2019/03/10

小沢氏関西逃亡説は証拠のない悪意ある風説であり、現実には岩手県知事と緊密に連携しながら東京圏で被災者食糧支援の陣頭指揮を執っていた

(小沢一郎氏は東日本大震災)発生直後から地元入りを希望したが、被災地の混乱などを懸念してやむを得ず断念。達増拓也岩手県知事らと頻繁に連絡を取り合いながら中央省庁と地元との調整役に徹しているようだ。
「今からでもいい。一刻も早く飛んでいきたい」と周囲に漏らしたが、被災地入りすれば警護などで逆に住民に迷惑をかけると考え直し、都内の自宅にとどまったという。
産経ニュース、小沢氏はいずこへ 地元入り断念、都内で調整役専念  2011.3.18 00:29、ウェブアーカイブ

 あの311の時、私たち(小沢氏の)すぐ側にいて、相談するわけですね。さっき三宅さんがお話していましたけども、本人は急ぎ帰りたかったんですよ。ただその時、達増さん(岩手県知事)と話をした。当時は政権政党にいて、SPさんがばっとつくんですよね。岩手に行っても警備の方がだあとつく。
 まあ、そういったことを含めて本人がすごく今俺が行ったら、ひょっとしたらすごく復興の迷惑がかかってしまうんじゃないか。今、地震が起きたばかりで、俺が行くことによって、そこに人がさかれて、本当に大変な状況になってしまうんじゃないか。このことをものすごく本人気にしたんです。
 で、達増さんとその時、話をして、やっぱり小沢先生は中央にいていろいろな指示を出してくれないか。やるべきことをやってくれないかと、まあそういうような話の中で、話がどんどん推移していった。政治家の方々パフォーマンス第一番で、見せ所とみんな思っちゃうんですよ。
 だからなにをおいても現地に行って、テレビにうつる。自分が行った実績を語る。なんの意味もないんですよ。なんの意味もないって言ったら申し訳がない話になってしまいますけど。やはりその時に行かれたら、行かれた現地はものすごく困るという話が入ってきました。
 今でもおなか減っている連中がいっぱいいるんじゃないか。ものすごく心配しました。その時に僕らやっぱり交渉役になったんですが、ある国の大きな巨大な企業だったんですけどね。その企業さんと話をしていただいたんです。で、何十万食か輸入してくれると。 すぐそれを現地に被災地に運びましょうと話になって。いろんな政治家に話をしたらしいんですけど、それがなかなかどうやって運んで、どうやって現地まで持って行く、道路がわからない状況ですから。それを小沢さんいろんな形で、いろんなとこに電話してくれまして。
 結局あれ横浜港だったかな、横浜港だったよね。コンテナで船で荷物を運んだんですよ。食糧運んだんですよ。外国から。で、コンテナが11台とか12台だったよね。そのくらいのコンテナ数に食糧を満タンに詰め込んでですね。それを当時、トラック協会かなにかにお願いをさせていただいて。
 まあ、本当に高速道路使えないから、一般道を使いながら、いろんな道を使いながら。ちょっとでも早く急いでその水と食糧を運ばないとならないということです。その手続きを私たち一生懸命させていただきました。で、本人は陣頭指揮とって、こうしろ、ああしろ、ということですね。
 私たちは大変な目にあったんですが、そのことで当時何十万食かは東北の被災地の方々の口に入ったそういう状況がございました。まずパフォーマンスよりも本当に身になることをやろうと、そういうことを一生懸命やってきましたですよね。
 またある福島県の私達の仲間であった国会議員の地元には、自分がやっぱり岩手県の中で農業もやっているんですよ。
 米が取れるような自分の田んぼがあって、そこから米が取れる状況にしていまして、その米をトラック持っていきまして、その地域まったくちょっと食糧がないような状況になったもんで、何人か国会議員とスタッフがトラックを使いながらそこに米をばっと運んだ記憶がありますね。
 なんにもしてないとか一切ない話で、まずみんなが食っていけることを考えた。あの生活もそうですよね。一生懸命考えたんじゃないかなと。そのように思います。
141212 【大義なき解散総選挙】生活の党 政党等演説会、Movie Iwj、YouTube動画テキスト参考先

 私は被災地(福島県いわき市に接する北茨城市)から状況をみてました。当時、岩手県の達増知事がツイッターで小沢氏とやりとりしていて、「混乱をもたらすので現地入りせず、中央で指示を出すことで地元にあたる被災地を支援してほしい」と小沢氏に了解を取っていたのを私は確認しました(後述)。

(「小沢さんなぜ 東日本大震災 原発起きた時 いの一に関西に逃げましたよね」との某氏のツイートに)
>いの一に関西に逃げましたよね
この意見の根拠はどこにあるのですか? 上述の産経ニュースの記述、当時小沢氏の身近にいた生活の党の人の発言や、岩手県知事達増氏とのやりとりから総合すると、小沢一郎氏が現実に関西に逃げたということは、恐らく考えづらいと思う。震災に乗じた風説では?
 2011年3月28日(震災発生から17日後)の時点では、岩手県盛岡市の岩手県庁で達増氏らと会談している、という当時の新聞記事(小沢元代表被災地へ 震災後初、正月地元に 2011/12/24付 産経新聞)があり、この17日の間に関西地方へ逃げたという事実があれば、その典拠を下さい。
 岩手県の達増知事は2012年7月12日、「大震災直後、私は小沢一郎氏に、私の責任で、東京に残って国会や政府の動きに影響を及ぼして欲しいと言った。政治家の早期訪問を求める被災地の思いに対しては、私が被災地を回れば良いと考えた。」とツイートしています。また達増知事は2012年7月13日、「大震災直後、小沢一郎氏は、自分が被災地入りすると、岩手県警が相当数の警官を警備に動員する必要が生じること、東京からマスコミが大挙同行することを心配した。有難い配慮。そのため、行政や地域に動きが少ない正月休みに一気に被災地を縦断した。」とツイート。
 上述の「達増知事と小沢氏とのやりとり」は上にあげた2ツイートのことだったと思います。

 小沢氏は震災直後「一刻も早く(地元被災地に)飛んでいきたい」と感じていた(産経2011/3/18)一方で、達増知事の責任で中央政界に留まって欲しいと頼まれた(達増知事2012/7/12ツイート)。達増知事からの依頼を受け、小沢氏は東京からのマスコミ大挙や県警動員などによる被災地の混乱を憂慮し(達増知事2012/7/13ツイート生活の党の政党等演説会動画)、現地入りを17日後まで遅らせると共に、東京から自ら陣頭指揮をとり何十万食かの食料や水を確保し一般道等を使い被災者支援を開始した(同動画)。
 これが少なくとも、残された資料から部分的に実証できる、当時の小沢一郎氏の動きです。

 ちなみにですね、私は当時、アメリカ政府やイギリス政府が、何十km圏外だかの外に出るようにといっていて、自分の家はその範囲に入っていて妊婦もいたことからその外に避難しましたよ。小沢さんは多分避難してないと思いますけど、大震災や人類未経験の大公害の前で逃げるななんて人間業じゃないですよ。上述の証拠から、震災発生17日後まで小沢さんは東京や横浜から岩手を支援していたことが読み取れるので、多分関西地方まで逃げてはいないと思うけれど、万が一、逃げていたとしても、それは責められるべきとは思いませんよ、私はね。逆に神業ですよ。あの状況で逃げず原発近隣に特攻するのはね。
 2011年3月11日から17日後の時点ではまだ原発が安全かなど全然わからず、枝野氏がテレビで福島は安全だといいながら、現実には震度6とかが15分置きに起きる現地で、ネットを通じて米英政府は圏外に逃げろといっていたんです。その中で小沢さんは福島を経由して岩手まで行っているわけで、その時点で勇気ある義行ですよ。小沢氏関西逃亡説を裏付ける証拠が出てこない限り、小沢氏が東京圏から被災地支援していた証拠はあるから、逃亡説は当時の民衆の愚かな風説となるでしょう。
 それはそれとして、私達人類が大公害や危険から避難するのは当然の権利なんです。これを責めるのは極悪です。もし政治家や天皇皇族が被災地からわれ先に避難するのを防止するのが、国民の生命財産を守る為に必要だ、との考えなら、その種の法律を罰則含め制定する必要があると思います。これが非人道的な法律か、公僕にとって当然の義務かは議論の余地がありますが。

※このブログURLは2019年6月8日に
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