どういう論理構築でそれをフェミニズムアートに結ぶ?
 もう一つ、基本コンセプトには「女性が結婚を期に、食えないアーティストを卒業し家庭に入る」という業界の花嫁修業構造を恣意的に隠蔽しながら、「男女差別主義の腐った業界だ!」って読み替える政治的正しさゲームがはいってたわけでしょ? 皆それは分かった上でみてるんだけど、なぜ怒る。表向きは花嫁修業構造、結婚までの腰かけ構造をもっている美大の擬似女子大的性質を隠し続ける予定で、男女差別主義のとんでもねえ腐敗業界は潰しきる! っていう救世主キュレーション。面白いコンセプトだから、茂木さんも成功だ! といっているんでしょう? 私は国際的には子供っぽいと思うけど。
 でも日本人大衆向けとしては十分すぎる質だから、救世主キュレーション、英雄ごっこキュレーションで全然いけてるのに、なぜに怒るのさ。皆分かった上でみてるというのに。批評じゃねえ! とか。謎。
 今まで日本の展覧会で見たコンセプトの中でも、かなり面白い方でしょ明らかに。花嫁修業は差別主義だ! って読み替え。政治ジャーナリストにしか思いつかないし、芸術界全体を敵に回しかねない点も面白いよ。だからみんなほめてんでしょ? 玄人は「あーあ。善良な業界人を全部敵に回してすごいな」。素人は「あいトリのおかげで女性の地位が上がった! すごい!」。どっちからみても面白いんでしょ。で、怒りっぽい男性美術家や美術関係者全般は「差別してないし。ふざけんな」っていう。全体としてよく考えられてるわけじゃんね?
 日本社会全体にある構造として、女性は結婚し退職したがる人が多いから、会社では余り教育費かけると赤字になってしまう。だから男性の方に多く給料を与えていると。これの矮小化した版が美大にあるのを見抜いて、「これはとんでもない業界だ!」って週刊誌的に強調するのも、報道的な発想だと思うよ。
 素人の中には、いまだにピカソイメージで芸術家をみていて、「どうせいやらしいことやってるんでしょ! エッチ!」と思ってるアホがわんさかいるから、ヌードモデルと恋仲になりました(そんな羨ましいことあるわけないだろ! とぶちぎれられる案件)、更に強姦もとかいう自白を取材しスクープする。
 展覧会全体のコンセプトは素晴らしく巧妙に計算されているから、素人には素人の、玄人には玄人の楽しみ方が用意されているうえに、素で挑発的な面があるから炎上もさせられるわけで、全体として記念碑的でしょ? 何が不満なのかがわからない。皆手放しで礼賛してる。僕もコンセプト自体はいいと思う。フェミニズムアートの範型になりうる可能性はある。具体的な作品との関連付けが弱いというのは当初から指摘されている。別のキュレーターとの共同作業部分がむずかしいと。でも統合コンセプトは炎上含めてうまくいっているから、最終的にはフェミニズムアートといえば業界人差別と決まるかもしれない。
 私が期待したいのは、この救世主フェミニズムアートコンセプトを、国際的に翻訳することですね。外人は花嫁修業と差別主義のすりかえとか説明されないとわからないし、業界人差別とか男性美術家いじめを楽しいとは思わないかもしれない。なんらかの意訳が必要か。「日本男性は全部ダメ!」みたいな。
 外人にうまくあいトリ2019の興味深い内部構造、フェミニズムのふりをし業界人差別を公然と行うっていう謎の暴力性みたいなのを解説しないかぎり、「へえ50:50でイーブンね」で終わっちゃう。すごく表面的にしか日本社会とかリベラルの嫌らしさをわかってもらえない。弱者を盾に正義ぶるという。誰からも結婚してもらえない極貧の男性美術家、しかも女性を世界一大事にしてるような誠実極まりない心優しい絵描きさんを、とにかく防弾の盾にし、前進する。大衆へ。大衆は「こーの差別主義者めが!」と激怒しながら彼をいじめ、背後に1:1の割合で控えるアーティスト達は名誉ある勝利をする。
 さすが愛知県だよな。俺の県は去年で計画経済から足を洗って、腐敗した業界つながりでのコネ展覧会に税金流す様な意味不明なことやめたから、毎年大金がふってくる県にしかできない。さすが天下の自民党安倍政権癒着型輸出企業様のおわす県ですよ。私達も汚点を見習うつもりではいるけど、きっとムリ。美術なんて所詮金持ちの道楽なんだから、馬鹿みたいなもんだと思うよ。俺も美術家だけど。その馬鹿みたいなものに魂こめてる人がいるだけで。愛知県は立派な文化をおもちどすなあ。うらやましゅうございますえ。3年に一度の祭典が大変お盛り上がりにならっしゃって。天皇皇后両陛下もお喜びどすえ。
 私は全世界の美術より私の恋人一人の方がよっぽど大事だけどね。うそぬきで。美術に価値があると思ってる人の気が知れないよ。こんな装飾品。毎日つくってるけど。そんなので一喜一憂して、ほんとに人類はんはおかしなもんどす。発狂して展覧会を企画するほど大層なもんなんどすか? 無用の長物が?

※このブログURLは2019年6月8日に
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