2019/03/27

学歴差別を生み出す社会の構造

長い学習歴が必要な好みを発達させている生物(凡そK戦略(Kapazitätsgrenze strategy、環境収容力戦略)をとる)は、明らかに生まれつきの能力を選好する生物より生育条件が不利だから数が少ない。実際、後天的学習歴自体が長期にわたるほど晩婚化し、新生児の健康を損ねている。後天的学習歴を嫌悪するという価値観、いわゆるがり勉の嫌悪は世襲貴族や低学歴(日本で俗にヤンキーともいわれる)の世界に存在するが、この意味で彼らの価値観は世の学歴主義者と対極にある。
 他方、商人や官僚の世界では促成栽培的に受験競争を勝ち抜いた現役合格の印が人事考査の信号化(signaling)として機能するのを利用しよう、という学習歴の世俗的援用が行われている。本来の学問が真理探究の活動とすると、これらの通俗的学習歴はK戦略的信号の短縮なのではないか。世襲貴族や低学歴の世界では、わざわざ生殖活動や享楽的遊びを捨てた非本能的という面で不自然な勉学を長期継続する意味がない。世襲貴族は相続財産や血統によって良い配偶者が確約されているし、低学歴の世界で能力の信号化は生得的な才能に向けられているからだ。
 ではなぜわざわざ一見不条理な学習歴を信号化の目的で使う者がいるのだろうか。第一に生得的能力の低い者が、後天的な模倣によって優秀さを偽装する為だ。こちらが前述の通俗的学習歴を信号にしている、学歴主義者の実態である。第二に真理探究を志す本来の学者だが、こちらは生得知能の誇示であろう。我々人類が知識という要素を巡って持つ大まかに2種類の人達は、偽者と本物に分かれる。偽者はマイケル・スペンスの意味で促成栽培的な学歴を披瀝し、本物の高知能者に偽装した人々。商人や官僚はその職業の実践的側面をみても真理探究の徒とは言い難くこの部類である。本物は純粋理論に生きる学者だ。
 ところで低学歴の世界で生得的才能として選好されている諸能力は、学者の純粋理論と質が違う。が知能の多岐性を鑑みると非理論的能力も高知能の一種である。学歴主義者(商人・官僚の部分を典型とする)は相対的に生得無能な偽装者なので低学歴者に能力面でしばしば劣る。これが典型的な学歴・学習歴と実務能力に厳密な相関がない理由である。労働者として必要十分な能力が典型的学習歴で補える物なら、促成栽培的学歴を得る学習歴上の苦労のなさ(ここでは学歴ロンダリング(laundering)を除く。ここで学歴ロンダリングとは世間的な地位の高いとされる学位・学歴を典型的経路を経ず得ることを指す。英語圏のdiploma millやdegree millは定義次第で部分的に該当するが、ここでは正規(認定校)の学位・学歴を非典型的な経緯で得ることを指す)が特に一部の人に選好されているのは、この歯車の合格型を目指しているからなのである。学習歴費用を節減しながら学歴(入学歴や学位)だけを得る、という学歴ロンダリングの手法は、商人・官僚の世界が人事考査時でしかその有無を問わない形骸化した点、或いは学歴主義者一般が偽者を本物と見分け得ない差別的偏見をもっている点を突いた抜け道であり、今日的な処世術の一種だといえる。元々、典型的学習歴は生得知能の高い人が純粋理論によって達成した成果を模倣する課程なので、それを形式化した学校教育で、有用な非典型的知能であるところの天才は育み得ない。したがって純粋理論の点であれそれ以外の能力であれ天才は典型的な学歴・学習歴に相関性が全くないといえる。また学習歴の履歴を第三者評価した物というべき学歴(学位、入学・卒業歴、免許等)は様々な経路で取得可能な場合があるため生得的知能の証明にならない。しかも同一学習歴に費やす効率差は生育条件や家庭・社会環境に差があり一律評価できず、動機や根気(grit)など総合面で学習能力全体をも意味しない。
 純粋理論の最終能力値は学習効率に比例して得られるものではないのだ。この為、一流以上の学者のIQ(肉体年齢分の精神年齢の百分率として)が低いこともある。しかし知識の有無という意味でこの人は確かに本物の学者であり、当知識の属する分野での高知能さの一種を示しているといえる。一方で偽者の誇示する、学歴ロンダリングを除く促成栽培的学歴で評価されている能力とは、端的に言えば学習効率であり、より単純化すればIQ自体だといえるだろう。この選好を能力の一般指標に使う人達は、特に学校教育で主要科目とされる諸論理課題に関する典型的学習能率を知能一般の目安にしているのだ。
 既にみてきたようIQ自体は全ての高知能さの目安ではない。又IQ試験で評価される殆どの部分は計算機械に代替できるので、AIの方が高いという結果になる。したがって科学を主とした論理課題で学習効率の高い脳が、社会的有用性を持つ一般指標という偏見は、労働者の能力が一般事務だった時代のものだ。それどころか、社会で行われている諸活動は多様で、経験の必要な高年齢者の方が有利だったり、低IQの方が有利な場合すらある。つまりIQを根幹とした同年代の人達の脳より論理課題の高学習効率がみられる、という典型的学歴の威光が通用する場合は、人事考査で形式的差別が行われる風習のほか多くない。
これらの事実にも関わらず、この形式的差別を潜り抜けて生活したがる労働者社会で学歴を知能の一般指標とする偏見は、一部の人に残っている。しかし実務面で有能な低学歴者を無能な高学歴者より選好する企業は業績を悪化させるだろうから、この学歴差別は実に大雑把な大量就職時代の慣行なのである。
 冒頭のK戦略という面で分析すると、信号の軍拡競争で典型的学歴を得る期間が長引く程、晩婚に伴う少子化が進むだろうことは予想できよう。生得的IQ等に由来した学習効率は幾らかこの期間を短縮するかもしれないが、よりr戦略(内的自然増加率戦略、rate strategy)的な低学歴者に数の面で圧倒される。結局、実務に無用な教養を誇示する、という俗物根性の面からK戦略の高学歴競争をみると、その行き着く果ては少子化が進みきって集団を維持できなくなり、社会、家計、個人が学習費を負担できる或る限界に達する地点、いわば寺院的社会である。日韓両国、特に韓国が寺院化を最も進み、共に高度情報化に伴う少子化の競争を続けている(合計特殊出生率、韓国203国中202位、日本184位。世銀(World Bank)、2016)のは、近現代文明の模範的な生き方としてK戦略的な高学歴を是とする社会規範が両国に属する過半の企業・政府間で共有されているからだ。この規範を共有せずr戦略をとる低学歴移民の子孫が人口比で圧倒するだろう。より平準化してみると、高所得世帯は子供に高い学歴を与えようとする傾向があるとされている(「世帯所得と子どもの学歴」平沢和司、2015、2015年SSM調査研究会)。つまり18歳から数え出産年齢が5年から20年ほど遅れる、という人口再生産の遅さと学費負担が、高学歴者の人口比を減らす誘因である。一方、一般化した労働者の学歴と生涯賃金が正相関するといわれることがある(「平成29年賃金構造基本統計調査」、厚労省、2017)。これは日本の大企業が新卒一括採用の慣行で人事考査時に学歴差別を用いていて、かつ、会社員として一般事務の能力と典型的学校教育歴の間に一定の相関関係がある可能性があるのが根拠なのかもしれない。
 結局の所、学歴主義者一般の基本的実態は、この労働者のうち生涯賃金の高い相手を選好しよう、という目的に適うかどうかで確証偏見が作られているのだろう。よってこの偏見の第一目的は配偶者の賃金に寄生しようとする人間(主に相対的に低賃金な女性)が自身の繁殖に有利なK戦略をとることにある。既に述べた様、高学歴を選好する集団は寺院化が進むので、高賃金者に寄生し相対的に裕福な繁殖環境を確保しよう、という戦略は結果としてその個人の子孫の人口比数(人口全体に比べた数)を減らす。つまり高学歴選好と子孫数はトレードオフ(trade-off。両立不能)の関係にある。この矛盾をのりこえているのは、生育数がほぼ制限されないほど圧倒的に裕福な個人に寄生した女性か、労働者という学歴差別が前提の社会の外で大金を得ている経営者、資本家、個人事業主、自営業者などである。
 ――私がなぜここでこれらの分析を書いたかといえば、某氏の過去ツイートを読み返していたら学歴差別の信条が書いてあって、その後某氏は典型的学歴をもつ(但し私の目には低俗で愚かな)男に発情していて、某氏はその発情をはじめた頃から私を名誉毀損しはじめたからである。この小論は学歴差別が或る人の中で生み出され正当化されている社会構造をある程度詳しく分析し、某氏の意図をも知ると共に、自分を含む全ての人々がいかなる学歴・学習歴をもっていようと差別されるいわれがないことを自分自身や周りの人達に立証する企図もあった。また私自身も某氏がどういう仕組みで学歴差別という確証偏見をもつ様になったか知りたかったし、その根底にある目的が何かも曖昧にしか認識できなかったので、より完璧に把握したかった。結果わかったのは、某氏は単なる典型的な労働者風の繁殖欲で高賃金者に寄生したがっている女だということである。一女性の繁殖欲如きで、全くその女とは別の目的や意図で生きている或る個人(今回は私)が差別的に名誉毀損されるとは、本当に不条理な話だといえるだろう。
 この女以外にもはっきりした差別主義者を1名私は知っていて、その男はアメーバピグ上にいて色々な人達を学歴で侮辱三昧してきている。この男は国家公務員で、某官庁の最近各方面で問題になっている或る末端組織に勤めているとされる。この男の場合、人事考査時の差別が実務能力はほぼ問われないが大量の人員を捌く必要がある官公庁で公然と行われていて、当慣行が成立しない他分野の人達に無理やりその差別をあてはめているとわかる。この男にせよ某氏にせよ、典型的学習歴を少ない労力でこなす学習効率をIQ的な同年齢の人々に比べた論理知能差の目安にしているとしても、それ自体が知能全体の中では実に卑小な部分で、学業自体、または実務能力にとって大した意味をもっていない、という明らかな事実を認識するほどかしこくないのだ。
 この小論でより詳しく認識できた事実の内、学業自体が動機や根気といったIQ以外の要素を含む、最終的な達成値を目的とする純粋な知的営為だと改めて論証できたのは後世の為によい結果を生むだろう。たとえ他人より学習するのが遅くとも亀の歩みでこつこつと進んでいけばやがて学者として大成できる。また非典型的知能が必須または有益なあらゆる分野にとっても、単に型にはまっていない学習歴をもつがゆえ低学歴とされる者が典型的な学歴差別をしている集団より優れた成果をあげる十分な根拠がある。より優れた組織を作りたければ、学習歴の多様化を進める方が創造的な組み合わせを生み出せるのだ。
 最後に私自身のことを書く。某氏に私がいかに下らない侮辱や誹謗、名誉毀損を受けようと私自身の能力値も天性も何一つ変更される訳もないので某氏の行っている差別的言動は彼女自身の知性に関する、他人に無意味な優劣感しか表現しない。もし自身の学問的知性を誇りたくば学業上の成果を出せば十分だ。そもそも自身の学業上の成果を誇ること自体が俗物根性の一種でしかなく、単に下品なことだといえようが、その中でも既往の学士号程度の典型的学習歴を自慢し、もしくは他人の学業だかIQだかを羨みねたむ暇があるなら自分がより深く、より広く学ぶよう努めるべきではないだろうか。それが知性の印だ。

※このブログURLは2019年6月8日に
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