2019/04/06

あいちトリレンナーレ2019で性別比1:1にすることが真に公平かを巡る議論

男女の本質的等価性を求めてるのは、確率的に大体同じくらいに分かれて生まれてくる以上全人類の殆どの人にとって当然のことだと思うが、日本は例えばイスラム教圏よりこの等価性が達し易い文化環境にあるのだから(元来縄文以前が母系ですし)、機会平等を無視するのはNGっていわれた位で怒らないで?
 今世紀は、平等の建前を使った弱者男性への集団虐待との闘いになるだろう。その性ファシストらの基本目的は善人づらし、衆愚(特にひいきされる女性)から好感を得つつ政治的正当性を悪用することであり、いわば集団カテゴリーによる歪んだ認知を巧妙に利己的マキャベリズムに乱用しているのだ。世界で一番不利(自殺率主要先進国最大、対女性幸福度世界最低)な日本男性を、偽善者と日本女性の殆どが一緒になって更に死へおいつめようと全力の悪意で集団迫害してくる。勿論その弱者である日本男子の中でも最弱の立場なのが男性作家、特に純粋美術の画家である私だ。経済的にも社会的にも。
 窮鼠猫を噛むというではないか? ここまで追い詰められたら後は命以外何も失う物がないのだから、男性だというだけで集団虐待してくる、美術家の高貴な魂まで知ったか面の卑しい一部の日本女性や、それを煽っている某イデオローグ集団、そして愛知県の文化行政まで含め、国連の場で公然と戦うべし。
 国連人権理事会以上の上位組織ってないのか。ダライラマとローマ法王に相談するかな。

ローマ法王にあてたツイート
Pope, I'm far East Japan's a painter. In my country, a journalist (@tsuda) makes sexism art exhibition (Aichi triennale2019). I born in male, but they hate us. I am hurting my heart above all.
  Please pray for all artists. God will help us really. I believe it.

ダライ・ラマにあてたツイート
I'm a male artist. Recently, a journalist (@tsuda) makes art exhibition (Aichi triennale2019). In there, there is reverse discrimination for women. Namely, if some artists born in women, he would invite her in leadership position.
  Of course there are compassionate males too.
Most beautiful humanism must be equality simply. But discrimination or reverse discrimination (predilection) on sexism, feminism, and other thoughts, are not for all humanitarianism. We should pay attention all human being's individualities itself. With maximum respect.

 もう「日本では」女性以外、美術家になれない法律を決めよう。あいちトリエンナーレ2019を期に、性転換を義務づけるべきだ。そしたら衆愚が大勢でよってたかって男性作家いじめする最悪の光景なんて二度と繰り広げられまいから。もし男性で美術家になりたかったら女性しか美術家になれない日本国外に移民するのを義務づけるべきだ。さもなければあいちトリエンナーレ2019ルールに従って、生涯、性差別主義者扱いで苦しむ。

美術家性差別均等法(仮)
第一条 この法律で男女の性はそれぞれ生まれつき持つ性染色体のうちY染色体保有者を男性、Y染色体非保有者を女性と定義する。
第二条 日本国内の美術家は全て女性とし、男性の美術家は活動を禁じる。
第三条 国内美術展(国際展を含む)、美術館、美術関連大学、ギャラリー、その他の美術関連組織で、女性以外を勤務させてはならない。
第四条 上三条を破った者は、次の各項に述べる罰則を科す。
 一、国内の男性美術家は終身刑とする。且つその間、制作並びに表現活動をしてはならない。
 二、第三条に述べた組織等で男性に勤務させた者及び勤務者自身も、男女の如何を問わず上一項と同罪を科す。
第五条 日本国民は性ファシズム(性結束主義)及び過激フェミニズム(過激女権論)の両思想に基づき、美術家及び美術界の両面に渉り、男性の活動を禁じる為に努力しなければならない。
第六条 性転換手術及び去勢により、男性美術家並びに男性の美術関連勤務希望者が女性に擬態している時、同四条と同罪とする。
第七条 日本国民は欧米及び国連人権理事会の性差別並びに男女同権の思潮に基づき、男性の美術家並びに美術関連勤務希望者を美術界の指導的地位に就けてはならない。
第八条 美術関連批評で男性擁護を含む言説を禁じ、当該発言をした者に上四条と同罪を科す。
第九条 美術家並びに美術関連勤務希望者等が上八条に該当する言説並びにその予備陰謀、及び共謀行為を見つけてから1日以内に政府の定める美術監視団体へ通報しなかった際、上四条と同罪を科す。
第十条 日本国政府は美術に関する欧米思潮へ表面的に同調し、国内美術界(美術関連組織を含む)を女性のみで組織する義務を有する。
第十条 日本国政府は美術に関する欧米思潮へ表面的に同調し、国内美術界(美術関連組織を含む)を女性のみで組織する公的義務を有する。
第十一条 上十条に反する一切の詔勅、法律、条例、並びに倫理綱領その他の自由を禁じ、全ての男性美術家並びに男性の美術関連勤務希望者に上四条と同罪を科す。
第十二条 日本国政府は国連人権理事会並びにその他の国際機関、及び外国からの要望と関わりなく、特定美術監視団体(特別高等警察官)を制服並びに私服で各美術界に配置し、諜報通牒活動及び上十一条に基づく具体的な権力行使を通じ、男性による一切の美術活動及び美術関連活動を禁じる義務を有する。
第十三条 上九条及び上十二条に定める特定美術館氏団体は愛知県庁内に置き、その最高指導者(特別高等警察美術家性差別均等政務官)は常に政府の定める有識者女性でなければならない。
第十四条 日本国民は上十三条に基づく最高指導者の命令に背いてはならず、命令に反した者は上四条と同罪を科す。

 美術家性差別均等法(仮)案を書いてみたけど、これを安倍内閣が強制で通せば大満足するんじゃないのか、あいトリ(あいちトリエンナーレ2019の略。以下、同略は同義)に煽られた令和衆愚は。
 やっとわかってきた。「一回限りですぐやめる」つもりで、美術関係者全体を仮想敵に、差別的なポスト真実(虚報)の論理で貶め、扇動した衆愚からひたすら攻撃させ炎上集客する、というのが津田氏側のとっている戦略なのだ。このいかにも日本風(悪い意味で)の報道戦略に扇動された衆愚側も同罪だ。津田氏は有名人だし美術界も未来にわたって残るから、今回彼がとった過激フェミニズムのコンセプト自体は日本美術界の一幕として記録されるが、衆愚側は罪のない一般美術家や美術関係者を散々辱めてから、反撃され罰される前に遁走するつもりでいる。この人達、扇動された衆愚の罪を問う必要がある。
 おそらく衆愚がわ一人ひとりの罪を閻魔の前で問うと「知らなかった」「煽られた」「反対の証拠を集めようとしなかった」「私個人の経験で美術家や美術関係者全体の方々を辱めてしまった」など、取るに足りない言い訳をしはじめるはずだ。これらの人々は全員が、美術家や美術関係者へ職業差別をした。性差別的でない美術家、美術関係者達(勿論、ほぼ全員を占めている。荒らしはネットユーザー全体の約6%といわれるが、性差別主義をサイコパシーの一部と解釈とするとその程度の比率ではないか)は、あいトリの逆差別衆愚から職業差別をうけまくっても心理的保障がない。

「或る職業の男女比が偏っている」として、美術家は寧ろ、会社員や公務員、経営者、政治家などに比べて女性比が多い分野だといえるはずだ。なぜならそもそも作品制作は、性別が無効になる領域だからだ。手とか足を使って絵の具を画布に塗る。何か性別が関係するだろうか。
>プレイヤーがこんなに均等あるいは女性のほうが多い状況がある
と津田さん自身もいっている(該当インタビュー記事へのリンク)。
 実際、同記事で無作為に選んで6:4の比率だったともいっている。ということは、津田さんは意図的にコンセプトのみかけの宣伝効果を優先し、真の男女機会平等を覆い隠しているわけだ。
  津田さんは私の知性を余りに低く見積もりすぎてますよ。私が被害妄想なんてもつ筈もない。ここで議論の対象になっているのは、機会均等原理と、結果平等原理の間の力学、そしてコンセプトと整合性をとるために公平さより話題性を採択したことによる衆愚的扇動の倫理的側面なんですよ。「過激フェミニズム」を一体、どの分野に適用するかで、議論の内容が変わってくるのです。美術界は元々他分野より女性プレイヤーが多いし、女性の一流作家も沢山でていて、そこでは1:1を機会均等原理を無視して適用するだけで、過激となってくるわけです。今回煽られた衆愚(暴徒。政治界に比べ美術界は大体態度は大人しいのでこの程度のネット炎上でも私には暴徒なんです)側は、美術に無知な素人と、まあこういってはなんですが簡単に集団を偏見にあてはめてしまうような方が多いので、機会均等原理を無視しても公平、と単純化し、職業差別を正当化する。それと、なぜ「性差(ジェンダー。いわゆる女らしさ、男らしさ、中性、無性らしさなどの社会的性差のことだと解釈してます)」の平等と掲げながら、「性別(セックス。生まれつきのY染色体の保有有無)」の方がメインコンセプトにすりかわってるのですか? とても疑問なのです。もし「性差平等」なら、もとのY染色体有無はどうでもいいことになりますから、性別比は無視してもいいことになりますよね?
 建設的な対話しかめざしていないしそれは無限に可能なのに、なぜ議論を放棄してしまうのです? 私はそもそも誰に何の興味もなくて、美術展のコンセプトを分析し、ネット上で語ってるだけですよ。そしてそれは言論の自由の範囲にあるのです。人にも宇宙にも大して興味はないです。私の様な素人だかの言説を参考に、津田さんであれ誰かが何かを思えばいいというだけです。
 衆愚は所詮衆愚だから、どんな正論がきても、津田氏側に与して、とにかく正論をふみつぶしていくのだろう。そうやってイエスも磔刑にしたのだから。
 あとね、これは津田さんの為に申し上げますけど、私がなにいってても無視すりゃいいんですよ。ブロックは私側は悲しいが、また批評に耳をふさいじゃうと、展覧会だの美術だのを含め世界をよりよくしたいという私側の意図も津田さんのそのためのきっかけもなくなってしまう。無視すればいいだけ。日本の報道自由度67位(2018年)。できるだけ批評ふくめていいたいことをいい、それを無視するなり、議論するなりし、実に色々な言説が世に溢れているようにならないと、世界で3番目に経済規模が大きな国としては本当に恥ずべきことです。ブロックとか排除とかしてるから忖度の単一性しか残らない。

 私が誰であれ、津田さんが議論する相手(この場合、私)の知性を過度に低く見積もる結果、非常に大きく勘違いされているといっているんですよ。一体、性差平等、性別平等はまるで違う議論であり、更には男女平等を求めるにあたっては私の方が津田さんよりラディカル(根本的)だと思いますよ。中途半端に性差と性別をとりちがえて議論をおしすすめるばかりか、途中では機会均等原理を結果平等原理に対して過度に重視しているので、男女不平等な選考結果となっているにも関わらず、それを修正しない。話題性を優先することで政治的正当性を乱用しているわけで、これは重大な男女不平等な訳です。
 芸術の玄人・素人が一体どう定義できるかはとても興味深い。過去の全ての天才も初めは素人と思われていたんですから。彼らが出発点で既に天才でなかったとはいいがたい。最初から玄人の人がいるともいえる。

(美術鑑賞後、作品を男女どちらかが作ったとわかったら評価が揺らぐ偏見がある、と、或る1つの楽団について書いてある記事(科学論文ではなく、一個人(パク・スクッチャさん)が書いたもの)をもとに述べてきた方のツイートへの返信。なお同氏によると、なんらかの論文が「Harvard Business Reviewの中の女性労働を扱った論文で引用されていた」らしく、音楽コミュニティでは有名な話で同種の研究は山ほどあるそうです)
 もしその様な現象があるなら論文教えて。評価者の脳内で、或いは制作後の時点でしょ? 
 私がここでいっているのは制作者側の手や足が、たとえ人間だろうとAIだろうと作品の質に関わるとはいえない、という意味ですよ。勿論その手のもととなっている遺伝子にY染色体があるかなど無視できますから。
既に性のないAIによる作品が、競売で売れたこともあったはず(OBVIOUSというチームの「Edmond De Belamy」)ですし、バンクシーみたいな覆面作家が男女どちらでも作品の評価は余り揺らがないと思う。
 全て数度よみなおしたけど、これは一人の人(パク・スックチャさん)が書いた記事にみえるし、どの楽団でどの様に実験が行われたかなど科学的に検証しうるデータが示されていないので、まあフェイク記事かもしれないし、信頼に足る根拠がない以上、「この人の意見なのかな」と解釈するしかないですね。まあ実際のところ、作者自体の物語によって作品評価が180度変わる、という現象は、ゴッホが自殺した逸話を知らない人がゴッホの絵からその悲劇性を読み取るのは難しそうな感じからいっても、容易にあると思いますね。だからおそらくそのことはあらゆる個性の物語にもいえましょう。既に述べましたよう、私は最初のツイートで「作品制作」と書いているのであって、「作品鑑賞」については語っていません。あなたが誤読されたのだろうとは思いますが、たしかに鑑賞にあたって、作家自体の属性が評価に入りこむ、という面は、AI制作の絵についてすらあたるので、あると思います。
 で、アファーマティブアクション(肯定的行動)という名目で、機会平等で偏った性別比(男女らしさや無性・中性らしさを含む性差比ではない)を、結果平等に近づける、というのは、当然全ての分野であっていいことであるし、美術もあるべきですしこれまでもあったと思います。私も全肯定します。なお、結果平等に近づけるにあたって肯定されるべきなのは、人種、肌の色、AI、出自、学歴、思想信条、見た目、貧富、その他ありとあらゆる作家の個性について特定の偏りがないかであって、単なる性別という2択に限らないと思いますけどね。問題なのは、その種の結果平等が、機会平等下でのなんらかの作家による作品への無差別的な鑑賞を完全に無視し、無理やり男女という性別2択によって、不当にいずれかの側が冷遇されていないかに注意深くなるべきである、ということで、今回は煽られた人達が男性差別をしているので大変よくないですね。
 私個人がいえるのは、私は女性美術家(建築家)のもとに弟子入りにいったくらいですし、男女差別なんて生まれてから或るロボット工学者の東大博士が1度それに似たのをいった場面しかみたことがないのだけど、これまでもこれからも多分、美術を純粋に追求してる人の脳内では無視されてると思う。私個人の話ですからこれは、コミュニティの議論ではないので、コミュニティのことは次にいいますが、私個人にいえるのは、作品が素晴らしいかどうかが全てだ、というだけの話です。作った人が人間じゃなくてもいいんですから。
 で、コミュニティについてですが、作品の評価が歪んでいるかどうかですが、正直なところ、私は35年間のうち約20年間、美術界をあちこちからみてきましたが、少なくとも絵画と彫刻、及びインスタレーションについては、日本国内で公平な評価というのは全く存在しませんでした。全て恣意的で不公平です。日本美術の業界人達は、肩書きとか私的な人間関係とか、お金の事情とか、まあなんらかの主観を投影して作品を評価することが当たり前という慣行で生きており、これは欧米でも全くないわけではないようだが村上隆さんがいうには必ずしもそうではなく論理的かつ客観的な批評界がある。日本にはないです。
 なおあなたは補正とおっしゃっていますけれど、日本美術のこの全く公平性が存在しないというとんでもない禍々しい構造は、日本美術の批評概念の中では「悪い場所」などといわれていることもあって、皆知っていることであり、正しい公平性の基準がないです。そこが欧米美術界と違うと、村上さんもいう。いいかえますと、補正するにも正しい基準がそもそも存在しない、またはしえないほど、日本美術のコミュニティ(決して個人ではない)というのは同業組合(ギルド)とか宗派(セクト)じみており、公平性を到達するだけの論理的蓄積も美術史学も何もありません。間違いないことだと思います。
 まあ私はどこの美術コミュニティに属するわけでもないし、その美術コミュニティというのが一体どういう内部事情なのかほぼ何も知らないけど、その人達が万が一、なんらかの性差別をしてるとしたら、それは直るかどうかしらないけど、とんでもない話ですね。でもまあ当人達は欧米で言う、客観的な文脈という批評概念がないから、好き勝手やってんだと思いますよ。ちなみに展示会の男女比を1:1にしても素晴らしい作品だらけになるということは絶対にありえないことですし、多様性がますとも考えづらいので、逆に不公平ではありますよ。
 いや今回のも含めてなんでもやっていいと思うし、おそらく世界一寛大な人間ですよ私。どんどんやればいいのでは? 批評する自由もあるというだけで、批評は理解するという意味です。日本人の一般大衆がおもってるような同調というのは、当然だけど批評ではなくてただの奴隷精神です。
 私は人が自分と違う意見じゃないと話す意味はない(同調を求めるなら一人でノートかいてても一緒)と思うので、議論の中で全ての意見の一致のようなことが万が一あったら大変困るんですが、多分、私の意見は貴方とは違う部分がきっとあると思いますよ。あなたは意見の一致が好きなのかもしれないけど。
(同氏が意見の一致がうれしいとおっしゃったことへ返信して)
 私はとても悲しいです。
 このモーメントは私がこの展覧会のコンセプトについて英語で世界に向けて声明を出したものです。
 この随筆は日本語でなぜ私が悲しいかわかるよう書いた文章です。

 あいちトリエンナーレ2019を巡る、色々な観点を総合すると
1.機会均等原理からしたら不公平
2.結果平等原理からしても極端
3.そもそも「悪い場所」の日本美術界で公平な審査はありえない(欧米美術的な文脈が存在せず人間関係等の副次的要素で格づけが慣行化されている)
4.表面的に性別比を1:1にするという最も単純で、或る意味では幼稚な方針で日本人一般大衆側は大納得する
5.4に乗じて男性の美術家・美術関係者をひとくくりに差別する衆愚(暴徒)が出てきている
 色々問題点が深掘りできてきた。日本美術界って「悪い場所」性によって批評自体が成り立っていなくて、同調して馴れ合いの出来レースする、腐った場になっていて、それは衆愚側が求めてることなんだよ。日本人大衆は欧米美術のルールをちゃんと美術史から学んでいく手間をとりたくないから。あと、素の素人が美術界は性差別があるみたいなものすごく幼稚な後進視をしてるみたいで、その人達は素でその様に思っている恥知らずでしかないのに自覚がない。たとえていえば紳士淑女に向かって「差別してんなよ! こっちにあわせろよ!」ってロンドンの庶民がいってるみたいなもんだ。
 クーンズがチッチョリーナとの交尾彫刻展示してるのみたら、今回のあいトリ衆愚って「性差別だ!」って発狂すんのか。性差別が悪だ、という観点からみたら、会田誠氏とか最早存在自体ゆるされないのでは? なんでそんな単純な図式になるのかがさっぱりわからない。あと、ファインアートじゃなくてサブカルのカテゴリーかもしれないけど、同人誌の人達も、性差別どころじゃない女性蔑視というか女性を性奴隷化しまくる絵ばっかり発表して販売もすごくしてるけど、それは? なんで全くそれを無視してるの?
 寧ろこいつらあいトリ衆愚って男性美術家だか男性の美術関係者一般だか敵にして、なんで俺を敵にしねえんだよ? 俺がわざわざ戦士として全美術家の盾になる為に渦中に栗を素手でひろいにいってるじゃん。俺を全員で総攻撃してくれば? 今までもそうしてきたし。慣れてるんだよこっちは。あと『ヴィーナスの誕生』とか『モナリザ』とか『智情意』まで全部、女性を神聖化してると思うんだけど、美術界が女性蔑視どころか女崇拝の気質にあふれてることについては? 是非それについてもあいトリ衆愚の方々は論じていただきたい。現に私も女性を神の様に思ってるけど。私がどのくらい女性を神聖視してるかといえば、恋人の為にしんでもいいと本気で思ってるよ? 素で。
 岡本太郎が原因なのか知らないが、感情論だか感覚論だかで絵は見て感じたものがすべてみたいな欧米美術と全く違うルールが日本美術側にはあって、それはドラクエ9の中で語られてるくらい通俗常識化してしまってるよ。フェミニズムとかいう分かり易い切り口なら美術を知ったかぶれると思ったんでしょ。
 あいトリ衆愚の最終目的って、ただ群れていじめしたいだけで、相手が男性美術家・男性美術関係者という曖昧模糊とした集団カテゴリーのほうが、自分に火種が返ってくる恐れがない、と思って適当に職業差別や集団虐待に参加してるんだろうな。

※このブログURLは2019年6月8日に
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