2019/03/22

資本王政を執る善なる新興国は衆愚化した旧先進国を超えた力を持つだろう

Relentlessというジェフ・ベゾスの好きな言葉。
 自分は以前、某匿名YouTuber関連で議論した時、擁護者の女らしきのが「(そのYouTuberが)相手を追い詰めないところが好きです」と書いていたのを聴いて思い出したのだが、確かに自分は或る場合、relentlessが発揮されることを大変な快楽だと感じる。その快楽に類した容赦なさは神の怒りの様なもので、人間界の愚物や悪しき群れを完全に殲滅する様な場合だ。この意味で自分は人間というより神に近い精神をもっている。自分のrelentlessはまれな場合にしか知覚されないし、基本的に自分は恐らく全人類でも最も寛容な人間の一人だと思うが、確かに、その容赦なさを発揮すべき場面(神の如き正義や善に関する場面)では自分は神として振舞う。その至善と呼ぶべき地点では、少なくとも完全な無私がある。
 ベゾスはアマゾン帝国を築き上げた偉大な起業家だといえると思うが、その根底には小売業の絶対権力を巡るあるrelentlessが潜んでいる。自分もこの点でベゾスの精神にかなりの共感を覚える。イチローは立派な記録を打ち立てた偉大な選手だ。しかしrelentlessの点で傑出しきる前に引退している。
 全人類を絶滅させる様な力があった時、自分はそれを正しく使える自信がある。同時に、全人類を繁栄させる力も、世界で最もそれを正しく使えると思う。自分に興味があるのはこの力だ。その絶対的な力は容赦のない力であり、自然の根底にあり、全人類の利己的な悪意を完全に超えている。全人類がなんと言おうが、その一員が下らない人間を利己心で擁護していようが、神の圧倒的な力の容赦のなさの前では全く無意味に等しい。自分が欲しいし、また実際に現実に可能な限りで手に入れようと努力しているのは、この至高の力な気がする。
 芸術作品の中では仮想の生物界でこの力を揮える。いいかえれば自分が創造主として、或る世界の秩序を完全に支配できる。自分の容赦ない世界、全人類の卑小さを完全に超えたまったき善なる世界(故に寛容さも最大になる)は、この意味で虚構としてはいつでも実現できる。現実でこの力を発揮すべきかどうか? 自分の国を作るか帝王として可能の筈だ。
 資本主義は蓄財の頂点を実質的な無限にしているから、そのしくみを完璧にのりこなせれば地球の帝王として、全人類のほぼ全ての富を独占できる筈だ。それを実現できれば、現実でも容赦なき力を全人類に向けられる。
 哲学は利他性(善一般)を思想の面で高度化する唯一無二の道のりだが、同時に力をもった場合しか善き社会は現実化されない。人類一般は道徳的な個人より無思慮で相対的に悪質だから、強制力なしにはより良い秩序に従い得ない。プラトンの哲人王の理想は資本主義下では、容赦ない富の独占で実現される。
 金と権力の癒着による絶対政治の腐敗を防ぐ為に、首相・大統領の資産要件を定め、国民の資産中央値額以下の場合しか最高権力をもてなくする、というのが旧先進国で独裁者出現への対策になるだろう。一方で、世界一級の富豪らは自力で土地や軍隊、会社を買占め、新たな国々で王政を執るだろう。より容赦のない絶対善が実現されるのは、富豪が王政を執る様になった新興国だから、妥協的な旧先進国の多数政治では太刀打ちできず、覇権は王国にきりかわる筈だ。したがって1世紀(100年)単位以上の長い目で見れば、資本主義の原理を純粋に追求すること、旧先進国を捨て去ることが正道と思う。資産増大とその独占に有利な国々へ移民し、そこで何れかの国で王政を執るまで蓄財と買収を進め、旧先進国の腐敗した民主主義界、衆愚社会を遥かに超えた善い社会を単独支配で実現する。これが容赦ない力を実現した場合だ。自分にそれができるなら、実行していく。無理なら芸術作品で仮想的に実現する。

※このブログURLは2019年6月8日に
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