2019/04/21

絵画に於いて正しく間違えること

絵の創造性は常に間違える必要があることだから、明らかに学校教育など科学の教育と使う知能も目的も違う。正解がない上に正解を出そうとするかぎり常にろくでもない凡庸な作品を模倣してしまうからだ。ハイパーリアリズムはルネサンス絵画を模倣した、カメラ・オブスクラから写真へと写す手段をきりかえた結果生まれたものだったが、再現的な画像を模倣するかぎりその技術範囲内にある何かしか生み出せない。そしてそれが唯一の絵画ではないので、絵画にとって写実性は必ずしも正解ではない。ゲルハルト・リヒターが現代アートの一部をそこらの画布に適当に絵の具を塗りつけただけで偉そうにしている、と揶揄していたが、だからといって写実絵画を写真を使うなり直接模写するなり、ただ模造していることが唯一の正解ではないのだから、そこで重要なのはいかに間違えるかである。
 ある芸術作品は、必ずしも金銭的価値に換算されない。一方そこに感動など芸術的価値がある。この2つの価値の違いはポップアートの運動の中でほぼ混同されるに至った。現代美術自体に興味がない人、理解できない人が注目するのは金銭的価値の面だけだ。商人一般は金銭を価値尺度と思っているからだ。商人一般は、成功度も資産の金銭的価値に還元している。同じく彼らは教育歴や人格の価値もこの金儲けに役立つかどうかで評価する。人は自分の価値基準で或る事物を評価する。
 現代美術が大衆商業美術と違う顧客を相手にしていて、理解に知識が必要なのは、結局、教養水準の高い人が顧客だからだ。ここでいう教養は主に美術史を前提とした博物学であり、或る現代美術を非金銭的価値を含め評価するにはその種の知識が必要であればこそ、商人一般の好む大衆商業美術と異なる分野になっている。したがってスーパーフラット概念は所詮、中間芸術を意味するに過ぎないのだ。純粋美術は或る高度な理解が必要な様式、一般に理解できない作品であればあるほど前衛性を認める評価体系をもっている。だからこの傾向をもつ作家が生前に一般大衆から認められないのが当然となる。純粋美術と大衆美術は本質的に違う分野で、商業美術と見ても極めて顧客が限られるものだ。
 理解者をより少なくする、誰からも分からないことをする、世間に対し高踏的にふるまう、分かり易い前衛の高尚さは純粋美術がモダニズムの中で徐々に自覚していた自身を展開する根本力学だったが、ポップアートやスーパーフラットがこの流れに逆行した。だからこれらの美術が二流だったのは確かである。リヒターがウォーホルを「中位のアーティスト」と評するのは、ポップアーティスト自体、中間芸術の担い手に過ぎないという意味だ。同じ文脈で村上隆やクーンズといった流用芸術の担い手らも批判できる。それらは引用を文脈主義の中で弄んでいるにすぎないのだから、創造的であるはずもない。前衛アーティスト気取りも、市場での作家ブランドの差異化の体系に回収されてしまう、という資本主義美術の管理性。ここに我々の置かれている根本的な矛盾がある。モダニズムのごっこ遊びが流用の限界だ。文脈主義自体をのりこえるには、純粋に前衛的であって、手法そのものから真新しくするしかない。
「間違えること」は、偶然性の文脈とは全く別に、創造の本質に属している。しかも正しく間違える必要があるのだ。生物の進化にとっても突然変異や、機会的浮動が何らかの新しい形質を生態に組み込んでいくよう、芸術ミームの進化史の中では常に破壊的革新が必要である。学才や商才と芸術の才は違う。
 芸術の進歩の中で必要な破壊は、何か重要な間違いを犯すことでなければならない。しかもその間違いは必然的で、全人類に影響を与えるもので、禁忌を破り、そのうえ当然そうあるべき問い直しでなければならない。正しい間違いというこの言い方が、科学者だの商人一般に理解できるとは到底思えないが。

ネットもメジャーを解体していない

(AAAというダンサー集団の一員が、コンビニで彼らを知らなかった女性を殴ったというニュースを分析して、「ネットがメジャーを解体した」という茂木健一郎氏のツイートへ)
テレビ芸人が名士気取りで思い上がってるだけの話で全人類にあてはまる話。今までのSNSは発信を用意にしたかもしれないが、YouTuberだのTikTokerの寡占状態とか別種のメジャーごっこも出てきてるから、ネット即ち小クラスターというわけでもない。つまりネットそのものとメジャーの解体は関係ない。
 名士気取りが俗物根性の一種なのはネットの登場以後も変わらないので、「有名になりたさ(名声欲)」を動機にした別のメジャー芸能界がYouTube中心に作られている現象というのが、このニュースの本質ではないのか。

ミス・カード

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神道教祖の集団である皇室は政府から離脱しなければならない

麻原彰晃に洗脳されていた信者と、天皇明仁・徳仁・悠仁その他に洗脳されている信者とは、本質的に何の違いもない。或る教祖をほぼ全面的に神格化し、憲法を破ろうと税金をふんだくろうと、或いは全国民を奴隷化しようと、侵略大量虐殺史だらけだろうと、狂信自体が目的になっている。
 重要なのはその洗脳の解除なのであり、精神分析や心理学の方法が応用されるべきだろう。政教分離できないという、日本愚民の本質的欠点は今後も諸々の弊害を伴うことが確実だから、少なくとも彼らの妄信を神道狂信者の自民党員もろとも完全に打破しきるのは近代国家として最低限度の義務というべきだ。

学歴などでの差別は恥ずべき文化

全ての関西地方の大学や個人がそうなのかは全然知らないが、私が「学歴差別」と呼ばれるだろうものをはじめて見聞きしたのは、関西地方の大学を出ていたり、関西地方で生まれ育った人たちからだった。
 彼ら一部の関西人は「学歴」という言葉で、或る人がどの学校に競争試験で入ったか、又その学校が世間でどう思われているかを気にしていて、しばしば入試偏差値などでその学校の格式を区別しつつ、或る人がその学校の入学者か卒業者でない場合、人格その他を完全に無視して人を差別していたのである。この種の学問や知識自体と全く関係なしに、「学校名」で誰かを先入観で差別するという考え方は、京大修士の或る女性も持っていたのだが、私の知るかぎり当然、知性の印になりえない。前提として皆が一律の学校教育を受けるわけでも目的が高偏差値の大学入学でもないし試験は単なる試験で知性全体の一部をはかるものにすぎないないからだ。それで別の、学歴差別を好む関西人(兵庫県出身で東北大学工学部を出たと物凄い大威張りをしていた或る男)にも知能多様性について教えてみたのだが、何一つ理解できないようでひたすら学歴差別を繰り返す。こういう人物は私の知る限り首都圏や東北圏出身者で、少なくとも一人も見たことがなかった。
 ところが、どういうわけか知らないが(偶然の一致なのか)、関西大学とか関西地方の大学とか、関西圏出身者が、私の接したかぎりでこういう学歴差別をしている人達が大変多くて、勿論それはただの差別だから単なる偏見からくる愚かさの一種だが、何らかの文化的背景が彼らにあるのではないかと思った。さらに彼らの一部を標本化し思考の内容を調べてみたところ、彼らの一人は「世間体」というべき概念で、他人志向の産物として、他人を見下す目的で学歴を使うのが当然だと考えているらしかった。つまりそこで彼らの中で価値をもっているのは差別する為の道具としての学歴であり、知識や学問ではない。
 関西地方は天皇が千年近く住んでいたのに加え、腐敗した受領政治がはびこり、いわゆる身分差別が長く続いていた。だから同和問題と呼ばれる差別に対する戦いがあるのは、東日本出身者の殆どはネットでしか見たことがないだろうが現実にある様だ。恐らく関西の差別文化と学歴差別は関連づけられている。それで関西地方出身の人達は「差別があって当然」と考えている節もあり、勿論それは少なくとも差別の文化自体が先ず周囲にみあたらない東日本からすれば理解しがたい思考習慣の差なのだが、この関西風の伝統的な差別文化に、学歴による差別が上書きされていると思われるのだ。
 Gordon Hodsonの2012年の論文 "Bright Minds and Dark Attitudes" で一般知能と差別的偏見の持ち易さには負の相関がある(いわば頭が悪いほど差別し易い)といわれているが、この「一般知能」が厳密に成立するかとは別に、少なくとも偏見を免れるには批判的思考が要る。
 身分差別の一種として皇室が残存しているのも確かだし、弥生民族や朝鮮半島からの移民として関西地方に定着した人々の中で、差別は身分制と関連づけられながら伝統文化になってきたのだろう。この思考習慣上の妄想は、京都にあっては自文化中心主義となり、関西圏では自称近畿の中華思想になっている。それで関西圏では京都大学を中心に、単に私が接した範囲の学歴差別主義者達(全員が関西圏の大学または関西出身の大卒の人々)の観察の限りでだが、学歴と差別がかなり密接なものとなっている。さも生まれつき違う身分かのよう、彼らが低学歴とみなした何者かを先入観で侮蔑して恥じないのだ。
 一方で、私が首都圏・東北圏で現にくらしてきたかぎり、明らかな学歴差別の様なものは基本的に一度も経験しなかった。私の親も家族も祖父母の代まで全員が大卒だが、彼らも多かれ少なかれ同じではないかと思われる。多分だが東日本にあっては、それ以外の学歴の人々も似た様なものではないだろうか。首都圏・東北圏では身分差別自体がまずほぼ消滅しているから、その様な過去があったということも行政で対策している人以外にとって全然身近ではない。かろうじて関西文化の名残である皇族が身分差別されているが、この人達にしたところでただの関西からの帰化人で、まだごっこやってるなという感じだ。首都圏・東北圏で生まれ育って生活してきた人達全てがそうなのかは分からないが、自分の経験上も、学歴がどうとかで他人を公然と罵倒だか侮蔑だかしている人を見たことも聞いたこともないし、仮にそんな人が公然といても「あいつは馬鹿だ」という感じで、逆に顰蹙を買うのではないだろうか?
 なぜこういう文化的な違いが関東と関西で生じているかは社会学的な分析が必要なので別の場所で考察するとして、私はウェブ上でしか関西出身者とか関西人自体と接した経験が余りなく、全く別の文化に触れ文化衝撃を受けたのに加え、そもそも差別を正当化して恥じない人がいることそのものが驚きだった。特に、「自分が有利な立場にたって、不利な立場の人を罵倒する」という、大卒の学歴差別主義者達のやっている業というのはそれ自体がとんでもなく卑怯な蛮行だし、もし知性が高いとしたら不利な人を助ける立場の者だと並の自覚がない上に、倫理的には下の下と呼べる振る舞いなので、愚劣というべきだ。天皇や公家の支配してきた関西地方に新渡戸武士道みたいな倫理道徳が欠落しているのは当然なのかもしれないが、ネットで実態が分かる以前に、東日本の人達はこの凄まじい文化差がある事実を知らなかったのではないだろうか? 少なくとも私は全く知らなかった。大卒がそれ以下を差別する関西の文化。
 東京や神奈川は東海道の末端だし、江戸時代の始まりから西との往来が激しく、東日本より関西地方との相関性が高い(東京や神奈川は、東日本より関西地方に似ている)というデータがある(東京都の類似都道府県神奈川県の類似都道府県)。関西の差別的風習はこの2箇所に入ってきている筈だ。このため、少なくとも東京や神奈川で、学歴差別的な目にあった経験を持つ人も多分いるのかもしれない。私が都内で暮らしたかぎりその様な経験は一度もなかったけど。
 いずれにしても企業や役所が初任給がどうとか形式的な経歴書に書かせる部分以外で、公然と身分差別を受けたなどありえないと思う。今後この企業や役所が経歴書で学歴云々を見て、形式的に採用を決めるのは、憲法上の法の下の平等に反するので、皇室制度も含め疑義に付されるべきだろう。何らかの能力と学校入学卒業歴に相関があるとは限らないのだから。そして関西地方の出身者とか関西地方在住者自身がこの私による客観的な記述を見て、自分達の属している身分差別が伝統の文化自体が実に劣悪な面を含んでいて、それがない、みたこともきいたこともない文化に比べて優秀だとは到底言いがたい自惚れに耽っているのを自覚した方がいいかもしれない。少なくとも私はその種の学歴差別主義者達の日常的な言動から、とんでもなく野蛮で卑しい考えの人達だと感じたが、当人達は文化環境に染まって思考習慣が堕落していると自覚できず、「差別の存在しない、差別は恥ずべき」「不利な人を助けて当然」な世界を想像できないらしく、説得は無意味だった。
 ある文化は無意識の前提を縛る。そして自文化の特殊性を自覚できるのは、異なる文化を学び取った人だけだ。もし東京・神奈川を除く東日本側からの客観的な批評・評価がなければ、関西人達の一部にいる学歴その他の差別主義者は自分が蛮行しているとは永遠に気づかず、恥も罪も感じなかった筈だ。

違憲な皇室・日本政府は正統性がないので革命政府によって打倒可能

(安倍内閣が「退位礼正殿の儀」を国事行為としたことについて)
違憲な邪教祖による政教一致の人治国家。やはり天皇は安倍とグルだった。所詮同類。
 退位法自体が違憲だが、政府がその儀式を国事行為にするということは立法府・行政府全体が憲法の上に天皇個人を置いている証明。つまり日本は法治国家ではない。憲法遵守義務がある全公務員も天皇・皇族も法を遵守しない点で共犯といえる。

波紋

無限に続く夢の間
君は小さな花として
時の回廊に入り込み
迷いながら死んでいく
さも人生さえ不可抗力で
なにも変えられないかの如く
だから幻想を解き
君が虚無だと知らせる 
この世さえ中身はなく
だからその恋にも何もない
失望も絶望も希望も諦めも
どんな秩序もない
静かな池に広がる波紋
この世はただそれなのだ

労働

厄介な仕事を行いながら
人は差別をまきちらす
だって彼らは愚物だから
群れていないと発狂するのだ
だって彼らは虚無だから
差別なしには生きられない
だから彼らは下衆であり
その労働をするのである

邪教国

邪教祖を崇めて納税奴隷国
違憲なる上皇崇め愚民かな
違憲なる立法行政安倍独裁
記者のする男性差別に加担する
衆愚らの崇める肩書き中身なし
馬鹿女肩書き差別しごみ掴む
皇族の借金返す奴隷国
自民党福祉を切り捨て円薄め
愚官らが安倍を忖度不正する
移民入れ遺伝子組み換え嘘つき党
愚民らの崇める自民今日も不正
愚民らの崇める皇族今日も違憲
無法なる皇室自民安倍麻生
腐敗した大阪兵庫の軟派下衆
腐敗した関西人の自己中心
不正され今日も差別す愚民国
自由記者今日もブロック言論界
馬鹿東大今日も原発まきちらす
脳科学おのれの愚劣は変えられず
腐敗した長州閥を担ぐ愚民
大阪人維新といいつアイヌ差別
侵略犯天皇先祖は中韓人
右翼崇む天皇先祖は中韓人

ささやき

ささやき

小さな奇跡

たとえ僕らが永遠に離れ離れでも
夢を通じてまた会える
たとえどんな恋も幻想でも
あなたの生は祝福されている
たとえこの世が無でも
無限の宇宙は僕らを包み
小さな奇跡を起こしている

2019/04/20

世界はなおも広すぎる

ささやかな幸せさえ得られないこの国で
私は今日も取るに足りない仕事を繰り返した
永遠に残る絵画作品
だがそれさえ無意味に思える
私の前に広がる大海原の先になにがあっても
世界はなおも広すぎる

2019/04/19

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東京都知事がバンクシーのコピー・オリジナルの境目がない器物破損を保護するのは金目当ての愚行

質問者「なぜバンクシーなら違法でもいいの?」
東京都「金になればなんでもいいんです」
質問者「もう一度きくが、公共物への落書きは違法ではないのか」
東京都「国際的に認められたアーティストの作品が違法とは考えられない」
質問者「(バンクシー作品が違法かの質問に続き)金儲けになればなんでもいいのか?」
東京都「お察しの通り、都の見解は変わりません」
質問者「五輪招致も違法だったのでは?」
東京都「次の方どうぞ」
質問者「ザハ設計の国立競技場をキャンセルしたのは合法か」
東京都「金の問題ではない」
質問者「なぜ東京ワンダーサイトを中止し、アールブリュットに文化政策をきりかえたのか。これは金の問題ではないのか」
東京都「現代アートは分かりづらいし、都知事自身も分かっていないので、障害者支援の名目なら公金使途を正当化できるからです」
質問者「バンクシーが現代アートとして他の落書きより高く評価されているのは、バンダリズムと関係し、違法行為のアートテロという文脈によるのでは?」
東京都「難しいことは分かりません。うちは漫画やアニメが主なので……」
 西日本出身者って何で東京の大衆文化を尊敬すべきだとか上位みたいにいうの? 西日本に住んだことないから分からないけどもっと低俗なの? 東京って実際に住んだかぎり、ほんと品性下劣な都市だよ。都知事が誰か見たら? 石原慎太郎の小説は全部読んだが、強姦した女を虐殺して終わりとかそんな話ばっかで、なんであの人物に芥川賞あげたり都知事にする衆愚が上位と思い込んでるのか。西日本の民度って私が想像するよりはるかに低次元だって証明なんですか? 茨城県は東京都より遥かに民度の点ではましだよ。自分が35年間、茨城にも東京にもどっちにも住んで、完全に客観的に言っている。それなのに西日本の人達ってマスメディアに洗脳され、東京が上、茨城が下(というかそもそも知らない)と思い込んでいるよね? 芥川賞が高尚? 一体全体なにみてるの?
 芥川が自殺してしまいました。お金が入りづらい純文学でした。通俗小説書いて文藝春秋つくった、親友の菊池寛が追悼の賞を作りました。自殺する直前に芥川は菊池のところを尋ねてましたが、菊池は対応してませんでした。そして石原慎太郎の通俗小説『太陽の季節』が受賞してから滅茶苦茶ですと。そもそも賞の起源からして通俗小説家が販促で作った似非追悼賞なのに、そこから高尚な人物なんて出てくると思う? 太宰に受賞させないよう嫌がらせした川端が有名ですよね? 商業作家なんて単なる政治ゲームしてるだけのろくな連中じゃないよ。そんなのが高尚? なに考えて文化をみてるの? 西日本から東京に出てきて、高尚だだの高級だだのといっている人達の、四国の愛媛県の文化ってどうなってるの? 漱石が『坊ちゃん』で書いた次元のままだってこと? 本当になぞです。私は10年くらい都内に暮らしましたが、本当に低俗で最悪の文化だなとおもいましたよ。嘘ぬきで。私の地元というか生まれ育った地域が立派だなんて、東京で暮らしてみるまで全然しらなくて、都内で生活したからはじめて気づけた。それなのに、なぜ西日本なり四国愛媛なりの出身者って私の真逆の感想をもつのだろう? つまりは西日本なり愛媛なりって東京よりもっと低俗な文化をもってるってこと?
 私は東京を崇めてる人達を完全に軽蔑しているけど、それは都内で裏まで基本的に全部みたからですよ。皇室がどんなことをしているか、日常的に都政がどうなっているか、都内の商人達とか庶民の生態がどうなってるか、おのぼりさんの生態がどうなっているか。どこにも高尚な部分なんてなかったよ。小池さんがバンクシーぽい落書きにどう対応してるか見てみてくださいよ? 五輪招致に際して、石原以後の都知事がどうふるまってたか。みてくださいよ? 高尚? 上位? なにいってるのか。あれほど品性下劣な人物を都知事にしてる衆愚が上になったら、天地を逆にしてるとしかいいようがないですよ。ほかにも大阪だかの人も似たようなことをいっていて、具体的に言うと都内のサイコパス三流テレビ芸人に発情している。私としてはなんて低次元な人なんだろうって本当にあきれるどころの話ではなくて、某京都出身の小説屋にも物凄く呆れ返ったことがあったけど、関西地方民度も大概だなとおもいますよ。メディアバイアスだかなんだかで、妄想の偏見だか差別感だかをもって生きている人達が、西日本からわんさか東海道新幹線で東京神奈川くんだりにでてきて、物凄く頭の悪く、物凄く品性下劣な蛮族の言動をとりまくっていると。明治だか江戸時代からそんなのばっかですよね。それはわかるけど、呆れるよ。
 東海道リニアなんて、東京大阪を行き来しない人にとってどうでもいいわけで、なんでそんなのに公金を使うのか。馬鹿ではないのか。どうせ品性下劣な商人がますます大阪から都内に出てきて、差別的な虐めの風習をいじりだとかいって広める、今までのパターンでしょ? で大阪衰退にしかならないでしょ? 京都もプライドばかり平安期から肥大化してるけど、所詮、長安を模して古代朝鮮の人達が封建制の下で贅沢していた過去があるだけのことで、自文化中心主義だか中華思想だかを中世みたいに引きずっていると。そんなの先住日本人の末裔からしたら知ったことではないわけですよ。文化庁遠すぎるだろうと。どうせ京都市上京区民が、10万年~3万年前から日本にずっと住んできた本来の我々の文化を、朝鮮から1300年前に入ってきて差別してきましたと。じゃあなぜ差別していたのかといえば、ダニングクルーガー効果で、ただのあほだったからですと。京都人が無知な自己中心的な稚拙な差別主義者だっただけと。しかもその京都人が、東京の方が都市規模が大きくなったから、というより茨城のほうが人口も多いくらいで、そもそも縄文時代以前から関東の方が人口が多いわけだから当然といえるが、文化庁をくれ、皇族をくれ、中世の虚栄心をまた満たしてほしいと。天皇だってただの中国から来た侵略殺人教祖だよ。あなた方西日本のかたがたがいう文化的な上下観みたいなの、とっくに時代遅れなんですけど。文化相対主義、多文化主義、文化多元主義、構造主義。かなり昔の思潮すらまだ咀嚼してないのと。どれだけ低次元な議論してるのか。東京の漫画アニメゲームだのサブカルを真似して憧れてますと。馬鹿なの? 「贅沢をしていた証拠」って下品なだけなんですけど。私、桂離宮も修学院離宮もいきました。普通に、弘道館や西山荘の方が上品だし高貴だと思いましたよ。質素な美の方が格上ですから。ちゃんとみてるのか。ちゃんと見たほうがいいですよ? 私は純粋に芸術を評価する目でみてますから。京都で寺を金ぴかにしたり庭を立派にしたりするのは、仏教の本旨にもとりますから、腐敗の証拠に過ぎないわけじゃないですか? そんなのを世界遺産にしてさらに金をもらっている。観光収入をむさぼっていると。じゃあ私は佐竹寺にいきましたと。人っ子一人いないし、実に清楚で素朴ですと。金閣寺も銀閣寺も行きましたよ? 詩仙堂もいきました。詩仙堂はまあまあ面白いかもしれないけど、それでも私んちの庭の方がいいなと思いましたよ。なにせ華美に凝っているのは下品なだけですからね。本質的に精神の表現なんです。芸術は。ですから最初の思想が品性に欠いていたら金かけるだけ悪い。
 バンクシーは違法アートですと。そしてパブリックアートとかホワイトキューブみたいな既成美術の枠組みとか、いわゆる芸術祭だのなにエンナーレみたいな管理美術の枠組みそのものを、地下文化の落書きを使って批判していますと。その前提があってバンダリズムっぽい美術破壊運動として面白いねと。ところが東京都知事は、そういう公共物だの私有物への無許可の落書きという違法性を前提にしたバンクシー解釈を全く無視し、「国際的、もしくは英語圏で有名だから」「高く売れるかも」とかいう実に下らないレベルで保護しましたとかいっている。馬鹿なのか? 普通に考えて低次元でしょ? 金儲けを目的に、田舎で田畑を相続できなかった次男坊以下の人達が、大坂商人を呼び寄せた家康の作った干拓地に大勢たかってきましたと。そしたら今度は人口比が世界一になってしまって驕り高ぶりはじめましたと。それが江戸から東京圏になった地域の実態ですよね。中身は何もない。ただの商人集団と。じゃあその土地をもたない商人集団がどんな考えで動いていますかと。ろくな考えはなく、単に金儲けに夢中ですと。金になるなら違法アートだろうが賄賂五輪だろうがどうでもいいのですと。それが本音でしょ? 笑えない本音。そしてさらに品性下劣なのが東海道をたどって入ってきて、大威張りすると。
 馬鹿は死ななきゃ直らないというけれど、それは現時点でIQも6~7割が遺伝するとかいわれているし、生まれつきの脳のでき自体は変わらないという意味で、確かにそうかもなと思う節がある。教育受けても暗愚な人間は無数にいる。後天的に矯正できる範囲は高が知れていると。品性も脳の一部ではないか?
 バンクシーを巡っての現象はまだ誰も騒いでないホームページの段階からずーっとみてたけど、そもそも彼・彼女の作品は公共もしくは既成美術を皮肉るところから出発しているのであって、都が保護しました、とか何も分かっちゃいないなというだけで、落書きって価値がないでしょ? という皮肉なんだよ。
「あなた方が普段、汚いとかふざけんなとかいって次々消してる、この不良の描いた落書き。ここにいきなり芸術性の高い図像を挿入したらあんたら、私達アングラのスプレーペインターを馬鹿にできるの? それとも偉そうに管理された制度の中で金儲けと権威ごっこしてるのしかアートと認めないのか?」
「保護された管理美術。写真そっくりに描かれた絵だとか、抽象表現主義ぶってまきちらされた絵の具の染みだとか、あなたらの好むそれらの図像は、スプレーで型枠どおりにコピーされるこれらのイメージに比べ価値が高い筈ですよね? しかし、私の作る図像を保護したと? なぜ? お金になるから?」
バンクシーの型枠を使って無数にばらまかれているコピーは、この様な管理美術の枠を根本的に皮肉っているわけで、アングラアートとして落書きを認めている彼・彼女当人の反権力的な思想が反映されていますと。「消してどうぞ」というわけです。「上書きしますから、すぐコピーしますから」と。例えばシルクスクリーンで壊れたコピーアートを作っていた、ウォーホルを模したバンクシーのポップアートもどき作品があったと。複製されるイメージの反復としての流用という、流行の文法を使っていると。ですからバンクシーの型枠を使った複製落書きが量産されても本物もくそもないのですよ? バンクシーグラフィティの各模倣物で本質的に問われているのは、「複製物」がオリジナリティをもっていないという流用的側面であって、保護しました、ってなに考えてるの? だってそれコピーでしょ、コピーじゃなかったらオリジナルにもなりえないよね、だって型枠の上からスプレーしただけだよと。そもそも覆面で誰かも分からないから、オリジナルとコピーの境目がありませんと。だって誰もそれが本物か証明できないし、仮にホームページだか作品集にのっていたとしても、それが本物の証拠になりませんと。何しろサインも筆跡も残らない型枠の上からスプレーしてあれば誰でも同じものですからね?
 この様な複製アートとバンダリズムの両方から、「じゃあ、これどうする?」「消して」「消すな」と、論争を呼びますと。こういう仕掛けが、彼・彼女が有名になってきた美術史上の文脈なわけでしょ? それに対して、東京都は理解がありますか。ないですよ。コピーを保護して本物なら高いとかいってる。
 所詮、町人と呼ばれた市井の庶民が、商人に転化して金儲けしてる都で、品位どころか金以外の評価機軸もないから、バンクシーぽい絵が公共物にかかれてたら隣でねずみ小僧みたにピースしてますと。都知事が。それはアートなのか? なんの? 教えてほしい。どういう意味でピースなのか、なぜ笑顔なの? なぜバンクシーの落書きだけ保護し、その他のものはしないのか。なぜその他のものは器物破損で逮捕なのか。バンクシーが見つかってないだけではないのか。なぜ公共物を管理している都が、金になりそうなコピーなら保護して展示とかほざくのか。じゃあ有名アーティストのバンダリズムは保護されるのか?
 ちなみに私はノートルダム大聖堂がぶっ壊れてるのは、割と素晴らしいと思った。なぜなら偶像破壊をイエスも主張していたからだ。「私は剣をもたらす為に来た」「地上に火をおこす為に来た」といっていた。悲劇的だが9.11も芸術的には、資本主義の偶像破壊という意味でバンダリズムだったと解釈できる。本質的に無限の金儲けは貧しい人々との格差を拡大するに過ぎないので、イエスもムハンムドもその対極にある寄付や喜捨を勧めていた。したがって資本主義信徒は邪教徒になるが、もし現代の聖人がいたら彼だってキリスト教やイスラム教の始祖と同じ偶像破壊を主張する筈だ。9.11だの3.11だので人命が大量に失われた。私もだが、それ自体は誰でも追悼の意を表するかもしれない。だがそこで偶像になっていた2つの施設、ワールドトレードセンターと福島原発が破壊されたのは、一種のバンダリズムのアートだといえるだろう。だからあの時、美しいといった人がいたのだ。資本主義の貪欲という悪徳の象徴。ワールドトレードセンターはニューヨークの証券関係者の、福島原発は東京電力という都民の悪意の、象徴だった。それらを破壊するのは、思想の上書きだ。資本主義自体が不幸にしている人がいる、という証明だったのだ。岡本太郎『明日の神話』に福島原発水素爆発の様子を上書きする。チムポムの悪戯バンダリズムは欧米美術史の中では無視されているが、芸術の本質にあるのは破壊的運動だ、それが足りないと最晩年に抽象芸術の極北にいたモンドリアンが、ポロックのアクションペインティングを見たあとで言っている。米軍に結局殺されたビンラディンは、カシオの安価で実用的なF91Wをつけながら、イスラム教徒に非道な侵略戦争を仕掛けた米国資本主義に破壊運動を企てた。それは思想の戦いでもある。バンクシーの皮肉っている対象は多岐にわたるにせよ、東京の資本主義に対し自壊的なのは都知事の態度といえるだろう。
「なんだ、都知事って金の前ではどぶねずみを保護ぶってしまう、品性も法もあったもんじゃない人間が就いてるんだ。では資本主義に基づいた東京なんて最初から虚栄の集団に過ぎないな? 行政のトップすら金が主要な価値の世界なんて、最初から最低の連中じゃないか」となるだけの話でしょ?

宗教施設は質素たるべし

浄財で作った豪華な宗教施設が、救貧教義の本質に反するのは明らかだから、燃えた施設のままで宗教活動に殉じる方が尊いというのに。

2019/04/17

企業献金を違法化し日銀保有の日本企業を売り抜けるべし

上場企業の約半分で上位10位以内の大株主が日銀というのは、実質的に企業国有化しているわけですので、GPIF(年金機構)の保有分もあわせれば、もう共産主義国だといえるのでは? 日本の上場企業の半分の業績が悪化しても政府はその会社を潰さない(株を売らない)わけで、全体としてGDPが低下する。
 本来の資本主義(自由主義的)市場であれば、業績が悪化した企業は自然に潰れ、より業績の良い会社が伸びる。結果として市場の効率が果たされる。アメリカの上場企業はほとんどが入れ替わっているけど日本はほぼずっと同じで、国全体の経済成長率が日本は先進国最低(191国中166位。IMF、2018)。
 経済成長率とは、GDPが前年比でどの程度成長したかを表す指標で、
経済成長率 = (当年のGDP - 前年のGDP) ÷ 前年のGDP × 100
 正確に言うと、アメリカの上場企業でほとんどが入れ替わっているのは、主要な上場企業といえるダウ平均株価(ダウ工業株30種平均)の構成銘柄です。
 なお、日経の計算によると

17年時点で米ニューヨーク証券取引所の上場企業は「15年」、英ロンドン証取は「9年」。これに対して日本取引所の上場企業は「89年」と極端に長寿だと分かった。

この様に、日本企業は新陳代謝が遅いと分かっているが更に遅くなるので非効率と。
 要するに自民政権は企業献金目的に大企業と癒着するので、政府が母国の既存大企業に税金・中央銀行預金(実質的公金)を大量投入したり、無理やり救護措置してしまう(東電や東芝等)。結果、健全な競争が行われない市場になっている。より良い製品サービスが生まれづらくなり、景気悪化につながると。
 ではどうすればよいのか。
 企業献金を法で禁じ(米英仏加で禁止、独も間接的抑制済み)、政府と大企業の国民全体を犠牲にした共犯関係をなくすことでしょう。

村上隆はリキテンシュタインの模倣者に過ぎない

芸術っていかに間違えるか(いかに規範を破るか)が基本運動だから、明らかに学問と逆ベクトルで、そうであれば芸術家を学歴で正しい作業をしてると思い込んでる人達は完全に見方を間違えてることになる。脱抑制とみても正しさが低価値になる。ピカソがただの写実画家だったらとうに名が忘れられてる。
 リキテンシュタインと村上隆はやってることは変わらないのに、村上の理屈でよく素人を言いくるめられたね。文脈そのものも流用できるというわけだ。
 料理でいえば352円の牛丼が真のグルメと言い出したみたいなもんだからな。リキテンシュタイン以後のポップアートの二の舞の理屈として、アメリカ人の中である種のネタとして面白かったんだろうけど、カオスラウンジみたいにそれを素で受け取ってると完全に喜劇でしかない。一種の嘘なんだから。

日本政府が低教養な外人受けを狙うサブカル文化政策で自ら品位を下げている

漫画アニメはもともと品位がない大衆芸術だから、子供とか教養の低い人達に流行ってる。しかも商業芸術なので安価で海外に流布する。サブカルチャーを支持すること自体そうでない人に比べ品位がないが、日本政府は外国人に理由問わず褒められると国際的に認められたと有頂天になってしまう悪癖がある。
「国際社会で名誉ある地位を占めたい」とする憲法前文が、日本政府の人達を洗脳していて、国内でも低品位といっていいサブカルチャーが外国の子供・俗人、或いは村上隆の考えを容認する美術愛好家に褒められると、国内のメインカルチャーを放棄してしまう。大いなる愚行というか恥知らずなのだろう。某大臣みたいに、そもそも低教養な人物は、子供でも分かる漫画アニメの方がその他の高尚な芸術より遥かに親しみ易いわけで、自民党政府の文化政策は悉く漫画アニメ化・サブカルチャー化してしまう。彼らの名誉感情は外人受けを狙う他人志向のもので、自信や独善的高踏性は縁が遠いものなのである。
「民主主義化した文化政策は低俗化を免れない」と冷静な批評をしている人は、アメリカや韓国のポップカルチャーもその程度の質のものとみなしているわけで、日本政府が浮世絵を札の裏にするのもやはり他人志向の産物といえるだろう。本当に大衆芸術を誇っているとしたら、当人も低俗なのだから。
 そもそも純粋芸術の品位が確保されているのは(もしまだあるならだが)、その親しみ辛さ、敷居の高さ、理解し難さにあるといえるだろう。権威が得られるのは一般大衆には意味不明な世界だからだし、そこらの子供が夢中の漫画が威光など持ちようもない。日本の文化的な品位は自ら下げてるのだ。政府が。

回天神社に天皇が一度も来ないのは本当におかしい

「両陛下「国民の中へ」 地方訪問も平成流 見舞いや会食続ける」という毎日新聞の記事ツイートへ)
歴代の天皇皇后は回天神社に一度は訪問すべきです。その歴史的意味からいって、一度も来たことがないのは、他神社との優先順位からしても明らかにおかしい。無視したり、見逃していい次元の話ではない。天皇皇后に伝えてほしい。
 今自分で直接宮内庁に意見してきたけど、マスコミからも言ってほしいな。宮内記者会で。

(以下は宮内庁へ直接意見した文。ホームページから実名で送りました)
「天皇皇后両陛下による回天神社へのご訪問を依頼する文」
 歴代の天皇皇后両陛下は、茨城県水戸市の「回天神社」に一度は訪問して頂きたい。
 幕末の水戸藩で、孝明天皇からの幕政改革を進めてくれとする勅書(戊午の密勅)をきっかけに、尊皇主義者達がのちの明治維新を起こすべく幕府と争って大量死し、その墓や記録が残されている場所です。
 水戸学が今日の皇室、象徴天皇制の起源ともいえるのであり、その重大な歴史的意味からいって、明治以後、一度も回天神社に歴代天皇が来られたことがないのは、他神社との優先順位からしても明らかにおかしいと私は思っています。皇室の為に身を殉じて死んでいった志士達の魂を思えば、神道が無視したり、見逃していい次元の話ではないと感じます。
 尊王論や、政教一致の国体の概念を日本中に広めた、初の日本遺産の「(水戸)弘道館」も併せてご訪問されれば、両陛下にとって国民の象徴として、水戸学のもたらした今日的影響についての理解がより深まるのではないでしょうか?
 天皇皇后両陛下に是非お伝え下さい。

自称普通の日本人は同調目的の愛国ファシストかもしれない

普通の日本人と自称している人の脳内で定義されている「普通」とは、おそらく平凡という意味なのだろうけど、そこには非凡だったり独特だったりする個性の排除が自分にとって正当だ、とする愛国ファシズムが背後にあるのだろう。
 なぜ彼らに不寛容が正義と誤認されているか(憲法上、国民の思想表現属性など法の下に平等なので、排他性は正義とは言いがたい)といえば、情報社会の進展に伴ってみえてきた、国民の多様性に混乱しているからなのだろう。それで同調目的で愛国ファシズムを隠蔽しながら、普通と称するのだろう。

見たこともない神をかたる嘘

旧約聖書を書いた古代ユダヤ教徒も、古事記を書いた太安万侶も、神という虚像を使って当時の人類を騙そうとしていたのだから、この人達の嘘は実に罪深いものだったというべきだろう。当人達も見たこともない神の実在を信じきっていたのかもしれないが、嘘による公害が宗教戦争や天皇政府を作ったのだ。

なぜエスカレーターは高速レーンができないの

なぜエスカレーター製作者側は、片側を安全に歩いて上れる設計に変えないの? その需要があるのは明らかなのに無理やり設計にあわせさせるって、アフォーダンスに逆らってる以上デザイナーの本末転倒なのでは。右側だけ高速で動くしくみにして一々駆け上らなくて良くし、中間に手でつかめる仕切りを設ければ転倒防止になるのでは?
 みな移動時間は無駄だから一秒でも早く目的地にたどり着きたいわけで、悠長に手すりつかまってイライラさせる方に啓発するって目的がおかしいと思うけど。
 勿論、設計変えてからは、左側のゆっくり動く側の人も、右側の速く動く側の人も、「手すりにつかまる」のを義務化すればいいとは思うが、それ以前に、「エスカレーターの移動時間が無駄」だと思ってる人が多い(もっと急ぐ需要がある)事実から目を背け、設計者側が怠慢なのはどうしてなのか。

腐った伝統

天皇にせよ、安倍にせよ、金持ち貴族ごっこで園遊会する財源は税金なのであり、封建君主もどきを維持してる愚民の方に、本質的に冷遇される原因がある。奴隷精神で皇室なり薩長なり自民党なりを崇めている限り、税は自称上流の政治・神官階級に私用される。それが飛鳥時代以後の腐った伝統なのだから。

I WANT YOU BACK

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ノートルダム大聖堂の火

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2019/04/15

消費税は軽減税率と組み合わせる限り累進課税で、かつ景気悪化に必ずしも繋がらない説

(OECDの「日本政府のプライマリーバランスを黒字化するには、消費税を最大26%まで引き上げるべき」とする発表に対し、共産党首・志位和夫氏による「冗談じゃない。なぜこんな借金まみれの国になったか。大企業・金持ち減税で税収を空洞化させた上に、無駄な巨大開発に血税をつぎ込んだからだ。そこを正さず消費税に頼れば暮らしも経済も破滅。根本から転換を!」とのツイートへあてて)
日本共産党は一国二制度を採用するのですか? 企業国有化がマルクス主義だった様に思います。
 もし中国共産党同様、自由市場と共産党政権を両立するとして、欧米で通常行われる日用品の軽減税率とくみあわせた消費税(付加価値税)が累進課税でない証拠があったら、是非、資料を公にして下さい。
 各国の一般消費税率によれば、特に(高いエンゲル係数の)低所得者に影響が大きい食料品の税率、かつ日用品のそれは、大抵の国で低くなっています。そうであれば、消費税は単に企業の値下げ誘因となる、累進課税なのではないですか? 私は消費税の最終負担者は企業だと思いますけど。
「消費増税が景気悪化につながる」一般論が世間に流布しているが、北欧含む西洋諸国の経済成長率は、かなり長期間、消費税率同様、日本より高いですよね? 
ノルウェー消費税24%(食品12%)成長率1.39、フランス消費税20%(食品5.5%)成長率1.52>日本消費税8%成長率0.81
経済成長率のデータ。IMF、2018年度、2019年4月版)
これをみるかぎり、日本の消費税率を、食品・日用品の税率を据置くかフランス以下(5.5%以下)に下げつつ、20%~26%程度にしたとしても、別の経済対策が功を奏すれば、西洋と同等以上の経済成長率(景気)は十分達成可能なのでは? いいかえれば、消費増税と景気悪化に因果関係はないのでは? もし消費増税と景気悪化に因果関係があったと経済学的に実証できたとして、常に異なる状況が起きうる現実社会を後づけで分析する経済学の特性上、今後は分からない。仮に因果関係か正の相関、又は擬似相関が両者にあったとして、別の景気対策と組み合わせれば軽減消費増税がPB黒字化に役立つのは事実では?
 我々国民は自国をよりよくする為に立法なり行政を議員さんに代行しているわけです。「政権批判をする為の議論」「権力維持・奪取の為の議論」は、まあ(違憲立法の連打を含む安倍政権暴走中の)今はそれが第一に必要なのもわかるのですが、それはそれとして、本質については別に置いて冷静にきちんと、精確無比に議論していただきたいです。

皇室は安倍政権よりあくどく違憲立法を忖度させている真の国民主権侵害者

なぜ天皇が違憲立法を実質的に忖度させ、国民主権を侵害するのはよくて、或いは京都府知事・京都市長・東京都知事が(皇族招致や五輪招致等で)皇族を政治利用するのはよくて、首相がそうするのは駄目だといっているのか? 宮内記者会に洗脳されている? 責めるべきは皇室が政治している現実では?

反安倍の主張する権力行使の力関係(天皇大権)
皇室→首相→国民 ○
国民→首相→皇室 ×

親安倍右翼・安倍内閣・京都市長・京都府知事・東京都知事のそれ(皇族を政治利用)
皇室→首相→国民 ○
国民→首相→皇室 ○

憲法の定めるそれ(国民主権)
皇室→首相→国民 ×
国民→首相→皇室 ○

反安倍の主張している天皇大権は明治憲法の体制だから、現憲法では違憲でしかない(第三条)。退位法も違憲(第四条)。上皇も新天皇(徳仁)も違憲な存在、なぜなら現憲法では摂政を置くと書いてある(第五条)。
 おそらく反安倍の一部は、安倍晋三氏の不道徳さを暴く目的で誤って天皇大権を援用してしまっているが、それは国民主権の否定だから安倍氏の裁量を正当化してしまう矛盾に気づいていない。もし安倍氏の悪政を責めたければ天皇の権威・権力を借用しない形でそうし、しかも違憲な皇室も責めねばならない。

一億総中流が人口増に最適

上野千鶴子氏「平成31年度東京大学学部入学式祝辞」の「東大女性がもてない」説について、2つ調べた。1つはLora E. Parkらの2015年の論文 "Distance Makes the Heart Grow Fonder: Effects of Psychological Distance and Relative Intelligence on Men’s Attraction to Women" で、心理的距離が近いと男性は低知性な女性により魅力を感じ易いらしいと述べるもの。
 もう1つは「エキサイト恋愛結婚」が20~50代が男女403人に調査した結果、女性の方が男性に比べ、収入、学歴、運動神経(体力)、家柄、容姿という調査された全項目で相手と格差がある(自分より低い)と許せないと感じ、格差ある相手との結婚に男性7割がOKなのに女性の6割は考えられないらしいこと。
 この2つのことから直ちに結論はできないが、現実に東大女性含む知性の高い女性は男性一般から心理的距離が近い場合に限って敬遠されるかもしれず、しかも東大女性自身が結婚を考える交際相手の男性をかなり厳選してしまう可能性がある。よって上野氏の祝辞でいう、合コン(こんな場に行く時点で社会的知性が高いといえるとは個人的にあまり思えず、もしくは少し軽蔑してしまうけど)の場で成績が悪そうにみせ、東大生と隠そうとする女性は恋愛戦略面で狡猾といえるのではないか?
 なぜ心理距離が近いと低知性な女性の方が男性一般にとって魅力的に感じ易いという研究結果があるかといえば、もしそれが事実なら、進化論的な理由があるかもしれない。性差別の文脈とこの本能を含む情動を直ちに混同すべきでないだろう。上野氏はだがそれをしている。本能は性差別となんの関係もない。次に女性一般がもし男性の方が比較的な諸属性において自分より劣っているのが明らかな時、結婚を半数余りがためらうのが事実なら、ここには女性自身の性差別の文脈があるかもしれないし、進化論的な選り好みの本能によっているのかもしれない。なぜなら結婚は本能によるのではなくただの制度だからだ。政治的人間とみたとき、他の動物でも順位が上の雄とつがいになれば雌の社会順位が上がる、という現象がある。この社会的動物性を制度とみなすか、本能とみなすかは議論が要るが、もし女性自身が配偶者の社会的地位を含む何らかの属性を差別選択していることが事実なら、原因は選り好む女性自身にある。
 当該祝辞で述べられていることのうち、性差別の全原因を男性全体に向け女性自身を除外しているのは、実に単純化しすぎた図式で、寧ろ女性自身が自らの知性をできるだけ男性一般より劣らせるよう行動しているのは、恋愛戦略的に適応といえるかもしれない。私はその行動が馬鹿げていると思っているけど。なぜこの女性自身の知性劣等化(かわいこぶりっ子とか、女子力とかいわれる)が愚かしいと思うかといえば、知性自体は社会を何らかのよりよい方向、またはその創造的知性を含むより多様な方へ変えていくわけだから、賢い人が生まれ持った資質を十分生かさないのはただの自殺行為と思うからだ。
 一方、世帯所得が少ないか非常に多い(1500万円以上)と子供の数が減る(就業構造基本調査、総務省、2012年)が、女性の最終学歴が低い方が出生率が高い(つまり子沢山)、という調査がある(Trends in fertility by education in Japan, 1966-2000.)。ここから単に統計的にいえば、女性が自らの出生数をあげようとした時、少なくとも1250万~1499万円付近の世帯所得が見込める配偶者と、自身が高卒か中卒で婚姻すれば、最大の子供が残せる。いいかえれば現代社会の中で単に出生率の面から適応的なのが、女性の知性劣等化と、男性への収入差別なわけだ。
 男性へ、エキサイト恋愛結婚の調査対象になった日本人女性自身の約6割がもし本当に、収入その他の属性で性差別しているとしたら、その原因は単に本能・制度を混濁させた当人の遺伝子の生存戦略かもしれない。この種の社会的差別を女性自身が行う必要を作り出している所得制度を改善すべきではないか? いいかえれば、ある女性の配偶者男性の収入が1250万より低くても、或いは1500万円を超えていても、両性が望む子の数をある程度残せるよう制度改良すべきかもしれない。なぜなら、それによって女性側が配偶者を性差別する誘因が減るからだ。また短大卒以上の教育年数を経た女性が出生率を低めるのは顕示的消費が原因という金森重喜説が正しければ、女性の社会参加という名目で女性の高学歴化や女性自身の所得増加を鼓舞すると、Butz‐Wardモデル(後述)により少子化に拍車をかけるにすぎないのではないか。
(Butz‐Wardモデル:Butz and Ward Model、有配偶女性の賃金の上昇が子供の需要に対して負の効果(代替効果)を及ぼし、これが夫の所得による所得効果を上回るならば、その結果出生率が低下するとするもの。(清水誠「所得が出生に及ぼす影響」2002.3、JGSS研究論文集))
少子化に拍車をかけることを知性の高い女性自身が望むのが単に教育費の高さではない(ゆえ1500万円以上の年収がある世帯の方が1250万~600万程度の年収がある世帯より子供の数が少ない)のは、金森説で明らかだから、奨学金や大学無償化などで出生数は上がらない。肯定行動(affirmative action)は出生率に負の影響がある。
 政治的文脈を完全に無視し、出生率を純粋にあげたければ、国内女性一般の低学歴化を推進しつつ、国内男性の年収を1499万円~600万程度に人口当たり正規分布化すればよいことになる。要するに高度成長期と同じ一億総中流を勧奨すればよい。欧米模倣で共働きを前提とすれば移民なしに人口維持できない。
 平成末の日本社会は大きな岐路に立っていて、低学歴なことが多い移民労働者の高い出生率を前提に日本国の人口を維持するか、さもなければ今述べた一億総中流モデルに回帰し日本人自身の人口増を目指すか、だ。この点で、上野氏のフェミニズムは後者の為には負の影響があり、当該祝辞の論旨も同様だ。私にいえるのは、米英仏独などで移民の出生を前提にした多文化共生社会が全面に成功しているのではなく、移民排斥運動や極右台頭のきっかけになっている事実(トランプ政権やブレグジット、パリ同時多発テロ事件、AfD台頭)がある限り、少なくとも日本人自身の人口増を無視するのは陰謀だということ。
 私個人は博士等の高学歴移民が国内で最も多いのだろう(2014年時点で外国人研究者が5291人近くいる)つくばを抱えている茨城県に住んでいる上に混血の多様化を合理と見るので、移民の正の影響を考え寧ろ移民導入に賛成だが、上野氏のフェミニズムと新自由主義の共犯による日本人少子化推進は論理的帰結の過ちだ。
(つくばの外国人研究者数の出典。茨城県企画部「時代の潮流と茨城の特性」平成26年11月21日、67ページ。
女性の中でも優秀な人物が、男性の方が数が多い何らかの職業に就くのを妨げられない制度的公平さ、機会平等原理はあらゆる面で貫徹されるべきだが、それと別に、能力差を無視し結果としての男女比を同数に近づける肯定行動と呼ばれる恣意は、企業や役所の効率を下げる一方なのでただの行き過ぎである。
 結局、上野氏が祝辞で述べた類のフェミニズムは、(たとえば出展作家の男女比を強制的に1:1にする、あいちトリエンナーレ2019でみられるよう)結果平等を強力に既成事実化させ、それが社会に全面化してくると負の影響として、ひいき(逆差別)で学位や成績等を底上げされた高学歴女性や高所得女性が出生率を減らすと同時に、有能な男性の能力が殺されてしまう。
「そもそも人口増が善か」「文明の進展として少子化は必然でまた社会正義なのではないか」という反出生主義の観点から、上述の論理は批判され得る。私自身も上記が全て政治的に正しいと思わない。単に功利主義面(最大多数の最高幸福)からのみ事実を客観的に分析しただけで、全体の倫理的な再検討が必要だ。

司馬遼太郎は俗受けを狙った低次元な嘘つきでしかない

 (司馬遼太郎氏、山田洋次氏ら年上世代の知識人の限界は、最後に天皇制回帰してしまう思想的脆弱さが限界と述べるツイートへ)
自分が少し読んだ限り、司馬遼太郎はインテリゲンチャではない。通俗的な歴史小説家。正史を大変歪め俗受け目的で語っているし、それは天道の是非を問うた史家・司馬遷とは非常に遠い態度でしかない。もし彼まで知識人に含めてしまったら大抵のサブカル芸人もインテリになってしまうし、混乱を招く。
 例えば慶喜は坂本龍馬の名前は明治以後まで聴いたこともなかったと公伝で自ら語っているし、そもそも将軍職に就く前提に大政奉還を考えてから就いたといっている。家康が興した幕府を自分が倒す覚悟で就いたと。その後の土佐藩建白云々は全く大政奉還の動機と関係がない。しかし司馬は平然と嘘をつく。これはごく簡単な歴史学的な誤りの1つだが、単純ミスとはいいがたいほど司馬の歴史解釈は無数に歪みまくっていて、まず歴史とはいえない代物である。小説だから当然といえるかもしれないが、俗人は史書と小説の違いなど認知するほど賢くないのだから、NHK大河ドラマが嘘だらけなどと気づかないのだ。
 現に、世俗的には知識人の一人といわれているだろう茂木健一郎氏は、司馬良太郎の小説を史実だと思い込んでいて、坂本龍馬を偉人扱いしている。外患誘致罪、内乱罪、共謀罪など遡及処罰抜きでも死刑相当の大罪を積み重ねていた現実の脱藩浪人をどうして美化できるというのか。彼が脳の専門知等に一般人より遥かに秀でているとしても、小説を現実と信じるのがもし知識人ならその僭称は誠におこがましいのではないか。
 それに、『長州の天皇征伐』を書いてテロで捏造した明治以後の日本政府やその背後にある天皇制の欺瞞を説いたり、北海道独立論(アイヌ革命論)を唱え民族自決を勧めていた太田竜みたいに、年上世代の知識人でも反天皇の立場だった人はいる。

有能さをきちんと評価していれば性別は全く無視できる

(日EU経済連携協定第1回合同委員会に際し、EU代表と日本政府の顔ぶれを比べ、EU側は女性が多く服装も様々なのに、日本側は黒いスーツの男性だけという写真について、性差別の文脈で語っているツイートへ)
性別で人を見てるのがおかしい。個々人が有能かどうかで見たら自民党員がおかしいだけ。

低所得者向け奨学金の充実と私学の自立が公平な奨学制度

全大学無償化は2つの点で不公平
1.全大学を無償化すると金持ちがますます有利になる
2.会社・役所などから学歴差別を受ける低学歴の費用負担で高学歴者がさらに有利になる
よって
1.低所得者向け奨学金の充実により費用面から進学を諦めないようにする
2.私学への助成金を中止する

移動距離は求道性ではない

昔はグレートジャーニーみて旅人に憧れてたけど、ツイッターで世界旅行してる人達の様子が具体的にみれると、その人達の余りの軽薄さにびっくりして、今まで旅人をブッダの様な求道者だと思っていたのが勘違いと気づかされた。求道は自分の内面にある真理探求の心で、移動距離では全然ないらしい。

天皇は偽善の神聖君主

(園遊会に芸能人や有名人を招く安倍首相と、誕生日にホームレスを食事に招くローマ法王を比べたツイートへ)
天皇とローマ法王を比べるべきだ。神聖政治が建前なのは世俗政治の長である首相ではなく、天皇だからだ。

2019/04/13

自殺願望を語る女

SNSを使っていると、自殺願望を語ってる女というのがたまにいる。自分はそういう人をみたことがなかったので同情し、助けようとした。そして実態を知ると、その人達は怠惰による極貧とか、不貞による自滅とか、サイコパシーによる悪業とか、色々尤もな理由があったりし、正直、死んで当然なのもいる。ただ全ての自殺願望女が全く同情に足らないわけではない。少なくとも救いの手を差し出す意義が十分ある人もいるし、そのことを私より深く知った人はこの世にもあの世にもいないのではないかと思う。重要なのは見極めだ。
 一体その人がなぜ自殺願望を抱いているのかきちんと見る必要がある。
 同じことは男性についてもいえると思うが、いくら慈悲とはいえ悪業三昧しまくりながら自死の予定を語り、同情した男を騙し、裏切り傷つけ遊んでいる本物のサイコパス女を私は知っている。自殺願望を語るその女は本当に生き残るべきか。そうでなければ下手に手を差し伸べると自分が犠牲になる一方だ。

東大の学風

或る東大物理博士が女性性は性的価値しかない、と自分の目の前で大真面目にいっていたから、上野千鶴子氏は自らが教えていた大学の学風について真剣に考えた方がいいかもしれない。他に別の工学系東大博士による「女相手に真剣に議論するなよ」発言が、自分が生まれて始めて女性差別を見たときだった。

労働者と芸術家

私有財産の範囲で大人しく絵を描き、世間の人の為に無償で提供していたら、労働者やその主婦の一部に酷く侮辱を受けたり、差別的言動をとられた(芸術家という職自体を無職扱いで何度も侮辱された)。それ以後、自分は労働者なるものを多かれ少なかれ軽蔑する様になった。神が彼ら労働者の一部に復讐してくれるのだろうか?

Digital action painting

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日本女性一般は日本男性を属性で思いっきり性差差別している

イギリスのある友人が今日のフェミニズムに軽蔑的で、自分は実感がなかったんだけどやっと理由がわかった。単なる男女同権なら誰だって理解できるけど、無理やり有能な男性を性差別主義者扱いで陥れ、無能な男性を虐めまくって自分が利権を得ようとする卑劣な一部の女とか、それに媚びる偽善者がいるのだ。総じて今日のフェミニズムの理屈は「性別」で男性全体を一括りに差別対象にしたてあげ、女性全体に免罪符を与えようという極めて大雑把でろくでもない逆差別に基づいていて、これを肯定行動(affirmative action)等よくわかりもしない横文字で糊塗しながら、暴力的におしつける運動になっている。
 ところがフェミニズムの偽善を指摘すると、リベラルぶっているフェミニスト男性もヒステリックなモブとそれを「性差別主義者」扱いで集団虐待し、冤罪に陥れる、というお決まりのパターンがあって、いってみればネット右翼の在日認定と同じ性差別レッテル張りが公然とテロの一種として容認されている。結果平等を目指し、明らかに無能な女性を、有能な男性以上にひいきし、性別同数に近づけるか、完全に同数にする、という誤った意図(affirmative actionというやつ)は、正直いってその集団の効率を害するだけだから企業でやれば業績悪化、政府でやればますます無能が出世すると最悪の結果に結びつく。フェミニズム衆愚の方は自分達が欧米思潮の流れを汲んだ、政治的に正しい正義の徒だと信じ、疑う知能はもちあわせていない。能力無視で男女同数が正義とか意味がわからないのだが、本気で彼らは小学生級の思考力なのだ。それでうんざりしかしないが、東大権威とか欧米思潮を恣意的に使い、男性虐めをする。
 フェミニストの急所は女性一般より弱い男性の存在で、その人達が最も不遇だといわれると論理的に反駁できないのでブロックなどで逃げる。はぐらかす以外どんな抵抗もしようがない。なぜなら弱い男性の犠牲の元に女性全体の不当な権益を拡張するのが目的だからだ。男女同権など全く考えられていない。
 性別と学歴は、一般教養含む思考力の高さという点で、全く個人のそれと因果関係がない。経験上は自分が会った中で高学歴(博士)で賢いと感じたのはフランス人の女性1人しかいなくてほかは全部なんでこんな馬鹿なのと思った。少なくとも日本人で高学歴自称してる人達はただの一人も賢いと思わなかった。知識量や思考力が一体どうやって得られるにせよ、知能は単に多様性が認められるだけだから単一指標で賢愚ははかれない。少なくとも何らかの属性から知性を知りえない。フェミニストの文脈とまったく別に、女性の博士だの偉人が沢山いても何の疑問もないし、賢さ全体と学歴も特に何も関係がない。ひいきの順位が 男性の弱者<女性の強者 となってしまうのがフェミニズムが偽善的なところ且つ弱点なわけだが、この男性の弱者を擁護する研究領域は、まだ存在もしていないし言葉もない。マスキュリズム(masculism)でもないだろうし。しかしこの研究領域がカバーする人達が日本で最弱の立場だ。IQが低く、生まれつき醜いとされる姿で、力もなく、ひたすら貧しい。しかも何の才能もなく、能力も低い。フェミニズムはそんな男性が自殺寸前まで追い詰められていても、性差別の文脈から、圧倒的に恵まれている女性をひいきしてしまう。自己責任論とか、男性全体を非難するという実に単純な図式で。
 またある人が次の様な事をいった。肩書きで何らかの意見の説得力が増すと。これは後光効果を利用するという意味だろうが、真理の敬虔さからいえば本当に卑俗な次元の話で、属性で差別する愚物からの賞賛が真理の保障でないのはいうまでもないので、衆愚受けを真理と比較するのは全く無益有害だ。我々が天道説に反対を唱え死刑を求刑された者とか、全国報道とか京大学閥だのといった腐った学界から真理の弾圧を受けた者を知っている以上、肩書きによる説得力云々といった学の俗用を中心に、真理の頂に向かって歩いているとするなら、誠におこがましい態度というべきではないだろうか。色々な理由で、学を志す者は集団で、或いは個人で研究する。全く無冠の浮浪者が聖哲でもありうるし(実際、当時のインド哲学の総合的批判者として釈迦がそうだったよう)、仰々しい大学順位の頂上を極めた教授が単なる張子の虎だったりもするわけだ。重要なのは真理であり、それを知る工夫である。真理を知る、という唯一の学の目的の前で、性別など当然だが全く意味をなさない。一体、学界でフェミニズムだか性差別があるといっている三文学者は何を指していっているのか全く分からない。教授のポストとか世俗的なことに関してしかそんな下世話な事例は当てはまらないと思う。真理に性別などない。
 私は「イケメン」という意味不明な渋谷くんだりの俗語を日用してる人間は下品なやつだなと思って前から軽蔑してるのだけど、こういう男性を特定の性差偏見にあてはめ差別する用語を平気で使っている時点で、女一般の方が性差別は激しいと感じている。男で女一般を二分なんてしない。イケてるというのが、先ず関西の意味不明な俗語であり、つぎにイケてるメンズの略といわれてるわけだがmen'sは「男物」という意味の英語であり、男性達という意味ならmenである。だから イケてる+男達 ならイケメンになるが、どうもこの俗語を使ってる馬鹿は意味もわからず使っているらしく、メンを面という意味にしているらしい? イケている+顔 という意味でイケメンといっている人(大抵は表面だけ上品ぶっている女とか、要するに育ちの悪い下衆女が殆どだが)の場合、当人がどう言い訳しても異性を顔だけで評価しているわけだし、しかもイケメンとそれ以外に二分する差別語を堂々と使っている時点で人間的にはダメ人間だろう。
 一体、男で女を見た瞬間「美人!」等と面と向かってといって、相手に失礼だと思われない人がいるだろうか。日本女の下衆な部類はこれを日常的にやっている。だから自分はそういうやつらをみるや心から軽蔑しているのだが、当人達には恥を感じる能力もなければ、そもそも礼儀も何もあったものではない。男性一般「のみ」が性差偏見をもっているだのなんだのといっている愚か者は、本当に女性一般のそれと比較検討したのだろうか? 自分が知る限り下品さでいったら日本女一般のもっているそれの方が、自分もその一員でつぶさに観察してきた日本男一般のもっているそれより激しいし、汚いのだけど。
 日本男で女を見た目だけで評価する様な下衆は、確かにいるにはいるが、男一般からいったら本当に下等の部類で、確かにそういう軽薄な人間はろくな相手とめぐり合えない。当たり前の話で、性格とか心の価値より、顔の表面のつくりだけで相手を評価してるのだから、作り物やまがい物をつかむはずだろう。フランス女性だのノルウェー女性だのアメリカ女性だのと会話した限り、ただの一人も、貧しい芸術家を見て差別してきた人はいない(運がよかっただけかもしれないが)。なぜなら欧米女性は自立が前提だから男性の経済力なんて別に気にしてない。日本女一般は真逆で、男に寄生が前提で、差別しまくる。嘘だと思うならあなたが今日、画家を名乗って一円もありませんといいながらそこらの日本女と接してみるがいい。当たり前の様に差別してきて、初対面で死ぬほど侮辱してくるのはいうまでもなく、はっきりいうと、東京圏・関西圏・愛知県など大都市部では男をATMと思っている本物の下衆が殆どなほどだ。日本女のかなりの部分(少なくとも東横・関西・愛知など大都市部の女一般)が男を寄生先としてしか見ていないとんでもない偏見もちなのに加え、イケメンなどといいながら見た目で人を差別しまくっているのが日常なのに、どこをどう現実認識をゆがめたらジェンダーバイアスを男中心に考えられるのか。どこの大学のどの教授がばかだというつもりもないけど、肩書きに騙されていると大変なことになる。まあはっきりいうと欧米かぶれで象牙の塔にこもってるかぎり現実の日本社会は何もわからないし、各地域、各クラスター、各個人でも全然違う。先ず日本人男性を顔で差別する蛮行を非難すればいいのでは?
 世界の人達と接した限り、まあ海外女性も男を見た目で選んではいるけど、日本女一般ほど露骨ではない。これは確かな話だと思う。日本女一般は「イケメン」差別が当たり前と思っており、男性を見た目で先ず二分し、そこでふるい落とすので、男性の見た目がよくなかった時点でゴミを扱う様にするのだ。正直言って見た目で人間を先ず全面的に評価してるという日本女一般は、下衆としか言いようが無いと自分は思っている。だからその点では全く尊敬もできないし、心から軽蔑している。現実に外人と接すればわかる。そんな馬鹿はどこの国でも見ないのであり、いたとしても最下等の堕落した女とかなのだ。
 人類は先ず或る人間が生きている、その人の心を含む全面的な存在として愛していたり、接していたりする。当たり前の話である。日本女一般はどうでしょう。全くそんなことはない。そんな日本人男性がいるでしょうか。いたとしてもどうしようもない軟派男くらいではないでしょうか。日本女一般の凄まじい性差差別っぷりは、本当に無限にあって、自分は内幕を相当みてきたから全部暴露してやろうと思うが、はっきりいって野蛮としかいいようがない世界である。逆に私は男子校だったので男性のみの社会もみたけど、こっちは進学校だったからか知らんがそんな差別全然なかった。本当に。
 日本女一般は、(都会女一般は)男をATMとしてみている、或いは見た目だけで差別するといいました。それだけではない。学歴で知性を単純化したり、身長で即座に差別も平気でやっている。高学歴=賢い、とかいう笑えるほど単純な図式を当然視し、そうでない男を燃えるゴミ扱いしているのは本当だ。日本女一般というのは、男性をなんと、人間としては見ていないんですよ。信じられます? 私は色々その事例を内側からみてきました。なんと男性を性的満足を与える動物かPCか何かみたいに扱っていて、普通に人間として愛していないんです。知ってましたかこれ。のち英語で世界に発表したいと思います。多分何か下らない東京の雑誌に煽られているとか、周りに見栄を張る目的で、訳のわからない差別だの偏見を日本男にあてはめまくり、もうそれが狂いすぎていて当人達も意味がわかっていないのだけど、とにかく性差差別がとんでもなくある。逆に差別がよくないなんて考えはひとかけらも無い集団なのです。現実に日本女性の一員が、日本女集団の中で「え、見た目でいうのって差別じゃね」とか言ってみて御覧なさい。0.1秒で排除されるから誰もいえない。とんでもない虐めクラスター。でもそれが普通とか思っている世界なので、抜け出せない地獄じみている。とかく周りに合わせて馬鹿三昧しなきゃいけない。
 今書いたことは日本女一般が持っている性差差別の本当にごくごく一部でしかなくて、現実にその中で生活してみたらわかるけど、野蛮なんてものじゃないほど酷いのだ。そこに倫理など全くない。嘘ではなく。性差差別してるのは日本男だ、というのは嘘八百で、現実には倫理を語ってうざがられてるのだ。
 さっきも少し書いたけど、逆に日本男一般はどうかというと、自分が接してたのが進学校の人らだからなのかもしれないけど、女性への差別なんて全くない。男だから性欲くらいはあるのかもだが、それだけの話で何の陰湿な部分もない。ごく単純で、しかも僕みたく女性をプラトニックに愛する場合さえある。確かに下衆男も沢山いるだろうから、そういう連中に性差偏見がないとは全然思わない。女をただの性行為の相手みたいに扱っている下郎は東京や関西の都会に多かったようだけど、それは雑多だからだろう。だが男一般で女性を見た目でいきなり差別とか身長で差別とかしてるのは、ただの最下等の部類だ。自分が実体験として知っている範囲でいえば、性差差別をより激しくもっているのは日本女一般であって、日本男一般ではない。これが経験的な事実である。先ず属性で差別を恥じないのは日本女一般であり日本男一般ではない。次に異性を典型的性差にあてはめないとつきあえないのも日本女一般でしかない。日本男一般は女が超高身長だろうが醜貌だろうが全然家庭的でなかろうが、或いは貞操だろうとあばずれだろうと、普通に魅力を感じるしそういうものとしてつきあうと思うけど、日本女一般は男が高身長で美男子で高学歴かつ高収入で、しかも遊び人か自分にだけ愛を誓っていないと即差別しているのである。
 上述のことが嘘だと思いますか? 周りの一般日本人に聞いてみていただきたい。この通りだと思います、高確率で。ということは日本女一般の性差差別の方が、日本男一般のそれより激しい。フェミニズムなんて日本では全く質の違った議論にしかなりえないんですよ。さらにここに書いた属性というのは全部、心の価値以外のものである。性格のよさ、人格としての相手の全的存在とか、個性というのは、日本女一般の中では基本完全に無視されていて、人と人の付き合いになっていないんです。非常に軽薄で人を馬鹿にした扱いをしていて、人を人として愛していないのです。
 なぜこの様に日本女一般の性差意識が歪みきってしまっているかというと、幼児の頃から色々な媒体、特に東京発の軽薄で低俗なサブカルチャーだのマスメディアだので意識が洗脳されてしまうのでしょう。彼女らの妄想の男性像は全部、都内の会社員の理想化された姿になっていて、それ以外のは差別すると。みてないから定かにはいえないけど、『君の名は』はまさにその種の洗脳装置であり、大衆商業映画としてますます日本女一般を完全に性差偏見で丸めきろうという意図しかもっていないと思われる。
 だから海外で、その種の東京系洗脳を受けていない人達は、普通に男性を個性ある存在として受け入れる。日本男の中の下衆を擁護は全くしないが、日本女一般の汚さ、心の卑しさ、品性下劣さ、性格の醜さ、まあ形容しようもない野蛮さというのは、いずれ世界中にきちんと知らしめる必要がある。これは国内で性差差別を激しく日常的に経験してきたからではなく、純粋に誰かが記録しないと現実を知れないから。世界中の人々は、日本の内情について何もしらないので、マンガアニメで描かれる性的偶像としての貞淑だかあばずれだかの日本女性と、現実の陰険かつ下品で野蛮きわまりない日本女全般の性格の余りの違いに驚愕するに違いないのだが、現実をきちんと教えることなしには永遠に日本を誤解するだろう。色々日本女らがどういう言行してたか思い出したら吐き気が止まらなくなってきた。本当に醜悪な心の持ち主が多いのは事実だ。勿論、全員が完全にそうではないにせよ。
 問題は見た目でなくて心の醜さだ。何百何千とみた日本女一般で心が美しいと思った人は数人しかいないくらい酷い。外人は着飾ってもなくても心が素晴らしいと思ったのがごろごろいた。見た目よくしたところで中身が腐ってたら人としては扱われないのは当たり前。気にする所が断然おかしい。

日本の美術批評は業界人の出来レース

茂木健一郎氏が「現代美術と批評は切っても切り離せない」といっていたけど、これは欧米美術の話で、日本にその種の美術批評は無い。あるのは仲間内での出来レース的な、同業組合間の政権闘争で、『美術手帳』という雑誌を中心として人気を捏造する運動と、日本芸術院を頂点とする公募展団体しかない。日本の美術界は欧米とは全く違っていて、サブカル批評会みたいな異端なのはある(東一派)けど、いわゆる美術批評という言論界はない。美術手帳にのってる批評の質は欧米の後追いで、日本機軸に考えられていないから、批評と制作の無限連環の様な欧米的なしくみにはなっていないのだ。では欧米美術が公平な世界なのですかというと全くそうではなくて、むしろ日本よりはっきりルール破りが合理化される歴史の積み重ねで、異種格闘技戦みたいになっており、しかもルール自体が頻繁に変更される。日本のよう根回し一本でなく理屈で横槍とか場外から違法行為で割り込むなど何でもありだ。
 要するに日本人は単純に卑怯(別の言い方をすれば狡猾)だが欧米人は甚だそうなだけでやっていることは変わらない。権威づけのため巧妙な理屈をつけている、という欧米ルールの格闘に近いほど知能の高い人物が日本側に殆どいない(村上隆氏くらい)だけで、別に日本と欧米で土俵が違うわけではない。日本で『松林図屏風』を描いてた等伯が、西洋の風景画家と全く違う文脈にいたとしても、独創性の点で隔絶した意味をもっているよう、絵の土俵は普遍的なのだ。現代美術を欧米基準に考える、欧米中心主義が近代の教義に過ぎないのであり、ある表現を裏付ける論理的構成は必須要素ではない。日本の美術界が欧米と違う、論理的秩序がない、根回しほぼ100%で客観的実力が加味されない、保守的で進歩や革新は異端として排斥される、あるいは東京圏など大都市でサブカルチャーがハイカルチャーよりでかい面をしている、これら自体は単に文化的な差があるだけだ。泥中の蓮が日本画だ。この淀み、「悪い場所」を嫌う作家は、普通に海外で活動するか、さもなければ異端扱いを受け当時の美術界から完全無視されながら若冲みたいに、個々人で活動する。裏を返せば、日本美術界に堅固な腐敗と役得があればこそ、浄化された独創性が外部者の中に次々生じうるともいえる。腐敗は腐敗だが。
 印象派はサロン(公募展)という腐敗した業界に排除された若手の集まりだったし、五浦派も欧米模倣の芸大から排除された若手の集まりだった。日本画壇がその後、日本政府と癒着し、既得権益化し腐敗してしまったとしても、当時、腐った業界があり反発する純真な若者がいるのは、西洋でも同じだ。

遺伝子組み換え食物は米某企業の利権

遺伝子組み換え安全厨(某メンタリスト)は堤未果『(株)貧困大国アメリカ』読んだら非科学的と一蹴するのだろうか?

反証は真理の保証ではない

反証主義は科学哲学の一つの考え方であり、自説の反対証明が不十分なら単に程あれ誤りを含む仮説を唱えてしまう可能性が高い。反証自体が無限なので、自説に反するデータを探し続ける限り永遠に正しいといえず、どの自説も公表できないからだ。つまり自分で不可能な反証過程を外部化するのが自説発表。

2019/04/12

美術とサブカルの境界線を崩すと下衆が蛮行してくる

あいトリモブの一人だった、いきなり誹謗してきた人のアカウントを追ってみた。北海道かどこかの無職のおばさんで、本当に愚にもつかない日常をツイートしていて、性格の悪い人物みたい。そういう取るに足りない人が、美術のことなんて何も知らずに、いきなりきて誹謗して逃げているらしい。結局、美術(ファインアート)クラスターは本来、知識人と親和性の高い分野だから基本的礼儀をわきまえた程度の人しかいなかったというか、モブとすみわけていたが、あいトリ2019のキュレーションがその壁をぶち壊し明らかにマンガ・アニメ・政治クラスター等の完全素人の愚物を招き入れているらしい。
 やはり自分が指摘したよう東浩紀一派(東スクール)が、村上隆スーパーフラット理論や動物化ポストモダン論の延長上で、美術とサブカルチャーの境界崩ししていて、実質的にその刺客として津田大介氏が機能しているのだろう。自分はたまたま通り一遍の批評をブログとツイッターにのせてて巻き込まれた。美術自体ではなく性別比1:1に強制するとかいう小学校学級会レベルの低次元な紛糾に煽られてよってきてる愚民なんて、知的水準からいえば最初から本当に構う価値もない連中だった。まさか東京サブカル勢(東一派)と迎合的愛知県の力関係という背景事情があるとまでは洞察できず、被害にあったのだ。サブカル・政治・報道クラスターが美術批評なんて寸分も理解しないのは当たり前だったのに、自分はそれに気づかず、普通の美術展と同質の月並み論評をのせてたから、津田氏の返信にぶらさがるモブに体当たりされたのだ。
 一週間くらい時間無駄にした。無視すればよかった。報道関係者なんて最初から三文判みたいなもんだな。
 もう死んでも記者だの報道関係者には関わるまい。
 そもそも「欧米思潮であるフェミニズムを(日本は女性の幸福度が男性より世界一高い、男性の自殺率が女性の2倍以上等の国内の文脈を無視し)直輸入するのは、西洋画(洋画)と似た文脈をもっている」と、有体な美術論しただけで、衆愚(論旨を理解していない)から様々な誹謗受けるって信じられない。クラシックのコンサートに、モッシュがどうとかいってるパンクロックじみたモブを連れてきて顰蹙買ってるみたいな話でしょ。「アファーマティブアクション」とか横文字使って、無関係な作家になれなれしく話しかけるや中傷はじめる馬鹿までいるし。スーパーフラットって本当に迷惑で有害な理論だな。確か村上隆がヴェルサイユで展覧会した時も抗議のデモ見たな。あれも同じ様な被害受けた人がいたんだろうな。

ゆとり機械

入学と就職葬式ゆとり機械

食べるのは性を含め精力をつけるため

さっき生まれてはじめて食べる意味がわかった。たべまくると元気が出るということらしい。今まで知らなかった。いつも母親から過剰に量だされて食べるの辛い辛いと思って嫌いだった。
 結局、食、性、睡眠等の基礎的欲求を十分満たす為にたべていたのか、他の人達。
 35年間、全くたべる意味がわからなかった。が、渋沢栄一の逸話で精力絶倫と書いてあって、性欲と食欲が近接しているのかなと考えながら、元気なかったからとにかくあったものをたべまくったら、なぜか知らないが意味が完全にわかった。もっと早く気づいていれば、精力的に生きる為もっとたべたんだが。とにかく子供の頃から母親からもっとたべろたべろといわれて、たべたくもないのにしょうがなくたべていたから、食事する意味が何もわからないままそうしてきたのだが、精力的に生きる、しかも性を肯定して生きる、という目的があると最初から教えてもらってたらわかったのに。
 今日から私は別人です。
 そもそも性を肯定するという考えが全く思い浮かばなかった。渋沢栄一の逸話のおかげで完全に理解できた。学校ってほんと本質は何も学べないね。多重コピーだから色んなものが劣化しまくってる上に、元の学習先そのものが愚かなんだろうな。自分の力で学ばないと何も知れない。

人の性格を見抜ければ社会で道を誤らない

やっぱり某サイコパス女について思い出すだけで吐き気してくる。よほど相性が悪いに違いない。ある人の言動を見るだけで吐き気が止まらなくなるほど醜いって、この世で2人しかみたことがない。一人は某女性作家、もう一人はあるサイコパス女だった。
 心の醜さって、何らかの悪徳や悪意が結晶したもので、しかも野蛮さに限りなく近い何かだ。それをみるだけで吐き気が止まらなくなるほど醜悪で、とにかく卑しさを極端にしたものだ。世人はまず人を見た目でしかみていないらしく、心の姿を感知していない。ところが自分はまず心からみる。だから一度も見た目を見たことがない人とでも長い間つきあっているし、それで何の痛痒も、不都合も感じない。そして自分からみて醜悪なのは、そのあるサイコパスの心の質だ。漫画家は女の外見だけ描いているから内面を殆ど描写できていない。それは実に皮相な見方だ。特にオタクらは性的価値としてしか女体を評価していない。人として重要なのは心なのだから、その価値の高下を何らかの形で批評する作品がよい作品といえるだろう。見た目がどうあれ中身が腐っていたらそれは腐っている。人も同じだ。中身が腐っている人間で、見た目だけ着飾っている時、余計心の醜悪さが際立ってみえてくる。逆に見た目が地味でも心が輝いていたらその人は尊敬すべき貴人に見えるはずだ。俗人の世界では逆なのかもしれないが。
 聖書がいうとおり、若さに相応している見た目の美は失われるが、心の美は失われない。だから貞徳を磨くべきだと書いてあるが、実際、心のうつくしさのゆえに尊ばれている人がいれば、その人にとって加齢は恐怖よりむしろ成熟の目安になるだろう。人徳は容貌より高齢化社会にとって重要な価値なのだ。
 性格の悪さは、知能の一種の質の低さなので、あたまの悪さの一種ともいえる。ところが性悪自身はこのことに気づかない。賢愚は単純な人の中では何らかの学校の試験の結果、IQ、もっと単純に競争試験の入試結果などという風に矮小化されている傾向にある。だから性悪が自称賢い場合も、非常によくある。性格が極めて悪い人は結婚市場では不人気なので、離婚するか独身のままになり易いとして、この種の性悪は対人関係知能が低いといえるだろう。だから賢愚は一律化できないのである。一流大卒だろうとIQが150近かろうと物理学の権威だろうと、性悪は当然存在し、それはおろかさの一種なのである。逆に、私がしるかぎり自閉症でIQが知的障害付近だろうと、性格がとてもよいという人がいる。この人は性格的知能、対人関係知能の一部において、一般人より遥かに賢いのだ。一体、人間関係でどうふるまえばうまくいくのかを注意深く学んだ結果かもしれないし、生まれつき共感的で性善なのかもしれない。共感的知能とか相手の立場にたって物を考える能力は、しばしばIQと正相関し易いといわれることがある。だからリベラルなほど高IQな傾向があると。だが現実には全てがその通りになっていない。そもそもIQは論理的思考力の精神年齢が同年代より若干高いという程の代物で、性格的知能と関係ないのである。IQと共感性に擬似相関がみられる原因は、論理的な類推力によって相手の置かれている文脈を読み取れる場合があるとか、主として教育の中で対人経験をより早く他人から学び易いといった別の側面があるだろう。それでIQと共感性には、基本的に因果関係はない。共感に由来した性格のよさも同じだ。
 結局、人として社会生活を営むに際し、対人関係知能の中で性格のよしあしがきわめて重要になるので、この点で非常に劣っている人間、或いはもともと良心の欠如したサイコパスなどの場合、その種の愚によって人間関係から幸福を得られないとしてもなんら不思議はなく、その他の賢さと関係もないのだ。そもそも性格のよさは社会適応の為に作られた心の働きだろうから、もともと典型的な既存科学の履修を主とした昨今の学業成績ではかれないが、対人関係で幸福を得るため最も必要な特性だ。だから甚だしい性悪をみると我々は実に気分を害するのであり、その人が大金持ちでも美人でも、変わらないのだ。
 性悪は社会に有害な影響をもたらすと予想されるからだし、実際に自分が被害にあう可能性も十分に見通せるし、しかもこの悪性者が力をもっていたり、見た目だけ優れていたりすれば、余計多くの人々を騙せるので悪疫が甚だしくなる。私が吐き気がする程その種の性悪に嫌悪を覚えるのは全く社会的反応だ。世人は性悪に簡単に騙され、金を貪られ、地位を奪われ、名誉を与えてしまう。彼らは肩書きや見た目といった外形しか見れないからだ。それで性悪達から悉く利用され、使いにされ、時には冤罪にかけられ自死に追い込まれていたりする。私はその現場をみてきたし被害にもあったから、余計、気分が悪い。
 心の価値、性格のよしあし、対人関係知能の質、いわゆる人徳を見通せる者でなければ、社会の中で幸福を得ることもむずかしい。また高い地位にふさわしくない悪性者を就けてしまう甚だしい公害を避ける為にも、私程一般人は人徳を見抜けないのだから、私のよう敏感に心を察知する者の意見を聴くがいい。

修行

勝ち負けで殺されて行く人類
下らない女が下らない男に発情する下衆な姿
会社員が群れながら無職を差別しまくる
自称賢い学歴馬鹿が蛮行三昧
邪教祖にたかる衆愚
金に魂を売った豚
小学生のふりをし愚民を洗脳する右翼
宇宙から見ればけし粒大の星の上で
一体こいつらは何をしている
死ぬまで必死で踊り狂い
他人を傷つけ搾取し虐げながら
偽りの誇りを得る為うそばかりつく
サイコパス、ダークトライアド、極悪人
この世に溢れた人類の尊さを拾う為に歩いて行く

お札の富士なら大観の『群青富士』がよい

北斎がいい絵と思ったこと先ず1回もない。特に『神奈川沖浪裏』は欧米人のオリエンタリズムの目に適ってるだけで、はっきりいって駄作だと思う。なぜ欧米人に評価されたらお札の裏面になんてするのか。本当にいい絵だと思ってやっているのか。『神奈川沖浪裏』は波の表現が大げさでわざとらしく、構図も人工的で嘘っぽいし、富士山もいかにもとってつけたよう遠景に配置するなど全体として演技じみていて自然さが微塵もない。当人は劇的表現の為にデフォルメしまくった末にああした様だが、自分は何も感動できない。嘘ついてどうすると思う。
 欧米人の中でも馬鹿な部類の人間が、日本といえばゲイシャ、フジヤマ、異国情緒のする奇妙な世界だと思っているだけの絵が『神奈川沖浪裏』だ。オリエンタリズムに媚を入れる。そんな下衆な文化的態度でいいと思ってるのか、日本政府。自国の誇りはないのか。純粋に欧米よりよい絵なら沢山あると思う。
 自分が浮世絵(浮世絵自体が庶民向けの、分かり易い低俗表現なのは確かだが)で一番いいと思うのは広重『隅田川水神の森真崎』。以前これを流用して色変えた作品作った。未発表だったから今のせる(『筑波山』)。同じ浮世絵でも、『隅田川水神の森真崎』と『神奈川沖浪裏』は全く表現の質が違い、自分が見る限り前者は近景遠景の表現も正統的で非常に美しく自然な上に主題になっている筑波山自体も美的に描かれているが、後者は富士も波も人も全部作り物で嘘臭く、何もよいところがないといってもいい。
『神奈川沖浪裏』が名作といっている人は何も見ていないのではないかと思う。自分は何度もいうが駄作でしかないと思っているし、実際にそうだろう。浮世絵はもっとまじめでしっかりとした表現のものも沢山ある。この作品はただの悪ふざけの部類であり、漫画的表現でしかないのだ。北斎『神奈川沖浪裏』のパロディとして、自分は『茨城沖浪裏』を去年というか数ヶ月くらい前に描いた。抽象的な理想画表現で波の表情やその感覚だけを抽出した。しかしこれは北斎の表現が不完全だからこうしたのだ。北斎はわざとらしく人形とか小船、(いかにも外人好みの)戯画化した富士、明らかに現実の形ではないデフォルメした波などを配置し、人形遊びじみた漫画を描いた。がここで本当に描かれるべきなのは波自体のもつ力、迫力、温度、飛沫の香りや激しさではないかと思う。だから自分はそれだけを抽出した。
 お札のデザインを政府の誰が決めてるのかさっぱり知らないけど、外人に媚び駄作をお札にするとか、本当に絵をなめてるのではないかと思う。幾ら世界中の外人がこの『神奈川沖浪裏』がフジヤマ、ジャパンといってきても、「は?」としかいいようがないのだが。「こんななわけないでしょ」で終わりだ。まあしいてよい点というか計算高く構図が考えられていて、波の崩れる先に富士を配置したり、波のカーブ・雲・船などが円弧で同じ波にかかる、いわゆる視線誘導の工夫があるのはわかるけど、これは本当に初心者的なもので、そこらの予備校で習うレベルの話だから「で?」で終わりなのだが。
 政府の中に(自文化中心主義にふける京都文化庁も含め)ろくに絵画芸術の研究してる人がいないということはこの作品選んでる時点で確かとおもうけど、それじゃあちゃんとした専門家(いわゆる芸大なんちゃらの肩書きとかではなく)に依頼して欲しいと思うのだが。お札。日本として二流の設計なので。まあいってみれば、本当に一流の設計になっていたら、私が見た瞬間に「これは素晴らしい」となるわけで、他の人もきっとなる。そうなってないというのは美的にみて二流三流のできばえなわけだ。しかも貧者の一灯をさらに薄める目的含めてアベノミクス清算増刷なので、デザインくらいこだわって欲しい。
 お札のデザインなんてどうでもいいと思うかもしれないが、そんでキャッシュレスの電子通貨にきりかわるとしても、文化的産物としては半永久的に歴史に残るんだから、本気で設計し、全人類に向け未来永劫、誇りを持てる代物にすべきと思うのだが。本気でデザインして北斎です、『神奈川沖浪裏』が外人の評価が高いので。配置しました。オリエンタリズムな日本像にぴったりですと。だからあなたの税金増刷これで納得でしょ? と。私はそもそも北斎が下らなくて好きじゃないし、当該作品も駄作と思う上に外人評価が主とか二重三重に気に入らない。
 よく考えてみて欲しい。浮世絵って今で言えば漫画であって、いわゆる日本画としては正統的なものではない。庶民が包み紙にしていたものだ。それを行き詰っていた後期印象派のパリ人だかが状況打開の為に、デフォルメの模倣先にしていました。だから日本人で認められた絵と。それは自国の文脈じゃない。日本政府はなぜ格式の高い日本画表現が沢山あるというのに、敢えて庶民による庶民の為のばかでもわかる浮世絵の中でも、しかもフランスの後期印象派の人らによってフランスの美術文化の参照先としてのみ評価されたという文脈にある作品を、敢えて今、お札の裏面にするのでしょう? 考えてるのですか? 外人に媚を売ると。それは既に下品な振る舞いといえましょうが、おもてなしが裏返って今度は外国人主導ですと。フランス人がフランス美術の為に褒めたら、日本の美術批評の文脈無視で、こっちが傑作ってことにしますと。明らかにこれはおかしいと思います。誇りある国の態度とはいいがたいと思います。葛飾北斎という人が現実にどういう人だったか私は直接会ってないからわかりません。しかし『神奈川沖浪裏』を見る限り、まあ俗受け狙って下らない要素を沢山込めてるのはわかるので、実に低俗なところがありますよ。その精神に誇りを感じるかといえば、商業のために実にご苦労なこったとしかいえない。まあこういってはなんですが、町人の中で起きた商業大衆美術の運動が浮世絵とか春画とかだったわけで、そこに高貴なる精神があったかといえば、あまりそうともいいがたい。売れなきゃ直ぐ廃棄みたいな安っぽい版画で、ゴミ扱いされていたと。新たな印刷美術として安価に大量生産できたのは分かるけど。『富嶽三十六景』『名所江戸百景』。風景画のシリーズとして、私が今あげた2つの作品が含まれている。ポップアートとか印象派と比較して、版画による風景画を大量生産していた、大衆美術としての先駆性があると。意味はわかるんだけど、じゃあ純粋美術は? となるわけだ。やはり低俗な国なの? と。
 ではあなたは何をお札にデザインするつもりなのですかと。私は大観の富士『群青富士』がいいと思います。近代日本画は、明治の衝撃の中で欧米美術に対抗し、朦朧体から琳派へと日本独自の表現を模索していた天心の弟子たち(五浦派)に始まり、現代日本画まで命脈がつながっている。その最高峰がこの作品であって、大観は初代の文化勲章受章者ですが、様々な表現を探求した中で、最終的には象徴化された富士の、装飾的表現にたどり着いたと。その最高傑作がこの『群青富士』であって、シンプルな絵に見えるが一見して富士と分かる上に、ひときわ高い崇高な日本精神を表していると。確かに富士という主題は、日本文化の中でも最古の『竹取物語』の最後に出てくるところから、遥かに時代を経て大観、そして現代人まで日本で最も高い山としてまあ外人がいうとおり、象徴として仰がれてきたと。その主題は北斎も扱っていたけど、同じ主題でも、大観は比類がないのではないかと思うけど。
 寧ろなぜ富士をお札の絵として選ぶのに、大観以外から選ぶのかがわからない。北斎の富士の扱い方は、完全に戯画的な遠景として神奈川の位置を点景として示す脇役だけれど、大観のそれは一つの主役で、しかも日本精神の象徴としての扱いである。実作みたけど、これは日本美術では一つの最終形態です。まあ『神奈川沖浪裏』は色々余計な要素が入っていて、一体何が言いたいのですかと分かりづらい。驚かせたいの? 波の怖さ? 何? って感じだが、『群青富士』は無駄が極限までそぎ落とされ富士の崇高さ以外何も示されていない。しかも金以外の背景もなく、一見して崇厳さが伝わる。絵の質が違うと。
 日本政府が私がここで言ってることを読むかどうかわからないが、ほんとちゃんと絵を選んだらいいと思う。外人は北斎みて、アメリカでいえばキャンベルスープ缶とかフランスでいえばムーランドラギャレットみたいなイメージでオリエンタリズム強化する一方で、日本人が猿回しの猿になるだけと思う。しかし改めてみてもこの大観の『群青富士』はとても素晴らしい作品だから、みなも実作見た方がいいと思う。前、国立博物館で見たけど、これより典型的に日本美術を象徴化している作品というのも先ずみあたらない。正統中の正統というべきでしょう。琳派までの全日本画の要素を完全に昇華している。私が現物を見たのは『群青富士』とよく似た『雲中富士図屏風』だった。でも『群青富士』の方がよりよく抽象化されてる様にも思う。

2019/04/11

サイコパスの悪業三昧には同情の余地があるのか

ある自死を望むといっていた人がサイコパスで、何度も慈悲深く接する自分を裏切って悪業三昧している場合、この人に同情の余地があるだろうか。自分はこの人に世話したり身近に接した結果、この世には本物の極悪人というのがいて、その様な人間が死を望むのは業なのだとわかってしまった。世人は死の願望がある人に同情するかもしれない。がその人自身が悪業三昧している場合を想定していないのではないか。
 また私は別の人が自殺願望をもっていたので、救済しようとした。こちらは同情の余地があったし、報いもあった。
 業として救われるべき人とそうでない人がいるのではないか。
 単に自死した人というだけで世間は彼らに同情しがちである。現実にその様な状態に至るまでの経緯を詳しく追っていくと、確かに悲劇でしかない場合と、完全に自業自得でしかない場合、その中間の場合がある。人を助ける際にも、相手の業を詳しく見ていく必要がある。逆に救うべきでない場合さえあるのではないか。

生死いずれかに執着するのは中道ではない

(西村玲氏について、乞食でも生きていれば仏教学が「役に立たない」学問と証明せずに済んだと述べるツイートへ)
西村玲氏の著書は全く読んだことないからどこまで釈迦自身の考えを知っていたかしらないが、原始仏教は生死の超越(解脱)を目的としているから、積極的自殺は死に執着している点で中道ではない。勿論世俗的な生への道具的価値(役に立つ)は、涅槃(解脱後の境地、無欲)の前では意味をなさない。

筑波山







筑波山
2019年
JPEG画像
各400 × 600 px
作家蔵

労働者の分析

きのう、あるきっかけで、世間がどういう考えをもっているかについて、学問・学歴について少し聞く機会があった。それでわかったのだけど、はっきりいって世間の俗人が偉人になれないのは当たり前だと思った。考え方からして本当に凡愚としか言い様がないもので動いているらしいのだから。
 俗人に標準をあわせてそれに迎合していたら永遠に進歩はない。勿論その下俗な水準の幸福しか得られないし、それ以上の世界を知っている人から見たら、それは本当にとるにたらない一生だといえるだろう。物事の標準は常に、自分より優れた人に置かないといけない。
 自分がみた労働者達ってインターネット上で差別をまきちらしたり、匿名で悪業三昧してばかりいた。そして彼らがどういう考えでそういう生態を選んでるかも少し聴いたけど、単に流されてるだけの雑魚みたいだった。彼らの中にまともな人間が一人もいないとしたら、それは普段の業が悪すぎるからと思う。労働者の分析が必要だ。一体彼らはなぜ資本主義を信じているのか。その構造の中では最も不利な立場の筈なのに。社民主義とか共産主義は、自由主義より労働者達の生活向上を優先する考え方だが、現実の労働者の生態を調査分析していくと、はっきりいって同情に足らない部分が沢山でてくる。因果応報というか普段から浪費する、目先の誘惑に弱い、動物の様に理性がなく直ぐ繁殖・交尾してしまう等。
 労働者全般は自分で考える能力がない。だから上司の命令に従って行動したがる。またほぼ本能的に群れたがり、周囲の多数派に同調したがる。ファシズムの温床としての他人志向型の孤独な群集。大企業社畜か政府公僕が理想の人生で創造性は皆無、機械人間のよう一流大卒で繁殖死亡まで型にはまりたがる。労働者の世界では型に完全にはまった機械人間が模範になっていて、彼らの中では選良(elite)といわれている。AIの方が得意な論理的作業を効率よくこなす人間で、心がなく、或いはひたすら女遊びをしている人間の方が優れていることになっている。商人層の中では金を儲け女遊びに使うのが正義なのだ。非常に大まかにいえば、江戸時代の大坂・江戸での町人階級、商人の生態が、そのまま、現代の東京圏や関西圏、愛知県の労働者に踏襲されている。そして彼らは一般にその生態を全く同じく子供に履修させる一生を理想視していて、本当にロボットの様な、量産型の考え方をもっている。ところがその量産型労働者達は、インターネットでは匿名になり、多くの悪業をやり尽くしてきている。逮捕されない限り悪業の底を抜いた行動を群集でする、というのがこの労働者達の行動原理で、完全に悪意でやっているのだが、反省はしない。なぜなら彼らにとって群れることの優先順位が最大だからだ。
 社民主義や共産主義は、この種の多数派を占めている労働者達を中心にした考え方だが、当の労働者達には全く人気がない。なぜならGHQや皇室から洗脳され、これらの考え方は悪だと思い込まされているからだ。逆に労働者らは、資本家、経営者、皇室、米国人に有利な自由主義や資本主義を狂信している。
 今述べた所が労働者全体の全生態といえるが、既にわかっているよう現代の奴隷階級といっていいだろう。そして愚のままにされている、もしくは自分で愚にとどまろうとしているから革新に至らないし、金持ちにもなれないし、保守的に現状維持のままでいるわけだ。そして労働者間で差別しあっている。労働者全体の中で出世できるのは全体の一部だからいわばレッドオーシャンで競争していて、殆どは経営者にたどり着けない。起業家は金持ちになるためこのラットレースの外から資本主義に再適応しようとした人だが、そこで成功すれば確かに資本家にもなれる。公務員は先ず年功序列でろくに出世できない。総じて、労働者達の置かれている立場は、商業界の中でも最下等の存在なのだが、学歴とか企業名とか勤務地とか給与で、その仲間の中でどんぐりの背比べしているわけだ。さらに彼らは非正規雇用とか無職ニートなどの概念を差別に悪用し、自分の合理化に使う。まあこの時点で救われる余地がないと思う。
 政治家は理想主義者と現実主義者がいて、理想主義者の代表が共産党と社民党で彼らは素で労働者の生活向上をめざしてるのだが、当の労働者の方は暗愚すぎ、搾取してくる皇室からの洗脳を解けない。そして現実主義者の代表が自民党で、労働者を騙すことに特化しているわけだ。自民党と皇室は共犯で、労働者の生活をできるだけ最低にしながら、そこから搾取できるだけ搾り取る、という点では経団連大企業等とも完全にグルになっている。つまり資本家・経営者の側と共謀しながら、労働者を洗脳する為に全能力を使っている人達なわけだ。労働者側はこれを認知するほどの脳はない。寧ろ自民党員の側も、自分たちがなぜ労働者の待遇をできるだけ最低に保とうとするか、理解していない筈だ。自己洗脳し、さも労働者の為に、福祉軽視、企業優先の政策をとるべきなのだ、と思い込んでさえいる。ここからいえば自民党員も、労働者全般と同じく救いがないといえるのではないだろうか。で、自分が現実にみたその労働者達の生態は本当に酷くて、自称一流企業に勤めている人の日常の余りの卑俗さに吐き気がとまらなかったことさえあるし、彼らを救済しようという野党の思いが正当なのか疑問になるほどだ。いいかえれば、労働者の卑しさと待遇の悪さに因果関係があるわけではないと思った。最初に労働者が卑しいから待遇が悪化しているのか、それとも最初に待遇が悪いから労働者が卑しくなるかだが、このどちらも正しくなくて、学生時代の生態からして既に卑しいのだ。卑しいなんてものじゃなくてネットで観察してみると、動物かな、と思う行動をしている。発情し喧嘩し犯罪しているのだ。つまり最初から、資本家とか経営者とかいった上級商人になる人とか、優れた起業家になる勉強家と、労働者一般になる人達の遺伝的・文化的要素というのは本当に全く違うのだ。そこからいえば福祉によってこの労働者を優遇しようというのは、何かおかしいのではないか。無能な上に怠惰な人達なのだから。
 確かに今自分がいったことには疎漏があって、現実には生まれつきお金に恵まれた家の子とかじゃなければ、或いは素質がなかったら起業家として芽が出ないじゃないか、そんな余裕はないから経済資本格差で労働しないと学生としてもぎりぎりなのだと。これも一理あるが、金持ちでも怠惰なのは沢山いる。実際、自分が見たある金持ちの子は、学生時代に自分の車であちこち旅行にでかけ一ヶ月にカードで100万とか浪費してたけど、その後、一般企業に就業しても実に見苦しく卑しい生態というか、同情できるのかなこれってレベルの蛮行を続けまたも浪費していた。じゃあその人を福祉が救済すべきなのか。
 ある子供の学生時代に、家の資産・文化格差が反映され大変不公平な学業環境になる。ゆえ格差固定化を伴う。典型的にはこういわれている。実情をみると勉強への意欲の度合いは生まれつきのその個人の資質によっていると思う。機会均等のため奨学金の充実は必須にせよ、怠惰な人に福祉は無益有害と思う。
 結局、左派の中にも極端な結果平等主義者と、中くらいの競争平等主義者と、寧ろ弱者にだけ救済措置をしようという機会平等主義者がいる。この中でも中~極端な結果平等に近づくほど、逆に不合理さが増す。自分は労働者の生態を現実に観察した限り、極端な結果平等主義は完全に間違っていると思う。だから共産主義の理想はそもそも勘違いされた目標で、例えば危険をとって起業した人や、自ら投資や経営する大変な知的・体力的負荷からいえば、単に上司に言われたとおりにして給与がおとしてもらえる労働者と結果が同じになるなどありえないことになる。社民主義の理想は労働者含む国民一般の幸福度向上、弱者救済といえるだろうが、これが有効なのは労働者一般に被搾取者としての自覚がある集団であり、日本人一般のよう簡単に皇室その他の財閥から洗脳される質の集団では、そもそも実現しようがない。労働組合の意味もわかっていない衆愚なのだ。
 最終結論をいうと、平成から令和の日本人一般は自民党のよう労働者を騙す政党や皇室財閥などから、最低限度のくらし以上の金銭を搾取されている状態を、自ら保守する筈だ。その構図を知り金持ちになるのは資本家、経営者、起業家、自営業者等として、よく勉強した一部の人だけだ。

日本の報道が下らないのは大衆の幼稚さがそれを望むから

問題はジャーナリスト自体の資質が世界67位級(報道自由度、国境なき記者団、2018)であって、実際に第一級の人物が国内にいても、日本国民一般の報道的・批判的知能が低すぎる(幼稚すぎる)ので逆に排除されてしまうと。そして67位級の人が職業的に成立してしまうという構造です。
 大臣含む政治家の資質を子供の使いでぶら下がって揶揄する程度の、まあ実に下らない報道ばかりが売れまくる、というのは、それを普通に評価して買う、日本国民一般側の幼稚さの反映なんですよ。

夜の隙間

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ミーム戦略としての集団分類による差別

欧米主導の過激フェミニズムの論調に迎合し、日本人男性をオリエンタリズムの偏見で貶める文脈に置き、日本人女性を悲劇のヒロインにしたてあげる、という悪意ある政治的喧伝が、ミーム戦略として極めて有効だ、という証拠が複数あがってきている(これに反する超後進としてネット右翼が存在する)。この戦略自体には女性優遇・男性冷遇による極端な結果平等に近づけようとする左派的な側面以外にも、単なる純粋な善意からきた男女同権を求める心情に訴える建前があるから、内部に含まれている悪意ある側面(日本人男性を下等人種扱いし日本人女性を欧米人が奪う)はほぼ覆い隠されている。いわゆる右翼の一部(皇室含む)は、遥かに後ろでいまだ中世的な男尊女卑を大真面目に信じていて、この人達が欧米フェミニズム思潮からみれば言語道断となるのも確かだ。つまり、国際的な文脈としてのフェミニズムと、国内的なそれとしての左翼思想が、たまたま一致しているのが日本人女尊男卑なのだ。
 さらにこの一致点には、欧米のオリエンタリズムまで重ねられているので、幸福度や自殺率の面では世界で最も不遇というべき「日本人男性全体」へひたすら悪意ある汚名を着せ、逆に白人男性一般(しかし強姦発生率は日本人男性一般より高く、平均的IQは低い)を持ち上げる文脈に置くことになる。
 状況を冷静にみると、幸福度が国内男性より世界一高い日本女性一般結婚したがる傾向にある。つまり女尊男卑の文脈で日本女性全体へ無理に社会進出させ男性と競合させると、当人の意思に反した結果をもたらし、男女共に不幸になりかねない。会社員等として労働することが理想な女性について性別を理由に妨げることは(その職業が何らかのわけである性別でなければ不可能な作業でない限り)あってはならないが、欧米フェミニズムやオリエンタリズム、極端な結果平等を強要する女尊男卑は、どれも両性の本質的な幸福追求権を損なっている。
 重要なのは或る個人が、属性を理由に差別されない権利をもつ、という概念で、女性、男性、日本女性、日本男性など、或る集団分類で属性を一般化して考えると、常に統計的恣意や、例外の余地が生じるので判断を誤る。フェミニズム集団、オリエンタリズム集団、女尊男卑(男尊女卑)集団。どれも愚だ。同様に、男性であるが会社員等として労働することに全く向いておらず、それを望んでもいない人間が、家で過ごしているとして、その人を「引きこもり」「ニート」「無職」などといい差別的に扱う、という日本社会の偏った通念は、完全に女尊男卑による性差別の一種だといえるだろう。
 オリエンタリズム、フェミニズム、女尊男卑、男尊女卑といった集団分類を使った差別を、自己喧伝の手段とか自己の政治的正当化の為に使っている人々がうんざりするほどおろかなのは確かだが、この種の人々は端的にいえば、個々人の違いを分析しきれるほど一般人が賢くないことを悪用しているのである。

初音

うぐいすの初音聴くなり朝ぼらけ

元号は天皇の侵略者としての時代概念の捏造に過ぎない

(「元号の存在に違和感や嫌悪感を感じる方は、もう一度日本の歴史を勉強して欲しい」と述べるツイートへ)
天皇は弥生時代に渡来してきて、飛鳥時代に暴力団をはじめた1400年間の存在だから、12万年の歴史がある日本人に抑圧を加えてきた侵略者の親玉・邪教祖であって、日本の歴史からいえば全く脇役というべきでしょう。特に北海道や沖縄にとって、天皇制への編入はここ150年ですし、完全にそうでしょう。
 皇国史観は天皇家を中心にした自文化中心主義・中華思想の産物に過ぎず、今日の文化相対主義、文化多元論、多文化主義を含む物の見方からすれば、本当に稚拙な過去の偏見でした。元号が天皇自身、または日本政府による時代概念の捏造なのは明らかですし、政教分離の点からも今日的とはいえませんね。

日本人労働者一般はツイッターを匿名等で現実逃避に使っているのかもしれない

(「ツイート頻度が高い人は精神を病んでいる可能性が高く、突然ツイートにキレが出てきた人は無職になっている可能性が高い」、というツイートについて)
無根拠な風説。 反例、精神が正常な状態にあるときほどツイートの数が増え、質が高くなる人がいる。反例2、プロモーション目的での使用。
 もとツイートにいいねしている約5万人の人達の一部は、当人が現実逃避の手段としてツイッターをつかっていて、自分のバイアスにしたがってツイッタラーを解釈してしまっているとみられる。さらにもとツイートは「無職」を否定的価値としてあつかっているので、おそらく労働者の一部の人達のツイッター使用法が現実逃避だと教えているのではないだろうか?

商人は希少資源であるカネを寡占するマイナスサムゲームの担い手なので喜ばれない

商人は永遠に褒められえない。なぜなら金儲けはすればするほど他人を苦しめる、ゼロサムゲームだからだ。商売に必死になればなるほど真に金が必要な人の分を奪っているので彼らは努力するほどうらまれる。労働者一般が勘違いしているのは彼らの金儲けの為の行動という原罪が、経営者や資本家らの顧客搾取という悪意に加担しているだけなのに、その罪を合理化していることだ。
 もし賞賛されたければ商人の行動原理を反面教師にするがいい。即ち金を取らず、完全に自由に行動すればいい。その結果、商人はあなたを差別し、誹謗し、貶める。そして商人はあなたを資本主義秩序にふさわしくない者として何も与えず、死に追い詰めたがる。だがそうされるほど、あなたは尊ばれる。
 商人一般は目先の金を得て、繁殖行動をとる為に貶されながらも罪をまし続ける。彼らの満足は顧客、取引先、社員の搾取に加担し、世間に一定量しかない金をできるだけ集めることだ。自ら考えるのを放棄し、歯車となって上司、経営者、資本家の奴隷になりたがる労働者は、商人社会の下等な人々である。
 彼らの罪深さを知っていれば、金儲けをできるだけ放棄し、且つ、少なくとも法の下で自分を除く誰の命令にも従わないことだ。プラスサムゲームなことが確実な何らかの奉仕活動に力を注ぎ、必要十分から最低限度の範囲でしか私有財産を求めず、商業活動全般を軽蔑しできるだけ避けて生きることだ。

女性一般へのひいきは必ずしも女性一般の幸せにつながらない

なんらかの職業を無理やり男女同数にすることと、各人の幸せとは全く関係ない。

令和期の1万円札は新渡戸稲造、5千円札は岡倉天心、千円札は紫式部がふさわしい

情勢的に、世界史上はじめて英語(今日までの事実上の国際標準語)で日本精神を定義した ”Bushido -- The Soul of Japan” 著者の新渡戸稲造が1万円札、"The Book of Tea" 等でアジアとの協調を説いた岡倉天心が5千円札までは最もふさわしい。女性は世界初の女流作家で紫式部か。
 紫式部がアーサーウェイリー訳の "The Tale of Genji" で世界で最も知られている日本人女性作家だからだが、確かにこの本の内容自体は倫理的に疑問符がつくが、ある芸術作品がしばしば人類の倫理を問い直すもの、という意味では批評的な意味をもつ。多様な性愛を描いているのだから。
 当為を述べることと、単に現実を述べることは違う。新渡戸の武士道は歴史上の実例から武士の理想的倫理を抽出したものであり、数多の現実の中から類推できる当為をまとめてある。外人に分かり辛い孝の徳目を除けば、現代人にも一体、武士道とはどの様な体系になっていたのか分かり易く説明されている。

2019/04/10

愛の先にあるもの

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宇宙旅行

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印象派のスタディ

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自分

恐ろしい現世だ
辺りは俗物
下衆な都会の商人が大勢で蛮行
政界も邪教で毒され
同じ国民が例外なく極悪衆愚
見つかった唯一の恋人さえ重い精神病で
全力で働いても自分には一円も与えられない
汚い自慢だらけで下賤極まる東横関西愛知仙台
連中になにか一つでも善意はない
金儲け目的で大悪業をくり返すだけ
邪教祖を崇め金を追い駆け死ぬまで清貧差別
結果ろくでもない家を建て弱者を集団いじめ
笑えてくるほど卑しい国だ日本は
だが自分だけは

無について

はじめから何もないので
あなたは俗世におちぶれた
はじめから何もないので
あなたは夢をみていた
はじめから何もないので
あなたは会社員になった
はじめから何もないので
私はあなたに失望し
このわずかな愛も妄想で
最後には死んでいくしかないとして
なぜあなたは生きているのか
下水道でくらすあなたが
ただのどぶねずみなら
なぜ私はその姿を見てしまったのか

創造者

あなたがいなければこの世は全く無意味だろう
だから私は身も心も捧げ
あなたに仕える騎士になる
たとえどんな敵が現れようと
あなたなしでは居られない
私は全世界の富をかきあつめ
あなたに捧げる大金持ちになる
だが誰かの必要な物までとりあげた結果
私は人でなしにされてしまう
この世を果てまで旅してみても
あなたしか大切なものなど見あたらなかった
宇宙の全てが無意味でも
あなたしかこの世に意味を与えられなかった
だから私は全権力を奪い去り
あなたに捧げる世界をつくる

性愛の諸相を芸術と捉えた時にいえること

きのう「性行為は繁殖の為にするものだからそれ以外で必要ない」という内容のさえずりがあった。で、これについて考えた。
 シャルル・ラロ(Charles Lal)は、官能性・感覚的快楽性(sensualitè)に関わる構造と上部構造をなしているものとして、「愛し愛してもらう芸術」(ノーマルな性愛、プラトニックラブ、フェティシズム、性的倒錯等)を分類していた(青山昌文、坂井素思『社会の中の芸術』放送大学教育振興会、2010)。つまりラロの分類では、性行為を含む、性愛全般は、芸術の一種と考えられる。そこで問われているのは官能性や感覚的快楽であって、いいかえれば審美的なものだからだ。つまり現代人の一部は、繁殖以外の目的で、単に美的目的で性愛を享受するのだ。
 日本人(特に江戸・東京人)の芸術の中で、江戸時代の春画、現代でいう同人誌が描画対象にしているのは、実際この好色さの領域であり、もっと遡れば皇子を巡る乱倫的な情痴を描いた紫式部『源氏物語』とか、プラトニックなかぐや姫への求婚模様を描いた『竹取物語』とかも広義で含んでいる。一方で、仏教や儒教、キリスト教はこの官能性の追求を、全否定または部分的に否定する立場だった。それぞれなぜそうしたか訳がある。仏教では反出生主義による解脱をめざし、儒教では君子の性的な禁欲性を理想視し、キリスト教では神への奉仕が人(恋人や配偶者等)への奉仕より高い目的だった。日本では教養水準が低いと見なされてきた町人の階級、特に江戸や大坂の商人社会で、儒仏両思想からの影響が少なく、単に官能性を追求する娯楽的な社交界として遊郭というものが作られた。当時の様子の一部は井原西鶴等の虚構作品中で記述されている。現代でいえば性風俗や性産業がこれにあたるわけだ。他方、教養水準が高いと見なされてきた貴族の階級、嘗てでいえば皇族、公家、武士などの世界では、儒仏両教を学習していたので町人の遊ぶ遊郭的な官能性の追求を、程あれ下品なものと否定した。上級武士は政略上、上司が婚姻相手を決めていたこともあり、よりプラトニックな性愛の世界を含んでいた。
 封建時代(キリスト教等に基づき)プラトニックラブが成立した、というのは西洋と同じなのだが、日本の戦国期以前の武士の中では戦場に女性を連れて行けなかったため同性愛(衆道)の慣行があったとされている。
 つまり日本の貴族の間でも他国の事情や庶民と部分的に違う官能性の追求があった。
 平成時代の日本は、GHQにより貴族の制度が潰されたので皇族を除く全国民は同じ庶民にされたのだが、そこで主になった官能性は町人風のものだった。変態性欲とか性売買を含む、東京都民が全国・海外にばらまく直接的で下品な性の情報を主としていて、儒仏キリスト的なプラトニックさを否定した。
 で何がいいたいかというと、私が見てきた限り、日本で貴族精神の名残としてプラトニックラブは全く消え去った訳ではないが殆ど無視されている。実際、日本の高校生女子は米中韓と比べ世界一貞操を重視しないという調査(日本青少年研究所、高校生の生活と意識に関する調査、平成16年2月)がある。対象4国では唯一日本女性は男性より貞操を重んじておらず、この点では、貞婦というよりは、婚前交渉を7割が肯定する点で決して淑女的ではない。日本の高校生女子が婚前交渉を7割近く肯定しているなら、そこでいう性行為が、高校生くらいが考えそうな「好き」という単純な恋心をもつ相手との婚前交渉のことであるなら、必ずしも性を売り物にする娼婦の考えと一致はしていない。が淑女性はない。ここでいう淑女性は、婚前交渉を否定するばかりか婚姻後も、唯一の配偶者とのみ性関係をもつ考え方のことであり、それどころかそもそも性行為をなるだけ避けるべきものとみなす、いわゆる上品な態度のことである。寝室で配偶者と一対一の場面でもこの種の態度を保っている人物が、淑女的だといえよう。日本女子(或いは日本男子)と好対照なのが韓国女子(或いは韓国男子)で、韓国は儒教が国教だった影響からか、調査対象の4国では最も、淑女性なり(それの男性版としての)紳士性が高い。特に韓国高校生女子の約77%が婚前交渉を否定している。日本女子は7割が肯定しているので全く正反対だ。日本も韓国も、出生率は世界でも最低を争っている(日本は203国中184位、韓国は202位。合計特殊出生率、世界銀行、2016年)わけだが、その社会での官能性の有様は、全く異なっている可能性がある。日本は町人の肉体的快楽が、韓国は両班のプラトニックラブが延長している。自分が実際にみた日本女性の一部の脳内では、「好きな人と婚前交渉すること」は、殆ど正義と同一視されている。その妄信性は甚だ強く、他国の常識と余りに違う等と、部分的にでも否定されると発狂してしまうことさえある。何がこの様な激しい狂信の原因かは不明だが、メディアがそう洗脳したのだろう。「結婚においては当人の気持ちが重要である」と述べた佳子内親王は、表向き憲法でいう両性の合意のみに基づく結婚観を披露したに過ぎないが、内側には婚前交渉の肯定を含んでいるかもしれない。東京発の町人・商人世界観の中では、武士階級の女性にみられた貞婦らしさは全否定されているのだ。
 さらにこの日本女子の、俗語でいわば「阿婆擦れ的」「尻軽的」傾向は、日本男子にも伝染というか傾向が相関していて、彼らの町人・商人的性格の中では男性の純潔は否定してよいと考えられているのが上記の調査でもわかる(日本女子ほど極端ではないが日本男子の中でも6割が婚前交渉を肯定している)。私の経験でいえば、町人・商人世界の文化的伝統がある東京都に行った時、そこで生まれてはじめて純潔(東京人の社会では男性の純潔は童貞といわれ、『いきの構造』でいう遊里に通じていないという文脈で、否定的な価値とされている)を侮辱してくる大人(しかも専門学校の講師)に会った。この他にも東京都民中には複数、純潔を否定する者(不倫自慢の主婦等含む)がいて、かつ未成年から江戸時代同然日常的に性売買する者が男女共も多く、勿論これは風営法で性売買が禁じられ周囲に存在しない私の故郷の純愛中心文化とは全然違うが、都民はそれに全く気づかず自文化中心主義に耽っていた。逆に都民とか東京隣県の神奈川に住み都内に出入りする者にこの文化的差異を説明すると大発狂をはじめ、自己正当化の為、茨城県でいえば最大の都会に該当する水戸の事例(それも東京等からすれば遥かに地味なものだが)等をとりあげて、「日本中どこでも性売買が当然で皆やっている」等といいだすのだ。こういう国内での比較文化の見地からいっても、日本男子の中では純潔が6割において否定されているのに加え、東京・神奈川など町人文化の伝統が強い大都市風土ではさらに極端で、しばしば性売買含む女遊びぶりは自慢すべきものとなっている。この様な遊び人文化は他国と比べても特殊ではないだろうか。
 逆に東京都民の一部でプライドが肥大化しているばかりか思考力が欠けていて無知な人については、自文化中心主義を少しも脱せないばかりか中華思想に耽っており、「田舎はすることがない」などといいつつ、都内より遥かに性売買がはびこっている等という妄想を大真面目に信じているが事実は正反対だ。実際の田舎では、勿論全ての田舎がそうではないにせよ(『土佐源氏』とか「はちきん」が教えているよう、高知県のよう性の奔放さが肯定される可能性のある特殊な風土もあるかもしれないからだ)、大よそにおいて不倫などすぐ噂が広まって強固な人間関係から非難を受けるので不可能でそもそも性売買は風営法で存在しない。したがってそこで性愛の追求があるとしても、夫婦仲とか、未婚の未成年者を主として純愛(一人の人への愛)の範囲で恋愛関係として見られることがほとんどで、それは往々にして素朴なものであって、東京等の都会でいう複数相手との肉体的な性関係を含んだ不純な要素がないか、少なくとも非常に少ない。これが大体において出生率が田舎の方が高くなり、都会の方が低くなる理由で、要するに配偶者との安定した性関係を保障する風土はどちらかといえば田舎の方にあるのだ。そして都会には繁殖を除く官能性追求に都合がよい性売買、婚前交渉、その他の放埓さを許容する隣人性のなさがあるが家庭的ではない(都道府県別の合計特殊出生率ランキング、人口動態調査、2016年。都道府県別の20代女性30代女性未婚率ランキング、人口動態調査、2010年。他の年代でも変わらないが、総じて、女性の出産人口に該当する年齢層でも、関西圏や東京圏といった都会の未婚率が高い)。
 また「世界各国のセックス頻度と性生活満足度(41カ国)」(2014、Durex社)をみると日本が世界一性行為の頻度が低く、性生活の満足度も低い。「主要国の性行動比較」(1999、厚労省、国立国際医療センター戸山病院エイズ治療・研究開発センター)を見ると、日本は比較対象の欧米各国に比べ、過去1年間に売買春を経験した男性が最も多く、同性との性的接触経験が少ないというデータが出ている。
 結局、ここからわかるのは、日本人女性(少なくとも高校生女子)は米中韓に比べ性行為を結婚前に行ってもよいと極めて強く思っている可能性があるが、日本人男性は他国に比べ性売買によって官能性を追求する傾向があり(といっても14%の人達だが)、そもそも両性ともに性行為自体をしたがらない。したがって日本人一般の官能性の追求による「愛し愛される芸術」のあり方というのは、他国と非常に違った特殊なものになっている。歴史的経緯からいえば町人が商人となる中で性売買を合理化すると共に、貴族的なものであったプラトニックラブを、オタク・アイドルなどで萌え化し性行為を回避している。主に東京文化の一部として同人誌とかアダルトビデオ等で追求されている様に見える官能性は、実は日本人一般からすると観賞用の非日常的演劇である。また大都市部に見られる性風俗文化(広義で酌や歌舞をする芸妓も含む)は、繁殖を含まない官能性の商業化である。がこれらは性的満足度を下げている。性売買や猥褻物頒布は違法だが、同性愛者や両性愛者が肛門性交を通じた出血でエイズ感染するという傾向がある様で、発展場と呼ばれる同性愛者の集まりは嘗ての衆道が変形し延長したものと解釈できるとしても、その世界に対する避妊具の普及などの啓蒙は、行政側からすれば必要なのではないだろうか。
 ラロの言うことが正しければ、官能性追求で日本人一般の性的満足度をあげるには、他国同様に性行為の頻度自体を上げると共に、サブカルチャーによる性行為の回避を必ずしも理想化せず、性産業従事者が技術や満足を独占するという状態をより一般人の技術を高めることで開放する必要があるのではないか。
 ではお前はどうなのかというと、私は元々プラトニックラブの信奉者だったのでいわゆる純愛にしか主たる興味がなく(性的不能でもないのだが)、実際恋人とも一度も会っておらず文通しかしていないが、同調圧力や性的満足とは無関係に貴族精神を継いで生きている自由も尊重してもらいたいと思っている。
 また日本の非常に特殊な事情として、(上述の資料では)性売買が他欧米諸国より頻繁なのに加え、高校生女子の貞操が米中韓より遥かに低く唯一日本男性より低いという条件から、援助交際が有名な所で東京渋谷から発生していた。これは児童買春なので倫理的問題となるが、結局、官能性の誤解ともいえる。人類の女性は哺乳類として10代半ばから繁殖可能になって生殖能力が高まり、30代半ばくらいから衰えが始まる傾向があり、またある程度若い方が体力があり出産数も複数見込める等の自然的な条件から、若い女性の「繁殖能力」は高くなるわけだ。だが官能性は必ずしも繁殖能力ではない。日本人男性のかなりの部分は、日本女性に関する限り繁殖能力と官能性を取り違える傾向もあるかもしれない。なぜそうなのかといえば、日本女性一般の「愛し愛される芸術」の能力が低いからだといえるだろう。魅力的な年上の女性というのは、自分が見た限り例えばフランス文化では当然視されている。日本女性一般は「愛し愛される芸術」をどの様に追求すればいいかまず全く分かっていないので、知性的な振る舞いとか、異性なり同性の気を引く諸々の恋愛上の駆け引きとか、そもそも情事自体の中にある色々な感覚快楽の要素とかを軽視しており、繁殖能力だけに頼る。だから若い女ばかり人気になるのだ。今後、日本がフランス文化等、年上女性の官能性が当然視される文化から何か学ぶかはわからない。援助交際も一つの文化的風習だといえなくもないし(必ずしも倫理的ではないが)、JKビジネスやパパ活等と別に、合法内に単なる純愛(や性関係を含む恋愛)模様として年齢差のある官能性もありうると思う。何がいいたいか。「愛し愛される芸術」というラロの美学にのっとれば、繁殖を目的にした性行為から程あれ離れても官能性はありえ、「産めよ殖やせよ」のキリスト・ユダヤ教倫理や、解脱的な原始仏教からいえばそれは時に文化的退廃となるが、少なくとも芸術としては色々な性愛が存在しうるということ。
 ただ私は、ただ貧しいだけの子供なり女性が、やくざの経営している性売買の店で身売りし、望まない性行為で金を得るしかない、という社会的な構造は絶対に変える必要があると思う。この人達と、生活が苦しくもないが自ら性売買している単なる好色女は、次第に見分けがつきづらくなるが、実際違うのだ。娼婦ははじめ暴力的な社会構造から仕方なく身売りさせられてしまっても、次第にやくざに脅されたり、当面のお金はもらえることから次第にその職業になじみ、しかも性依存症となる中で自らその仕事を望んでいなかったことなど忘れて官能性の追求に耽り、朱に交わり赤くなってしまう場合がある。樋口一葉『たけくらべ』はその様な社会の暴力によって、娼婦に堕落させられてしまう少女の初期感情を描いた小説だったわけだが、自分がみている範囲では、いまだにこの非人道的な側面を、誰一人として批判的に指摘していないのではないだろうか。
 望まず性売買せざるを得ないまで追い詰められている人には、行政は進んで生活保護を与えねばならないし、そのことに対し世間は非難の目を向けるべきではなく寧ろ同情しなければならない。また職業に貴賎なしなどという俗諺を使い、この望まず娼婦になるしかなかった人を正当化もしてはいけない。日本では性売買は違法なのであって、非合法的にそれを行っているやくざが、腐敗した行政とつるみながら建前をかいくぐっているに過ぎない。合法・違法の厳密な線引きを警察が拒んでいるのはやくざと癒着し天下り先を確保しているからだし、このことを知りながら性売買を利用する人々が寄生している。結局、その種の少女なり望まなかった娼婦なりが社会の暴力の犠牲者なのは、行政、警察、やくざ、性売買利用者らの悪意が彼女らの肉体を生贄に、自らの快楽と金の為に利用しようとしているからなのである。まあ人身売買が巧妙に法の建前を使って合理化されているのだ。この構造は完全に潰すしかない。他の日本女性らはその種の貧しい少女なり望まぬ娼婦が生贄になっているのを知りながら、程あれ性的満足を得ながら金儲けしているのに嫉妬し、なんと彼女らを救おうとするのではなく差別的に見なし一緒になって虐待している。或いはなぜか模範ともちあげ「私にはできない」など神格化することもある。
 最後にいえるのは、この種の貧しい少女や望まぬ娼婦が犠牲になるしかない、という邪な日本社会の構造は、性売買は違法なのに建前を使って正当化している全日本人らの悪意によっているので、建前容認派を全員罰するしかない。同時に性売買を合法化したければこの種の事例を排除しなければならない。いいかえれば、単に貧しいとか、望んでいないのに(時には詐欺的に騙され、現場でやくざ等に契約書を盾に脅されるなどで)娼婦にさせられかねない状態は、完全になくさねばならない。行政・警察を一般国民がやくざから切り離し、厳格に監視・命令し直し、隠れ人身売買をなくし、生活保護を与えるのだ。この種の隠れ人身売買事例が最もはびこっているのは東京都であるから、他の自治体より優先し警視庁(東京都の警察)と東京の綱紀粛正をはかるのが最も効果的だ。貧しい少女とか望まぬ娼婦を社会が暴力によって人身売買するという公的犯罪は官能性追求とは全く別の話なのであり、区別されねばならない。一体どこからどこまでの性売買が合法化されうるのかについて国民が議論し、そこには上述の隠れ人身売買(貧しい少女や望まぬ娼婦)が含まれない様にした上で、性売買自体の倫理的是非を問うべきだ。官能性の追求が性売買を含めて行われるべきか? 成人女性自身が性売買したければ自ら望む必要がある。

文章より平面的に情報を圧縮できるのが絵の強み

文字って色々な概念を説明するにはなるだけ最短で伝えるべく語彙で圧縮しても、展開の時に文章化しないといけなくて、ある程度の長さになるのは仕方ない。そこが一枚で済む絵のほうが好きだ。
 言語芸術の中では短詩が一番いい。長くせずに済むから。
 高々こんな簡単なことを説明するのに10も20もツイート(1ツイートは140文字)並べないといけないとか絶望する。文章の限界なのか自分の抽象的な執筆力の限界なのか。頭の中には既に結論はあるんだからそこまで最短で説明してる筈なのに、短縮しても1ツイートに嵌らないというか、概略はいえても詳細にいえない。
 今の書道は形式化しててつまらない。最初に漢字を甲骨文字から作ってた人は、概念の抽象的圧縮の為に、1文字の単位に絵文字や形声をくみあわせこういうものを作ったんだろうけど、書道家の人達はその原始的営みに立ち返るべきだと思う。科学論文だの随筆では達し得ない永遠に営為だから。

東京地検特捜部を疑獄し放題にすべきではなく東京地検自体を起訴可能にすべき

(このメッセージ動画では)ゴーン氏はルノー・日産・三菱アライアンスが、日本企業をフランス企業(本社オランダ)と合併して成立しているため日本政府の権益を脅かすものと捉えられたので、それは事実と反するのに、東京地検特捜部の陰謀として冤罪事件が捏造された、という立場をとっている様にみえる。
 東京地検は『知事抹殺』の佐藤栄佐久氏、小沢一郎氏への疑獄など自分が生前にも複数の冤罪事件及び冤罪と疑われる事件を作っている。だからというわけではないかもしれないが、今回もその可能性はあると見られる。

薩長藩閥の蛮行を正当化するマキャベリアンはただの野蛮人

(会田誠氏へ「作品云々以前に頭が悪すぎるのが問題」と述べているツイートに関する分析)
芸術知能は他の知能と違う前提で(たとえば写実的に絵が描けたり、次々作品ができる時点で芸術知能は一般の人より高い)、ここで指摘されている「頭の悪さ」って、一体どういう意味の頭の悪さなのかきちんと定義されてない。だから誹謗にしかみえないのだが、実際、何を欠陥、問題としているのだろう?
 nuclear(@tagahi)さんのツイートの前後関係(一つ前のツイート(リツイート)一つ後のツイート(リツイート))を追うと、会田さんが天心・新渡戸・大拙という、日本精神を紹介した英語著書で有名な人々の一部を紹介した直後に人格否定としてこの記述がされているので、本当にこの方が指摘したかったのは日本精神の否定じゃないですか?
 さらに言うと、このnuclearさんはこのツイート(Shoko Ogushi(@vostokintheair)さんによる、「新渡戸稲造はありえない。キリスト者でアメリカ人の妻への見栄から書いたエセ武士道(しかも水戸の儒教派ベース)の著者ごときを復活だと!!! ない。新渡戸など、焚書の上、叩き斬る!」と述べるツイート)をリツイートして直後に、会田さんの人格否定ツイートをしている。Shokoさんの中での新渡戸否定は、新渡戸武士道の倫理観の一部(当然全てではない)が水戸学(日本独自の思想体系)と同一視された上で(これは事実誤認でしかないが)、それが儒学的側面を含むことに遡源されている。しかも焚書に言及しながら、新渡戸武士道を「エセ」といい、儒教派を否定している。この部分をもう少し詳しく分析すると、Shokoさんは水戸学が「儒教的側面を含む」ことを、日本独自思想として不純、とみなそうとしていると。がそもそも天皇の先祖は中国(神武は弥生時代頃に入ってきたとされる)・朝鮮(桓武天皇の母)からの渡来人で、水戸学での国学上の独自性は差異化なんですね。国学的な純粋性を輸入的文物を取り入れた上で諸外国との差異化(いわゆる国風化)なしに追求しようとすると、アイヌ文化や縄文文化がどれ程、海外文化の影響なしに存続していたかはわからないけど、岡本太郎的に縄文精神に還るしかない。故に弥生時代以後の本州~西日本文化は大まかに差異の体系です。Shokoさんが新渡戸の思想を水戸学と同一視しているのはただの誤認ですが(新渡戸は水戸学者に敬意を持っていた様な記述はしているが、その尊王論以前にあたる戦国時代の実践的な武士らへ肯定的評価含む分析等も沢山している)、新渡戸も国学的伝統(国風化、差異化)を含み、倫理的にエセではないと。
 武士道には大まかに2つの側面があって、一つは江戸時代を通じ醸成された正統派の新渡戸武士道(倫理的なもの)であり、もう一つはマキャベリズムに限りなく近い鎌倉時代から戦国時代くらいの葉隠的な武士道である。渋沢の仕えた最後の将軍の考えは教育的基礎及びその尊王論に関する限り水戸学であり、そもそも水戸の徳川家の子孫でどちらかといえばだが新渡戸武士道に近く、勝てば官軍という西軍の信じていたのが後者である。
 より詳細にこの部分をいうと、最後の将軍であった徳川慶喜の考えは教育的基礎及びその尊王論に関する限り正統の水戸学的ではあるが、当人の考えは幕末の現実の中で独自の面も含む開国派で神戸や横浜を自ら天皇に願い出て反対派をおしきってまで開港していて全部が全部、固執的に踏襲されていないと。また西軍といっても松陰や西郷の基礎的な考えの中では、水戸弘道館に留学しにきていたことの影響は大きく、尊王攘夷論を少なくとも採用し薩英戦争や下関戦争の思想的な原型になっていると。また松陰は倒幕論に転向し最終的には無政府主義に近い主張をして尊王論まで否定していたと。西郷はそもそも尊王論さえ彼や彼の主君である島津氏に有利な道具と見なしていた節があって宗教としては信じておらず、皇族やら天皇やらへ『戊午の密勅』『倒幕の密勅』など偽書を書かせたり、戊辰戦争時には錦旗を別の皇族と勝手に作って幼帝(10代)明治天皇の名分を偽り、権謀術数に利用していたと。つまりこの論旨で大まかな新渡戸側に水戸学の系譜を、また西軍に非水戸学(マキャベリズムに近い葉隠武士道)をあてているのは、より厳密には正しくない便宜的な分類だということです。Shokoさんの「儒教派」概念が、我々を含む近現代日本人は全員水戸学の影響下にあるが厳密にその理念と一致しえない(尊王論の通り将軍に代わり天皇を帝なり象徴として擁立したが、後期水戸学で主流だった(厳密には最終的に、水戸学者・豊田天功『防海新策』の便宜的開国論によって部分的に否定されていた)攘夷論(外国人排斥)の即時実行自体が不可能だった上に、現時点でも移民を巡って議論が続いている)ので、武士道を巡る思想史的にはほぼ不可能なんですね。
 で、Shokoさんとnuclearさんは武士道を巡る思想的立場から、戊辰戦で奥羽越列藩同盟側だった新潟出身の会田さんが、無意識に、新渡戸武士道(倫理的なもの)に日本精神を遡源する発言をされたので、多分、両者は西軍的勝てば官軍葉隠武士道(マキャベリズム)から反発を覚えたのではないだろうか? 要するにですね、徳川支配の封建体制の下で、儒学、神道、仏教、国学などそれまでの日本思想の要素を純化し、日本独自の精神的・倫理的支柱をめざし水戸学者の色々な本とか、その後に新渡戸『武士道』がキリスト教との比較文化論として客観的に書かれたと。しかし明治政府はこれを否定して成り立つと。明治維新という徳川擁護派(奥羽越列藩同盟や江戸等)へのテロリズムとか、薩長藩閥(明治寡頭政)を、勝てば官軍葉隠武士道で正当化し、安倍晋三(長州閥)や麻生太郎(薩摩閥の末裔)の政権下で平成までやってきている西日本の一部の人達とかからみると、「徳川時代を復活するな!」となったのでは。実際にShokoさんとかnuclearさんが西日本の一部の人達かどうかはわからない。しかし、とにかく明治以前の、江戸時代の精神的遺産を擁護されると、関が原の戦以後の250年間が正当化されてしまうので、その期間の日本精神を否定しなければならない、と偏執的に妄信している人がいるのではないですか。
 この江戸時代の思想を否定したい、という狂信的教義の背後にあるのは、明治維新以後の近現代日本政府が、ただのテロによって捏造された、覇道政府である、という後ろめたさがあって、まあ倫理的にはどうしようもない悪徳暴力団なわけです。新渡戸武士道や天心の批判の通り「欧米の猿真似」に過ぎない。欧米列強は侵略的植民地主義で近代世界中を荒らしまわり、しかも山口県(安倍さんの地元)の吉田松陰はこれを模倣し、明治以後平成までの薩長藩閥系政府にとって「猿真似」の原型となったと。新渡戸は『武士道』でこれを嘆き、日本人の表皮を剥げば不死鳥のよう侍精神が復活するだろうといっていたと。
 まあ長々と(もしくは手短に)分析してみましたけど、nuclearさんが会田さんを「頭が悪い」といっている原因は、ただの推測ではあるが、マキャベリズムを新渡戸武士道的な江戸時代を通じて醸成された日本精神より優先していないことにあてられているのではないでしょうか。
 私個人の意見では、「弱肉強食」は『韓愈』にみられる文言で、人間は倫理がない禽獣と違うのだ、人間に道徳的尊厳があればこそ動物のよう常に天敵に怯えなくても済む社会を作れるのだ、と啓蒙的な意味を持つ言葉ですし、そこからもマキャベリスト(マキャベリアン)は、ただの野蛮人だと思います。

2019/04/09

自由人が時代の代表で自称勝ち組の奴隷ではない

愚民は満足させられない。衆愚は無限に暗愚さを欲し、無償の娯楽を要求するがその質をますます低く求めてくる。最終的に家畜未満の待遇を欲しながらも、国家の堕落と崩壊につながるのが、この種の無教養で怠惰な一般大衆だ。
 ひたすら愚民を無視し、彼らの欲することを軽蔑しているがいい。
 愚民が求めているのは奴隷的一生であってそれ以外ではない。だからこそ自由教養を軽蔑し会社や政府に飼われる人生を「勝ち組」と自称していたのだ。彼らには自由は恐怖や憎悪の対象で常に忙殺されていないと、片時も不安で生きていられない。だから労働者と呼ばれる人々の幸福は、奴隷的なものなのだ。天皇皇族、政治家や資本家、経営者、上司、取引先、顧客。彼ら労働者は常に誰かに支配されることを望み、自力で何かを行ったり自由な発想をもったりするのは最大限に避けようとする。奴隷的根性を至高の倫理と考えており、周囲の似たもの同士で群れつつ、ひたすら少数派虐めをする。自己正当化の為に。
 マルクスは労働者の実態を知っていたのだろうか? なぜ奴隷生活を幸福だと感じている人々が、労働から解放されるべきだと思ったのだろう。彼らはもしそんなことがあれば真っ先に大発狂し、大量に自殺しかねないのだ。常に労苦と忙殺の中で何も考える余地がないまで追い詰められないと、不安なのだ。この世で、自由を愛し、自らの頭で考える能力を生まれ持っているのは、実際にはごく少数なのである。そしてその種の悟った人が往々にして最初から質が違うことも明らかであり、素質が違えば同じ教育を受けていても、片方は労働者に、片方は自由人になる。つまり少数者しか自由になりようがないのだ。資本主義は愚民向けに実に低俗で馬鹿の様な、脳を全く使わずに済む、中身のないこんにゃく的サブカルチャー娯楽を売りつける。このサブカル中央主義イデオロギーは、愚民化を動物化と形容する某批評家に正当化され、衆愚側も大満足し安住している。結果、国際的に地位が低落し日本はばかばかりになる。資本主義的大衆商業娯楽をどんどん欲するが、そこには何の意味もないので、単に奴隷達(社畜や公僕と呼ばれる)は自分達をもっと馬鹿にしてくれる情報を買い求めているのだ。もっと惨めに、もっと暗愚に、もっと悪意に満ちた人生にしてくれる情報を欲する。なぜなら奴隷生活を勝ち組と思いたいからだ。
 我々の中に自由人がいるなら、全くその人にしかこの時代の代表者たる資格はないであろう。我々の精神の殆ど全てがその人にしかみあたらないからだ。

精神を病んだ人を世話することについて

わたしの経験上、精神を病んでるタイプの人間を、健康状態まで引き上げるのは殆ど不可能なばかりか、現実に全生命力をかけてそれをしてもすぐ元に戻ってしまう傾向もあるから油断ならず。かつ引き上げるだけでも全力を使わないと無理なので、メンヘラ(2chのメンタルヘルス板にいた人々の通称)と呼ばれる人らを2人以上相手にするのは絶対無理。
 イエスが慈悲で人々に接していたとして、聖職者のまねをして、いわゆる精神病者もどき(メンヘラと呼ばれる、同情を引く目的などで病的な振る舞いを演じる人々)、または真性の精神病者に接すると、普通に自分まで重い負担を背負い潰されかねない。同情が仇となって自分まで死にひきつけられてしまう。
 インターネット上に自傷行為を晒している人。たまにいると思うが、そういう人は俗にメンヘラといわれている。この人達の行動は精神科医でも十分分かっていない部分があり、一般人が理解するのは物凄く難しい。であるから常識で同情すると、危険である。
 自分は或る自閉症の、いわゆるメンヘラといわれるだろう人物を、健康状態までひきあげる為にありとあらゆる手を尽くして5、6年経過した。確かに、全力を使ったかいがあって当人は以前より遥かに健康にはなったが、元々その人の脳はすぐ自傷癖にもどってしまう傾向(苦痛緩和の手段に自傷を選ぶ)も残っているので、中々、健常者でいうところの一般的健康(自傷癖など全くない状態。想像もつかない状態)は回復されないが、それ以上の健康度に引き上げる為に自分は努力している。精神科医はこの精神を病んでいると診断される人を、薬で動けなくしたり、うつ的症状に際し不足している脳内物資を補ったりして、健康な人に近づけようとするが、元々その種の精神的病状に戻りやすい傾向をもっているので、これには限界があるのだ。薬代や、肉体自体への負担もある。精神分析学を応用し死の衝動に対しリビドーを強化させたり、自傷や自殺願望に対しては嫌悪を表明し嫌われる恐怖から忌避させる様にしたり、あるいは24時間付き添って相手の不安を緩和したりなど、打つ手は色々あったが、当人の脳が自傷癖の快楽(苦痛緩和)を覚えてしまっていてそこは直りづらい。元々、自傷癖とか自殺未遂とかに走り易い人というのがいて、その人の脳はいわゆるドーパミンなど興奮物質が出づらいのである。うつ的傾向が最初から激しいので、ちょっとした喧嘩とか世人の心無さで受ける簡単な心的衝撃でもすぐ自傷・自殺に走ってしまいがちである。精神的に弱いともいいかえられる。
 この様な自分の経験則からいって、一般の人で、精神的に強くない人が、メンヘラと呼ばれる精神を病んでいる演技をする人、または実際に精神科医から精神病の診断を受けている人の世話をするのは大変難しい。自分は精神的にタフな自信があったので実際に試みたが、それでも物凄く負担があった。私にいえるのは、先ず世話を試みる側が自分自身の精神や肉体を意図的に健康に保つことを前提にしなければ、決してその種のメンヘラ・精神病者を救うことなどできない、というわけだ。実際自分も24時間つきそう必要があって肉体的健康度は大分削られた。元々肉体の健康に自信があってすらそうだ。だから精神的に強く、肉体も強壮な人であって、しかも精神を病んでいる人に思いやりがある様な人で、かつ、自分の肉体的・精神的限界を熟知していなければ、メンヘラ・精神病者を自力で救済は絶対にできないであろう。大抵は、逆に相手にひきこまれた結果、自分まで心身ともに磨耗しきることになる。
 私はその自閉症の人(今では恋人といっていい関係だが)を救うことを最初に決めたとき、周囲にいた別の自閉症の人にアドバイスを求めたところ、「一緒にいてあげてください」といわれた。だからその通りにしたのだが、これが極端な話で24時間いないと不安に陥って自傷に耽ったりするのである。たまたま私の精神力が並々ならぬものがあって、そもそもその世話をはじめる以前に肉体も限界近くまで鍛えていなかったら、到底この5、6年のとんでもない労苦をのりこえられなかったであろう。私と同じ風に同情から精神病者・メンヘラの世話を試みる人は、今私が言ったことを冷静に参考にしてほしい。
 一般的にいえば、精神科医の領域としかいえない、異常事態が余りに多く発生するので、凡百の人ではすぐお手上げとなることは確実で、しかも実際の世話にはいわゆる共依存となる可能性しかないので常にメタ認知などの心術を使って、状況判断に一定の心理的距離を保たねばならないなど、色々なコツがいる。自分から精神病者、メンヘラの世話を買って出る、という奇特な人は実際におり、自分も善意の故にその一人だったわけだが、負担を背負う割に報いは少ない。だが自分がおしつぶされない範囲で、限界までこの救済的措置を試みていると、少なくとも人間愛について、特殊により深く学ぶ機会にもなるだろう。

令和増刷

札を刷り円価目減りに湧く愚民

あいちトリエンナーレ2019論争はフェミニズム側に与した方が居直る男性作家にすら有利

やばい結論にたどりついた。よく考えに考えまくったら美術界なんて女だらけになった方が俺に有利じゃん。自分が男である以上、希少価値の面でも、日常的に異性が多い方がいいに決まっていた。自分も性差別集団誤認で美術業者全部をひとくくりにたたきまくり女有利になるように、津田氏陣営に混じるわ。
 今まで何を勘違いしていたのだろう。逆差別って、巧妙に自分が有利になるよう利用すればいいものなだけだったのか。
 もうアート業界なんて女9割以上にしていいよ、嘘抜きで。しかしそこに自分は居残るけどね。
 この洞察にたどり着くまで1週間もやたらめったら考えに考えたよ。
「女性に好かれるタイプの男性美術家にとって、女だらけの業界にした方が絶対に有利」
普通にばかまじめに、男女同権を追求してたから、勘違いしてた。真に男女同権なんて求めてる人、あいちトリエンナーレ2019(あいトリ2019)議論でひとっこひとりいなくて、全員が全員自分に有利になるよう利益誘導してたからな。そしたら俺だけ割を食う。
 最初から自分に有利になる方へだけ流れを全力で利用すりゃよかった。
 たぶん表向きはフェミニズムぶり、女性の味方ぶり、性差別憎悪ぶっていれば、巧妙に津田氏陣営の急先鋒になれるのだろう。実際既にそうしていた男性アーティストもいたのかもしれない。
 学問的に考える限り永遠にそんな戦略とれないから、完全に利己的に考えないとわからなかった。普通にあいトリ2019以後、日本美術界は女性が99.999%以上になるよう全力でフェミニズムをもちあげまくろう。但し自分は絶対そこに居直る。

2019/04/08

北茨城、大北川沿いの桜の道のパノラマ

北茨城、大北川沿いの桜の道のパノラマ
2019年
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10800 × 2520 px, 10800 × 2426 px
作家蔵

労働者は自業自得ではないか

人生ってばかとつきあうと終わりだな。
 会社員になる人間って最初から才能がない。学生時代には物凄く威張り散らし、蛮行三昧しているのだが、元々無才なことには気づいているから労働者以外を目指す知能すらない。そういう連中の一生を思うと、本当に生存価値があるのか疑問である。若い頃は悪業三昧し中年に機械になり老年ですぐしぬ。なぜこの種の凡愚が会社員なり公務員といった型にはまった人生をめざしているかといえば、元々頭が悪く自力で物を考えられないからだが、次には臆病者だから群れていないと生きていけないのである。奴隷、社畜、公僕、色々な言い方はあるが、要するに自由になれないのだ。一生涯。ばかなので。なぜ無才が凡愚としてどうしようもないほど卑しい存在におちぶれていくかというと、元々そうなる素質しかないのだ。教育で改善されるかと思えば全くされない。学生時代には自分が世の才人らと似た存在かのよう思い上がっているが、労働者志望の時点で全くのうそだ。AIに置き換わっていく人達の実態だ。
 学生時代にまじめに勉強している、といった人はなるほど、労働者になるまい。自由人にまでなれなくともちょっとした学者になるかもしれないし、世間から少々の尊敬は得られるかもしれない。しかし学生時代にさえ遊び回っていた輩が、その後どうなるか見たら確実に凡百の労働者になっている様である。
 労働階級の地位向上をめざした社会主義者とかマルクスとか。彼らは本当に、平成日本で労働者となる人々の実態を知らなかったと思う。自分が身近でみたかぎり彼らに同情の余地は全く何一つない。だって学生時代、彼らはあれだけ時間があったのにネット犯罪三昧していた。逮捕されないのをいいことに。労働者の悪徳についてはいまさら語るまでもないから省くけど、主婦と労働者が悪業三昧しているのは匿名SNSを覗けば瞬時に理解できる。逮捕されないようこそこそと匿名偽名を使っているだけだ。もともとの素質が悪いのに加え教養程度が低い人達なら当然なのだが。社畜と主婦は閑居して不善をなす。
 では社会民主主義を採用している北欧は? 彼らは正義をおこなっているのだろうか。より自由主義的で、自己責任論がはびこっているアメリカは? 日本の労働者の精神構造の物凄いゲスさを知っていたら、北欧になりようがないと思うのではないか。奴隷根性どころではない。もっとひどいなにかなのだ。日本は文科省の学習指導要領で縛る公教育の質が低すぎるので、結果、ろくでもない遊び人匿名犯罪学生とそのなれのはての凡百労働者しか生まれないというのは確かだが、じゃあその文科官僚がどうかというとこっちもどうしようもないくらい頭が悪いのだろう。パソコンに入力すれば終わり程度の型にはまった科挙的受験しかできなかった連中である。
 結局、なんだかんだいって労働者というのは日本の下層階級というしかないのだろう。勿論、階級制度は消えているけど、そして当の労働者達は自分らの中では所得ピラミッドが社会階級だと思い込んでいるから、そのラットレースから逃れ出る脳はない。老人まで奴隷を続け、差別相手を探ししぬのである。労働者達の唯一の慰めは、脱出できない囚人的生活を合理化する為、無理やり自分達以下の被差別階級を捏造しようという悪意である。これがニートとか引きこもりとか、浮浪者とか娼婦・男娼、やくざとかいった労働者ではない生き方をしている人達なのである。労働者の脳内では、非労働者で金を持っていない人々が、被差別階級にされている。労働者は一般に、皇室、政治家、資本家、上司、あるいは顧客には永遠に頭があがらないので、とにかく常にへこへこし、金をもらう為あちこち駆けずり回った末に匿名SNSの中で罵詈雑言と悪業の限りをまきちらして憂さ晴らししている、とんでもない悪魔的な衆愚である。少なくとも日本ではそうである。そして労働者達に虐げられ、一方的に差別され、誹謗中傷の限りを尽くされている、より自由な立場の人々は、正直言ってこの労働者達を見下している。特に高い教養をもっている人ほどそうだ。両者には断絶がある。労働者は忙殺を喜びとする機械的な奴隷脳であり、自由人はこの逆の主人的脳なのだ。皇族は全国民を奴隷化している邪教祖なので、労働者だろうと自由人だろうと暴力装置の政府から搾取し放題であるが、労働者側はこれを疑問にも思わず逆に永遠なれ、とかいっている。それほどおろかなのだ。だから奴隷の様に扱われるのを望むのである。
 みなが主人公にはなれないのだ、この世界の構造上。実際、我々は労働者の人生を生殖細胞から灰になって墓におさめられ家族も殆ど来なくなるまでみたとしても、大して面白くない。平凡だからだ。何が平凡かというと心のあり方が凡愚なのだ。だから飛躍的な変化もないし決定的な挫折もないし、とにかくつまらない。誰もが伝説にはならないのである。
 政治家は功利主義者ならこの労働者全体の幸福度をあげようとか考えるだろうけど、自分がその人達の一部を標本としてみた範囲では、全然そんな必要はないと思った。逆に学生時代あんなに悪業三昧してたのに、こんな連中が幸せになる権利あるわけないと思う。そしてそのとおりなのではないか? 正直いって労働者を目指す時点でもうどうしようもなくおろかだから、その時点で見限っていいくらいだ。間違いないと思う。だから自分は、かつては社民主義的に労働者の幸福度向上が大事かと思っていたけど、最近は彼らがどれだけ不幸でも自業自得の様に思うし、自由でいいかなと思う。単純に無能だから、平凡な肩書きをつけ、凡愚な道のりをたどり、どこにでもいそうで全く意味がない機械的な作業をこなすわけで、まあ意味がないのだ。彼らの人生というのは。天皇の奴隷でしかない。だから歴史の中にも全然記録されないで消えてしまうのだ。彼らに何の価値があるだろう? 自業自得を自己責任論と読み違えているのだ、大抵の人は。悪しき行いをしていて幸せになどなれようはずもない。自由はその責任をみずから受けることなので、学生時代に仮に与えられたのに自ら、労働者になりたがる者にそれは無用の長物だ。

二流国

中世の政府もつなり二流国
容疑者と無実の人を虐げる
日本愚民ついぞ推定無罪無知
政教を分離できない衆愚国
冤罪を喜び行う衆愚かな

日本愚民に自民党へ怒らせるべし

内需7:外需3割の日本(貿易依存度、UNCTAD、2017)なのに、トヨタを筆頭とする多国籍輸出型製造業から自民への政治献金を使って、テレビ・ネットなどで円安誘導が愛国と洗脳されてる愚民側は、素でそれを疑ってない。メディア報道を鵜呑みにする知能しかない。
 愚民が賢くなることは永遠にないのだから別の手立てを考えないといけない。自民党とGDP3割の外需企業が利権として癒着している構図は、企業献金禁止法を通すことで近い将来直せるが、政権交代が必須になる。だが愚民の多数は遺伝的に不安脳なので自民党に固執する。愚民を自民党に怒らせるしかない。

あいちトリエンナーレ2019で一括りに人権侵害され気分が悪いのは女性ひいきに煽られた衆愚ではなく男性美術関係者側

なにがあいちトリエンナーレ2019を批判していて気分が悪いだよ極悪人が。気分が悪いのは職業差別されてる男性美術家の俺だろうが。この極悪人。
 人の税金つかってよってたかって憲法14条法の下の平等違反の男性美術家差別しまくってきてる極悪人女が、悪業に調子に乗って「批判していて気分が悪い」だの「過激」だのなにいってるの? お前がやってる極悪ファシズム犯罪が人権侵害なんだろうが。地獄にいけ。

作家が批評家を兼ねると望まずとも自己喧伝になってしまう

結局、美術評論って作家自身がやってるものは、ただの売名行為という解釈が成り立つ余地が生じてしまうので、批評家と職業的分化が起きたのではないか。

許し

許し
2019年
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7680 × 4320 px
販売先

2019/04/07

人物の美

私は人物の美を絵画の主題としてふさわしいかしか見てません。

科学は信仰ではない

脳科学者とかメンタリストとか、通俗・応用科学的に世事を語る職種が大衆に重宝されだしてるのは、科学信仰を換金する為らしい。

あいちトリエンナーレ2019は結局男性差別の違憲違法な展覧会

まーーーた津田さんがブロックですよ。議論から逃げるのって卑怯じゃない? 考えてみて欲しいんですよ。言論人ですよ? 言論人ともあろうものが、言論の自由を放棄して、議論から逃げてしまうと。これ何。質低すぎると思わない? 別に応答しなけりゃいいだけだと思わない? 他人の言論を封殺する(当人の主観からみて)ってのがおかしいよね。それ言論人じゃなくファシスト。私も言葉は使うけど、言論人の端くれではあるが、本職ですよ。ジャーナリストって。あと誰のことかいわなくてもわかるとおもうけど、某批評家。この人も大変おかしいよね、ブロッカーって。だって批評って色んな意見を聞いて、その正否を語る人のことだよね。ギリシャ語krinein(選ぶ)からきてるの。
 正直、私のほうが言論人としての格上だと思いますよ。嘘抜きで。このおふたがたより。だってわたしは逃げませんよ。議論から。
 打ち明け、ぶっちゃけ、ね、東一派ってほんと言論人の風上にも置けない、安倍政権級の排他的ファシスト集団じゃないですか? だって批判的・批評的言説みたら即ブロックってそれファシズムのやり口だよ? リベラルぶれるわけないよね。とるに足りない言説なら無視すりゃいいだけだと思うよ。茂木健一郎氏も堀江貴文氏もそういってたよ。なぜブロックとかいう封殺をするのか。許容力が狭すぎるからだし、それって自由さ、寛容さが足りないからだと思う。自分の意見が絶対に正しいなんてありえないことでしょう。全否定されて当然ですよ。自分から封殺という蛮行によって言論の自由を放棄しますと。そして本職本業がジャーナリストですよと。これで報道自由度67位からあがるわけもないよ。しかもフリージャーナリストでそれだよ? どっかの会社組織にいる人じゃないのでしょう? 平成の言論界って終わってるな。段々分かってきた。ツイッターって自動化で誤判定はうざいけど、意外と自然的には言論人として誠実な側が生き残る様になってるのかも。ブロッカーって同調してくる愚者ばかりお仲間にするからな。ひとりでに自滅するルートだよ。
 あいちトリエンナーレ2019について考えた美術批評で「歴史的にみて西洋画の文脈と似てる」ってかいたら、津田さんが私に返信してきましたと。それに普通に美術批評的な専門用語などで応答していたら、大勢のモブに罵詈雑言等をはかれましたし、いいねとかリツイートとかで10も20もさらされましたと。普通にさ、欧米思潮のフェミニズムをアートに持ち込んで、多少不公平でも子供だましの性別比にした、という論理じゃん。だからそうなんですよね、っていっている。そんなの世界中のだれがみても0.1秒以内にわかるよね。だからなに。それで怒るのも謎。ちゃんと勉強して欲しいと思うよ。愚民はばかだから、結果の性別比1:1なら、機会平等とか理解する知能はないので、だませますと。赤点女を満点男より優遇するとまではいかずとも、不当に片方の性をおとして、医学部不正採点みたいな蛮行をあいちトリエンナーレ2019アートでしていますと。じゃあそれ「これ不正審査じゃん」といえよ。ジャーナリストって社会の不正を暴く側でしょう? 自分が不正に加わる側になったら、今度は保身に回っちゃうの? 自分の過ちを認め、普段自分が謝罪要求してきたよう謝罪したらいいだけじゃないですか? 今までそうしてきたのではないですか。記者の皆さんって。不正入試問題の時もそうでしたよ。
「男性を不当に冷遇するならOK!」
こんな意味不明な論理でフェミニズムアートぶってるの?
 私が津田さんの立場なら、愛知県に言って「これはたしかに指摘されてるよう、性別比を意図的に同数にするために男性作家を冷遇したことになるから、不公平でした。ということで元々候補だったが選に漏れた人々への保障として何かできることはないでしょうか」とか相談すればいいだけじゃないですか?
 幼稚すぎる極悪衆愚が「女ひいきで当然だろう。男なんて死なせればいいんだよ」みたいなことを平気で言っている。だから何度もいってるじゃないですか。日本男は世界一不幸で、日本女は世界一幸福とワールドヴァリューサーベイでわかっていると。しかも男が2倍以上自殺し易く、純粋美術作家は極貧と。日本人男性純粋美術家が世界一不遇だといっていいよね。事実上。経済的にも社会的にも。それなのに、不当に国際女性作家を優遇しますと。これで保障もされませんと。しかも全体の奉仕者たる公務員の、税金(地方交付税含む)を使ったイベントですと。これで文句いわないほうがわからない。自分が男性作家で。機会平等、審査不公平、結果不公平(無理やり性別同数)。これどうみても今後の美術展文化にとって最悪の実例じゃん。審査からして不当に女性だから優遇されており、しかも最終結果の性別比さえ無理やり優秀な男性作家より無能な女性作家が数揃えの為に採用されている。なんなの。愚民扱いしてるの? これから審査は全部、透明に公開してくださいよ。全過程を。そもそも密室で審査することそのものがおかしいんだよ。ネットで全部中継してアーカイブに残してよ。そしたらもっと公論が興るでしょう? 一体、よい美術とはなんですか。皆さんもそれを知りたいと思っています。審査の公平性とは何ですか。私は全財産は30万ちょっとですよ。その人もちゃんと税金を払ってますと。消費税だの住民税だの。全てとどこおりなく。そんでなんだかんだいってそれが国税を経由して愛知県にそそがれていますと。その美術展でなんで日本人男性作家が冷遇されるの? 俺の税で? ばかなのか。俺の税かえして?
 国連にも教皇にもダライラマにも相談したんだけど、もっと上の人どっかにいないかな。トランプとかにいってもしょうがねえからな。
 たしかに応募比(選考対象)の性別比が、生物として男性の方が数が多いし、もともと1:1じゃありえないから、最終的に1:1に絞っちゃうと最初の時点で競争率が変わって機会平等ですらない。
 機会不公平、審査不公平、結果不公平(機会と審査を無視し無理やり性別同数)と、全て不公平だな。根本的に性別って男の方が少し多く生まれてくるはずなので、機会平等を達したかったら応募・選考時点で自然には男性比のほうが多くなるはずだから、そこからして、実力審査を無視し、結果を性別比1:1にするというそもそものフェミニズムの意図が不公平になるといえる。色眼鏡で「女ひいき」しようと思って、アーティストも観衆もだます擬似選考機会をつくってるあいちトリエンナーレ2019の主催者側(愛知県)って、一体、生まれつきY染色体をもって多少多く生まれてくる人類の人権を何だと思っているのですか? 機会平等なら男性作家の方が多く応募選考されるでしょ?
 岡本太郎的感覚論が主流の日本美術では、「そもそも美術に公平な審査がなりたたない」というのは、全く然りであるから、審査過程を全て公開アーカイブ化しても、それ以前にくだらねえ根回しとか情実で決められてしまう可能性が残るわけで、審査はもう観客の一般投票以外ありえないとおもうんだよね。先ずアーティストにプレゼン資料をA41枚とかツイート1個とかで提出してもらって、それを来客する人達が事前チケット買ってその番号つきで投票して、みたいものを選んでもらうと。そんで受かったものを展示すると。これが大衆枠って意味では最も真っ当な審査です。+専門枠でキュレーターが選べば?
 津田さんは「建設的議論」が成り立たないとかいっていた。どこが? 私はあなたの死後も美術活動すると思いますよ。長寿で。しかも私の作品は未来永劫残るんですよ。その為に生きてきましたから。現世を捨てて。私達求道者ですよ。建築家、美術家、建設しかするわけないでしょ。ダメなら作り直しだよ。
「女ひいき」されれば、自分は女ですから。女がひいきされて金儲け、売名、権力乱用なんでもある。ばかみたいな貧乏画家なんてぶっ潰し、自分が天下のおねえアーティストでござい。こんなでしょ? セクハラされましたと。男性もされています。強姦されましたと。男性もされています。ひいきは卑怯だ。
 ま、なんにせよ、所詮、天才以外の人達の世界だけどな。展覧会云々って。だって本当に超絶天才級だったら性別だの性差だの超越してるからな。そして世俗の展覧会での審査がどうとかそんな次元にいないしな。歴史上に残ってる人達でも展覧会って副次的要素だったと思う。印象派やアンデパンダンでさえ。性差と性別の違いを見分けないままで、わけのわからん小学校の学級界級の性別等分でギャアギャアアーティストいじめしてるモブのおろかしさ。
「性差という舶来語の意味わかってないまま使ってるの?」というタイトルで稼ぐか。1円。
「性差平等(gender equality)」なら、性別比がどんなに偏っててもいいのではございませんこと? あたくしそう思います。だって性差、genderって社会的に偏見として文化ミームの中に形作られている性格的役割の思い込みのことではございませんでしたかしら? たしかあたくしの大学校ではその様に。愛知県とかいうトヨタ傘下の労働者の方々って、一体全体、ジェンダーをセックスと誤解されていらっしゃるなんてことはございませんのですわね? まさかね。そんな中学生より低い知的水準で、一体全体、偉大なる大知識人アーティストの皆様をののしりさしあげていらっしゃったのでしたかしら? しかもですのよ。性差自由(gender free)と、性差平等(gender equality)って、大分ニュアンス、そう語義に微差があるとおもいますのよ。性差が解放されていることは現代社会で必須のLGBT、もしくはLGBTTQQIAAP(Lesbian、Gay、Bisexual、Transgender、Transsexual、Queer、Questioning、Intersex、Asexual、Ally、Pansexual)のみなさまがたの共通の願いですのよ。けれども平等とはなに。みな違うのではなくて? 性差平等ってなに。本気で。寡聞にしてはじめてきいたんだけど。性差自由ならよく聴くんだけど。是非定義して欲しい。性差平等って、勿論のことだけど生まれつきY染色体もってる個人をいじめるなんていう、あいちトリレーンナーレ2019暴徒が現に私にやってきている大蛮行のことじゃないよね。結果を無理やり生まれつきY染色体の保有率が低い生殖細胞群のほうへ有利に不正操作し、不公平な審査(審査過程が不明な上に性別で落としている)、不公平な機会(そもそも自然的に男性の方が多い筈)を伴って性別差別展覧会を開きながらも、愛知県という自治体さまはLGBTTQQIAAPの皆様に平等をとな? 違うから。LGBTTQQIAAP皆違うから。平等とか言われても。違いを認めて頂けます? なんで俺がほかの性差の人と一緒なの? ありえなくないか。何が平等? 普通に違うし。だから自由なんだろ? PZN(Pedophilia、Zoophilia、Necrophilia)については? これらの倫理的偏見を問うとか、それが性差アートでしょ? LGBTTQQIAAPPZNの自由を問うと。さらにそれに平等といっているよね、愛知は。平等ってどういう意味で使っているの。PZNと一緒です、平等ですっていわれたら怒る人いると思うよ。いわゆる何の性的少数者の性差ももってないのをN(Normal)と仮に置きましょうか。LGBTTQQIAAPPZNNというまあこれでも実に大雑把だけど15種類くらいの性差の類型がみられますと。純粋美術の世界で昔から行われてきた議論ってこの様な次元の話だよ。嘘抜きで。ほんとにそうよ。ゴヤとかバルトゥスとか。
 失礼だ失礼だと津田さんは怒っていた。あのね、あなたがしていることってほんと知識人の世界に土足で踏み入れて、ものすっごく次元の低い話をモブとまきちらしながら、無礼千万していることなのよね。だーーれもそうとははっきりいってくれない。なぜかというと気を使ってるからなのさ。僕もそうした。
 本音を書いてみましょうか。これは単に、純粋美術レベルでの性差の議論の為にですよ。
「うわー、この素人ジャーナリストとかほんと恥ずかしいな。だって『我が子を食らうサトゥルヌス』とか『Made in Heaven』、『Miss Ko2』、バルトゥス、同人誌、春画とか、何もしらんでアーティスト差別っしょ?」
「会田誠がスクール水着きせたティーンを滝にならべて変態妄想を描いてアダルトビデオみたいな裸群像もどきを描いていますと。じゃあこれは性差別ですかと。クーンズ自身が有名ポルノ女優との交尾を彫刻化して高値で取引されていますと。村上隆が男女の性器を巨大彫刻にして画廊で売る。でっていう」
「北斎がタコと尼さんの性行為を描いていますと。これは獣姦の一種ですがアートですかと。同じ触手モチーフが同人誌の中で使いまわされていますと。これはアートですかと。ゴヤが子供を食べる恐ろしい絵を残していましたと。これは獣姦の一種なのでしょうかと。性差平等? 男性が女性差別? え?」
「バルトゥスという幼児性愛の画家が、子供を家につれこんで卑猥なポーズをとらせ絵を描いていましたと。マネが娼婦を黒人家政婦の前に裸体で並べ古代ギリシアのビーナス像と重ね公募展に展示しましたと。村上隆は日本女性へのオリエンタリズムに重ね乳で縄とびするオタク偶像をさらに重ねましたと」
「オキーフは植物の女性器であるところの花弁みたいなでかい絵を砂漠の真ん中でずっと描いてましたと。ルイーズブルジョワがママンという母の名をつけた蜘蛛を各地にばらまきましたと。クリストは夫婦で金集めて世界中の建物を布で覆いますと。ピカソは愛人多数で一夫多妻みたいなもんでしたと」
「さらにダビンチは一度、ホモセクシャルのかどで逮捕されたことがありましたと。モンドリアンは生涯独身だがアメリカにわたった老人期にもコールガールの電話番号を聞いていましたと。ウォーホルがホモなんだかエイセクシャルなんだかバイセクシャルなんだか誰もわかりませんと。ダリは女性崇拝者と」
「アーティストが性差に解放されていたことなんて古代から殆どなんも変わりがないのに、なんでいまさら? 何も知らないのはわかってるけど、テーマが単純すぎるんじゃない? でも一々教えてあげるにもこの人プライドばっかり高くて、素直に言うこと聞かないし、どういってあげりゃいいんだ」
多分キュレーターの人らは、程度こそあれこれと似たことを感じて、僕と一緒で気を使って津田さんに接していたと。本音をいうとぶちぎれブロックしてくるし、いわないならいわないで全く勘違いしまくった誤導で一般大衆にアーティストを意図的に矮小化した性差別主義者みたいにしてしまうしと。
「ホモ写真家っぽい男性裸体の写真集を猥褻物認定されたメイプルソープとか、女装写真のシンディーシャーマン、森村泰昌、あと芸術としては古代ギリシアの神像以来の神聖化の手段だったヌードを世俗的に撮る篠山貴信だの荒木経惟だのは? オタクのエロフィギュアは土偶と共に性差別かい? と」
「性差だか性の問題を扱うなら美術界には実に豊富なバリエーションがあると。しかし性差+平等とかいう謎タームで、LGBTTQQIAAPPZNNをまとめて女性差別主義者と呼ぶのはいかがなものかな。そんなに単純なわけないよ。その切り口。しかしこの人にいってもしょうがないから黙っておくか? 上がいうし」
本音からみても実に下らない次元に、あいトリ(あいちトリエンナーレの略)モブの議論って矮小化されてるわけで。「男性アーティスト・アート関係者は性差別」って。そんなレベルで生きてると思ってるの? もはや笑い話にすらならなくて、性差と性別の違いわかります? とか聴いても大発狂で横文字で肯定行動(affirmative action)とかいう。
 ハイアートって自称してるくらいだからガチ(ガチンコの略で、本気という意味の相撲用語)哲学、ガチ科学と完全に連関しながら自己の論理展開してきた真善美の一角(しかも最頂点)を占める純粋美術がさ、なんでいまさら性差別主義よ。それ聖母子像描いてる最中のラファエロにいえるの? ミロのヴィーナスみてそれいえる? 土偶みていえるの? で、あなたはどうですかと。わたしですか。わたしはこの世の全生物がTWICEしかいなくなっても別にどうでもいいですよ。どうでも。一般の独身男性ですからね、肉体は。確かに紳士ではあると思うけど。普通に考えて女性を大切にしていますよね? 師も女、恋人も女、普通にしかも愛する人が女に多いと。
 散々考え直したが、やっぱりあいちトリエンナーレ2019って完全に男性差別展覧会だから、政治的正当性もまったくないね。愛知県は男性差別の自治体だといっていいでしょう、この件に関する限り。人権面で違憲だ。法の下の平等に反するんだから行政裁判すべきだ。あいちトリエンナーレ2019で群れて男性作家差別しまくっている極悪人達も同罪だ。憲法第十四条に反し、性別によって政治的、経済的又は社会的関係において、差別している。この人達は全員、民事その他の裁判によって罰される必要がある。あいちトリエンナーレ2019において男性作家を性別によって政経社会的関係において差別した、違憲な愛知県および当該展覧会及び、男性差別を煽っていた全てのツイッター等での発言者らは男女共同参画社会基本法を破っている無法者であるから、行政裁判、民事裁判等で具体的に制裁措置を命じるべきだ。男なら差別してもいいなんて話になるわけないだろ。あまつさえ自分がその性なら、全生命力をかけて全世界で極悪衆愚に反旗を翻し、女性ひいきの極悪人どもが全滅するところまで戦いきるべきだろう。男性作家は自分のはらった税金で腐った愛知県という日本国政府の一部を構成する行政から差別されてんだから、全力で訴えて不当な違憲行政を覆すべきだ。
 周辺状況を情報収集し、自分に想定しうる全ての場合を考えた限り、今回のあいちトリエンナーレ2019は機会不公平(応募・選考の性別差を最終的に1:1比にすることでの機会ロス)、審査不公平(性別比を最終的に1:1にする前提で性別を理由にした違憲・違法な選考)、結果不公平(男性の方が数が多い)。主催者側は話題になるとかいうどうしようもない悪意で、憲法14条に反し、法の下の平等を不当に侵害する、男性差別・女性逆差別をおこなった。これはわが国の法秩序、倫理観を完全に馬鹿にした話であり、断固として許し難い。主催者側と群れて違憲なる性別差別を煽っていた全衆愚も同罪である。
 私はあいちトリエンナーレ2019に群れた衆愚の一部から、或いは最低でも20人以上の大勢から、集団で憲法14条法の下の平等に反する不当な男性差別を容認して当然かのように、いいねやリツイートの連打などで脅されました。その上その中の数人から直接「狭量だ(男性差別を受け入れろ)」など侮辱された。今後、あいちトリエナーレ2019に群れた衆愚の一部、特に私の名誉を不当に傷つけながら、憲法14条法の下の平等に反する不当な性別差別、男性差別・女性逆差別を強要・教唆しようとしてきた極悪人達が、どれほど賠償してもどれほど刑罰にあってもどれほど懺悔しても、私側についた傷は消えない。
 独立した美術家と、美術関係者(教授、美術館勤務者、画廊勤務者など)は、先ずまったく別の職業であり、この両者を意図的に混同するなかれ。また美術関係者らの世界で男女共同参画社会に反する実例があったというなら個別に、実名で、直接訴訟するべきである。虚報ではないならそれができるであろう。美術家の世界で作品以外の要素によって評価されうる余地はない。もしその様な評価をしている者がいたとしても、その者は単なる愚物である。美術史は作品によって構成されているのである。或る作品を作った者が、その作品の意味内容によってのみ、美術史に記述されている。主は作品、従が作者なのである。これが美術家の世界だ。素晴らしい作品をつくりえない者が、なぜ性別で評価されうると思うのか。作品をつくれないから無能なのである。無能な者が労働者の様、採用される余地はない。或る美術作品を作りえた者が、結果として、或る作品の作者として美術史に記述されている。その作品を作った者が女性であれば女性の名が刻まれている。或る美術館において所蔵作品の作者の性別に男性が多いならその作者らが有能だっただけだ。美大生に女性の数が多かろうと必ずしも有能ではないのだ。下らない作品を収蔵した美術館に、どの程度の意味があるだろうか。無能な作者がたまたま女性であったならひいきしてその作品を購入する。駄作を購入する動機に、性別による差別があるとでもいうのか。美術館はテーマや歴史的意義に基づき重要な作品を購入している、作家の性別でそうするのではない。「生まれつき、或いは生後の努力の度合いにおいて、結果として優れた作品と認められる物を作りえた者に、男性が多い」もしこの様な事実があるとしても、既に美大芸大生の数において女性の方が圧倒的に多い以上、優れた作品を作りえない女性側の生まれつきの才能か生後の努力が足りないかどちらかだ。生まれつきの才能か、生後の努力か、いずれかが足りないだけである人物、それが男性であれ女性であれ、その様な者が駄作を作り、美術館に収蔵させようとしても無駄な努力だ。美術館側の予算は限られているのだ。展示も保管も費用がかかる。一流以上の作品を作りえた者の名誉だけが残る。性別ではない。もし駄作がふえてもよければ、あるいはテーマに沿った展示という意味でなら、女性作家の作品だけ集めていくということは容易にできるであろう。同等以下の金額でより歴史上重要であったり、作品として必要だが、作者が男性ならそれを購入しないとする鼓舞は、一般的には高コストなので不可能なだけだ。
 作家と兼業している教授の場合、この人が教授への昇格人事の際に性別で差別しているなら、単に男女共同参画社会基本法、男女雇用機会均等法にとって違法である。だがこの人物は、美術家自体としては性別でひいきしてもらえない。作品が全てなのだ。駄作しか残さなければ秒で消える。思うに教授選考時に、他の教授らは永続的勤務が見込める人物を選びがちだから、結婚等によって専業作家として本格的に活動していない類の兼業女性作家を選ぶのは困難なのではないだろうか。それなら専業作家としてやっている者から選びたくなるのではないだろうか? 兼業でも有能なら選ばれる筈だ。
 美術館長の場合、女性の中に館長にふさわしい人物がみつかりづらいか、そもそも館長を選考する側に何らかの意図があるのではないか? 美術館は往々にして行政がもっているから、性別比の偏りが生じている直接の原因は、日本国政府と各地方自治体にある。これについて私は何も知らない。政治の問題だ。

あいちトリエンナーレ2019を巡っての言論の自由について

まあなんにせよ、差別されたら全力で戦っていい。差別してきた側のみに100%原因があって相手が絶対に悪いことは確定的なのだから戦えば戦うほど自分にも世界にも公益しかない。
 今回、女性をもちあげ男性を貶めるという物凄く大雑把な性差別で、私の人権を侵害してきた人達は一人残らず国連の場でやりこめるしかないでしょ。欧米人の大勢と一緒になって、社会的弱者である極貧の日本人男性美術家いじめすれば、偽善者として大勢の衆愚から賞賛され、なんとお金までもらえてしまうんだから笑えてくる国だ。その衆愚側の一員になりさえすれば、自分で自分を差別して、今後も素晴らしいすばらしいと暴徒に褒めてもらえるとな? 自分の職業的尊厳を捨て、一度もしたことも想像さえしていない性差別などという野蛮極まりない下衆どものわけのわからない下品極まりない妄想を、自分がもっていると片時でも空想できようか。これはお笑い種にすらなるまい。衆愚どもの卑しさ、その語るに落ちる品性下劣さ、卑陋さ。私を何と思うのか。
 性ファシズムで、女性をもちあげ男性をおとしめる、というこれだけの悪意をもてれば、なんとお金がいただけるとのことである。地位も名誉もいただけるとのこと。どれだけ質の低い言論界なのか。当然だがそんな衆愚どもの国が先進国だの一流国でありよう筈もない。ただのリベラルファシストの国だ。
令和愚民「そうやわ。日本人の男性美術家だか関係者などどれもこれも性差別主義者に違いないわ。全員処刑で。何しろ美術など何一つ知りませんから。私達はマンガアニメが大好き。東浩紀さんのおっしゃるとおり動物化する愚民たちなので。では、楽しみにしていた性差別満載の同人誌でも買ってみますか」
暴徒A「なんでそんなに狭量なん? 男性に生まれたやつなんて差別でええわ。1:1の性別比にすれば一見公平にみえるやろ? どうでもええねん真実なんて。ポスト真実、虚報新聞。生まれた時点で男性の方が多いのに女性と数そろえ。応募者だか選考対象者の母数の偏りとか、どうでもええねん。煽れや」
町人画家A「正義面でうんざりするなあ。どうせうちらなんて、一般人がポルノ買いあさってるレベルのど下衆の集まりなんや。どんどん裸体画でも描いて、芸大ぶって金儲けすりゃええで。ほんま楽なお仕事どすえ。女だか男だかどうでもええわ。野郎差別で」
自称文化人C「国際潮流だから支持しまーす。男性の極貧の日本人の絵描きが苦しんでいても、どんどん餓死していってても、国際潮流にのれば文化人ぶれるんで、支持しまーす。忖度しまーす。でも安倍はダメ。忖度批評で金と地位と名誉が得られるのがTHE NIPPONだから支持しまーす」
匿名衆愚D「どれどれ、いつものよう匿名掲示板で罵詈雑言でもまきちらし、ネット右翼でも煽ってねよっと。そしたら群れることが正義と勘違いしている極悪人が多いことだから、日ごろの鬱憤晴らしになるやろー。あっはっは。高みの見物や。どーれ5chで陰湿にさらすかあ」
美大生E「そう、私の為に男なんて不当に選考からおとされて当然じゃないかと。セクハラばっかりしてくる。美術界だけ最悪。こういっておけばいいんですか? え、標本は個人経験だけで統計ぶる。一般社会やポルノ業界のことなんて何も知らないんで、美術界こそが最悪だっていえばいいんですよね?」
自称アートファンF「楽しみだなあ。楽しみだなあ。性差平等という名目で、性別の結果平等を無理やりねじ込んだ、国際美術展、世界中で話題になる、無理やりのリベラルファシズム展、まさに時代の流れ。男性差別は当然視されるべきだ。弱い男? どんどん浮浪者になって死んでるけど、どうでもいいね」
男が自分職業をいきなり卑下だか差別しながら、女をやたらめったらひいきして持ち上げれば、無数の馬鹿女とか無数の自称政治通がよってたかって表彰台を用意してくれます。そこに乗ると、国際潮流という名の男性差別主義者(別名・リベラルデモクラット)になれ、雌のヒーロー。女ひいきで英雄だあ。
自称科学通X「ああ、あたりきよ。お金さえ払えば簡単に買収できちゃうからね、雑誌社なんて。報道なんて作り放題、うそのつき放題、とにかく馬鹿に分かり易いテレビ番組が必須、ネットメディアもおんなじ。だから嘘に嘘を重ねて愚民を煽ればがっぽりよ。これ。わかる? 科学ジャーナリズム万歳」
私もばかになれたら、あいトリ衆愚の一員として男性差別を堂々としながら、弱い立場で今にも死にそうなあまたの男性美術家達をののしりまくり、偏見と悪意で自死寸前まで追い詰めながら罪悪感の一つも持たず、ブロックするぞと脅すイデオローグにいいね! でも連発できたのかなあ。絶対なりたくねー。
日本人衆愚Y「まーだいってたの(笑)。あの過激派。んじゃこっちでは無理やり男性美術家を不当に扱って、とにかく女性ひいきの過激な選好でもすっか。税金のもとでも愛知県のだし、トヨタの浄財だから安倍政権が搾取した世界中のお金だから、どんな汚い使い方してもばちなんてあたらないよ」
日本人衆愚I「美術の素人だからどうせ美術業界なんて差別主義者の集まりだったんでしょ? あのデータからそう読み取ってしまった。だって統計が恣意的に引用できるなんて知らないもん。科学的反証精神なんて教わってない。批判的思考なんてできないから、とにかくなんでも鵜呑みにして群れりゃ普通」
町人H「どうせあんたら画家も人間だから下衆なんだろ(笑)。下衆にしてやるわ、たとえ高貴であろうがな。だって、わけわからへんもんなんていらへんねん。そこらに堕ちてるマンガのがええねんで。わしは。エロマンガくれや。それでええで。ほんまに。庶民も庶民、ド庶民のために描いておくれやす」
日本女性W「私が優遇されるようにしておくれやす。私が優遇されれば世界中の男どもが、お喜びにならしゃいますえ。なにせ日本女をめあてにぎょうさんおいでにならしゃいますからなあ、中国から。梅毒まきちらしに。ポルノ、マンガ、アニメ、女を性的に扱ってきたげすな東京サブカルチャーの影響とか」
記者O「カネや。カネなんや。カネカネ。そう。カネ儲け。それが報道。THE  不誠実。嘘でも作り話でも脚色でもポリコレっぽく改竄。だって、カネやから。衆愚受けすりゃええのんえ。それがカネ儲けの忖度報道ってなもんよ。カネやカネカネ。尊厳? 科学精神なんていらへんよ。堕ちるところまで堕ちよ」
会社員L「気分がよくなる情報ないかなあ。あった。これだこれこれ、あっはっは。芸能人をくさしてる。美術家って全員男女差別主義者なの? へえ。ほんとばかみたい。あーあ疲れた。ほんじゃ、酒でも飲んでねよっかな。貯金で中国旅行でもいくか。ゴミみたいなアート。ゴミにカネ払う人いるの?」
 性差(ジェンダー)平等とかいってんだから男が男を擁護してなにがわるいの? ばかなの。あいトリ衆愚って。
 男なんだから男が差別されたら515152151倍返しにしていいだろ?
 とりあえずあいトリ衆愚が世界最低の差別主義者だと認められるところまで、ジェンダー平等の理念にのっとり、私は男性として男性のために戦うよ。それは当然です。何しろ自分を含む美術家の男性がおとしめられてゲラゲラ笑ってるだけでもいいけどね。寧ろゲームでしかないけどね。男性ごっこのゲーム。逆にどこまで貶められるか知らないけど、好きなだけ貶めていたらいいのでは。あいトリ衆愚の皆様は。それをすればするだけ愛知県の行政展が男性差別主義展覧会を拡散させて世界中の男性を男性として尊重しないエセ性別平等の性差と性別の違いすらわかってない本物のばかだという風になってしまうけど? あいトリモブの皆様は男性差別がお好きどすなあ。ほんと男性差別で女ひいきしまくった結果、大量の餓死者が男性美術家の方々にでてくるかもしれまへんけども、ほんまよろしおすなあ。はんなりして。さすがのサブカル漬け、さすがのポリコレぶったエセ左翼。さすがのリベラルぶった女尊男卑主義どすな。
 まあなんでもいいけど、相手が女性だろうが男性だろうが、無性だろうが、自分の権利侵害してきたら普通に全力で叩き潰すしかなくないですか? それは自分が男性であれ女性であれ何者であれ同じだと思うけど。今回、私は美術を20年間真剣にやってきた人物だけども、一方的に差別され傷ついたから戦う。あいトリモブの皆様、ほんま男性差別はよろしおすな。どんどんポリコレ棒で、無実の善良な上に女崇拝者の皆様方を、単に美術と名がつくだけでどんどこ殴りまくっていればよろしおすえ。それが自称正義、自称事情通、自称素人、自称日本人、自称国際文化人の極悪人どもの蛮行であれど、どうぞよしなに。
あいトリモブP「男として生まれたからには、とにかく差別されて当然やろが! 男として生まれたからには、黙って耐えんかい、このポリコレ棒に! ほれ大勢の愚民どもがお前を罪人だといっているぞ! 寝てもさめても発狂してもゆるされんぞ! 土下座切腹してもゆるされんぞ。男として生まれたから」
都内自称批評家M「わっはっは。美術家なんてどいつもこいつもばかだから。なにせ俺は東大だから。お前らは全部ばかだ。学歴差別だ。俺が上、お前が下。だからブロックすればハイソサエティ、わかる? 田舎はばか。私が神。ではそういうことで。うん、OKOK、金儲けすりゃ俺が上だから。ポリコレでOK」
美術家S「女に生まれればなあ。ひいきされたのに。何しろあいトリ以後、どこもかしこも女だらけだ。女にさえ生まれればなにやっても幸福度世界最高、それがこのサイコな女中心社会にっぽんだからね。男は自殺かイケメン発情か二択しか生きる道がないとか、おわってるな。美術でも差別。おわりだな」
悪徳ネットユーザーQ「男性差別でいいじゃん。性別平等に無理やり結果を近づけながら、優れた男性作家を足蹴にして建前は性差平等とか、ダブルミーニングが建前なんだから、要するにばかしかいないのさ。そうだろ? ばかしかいない社会なのだ。ここは。日本国。ばかしかいないのに、正義ぶるなよな」
起業家Z「なんでそんなことで真剣になってんすか? どうでもいいから、外から眺めてからかってりゃいい。エロ広告で匿名の人達が大勢お金くれれば出廷なんてせずとも、この国。余裕っしょ。犯罪の場を提供してるとかいわれても弁護士のせいにすれば詭弁で煙にまけますから。えろうすんまへんな」
あいトリ衆愚より性差別主義者って今まで1度もみたことがなかったけど、なんでそこまで男性差別したいの? まじで何一つわからん。ばかだからなの? 無知だからなの? 悪意があってしてるの? なんで男性作家だと無理やり審査おとされるの? ポリコレ棒でぶったたけばどんな不正でも罷り通るの?
日本愚民L「女性ひいきなら、いくらでもしてやってもいいが、何しろポリコレぶれば世間から地位も名誉もカネすらもらえるが、お前の言う男女平等なんてはやらないんだよ。表向き女性ひいきっぽくして小学生じみた1:1にすりゃ審査過程なんて素人にわかりっこないんだから、ごまかしちまえよ。なあ?」
ちなみに私は女性ですからね? 中身。そういえばいいんでしょそういえば皆さんが崇めてくるんでしょ? 女性だから偉い。これがTHE NIPPON。うつくすいくににっぷおん。そうでしょ? 私は女性ですからね、実際。女性以外である可能性が排除されている遺伝子だからね。生まれつき。ひいきすんでしょ? 日本国に男性としてY染色体をもって大体半分以上の確率で生まれてきたら絶対に死ぬまで差別されまくるからね、特に美術家は。これが事実ですよね。結婚もできなければ子供も持てない。だって男性美術家だから。食えないから。かつネット上ではなーんも知らないあいトリ衆愚に差別され侮辱されまくる。
 んじゃ俺もあいトリモブにまじって男性作家いじめでもすっか。ワハハ。自分もばかになればなれるのだ。だって男性作家いじめすれば自分が美術をしったかぶれる構造だもんね。アッハッハ。よくできた悪意だよ。ポリコレ棒で経済弱者いじめのために、捏造したスキームで背後にはサブカル地獄。最高だね。俺の親友が男性だろうが、自分が男子校だったろうが、とにかく男とみたら敵視。笑えるほど単純なルールで美術を知ったかぶれるとみたから、とにかくばかがわんさか集まってきますえ。そしてそのばかの一員となって無実の男性作家どもを一人残らず、貧乏人どもを一人残らず、このポリコレ棒で、ケッケ。芸大教授とか美術館とか画廊とか、そんな下衆な世界しらねーよ。どうでもいいしな。そんな連中と、まじめに毎日作品に向き合ってる神聖なる大芸術家様を一緒にするのはどこのどいつだ? 全員ここに居直れよ。侍を何だと思ってるんだ。
 逆にあれか? 会田誠さんだかバルテュスさんだか知りませんが女だか幼児を性的に描いたら、大歓喜か? ん? JAPANESEのみなはん、そうなんでしょ? あんたら。そうしてきたんでしょ。どゲスな東京江戸町人商人の皆様。そうだよね。コミケみた? 同人誌みたことある? それは無言か。ん? 時が時ならとうの昔に全員打ち首獄門級の無礼千万を働いておきながら、逆に何が失礼だ? ばかなのか。お前が男性差別してるんだろうが。芸術家様を差別してるんだろうが。男だから差別しますと。公平な審査などしませんと。そもそも公平さが何かすらしらない門外漢でしたと。はいそうですか。じゃあ普通に謝れば? だって芸術家ともあろうものが男女差別なんてするわけないんだから。私がそんな考えもつとおもうの? 生まれてから1度ももったことない。想像もつかない。
 私は19才だかのとき全く自力で、日立市の某店の建築物をみて、ああこれ造った人が一番よさそうだからこの人のところに弟子入りいくわ、と思って妹島和世さんの事務所の前までいって、働かせてくださいといったんだよ? 全く誰の命令も受けずに完全に独力で。自分の判断で。女性とか関係ないよ。当時はプリツカー賞もらってなかったと思うけど。その後もらってたけどな。だから俺が自分で建物を直接見て、これが一番よさそうだと思ったのであって、そこに男だの女だの無性だのそういうわけの分からない馬鹿の考えそうな余地とか一切ないから。建物が優れてるかどうかだから。それが美術だから。
 あいトリモブもそうだけど愛知県も大概だな。まあ永遠に許されえないというか無限に追及して、できたら俺の前で謝罪してもらいたい。私がなんで差別するんですか。ばかなの? 女性建築家に弟子入りに行く19だか22だかの男が、その10年後に、突然女性差別なんてする? ばかなの? 考えろよ。愛知。愛知県の文化の質が低すぎるんじゃないんですか? なんですか、性差平等とかいいながら実際にやってるのは性別を無理やり結果平等にするとかいう小学生レベルの不公平っぷり。笑って欲しかったの? 性差の意味わかってないの? どういうこと? 何を学んできたの? あんたら。愛知県の公僕さん。正直、三流の人間とつるんでるから、愛知県の行政はこんな三流の性差別なのが明らかな展覧会なんて開くんだよ。誰がどう見てもおかしいだろ。生まれつき男性だったら不当におとされますと。理由はポリコレですと、政治か? お前ら。文化行政のくせに政治目的でやってんのか? なめてるのか現代美術。政治みたいにどうしようもない下衆どもの世界と、神々と戯れる天上界を一緒にしないで。世俗の極悪殺人教祖であるところの天皇の性差別問題だけ報じてろよゴミみたいなエセジャーナリストどもは。わかったか? 菊タブーじゃねえぞ。政教分離だ。憲法守らせろ。上皇なんて違憲だからな。批判しろよ。
 試験でいえば、或る人が100点でしたと。或る人が15点でしたと。で赤点とったほうが女性だったから合格ですと。それでしょ? 今やってしまってること。そんでサブカル愚民が美術を知ったかぶれるとみて、大挙して、わけもわからないまま立派な偉大な天才達をののしりはじめました。地獄いきかな? まああれですな。愛知県の文化行政の質が低すぎるのが露呈したというだけか。そういう結果になるよね、これは。性差と性別すら見分けてないって本当に謎。謎な質の低さ。子供だましの性別同数で、選から落とされた男性作家たちはまた今度ねとかいっている。それ実力関係ねえだろ。仕事なめてるのか?
 よくよく考えてみましたが、やっぱり今回のサブカルモブみたいな連中は全員とっ捕まえて、打ち首獄門相当だと思います。だって一度も性差別なんて脳内に入り込んだことがない、私みたいな人間を差別しまくってんですよ、冤罪で。それ、ほんと地獄におとしてもまだ足りないほどの大罪だから処刑してよ。何度もいうけど、私はこの世から女性しかいなくなっていいと思ってるよ。男性にこだわりとか一切ないよ。そもそも人間にこだわりがないし、生物にこだわりがないんだもの。どんな動物だろうがどうでもいいんだよ。神にすらこだわりがないよ。宇宙にさえ。そんな高尚な考えもてないんだろ、愛知県は? 自分がなんの生物だろうが無生物だろうがそんなのどうでもいいんだよ。なに、そんな次元でばかみたいに差別してきてるの? 失礼だとか。おまえだよ。お前が失礼なんだよ。下衆が。下衆の世界であるところの東京都とかいう原発ばらまいて金儲けしてる町人商人の社会で、失礼だ失礼だといいながら、性がどうとかいっている。なにを申しているのでしょう。私は宇宙全体の中で人類などちっぽな存在どうでもいいのです。全星雲が流れていく先をみているのです。神々と。芸術家ですから。
 本当にたちの悪い、下衆極まりない東京だか愛知だかの商人どもにかかわってしまったものですよ。向こうから絡んできてるんだから。こっちは美術を美術としてみて美術批評としてまっとうなこといってるだけなのに、差別がどうとか失礼がどうとか意味が全くわからない。金儲けしたいだけなんだろう? 私は金儲けみたいな下俗の有様にかかわりとうございませぬ。私はただうつくしい絵がかきとうございます。わたしはすばらしいおうたをききとうございます。わたくしはただ麗しい音楽に耳をすませ、趣ある建物の中から庭の草花にきた鳥の声やちょうの羽ばたきをみとうございます。愛知にいきたくない。
三流の人間にはかかわらないことですな。ほんとばからしいよ。今後、まじで全宇宙の美女と全財産と全宇宙の支配権力と要するに宇宙全体の神にならないか? といわれても、愛知県の文化行政ですってだけで、ふざけてるのか、と思うよ。だって俺が関係ないのにいきなり失礼だの差別主義者扱いされたんだよ? ばかなの? まじでふざけすぎでしょ。愛知。愛知県は愚民を煽って、何の罪もない、単純に大人しく美術史について語ってた男を、いきなり大挙して貶めまくった末に、差別主義者呼ばわりし「失礼だ」などと罵ってきたんですよ。本当にね。これ、嘘だと思うだろうけど数日前だか1週間くらい前から今日まで毎日まじでこれなんだけど。愛知なんなの。あいちトリレンナーレ2019の関連者の人にいきなり大挙して暴言はかれたんですけど。わたし、美術史について語ってたんだよ? あいちトリレンナーレについて意見いってる人達って大体こんな感じだけど美術史上の位置づけってどうなのかとかいってたんだよ。そしたら失礼だの差別主義者よばわりだよ。
 まあ今後、土下座切腹後、日本国全体が俺の前でわびても、今回のことはわたし側には何の原因もないことであるから、愛知県が100%悪い。だって私は女性の師匠に働かせてもらって感謝しかないし、恋人が全人類で一番大事なんだよ? 普通に考えて性差別してる下衆なんてみたことない。質が低すぎだよ。東京だの愛知だの下衆の社会がどうなってるかなんて下衆自身にしかわからないんだから、無関係のわたしにもってこないでよ。
 愛知県の行政は、まったく無関係の土地で大人しく毎日絵を描いて、全人類の芸術的発展に尽くしてる偉人をいきなり大挙して衆愚と一緒にリツイートだのいいねだの失礼呼ばわりだので辱めまくり、しかも謝罪の一言もないんだが。美術批評の自由がないの? 愛知だか東京だか知らないが。野蛮すぎるだろ。まあ愛知県が今更わたしに謝罪してきても、いきなり大挙して失礼呼ばわりしてきた時点でもう二度とつきあわないけどね。一事が万事だよ。どんだけ品性がない県なんだよ。美術史について語ってたらいきなり失礼呼ばわり、集団虐待って。やくざでもそんなことしないだろう? やくざよりひどい文化行政って一体なんなんだ。あいちトリエンナーレ2019って中止しないの? なんでいきなり差別主義者よばわりされるの? 私は普通に絵を描いて、絵に関してはよく観察してるから、美術史と関係してなに語ってもそれはわたしの職能の一部として当然正統な言論活動だとおもうけど。だって人類始まってからずっとある古典的分野である絵画が、現代だけでおわるわけないし未来のためきちんと体系的に理解してるだけだろ? 絵をきちんと理解しましたと。そこに照らしてこの展覧会の騒ぎはこんな意味じゃないですかと。それ、普通にただの評論でしょ? 何一つとしておかしいところはない。なのになぜか、大発狂してる衆愚が、大挙してこっちを差別主義者呼ばわりというか訳のわからない性差別とかいう蛮族の話してくる。あいトリモブって何が目的なんだ? 美術を知ったかぶるきっかけに、男性美術家を性差別主義者と同一視するとかいう本当に死んだ方がいいような最低最悪の職業差別しながら、大勢で死においつめようとリツイートとかいいね連打で脅してくるんだけど、一体どうやって対処すりゃいいの?
 脅してくるってどの程度かといえば、私の通知の所になんぼでも出るんですよ。いいねだかリツイートだかの通知が。そんで、それのどれもが、わけのわからない「男性美術家は差別主義者だ! 女性ひいきして当然だ! ばかめ!」みたいなものの文脈で、しかも大挙してくるんだよね。10とか20とか。あいトリの男性アーティスト差別モブどもが全滅するまで戦うしかないのか。ほんとくだらねえ雑魚キャラどもが。誰とかさんのあいトリモブと戦う演技で、もっと東スクールのサブカル連中が芸術界から無限退治されないかなあ。金儲け美術で動物化が平成だぜとかいい、挙句に信じられないほど低次元な通俗知的水準の、性差と性別の違いすら認知できないわけのわからんほどの忖度宗派。男性作家いじめが流行中でーす。安倍が忖度じゃねえよ。お前ら東京のサブカル連中がそれだよ。なにサブカルのイデオローグ一派がアートぶってんだ? お前らにわかるわけねえだろうがよ。あたまがわるいんだから。あたまがわるいからサブカルサブカルいってたんだろうが。学歴でごまかせるとおもってたの? 私の祖父の出た大卒で?
 東京サブカル中央主義が日本文化全体を腐らせた第一原因なんだから、そのイデオローグに過ぎない某一派は、ほんと平成時代で絶滅相当だよ。だってまじでいらないもん。邪魔でしょうがないし。腐らせてるんだから。日本を。幼稚か? 子供騙しで金儲けして同人誌すら批評してないじゃん。ばかなのか。大衆商業芸術があんたのいう中央か。それお前が下衆なだけだから。現代美術なめてんじゃねえぞ。失礼がどうとかいっている。はっきりいわせてもらう。お前如きが俺に話しかけてきてる時点で失礼なんだよ。本気で。お前は下衆の金儲け主義者だろ? 俺は芸術家様なの。生きている世界が違うのね。だってお前は金のためにばかみたいな仕事してるんだろう? 俺は10兆円積まれても俺の魂に従うんだ。お前さんとは仕事にかける魂の高貴さが違うのね。だから私はお金でも動きません。ばかではないので。私は政治権力でも動きません。なぜなら私は臆病者ではないので。何十億人の憲兵だかナチス連れてきても敢然と反戦画を描きます。拷問されようが原爆おとされようが無視です。私は聖人以上の存在です。本当に下らない自称記者さん。或いは自称批評家さん。或いはモブさん。あなた方は私とは生きている世界が違うんですね。私は絵を描きたいんですよ。あなた方の属してる俗世間で、やれ差別がどうちゃら、金の為の仕事がどうちゃら、ほんと、100%どうでもいいから。私に何一つ関係していない。俗界は。あなたは私にいいました。展覧会にきてくださいねって。わたしがなんだとおもってるの? 私は全世界の美術を血眼になってみてきた天才中の天才ですよ? 神の如き芸術家が一見してどの程度の質の展覧会かなんてわからないわけないでしょ。三流の展覧会にきてね、ってなんなんだ。失礼なのは君ね。私の時間をお前如きの三流展覧会に使うわけねーべ。考えなさい。本当に失礼な三流記者さんよ。美術をなめてるんだよ。あなた。私は冷静にみてます。本当に素晴らしいといえる作品が展示してあるなら、普通に行きます。妹島和世さんの足湯、行きました。山奥でも行きますよ。完全に世界史上、最重要なら。いける範囲なら。ただ、いきなり差別主義者呼ばわりしてくるようなばかどもの展覧会なんて行く可能性はまったくない。考えてみて欲しいんですよ。わたしの絵が何の為に描かれてるのか。私は全世界の絵を時間がゆるすかぎりすべて見ようとしてきたのだから、私の絵よりすばらしいといえる絵がなかったらそんな美術館だか展覧会だかわざわざいかないでしょ? 私自身が世界一優れた絵をみたいから描いてるんだよ毎日。
 まあもういいわ。雑魚は。雑魚に構って損したよ。この1週間くらい。東京はほんとろくなのいない。わかってたけど。
結論「三流の人間に関わってはならない」
 前から思ってたけど愛知県の芸術文化に対する理解度の低さって甚だしいよね。商売人の社会なんだよな、そこは所詮。坂本龍一のコンサートでなに言ったかみた? 信じられないよ愛知県の芸術に対する態度って。全く向いてないね。金儲け第一の愛知文化(尾張宗春から来てるもの)で、最も金儲けから遠い純粋芸術って永久に追求できない訳だから、おそらく遠からず潰れるんじゃないですか? トリエンナーレがどうとか。だってこの私が、絶対に行くまいと心に誓ってるんですよ。それほど質が低いのさ。呆れるどころじゃないし。子供すら騙せない論理で、不平等をおしつける。そのくせダブルミーニングを駆使して衆愚を扇動する。しかもとうのアーティストらを差別させる方へ。愛知県よ。これは罪だぞ。今後、愛知は信用しない。作家を馬鹿にしすぎなんだから。そもそも某ジャーナリストを陽動したのは、愛知県が客商売目線で芸術祭をつくったからであって、端的に言えば下衆なんだよな、発想からして。だからそのくだらねー余波でこっちまで被害者だよ。ばかが。愛知が悪い。愛知県の文化の質が低すぎるんだね。美術に関する限りね。東京程度の低さだよ。東京は幼稚で低俗なサブカル地獄でしょ。愛知はそれに追従したいのかなんなのか、大阪と東京にはさまれて金儲けしかあたまにない自治体だから、客寄せすれば金儲かると思ったんだろうな。低俗すぎる発想で頭が痛いですね。知らない方がよかったです。今まで一度もいったことないし今後もいかないけど。ほぼ断言できると思うが、愛知県というのは美術に関する文化行政の面では三流以下ですね。これは今回の諸騒動をみていて確信できたことです。質の低い世俗的要素が多すぎてびっくりです。表向き隠すことすらしていない。集まってくる客もそれに応じますから。ろくな客がこないでしょ、差別ネタじゃ。
 私がこれまで見た展覧会で一番よかったのは茨城県立美術館の収蔵品展で、『猫に烏』という菱田春草の傑作をみたことです。色々な展覧会いきましたけど、まさかあんなすばらしいのが眠ってるなんて知りませんでした。大観の富士を対決-巨匠たちの日本美術とかいう国立博物館でやってたのの最後に見たのもまあまあ印象的だったけど、なんだかんだいって日本美術院の立ち上げの時の五浦派の人達が日本美術全体の中でも最も高貴な魂をもっていたといえるでしょうね。地元だからいうわけじゃなくてね。
 天心がかいてましたよ、『日本美術史』で。精神が高ければ絵も必ずそれに応じると。
 琳派自体はただの金持ちの道楽だったんだろうけど、それを高度に閑雅な様式に昇華していった五浦派の人らは、一体その根底にどういう魂があったのか。朦朧体を自ら捨てて以後の展開にある絵の質が異常に高い。しかし考えてみると、五浦派の人らが琳派をとりいれてからの表現の質と比べると、欧米美術の文脈主義ってほんとに稚拙でしかないね。だからなにって話だよ。おそらく村上隆さんも含め、大観とか春草の前に出たら縮こまってしまうでしょうね、あの世で。余りに次元が違いすぎるね。精神の。愛知県とか言う美術的に野蛮な自治体には未来永劫近づかないけど、欧米の文脈主義的美術も、ほんと下らないな。かといって院展・日展の絵が素晴らしいとも思わないけど。結局、天才達ってある一瞬に一箇所に出てきたり、単独で出てきたりするもので、組織的には得られないんだよね。精神的指導者としての天心が、日本美術全体の中でもたらした最純度の影響力こそ、あの五浦派の朦朧体を脱して以後の、純粋に精神的な絵画表現追求の過程になっていたんだろうな。前衛ではあるんだけど、文脈主義というより精神主義なんだよな。五浦派の理念と、スーパーフラットの理念とか比べてみなよ。天地の差だよ。スーパーフラットって。もうどうしようもないものだよ。マンガアニメと一緒ですって。笑えてくるよ。文脈主義自体が大した意味を持っていない証拠だよね。『727』と『落葉』比べたら前者がいかに幼稚か計り知れない。なんだかんだいって俗社会に拘泥しなければ、結果は最純最美のものになるのだから、俺がいうところの理想主義こそ、究極の前衛であるはずだ。商業性とか大衆性とかは無視しなければならない。五浦派の精神主義的な絵画表現のさらに最純なものを追求しなければならない。結果、世界美術史で傑出できる。
 この1週間くらい時間損した。もう低次元な展覧会に批評で分析忠告してあげようとかやめるわ。馬鹿しかいないみたいだし、かかわるだけ損でした。親切があだとなった例でした。下賎な人達にかかわるとろくなことがありませんね。下衆はゲス同士、下水の中でうごめいて生きているので幸せなのでしょ。

津田大介さんへあてたツイート)
 今ここに、お一人のおさむらいさんがいるとしましょう。大変くつろがれており、山のうえに咲いているやまざくらが散っていて、茶屋の店先でお茶をのんでいらっしゃる。町人の皆様も、みな目礼しながらにこにこしてその前を通りがかっていく。大変うるわしい日本の姿です。うつくしい国、日本。ところが突然、事件が起きます。その町人の中から1人が歩み出ると、「この男女差別主義者め!」と罵倒をはじめます。読売(現代でいう記者)の人で、どうやら西洋かぶれかなにかで舶来の知識を使って、おさむらいさんが性差別をしているというのです。
 お団子をもってきた茶屋の人もびっくりして、みせのおくにひっこみ、隠れてしまいました。さらに別の町人達が騒ぎを見るために集まってきて、その群集の中のひとりがまたいいました「差別主義者め!」「性差別はひっこめ!」
 このおさむらいさんは、妻や娘をとても大切にしているし、高い教養も身につけているので、女性を尊重するのはいうまでもなく、博愛精神をもっています。儒教も仏教も洋学も知っているので、(また洋学かぶれが浅はかなことをいっているな)と、気にしない振りをして桜を眺めていました。
 ところが見物人はふえはじめ、10人、20人の群集となって、おさむらいさんを大勢でよってたかって罵倒しはじめました。「しんでしまえ」「この食えない貧乏人が」「どうせ被害妄想だろ?」「なんで生きてるんだ」「お前ら侍は全員が性差別してきたんだろうが」
 こうなってしまってはわが国のうるわしい秩序どころではありません。ついにおさむらいさんは立ち上がりました。そして道の真ん中までいくと、最初の町人の正面に一定の距離を置いて立つと、お腰につけた刀の束に手をかけます。町人たちは群れているので怖いもの知らずで、「この、セクシストが!」「ギャハハハ、性差別主義者なんだろう?」「あーら嫌ね、差別なんてしてるの、あんたたちだけよ」「とんでもない連中だな、さむらいとは」などと口々にいいあっています。
 さて、以上は比喩ですけれども、このとき、おさむらいさんはどうすべきですか? (なおこれは完全に比喩であって、全く何一つとして脅迫的意図はございません。どうかその点は勘違いなさらぬようお願い申し上げます。お金もないけれども、あるいは世間からばかにされようとも、独りの人間として立派に生きようと願っている者の心の中には、一寸の虫にも五分の魂と申します様、侍精神が眠っているのではないですかというのです)
 私はこの様な立場に置かれたおさむらいさんがその場にいた町人達を全員斬り捨て、のちこの村自体が滅ぼされても、その村を管理している大名が取り潰しになってもそれは町人達の自業自得という風になると思います。(これは自分の尊厳を守る為に全力で抵抗するでしょうね、という意味でして、人権を守ろう、自らの誇りを懸け命懸けで戦おうという精神は、時には革命まで起こす潜在力があるものです。勿論、現代で大名もいませんし、斬り捨て御免の制度などありませんし、お家取り潰しもありませんけどね)
 勿論、既に私達は現代にいますからこんな中世式の秩序はありません。しかし、あいちトリエンナーレ2019でおきていることの全体は似た様な現象ではないですか? そして町人の一部には「多様性だ」とかいっている者までいる。読売の背後で。これは単なる笑い話ですけれども、まさに無秩序です。
 福沢諭吉は「ペンは剣より強し」、といっていましたね。有名な格言です。ご存知でしょう、彼自身も『時事新報』なる新聞社を作って色々な記事を出していた。『脱亜論』もその中で発表された重要な(負の意味もありえますが)論説です。報道自由度67位(2018、RSF)。真剣勝負は言論で行うべきですね。

※このブログURLは2019年6月8日に
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