2019/03/04

枝野改憲案(自衛隊を明記し海外派兵を禁じるが国連軍との国際平和維持活動は恐らく容認)は議論の余地がある

仮初にも国民全体から自らの糧を得ていながら、国民全体を救うことより、自分の党の利益を優先する寡頭政精神というのは本当に恥ずべき堕落した精神であり、この点で枝野幸男氏もその支持者らも完全に反国家的存在というべきだ。その種の悪徳の持ち主達がひとかけらも信用に足らないのも疑う余地がない。自民党は仮にも多数政党だから寡頭政に走ってもまだ民意の多数を占めているという大義名分があるが(勿論、本来の貴族政としての少数意見の尊重がはるかに望ましいにせよ)、枝野立憲党は少数政党でありながら寡頭政に走るとは、より卑小な支持者達でありより卑小な党派だという他ないな。
 国民全体の利益より少数者の利益を優先することを寡頭政(かとうせい、英語でoligarchy)といい、堕落した少数者支配の政体だとアリストテレス『政治学』で定義されている。他党支持者含む全国民の利益より、自らが党首な自党の利益を優先するのは、党首が独裁的な寡頭政というべきだ。枝野立憲党の党是はこの独裁的な寡頭政と言え、党首のみならず支持者らの一部も党首の理念に同意できない者と協力できない等といい、他党(全国民)の利益を鑑みず自党の利益を優先する。しかも党首の独裁権をファシズム(fascism、結束主義。ここでは排他的絶対政治を目指す考え)的に強化したがる。枝野幸男氏は「理念の違う人々と協力したのが旧民主党の失敗の原因だ」と分析しているらしく、この種の独裁的寡頭政を自らが結束党首として執れば、よりよい政権運営ができる、と考えたらしい。しかも支持者らの一部の通説として、長期政権の方が望ましいと考えている様だ。
 自民党の場合もそうだが、寡頭政が延長されるだけでも国民全体には不利益である。さらに排他的な結束主義を独裁的に執ろうとするのは、単なる党内でも党首の誤りを修正できなくなり、各党員や彼らを指示する各有権者の多様な意見を反映できないので、これまで歴史的に失敗してきた手法というべきだ。また、少数政党との(比例代表選等での)協力を拒否するのは、延いては多数政の元での議会政治本来の意味である少数意見の尊重(少数政党からも意見をとりいれ国民全体の利益をできるだけ政治に反映しようという考え)を軽視していると言える。他党の利益も、国民の意見としてできるだけ尊重が必要だ。
 現状の安倍政権は、誠実に国政を執るより、できるだけ政権を延長させることの方が優先されてるからこういう判断になるのだろう。そしてNHK世論調査などで40%以上いる安倍内閣支持者らも、立憲民主党に政権交代するよりその方がましだ、と判断しているのだろう。結局それだけ立憲の政権担当力が低いと見なされ、安倍政権の不正が見逃される。そして立憲の現状で政権を担うとより悪政になりかねないのが事実でもある。人材が足りないのだ。先ず自由党と国民民主党を合併して共和党とし、鳩山由紀夫氏を再び主要員に加えたり、また全く新しく年齢や立場を問わず民間から有志を募るべきだ。これまで政界に吹かなかった風を呼び込むしかない。
 枝野ファシズム下の立憲党瓦解を見越し、将来的に立憲を共和党に統合する予定で動くべきだ。
 枝野氏は『文芸春秋』2013年10月号「憲法九条 私ならこう変える 改憲私案発表」やその後の説明で、自衛隊の海外派兵を禁じることを明文化する改憲を容認している様だ。そして安倍氏や自民党の安保法制は違憲だといっている。この意見は正しい。自身の政治思想を行政府の中で実現する為、立憲党主となったことで寡頭政を志向する、という野望はいずれ真意を見抜いた国民らから打ち砕かれるだろうから、枝野氏の改憲案の是非のみに議論を集中させるべきだろう。
 2017年10月23日放送の日本テレビ系「スッキリ」で、枝野氏は現状では安保法制は違憲といっており、2017年10月5日中日新聞のインタビューで「現状の安保法制下での自衛隊明記は違憲の追認なので容認できない。現状の安保法制は一部合憲」といっている。
彼の改憲論は回りくどくて分かりづらい。まとめると、
1.現状の安保法制は一部が合憲、一部が違憲
2.現状の安保法制下での自衛隊の憲法明記は違憲
3.集団自衛権を否定する独自の自衛隊の憲法明記案をもっている(2017年11月5日、12月2日ツイッター上の発言)
枝野氏の現状の改憲案は個別自衛権のみに自衛隊の活動を限定する明文化を主な目的とするもの(『文芸春秋』2013年10月号の、国連平和維持活動での集団自衛権行使を容認していた私案を2017年12月2日に日本経済新聞(電子版)上で撤回)と思われるが、未だ明白でない。争点にすると不都合なのだろうか。
 これまでの枝野氏の改憲論の変遷をかえりみると、恐らく、現時点では個別自衛権を容認する自衛隊明記案をもっていると予想される。国連平和維持活動に際しての集団自衛権の行使については私案の撤回後、現状の安保法制下では否認するものの、明言は避けていても究極的には容認していると思われる。しんぶん赤旗で中祖寅一氏が2013年9月10日に指摘している「枝野私案は、9条2項(戦力不保持、交戦権の否定)で禁じられてきた国連軍参加、集団自衛権行使、海外での武力行使を容認する中身」という点は、私案撤回後の枝野氏の言説をみると、国連軍参加についてだけはまだ有効な批判ではないか。枝野改憲論の究極的な是非は、国連軍への自衛隊参加を憲法上に明記し国民が容認するべきか、ということになる。枝野氏は集団自衛権をこの領分に限ってはっきり否定していない。今の安保法制下では、という前置きで言葉を濁している。では違う安保法制下では国連軍参加を自衛隊にさせるのか?
 (当節は枝野幸男氏のツイッターアカウント立憲民主党のツイッターアカウントへ)立憲党首の枝野さんにお聞きしたい。国連軍への自衛隊参加を憲法上に明記し、この点では集団自衛権行使を容認するのですか? 枝野さんの私案撤回後の言説を辿っていったのですが、この点がはっきりしなかったので是非教えて下さい。追記:「現状と違う安保法制下」を含めて、お考えをぜひ教えて下さい。
 交戦権の否定として、多国籍軍(国連軍含む)との集団自衛権の行使を否定する、というのがこれまでの憲法観だったのだから、イラク戦争に自衛隊を参加させた小泉氏や、米軍との共謀を容認する安倍氏の安保法制の運用は違憲だといえると思うが、野放しの彼らの様な人を裁く法律が必要だろう。

※このブログURLは2019年6月8日に
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