2019/03/22

SNSは有害

日本語が通じない人と会話させられて、とっても疲れた。
 ゆとり教育が「偏見」だと思ってる人は多いだろうけど、本を1度も読んだことがない、とかいうゆとり世代の短大卒の人と会話してみるといい。文盲に近い国語力の相手と文章でやりとりすると、相手が誤解しかしないのがよくわかる。文盲なだけならまだしも(しかも教育を受けられなかったのではなく寧ろ贅沢に育てられエスカレーターで短大卒になっているので、怠けてきただけ)、その相手が性悪だった場合、会話する限り悪解釈しかしてこない。
 ゆとり教育世代の読書率は致命的なくらい下がっているわけだけど、本当にやばい。
これまでの常識ではありえないくらい文章が読めない、日本語が読めない、文脈や文意が読み取れないという人が20代以下、とっても増えている。それは教育の失敗もあるし、インターネット動画や漫画アニメゲームの普及で文字を読まなくなり、読解力や科学的思考力が低下していく前提になっている。
 では文学オタクとか理系馬鹿の様な部類の人がどうかというと、匿名サイト中で育ってきただけあって荒らしの様な連中ばかり。こっちはこっちで必須科目で倫理という教科を学んでいないし、とかく言語や知識を悪用する一方だ。
 文盲も不道徳もどちらも致命的にまずいが、ゆとりはそんなのばかりだ。日本の将来は、このゆとり世代という文盲・不道徳の衆愚的な集団が、恐ろしく悪質なものにしていくと予見できる。だって普段から想像を遥かに下回って最悪級のこと、具体的には人種差別をまきちらしたりネット右翼的な暴挙を当たり前かの様におしつけあっているのだ。しかも拝金主義しか信念がない。余りに知能が低いと、学歴差別とか大企業差別、所得差別、資産差別、地域差別の様な、不躾で単純な階級差別に陥り易い。このこともゆとり世代の人達を一般的に観察しているとよくわかる。封建時代級の知能、中世程度の知能しかもっていないのである。子供はばかだ、というのはどの時代でも一緒だったろう。若者は世間知らずだから仕方ない、と解釈するのは楽だ。けど自分が現実に体験してきた「酷さ」は、そういう部類を遥かに下回っている。できが悪すぎる、というのは、若さからきた無謀さとか、世間知のなさとかとは全然違うものだ。教育の失敗が主要な原因だとは思うが、それに複合要素として、インターネットやサブカルチャーといった愚者の娯楽がくみあわさって、巨大なネット右翼的衆愚を生み出してしまっている。そしてまとめサイトが規範のネットネイティブとしてぴったりこの人達が20代から10代後半の世代にあてはまっている。世代論自体の有効性が成り立つかどうかとは別に、自分が接した20代の人達のほぼ全員にあたる「ネット右翼的」「差別的」「不道徳的」「拝金主義的」「国語が読めない」「科学的・批判的思考力がない」、特有の性質は誠に確かなもので、自分にこの国民の将来を果てしなく悲観させている。
 自分の一個下の世代について詳しく知らなければよかった。
 当人の不勉強(失読症でもないのに一冊も本を読んだことがないとか)で国語が読めない人、日本語が満足に使えない日本人に、何かを説明したり教えることもできないし、恐らく一生の間、あらゆる文字・口語の情報に誤解を積み重ねて死ぬのだろう。何とか情報を伝えようとしても、限りなく無駄だった。自分より遥かに愚かな人と接することで、人間関係で不幸な目にあう、というのが自分の人生に暗い影をおとしている全類型だから、確かに自分もなるだけこの国民達一般と接さないのが最善らしい。自由至上主義者になって、なるだけ自分に悪影響な日本国民一般と接さずにくらすしかない、というのが現実なのだから、SNSも自分より遥かに愚かな人との接触可能性が高いほど有害なのだろう。これは自分が15年以上インターネットを使い続けてきて、経験的な真実だ。ネットでの接点が不幸の原因だった。SNSで自分より賢く、尊敬に足る人を見つけられた試しがない。逆は無数にある。賢者や人徳者がもしいたとしても、SNS内で発見するのはほぼ不可能にみえる。
 これが自分の驕りではないかと疑ってネットを渉猟して15年経過したが、先ず尊敬すべき人物をみいだせなかった。自分にはSNSは害なのだ。今日から自分はSNSをなるだけやめて、他の賢人らと同じく孤独な哲学的生活を続けるつもりだ。今から4ヶ月ほど前に実験としてツイッターを本格的に使用してみようとしたが、結局、ここで取るに足りない人の無思慮に忠告を重ねても時間を無駄にするばかりだった。そもそも賢者は忠告されるまでもない。

※このブログURLは2019年6月8日に
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