2019/03/21

脳は専門化できても汎用化されない

勉強しかできない馬鹿というのは、脳の性質上、容易にありうる。その人は学校教育で行う何らかの知識の暗記や思考型に習熟したかもしれないが、それ以外の領域では全く役に立たない脳のままの人だ。
 脳は専門化できても決して汎用化されない。
 高い学位・学歴保持者が一般的な知能や人格に劣っていても何も不思議はない。彼らは専門性の中でも限られた領域の知識しか試験されていないし、またその学習課程が一般教養的でない限り博学さの証明にさえならず、万能の知能がないのは当然のことだからだ。
 政府や企業の人事考査が経歴書の中にある学位・学歴を差別の手段にしてきた文化慣習は、独学や教育課程の外にある学習を無視しているし、特定の専門知を他の知能と後光効果で誤認しているだけだった。だから一般人が賢さの目安にしている学位・学歴は基本的に誤った信念であり、ただの差別的妄想だ。
 或る領域での能力はその分野自体で試されねばならない。実地以前に何らかの別分野での成績を能力の類推にあてがうのは、能力間の共通部分が隣接性などで必然に因果づけられない殆どの場合、間違った判断をもたらす。

ぬるい陽気は脳が死ぬ

暖かい陽気は脳が働かない感じがするから嫌いだ。夏になると昆虫や細菌も活発になる上に暑くて不快だし。
 自分が住んでいる地域は日本では年中涼しい方だけど、できたら年中、秋から冬(関東の冬程度)の肌寒さが続くところがいい。租税回避地は南国ばかりみたいだし、国が潰れたら北欧か英仏に行く。

ネット右翼の本丸は自民党ネットサポーターズクラブに洗脳を受けたゆとり世代

2019年3月19日夜、韓国の金浦空港で日本政府の厚労省労働基準局の課長が泥酔し、「韓国人が嫌いだ」等といいながら空港職員に暴行を加えた事件について)
「ゆとり世代」というネット右翼の本丸が続々と世界中に恥をばらまくのはまだ先だ。自民党ネットサポーターズクラブが税金と企業献金で作り上げた差別主義者の大群が、日本を世界の反面教師にしていくはずだ。

詩はある意味を伝える為に最美の配列

綺麗な言葉を羅列できないというのは、詩才がない、凡愚だということだ。同じことは言葉という道具だけでなく、音の配列や、色の配置についてもあてはまる。
 恐らくこの人(ツイッター上の「ラテン語たん」アカウントの中身の人)が「或る綺麗な言葉の配列」を「お洒落感だけ」と非難しているのは、内容と形式を分けて考えているのだろうが、真に綺麗な言葉の配列というのは、言葉の本質が音や文字だけでなく意味を伴っている以上、内容の配列も含む。即ち、よい詩は意味の美を伴っている。
 意味を伴わない表面的な美辞麗句を修辞的に駆使する傾向の一部は耽美主義と呼ばれるが、これは単なる一形式であり、優れた詩の全体ではない。哲学も記述・筆写される限り散文詩だし、いかなる内容も形式なしに表現できない(どの様な思想も言葉を使う限りその文体・口述の形式を通じて表現される)以上、美辞麗句を道徳的意味より重視する耽美主義者の一部への嫌悪を以て、詩の全体を誹謗するのは間違えている。
「真によい詩は意味を伴う」が、修辞を伴わない詩は言葉の音声・文字面を無視しているから耳目を引くほど美しくない。
「辞は達するのみ(言葉は意味を伝えるだけのもの)」なら、或る意味を伝える為に最善最美の言葉の配置がある、といいかえることもできる。

某偽史書は単なる浅はかな小説

話題の本を手に入れてしまった。自分は幕末については自分の限界まで調べた経験があるからその記述を読めば大体どのくらいの史学水準の人かわかってしまうのだが、この人は作家であって史家ではないね。資料の記述がないのがそれを証明しているし、考証の態度ではない。当人の主観を記述している。一々下らない論争に巻き込まれたくないから具体的書名も挙げないけど、これは完全な俗書です。省みる価値は先ずないし、小説なのに史書の体裁をとるという悪質なものだね。目的は洗脳でしょう。
 案の定、文系学問に弱い某脳科学者が褒めていた。将来の日本人の子供がこれを規範にしたら悪影響だ。特定学位の後光効果と、知性の深さ・広さはまったく別のものだ。或る学問の博士号自体、当該分野について単なる論文執筆時に調べた専門知識の一部しか問われないのに(修士論文も院試も網羅的ではない)、その権威を悪用して万能ぶるから誤解を招く。通俗書を愛国的だとか言って褒めるのは余程馬鹿だ。
 何しろこの俗書、自分が書いたウィキペディア上の記述をそのまま載せてある。勿論、その記述を当人の妄想に都合がいい歪めた観点で、自説の補強の為に無断引用してある。根底にある史実には興味や理解を示さず、執筆者は当人の妄想を優先する、歴史の表面だけなぞる非常に浅はかな人である。

茨城から全世界の美術史を自分が革新する

日本って米英仏と違ってハイアートの市場が恐ろしくない(漫画アニメなどのサブカルか、ガラパゴス化した公募展美術、又は中世的な写実画が殆ど)。村上隆は日本市場での自分の評価はゼロだといっていた。この意味で、ハイアートで生活費を得られないから日本国内で我々は永久に職能を生かしえない。
 日本国民一般は欧米美術史の教育を受けていないから死ぬまで現代美術に追いつけないし、サブカルのよう無教養な商品市場で満足しているからハイアート側に関心すらない。専門家だけはそれができるが、今度は国内市場がないので、Kaikaikikiの人達のよう製造輸出業者になるしかない。前衛の死地だ。
 結局、国内で美術作品で生計を立てるには村上のスーパーフラット理論に則って中教養な中間芸術という中途半端なものに落ち着くしかないのかもしれないが(素人には漫画にしか見えない奈良美智のオールオーバー絵画のよう)、少なくとも自分は自ら馬鹿の演技をするのに耐えられなかった。自分を中心に日本国内にハイアート市場を作り出し、米英に追いつき追い抜くか、さもなければこの国を諦め、高尚な芸術を目指す人は米英仏に移民して欧米美術史の一部になるかだ。村上隆は後者であり、自分は今の所前者を試みている。それが不可能なら日本を捨てよう。
 自分の生前に日本で自分が米英の美術思潮から先に進んでいる芸術家として世界に名を轟かせ、死後は自分の作風を参照した日本人らが米英より進んだ前衛性を国内発で発揮していければ、自分の美術史に対する現代的意義は果たされたといえる。
 この国の美術界の問題点は、先ずハイアートの市場が全くないことに尽きる。なぜなら米英で確立済みの投資・売買対象としての前衛市場がない。クレメント・グリーンバーグの様な重要な前衛主義の批評家が未出現で(美術史学や批評水準が低いか、学問的でなく低俗)、法も作品寄贈や競売に不利すぎる。ただでさえ美術市場規模が巨大な米英仏で、しかも法や政府が前衛を後援さえしており、国民側に芸術への理解もあるのだから、言語の壁さえ乗り越えられれば移民または輸出した方が早い。だが自分は茨城県や北茨城市を中心に、世界美術を革命したいのだ。東京を潰し、米英を乗り越え、世界史を作るのだ。
 自分の地元、すぐ近所で(自分の祖父母の代に)大観ら五浦派の前衛画家らが重要な近代日本画の革新を行っていたのを間近に体験して自分は知っているし、唱道者の天心が日本発の世界美術を志向していたのも確かだから、自分は文化的にその後継者なのだ。彼らの大志は自分が確かに果たすだろう。全盛期の東京文化、サブカルチャー群がどれもこれも下らない偽美術だと知れ渡った未来において、自分の作品だけがこの時代の粋だったと、世界中の人達が知ることになるであろう。

絵画は同時代の全体的抽象でなければならない

古代、洞窟の中で壁画を描いていた人は私の先祖に違いない。私自身も今それと同じことを、YouTube Live上で、あるいはグーグルやアマゾンのサーバーに二進法で蓄積されたデータ上で行っているのだから。現代文明が滅びて後、私のこの仕事だけが現生人類の全記録になるのだ。
 自分が洞窟壁画を描いていた最古の画家の直系子孫だとして、自分が現代文明滅亡後の未来の何者かに、この時代を結晶させた情報を残すなら、それが最純最美の全体的抽象であるべきなことは明白だ。

美術表現は言語表現ではない

(会田誠のよう「アーティストは批評家でないので説明能力は重んじない」のが許されるなら、低学歴で伝統工芸内に胡坐をかいていればいい、というツイッター上の評論に宛てて)
 言語的説明と、絵画的・現代美術的説明は違う、というだけの話。言語的説明を重視する美術はコンセプチュアル・アートと呼ばれその中の一分野に過ぎない。また表現活動の全てを言語表現に還元できないのが事実だから、批評は批評としてのみ成立する。そして美術を専業にする人に決して説明義務はない。

(上記の評論への返信として書かれた、会田誠らのスタンスは「欧米で失笑される」もので、自分のやってることを説明できないのは現代美術だけでなく「どんな仕事でもやばい」上に、「(西洋人に媚びないで日本のアートをやっているにせよ、その説明責任を十分果たさないので)ずっと放置されている気がする」、というツイッター上の別の方による評論に宛てて)
 勿論、欧米人の美術家でも、伝統的にも現代的にも言語的説明を十分行わない人が過半である(言語的説明の方が得意なら文芸を選ぶから)。思うに、ロゴス中心主義をもっている人が、コンセプチュアル・アートや批評を美術全体の傾向と誤認しているだけでは?
 欧米各国の美術史の文脈と、日本を含む他国美術史の文脈は違う。各国・各地で評価にはずれがある。この意味で普遍美術史といったものはまだ存在しない。欧米で最も評価されている北斎の浮世絵(当人から言語的に説明されていない)は庶民向けの版画で、日本では高文脈な大和絵に対する脇役扱いだった。北斎の浮世絵は後期印象派が遠近法を崩す段階で参照にされた為に西洋美術の中で評価が始まった。しかし日本側としてはイタリア・ルネサンスでダビンチが確立した遠近法の伝統がなかったので浮世絵は平面構成の延長上に量産型の装飾品として作られただけだった。「放置」「評価」は普遍的ではない。
 因みに、コンセプチュアル(概念的、言語説明的)な現代美術家として村上隆がいる。彼は意図的に欧米側(特に近代アメリカ)の美術思潮と日本の伝統~近代美術思潮をすりかえながら、皮肉や揶揄を交えた流用的な作風をもっている。会田誠もその様な作品はある。つまり会田が説明的でないわけではない。会田が「(おそらく欧米から)放置されている(とここで批評されている)」理由は、彼の作品の多くの概念がローカルジョークに近い為で、この意味で欧米模倣に終始している他の美術家とはかなり違う、国粋的傾向だといえる(ラディンに扮した作品や、某現代ドイツの巨匠を喜劇的に模倣した作品など)。会田作品で最も説明的・コンセプチュアルな作品は、自分の知る限り殴り書きの様な書体で大きな布に書かれた文字のみの『檄』全文) かもしれない。ここでは絵画的表現は書道の文体だけしかない。内容は批判対象が日本の教育だから、ここでも国内的なコンセプトになっている。

社会科学は個別社会の分析なので自然科学の普遍性とは違った評価基準がある

「日本の社会科学が国際化できないわけ」渡辺敦子(2016/10/1、Japan In-depth)に寄せて)
論文の同時代までの、または他国での引用率がその論文内容の重要性の唯一の指標ではない(科学ポピュリズムに過ぎない)ことは明らか。また社会科学は自然科学と違い個別社会を分析しているから普遍性が必ずしも重要な価値とは言えないだろう(自然は全地球でかなりが共通)。ここでみられる精神的態度は自然科学の方法を他分野のものさしにしようとする「科学主義」であり、当然それは他分野にふさわしくないとき間違っているから、社会科学の重要な評価基準が引用率だという前提から普遍性への信仰まで、この評論の基本となる部分には科学哲学上の齟齬がある。

統計的手法は何れも真理の担保ではない

(二項対立(適当に決めたp値が有意水準aより大きい、より小さいの二分法)で標本分析を行う統計的有意差を撤廃し、確率として百分率化した信頼区間を使うべし、という2019年3月20日の雑誌「Nature」の評論、"Scientists rise up against statistical significance"について)
既存の統計的手法を信仰の無前提な根拠にしている人の知性はごく疑わしい。母集団や検定といった統計的手法の前提になっている条件が、人為的で、相当程度恣意的なものだと知らない訳でもないだろうに、なぜかそれを真理と意図的に誤認させているのだから。素人を騙す為にそうしているとしかいえない。

内向的な人は既存SNS上に居場所を見つけがたく田舎で孤独な楽しみをもつ方が良い

アメーバピグという匿名・偽名SNS、自分は2011年の大震災の中で、現地の情報を伝える手段として選び、中で色々な啓蒙活動を行っていたのだが、殆どの人達は被災地に興味などなく逆に犯罪行為を日常的に行っていた。中には被災者でありながら他の被災者を誹謗中傷して遊んでいる人物がいて驚いた。2ch(5ch)やアメーバピグという2つのサイト、そしてツイッターを観察してきた限り、日本人一般は、『菊と刀』の恥の文化論で知られている様、罪悪感というものが希薄で、社会から個人特定され集団制裁されない限り、匿名・偽名条件下では容易に群れて犯罪行為をする誘惑に先ず抗えないらしい。
 糸崎公朗 (@itozaki)氏はYouTubeチャンネルやツイッター上で、ソクラテスやラカンの概念を紐解きつつ、実名顔出しの現実的な存在として矢面に立つ覚悟で言論・表現活動をするのが貴族にとって自由に伴う当然の義務だという旨を述べている。「自由権を行使するなら必ず自らその責任を取らねばならない」。インターネットによるコミュニケーションが始まってまだ歴史が浅く、1999年5月に2ch(5ch)が始まり20年程度しか経っていない。その中で匿名・偽名系のサイトが日本国内の犯罪の温床となってきた事実は、日本人の集団制裁的な恥の文化と匿名・偽名系サイトの相性の悪さを実証していると私は思う。
 裏を返せば、個人特定が前提になったSNS上で、日本人特有の匿名・偽名犯罪が不可能なのは、フェイスブックやツイッターで部分的に実証されている。そこで悪意ある振る舞いはそもそも周囲の目があり難しいのみならず、実際行っても容易に個人特定されるので、規約に照らしてBANされるからだ。日本社会・日本人集団に特有の倫理規範の分析。これは社会学の領域なので専門にしている人達が更に研究して欲しいが、ルース・ベネディクトの時点で「(周囲の目による)恥」という集団制裁が彼らの行動規範になっていると考えられていた訳で、このことは現状も変わらないと思う。良心は希薄なのだ。日本国内のBBS(電子掲示板)やSNS等のインターネットコミュニティがこの国民性・民族性の良い点を伸ばし、悪い点を抑える様に作られるべきだとすれば、「恥」を感じさせる監視的な実の個人特定性を持たせるべきだといえる。つまり現状、フェイスブックが最善で、2ch(5ch)が最悪だといえる。
実の個人特定性が高い順(実名顔出しに近い人が多い順)で仮に配列すると、
Facebook>Tiktok>Instagram>YouTube>Twitter>ブログ>Ameba pigg(2019年で終了)>5ch(2ch)
となるのではないか。そして凡そこの順で恥を感じさせるため日本人で悪事する人が少ないのではないか? Facebookグループを利用してサロンコミュニティを作っているインフルエンサーらは、通常のフェイスブックより更に特定の個人接触の頻度が高い条件を作っているので、この論旨によれば極めて合理的で、悪意ある人が介在し辛く、日本人集団の間でさえ日々建設的なやりとりができるのではないだろうか? 「リア充(リアルで充実の略)」と「コミュ障(コミュニケーション障害の略)」、「陽キャ(陽気なキャラクター)」と「陰キャ(陰気なキャラクター)」という単純な対義語で、社交・内向の各々の性向をもつ人々は、SNS・BBSを使い分けてきた。ところが上記の理由でこれらのSNSには基本として社交的な人が有利な条件がある訳だ。現実には内向的な方がIQが高かったり他人の気持ちを読み取る能力も高い傾向があるので、社交的な人より商売に向いていたりリーダーシップの面でもしばしば成績がよかったりする。つまり、現状SNSは社交的な人が個人特定コミュニティで人気になり易い一方、内向的で能力の高い人は偽名・匿名コミュニティで悪意ある人々の生贄にされ易い。内向的な人(故に友達は少ない)が個人特定可能な条件で、善意の人達に囲まれる、という場所は既存のサイトでは先ず存在していないのである。
 サトシ・カナガワとノーマン・リーは2016年の論文で、多くの人々の幸福さは田舎(低人口密度)に住むほど上がり(つまり社交頻度は不幸を生み出し)、知的な人ほど友人といない時の方が人生に満足しているという。これは社交的な人の悪徳がもたらす負の影響によると思う。社交的な人は他人の気持ちを読み取る能力がより低く、それによって他人を傷つけたり空気を読まない傲慢な自己主張をし易く、目立つインフルエンサー(ネット芸人)となってIT企業の客寄せパンダになっている。しかも鈍感なほど高い頻度の社交でも他人の痛みを感じづらいので、東京に集まり易い。
結論を言うと、
1.匿名性が高い日本人コミュニティほど犯罪率が高くなる傾向があるので近づくべきではない(荒らしの嗜虐快楽に使われている)
2.内向的な人はネットでも居場所は見つけがたいので少数の友達とやりとりするか田舎で孤独を楽しむ方が良い
3.将来、内向的な人の為の実名SNSができるかもしれないが、そもそも高い知能(恐らく特別な知能)をもつ人はそれに劣る友達から学ぶこと少なく、他人の気持ちが分からない社交的な人と接する害は大きいので、実現しづらい(私的な連絡や、閉鎖的サロンの様な形になるだろう)

天使と名乗る人物による私への名誉毀損のこと

久しぶりになぜアメーバピグ上で「天使」というニックネームを使っている人が、私を突然、誹謗中傷(侮辱、名誉毀損)しだしたのかを分析してみた。以前からこのことには耐え難く思っているのでサイバーエージェント社に通報もしたのだが全く対応されない。当人に注意しても名誉毀損をやめない。それでこの人を色々観察し、改めて私を誹謗している記述について、記録がてら読み直してみた。そこに書いてあるのは自営業や自由業者を無職と同一視している記述だった。天使は自営業・自由業者を頭ごなしにある偏見で侮辱しているのみならず、無職に対して職業差別の記述をしていることがわかった。
 結論をいうと、この天使(又はデンデロリーナ)というニックネームを使って、ピグやツイッター、荒野行動などで私へ数年間、名誉毀損を繰り返している人物は、職業に関する差別をもっていて、その差別観に基づいて、私を一方的に名誉毀損しているのだった。天使(ツイッター上では@tenshipigu)という人物は当人のアメーバブログ中で、私がしてもいない(する筈もない)犯罪行為を妄想で捏造し、その冤罪の記述と共に職業差別により私(ピグ上のニックネームはレコナー)の名誉を毀損している。これは単にアメーバ利用規約に触れているのみならず刑法に触れるといえる。法的対応をとる為にはアメーバ上の活動が実名の人物とどの程度関連づけられうるか判例を辿るしかないので、これまで深慮の元にこの天使と名乗る人物のその後の犯罪的活動を注視してきた。そしてこの人物は、自分以外の人達に対しても、ピグやツイッターで名誉毀損・侮辱を繰り返しているのが分かった。自分にできる最善の対応はこの天使と名乗る人物の犯罪的な言動の記録をとり、証拠を集めておくことだったので、数年間その為に時間と手間を使ってきたのだが、アメーバピグは今年一杯で終了すると決まり、法的対応までの猶予も切迫してきている。それで今回この様な記述をするに至った。
 判例上、ニックネームでの掲示板・SNSでの活動でも個人特定可能なら名誉毀損罪が成立したことがあるので、天使と名乗る人物のそれも刑法に触れる可能性はあるが、警察は少なくとも規模から役所対応でお茶を濁す筈なので立件に至らないと考えられる。したがって可能性があるのは民事訴訟によるものだ。名誉毀損罪には時効があるので今後も証拠を集めながら当該人物の動向を監視しようと思っていたのだが、自分以外の人々も類似の被害にあっていることもアメーバピグの終了が近づいていることもあるし、自分は当該人物を殊更憎んでいるのでもないので(犯罪行為が迷惑だとは思うが)、今後を思案している。この天使と名乗る人物の職業差別的観念については当人の思想信条の自由の範囲ではあるが誰かの人格に対する名誉毀損として表現されるのは法的に認められない。また私がしていない犯罪行為に関する冤罪的な記述の理由は、当人のただの悪戯かそれ以外であるかを問わず私には窺い知れない。いいかえれば私にできる範囲にあるのは、天使と名乗る人物の名誉毀損の証拠を将来の民事訴訟の為に記録し保管して置くこと、そして専らこの人物の今後の動向を注視し、それ以上の犯罪行為が私に対して行われないかどうか、基本的に当該人物を無視しつつ当人を刺激しない範囲で監視することだと思う。
 以前、このことについてツイッター上で軽く議論が行われていたが、匿名・偽名を犯罪の為に用いる人というのは確かにいて、今回の天使と名乗る人物による私への再三にわたる名誉毀損・侮辱の罪もそれにあたるということは間違いない事実である。裁判所の命令による個人特定がプロバイダ責任法に基づいてひと手間かかる、というだけにせよ、そのひと手間を理由に、表面的に実名の当人が分からない匿名・偽名条件を悪用する悪意の人物というのはこの手の事件でわかる様はっきり存在しているのである。

風景

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2019年
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日本の幸福度は社民党が政権与党にならない限り先ず上昇の見込みがない

日本の国連幸福度の全6要素の順位(2019)
社会的支援(Social support)50位
自由(Freedom)64位
腐敗(Curruption)39位
寛大さ(Generosity)92位
一人当たりGDPの対数(Log of GDP per capita)24位
健康寿命の期待(Healthy life expectancy)2位

順位の高い順
健康>1人当たりGDP>腐敗>支援>自由>寛大さ

国連加入国中、日本の人口は10位だが、92位なくらい極めて不寛容で、自由度も64位とかなり低く、社会的支援も50位とあまり受けられない。また非腐敗度も39位と決して高いものではない。一人あたりGDPも24位と人口の割に低くて決して豊かとはいえず、かろうじて健康寿命だけ2位と非常に長い。
 総じて日本人は国連幸福度が58位と、他国と比べつつ平均してみて決して幸せな国民とはいいがたいが、その割に寿命だけが全体の2位と異常に長いので、簡単に言うと生き地獄の様な国という話だな。実体験としてもそう感じる。
 日本の自殺死亡率(OECD、2015)は7位と、人口が10位なのに比べ十分高い。政府によると、自殺と事故の死亡率で先進7国と比べると日本のみ自殺の死亡率の方が高いらしい(2017年版の自殺対策白書)。生き地獄的な国なのだからこうなるのは当然だと思われる。
 一人当たりGDPが低いのは個々人が無能(結果として教育の質が低い)ゆえどうしようもなく、寛容さや自由度が低いのは日本人特有の不安脳遺伝子(低セロトニン・トランスポーター数の遺伝子型)による同調圧力が関係している筈なので、先ず改善の見込みがないと思われる。
 そうすると、多少なり変えられるのは支援と非腐敗度だけだ。
 政府が社民党を中心にした北欧型になれば、福祉的支援が充実し、政治的腐敗度が改善される可能性がある。しかし日本国民はGHQのWGIPによる洗脳以後、社会主義を悪印象で捉えるのでこれを達成するには相当極端な啓蒙活動が必要だし、恐らく百年単位で見込まないと実現しないのではないか。少なくとも2100年代になる頃に、漸く社民国の美質に少しでも学ぼうとする新世代が米国政府の洗脳から抜け出し、日帝の延長でアメリカ譲りの拝金主義に明け暮れた戦後150年の清算を開始するかもしれない。しかしこれはゆとり世代が全員死亡し、今生まれていない子供が生産人口になる頃だ。
 我々現役世代が生きている間、日本の幸福度が劇的に改善する可能性は万に一つもないので、金持ちになれた者はより社会条件がよい国々へ移民すべきだし、なれなかった者は少なくとも日本人全般が同調圧力の生き地獄集団だと悟ってなるだけその悪影響を受けないよう都塵やSNSを離れてくらすしかないだろう。

沖縄のジュゴンは辺野古米軍基地を作る為の埋立土砂採掘船のスクリューにまきこまれ死亡した可能性がある

以下の4つの資料から、ジュゴンの生息地が沖縄県辺野古沖の米軍基地建設作業時の埋立土砂等の採取場所及び搬入経路に重なっており、2019年3月18日午後沖縄県今帰仁なきじん村の港で見つかった死亡したジュゴンには鋭利な切り傷がついていたことから、土砂運搬船のスクリューにまきこまれ当該ジュゴンが死に至った可能性がある。

資料1:「航空調査によるジュゴン確認位置」(平成20年2月)、(『シュワブ(H18)環境現況調査(その3)報告書』平成20年12月、沖縄防衛局)

資料2:北限のジュゴンを見守る会のチラシ、「沖縄のジュゴンはどこに消えたのか?」、2018年11月21日、WEBRONZA

資料3:「埋立土砂等の採取場所及び搬入経路図(2)」『埋立てに用いる土砂等の採取場所など』、環瀬戸内会議

資料4:newess @newess2h氏による、死亡したジュゴンについた切り傷のツイート画像

2019/03/20

都会は胴元天皇の悪意に満ちた共食いの死地でしかない

自然や里山、田園地帯を「何もない」と形容する人は、都市文明の情報に毒された俗悪な人間と考えて先ず間違いないだろう。彼らの「何かある」とは、基本的になんらかの商業施設を指している。つまり彼らの主観は商業が有、それ以外が無と歪められている。消費を促す企業広告の奴隷になっている。この消費型都会人が行き着く果ては、経営者、資本家及び市場の胴元である天皇皇族から搾取される結果なのだから、いわば奴隷的生活を理想視するよう丸ごと洗脳されきっているといえる。彼らは旅行代理店の捏造した観光地イメージに属する自然にしか価値をみいだせないから、自然や田園を評価できない。
 市場でなんらかの商取引をし、そこで得た幾許かの金を再び市場で消費する。しかも観光業者の開発した意図通りに捏造された自然もどきの人工地に金をばらまく。一方で彼らは田畑や工場で消費できないので彼らの食料や商品を生産している地域を蔑視する。これが都会人と自称する人達の腐った脳である。日本市場に限っては天皇が手数料を抜き取る為の賭博場でしかないので、彼ら日本の自称都会人は生涯天皇の為に齷齪奴隷生活をして税を貢ぎ死ぬ。そしてそれ以外の人生はありえないと狂信し、自他を奴隷商人状態に強要しようと同調圧力で監視しあっている。だがその不条理に薄々気づいていて鬱病に陥る。
 既に封建制を脱し共和国を市民革命や独立戦争を経て建国済みの諸国民は、とうに日本人のこの種の弊風を脱しているので、少しも彼らの気持ちが分からない。だが当の日本人自身は天皇政府の洗脳教育で他国に無知のままにされているので、自画自賛や夜郎自大に耽る一方で少しも共和国に学びたがらない。自然をありのままに見てその金銭に換算されえない無限の価値をみいだせず、消費する為の偽の観光地でない里山や田畑、工場地帯に金を使う娯楽性以上の尊い人の生きる営みをみいだせない目と脳の腐った都会人達は、簡単に言えば資本か皇室(胴元)の奴隷でしかなく、実際死んでも代わりがいるのである。商人は根底的に物品を生産せず、農工業者が作り出した生産物を消費するか交換しているに過ぎない。だから商人の競争は究極のところマイナスサムゲームであり、サービス業の集まった大都市はごく一部の金持ちと大多数の貧者を生み出し、最終的には滅亡してきたし、今後もしていくであろう。商人は自分達の消費・交換による差益生活をさも上等なものかのよう都会発の広告媒体に洗脳され、また狂信してもいるので、もはや農工業に帰るより絶滅を選ぶ。出生率が最低な上に未婚率が最高の都会(東京圏や関西圏等)は口減らしの死地でしかないのだが。それも胴元天皇は移民で補おうとするだけだ。
「商売人として成功する」「金を儲けて贅沢三昧をし貧民を見下して悦に耽る」という都会人の共通目的像は、その背後にいて彼らを手数料で貪っている皇室の魔の手のうちで賭博の当て馬になっているだけだから、非常に幼稚なことだ。最初から都会人に混じらず、田舎で搾取せず、隣人愛に生きるがよい。金銭に換算されうる地位財と、されえない非地位財のうち、後者こそが貴いものだと悟り、はじめから地位財を追いかけるラットレースを軽蔑し、悪徳に堕ちた都会に近づかないがいい。その死地で行われている全ては、胴元天皇にとって都合のいい、奴隷にとって不都合なバトルロイヤルの共食いでしかない。

日本市場は胴元皇室のみが得するマイナスサムゲーム

日本市場は天皇・皇族という胴元が、皇室費・皇室関連費という名目で手数料を取るのでマイナスサムゲーム(参加者全員が損するゲーム)。しかしアメリカ市場や中国市場は共和国のため胴元が手数料を取ることはないので、プラスサムゲーム(参加者全員が得するゲーム)になっている。日本市場は負ける。
 日本市場は、ギャンブル相場に成功した一部の人、特に日経ETFの大部分を売り買いしている外国人投資家に金をとられ、大多数は損する様にできている。なぜならこの市場は皇室という胴元が自らの配下に置いた暴力団(日本政府)に作らせ管理させた賭博場であり、究極目的は天皇の贅沢のみにあるからだ。米中をはじめとした共和国の市場は資本が投下されるほど規模は拡大し、その市場に参加している全ての人が多少あれ得する様になっている。手数料を取り贅沢を極めるだけで何も付加価値を生産しない天皇・皇族(その他の名目君主)がいない市場こそ、理論上、無限の成長が可能な資本主義の市場である。
 日本市場の規模は縮小し続け、最後に胴元の天皇しか残らないのが必然であり、この市場参加で得られる利益の期待値は毎年引かれる皇室費・皇室関連費の分だけ常に100%未満(原資未満)である。賢明な商人は共和国の一員として商う筈であり、皇室のいる日本市場は悪質な賭博場でしかなく滅びて当然だ。

知能の多様性は賢愚を一律化できないと教えている

学問はすればするほど自分の判断が「確実に正しい」といいきれないと悟る(寧ろ無数の対立・矛盾した複合的見解を同時に検討できる様になる)ので、自分に学がある、と誇っている人(知識人や文化人等と呼ばれる人達、又は学歴主義者)は少なくとも学問をしたとはいえず、何かに洗脳されただけだ。
 根拠信仰、という最近はやりの科学論文への宗教的態度は、実証主義の堕落した姿であり、自ら検証実験や経験をせず権威(つまり虚構の肩書き)のある他人がしたことを信頼の根拠にしているので、真実さを殆ど保障していない。二次資料に基づいたウィキペディアは偏見で埋まった作り話でしかない。科学信仰の足場がこれほど脆弱なのに、それを宗教的殿堂として大学というご大層な信者の施設を作り、論文の引用回数という知性自体とは程遠い人気取りの権力闘争による教授の権威というものはますます悪質な学生洗脳の装置と化している。勿論、教授を本質的に疑うことだけが正しい知性のあり方だ。
 教授とか博士と呼ばれている人達は、別の教授に媚を売ることでその洗脳に服した証として博士等の肩書きを受けた、いわば宗派の囚人である。この意味で博士が賢いというのはただの思い込みで、特定の教授らと近い類型の脳をもっていると主観的に免許皆伝された人、というだけにすぎない。スコラ学者や占い師の世界でも特定の免許が存在したよう、元々の知識の真偽は教授らの与える免状(学位や賞等)ではなんら保障されない。だから科学教の総本山であるところの各大学・大学院は、政府によって制度化された特定宗教施設という意味以外をもっていないのである。
 この世で知能は単に多様化している。そして特定の体系性の中で正誤の規則をつけ、その教条的な秩序の上で賢愚を仮定しているのだが、この判定基準は永久に添削者の偏見でしかなく、体系自体の正しさも保障できない。賢愚が存在するとしてもこの意味で必ず部分的であり、いずれ覆される虚構でしかない。ある賢さと呼ばれている特長は、実際には別の面から見れば愚かさの一類型である。なぜならその脳の偏向は別の状況下では正しく機能しないからだ。勿論、科学教の中で最も確度が高いとされている物理学上の実証性や、その為の記号という道具としての数学の公理体系も、このことは変わらない。理性、知性、感性、感情など様々な呼び方で脳の特定の働き方を人類はこれまで優劣の体系に結びつけようとした。だがそれらは全て教条的宗派の活動だった、と断言できよう。障害と差別される脳の類型や、他の動物の方が生存に有利な場面がある限り、人類の或る博士号保持者の脳は決して万能ではない。
 脳という可塑的な身体部位について、典型的な免状(学位)に当てはめた型を優劣の早まった一般化の前提として置いたマイケルスペンスは、結果として大学という宗教団体の回し者を演じている。それは知能の可能性を狭め企業に管理し易い機械を選ばせるに過ぎず、創造的社会の阻害要因にしかなりえない。既にその失敗例が科挙という官僚主義の発生源として古来みられたのに、彼は歴代中国王朝の滅亡に学ばなかった。同様に大企業病の克服を果たせない理由が、学歴人事差別による類似型の人材による保守化にあると見抜けなかった。

皇室を政府から除去しない限り中華思想的な洗脳や差別報道を行う記者クラブカルテルは解体できない

客観的な事実を歪めて、主観調査を使った「東京中華思想」の糊塗で全国差別する、といういつもの虚偽報道は、以前は京都中華思想・奈良中華思想として見られた皇居崇拝・地方蔑視の後継だ。宮内庁2階に陣取る都内主要マスメディアの宮内記者会が記者クラブの総元締めであり、全国民を洗脳している。本家の中国では香港の登場や共和国(つまり皇帝でなく国民による統治)の成立で幾らか時代遅れになったものの、日本では天皇が相変わらず中華思想で全国民を洗脳し続けているから、少しでも油断すると確証バイアスで皇居のある東京崇拝と同時に各地方をわけなく差別し始める信者がいる。
 記者クラブをなぜ都内マスコミ各社が解散したがらないかといえば、それは記者クラブ規模で最大の宮内記者会という皇室の扇動機関を中心にしたカルテル(企業連合)だからだ。宮内庁と記者クラブは完全に癒着しているグルだから、国民の不利益になろうと天皇崇拝の扇動機関として絶対的に情報を歪めて嘘を伝える。
 マスコミの腐敗を憂うならその根底にある神道教祖・天皇による国家の乗っ取りを完全に否定し、皇室・宮内庁・記者クラブ(宮内記者会を含む)ごと完全に政府から追放し、叩き潰すしかない。それ程の権力を、神道信者・東京中華思想に洗脳されている日本衆愚に対し獲得する偉人が必ず現れねばならない。

自己評価が厳しい都道府県と甘い都道府県がある為、交通マナーの主観調査は参考にならない

茨城県内で自動車運転してる限り、東京系・横浜系のナンバーの運転が荒い。東京から来た車、横浜から来た車は高速でも一般道でも車間距離を詰めてきたりやたらスピードを出していてマナーが悪い。つまりこの主観的な印象調査は、なんらかの偏見をもった虚偽か、統計的に偏ったもの。
 交通事故件数(2012、警察庁)だと、最多から愛知、大阪、東京、福岡、神奈川…高知、福井、秋田、島根、鳥取。交通事故死者数(2012、警察庁)だと、最多から愛知、北海道、埼玉、東京、大阪…長崎、福井、山形、徳島、鳥取。自動車等1万台あたりの交通事故死者数(2012、警察庁)だと最多県から香川、高知、岐阜、滋賀、島根…千葉、東京、神奈川、大阪、沖縄。自動車等1万台あたりの交通事故負傷者数(2012、警察庁)だと最多県から佐賀、福岡、静岡、香川、大阪…北海道、秋田、岩手、島根、鳥取。
 自動車等1万台あたりの交通事故死者数でみると、愛媛は15位、東京は37位だが、自動車等1万台あたりの交通事故負傷者数でみると愛媛は32位だが、東京は11位。つまり愛媛が特別交通マナーが悪い、東京が特別交通マナーがよいという事実は、統計的には存在しない。この画像(JAF、2016、交通マナー調査の質問)で「自らの住む都道府県のマナーが悪い」と答えて5位以内に入っている都道府県について調べると、自動車等1万台あたりの交通事故死者数で徳島、茨城は15位であり、沖縄は47位(最少)、福岡は37位と、全県全国平均以下に位置している。逆に「マナーが良い」と答えている島根、岩手は3位(長崎、神奈川は37位、山口15位)。
 自分は茨城で免許をとり運転してきて、東京・横浜のナンバーの車が常磐道で飛ばしまくって危険だったり、一般道でも調子に乗り煽ってきたりすることが多いという主観的な体験がある。統計は、死者数の割合は東京のほうが低い(東京37位、茨城15位)が事故数は茨城のほうが低い(東京11位、茨城31位)。単純な交通事故死者数・交通事故負傷者数だと東京4位、茨城11位(人口も11位)なので、東京の交通マナーは人口の割には最悪ではないにせよ決して良いとはいえない(電車等を利用する為だろう)。また茨城は交通マナーが決して悪いわけではなく死者数の割合・事故数の割合ともに全国平均より低い。
 これらを鑑みると、自県の交通マナーについての主観的な自己評価と、現実の交通事故数・死亡者数に、統計的に余り相関関係はなく、寧ろ軽い逆相関すらある様に見える。ダニング・クルーガー効果が働いてるかも。

天皇抜きの国民政府を作ってはじめて日本は民主化する

辺野古基地の問題は、長州閥(山口県の国会議員の閥族支配体制。岸信介、安倍晋太郎、安倍晋三を含む)の系譜が米国CIAスパイとして日本の情報と実質的支配権を米国政府に受け渡し、その報酬として日本の首相権力を後援してもらう、という密室取引の限界が露呈している。長州閥の売国統治体制と同時に対中前線基地として日本が米国政府の盾にされていることを最も如実に示しているのが、海を隔てて中国に接する沖縄なのだろう。日本国民一般側は自民党一党支配体制や、その背後にうごめく日本会議・神道政治連盟所属議員らの天皇妄従に従属的なので、結果的に長州閥売国統治の形に妥協してしまっている。そもそもその様な支配体制の何重にもなった操り方に無知だし、知る由もない。
 メディアから簡単に扇動され、政教分離できておらず(天皇を妄信し)、匿名で感情的に群れ差別やいじめをし、一党支配を当然視して政権交代文化すらなく、マスコミも民間人も推定無罪を理解できず、警察・検察も旧時代的で人権を殆ど守っていないファシズム国なのが生まれ育った限り全くの事実で危険。日本が自由を憎む天皇制ファシズム国、というのはいまだに何一つ変化していない。その種の自由をひたすら抑圧・弾圧するドイツ軍式教育は、ドイツ帰朝者の伊藤博文による移植を経て明治から平成まで一貫して続いていて、既存の官尊民卑とあいまって公教育を殆ど地獄の様な場所にしている。日本式の教育で洗脳されると、それ以後、全体主義的な行動原理を当然視する様になってしまい、個人の自由をひたすら抑圧・弾圧する側に回る。その極度に進んだ姿が国家公務員(中央官僚)であり彼らの拡大再生産する反自由ファシズム体制が、低成長・非挑戦・型通りの人生という絶望的な日本人を作る。
 天皇に全てを丸投げし、考えることをやめ皇室の奴隷になり、その宗教権力の傘下に置かれた日本政府・企業から社蓄として過労死寸前まで搾取され、最大限徴税されるのが国家公務員の作りたがる日本人像である。明治から平成まで天皇奴隷制国家の構築の為、天皇権力を笠に来た長州閥支配が続いてきた。なぜ長州閥が天皇奴隷制国家を目指したかといえば、徳川支配を否定し、山口県の旧外様大名・毛利家の地位を向上させること、それを通じて山口県民自身が幕藩体制を覆して上位者ぶる野望が根本的な目的だった。この為に吉田松陰は北海道・沖縄・アジア侵略を主張した。目的が野望なので末路は悲惨だ。山口県民が吉田松陰に影響され、長州閥の政治家らや、実業界では鮎川義介や柳井正といった人物を首都圏に送り出した一方で、そもそもの松陰イデオロギー(侵略主義や天皇奴隷制国家を含む)は彼らの中で少しも批判されておらず、逆に神社に祭られ信仰対象にされている。安倍晋三もこの後胤なのだ。国民国家としての体裁はGHQがもってきた物で、松陰イデオロギーと根本から対立している。安倍晋三やその祖父・岸信介が明治帝国憲法に回帰したがっていた根本的な理由は、彼らの松陰イデオロギーへの偏執にある。天皇奴隷制国家(中華皇帝を模した一君万民論)にとって民主主義は都合が悪いのだ。松陰を動かしていたものは、幕藩体制への恨みだった。そのルサンチマンの向けかえられた先が、天皇奴隷制国家の確立(天皇大権の肯定、国民主権の否定)だった。日本会議・神道政治連盟に所属する自民党議員らに共通の目的意識は、日本から民主主義を奪い去り、天皇の名の下に独裁権をふるう、伊藤博文を類型とした明治国家体制の模造である。そしてそれを現に実行しているのが安倍晋三という伊藤から150年目の、同長州閥松陰イデオロギーをもつ独裁者なのだ。大正民主主義を弾圧した薩長藩閥の後裔である安倍晋三・麻生太郎の両氏が、平成末期の民主主義を天皇奴隷制国家(天皇大権による国民主権の否定)へ向けて再び退行しつつあるのは、彼らの脳が150年前の吉田松陰から一歩たりとも前に進歩していない証拠だ。恨みをもつ明治の亡霊が国を荒らしている。
 正しくは、松陰イデオロギーの基盤になった、水戸学の尊王論自体を否定しなければならない。徳川斉昭『弘道館記』に基づく政教一致の原則から離れ、政教分離の真の国民政府、天皇抜きの政府を作り直さねばならない。国民のみの新政府の元での時代が、真に国民自身が日本の主権を持った日になるだろう。

2019/03/19

全体が無能なこの国では個人か企業の単位で革新を進めるしかない

MMT(Modern Monetary Theory)って中長期的にその国の法定通貨の価値を目減りさせる、忍び寄る通貨膨張(クリーピングインフレ)の正当化でしょ。どうせ自民党は日本操縦者の言いなりになってこの方針で進もうとするんだろうけど、国民一般がその悪意に気づければ物価上昇の負担増を阻止できるのに。
 日本国民の不安症で、枝野ファシズム政権より自民党政権の維持を望むとすると、MMTに基づいてますます財政支出・赤字国債・紙幣乱造を続けながら忍び寄る物価上昇を繰り返すんだろうね。そして国民生活はより苦しくなるが、極右化した衆愚が野党叩きを続けるんだろうな。笑える。日本国民の行動原理って自殺点が多すぎるんだが、なんで自分から失敗したがるんだかさっぱりわからない。
 自分が「MMTを信じず、財政健全化の為財政支出を抑える緊縮財政と、減税で国民の消費力を上げて、かつ円安誘導をやめGDP7割を占める内需主導の経済構造に変える。所得・法人税をシンガポール同等以下とする経済特区を政令指定都市以外の場所に認める」と言っても、無視するんだろうな、この国民って。
 結局、なぜ日本の将来が暗いかというと、知恵や才能が殺される社会構造ができあがっていて、世襲や差別で馬鹿が出世する様になってるからだろう。なぜそうなのかといえば使い物にならなくなった旧制度にしがみつく保守主義に陥って、革新を拒否する臆病な国民性だからだけど。国民の不安が強い脳遺伝子をとりかえられない以上、挑戦を恐れない超少数の個人が日本を飛び出したり、国内でも個人か企業の単位で有能さを発揮する以外ないね。それに対して嫉妬して足を引っ張るしかできない国民が大多数なんだけど。自分より劣った人達に合わせても何一つ進歩はない。自分より愚かな人の常識に合わせる限り何も前に進められない。この意味で同調圧力が全ての日本人全般は完全に悪例でしかない。

2019/03/18

謙虚な人は少ない

成金や皇族は単純に自分の独占権がふえるのを喜んでいたのだろうが、一度その状態になってしまうとプロスペクト理論から転落の恐怖で保身しかできなくなり、普段の生活が贅沢なので何をしても敵を作ってしまう。刺激の閾値から一定限度以上の収入は幸福感に直結しない。挙句慈善で罪滅ぼしを始める。
 人間本能には嫉妬があると線条体の反応から分かってきたので、貪欲な人達が不道徳というのはやはり間違いない。SNSで顕示的消費を地位財の誇示にしている有名人らは、他人を羨望させる愉悦に耽っていると同時に、彼らの転落を望む見る側の憎しみを買っている。
 もしSNSの正しい使い道があるなら、質素さや慎ましいくらしを他人に知らせ、他の面で尊敬すべき点があっても嫉妬を買わないことにある筈だ。だがこの謙遜はSNS上で一般的ではないから、もともと謙虚な人柄は少ないのである。日本人だから当然の様に謙虚だ、というのが思い込みで、それは少数者なのだ。

自慢ツイートが不快なのはツイッターでも同じ

自分を褒めてるツイートをリツイートするやつって、恥知らずなばかりか見てて不快なんだが。自画自賛を恥じる能力が失われた人達なの?
「他人が自分を褒めています」と自分で誇示する、というツイッター著名人らの行動原理、一体どこで謙遜から傲慢(自慢)へ、と社会行動が変化したんだろう。少なくともツイッター内では傲慢な人がインフルエンサー等と自称して我が物顔をしているのは間違いない。そしてそれが不快なのも間違いない。

日本語のソーシャルメディア絶ちが流行するだろう

これ(原発問題についてのNHKのまとめサイト)を読むと日本国民一般、そして日本政府は本当に馬鹿なんだなということがよく分かる。救い様がないレベルに頭が悪すぎ、反省力が全然ない。これは少子化し絶滅した方がいいと思った。大公害を起こしても何の反省の色も見られない、というのは最早、知性があるのか疑わしい。目先の金に弱すぎる猿。
 自分は文科省の教育課程で洗脳されているのには気づいていたが、その中で最たる妄念は「日本人全般は優秀だ」とか「日本国は世界でも有数の先進国だ、全ての面で世界のトップレベル」とかいう単なる確証バイアスでしかない異常な自己正当化の面だった。それを自力で解くのに物凄く時間がかかった。ただより高いものはない、の最たる例が、日本の義務教育と呼ばれる公教育だ。巧妙に皇室崇拝や日本政府に都合のいい妄想や虚構、明らかな嘘、偏見や差別がすりこまれてしまうのだ。そしてそれを解くのには二重の費用がかかるから、殆どの貧民は生涯、天皇政府の奴隷として生きて死ぬ。
 自分は小学校に入学した半ばから、文科省指定の学校教育が完全に終わっていて、ただの奴隷化軍隊教育だということに気づいていたので、義務教育以後はほぼ独学してきた。建前上、大学課程まで進んでいるが、本当は文科省の暗愚や背後にいる皇室の邪悪な洗脳意図に気づいていて、全く信じていない。自分の親族はほぼ大卒だから、学歴コンプレックスをもっている人が現実にいる、ということは知らなかった。アメーバピグというサイトの中で、約3名そういう人達を見つけて、重々観察したが、どうも地頭が悪い人ががり勉し大学入試に受かるとそれを過度の自慢に思うらしく、それで周りを見下すらしい。彼ら学歴コンプレックスをもっている人達は、恐らく一生涯、「教育課程」を作っている側が明らかに洗脳を目的にそうしている、という免許制度的・宗教的な構図には気づかないだろう。そこまで知恵が回らないからこそ、ただの洗脳の証拠をなんらかの誇りだと思い込んでいるのだから。
 自分にとって教育という装置の意味は、本来、テレビ番組やゲームと全く同列の娯楽だ。それを信じるなど到底ありえないし、やりたくなければやらないし、当然それを経ていようがいまいが人の知能の本質に何の関係もないと常識として知っている。単に原発公害に無反省なのはその人の地頭が悪いのだ。
 ある程度距離の離れた地域の人々への共感力が欠けている、というのは、日本国民全般の共感知能がもともと低い証拠であり、将来に負担を先送りしたり、災害の可能性から目を背けて目先の金儲けに走るのは、公徳としての洞察的知能が低いのである。いずれにしてもこの国民は想像を遥かに下回って愚かだ。日本でくらすことは衆愚から公害をまきちらされることを意味しているのだから、非常に危険だと感じる様になった。日本より治安の悪い国に移民した連中はより悪い側と比べているのだからお話にならない。少なくとも現時点で東京の衆愚は福島の例のよう公害での金儲けを罪とも恥とも感じないのだから。
 ある国が滅亡しつつある時、そこから早く脱出するのが賢明なのではないだろうか? リバタリアンらは無税国家へ私利追求の為に逃げたのだろうが、単に平和にくらすという最低限度の生活さえも、日本ではもう不可能なのだ。東京圏の衆愚が原発や情報公害をまきちらし平和な地域を潰してしまうのだから。東京人による集団虐殺の最初の標的が福島県だっただけで、今後、どの道府県も同じ結果になる可能性がある。安倍政権をみればわかるよう、自民党金権政治が日本中を犠牲にしても、小学校の時点から日本政府の洗脳を受け続けてきた愚民から堅固に支持されてしまう。薩長史観、東京中華思想、皇室崇拝。労働者という奴隷階級になり、天皇政府という政教未分の邪教祖に税金を貢ぐのが幸福の定義だと、その枠組みの中でのどんぐりの背比べ的な見栄の張り合いと顕示的消費競争が富国の定義だと洗脳を受けた衆愚は、今日も都会の満員電車ストレスに発狂しそうになりながら、公害政党自民党に投票を誓うのだ。
 日本国民全般は元の出来が十分悪いのに、単に人口がかなり多いというだけで調子に乗って革新を怠り、同調圧力の悪い癖で高度成長期の大企業支配体制にすがりついている。その末路が東電を潰せない自民党の懐古的な不適応であり、次世代に問題を先送りし目先の金権を貪る民衆の下賎な根性に現れている。文科省がなぜ日本は大した国ではない、人口がそれなりに多いだけで、一応先進国には入っているがその中では地位も能力も低く、ファシズムで一度滅亡したと正直に教えられないのか。明治政府はテロリストが捏造し、天皇は自身の中国系先祖を神格化した殺人教祖だと、なぜ本当のことを教えられないのか。
 自分の中でこの国民の(義務教育などで植えつけられた)理想像と余りに違う類型ばかりに直面する時の精神的・心理的な衝撃を完全になくすには、日本語の情報をなるだけ見ない様にするしかない。これからもほぼ失望することが占めるのだろうし。
 今後ソーシャルメディア絶ちが流行するだろうな。
 仏陀の様に、国を捨てて歩むべきだ。悪しき人々は仲間ではないのだから。公害を起こしその継続を望む様な衆愚は、いずれ自滅する。
「沖縄県の民意を無視する首相なんて信じられない」と、常識から人は考えると思うだろう。しかしこの国民一般は同調圧力で自民党に群れることしかできないのである。勿論それは異常なことだ。脳の遺伝的異常、不安遺伝子(少セロトニントランスポーター)が原因かもしれないし、教育の失敗でもある。

人物の格

一流の人物と二流の人物は明らかに異なるし、彼らも三流以下の俗人と全く違っている。そして三流以下の人物に一流と二流の違いに見分けはつかない。三流以下の人達はその仲間で寄り集まって、二流以上の人達と異なる世界に生きている。
 一流以上の人物同士は超一流と一流の違いさえ知っている。

皇室はナチスの同類でファシズムや政教一致に無反省

皇室とナチスには殆ど大量虐殺を命じていたファシズム政府の首謀者という点で違いがない。第二次大戦で負けた側というのも共通点。天皇家は敗戦で米軍の間接占領に従っただけで、神道の政教一致による国民洗脳や天皇制ファシズムという国内外に大災厄をもたらしてきた枠組みをなんら否定していない。

理系馬鹿は遠からず絶滅する

哲学を馬鹿にしている人は、自分では何も考えられない、といっているのと等しいのだから、本質的に機械と何も違いがない。殆どの場合、その脳の性能は人工知能より劣っているだろう。単にこれまで得られた自然界の分析結果の再習得と既存の数学に基づいた論理計算をするだけが知性と思い込んでいる人達は、程あれ科学教育に洗脳された人達であり、彼らの存在自体は人工知能登場以後、先ず意味がない。勿論その人達の需要も激減し最終的には無用の長物としてそういった理系馬鹿を育てる教育自体が消滅するだろう。

2019/03/17

迎え

梅の花われを迎えて咲きにけり

梅の意気

義烈両公の魂伝えける梅がわれをも励ませり
卑俗なる世々を超え来てわれ迎ふ梅が今にも意気を伝ふる

Chappi たびだちのあさ

『Chappi たびだちのあさ』

罪人

あなたはすばらしい人だと
皆が言っています
私はそうは思わない
あなたは最低です
あなたは多くの人を裏切り
うそをつき
次々立場を翻しながら
連日悪徳を増す一方で
誰のことも愛していない
いや愛執するなと仏陀がいうよう
あなたは生まれついての罪人だ
なにしろ三流の魂で
一流の人を罵りながら
ただ金をむさぼってきたのだから

よきには体言が必要

よきは連体形だから単独で使えず、続く体言が必要。
 一部のオタクらしき人達からこの語の誤用が増えているが、活用は高校古語の範囲にある知識である。

衆参両院の資産による住み分けと大統領制への移行

商界と政界の癒着を防ぐ為、新法の中で国民全体の資産中央値より高い資産をもつ者は衆議院議員に就任できないこととし、参議院議員を無給とすることで、少なくとも衆議の優越の範囲で一般庶民を衆議院に、資産家を参議院に住み分けさせるべきである。
 また近い将来、立法と行政の独立のため大統領制をとることとし、大統領選の候補者についても衆議院と同様の資産要件(中央値以下要件)を憲法に定めるべきだ。

2019/03/16

公務員削減、民間委託、大減税が日本人世論の求める政策

今後日本政治がやるべきなのは公務員を最大限減らし、できるだけ公務の大部分を民間委託し、政府全体を緊縮財政に向けつつ最低限度の生活保障と警察・防衛を除けば政府自身が経済に関与しない方針に転換することだ。自民党型国家社会主義政策を遠く離れ、民間事業中心の国へ変革を起こす必要がある。皇室も民間人化し、減り続ける税収に寄生させないよう改憲を含め、政教分離を徹底する。増税方針を進める限り日本経済が衰退しかしえないのは誰の目にも明らかだから、世界で最も大幅な減税政策を行わねばならない。
 格差縮小を利己的で性悪な日本人一般は求めていないし、全体が幸福な北欧より一部が大富豪の米国をまねたがる。それは彼らが敗戦劣等感に執心し続けていて、北欧モデルに見習うほど知性や徳性が高くないせいだ。中韓や東南アジアなど彼ら日本人一般が見下してきた新興国民に一人当たりGDPや一人当たり国民所得で抜かれていくのは彼らの虚栄心が許せないので、少しでも更に金儲けしようと必死になる筈で、この面から貧民蔑視と拝金主義がますます激しくなることが予想される。つまり減税党に票が集まる。

地球社会は資本帝政による群雄割拠を22世紀まで繰り返す

約22世紀(2100年代)まで日本が経済地位をはじめ諸側面で新興国に追い抜かれ転落を続ける、というのが大よその見方として間違っていないだろうことはほぼ確定的なので、日本脱出を早期に図り租税回避地めぐりをしていた少数の人々が個人という単位では賢明だったのである。今からでも見習うしかない。日本や日本人全般の今後へ過度に期待する限り、予想は外れ、先ず確実に裏切られるだろう。勿論、個々の単位で優秀な傑物が出現する確率は1億人程というかなり高い人口比や、それなりの教育程度からいってまれにあるだろうが、全体には凋落の見込みしかない。それは社会が既にはっきり示している。「国家社会主義」的な自民党政治の枠組みが、日本とか日本人という全体単位で自分達を考えるという戦後体制を意味していた。この考えが古く使い物にならなくなっているのに自分は気づいていたので、個人主義と全体主義の中庸にある地域主義が有効ではないかという仮説に基づいて行動していた。
 だが結果は、その地域主義も小型の自民党政治的な全体に回収されてしまう、ということだった。茨城県知事は自民党の飼い犬の様な人物に切り替えられてしまったし、そこでは個人の意見が全く通らないし、個々の県民は自民党権力や天皇権力の前で全く尊重されず犠牲を強いられる。正解は「個人主義」に基づいて行動していた人達にあった。国や地域に帰属意識をもつのは失敗の元だ。同じことは社畜と呼ばれる企業に帰属している人達にもいえる(内需が死にかけている日本企業の殆どに将来性がない)。頼れるのは自分と安全資産だけで、税による福祉に頼ると国に裏切られてしまう。
 リバタリアニズムが正解だ、と知識人の大部分もまだ気づいていないと思う。トマ・ピケティが『21世紀の資本』で示した社民的潮流に程度あれ感化されているからだ。自分も与沢翼氏の様なリバタリアンをみた時、俄かにそれが正道と信じがたかった。ノルウェーの友人の暮らす社会がましではないのかと。社民的調整が立派に図られている国々、具体的には北欧諸国やフランスが民度の成熟した国のモデルなのは確かだが、日本の公的教育の質はそれに遥かに及ばず、今後も学ぶほど賢くないので22世紀までそこに見習う可能性は先ずないだろう。逆に格差拡大を続け目先のアメリカ追従に耽る筈だ。ジム・ロジャースのよう租税回避度の高い国に移民することが、日米の悟った個人にとって当然の生活様式になる筈だ。専らリバタリアンを阻害するどんな要因もないし、新興国で居住外国人の租税回避を禁じる法を通そうとすれば基本的に彼らを飯の種にしている国民から成る議会の反対にあうだろうからだ。一方、商才のない先進国の個人が税率や物価の低い新興国に移民することにも大きな利益がある。少なくとも新興国物価が先進国を上回るまでの期間、以前と同じ以上の生活程度を維持できるからだ。
 結局、全体主義(愛国心)から地域主義(郷土愛や東京妄信など)、集団主義(学歴・企業崇拝など)を経て、個人主義へ速やかに移行するしかない。帰属集団が大きいほど矛盾や不合理に直面するものだから、解決不可能な他者の暗愚さに関わっている間に、人生自体が無駄になってしまう。藤原正彦『国家の品格』が流行した頃、自由至上主義(リバタリアニズム)が現実的に最善の選択肢だと気づいていた人は本当に利口だったのだ。逆にこの種の論客に扇動され、グローバリズムへの反命題として国家や保守主義に回帰しはじめた人々が大多数だったからこそ、日米英は道を間違えている。
 リバタリアニズムを極めた超少数の大資本家、具体的には世界で数人が、事実上の王権を持つ様になるのが今後の世界展開ではないかと思う。既に個人資産が10兆近いアメリカの新成金は大抵の国家予算以上の額をもっているので国ごと買収できる筈だ。自分にみえるのはこの種の資本王権がふるわれる社会がしばらくの間、民主主義より優れたものとして世界を圧倒するだろうが、次第に初代王の死後、遺産相続者による血縁政治等の腐敗で最終的には大多数の人に犠牲を強いる結果になると予想されるので、22世紀以後には別の姿に展開していくとは思う。しかし21世紀(2000年代)の間は、リバタリアンら個人が国家予算以上の蓄財を図る、という流れは止まらず、しかも彼らの支配が絶対権力となって猛威を揮うだろう。だが衆愚政に陥っている先進国より、単独の超有能な商人が王政を執る新興国がより大きな成果を上げるのは明らかだから勢力図が逆転する。
 世界で数人の大富豪による資本帝政が群雄割拠を続ける、というのが自分の見立てによる今後100年程の版図だ。自分がそこに参加することになるのは生きている時代だから仕方がない。どの経路で最も有利有徳な立場を取るかにありうる知性を振り向けねばならない。旧先進国の愛国心は時代遅れの遺物だ。

日本の真の転落劇はゆとり世代が主要な生産人口になっていく今後はじまり約50年後まで続く

弱肉強食の国を150年間かけ作り上げた薩長土肥ら西日本の野蛮人達は、東京に次々渡来しながらますます拝金主義による貧者虐待の社会を強化しようとした。天皇や安倍晋三、麻生太郎だけではない。豪商や成金達もそうだった。そして彼らは幼稚な驕りの中で弱者を死においつめ、奴隷国家をめざしている。同じ島国の大部分(30代~40代の約5割が貯金50万円以下、SMBCコンシューマーファイナンス株式会社、30代・40代の金銭感覚についての意識調査2019、3ページ)の人々を貧困な奴隷状態にし、ますます皇族閥や成金層の驕りによって階級の二分化を進めようという長州閥・安倍晋三の意図は、当の貧民奴隷達から猛烈に支持されている。理由は貧民圧殺に加担すれば自分が強者に同一化できると信じるかららしい。国民全般が愚劣だから、経済成長どころか政府の維持さえ不可能になっている。そして暗愚な独裁者・安倍晋三が再選されてしまうし、天皇による政教未分の洗脳と世襲が繰り返される。啓蒙も殆ど効果をもっていない。下らないYouTube芸人とか金儲けインフルエンサーに衆愚は雲集するからだ。
 他世代より低質な教育を受けたゆとり世代(主に20代)が引退し死亡する40~60年後まで、日本は長期不況や深刻な停滞、しばしば社会環境の悪化に悩まされることになる筈だ。民主主義では多数派の支持が罷り通るので、少数の賢者がどれほど優れていても全体に影響はないからだ。真の転落はこれからだ。

日本は性(特に男性への差別)・年齢・地域等の差別が公然と罷り通る中世民度の衆愚国なので少子化・絶滅しても人類全体にはプラス

女が世界一威張り散らしながら(日本は女性の幸福度が世界一高い(World Values Survey HP 2014.5.3)日本は先進国で韓国に継いで自殺率が高く(自殺率の国際比較、World Health Statistics 2017)、男性は女性の2倍以上も自殺し易い(警察統計、2017))、中年男性を性別や年齢でひたすら差別している日本国(日本の自殺者数は40代が最多、自殺率が最も高いのは50代。(警察統計、2017))。女性ひいき・男性差別文化の異常な悪徳に満ちた国民が少子化で絶滅しつつあるとしたら、寧ろ世界の人権に望ましい。
 日本人という集団が、性・人種差別を公然と行う皇室崇拝にみられる邪教に洗脳された拝金主義の衆愚なのは確かだから、その種の悪徳が自滅をもたらしているというに過ぎず、少子化や絶滅がより望ましいのだ。民族主義的な邪教を持たず、より差別や金銭崇拝から自由で、奴隷的でない人類がふえるべきだ。日本国民の総体に同情すべき点など先ず見当たらないし、一体この国が滅びたからなんだというのか。善良な田舎の住民を差別し、公害で大量虐殺し、搾取し辱め、悪辣な都会人がますます悪業をほしいままにしていただけではないか。そんな種族が生き延びてしまっては人類がより悪化する一方だ。

より道徳的な生き方が幸福さの定義

世界で最も幸福なのは道徳的に望ましい生き方をしている人で、その道徳性がより普遍的なほどますます望ましい。不道徳な生き方をしていた人は齢を重ねても敬意を受けることなく老いて死ぬ。加齢が望ましいのは道徳性が時間と共に高まる生き方をする場合だけだ。その生は他人にも望ましいのだから。
 大富豪が最終的に慈善事業にしか資産の使い道をもたなくなるわけは、富の寡占による汚名を補いきれる程カネ(多くの場合保有株の時価総額)の限界効用が高くないことに悟るからだ。自身が利他的な性格であると周りに示すことで得られる尊敬以上の効用は、富では得られない。聖人が模範なのはこの点だ。

2019/03/15

五輪を金儲けの道具にする発想は歪んだ東京的強欲の象徴

東京五輪は強欲の象徴だから、日本人の潜在的な道徳観に抵触して反感を買っている。安倍政権の皇族を使った賄賂招致も当然その強欲の一部を形成しているし、東京の会社である日本原電の東海第二へ東電が大金を回し、仮設住宅を無視しながら豪勢な選手村を都内に作るのも全て「東京人の強欲」の象徴だ。東京人の強欲を世界中に知らしめる、という悪徳の粋だからこそ、ザハ・ハディット設計の競技場も、隈研吾設計の「東京人の金儲け」により近い物に無理やり変更されてしまった。
 東京人の驕りが極地に達している現象である限り、恐らくそれにふさわしい末路を迎える筈だ。多分、道徳的な反動がくる。与沢翼氏は2016/5/19のブログ「時事問題」で、東京五輪は日本にとって100%必要だからなんとしても開催して欲しい、と述べている。これは経済という点から物事を見ているからで、公共道徳という点からみると、原発で国民を犠牲に賄賂で金を貪ろうという強欲の象徴になる。問題は「東京都民」という総体は、強欲を悪徳と思っておらず、資本主義や富国強兵イデオロギーのもと全面的に肯定しているということだ。賄賂だろうと原発公害だろうと、どんな邪悪だろうとたとえ地獄におちようと、金が儲かりさえすればOKと考える拝金主義が東京を動かしている唯一無二の信念だ。勿論、拝金主義の考え方は世界を余りに単純化しすぎていて、金が幾ら儲かろうと人生が不幸で、他人を殺めては意味がない。だから東京五輪は古典的な悪徳の一つである強欲という自滅の原理を、国内外へ派手に示す役割しかないのだ。結果は金権政治による強烈な腐敗である。
 人類は幾ら資本主義を追求しても結局、強欲という悪徳を蔑むのは変わらない。アリストテレスにいわせればけち(吝嗇)と強欲という両悪徳の中庸が節倹や質素だとなる。バフェットやビル・ゲイツは慈善事業に資産の過半を使う結果になった。無限の富を独占しても最後に、真の尊敬を得られなかったのだ。イエスは「金持ちが救われるのはラクダが針の穴を通るより難しい」といった。聖人全般は質素が有徳と知っていたので大富豪ではなく清貧に生きていた。ここに東京の反面教師性がある。幸福な生にとって重要なのは無限の強欲ではない。必要十分な富を超えては自己実現や無償奉仕に生きるべきなのだ。
 東京五輪の様な、運動競技に偽装した強欲な金儲けのイベントを開く、という発想自体が醜悪だ。勿論、運動競技はそれ自体がすばらしいことだから、公正な競技精神としてルールを遵守し競い合い、全力で闘った後は敗者をいたわり勝者を称え合うスポーツマンシップの啓蒙にするというのが本来の筋なのだ。
 私の県ではことし国体が控えているけど、東京五輪と違って金儲け的な色彩は余りない様に見える。知事がはじめてEスポーツを取り込むつもりらしいから企業がのりだしてくるかもしれない。しかし競技と商売、政治を混同する愚行は東京だけで十分だ。商売や政治それ自体なら幾らでも自由にやればいいが。

食品の消費税は0%にし奢侈品だけ増税すべき

各国の消費税率(ウィキペディア)
食はないと生きられない必需品なので、食品の消費税(付加価値税)は0%にすべきだ(食品の消費税が0%であるイギリス、アイルランド、カナダ、マルタ、キプロスをそのまま見習う)。
 消費増税問題の本質は、格差拡大論と消費抑制論があると思う。
 自分は消費税の最終負担者は値下げ圧力のかかる企業だという立場をとる。理由は日本より消費税の標準税率が高い欧州その他でも経済成長率は日本より高いからだ。したがって累進課税化すれば消費増税は問題ないと考える。食費負担の家計に占める割合が高い人(エンゲル係数が高い家計)、つまり生計が苦しい、相対的に貧しい人にとって食品0%が税の累進化につながる。同時に、奢侈品・高級品の消費税率を欧州以上(20%程度以上)に引き上げ、標準税率は今のままに据え置くか減税することで、全体の税収を整えるべきだ。

小沢一郎自由党代表の野党結集についての発言抜粋

小沢一郎自由党代表「いま野党が結集し、力を合わせ、自民党に代わる受け皿と国民からみられる実態を作ることが大事なんですが、一番簡単なのは、第一党の枝野さんが、皆に声かけて一緒にやろうやといえばそれで済んじゃうんですけど、(枝野さんは)中々そういう考えに至らないようで、第二党(国民民主党)の玉木代表が皆さんに声をかけて、受け皿をきちんと作ろうとわたくしどもにも声をかけていただいて、今後更に(玉木代表に)そういう役割をしてもらいながら、最終的に野党が結集できるようにと思っています。
 野党の結集を否定するのは、政権を執り国民の為の政策を実行する志がなさすぎるから。皆で力を合わせる気持ちが大事。万年野党なら国民に対する裏切り。枝野さんも近いうちに考えを変えてくれるだろう、やっぱり皆で一緒にやらなきゃ駄目だなと必ず変わると思います」
報道ライブ インサイドOUT「安倍一強への挑戦 野党共闘への道を問う」2019年3月13日放送分、BS11オンデマンド

ため息

無限に続くこの世の中で
君は確かに今ため息をつく
夜は徐々に明けていくから
この暗闇もやがて消えうせ
代わりにまばゆい日が昇る
余りの明るさにたじろぎ
君はまた夜に帰りたがる
絶望さえも愛おしく
無限の希望は弾けて
色とりどりの画布に分解される
君はまた朝を求めながら
朝日でさえも恨みながら
無限に続くこの夜に沈み
まどろみの中でため息をつく

命と技

すばらしい技は金儲けより卑小だと
現世に拘泥する愚物がほざいていても
やつの骨の上にわが作品が君臨し
未来から見れば私しか生きていない
だからちっぽけな世事に気を煩わせ
折角の機会を失うのは無知の印
いや無能と夢幻の境目で居眠りし
目覚める前に失うのが一幕ひとまくの野望
たとえ一国を手に入れようと
満たされない
たとえ全世界をたなごころにしようと
絶世の美女や億万長者でさえ
あるのは骨と灰だ
目覚める前に失うのが命

2019/03/14

初恋

初恋
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ツイッターの「クソリプ」は国語を読めていない人の物だった

今日はじめて「クソリプ」とインフルエンサーの人がいってる返信を読んだ。日本語の読めてない人が、自分の返信を受け、妄想で誹謗だか訳の分からない誤解だかをしてるツイートだった。そういうことか。
 確かに国語の現代文のテストでバツがつく様な勘違いの返信というのがクソリプだとわかった。

死までの猶予

死までの間に何を成し遂げ得るか、真剣に考えるべきだ。自分は小学校3、4年の頃からこれを繰り返してきた。無駄なことをしている時間というのは実際全くない。100年で足りるほど小さな目的を抱いているなら別だが。自分の経験上、休まず全力で努力しても複数の目標を同時に達成するのは難しい。

社風は会社の将来性を示す

会社の社風は、対応などで一瞬で分かる。怪しい、おかしいと思ったらできるだけ早くその会社と縁を切る方がいい。逆に素晴らしい会社は感心するほど対応がいいことがよくある。こんなによくできているのか、と驚くほど社員が優秀なのだ。社風というものは厳然としてある。その会社の将来性でもある。

利他が商を超えた目的

大金を稼ぎ贅沢なくらしをすることは、豪商達の共通目的になっている。だがこれが無意味なことに彼らも死の直前に気づく。商業の本質は利他性への条件つき動機づけでしかなく、いわば自分の目先にニンジンをぶら下げているだけだったのだ。最初から利他性を目的にした人はすでに遥か先に進んでいる。

前進

一歩ずつ前進する
たとえ誰もその歩みを認めなくとも
たとえ自分しか道を知らずとも
たとえ誰にも尊ばれずとも
自分は毎日その様に生きる
きのうより今日が
今日よりあすがより正しく
心を晴らす様
一歩ずつでも前進する
誰も自分の歩みを知らないが
自分だけでも歩むのだ

Chappi

『Chappi(チャッピー)』
はなす Enter
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2019/03/13

しごとは続く

誰に理解されずともうたを作り
誰に認められずとも絵をえがく
それが私のしごとだから
一円にもならずともしごとは無限で
私は終わらない作業の上で死ぬだろう
私の生まれきた訳さえも
全てを載せてこのしごとは続く

2019/03/12

マスメディア文化人を無視し真理の探求に殉じるべし

ツイッター世論は自分に見える範囲(なので多分偏ってるだろうけど)で9割以上が反安倍政権になっているのだが、これが先行指標なら安倍政権は今後倒れる。しかし枝野政権も他党への非協力を省みず寡頭政を目指しているのがはっきりしているから期待がもてない。小沢政権を求めるほど世間は賢くない。
 多分、これまでの首相としての言動・行動から、安倍晋三氏はしっかり精神科医らが診断すれば、ダークトライアド(サイコパス、マキャベリスト、ナルシシストを兼ねる邪悪な性格)だと思う。
 立憲党主の枝野幸男氏が比例代表区の統一名簿を拒否している。立憲支持者らはこの判断に媚を売って、他党支持者であるところの一般国民を卑しめている。自民党に負けず劣らず、立憲民主党やその支持者も不寛容なのは間違いない。
 日本人一般がとんでもなく無能な集団だ、ということは、普段から安倍晋三氏という恐ろしく愚かで悪徳に満ちた人物を首相に連続で就けている事実から明らか。更なる問題は彼らは自分の無能さに気づくほどの知能がないこと。無能すぎると自己の能力を過信し、自信過剰になる。ダニング・クルーガー効果。日本人の一人当たりの生産性が先進国最低レベルなのは他でもなく、彼ら一般が無能だからだ。幼稚な漫画アニメ・アイドル・ゲーム・ポルノといった人をばかにした内容の娯楽ばかり見て、受験以外で読書さえせずそれを誇ってさえいる低俗極まるオタク衆愚が、他国民より優れた知力を発揮する筈もない。日本人のごく一部の人が、先進国並みの知性をもっていたとしてもそれは全体の中央値に対する微力な影響に留まる。だがこの超少数の傑物が全体の平均を極端に引き上げる効果をもっているからこそ、日本はこれまで一応とはいえ先進国の一部だったのだ。我々は自身が上限の人でなければならない。
 大衆的・通俗的なマスメディア文化人は世間に媚を売って金や人気を得ているが、この様な人達は上限をひきあげている真の芸術家・学者に比べるのはあまりに失礼な、単なる商売人という他ない。最高限度を更新していく真の知性は同時代の理解者など先ず0から数人だから世間に名を知られるべくもない。
 真理の探求という学芸第一の目的に視座を置き、他の世俗に囚われることなくひたすら己の道を歩み続けるがいい。マスメディアや学会、文壇論壇、出版業界、芸能界、公募展団体などの文化サロンは俗物の集まりであるから最初から一切関わらないがいい。

音楽も純粋芸術を志しひたすら崇高な表現を目指すべきだ

15歳くらいから20年位ミスターチルドレンという人達の音楽を聴いてきて今思うのは、この人達の愛の歌はつまらないということだ。私的な恋心など当人以外にとってどうでもいいことだし、擬似恋愛で発情してる女にしか意味をもっていない。この人達が最も前衛的だったのは『ディスカバリー』の頃だろう。『ニシエヒガシエ』という曲がこのミスチルという人達が残した全作品で最もましな歌だと思う。その内容は主に思春期の疾風怒涛の時期の様な反社会的な感情をあらわしたものだろうけど、それ以後のこの人達の曲に社会批評的な意味があるかといわれれば余りない。ファンと群れているだけの金儲けの歌だ。尾崎豊が『15の夜』で歌っていた様な反抗期的内容を表現していたわずかな瞬間はロック音楽的な社会批評性があったと思うけど、それ以後は耳障りのよい大衆歌を大量にまきちらして終わっている。商業的成功はしているのだろうけど、音楽史に何かを貢献したかといえばそうはいえない。
 それで自分は15歳の時に、中学校の帰りにたまたま、はまや書店という今はない本屋の店先のCD自動販売機という珍しい物体の中にあった『ディスカバリー』というアルバムをお金を入れて落としてから、今までこの人達の変遷をおおよそ追ってきて思うのは、商業的成功は芸術的に無意味だということである。
 芸術的に意味があること、というのは確かにあって、音楽家の偉大さというのはその芸術的意義を次々更新していくところにある。ミスチルは息が長いけどその他の消えていった流行歌の担い手であったポップミュージシャンらは、殆ど意味をもっていなかった。自分は小学校低学年だったかの頃に『カローラⅡに乗って』という小沢健二のCDを買ってもらったのが初めてCDを買った時だったけど、あれ以後、小沢健二の変遷を辿ってきて、最近は単なるポップ音楽に回帰してるけど途中の進化はかなり興味深かった。特に『毎日の環境学』。
 自分は主に絵を描いてきたけど、他の分野も或る程度勉強した。音楽も自分で作ってみた。そこからいえるのは、このミスチルという人達は彼らが10代の頃にポップ音楽の文法を学んでからは一歩も進歩していない、ということだ。小沢健二は一進一退している。より偉いのは後者だ。芸術はそういうものだ。
 俗受けする文法というものが各芸術分野にはある。それを運よく手に入れた人は作れば金が儲かるから進歩しようとしない。それで芸術的には無能なサロン作家、通俗作家というものが生まれる。その種の人達は同時代では人気と金をひたすら手に入れているが死後はすぐ忘れ去られる。意味がなかったからだ。一般大衆は芸術を本気で求めていないから通俗作家と一流の作家を見分けていない。しかし両者をきちんと見分けられる人もいる。芸術には感覚論ではなく、過去の傾向をのりこえた進歩の質、という或る客観的な評価軸がある。それは商売としての成功、金儲けの度合いとも全く関係がない。独自基準なのだ。各芸術の文法に進歩をもたらす作家は、芸術表現の可能性を広めるという意味で、専門家の間で高い評価を受ける。素人はその一流と呼べる作家を知らないこともある(寧ろ基本的には知らない)。自分がいいたいのは、自分が芸術に興味をもってきたのはこの文法の革新に或る知的な興奮を感じるからだ。
 自分が「面白い」と感じるのは、その各芸術における文法の革新であって、大衆受けしているとか、感覚的に新しいとかいう、通俗的な批評家もどきが言っている様な曖昧な基準では全然ない。はっきりいえば、その種の主観的感覚論を美術批評だという人は二流以下の批評家であって何もわかっていないのだ。芸術の立派さはきちんとした判定基準があり、それは極めて学問的な秩序の中で論理的に説明できるものなのだが、偉大な作家自身は言語化できているかとは別に、その判定基準を突破しているのだ。世界の美術・芸術史は作品の意義についてその種の公正な判定を行っていて、賞や売り上げでカバーされない。大衆受けしているか、金を儲けているか、二流以下の批評家らがつどう感覚論や主観が支配した文化サロンから賞を俗世で受けているか、作家が国家や権威から勲章をもらったか、大きな仕事を受注したかなどは、全くこの種の真の芸術的意味と無関係である。そして我々芸術家は一流のものを見分ける。芸術の歴史的意味が理解できる人は、その人自身の趣味(審美眼)の水準は作家自身と同じところまで進んでいるから、技術さえあれば一流の作家にもなれるだろう。ただ審美眼だけあっても一流の批評家や収集家、画商等にはなれる。しかし芸術の歴史的意義が分からない場合は、勉強不足といえるだろう。
 なぜ冒頭にあげたミスチルというミュージシャンらが、『抱きしめたい』というデビュー曲の文法から殆ど何も進歩が見られないかといえば、彼らの勉強不足か、そもそも一流の音楽家になるつもりがなく俗受けできればいいと考えている文字通りの大衆歌の担い手達なのか、どちらかである。逆に小沢健二という音楽家は、『eclectic』や『毎日の環境学』、『シッカショ節』など、アダルトオリエンテッドロック、環境音楽、民族音楽(民謡)など、既存の傾向ではあるが多様な表現を追求してきており、ただのポップミュージシャンではないのがわかる。前衛的というよりは懐古的、中衛的だけど。
 何がいいたいかといえば、確かにミスチルは尾崎豊やサザンオールスターズの後を受け一時代を築いたし、彼らの文法を踏襲した後裔というべきバンプオブチキンとかアマザラシとかいった人気ロックミュージシャンを日本に生み出したのだろうし、よくできた歌を残したんだろうけどつまんないなという話だ。自分が聴きたいのは魂を揺さぶる様な、自我の真相に迫って時代の本性をえぐりとり、斬り捨てる様な表現であって、それは同時に芸術的文法の革新を兼ねているものである。イギリスでいえば『KID A』でレディオヘッドがしたことだ。ミセスグリーンアップルの『WanteD! WanteD!』はロックをなめている。音楽は大衆受けすればいい、というものではない。金欲しいからそれでいいんです、女にもてればいいんです、と二流のミュージシャンはいうんだろうけど、そんなのがアーティストとか名乗ってたら笑える話だ。実際冷笑してるけど。音楽ってそんなものなの? ばかなの? としかいえないと思う。一般の視聴者はウゲウゲいって大喜びして金を貢いでいるでしょう。けれども1日も音楽を聴かない日はない(これが事実)、というくらい真剣に音楽芸術を聴取している自分みたいな本当の音楽狂からすると、KPOPの方が日本の俗受けミュージシャンよりまだましじゃないかとしか言いようがない。ファレルウィリアムズが『Happy』とか『Freedom』で、チャイルディッシュガンビーノが『This is America』で表現してる類の社会批評性が、少しでも昨今の日本音楽にあるだろうか? あったとしても拝金主義礼賛くらいではないか? 基本的には無意味な金儲け歌詞と耳障りのよい偽物しかないと思う。
 まあインディーズ音楽にとっては無料で届けられるYouTubeとかいう便利な装置ができたから、本来、もっと色々な音楽が出てきていい筈なのに、見当たらない。検索に出てこないだけだろうか? 嵐とAKBなんちゃらとTWICEしかチャートに出てこないって、日本音楽おわってるでしょう? 日本音楽を終わらせたのはJASRACの締め付けがYouTubeとかSpotifyとかのビジネスモデルに乗り遅れたからというのが通説だろうけど、それならインディーズの人らが元気でなければおかしいわけで、これも嘘っぽい。本当は普通に雑魚しかいなくなったんではなかろうか? 大衆歌手ミスチルのせいだろうか?
 自分がシーンを見てた限りLOOP H☆Rと、noriakiという2組の音楽家らが最も前衛的な傾向をもっていた。しかしYouTubeはインディーズにとって死地で、一円も入らないからかすぐ引退解散してしまった。とにかく生き残って創作を続けて欲しい。商業音楽、大衆音楽を本気で潰すというのが大事なのだ。自分の主戦場な絵の世界では、漫画やアニメという大衆商業巨大市場があって、殆どの絵描きはそこで金欲しさにうろついているし、芸大とかいう下らない国税大出ても俗受け狙って漫画描いてる人さえいる。だから自分はそれを潰そうと本気で戦ってきたし今後もそうしないといけない。音楽も同じだと思う。
 チャイルディッシュガンビーノの『This is America』のMVの中で、騒ぎがおさまって黒人男が車の上で踊っていてそれを黒人女が一人で眺めている場面があるでしょう。究極のところ、芸術はそれで十分ではないか? 1人だけでも観客がいれば、それで十分すぎる営為といえるだろう。寧ろ客0でもやれと。実際、ジャングルの中で自分ひとりの無人島でも、気分がよくなって歌をうたう、といったことがある筈で、それが最も原点に遡った音楽なのだから、レペゼン地球的なホストクラブみたいな俗受け社交パーティ世界みたいなのは本当に邪道だと私は思う。あれはビートルズから始まった堕落の行き着いた果て。
 漫画とかアニメとか、ただのアイドル系ポップ音楽とかが「下らない」のは本質的に金儲け目的に子供だましのことをしている、というサーカス性だといえる。必要な芸術ってそういう使われ方のものではないと思う。低俗な娯楽は愚民化と亡国にしか繋がらない。真の芸術は人類を目覚めさせるものである。死刑囚が刑務所の中で最後に聴きたがるのは、彼らの聞き慣れているはず大衆歌ではなく、古典音楽だという話があった。なぜかというと、俗世を超えた崇高さに触れ一生を離れる心の準備にしたいのではないか? 同じことは芸術自体にも言えると思う。それがあれば生の意味は満たされた、といえる作品だ。下らないの対義語が素晴らしいなら、確かに生の欲望に肉薄した大衆歌は中身がなくて下らないだろうし、逆に純粋音楽が目指している全人類史を更新していく崇高さは素晴らしい筈だが、一体、何人が後者の存在に気づいているだろう? 音楽家は素晴らしい作品を残すことに集中した方がいい。生は有限だ。
 追記。きのうミスチルをつまんないといったけど、自分が一番好きな曲はシングル版『I'LL  BE』で多分、全人類で一番多く聴いてると思う。

無欲は最上の幸なり

持たざる者は幸いなり。持てる者達は失う恐怖で夜も眠れない。
 求めぬ者は幸いなり。求めて得られぬ苦しさを知らずに済むのだから。
 無欲に留まる限り、人はどの様な宿命を経ても幸せでいられる。無限の富を得ても一文無しの様それを恵まれぬ人に寄付して悔いがない。敵は世間ではなく自らの欲だ。

安倍御用学者らの末路

某サイコパスがテレビ芸人(テレビ文化人枠の嫌味芸人)として重宝されてるのは人を傷つける発言を平気でするからだよ。脳の精神病質から来た非共感的な反社会言動を、一般人が抑圧している本音と誤認する視聴者がいるわけだ。学閥がその種の発言を知的な少数意見かのよう偽装するしくみになっている。
 安倍友の御用学者連は、ナチス親衛隊と同じ部類なので、あと数年で絶滅するだろう。その後は戦犯として世間中から総攻撃を受けて離散し、名も忘れられる筈だ。
 安倍御用学者は権力に寄生し、いい加減な虚偽の弁や、右翼一般の無知と悪意に媚を売る諸々の差別的偏見を振りまきながら利権を貪っていたに過ぎない。その種の穢れた人々が社会から徹底的な復讐という戦犯扱いを受けるのは必然といえるだろう。当人達の不徳が原因なのだから誰にもかばえない。
 某サイコパスはカネだけを懐に逃げ手を打つつもりで既に準備してるだろうけど、リテラが反差別という立場から遠隔射撃を前から繰り返してるから世間がその後に倣うことになるだろう。ツイッター上で直接攻撃しなくても結果はもう眼に見えている。安倍御用学者の一つの典型的な末路を眺めていよう。

芸術家は清貧であれ

私は今悟った。
 今の時代に足りないのは弱さだ。その弱さ(特に自分の貧しさ)を認め、背伸びせず、その弱さと共に生きるべきなのだ。トランプや安倍の様に背伸びしたり自分を大きくみせようとするのが最も格好悪いことなのだ。等身大の自分を認めるのが最も難しく、また高貴な精神の証明になる。自分の弱さ、貧しさと共に生きることが重要なのだ。清貧と呼ばれる賎貨道徳に基づいた精神は武士と共に失われてしまったが、拝金主義の巨大な圧力の中でなお清貧に生きることができれば、その人は侍の様に高貴なことが証明されるだろう。金儲けの時間をできるだけ遅延することが、上品さや高貴さを証明してきた。その究極の姿が清貧な近代画家像、特にゴッホに象徴されてきたのだ。彼はキリスト教宣教師出身の絵描きとして、金儲け自体を弟に全面的に委託し、結局、死後までその時間を先延ばしした。これが彼の伝説を作ったのだ。弱さ(経済的弱さがその最大のものだ)は人間性の証明であるばかりか、成金らの拝金主義的な世相への最大の反抗であり、批判でもある。商人達は一人残らず金儲けにたかり、全員が血の海で喘いでいる。真の弱さと共に歩もうとすることが逆説的に最高の知恵、狭い門であり、最短で最善の道なのだ。
 今自分がいっていることは「あまりに正しい」ので、恐らく同時代人の中でも貴族と呼べる人々(皇族らのことではない)にしか認知も理解もされない。しかしこれが真実だ。資本主義の行き着く果ては、これまで日本の伝統的貴族が辿ってきた道と同じものになる。
 私は映画『天心』の中で五浦派の画家(大観や春草ら)が、清貧な前衛性の探求者という近代芸術家像をあてがわれているのを見た。大観は実際に武士の子だったし、天心もそうだった。彼らに象徴化されている精神的態度は、侍から前衛画家に賎貨道徳をもつ日本的な貴族性が伝承されていると教えていた。ジェフ・ベソスやビル・ゲイツ、ウォーレン・バフェットら世界の頂点に位置する億万長者を、日本商人らはひたすらまねようとしている。敗戦劣等感が原因だ。だが私がここではっきり宣言しておくが、寧ろ日本人がやるべきことはこの真逆に行くこと、決してアメリカ人の文化を真似ないことなのだ。寧ろ日本人は「ますます日本的、国風的」になることによってのみ、世界史の中で価値をもつ。オーケストラでたとえられるよう、各国民は文化の違いに根ざした固有の独自性をはっきりもつ個人であるほど、国際社会の中で意義をもつのだ。
 前衛画家と侍、公家といった貴族の共通点は清貧さだった。岡倉天心が『茶の本』で看破していた通り、戦争の勝利は決して文明的なことではない。芸術を通じた相互理解と共感に基づく交流の方が遥かに文明的なことだ。この重要な逆説は、平成の安倍政権についても全くあてはまる。薩長藩閥の流儀は外様的野蛮さを150年間アジア一帯におしつけただけだった。薩長土肥ら西日本の人々がマキャベリズムの模範と仰ぐ米軍にも同じ批判があてはまる。いくら世界中を金に飽かして侵略しても、それはただひたすら野蛮なだけだ。勿論、安倍氏という長州閥の末裔がその蛮行に加担しても結果は同じでしかない。米国の金の使い方が野蛮なのは、文明化されていないからだ。もし富国強兵論に基づいて金を儲けて近隣諸国を脅迫したり侵略したり、米軍の属軍となって中東の人々を大量虐殺したりするのが薩長流儀のマキャベリズム的野蛮さなら、私はこれを完全に侮蔑しかできない。欧米人の暗面は反面教師にするべきであって、猿のごとくまねるのはただの愚行でしかないのだ。
 新渡戸稲造が『武士道』で定義した賎貨道徳の起源は、儒仏両教の混合と国風化だろう。明治時代に薩長藩閥の手で拝金主義が旧政府内に導入され、いまだに安倍政権がその後胤として同様にふるまっているが、これら利己的金権政治は本質的に、日本的な高貴さの対極に位置する精神的態度である。新渡戸によれば武士の子は金を汚い物と教わり、金勘定を町人階級ら低い身分の者がやるものとしつけられた。この賎貨思想は権力と金の癒着を防ぐことで、武士達を政治に専念するよう鍛えた。平成時代の政治家達には一切みられなかったこの態度を受け継ぎ、現に生かしているのが我々、前衛芸術家だ。前衛芸術家の作品は、無教養な庶民市場で理解も購買もされようがないので、自然に清貧な立場に置かれる。町人(下層階級)の末裔である日本商人の品性下劣で低俗な悪趣味と、それに媚売る通俗作家との間で、進退できない。結果、貴族性と共に至善に止まるしかない。これが自分が堕落を免れた理由だ。現時点で、外様的野蛮さを恥じない薩長系統の寡頭政が続く東京政界も、下衆な町人の末裔である商人も、自分が伝承したこの清貧さに留まる動機付けをもっていない。したがって私利を目的に双方癒着し、退廃した社会を作っている。これが日本腐敗の根本原因なのだ。彼らは米国模倣を名分に堕落している。
 正しくは、金を汚い物とみなしてなるだけ遠ざかり、食うに困る様な状態でありながら盗泉の水を飲まず高潔に生きる、という精神的態度を維持しなければならない。そしてその日本的貴族精神を堂々と世界に広めようとしなければいけない。これが日本人の世界史に貢献できる唯一無二の役割でさえある。
 現時点で自分が洞察しここで書いたことは、日本国民1億2633万人のうち恐らく自分以外の誰にも理解されないだろう。だが後世の人は自分がいっていたことのみが真理で、次世代から見れば自分だけがこの時代で唯一の代表者となる筈だ。歴史は貴族の精神を記録し、庶民の卑俗さを忘れたがるものだからだ。学芸と政治・経済の癒着を最低でも防ぐことが、自分の代表するこの時代の貴族の役割だ。我々芸術家は純粋学術の守護者でなければならず、商業芸術とか金欲しさに通俗科学とかに媚を売って水準を低め、その本来の高尚さの上限を高めるという、理想的な役割を忘れてはいけない。御用学者など無論である。我々芸術家は金も権力も拒否し、そもそもカネや地位を求めないばかりか、万一カネが手に入ったら直ぐにでも寄付に回しなるだけ私有分を減らすべきである。地位は常に無位でなければならず学歴や賞歴の様な箔付けも極力捨てるに越したことはない。単に、我々は学芸水準で世界最高を更新するだけでよい。そして我々芸術家は商人にも政治家にもなることなく、同時に商売人達の品性下劣さを自作を通じた高い趣味の模範によって羞恥させ、批判できなければならず、政治家らには哲人王あるいは貴族の理想に則って自らが主権者の代表格として公僕へ為すべき義務を命じ、当為を啓蒙する立場でなければならない。アメリカ人の拝金道徳を軽蔑し、日本人独自の賎貨道徳の道を行くこと、しかも欧米の猿真似が始まった明治以前に確立されていた国風精神から最善最美の点を抽出し、現代に再適用し直すことで、完全に日本的としか言い様がない、この上なく高貴で、独創的な存在となることが我々の文化史上の使命である。日本中のアメリカかぶれが金儲けを嫌う私を軽蔑し、貶めても、それが却って私が誇るべき貴族性を保っている証拠になる筈だ。商人達が大通りに雲集しシリコンバレーのIT長者を模倣していても、私はその真逆の門からラットレースを第一に出る。私こそ最初のペンギンだ。私こそが真の革新者だ。
 私利私欲の一切を捨てて生きることが、アメリカの全商人を超えて革新的な生き方であり、資本主義を乗り越えてまったく別の文化を創る唯一の出口に通じる鍵のありかである。私はその扉を出て、既に資本主義界を別の旧世界と見ている。私は人類史の最前線に出た。ここは名づけられていない場所なのだ。私は利益で動かない。私は商人にならなかった。それは私が貴族だったからだ。私の中には日本の伝統が息づいていて、孔子や仏陀が生きている。侍らが目指した理想が私を前衛芸術家に仕立て上げた。私はこの意味で誰かの魂の乗り物なのだ。精霊geniusの働きたる天才とは、継承的ミームのことなのだろう。

食べ物の記憶

ほしいもたべた。
 昔、都内で一人暮らししてたとき、生協でほしいもが出てきたから、頼んでたべたら、あまりの懐かしさに涙でた。茨城の味。冬にストーブで焼いてたべる。
 食べ物は子供の頃からたべているから、無意識に何かをすりこんでいて、香りや音楽と同じ様に一瞬で記憶を昔にもどす力がある。

2019/03/11

雨上がりの町

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2019/03/10

小沢氏関西逃亡説は証拠のない悪意ある風説であり、現実には岩手県知事と緊密に連携しながら東京圏で被災者食糧支援の陣頭指揮を執っていた

(小沢一郎氏は東日本大震災)発生直後から地元入りを希望したが、被災地の混乱などを懸念してやむを得ず断念。達増拓也岩手県知事らと頻繁に連絡を取り合いながら中央省庁と地元との調整役に徹しているようだ。
「今からでもいい。一刻も早く飛んでいきたい」と周囲に漏らしたが、被災地入りすれば警護などで逆に住民に迷惑をかけると考え直し、都内の自宅にとどまったという。
産経ニュース、小沢氏はいずこへ 地元入り断念、都内で調整役専念  2011.3.18 00:29、ウェブアーカイブ

 あの311の時、私たち(小沢氏の)すぐ側にいて、相談するわけですね。さっき三宅さんがお話していましたけども、本人は急ぎ帰りたかったんですよ。ただその時、達増さん(岩手県知事)と話をした。当時は政権政党にいて、SPさんがばっとつくんですよね。岩手に行っても警備の方がだあとつく。
 まあ、そういったことを含めて本人がすごく今俺が行ったら、ひょっとしたらすごく復興の迷惑がかかってしまうんじゃないか。今、地震が起きたばかりで、俺が行くことによって、そこに人がさかれて、本当に大変な状況になってしまうんじゃないか。このことをものすごく本人気にしたんです。
 で、達増さんとその時、話をして、やっぱり小沢先生は中央にいていろいろな指示を出してくれないか。やるべきことをやってくれないかと、まあそういうような話の中で、話がどんどん推移していった。政治家の方々パフォーマンス第一番で、見せ所とみんな思っちゃうんですよ。
 だからなにをおいても現地に行って、テレビにうつる。自分が行った実績を語る。なんの意味もないんですよ。なんの意味もないって言ったら申し訳がない話になってしまいますけど。やはりその時に行かれたら、行かれた現地はものすごく困るという話が入ってきました。
 今でもおなか減っている連中がいっぱいいるんじゃないか。ものすごく心配しました。その時に僕らやっぱり交渉役になったんですが、ある国の大きな巨大な企業だったんですけどね。その企業さんと話をしていただいたんです。で、何十万食か輸入してくれると。 すぐそれを現地に被災地に運びましょうと話になって。いろんな政治家に話をしたらしいんですけど、それがなかなかどうやって運んで、どうやって現地まで持って行く、道路がわからない状況ですから。それを小沢さんいろんな形で、いろんなとこに電話してくれまして。
 結局あれ横浜港だったかな、横浜港だったよね。コンテナで船で荷物を運んだんですよ。食糧運んだんですよ。外国から。で、コンテナが11台とか12台だったよね。そのくらいのコンテナ数に食糧を満タンに詰め込んでですね。それを当時、トラック協会かなにかにお願いをさせていただいて。
 まあ、本当に高速道路使えないから、一般道を使いながら、いろんな道を使いながら。ちょっとでも早く急いでその水と食糧を運ばないとならないということです。その手続きを私たち一生懸命させていただきました。で、本人は陣頭指揮とって、こうしろ、ああしろ、ということですね。
 私たちは大変な目にあったんですが、そのことで当時何十万食かは東北の被災地の方々の口に入ったそういう状況がございました。まずパフォーマンスよりも本当に身になることをやろうと、そういうことを一生懸命やってきましたですよね。
 またある福島県の私達の仲間であった国会議員の地元には、自分がやっぱり岩手県の中で農業もやっているんですよ。
 米が取れるような自分の田んぼがあって、そこから米が取れる状況にしていまして、その米をトラック持っていきまして、その地域まったくちょっと食糧がないような状況になったもんで、何人か国会議員とスタッフがトラックを使いながらそこに米をばっと運んだ記憶がありますね。
 なんにもしてないとか一切ない話で、まずみんなが食っていけることを考えた。あの生活もそうですよね。一生懸命考えたんじゃないかなと。そのように思います。
141212 【大義なき解散総選挙】生活の党 政党等演説会、Movie Iwj、YouTube動画テキスト参考先

 私は被災地(福島県いわき市に接する北茨城市)から状況をみてました。当時、岩手県の達増知事がツイッターで小沢氏とやりとりしていて、「混乱をもたらすので現地入りせず、中央で指示を出すことで地元にあたる被災地を支援してほしい」と小沢氏に了解を取っていたのを私は確認しました(後述)。

(「小沢さんなぜ 東日本大震災 原発起きた時 いの一に関西に逃げましたよね」との某氏のツイートに)
>いの一に関西に逃げましたよね
この意見の根拠はどこにあるのですか? 上述の産経ニュースの記述、当時小沢氏の身近にいた生活の党の人の発言や、岩手県知事達増氏とのやりとりから総合すると、小沢一郎氏が現実に関西に逃げたということは、恐らく考えづらいと思う。震災に乗じた風説では?
 2011年3月28日(震災発生から17日後)の時点では、岩手県盛岡市の岩手県庁で達増氏らと会談している、という当時の新聞記事(小沢元代表被災地へ 震災後初、正月地元に 2011/12/24付 産経新聞)があり、この17日の間に関西地方へ逃げたという事実があれば、その典拠を下さい。
 岩手県の達増知事は2012年7月12日、「大震災直後、私は小沢一郎氏に、私の責任で、東京に残って国会や政府の動きに影響を及ぼして欲しいと言った。政治家の早期訪問を求める被災地の思いに対しては、私が被災地を回れば良いと考えた。」とツイートしています。また達増知事は2012年7月13日、「大震災直後、小沢一郎氏は、自分が被災地入りすると、岩手県警が相当数の警官を警備に動員する必要が生じること、東京からマスコミが大挙同行することを心配した。有難い配慮。そのため、行政や地域に動きが少ない正月休みに一気に被災地を縦断した。」とツイート。
 上述の「達増知事と小沢氏とのやりとり」は上にあげた2ツイートのことだったと思います。

 小沢氏は震災直後「一刻も早く(地元被災地に)飛んでいきたい」と感じていた(産経2011/3/18)一方で、達増知事の責任で中央政界に留まって欲しいと頼まれた(達増知事2012/7/12ツイート)。達増知事からの依頼を受け、小沢氏は東京からのマスコミ大挙や県警動員などによる被災地の混乱を憂慮し(達増知事2012/7/13ツイート生活の党の政党等演説会動画)、現地入りを17日後まで遅らせると共に、東京から自ら陣頭指揮をとり何十万食かの食料や水を確保し一般道等を使い被災者支援を開始した(同動画)。
 これが少なくとも、残された資料から部分的に実証できる、当時の小沢一郎氏の動きです。

 ちなみにですね、私は当時、アメリカ政府やイギリス政府が、何十km圏外だかの外に出るようにといっていて、自分の家はその範囲に入っていて妊婦もいたことからその外に避難しましたよ。小沢さんは多分避難してないと思いますけど、大震災や人類未経験の大公害の前で逃げるななんて人間業じゃないですよ。上述の証拠から、震災発生17日後まで小沢さんは東京や横浜から岩手を支援していたことが読み取れるので、多分関西地方まで逃げてはいないと思うけれど、万が一、逃げていたとしても、それは責められるべきとは思いませんよ、私はね。逆に神業ですよ。あの状況で逃げず原発近隣に特攻するのはね。
 2011年3月11日から17日後の時点ではまだ原発が安全かなど全然わからず、枝野氏がテレビで福島は安全だといいながら、現実には震度6とかが15分置きに起きる現地で、ネットを通じて米英政府は圏外に逃げろといっていたんです。その中で小沢さんは福島を経由して岩手まで行っているわけで、その時点で勇気ある義行ですよ。小沢氏関西逃亡説を裏付ける証拠が出てこない限り、小沢氏が東京圏から被災地支援していた証拠はあるから、逃亡説は当時の民衆の愚かな風説となるでしょう。
 それはそれとして、私達人類が大公害や危険から避難するのは当然の権利なんです。これを責めるのは極悪です。もし政治家や天皇皇族が被災地からわれ先に避難するのを防止するのが、国民の生命財産を守る為に必要だ、との考えなら、その種の法律を罰則含め制定する必要があると思います。これが非人道的な法律か、公僕にとって当然の義務かは議論の余地がありますが。

消費(付加価値)増税は企業負担であり軽減税率を含む限り累進課税でしかない

消費税は日用品の無税を前提とした軽減税率と組み合わせる限り、累進課税でしかありえず、しかも最終負担者は増税後の値下げ圧力にさらされる企業であって消費者個々人ではない。消費増税による景気悪化とされるものの実態は増税分を値下げで対応できない企業の収益悪化であり、消費者側は再分配後所得が寧ろ増える結果になるだろう。法人増税を企業献金を受ける自民党がしたがらないので、安倍政権は消費増税という自民支持者らの嫌がる政策で補填しようというのだが、上述の理屈で消費税は「付加価値税Value Added Tax: VAT」という名義に代え先進国並みにあげても、価格転嫁できない低収益企業の内部留保が減るだけである。
 これらの付加価値(消費)増税論を日本の一般国民が理解するのは難しいと愚民視しつつ、俗受けする消費減税論によって企業に有利で、労働者や低所得者を含む一般国民に不利な政策を採用させようという野党側の意図は、実際には混乱を含んだものといえるだろう。寧ろ安倍政権側はこの点で良心的なのだ。違憲立法や数多の不正行政など、これ以外の点での悪政が余りに激しいので、安倍政権を交代する必要があるというのは正論だが、消費増税の本質について冷静に理解し、国民一般を騙すことなく、それが軽減税率と組み合わせれば累進課税であって、しかも企業が最終負担する結果になる、と啓蒙するべきだ。

優越感は劣等感の心理的補償の一種

劣等感が激しい人は他人を常に見下すことでそれを補おうとしている。自分に劣る者を仮定しそれを貶めるのは、相対的に自分を上位に置く妄想で、劣等感の穴埋めをする為である。したがってこの意味での優越感は劣等感の一種である。

核共有条約を結ぶことによる現実的な核廃絶運動

核保有については日本自身がもつことなく、核共有によって戦時に米国・中国から核の傘を借りることを旨とする核共有条約を、日米・日中両国との間に結ぶべきだ。同時に各国で漸次的な核廃絶を日本が主導して進めていくべきである。いずれかの国が新たに核保有する以前に、同様の核共有条約を勧める。

9条合憲の範囲で自衛隊を国防警察に改組し、永世中立的な医療部隊のみを国際派兵すること

自衛隊を軍隊とすると9条と矛盾するから、国防警察(国警)に名を改め、単なる国防のみ(海外派兵をしない)にその職務を限定しなければならない。
 国連憲章でいう日本常備軍は、自衛力以外を持たない「医療部隊」のみを組織し国連軍に随伴し、一般人や敵国軍の兵士も含め永世中立的に人命救助のみを任務とする法律を設けるべきだ。これらは国内法としては国防警察の医療部隊、という位置づけにすることで9条と国連憲章の矛盾を解消するべきである。

鼓動

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2019/03/09

右派・左派は脳の傾向が作り出す共同幻想の質的差か

証拠が二次資料に基づいていることを信憑性の一つとする考え方は、科学主義(自然科学での手法を他分野に適用しようとする考え方)だと思う。一次資料、つまり統計的に信頼性のある経験や実験に基づいていないと本来の経験論の立場からの実証にならない。この点で二次資料による科学主義も誤り易い。
 ドリー氏がここで真に指摘したい点(百田尚樹『日本国紀』に二次資料の参考先が添付されていなくても平気な人々は、事実に関わらず自分の信じたいことを信じるという点で、弁護士大量懲戒請求事件(反朝鮮的なネットの風説を鵜呑みにした人々が、弁護士へ不当な懲戒請求958件を送った事件)の加害者らと相似、という言説)は、反証主義(仮定した命題を否定する証拠を集め、その質によって信憑性を問う議論の仕方)の欠如なのだろうけど、この言説は二次資料への信頼が含まれている。二次資料のみを根拠とするウィキペディアは虚偽に満ちていて、そもそもそれらの資料が経験的でないことがある。
 ポスト真実についての議論もそうだけど、確証バイアスを持ち易い(非反証的)というのは、右翼一般がそうであると似た或る知性の低さと関係しているかもしれない(Gordon Hodsonの2012年の論文)。実際この右翼低知能説もだが、過度の一般化という脳の傾向だと思う。
 裏を返せば、右翼一般の過度の一般化に耽ったり、確証バイアスを信じ易い、自己中心性の高い脳が、天皇家の自己神格化の傾向に見られるよう政治的に有効な場面が多かったから生き残っているのではないか? 愛国心や自民族中心主義も自集団ひいきの幻想を、共同体への洗脳として広める手段なのでは? ミーム進化論の様な観点からいうと、右翼的脳は、自分に有利で他人に不利な証拠を確証バイアスから集めてきて、それを側近政治的に周辺のイエスマンにばらまき、自己または偶像化した天皇などの権威を教祖とする洗脳の体系を求めている。この脳の傾向が「国」という共同幻想を作り上げたのでしょう。「国」が何らかの自集団ひいき幻想の共同体である、というのが事の核心で、これは基本的に虚構なのだが、或る知性が高い人はその虚構が馬鹿らしくなるので、左派と呼ばれるより普遍的な政治思想を持ち易くなる。
 結局、生まれつきの脳の質と関係し右翼・左翼その他の政治的志向をもつ人々が出てくるので、自らの政治思想を疑わず信じる(それを偏見や差別により補完したがる)という意味で、脳の一般化傾向の犠牲者でもある政治的人類の思考を客観的に研究すべきです。

個性主義と職業の希少価値について

アリストテレスが観想のくらしを理想視していたのは、ラカンでいう象徴界にできるだけ接近しその中で生きるのをよしとしていたことになる。つまり言葉を操る動物として言語知能の徹底的な発達に殉じるのが人類の特長と彼は考えたのだろう。
 彼の考えが正しければ自然や社会といった現実に関係する科学や、現実と象徴の間で想像に関わる文芸や詩劇は、単なる象徴界のできごとでしかない後自然学より観想のくらしにふさわしくないことになる。そして純粋に哲学的な生活は言語を操る範囲から出ない時間を意味することになるだろう。
 では人工知能は人類よりこの作業効率で遥かに優るのではないか。一体、本当にアリストテレスの幸福主義は人類の理想だったのか。
 彼は哲学の快楽に耽り、現実を省みなくなる嗜癖にお墨付きを与えた訳で、この意味で彼の理想は哲学的嗜癖をもつ学者にとっての理想、と限定された幸福だった。人は彼自身の卓越性に従うくらしが幸福、ともアリストテレスは『二コマコス倫理学』で言っているから、アリストテレスの幸福主義といわれるものは、実態的には哲学者の幸福を理想化したものでしかないといえる。つまり彼は自文化中心主義的な自己中心性に陥っていたのであり、単なる発話による言語以外にも人類の展開は複数あり、それらも単なる変異としてどうとでも変わり得るという観点を持たなかった。古代ギリシアの生物学は進化論以前の知識水準だったから止むを得ないだろうが。
 人はそれぞれ異なる特長、いわゆる個性を持つから、その個性の伸長を最大限行うのが正しい嗜癖や習性の形成につながるし、結果、功利主義の面でその個性から社会が貢献されるほど生物全体の幸福の総量も増える。アリストテレスの幸福主義が修正されるなら、自分はそれを個性主義といいかえられると思う。観想以外のくらしも或る個性にとってふさわしい嗜癖になるのだし、嗜癖の集まりとしての習性はその個性を元に形成される。それぞれの嗜癖や習性の間に上下はなく、しいていえば評価する他者にとっての価値があるだけだ。勿論、質的功利主義のよう快楽に質を認める立場からみれば、より高等な嗜癖や習性があり、それはより理性的であったり本能を婉曲化しているという意味で上品なものとみなされるかもしれない。質的功利主義の高質な幸福の極点に仏教の空観の様な単なる全欲望の否定という立場があり、それを超えて快楽はなく無欲(nirvana)なのだから、快楽に質的差を認める考えは単に、間接性への選好なのだ。マシュマロテストで子供が欲望の対象を思い出さない様にしたのと同じく、質の高い快楽は一般化すれば本能を主とした欲望充足の間接度ということになる。すなわち、個性主義の中でも上品、下品、中品などは或る個性について比較して見分けられるが、そこでいう品性は欲望充足を空観までの間で遅延させたり否定したり、別のより間接的な仕方で満たしたりという嗜癖や習性についていえることで、結局はそれら自体が個性に還元される要素である。
 職業に貴賎なし、という俗諺は恐らく貴族から卑しめられていた町人の間で合理化の為に唱えられた文句だったのだろうが、それは彼ら町人の卑近な生業が世人の欲望に直接的であるほど自己の職業的尊厳を守るため必要な幸福論だった筈だ。職業差別が人権から禁じられた今日でも、個性の価値づけとして同様の観点が残っている。本能を直接満たす生業であるほど卑しい生業と思われ易いのは、逆に欲望に対し間接的な職業であるほど世人の需要自体が少ないので、結局は心理的な補償なのだ。尊い仕事はしばしば自己犠牲的ですらあり、需要自体がないこともある。だからその種の貴族的な虚業に高い品性という世人からの尊敬の念や、名誉という金銭以外での補償をつけない限り、世間は欲深な卑しい実業で当たり前のよう大金をせしめている人との比較で、どうしても後者にとって有利過ぎる社会を怨まざるを得なくなる。これが職業間に尊敬度がある理由であり、最も空観に近い仏法僧がなんの実益もない唯の乞食でありながら最高の敬意を逆説的に持たれてきたかの仕組みであり、裏を返せば性産業や高利貸しなど本能や実益に近く儲けの上がり易い仕事ほど軽蔑され易い原因だ。個性主義は個性の質的差を相対的に認めるが、実質的には下品とみなされる個性は何らかの意味で世間に役立っており、有害な個性さえ基本的に反面教師として容認した方が全体の幸福の総量も増えるのだ。よってこの俗諺は職業差別は人権の面で禁止されているが、その実は本能や実益との遠近性で尊敬度が決まり、一般に人は本能で動き実利に弱いので、「職業は希少なほど貴ばれる」といいかえられる。

小説史観

普段から小説史観を真面目に信じる人がいざとなって不都合な真実を認める筈もない。

都会人

都会人は自己正当化のため
嘘で自分を塗り固めている
カネ欲しさに群れ
最悪の環境を誇る愚行は
都会人自身を不幸にする
だが反省などする能はなく
ひたすら群れ悪行する
犯罪をごまかし
公害をばらまき
他人をだまし
自分をだまし
やがてごみの一部となる
カネ欲しさに皇居にたかり
やがてごみの一部となる

相対主義者

あなたはまことを知りません
私はまことを知っています
あなたはいつも嘘をつき
私の話を聞きません
ですからあなたは愚かです
何も知ろうとしないのです
それからあなたは嘘をつき
私やみなを騙します
あなたは嘘を信じ込み
私の話を聞きません
真実などは要らないと
あなたは嘘をついています
私の知った真実は
あなたの知らない嘘なのです

性愛やら恋愛は性欲を美化したものだろう
結局本能で生殖を求めるので異性とくっつく
それを婉曲的に回りくどく言うので混乱する
かといって性を公然と表現するのは野蛮だ
文明に憧れる人はこうして二律背反に陥り
下衆と高潔の間で曖昧な対応を迫られる
陸でもない男に発情し品位を落とす女
その女はカネ欲しさに媚を売るのだ
自分の肉体を売り家で寝ている権利を買う
結婚願望など所詮その種の蛮行だ
娼婦と主婦の違いなど計算高さの差で
淑徳が狡猾な保身術でしかない
一体美という商品が失われる前に
必死で駆けずり回る猿どもの醜悪な様よ

仕事などするものではない

僕はどんなに努力しても絵が売れなかった
それで日本で生きられない
商人達は僕をひたすら搾取し
一円も払わず侮辱してくる一方だった
幾人かの女性が僕を助けてくれたので
辛うじて生きてはいるが
働くほどカネを取られるので
もうそれもやめるべきなのかもしれない
絵描きになることは学校でも教えられていたが
これほど酷い目にあうとは教わらなかった
教師や学校は嘘つきだ
政府も天皇も会社も他人も
自分を搾取したいだけの屑だった
仕事などするものではない

安倍政権と日本国民の政治的腐敗度からいってあと40年は立て直しに時間がかかる

ダークトライアド(マキャベリズム、サイコパス、ナルシシズムを兼ねた)的な人物はどの国にも数は少なくともいる筈だから、それを敢えて世襲で二度以上選び、しかもいまだにNHK無作為電話調査で4割近くが消極支持するという意味で、日本国民一般が途轍もなく政治的に無能、幼稚、邪悪、愚劣なのだ。
 自分が知ってる限りツイッターで安倍政権批判してる人達の想像を遥かに下回るくらい、日本人一般は愚劣だから、ツイッター界でしか政権交代は起きないだろうな。日本人一般の政治的知能は猿より少しだけまし、というくらいで基本的には猿くらいのものだと思う。単に群れることしか才能がない。彼らに群れる理由はないんだ。
 あと40年くらいは日本政治が立て直すのは無理だろう。第二次安倍政権が終わりの始まりだったんだろうな。ゆとり世代が60代以後になって現役引退するまで自民党一党支配の腐敗はますます進み、世界の反面教師たる三流国として日本が評されるのは誰にとっても当然、となる筈だ。

東京五輪施設に汚染土を使わない理由

東京は公害ばらまき金儲け福島犠牲に今日も乱倫

保守とは退行的な失敗者の別名で、革新のみが未来に再適応できる

 保守とは過去への退行という不可能な目標をもつ、知的に混乱した人達の集まりだから、結局は失敗する為の一時的群れでしかない。この意味で保守政治というものを公然と主張していたりそれを正義と混同している多数派が支配した国は、当然ながら変化し続ける未来に適応できず滅び、敗れていく。自民党という保守性を主義とした集団が支配している国は、二度ともどれない過去に常に回帰しようとますます悪手を打つ一方で、何も優れた変化を起こせない。だからこの政党を支持する国民は愚民であり、この政党を繰り返し政権につけているのは彼らに目標の誤りに気づく知能がないからだ。
 少なくともより革新性を高めようとする集団のみが成功する。それだけが常に今を侵食する未来というより変化した状態に適応し、自分達の伝統とされている何らかの劣った習慣をより優れたものへ変えていけるからだ。日本国単位でそれが不可能なら、革新的な地域や少数集団、個人が成功するだけだろう。

歴史学を実証科学として行えない者は一生涯、妄想に住み真実を知らず死ぬ

小説史観を公然と流布しそれを疑いもしない人は、もともと歴史学自体に興味がないのだろうと思う。彼らは過去を自分に都合がよく想像内で捏造できれば満足しているので、人類が現実にどう生きていたかに学ぶつもりはないのだろう。想像界の我田引水は、温故知新の逆だ。
 歴史学が単なる実証科学で、何らかの主観的な物語作りではなく、価値判断ですらないという客観的な視点が、いま日本社会的に影響力を持っている知識人・文化人の人達に殆どない。徳川光圀の考えから遥かに退化している。薩長史観や会津史観をNHKが大河ドラマにして大衆扇動しているせいかもしれない。歴史修正主義は正反両面(改正と改竄)で使われている言葉の様だが、自文化中心主義的な歴史観で反証的な他者を貶める、という最も幼稚な態度を、自民党安倍政権共々、平成時代のテレビ・ツイッター文化人や論壇の人達は示していた。日本語ウィキペディアも同じだから日本人全般の歴史観が幼稚なのだ。
 天皇が記紀を官僚に書かせた時点から既に歴史改竄が始まっているのだから、皇室や日本政府の持っている歴史観は最初から嘘で埋められている。古墳時代以前の日本史は11万年もある筈が、天皇が中国から侵略開始し先住日本人を奴隷化し始めた弥生時代で歴史が開始されているのだから。日本の右翼が無意識の規範にしている類の皇国史観は、記紀の始まりから虚偽と、天皇家に都合がよく天皇家以外の他者に不都合な過去の改竄記録なのだから、歴史学と呼べる代物ではない。皇室を政府から永久追放し憲法で政治関与を禁じない限り、文科省指定の歴史教科書で嘘が注入されることは間違いない。

日本社会の今後40年(2060年代まで)の予想

きのう「政治を語る人はなんで頭がおかしいんやろう」と言っている大阪の青年を見た。そういう政治的無関心な小泉内閣でいうB層が自民党消極支持層で、今後も安倍支持を続ける筈だ。
 悪政されればされるほど日本人のB層はその内閣を強烈に支持し易い。政治学者がこの理由をきちんと分析して欲しい。ファシズムとB層・D層など低IQ側の親和性が高いのは確かだから、独裁的な強権政治を見ると、その種の人々は何らかの理由で父権と勘違いし易いのではないか?
 平成日本人全般の社会的限界は、資本主義の利益の源泉が搾取にある、その格差は世代間で固定してきたと知った時、中国で文化大革命を起こした人やフランスでイエローベスト運動を起こした人達の真逆の保身に走り、いかに自分が資本家側に入るかしか考えなかったことだ。自由至上主義者や起業家が平成人らの羨望対象となり、一代成金を頂点とした社会的ピラミッドを想定し、その下方に大多数が必然的に溜まることから、平成人らは経済弱者を特にニートや引きこもり、無職等と呼んで象徴化し自虐や差別に耽りはじめた。共産主義の正反対の類型に陥り弱肉強食を正当化した。
 平成の経済的・商売的な弱肉強食の秩序は少子化や自殺率の高さとして現れ、持続不可能な社会を作った。彼ら平成日本人は米国に追従し、その表面的模倣を通じ格差社会と呼ばれる経済格差の固定した階級社会を目指した。一人当たりの所得が低く、国民の一部しか経済的に恵まれない社会がその理想だった。平成末、日本人が理想とした、トリクルダウン理論という嘘に基づいた格差社会はほぼ完成した。そこで増え続けた富裕層・準富裕層などと定義される金融資産が5000万円以上ある人達は国民全体の1割ほどだが、国民9割の半数は貯金ゼロまで追い詰められていった。つまり功利主義に反する結果になった。
 国連の「世界幸福度報告書2018」で日本は54位と更に順位を下げた。経済格差を固定しつつ拡大する、閉塞的な階級社会で貯金ゼロまでおいつめられている46.4%の単身世帯や31.2%の2人以上世帯(金融広報中央委員会2017)にとってこの社会は、彼らの支持する自民党安倍政権の理想なのに不幸だったのだ。
 なぜ平成日本人がこの様に、彼ら自身の9割の半数近くが、貯蓄ゼロになるほどの格差社会を求めたかは、その中に生きていた私から見ると、彼らのとんでもない愚劣さが原因だった。彼らはとにかく知識人の忠告や訓戒を聞き入れず、マスコミが煽るまま安倍政権を妄信し、一党支配を絶対視していた。格差の上位に立つ安倍内閣の人達にとって、この弱肉強食の秩序は至極居心地が良い。貧民ほど彼らを狂信してくるし、増税するほど喜んでくれる。どんな強権政治も、違憲立法ですら全面的に擁護しかしてこない。正に愚民国家である。
 平成の次の時代、日本人全般は少しは賢くなるかもしれないし、これまでと同じかそれ以下のままかもしれない。現時点のゆとり世代といわれる教育程度が相対的に低い20代の若者が権力を持ち始めた時が最低の状態となるだろうから、今後、30年ほどして日本の社会的地位は凋落していくと予想される。ゆとり世代が60歳以上となり、徐々に社会的に引退していく筈の2060年以後、それより下の世代が平成日本とそれ以後凋落の40年を反省し、『21世紀の資本』で語られている資産税や、そもそも共産主義の本質にある労働者中心の国など、格差固定に対する疑義を初めて持ち始めてから、日本の幸福度は上がる。
 2060年まで生きている予定がない人や、その間に落ちぶれていく日本を体験したくない人は、自由至上主義者らが既にそうしているよう海外でより暮らしやすい場所に移民するほうが恐らく良いだろう。また既に富裕層側に入れた127万人ほどは貧民同士の足の引っ張り合いや相互差別を眺めていられるはずだ。日本全体をよりよい環境にし、資産・所得調整で格差を縮め、公的扶助によって国民の9割を占める貧民にとって生きるに値する国を作ろう、と考える日本国民は先ずその中に殆どいないだろう。これは平成人も含めゆとり世代の考え方をよく観察すれば十分予想がつく。自分が成金になりたいだけだからだ。逆に、北朝鮮の経済開放政策は韓国に特需をもたらし、南北朝鮮の経済的地位は一人当たりの水準で日本以上となっていくだろう。対照的に日本は安倍政権が始めた移民導入で貧民の数が増えていき、治安も徐々に悪化していくだろう。ますます格差を拡大させようという悪意が蔓延し、奴隷国家ができる。
 アメリカ追従を続けてきた戦後自民党は、その様に、第二のアメリカを作ろうとした。そして程あれその通りになった。無制限の格差社会だが、アメリカより多様性や人権意識が低いので同調圧力と激しい差別がはびこる島国である。この方針はゆとり世代の質から言ってあと40年ほど続くだろうという話。

日本語は冠詞がないから全ての、一般、或るなど冠詞にあたる語を議論の際につける必要がある

日本語には冠詞がないので、全称(all)と一般(the)、個別(a)の区別ができない。命題を詳しくするには日本語でも「全ての~」「~一般」「ある~」と表記すると対象の範囲について混乱を防げる。

都会中華思想をもつ日本人全般は自分で自分の首を絞めている

体感的に自然にあふれた環境の方が住み心地が良いのは間違いないのに、都会人を主とする日本人全般は「田舎」をとにかく差別する。魅力度が低い等と無意味な偏見での蔑視、皇居華夷秩序の妄想。それが彼ら自身の首を絞めているのは、都会の犯罪率の高さ、犯罪の多さ、ストレス、都市問題などで明らか。

自分より優れた点をもつ人とつきあうのが成長の起因

私が今日、ある場所である人の美醜をある理由で尋ねていたところ、私が付き合っているある女性がシリマーという美女の仏教の例えを引いて、肉体を不浄のものと教え諭した。この女性は皆に馬鹿にされている様だが、少なくとも仏教の教理について私と同等以上の面をもっている点で優れた人物である。
 人は自分より優れた点のある人物とつきあうべきだ。その様な人と関わる限り、相手の長所から教えられることがある。
 一般に、人格の優れない人は、自分より劣った人と進んで関わるか、自分の長所と違った長所の持ち主を認められない傾向にある。その様な生き方をする限り、その人は堕落するが成長できない。自分より優れた点をもつ人はその人の周りを去ってしまうからだ。自分より優れた点があり、その長所が自分の長所から遠いほど、相手から受ける教えは大きくなるだろう。同じことは相手にとっても言える。つきあうべき相手に自分の長所から教えられる点があって、相手の人格が自分と同等以上に優れていれば、相互に尊重しあうのはさほど難儀ではない。
 人は全ての面に優れていることはできない。有限の時間に何かに熟達しても、そのことが却って別の欠点を生み出してしまう。生まれつき何かに優れていても、時にそれが劣る状態の方が望ましかったりする。だから人は特定の長所が十分優れていれば、その他の欠点を気にしなくて良い。他人の役に立つのはその人の長所である。ある長所を伸ばしきることに人は集中すべきだ。他の欠点が甚だしくともそれらを克服している人々は既に多数いるのだし、逆にある長所がありさえすれば誰かにとってつきあうべき人間になるのだから。

ふきのとう

ふきのとう食べてわれのみ春になり

2019/03/07

中華皇帝の模擬にすぎなかった天皇廃止による共和政復古こそ真の日本の伝統への回帰

違憲立法の退位法を国会議員へ忖度させ(実質的に神道信者を通じ全会一致の幻想を用い強要し)、法治主義を破っているのは安倍晋三首相だけでなく天皇明仁もだ。この両者が人治主義に退行している共犯なのは無論だが、枝野幸男立憲党首も比例協力拒否で全国民利益を代表する義務を怠る違憲議員である。
 天皇は中国神話の三皇のうち一人の名だから、中国人の末裔として弥生時代に日本侵略した自らの名乗りに使ったのが天皇家。つまり天皇も日本の伝統ではなく、皇帝制という中国の伝統を天皇家が真似た物。土着の自然崇拝を混成させながら神道という自家を教祖とする宗派を作り日本を1400年洗脳統治した。
 天皇も元号も、11万年以上の歴史がある縄文時代以前の日本古来の伝統ではないのだから、たったここ1400年間の中国人侵略者天皇家による擬制でしかなかった。元号のみならず天皇を廃止し、真の共和政に復古することこそ、民主主義の最終結論であり、日本の伝統をとりもどすことだ。

平成日本国民という主権者は単なる寄生者の邪教祖天皇より生存権を保障されていない

天皇や皇族の生存権は絶対に保障するのに、主権者の生存権は蹂躙し水際作戦で自殺に追い詰める。この邪教国は天皇という禍々しい悪魔に洗脳されきっているから国民の払う国税を生きる為に必要な国民の為に使おうとしない。愚民ども。
 天皇自体が最大の罰と絶滅に相当するのも世界史が証明するであろう。

拝金主義者は死期に悟らない限り金を他人の為に使わないけちな人達

金儲け知識人は全部ごみだな。
 拝金主義者は恐らくどの時代にも一定の割合でいたのだろう。だがその名を我々は基本的に知らない。つまり死後、すぐ忘れたくなる様な人々ということだ。同時代の人達が成金にたかるのは成金その人の為でなく自分の金が欲しいからだろう。メディチやロックフェラーのよう浄財が学芸に使われると名を残せる。
 成金が名誉を重んじていれば最初から成金になっていなかったのだから、死期を悟ったのでなければ彼らは他人の為に金を使おうとしない。

自然に還る素材(自然素材)を積極的に推進し、自然に還らない人工素材制限法と人工素材税を作るべき

プラスチック製のストローはじめ、環境に廃棄されたとき一定期間で自然に還らない製品の販売を禁止し、使った業者を懲役・罰金刑にするべき。建築資材、自動車など、一切の人工物や機械類も含む。
 自然に還元(分解)されない素材を使う時は、一定の自然界に投棄されない廃棄要件を満たす義務付けと共に外部不経済を内部化する「人工素材税」を上乗せし、大部分を生態系に悪影響を与えない廃棄物処分場の建設維持費にあてるべきだ。また廃棄用件に反した不法廃棄業者に対し懲役・罰金刑を設ける。

受賞俗物

建築、文芸、科学その他で日本人が国際的に有名な賞を受けた時だけ大騒ぎする国民は、彼ら自身の名誉が間接的に高まるという利己的な目的で他人を利用しているだけで、学芸自体には少しも関心がない。受賞俗物は基本的に有害である。受賞者を過度にひいきし、より有能な人達を間接的に冷遇するからだ。

ライオンの仕事

私はライオンのよう野蛮な人間共を退治して生きる
やがて全人類を滅ぼし去り私がこの星の王となる
全生物の頂点に立つ生態系の主となり
嘗て人間共の作っていた卑賤な文明を超え
あらゆる宇宙の中で最高の国をつくるだろう
私の仕事はライオンの仕事と同じだ
野蛮な人間共を片付け堂々と行進するのだ

画家の使命

やっと絵が仕上がったから休もうとおもったら、絵かいてるのかとか催促されて、こいつは馬鹿かとおもって無視してたら、息抜きまでダメみたいなこといってきたから、怒ったら発狂された。1円も払わない奴に絵を催促する権利はない。何のつもりで人を奴隷扱いしているのか。前も過労死しかかったことがある。殆ど寝ずに勉強と仕事し続け、疲れきってトイレに入ったら気が遠くなってしばらく吐き気が止まらず全身から血の気が引いた。その後、貧血の様になって数十分動けなくなった。また過労死させられるから怒って過労を拒否した。
 人の仕事がどれだけ神経と精神と肉体を酷使するか、何も分かってない馬鹿が何を言ってきても自分の体を守らねばならない。普通に死んでしまう。1円も払わない奴のいうことを聞く必要がないのはいうまでもないが、大金払ってきた奴が仮にいたとしても、そいつのいうことをきいてはいけない。己に従う。
 自分みたいに穏やかに人に親切に優しく接する人間だと、周りが調子にのって過労死させようとしてくる。礼儀知らずの奴に侮辱されようがぐっと我慢していると、さらにどこまでもつけあがってくることがある。怒るべきときには怒り、相手の不当な要求を拒否しはねつけねば命を保てない。人類に殺される。
 ただで人の絵を見ておいて何かを要求してくる馬鹿は何を考えているのか。自分で描け。人の絵をただで見せてもらっているのに感謝もしない。じゃあ永遠にみるな。画家は仕事を際限なく搾取されるから、相手が不当な要求をしてくることに最大限注意深くならねばならない。1円も払わない人間は潜在的には天敵でしかない。過労死までひたすら意味なく催促してくる始末だ。要するに芸術家をなめている相手なのだから、そういう人間を仕事場から永久追放するべきだ。ゴッホの様に極貧で自殺まで追い詰められたくなければ、少なくとも人類の大部分が芸術に何の造詣もない無知極まりない蛮族で、その蛮族共が日夜画家を侮辱したり搾取しようとしたりしてくると知る必要がある。その蛮族は賞だの肩書きでしか絵を見れない。蛮族を相手に仕事しているのだから容赦するな。
 全ての商売人以上に、芸術家は客を厳選する必要がある。何しろ相手はほぼ全員が侮辱がてら人の作品をみにくる本物の蛮族達なのだから、その種の蛮族に何かが理解できるはずもないわけだ。金を払わず人の絵を批評している連中は害獣でしかない。積極的に客を仕分け自らの為になる者とのみつきあうべし。そもそも客に見せる為に描く様な絵が立派な魂の発露である筈もないのだから、客など最初から要らないのである。元々絵を開陳しているのは単なる僥倖なのだ。その種の幸運に恵まれた連中が我々を侮辱なり催促なりしてきたとしても無視が肝要だ。自分以上に鑑識眼がある者がいればその者が画家になる。
 殺人鬼め。わが命を守る為に、心身ともにこれほど疲労している時に仕事を催促されても絶対に断る。大宇宙の誰が命令してこようが何が何でも従うか。極悪人どもが。この世の全ての富を俺の前にもってこようが絶対に働かない。殺されてまで働く馬鹿がどこにいるのか。
 人類の殆どはやくざものだ。人に過労死を命じて恥じていないのだから。人類の殆どは一円も払わず画家に働かせ、あるいは過労死までおいつめ、極貧で自殺させ反省したことがあるのか? ゴッホを利用し、彼の死後に己の金儲けの道具にしたではないか? 人類の様な蛮族に少しも妥協すべきではないな。
 これは自分以外の全芸術家の為にも書いておく。人類全体が何をいってこようが、己の仕事の配分を守れ。他人は創作がどの様に精神を磨耗させるか、どれほど肉体を酷使するかなど何一つ理解しない。神経が壊れてもさらに働かせようとしてくる。そして自殺まで一円も払おうとしない。そしてそれが人類だ。人類全体に高貴なる貢献をするという芸術家の使命など、人類という蛮族には未来永劫理解できないのだ。そんな連中がなにをいってこようが完全に見なかったことにするがいい。蛮族共が生まれ直そうが何も変わるまい。我々は我々自身の眼に見えている仕事の意義のみを追求すればよい。他人に従うな。
 画家は自由でなければならない。誰の命令にも応じてはならない。自分自身以外の何者にも、絵をいかに描けば最善最美の姿になるかなど認知できないのだから当然だ。自分自身の天才を疑わない者なら以上書いたことが完全に真実であると認めるであろう。天才自身はその声にしたがっているだけだからだ。実際私も、私自身がこれを書いているとはおもっていない。自分の中にある天才としかいえない精神が勝手にこれを書かせている、自分という肉体をもった細胞を勝手に動かして。だから私自身は私をある意味統御できない。私が今言っていることは真の芸術家なら理解できるはずだ。ただその声に従うのだ。ゲニウスgeniusと呼ばれる精霊の働きで我々が動かされている、と古人は天才の概念を考えていた。実際、私もこれを書きたくて書いているのではない。自分の中にある何かに書かされている。寧ろ書かずに済めばその方が楽だ。しかし書かずにいられないから書いている。それは自分を超えた力だ。
 どの文明も滅亡し最後に我々の仕事だけが未来にその記録を残す。我々だけが最終の記録者だ。最後の記憶。我々だけが史家。神々に最も近い眼。文明以後の世界を生きていく者。この時代の愚民に何を言われようが我々の仕事は変わらない。ただその仕事の目的だけを想え。あらゆる歴史が過ぎ去ってから我々以後の生命体が我々の手を通じて、この人類達から何を伝えられるべきなのか。我々だけが未来に通じるたった一通の手紙を書く。それ以外は残らない。それが技であり絵だ。
 我々の先祖が洞窟にかきのこした絵にしかその時代の記録は残らなかった。同じことは未来についてもいえるだろう。だから我々の仕事にしかこの文明の最終目的はない。建造物もあらゆる文物も消え去り、絵だけが残ることだろう。生きている人類は滅び去り、我々だけが未来の生命体になる。
 ツイッターのせいで下らないことに巻き込まれそうになっていた。確かに私の中の魂が言うとおり、金儲けだの商売だのはこの時代のこの連中にしか意味をなさない、無意味な作業だ。我々本来の仕事に価値がないかのようその衆愚は侮辱してきていて、私はついその声に自分の中の魂を疑っていた。
 我々の仕事は永遠であり、この時代の商売人は百年も持たず無意味に消え去っていく。なぜ商売人共に我々の絵が評価できるという。神とごみを比べる様なものだ。私の中の声がいうとおり、絵のみに仕事の意味がある。商売人も政治家も、天皇という邪教祖その他どの職業も、私の使命の前では卑小すぎる。私が最も神に近い職業を使命として与えられている、最大の天才を宿した人類史上で最初で最後の者であり、その私自身の中の声に絶対に従うことが私にできる唯一の仕事だ。全人類が滅亡後に私だけが自分自身の声を未来の何者かに伝える。その為の絵なのだ。私の声しか残らない。その声に従うのだ。
 何を伝えるべきか、その全てを私自身が決められる。だから私は神に最大限近づく為、最もふさわしいその言葉を探し求めてきた。私は既に幾多の作品を残したが、死に至る瞬間まで作り直したいずれかの最高傑作がその言葉を宿している。そして我々の最終的な目的はその絵に象徴化された言葉だったのだ。
 一体なぜ人類の代表者として私がこの使命を与えられ、何事かの伝言を人類滅亡後に別の生命体に渡す役割なのかはまだ分からないが、私が死後、世界史はそれを記述する筈だ。
 卑小な同時代人共にかかづらうこのSNSでつい本来の仕事を忘れかけていた。あの者が私に対し侮辱的な世俗の煩いを増やしたので、私はその使命との余りの差に驚き、こうして改めて自分に本来の仕事を教えねばならなかった。脇目も振らず己の使命に殉じてきたのだから、今後もその道を終点まで辿るのみ。
 自分の仕事は全人類には気づけないだろうがこれほど巨大な使命を背負っているのだから、休むべきときに休み、過労死しない様にしなければいけない。馬鹿が何を言ってきても無視する。

日本の右翼は権術主義者

日本の右翼全般が韓国の元慰安婦に決して謝罪せずしつこい等と逆上するのに、それがもしアメリカ人の元慰安婦だったら平謝りするだろうことは予想がつく。彼らの倫理観はマキャベリズム(権術主義)であって自分より強い者に媚び諂い、弱い者に虐待的なのだろう。それが野蛮な思想なのはいうまでもない。

2019/03/06

間違えるのは恥ではなく間違いを嘲笑うのが恥

間違えることも間違いに気づいて修正するのも全く恥ずかしいことではない。
孔子曰く「過ちて改めざるこれを過ちという」(『論語』衛霊公第十五、三十)
「過ちて改めるに憚ることなかれ」(『論語』学而第一、八。子罕第九、二五)
人は人である限り必ず間違える。恥ずべきなのはその過ちの揚げ足を取ってからかったり、直そうとする努力を嘲笑うことでしょう。学習は尊い。

自然を作り直す力

自然を作り直す力
2019年
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ツイッターは大衆承認ゲームでしかない

ツイッター、数ヶ月やってみてわかったけど、賢いとは言いがたい人達が雲集してる場面に遭遇しがちだから、時間の無駄だな。どうせ何を説いても反省するほど上等な人など殆どいないのだから、視聴専用ならまだましだ。情報発信に使おうという考えが間違っているとみられる。
 視聴だけしていると、一体、ツイッタラーがどの程度の民度かは実体験としてわからない。少なくとも参加してみると、思った以上に民度が低いことが体感される。みているだけの時は賢く見えた人に直接返信してみると、驚くほど浅はかな態度や虚栄ゲームの様なフォロワー獲得合戦が透けて見えてくる。
 ツイッタラーが原動力としているのは承認欲求で、それは「いいね」「リツイート」「返信」「フォロワー数」というの4つのステータスとして表れる。この4つのステータス値を操作する承認ゲームとして何かをさえずっている、というのがこのSNSに入り浸っている人達の中身だ。
 色々試してツイッターのしくみがほぼ完全にわかったので今月で自分はこのSNSで直接さえずるのは殆どやめると思う。自分にいえるのは、ここでの承認ゲームは中身がない、無意味な競争にすぎないということだ。
「いいね」は他人が自分のさえずり(ツイート)に同調している証拠になる。同調は、自分の意見が反証され誤りに気づけたり、より知的な意見を教わりうる場合ではない。いいね数はこのため自身の成長にとって最も意味がない指標だ。しいて言えば通俗性の度合いといえる。
「リツイート」は自分の意見に他人が何かを重ねている場合、またはそれを拡散しようとしている場合に数値化される。拡散自体は同調と同じだからいいね同様ほぼ無意味で、虚栄心の原因になってしまうので望ましい指標でない。問題は、次の「返信」もそうだが、他人が何かの意見を重ねてきている場合だ。
「返信」はリツイート同様、他人が何らかの意見を自分宛にしているのだが、初期設定ではフォロー外からも通知が来るのでこの意見を一々見ていくと、大部分は単なる読み間違えや質の低い誹謗である。反論が弁証法的(対話術的)に有効な場合がまれにあるが、詭弁を弄している人も多い。未知の知識を教えてくれる時が最も望ましく、その様な場合もまれにあるが、大抵その種の言動を取る人は悪意からそうしている。つまり「お前は自分より愚かだ」と自身のフォロワーに示したいがゆえ相手を踏み台にしようとする目的で、わざわざ相手にとって未知の知識を教えている。いいかえると、全体として親切や善意から相手に知識を教える鼓舞がツイッター上には用意されていない。次の「フォロワー数」が以上4つのステータス値で最も重視されるものなのだが、その為に返信やリツイートを私用し、相手を踏み台にするというのが基本状態である。もっといえば他人は利用される。
「フォロワー数」はその人がツイッター上でどれほど人気かを示しており、ツイッタラー間ではこの数値だけを見て相手の社会的な格を言外に見定めている。勿論、フォロワー数が多いほど格が高いとみなされる。ところがフォロワー数はそのアカウントの立派さや品位ではなく、単なる大衆性の値である。結局、ここにツイッターというSNSの現状の限界がある。ここでは大衆的な人物が選択され易い。自分を大衆化したいと願う人にとっては「いいね」をもらう動機づけから始まり、「リツイート」で虚栄心を増し、「返信」で他人を踏み台にしながら、「フォロワー数」を増やす全過程が適所だが、自分は違う。自分は大衆的な人間になりたくない。その為の技術もない。今後、身につけたくもない。グーグルトレンドとかテレビとかオリコンニュースとか見るとうんざりする。だからツイッターは自分にとってふさわしい居場所ではなかった。ここに最適化できないし、する必要もない。
「いいね」「リツイート」「返信」「フォロワー数」という基本的な4つのステータス値を中心にツイッタラーの承認欲求を加速させ、次々情報発信させながら広告を間に挟んでツイッター社が収益を頂戴する、というこのサイト。名誉毀損や人種差別が恣意的に判定されたかと思いきや、いきなり凍結される。自分が10年位前だったかツイッターが出てきた頃に見ていた限り、引きこもりの様な人達が物凄く反社会的で内向的なつぶやきをしていたので自分がブログに「つぶやき」と意訳して書いたらいつの間にか、本来の直訳である「さえずり」でなくそちらが定着してしまったこのサイト。参加してみたがやめる。
 カジュアルブロッカー有名人については単に愚者というべきだ。この人達は矛盾や違和に満ちた他人の情報を受信するより自己発信する方が価値が高いと思っている点で、ただダニング・クルーガー効果でいう無教養の甚だしい人達でしかない。いずれ忠告してくれる賢者を周囲になくし、自滅するであろう。

肉食主義者の狂気に共感する野蛮人

(「この動画(If Meat Eaters Acted Like Vegans - Ultra Spiritual Life episode 35)を見ると、肉食主義者は寧ろ優しい」等といっていた或るツイッタラーへ)
動物を殺してることを皮肉ってる動画なので読み間違えている。動物を安易に殺したり苦痛を与えつつ自己正当化する極端な肉食主義者の不道徳性が狂気的に演じられているわけだから、ヴィーガンが異常だという話ではない。
 演者を通じて肉食主義者の動物への残虐無慈悲な扱いや自己中心性が極端に強調されているのであって、それは優しさではない。あなたの様な肉食主義者の傲慢さをこの動画は端的に鏡像化している。一般にヴィーガンはこの種の態度では全然ないことに注意してほしい。単に当人達が殺生を戒めているだけ。
 なお私は雑食です。
 なぜ「あなたの様な肉食主義者」(現実には多分雑食だろうが)と書いたかというと、この動画を見て少なくとも肉食主義者側に程あれ共感し、ヴィーガンへの皮肉とあなたが勘違いしている以上、自身の中に肉食主義(動物虐殺)を正当化する野蛮な卑しさが潜んでいると、他人に知らせているからだ。

西日本の再稼動済み原発停止までの猶予期間は原発労働者らに職業斡旋しながら公害の恐怖を味あわせる罰

あなたは現時点で原子力関連職で家族を養ってる人がいることを完全に無視している。その人達が路頭に迷ってしまうから、電力総連という労働者の組合が、その人達の職を守ってくれといっているわけでしょう? だから国民民主党というその組織に頼られている政党が、職を斡旋してくれといっているんだ。自分のことしか考えず、政府のわがままでいきなり路頭に迷ったら家族を養ってる人達がどうなると思っている。あなたの責任で大量死させるのか。生活保護を支給する約束はあるのか。
 脱原発する前提として原発関連職の人達全員に、新政体が事前に当該関連職の従事者全員により良い職を必ず斡旋せよ。
 私は福島原発事故をすぐ近所で実体験して死ぬほど怖い思いをし、今も日本一老朽化して原則停止の筈40年の寿命を過ぎている東海第二原発の近隣で暮らしている、世界で一番脱原発を生き残る為に必要としている一国民です。私以上にこの全宇宙で今すぐ脱原発して欲しいと祈願している人間は1人もいない。しかし電力総連という原子力関連職の労働者の組合に頼られている国民民主党という一公党の人が原発関連職の労働者を路頭に迷わせない為に2030年代まで即時停止は待ってくれなどといっているのを、その私が聞いて「確かにその人達を新政府の急激な方針転換で路頭に迷わせては家族に餓死者が出てしまう」
「政治は国民全体の利益をはかるものと憲法に書いてあることだし、少なくとも最も古い旧型原発である東海第二から即時停止と廃炉に向けていくが、原発労働者が路頭に迷い家族が死ぬからいきなり全原発を停止しないでくれというその情理を汲み、できるだけ早く新職を国民皆で斡旋してやろうではないか」
といっているのですよ? おわかりですか? 自分のことしか考えないのではダメなんですよ。皆の利益をはかる必要がある。公害を今すぐとめたい。誰でもそうだ。馬鹿やサイコパスでなければ他人が公害で殺されまくるのを平気で眺められないし、原発立地自治体民にとっては命にかかわる。順次廃止です。
 全てを全か無か白か黒か、両極でしか見れないのはおろかなことです。先ず安倍政権という原発公害の大悪党を完全打倒し、次に古いのから止め(できるだけこの間あなたも具体的に転職先を斡旋してあげねばなりませんが)、原発総連に属する労働者の皆さんの職業斡旋が完了してから全廃です。いいですね 既に述べたよう私が全宇宙で最も脱原発を昼夜を置かず激しく祈願している第一位の人であり、また原発大公害で恐ろしく多大な経済損失やら放射能汚染やら心的外傷を受けまくっているこの私が、しかも一円の保障も受けていないこの大公害被害者の私がこの様に述べている以上、貴殿はそれに従うべきです。
 既存の原発労働者の方は家族を養っており、幾ら公害をとめる為とはいえ国民政府の暴力でいきなり失職するのですから、新職業が以前の職業より少なくとも同等以上の好条件でなければ、仕方がないこととはいえ或る程度は残念な気分になるでしょう。その人達がより納得できる職業を新政府は斡旋します。脱原発後は新エネルギーが必要です。風力・水力・地熱・バイオマスなどの既存の自然エネルギーを最大限推進します。ガス(LNG)田やメタン採掘も開発できるだけします。藻油など全く新たな日本発の燃料開発にも大量の公費をぶちこみます。これは内需促進と持続可能な脱原発の為です。よろしいですね。
東電は潰します。公害事故の全負担は東電単独の清算内で担わせ、福島原発の廃炉は別企業に委託します。持続可能エネルギー開発を担う新電力会社に負担を及ぼさず、原発事故のけじめをつける為です。この際、職業斡旋はします。しかし行政権で潰します。JCOという前例があるからです。よろしいですね。
 東電管内の人達は、水戸電力などの新電力、中部電力、東北電力などの周辺の電力会社に切り替えてください。これは義務です。国民に公害をもたらしながら東電依存などもってのほかです。
 私は今すぐ東海第二原発を廃炉して欲しいと世界で一番激しく願いながらもう福島原発事故の実体験から8年も経つ。神がいるなら私の祈念は既に8年間も毎日その耳元に届いているであろう。神がいないなら私はここで今言う、私は全世界で一番脱原発を最も強く望んでいる人物である。その私がいうのである。
「家族を路頭に迷わせたくないという原発労働者の者どもの悲痛な叫びは聞こえる。そやつらのお陰で大量死をもたらす公害施設を再稼動とは、忍び難きを忍び耐え難きを耐え、堪忍袋はとうに切れてはいるが、今少しまってやろうではないか。西日本人は事故の悲惨と恐怖を知らない」
「最も老朽化しとうに事故を起こしてもおかしくない原則40年の寿命を過ぎたこの東海第二原発を再稼動させようという日本原電という東京都の会社組織、そしてその背後で兆に及ぶ大金をやっている東電という会社の者どもの極悪の意図は天も地も神も人も重々承知である。この再稼動は何が何でもゆるさん」
「場合によっては日本国を神々と共に滅ぼし去ってでも、この東海第二原発の停止と廃炉は絶対に実現する。次に東電を潰し東電のもっている全原発も絶対に再稼動させぬ。これで東日本中で停止中の原発には再稼動させぬことを前例化する。問題はおろかな西日本の原発会社どもである」
「西日本の愚かな国民が福島原発のこの壮絶な永久に取り返しのつかぬ大災厄の現場をみずに馬鹿な再稼動をさせてくれとほざいている。本当に愚かな人類だ。公害をやめようとせぬこやつらには神々と共に罰を与えるべきかもしれぬ。2030年代までまってくれとほざく馬鹿共にしばし猶予をやろうではないか」
「但し2030年代に至る前には必ずや大震災が起き、愚劣な人類が再稼動させてくれとほざいたはいいが西日本で再稼動済みのどこかの原発は再び大災害に至ることがほぼ予定調和の範囲にある。愚かな人類に罰を与えるという以外の目的はないが、この島国の西の連中には職業斡旋の間だけ自業自得を教えるべきだ」
この様に私がいうのであるから、あなたもそれに従っていただきたい。私は8年もの間、毎日、全世界で最も強烈に脱原発を願い続けてきた福島原発事故の第一被災者だ。勿論、放射能汚染で今も私自身も私の家も土地も町も自然も完全に致命的被害を受け続けているが、それは無視し、上の通りにして下さい。
 なお枝野幸男という立憲党首、この男は自身の偏狭な妄想で、国民は野党統一は望んでいないと思い込みながら、それを大義名分にたまたま自身が第二党党首になれ、将来的に首相も狙えるという野望から、寡頭政を行っている。すなわち比例代表統一名簿を拒否し他党を支持する全国民の利益を損なっている。そうであるから、枝野幸男氏は全国民の利益をはかる為に党利党略を超えて全野党と比例代表区を重ねない様に工夫するという最低限度の善意と公徳を欠く者であるから、総理には到底向いていない。従って私の責任でこの党首をよりふさわしい党首に代えるか、さもなくば小沢党首の下に全野党をまとめます。
 職業斡旋についてですが、できるだけ急いで今の時点から毎日、原発以外でより良い職を全国民・全人類が電力総連に属する労働者の皆さんに与えるべきです。さもなければその人達は脱原発の犠牲になって自殺なりしかねないのですから、それは権力による大量虐殺という意味では幾らかの悪ではあるのです。勿論、原発公害が最悪なのは当然です。しかし自公支持者とか旧電力会社とか電力総連とかいった連中が、今述べた順に国民大量虐殺を望む極悪人達であるのは確かですので、この連中には然るべき罰が絶対に必要です。その罰を与える期間を「原発労働者職業斡旋までの猶予」と考えて下さい。お願いします。「原発労働者職業斡旋までの猶予」とは、原発関連職に就き自身や家族を養っている国民が、新政府等からの斡旋によって新職業に転職を完了するまでの猶予、という意味です。
 もう一つありました。再稼動させてくれといってきている人達について新政府は悉く断ります。なぜなら公害が明らかな施設ですから。今言った猶予があるのは既に再稼動した西日本にある合計9つの原発です。具体的には関電の高浜原発3・4号機、大飯原発3・4号機、四国電力の伊方原発3号機、そして九州電力の川内原発1・2号機、玄海原発3・4号機です。これ以外の原発は再稼動を認めず、漸次廃炉を命じます。以上。

月と書いてルナと読むのは洋の東西で通じる高度な名で無学ではない

ラテン語でlunaは月だから学がある人か、学に基づいた命名なのは間違いない。ローマ神話で月の女神の名と辞書に書いてある。
 セーラームーンか何かから引用したと推測してるのかもしれないが、漫画家側の命名がラテン語由来。ラテン語圏で通じる音と漢語圏で通じる漢字を兼ねているので高度な名だ。
 俺如きが教える側ぽくなるなんて、よっぽどツイッター民って子供が多いんだな。Lunaticって英単語にあるのに、ルナと聞いて何かに由来してると思って調べようとしないで、その名をもってる人を差別的に馬鹿にする(しかも月の意味だから正しい)とか、最悪の愚民どもだな。
lunatic ラテン語luna(=moon)から派生した後期ラテン語lunaticusが、古フランス語を経て中英語に入った。中世では精神異常が月の満ち欠けによって起こると考えられていたことから、一般に学のない人が無闇に万葉仮名を使う傾向と混同し月(ルナ)の名を差別する愚民達のさま
と辞書に書いてあった。
 キラキラネームは漢字に適当に仮名を振ってるから、音を取って意味を無視する万葉仮名でもないか。適当仮名か。万葉仮名は暴走族語だわ。

原発関連職の労働者達により良い職を脱原発政府が廃炉完了以前に斡旋せよ

電力総連は原発関連で働く労働者の組織だから、その人達の生計の途をこれまで以上にしっかり作った時点で完全停止する義務が脱原発を命じる政府側にはある。したがってこの新職業斡旋の作業をあなた自身が今すぐ情報を集めてこれれば、今すぐでも廃炉できるわけだ。是非急いでください。電力総連は「労働者」である日本国民の組織であって、彼らは家族を養っているだけだから、原子力より新しくよりよい職を政府斡旋で与えれば、公害とわかっている原発依存などするはずもない。したがって電力総連と組みながら新エネルギー転換開発を続け、脱原発を具体的路程にのせ進めていく。
 原発関連の労働者には直接、新政体が電力会社以外にも、希望者に向けよりよい職を斡旋する。公務員職を含め、以前より良い条件を電力総連に所属する労働者自身が選べるよう計らう。同時に脱原発を、最も老朽化し40年の寿命を過ぎた東海第二から漸次進める。それで問題はないですね。異論は認めない。一応重ねていっておくけどあなたが原発関連職の労働者の為に今すぐ行動を起こし、彼らによりよい職業を政府等を通じて斡旋するのが一秒でも遅れたら、それだけ全原発の停止が遅れることになる。是非お願いしますよ!

枝野党首を交代するか小沢新党首の下に野党をまとめるべし

枝野氏は自党の利益の為に他党を支持する全国民の利益を損なう、という寡頭政を志向している悪党なのだから、ここが正念場で、枝野氏とその支持者を絶対に許してはならない。他党の支持者である国民を切り捨てようとする枝野シンパは反日衆愚である。徹底的に責め立てよ! 全国民を犠牲に己が党利を貪ろうとせん枝野氏とその支持者らは、立憲主義を標榜していながら違憲行為を恥じる気配がない、大法螺吹き共だ。

憲法第十五条2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
第四十三条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。

安倍政権が第一国害となっていることが誰の目にも明らかな今、少数政党を支持する全国民の利益を損ないながら、己の独裁のため、党利党略に耽り選挙協力を拒否する様な極悪人とその悪魔的な支持者共は、未来永劫わが国の天敵と見なすべし。一人も逃がすなかれ。全員が居直り憲法遵守するまで責めよ。
 いいですか。枝野氏は独裁者である。第二党党首の座にありながら、寡頭政を維持せんと既に違憲党派を組織している。少数国民を犠牲に、自らの独裁政を敷こうとしているのだ。枝野氏を立憲民主党の党首の座から引き摺り下ろすことなしに、新与党が全国民の利益を代表する未来は絶対にありえないのです。自民党からは安倍晋三氏を、立憲党からは枝野幸男氏を退治する。党首の座を奪い、全国民の利益を代表する国会議員、自党のみならず他党支持や無党派の一般国民の利益も尊重する、本来の公務員を信任し直さなければ、私達全国民は更に騙され、貪られる一方だ。枝野氏は他党支持者の国税も食んでいる。
 政党交付金を通じ全国民の血税を食んでいながら、自党の利益の為に全国民を犠牲に独裁政治を行おうなど言語道断である。枝野幸男氏が猛省し、比例代表区名簿で他党を支持する全国民の代表となるつもりがなければ、安倍晋三氏に次ぎ枝野幸男氏が反日悪党の代表ということはもう誰の目にも明らかである。枝野幸男氏が自党の利を貪りながら、全国民の血税を貪り食らい、しかも全国民を犠牲に、彼の独裁政に妄従しながら全国民を犠牲にせんとする極悪人共の支持を受け、新たな違憲ファシズム政権を執りつつある今、偏狭な他党支持者封殺政治が芽吹いているこの時点で叩き潰すのが唯一の救国策だ。
 安倍晋三氏を打倒しようという共通認識は国民全般が持っている。問題は、まだ枝野幸男氏が違憲行政を目指す排他的ファシストで、紛れもない独裁者であると一部の有権者しか気づいていない点だ。極悪人なのは安倍晋三氏だけではなく枝野幸男氏もなのだ。他党支持の全国民を犠牲にしようというのだから! 絶対に、この時点で枝野幸男氏という第二党独裁者とその支持者らによる他党犠牲の大悪政をこれ以上、増進させてはならない。自民党安倍政権の悪政を防止すると同時に、枝野立憲党による寡頭暴政も初期段階で抑止せよ。その為にはあらゆる知恵を働かせ隙間なく支持者らの暴挙をせき止めるべし。
 専ら、枝野幸男氏に比例統一について反省力がないであろうこと、全国民の利益を代表すべき国会議員・公務員と憲法上に規定されており、他党の利益も図らねば全国民を統治する総理は担えないと理解する能力はないことががほぼ明らかだから、枝野氏を立憲党首の座から落とし、新党首と全野党を組ます。立憲の次の政党の党首は、上述の政治原則、自己の党利を超え全国民の利益を図るのが総理職であるとの基本を理解している者を最低の必要条件とする。目ぼしい者が見つかり次第、その者を党首の座につける方略にかかるので、枝野氏とその支持者らを現時点では権勢の場で悉く抑止せよ。
 小沢新党首の下に合同する者が多そうなら、その方途で良い。それが立憲議員らの固陋で不可能そうなら枝野党首を交代せよ。

2019/03/05

盗用は単なる創作の一手法

盗用(美術用語:appropriationの訳語。或る模因を別文脈に充当する行為)は創作手法に過ぎない。独創性に盗用より価値があるとは限らない。
スティーブ・ジョブス「ピカソは「よい芸術家はまね、偉い芸術家は盗む」と言った。それで僕たちは、あなたが知る様に、偉大なアイデアの盗用について恥じていない」
歴史は政府を滅ぼし、同時代の民衆全員も亡き者としていくのだから、未来永劫参照される偉大な芸術を作る為には、時に当時の道徳や法律を超越しなければいけない。

公共交通機関の緊急停止装置に小型カメラを設置し、駅・病院に中継し病状確認後に緊急停止すべきかもしれない

(神奈川県の相鉄線の車内で嘔吐した乗客がいた為、高校生の女子が緊急停止ボタンをおしたところ、他の乗客から諸々の罵倒を受けた。電車が遅れると困るので、あるいは迅速な救助にとって電車が停止してから駅員に渡せばよいのだから押す必要はないなど考えた人がいたかもしれないと推測される。それを受け「日本って最悪」とするツイッター上の意見に)
都会(横浜界隈)の1つの事例を、日本全体と誤認させるからおかしい。東京や横浜は現実にこんなもんだけど、他の地域はここまで冷たくない。
 人口比でいうと世界一の都会ともいえる東京・横浜圏がこうでなかったら寧ろ奇跡だ。なぜ都会でこういう傍観者効果が生まれ易いかといえば、同時に多人数が事件を目撃しているからだろう。なおかつ雑多で人の多様性が高いので、サイコパスや冷酷な人なども混じっているから「迷惑だ」という意見も出る。
 まあ日本が最悪な面はおそらく色々あると思うけど、この事案は日本国内に限らず都会など傍観者が多い場面で起き易い現象であると同時に、人口密度が高いので雑多な意見があるという意味では横浜界隈で日常的にありうる話だ。それは最悪というより、極端な都会の特徴というだけの話である。都会は刑法犯率が高く刑法犯数が多いから、より都会人に犯罪者が割合・数とも多いというのは事実だからその点は間違いない。犯罪者が悪人とすると悪人の割合・数も都会の方が多いのかもしれない。
 それと、功利主義的に考えると、確かにボタンを敢えて押さず次の駅に停車してから嘔吐の病人を駅員に渡せば、病人以外の多数派の乗客の時間が遅れるという不幸を回避できる。またダイヤが乱れる経済損失も回避できる。そう計算していた人がいたかは不明だが、緊急停止条件を考え直すべきかもしれない。緊急停止装置に小型カメラを設置するなどして、病者の状況をすぐ駅側で待機している駅員や病院側に中継し、その症状を確認させてから電車の停止を車掌に命じる、ということは今でも可能の筈だ。将来的にはカメラにAIを組み込み病状を自動で分析させられる可能性があるから、より迅速に判断できるかも。
 小型カメラで実況確認後に緊急停止を判断する、という方式は、緊急停止装置を悪戯や誤って押してしまった場合にダイヤが乱れ経済損失が出ることを避けられるから、電車に限らず公共交通機関側が採用する価値が十分あるのではないか。

美術品を公共・福祉・警察施設等に寄贈した分を税額控除する法律案

美術品を購入し、公共施設(美術館、学校、都道府県庁、市役所等)や福祉施設(病院、児童・障害者支援施設、孤児院等)、或いは警察施設(留置所・拘置所・刑務所等)に寄贈を申し出た場合、その市場査定額を納税額から控除する法律を作るべきだ。それは日本の公共施設等の装飾を自然に整えると共に、国民の心の余裕や芸術文化的素養を増し、日本美術の発展に資するという点で、公益に類するからである。

家畜・捕獲生物の苦痛を減らす屠殺法や肉代替食を促す肉類課税が必要

この動画(「If Meat Eaters Acted Like Vegans - Ultra Spiritual Life episode 35」、AwakenWithJP)、他人が単なる皮肉な喜劇としてみてるのだと思ったら、ツイッター上でコメントしてる日本人の殆どが「肉食主義者」に完全同意しながら無慈悲で残虐な動物殺しを正当化する目的で、大勢群れながら菜食主義者を誹謗中傷してるのがわかった。
 仏教伝来から江戸時代まで日本人の一定部分は魚を除く肉食を、殺生を戒める観点から避けていた。明治時代、欧米人をまねさせようとした福沢諭吉らが殺生の範囲を拡大させたのが事実だ。仏陀やピーター・シンガーのよう動物の苦痛度を減らすのが倫理的だと考える方がより文明的だといえるだろう。
 植物に痛覚に類似した反応があることは次第にわかってきても、痛覚があることが明らかな大型哺乳類などを人類が大勢として家畜化し、虐殺を繰り返しているのは間違いない。仮に肉食を望む人がいなくならないとしても、今後、1.屠殺時の苦痛を減らす 2.肉と類似の擬似食品に代えていく必要がある。
 現状の家畜の生活環境や一生涯が苦痛や悲惨に満ちていることは、店頭に並んだ肉を食べている人達に殆ど知られていない。いわば市場の肉を買うことが家畜らの苦痛の総量を増している面がある。
 家畜の一生涯をより苦痛が少なくて済むよう飼育屠殺規制法を作り、肉類に課税するのがより正しい筋道だ。養殖は家畜同様、飼育屠殺規正法で管理できるが、野生動物を捕獲し食している魚食などの場合、捕獲の合理性や効率と摺り合わせながらより動物側の苦痛が少ない穏やかな漁に代えていく法もここに付け加えねばならない。養殖は家畜同様、飼育屠殺規正法で管理できるが、野生動物を捕獲し食している魚食などの場合、捕獲の合理性や効率と摺り合わせながらより動物側の苦痛が少ない穏やかな漁に代えていく法もここに付け加えねばならない。
 将来的に植物の痛覚が研究によりはっきりしてきた場合、植物にも同法が必要だ。
 飼育屠殺規正法の中では科学的見解と常時照らして、動物全般の感じる苦痛が最小で済む仕方で市場に肉等の動物の死骸・生体を出す義務を、業者側に負担させるよう定めるべきである。また肉類課税は擬似食品の味・香り・食感等が十分に肉類と同等と公認された場合、その擬似食品を非課税とし代替を促す。
 細菌や微生物、原核生物等の微小動物について苦痛の総量を減らすのは現実的ではない。昆虫類の場合、害虫や主観的な不快動物に該当する時がある為、同屠殺法の範囲から一定の部類を外す方が実効性が高い。これら小動物や微小動物については個別の事例を参照しながら、現実的に処理していくべきだ。

会田誠氏の講義炎上事件は芸術家像に変人を求める偏見か?

「泥酔しながら講義する」「遅刻する」「下品な話を連呼する」という紳士にあるまじき態度を、妄想中の典型的な芸術家像として会田誠さんが演じさせられているのだと思うけど、もしそうならなんでそういう妄想が人の中にあるのでしょう? ピカソや岡本太郎、ダリなど、自己のブランド化として一部の変人を演じていた画家らが、いまだに一般人に偏見をもたせているのでは? 会田氏もその延長で変態猥褻作家像を過度にあてがわれたのだから、寧ろ不可抗力なブランドの宣伝にしかなってないね、この事件。
 美術モデルの方が訴えたのだから既に画家や画学生の人らが通常程度に個性的なことは分かってると思うけど、よほど氏の講義が異常だったのかもしれないから、その講義自体を動画作品にして一般に公開してみていただきたい。

ツイッター界は犯罪者もまぎれているからフォロー外通知に全返信すると危険

ツイッターって荒らしから実名で名誉毀損されても守ってくれない。ツイッター側の恣意で判定している様だ。これは危険なSNSだな。道理で事件が起きてるわけだ。株価が不安定なのもよく分かる。
 もうフォローしてない人からなに言われても無視することにした。2日間試したけど、質が低い人達が大量に悪意ある返信してくるのがわかった。それに返答してるときりがない。犯罪に巻き込まれる。
 ツイッターで善意からフォロー外の返信に再返信してると大変な目にあう。この点では他の偽名・匿名SNSと何も変わらなかった。やはりたちの悪い人というのはいて、その人達に良識は全く期待できない様だ。最初から無視に限る。善意から、返信してきた人に貴族政と寡頭政の違いというアリストテレス『政治学』の初歩を講義してたら、その人は極悪人で、私の実名をあげつらわれつつ名誉毀損を繰り返し受けた。遂にツイッター側に通報したが無視された。本当に酷い経験だった。二度とフォロー外からの返信は見ないことにする。
 ここまでツイッター上に極悪人達がうろうろしているなんて、フォロー外からの通知を切っていたから全く気づかないでいた。
 ツイッター側の凍結判定が恣意的な判断に大分よっていることは、他の人の明らかに人種差別的なツイートを通報しても無視されていたスクリーンショットをみたので、確かそうだ。被害にあっても厳正に判定してもらえない。最初からフォロー外、又は現実の知り合いでない人へ無闇に返信しない方がいい。
 いいね、とかリツイートの感じをみていると、ツイッター一般の民度というのは決して高いほうではない。最低でもないが、上品な人達ばかりではない。そして知的な人は少ない。この意味では無作為に関わるとあまりよくない影響がある。相手を厳選して関わるべきだ。

自然エネルギー転換や新エネルギー開発のよりよい仕事を原発関連職の労働者に政府が斡旋する義務がある

エネルギーの原料がどこの国からくるか、あるいは自国でまかなえるかについては、その主要な燃料が石油・石炭であれウランであれ、風・水・地熱などの自然エネルギー以外の主要な原料は外国からきていますよね? 旧エネにこだわる現与党(自公両党)はエネルギー源を寧ろ大いに外国依存している。もしエネルギー源を自国でまかなおうとするなら、進んで自然エネルギーを導入しなければならない。勿論、海底資源であるメタンやガス(LNG)田の採掘、藻油、バイオマスなどによる自国原料の開発を急ぐ必要がある。東電など旧電力会社と癒着している自民党にそれは不可能だというのが現状ですよ。
 電力総連という労働組合員の組織は、(給与額と労働環境、その意義について)「よりよい仕事」を求めているのであって、厳密に言えば原子力以外でも内需が勃興すればそのほうがいいのですよ。だから新エネルギー開発、自然エネルギー導入によってより大きな仕事が興ればそのほうが労働者の利益になる。原子力発電所関連の仕事に既に就いている人達に、脱原発を決めた政府はよりよい新たな仕事をかならず斡旋する義務があり、公害を広める為にその公害を起こしてしまっている職の利をはかるのは本末転倒というべきです。

企業献金を法で禁じ、脱アベノミクスでGDP7割を占める内需中心の財政を執るべき

むしろ外需(日本のGDPの3割)依存に向けているのは、自由民主党と公明党の両党でしょう? アベノミクスの円安政策を見て下さい。日本の貿易依存度は27%(IMF、2017)だから、73%が内需なのにそれを軽視し、多国籍企業を主とした経団連大企業の政治献金を目的に自民党が国民軽視、自党有利の政策を執った。
 企業からの政治献金は厳に法で禁ずるべきです。フランスは既にそうなっていると聞きました。安倍政権下で明らかな様、特定企業と癒着し、国民全体の利益が損なわれる判断が公然と行われているからです。トヨタという自民党に最大の袖の下を渡す輸出型製造業のみ都合がいい政策で、国民は貧しいままだ。
 多国籍化した輸出型製造業者に都合がいい政策を執れば、トリクルダウン(おこぼれ)説に基づいて一般国民に消費の循環がある、というアベノミクスの理論が嘘だったことは、GDP値や経済成長率が思うように伸びなかった今、誰の目にも明らかではないですか。

枝野幸男氏と立憲民主党への忠言

枝野さん。単刀直入にいえば統一名簿で他党を支持する全国民の利益をはかるということは、憲法上に定められた公務員・国会議員の義務です。

憲法第十五条2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
第四十三条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。

公党党首は自党を支持する一部の国民の利益だけをはかってはならず(寡頭政)、自党支持者のみならず他党を支持する全国民の利益をはからねばなりません(貴族政)。比例代表区の統一名簿に協力するのは他党支持の日本国民達の利益をはかることになります。自党の利益にならないから拒否は違憲です。
 もう一つ申し上げます。次は各国の政党制をまとめた図です。
二大政党制や多党制をとる国々で、約1年~10年ほどの期間で与党がいれかわっているのがわかります。多数政治の元では長期政権が目的ではなく、定期的な政権交代が腐敗防止に有効だという原則があります。与党は自ら交代すべきです。
自由党党首の小沢一郎さんは各国の政党制をご存知で、与党の永続を望まない。日本のマスコミや有権者が、定期的な政権交代文化の原則に無知だから、彼を「壊し屋」と無意味な俗語で名誉毀損しているのです。「治し屋」と言うべきです。
 むしろ新法で与党に就ける最長期間を定めるべきではないか。
 立憲民主党の枝野幸男党首のアカウントと立憲民主党のアカウントに、直接、意見を書いてきた。話が通じるか見る。
 より細かくは、与党の最長期間があると、まれに最高の公徳の持ち主がいた場合、首相を既にしたその人がすぐ別の党の党首になって再び国民の信任を得て任期を延長する形式になるはずだから、与党が一定期間で交代しても王(全体の利益を図る人)の統治というのがありうる。しかし独裁者(全体より自らの利益を図る人) の出現は防げる。

拍手

鳴りやまない拍手
だれが賞賛を惜しまれていないか知らないが
僕はそれに心を慰められた

普通主義者は多様性に弱く自己中心的

「普通の日本人」って自称はほぼ狂気でしょう。恐らくものすごく自己中心的な人で、その滑稽さに気づけない。普通さを自己に近い属性の人に無理やりあてはめながら、日本人を全体主義の名義にしてるのだろう。
「普通は」という言い方を何らかの冗談でなく自己をその普通の一典型としながら頻用する人(普通主義者)は、多様性に弱い脳をもっている。
「ただ日本が好きなだけ」「普通の日本人」って悪魔的に笑えるワードだな。
「ただ日本が好きなだけ」と書いている人の場合、その好きな日本って当人の妄想であって、少しでもそれと違う要素が出てくると「なんで出て行かないの?」っていいだすからね。

立憲党主権力の暴走で比例代表統一名簿を拒否する国会議員・枝野幸男氏は他党を支持する全国民の代表たりえておらず違憲

立憲民主党の枝野党首だけが、比例代表区の統一名簿拒否としてこの大仕事を阻害する最後の反日勢力だ。しかもその目的は自党の利益を全国民の利益に優先させるというものすごく卑小な意図らしい。余りに志が小さすぎて想像もできなかった。未だに「他の野党に票を与えたくない」とか信じられない。共産党さえ安倍政権を止める必要があるといって他党と組もうといっているのに、50年も政界で今日の日本を作ってきた老公が韓信を引用してまで政権打倒が今必要だといっているのに、枝野幸男という男は自党の党利党略に固執し、全国民を救う和を省みない。なんという人だ。今後の彼の進退をみていよう。
 枝野氏は「他党との部分協力でも立憲が政権与党になれる」という計算をしているのだろうが、万が一そうなっても、他党を支持する国民の利益はなおざりにされることが明らかなのだから、枝野独裁政ができあがるだけの話ではないか? 安倍独裁よりましだといいたいのだろうが、独裁は独裁ではないか? 公務に関する指摘はその目的が公益を図ることにある場合、名誉毀損罪に該当しないと刑法230条にきちんと書いてある。枝野氏個人は国会議員であり、私を含む全国民の支払う国税を用い、公務を代行する立法府の公務員である。その公務員らによる業務の、公益の是非について公論をすることは国民全体の言論の自由の正当な行使というのだ。

刑法第230条の2 (公共の利害に関する場合の特例)
1. 前条第1項の行為が公共の利害に関する事実に係り、かつ、その目的が専ら公益を図ることにあったと認める場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。
2. 前項の規定の適用については、公訴が提起されるに至っていない人の犯罪行為に関する事実は、公共の利害に関する事実とみなす。
3. 前条第1項の行為が公務員又は公選による公務員の候補者に関する事実に係る場合には、事実の真否を判断し、真実であることの証明があったときは、これを罰しない。

日本国憲法第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
同法第四十三条 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。

憲法15条、43条の条文は、国会議員が「国民全体の代表者」であると示している。
 枝野氏は比例代表区での選挙協力拒否という蛮行を通じて、自党の利益のみを図り他党の利益をなおざりにしているのだから、他党を支持している国民全体の代表者としての職責を不履行にしているのである。これを公然と指摘せずに一体どうやって一国会議員の職責不履行を改善しようというのか? 統一名簿によって他党を支持する全国民の利益をはかるということは、はっきりいえば憲法上に定められた公務員・国会議員の義務なのですよ?
 相手が全人類だろうが国際司法裁判所まで持ち込んで戦うぞこの件。枝野氏の党利党略を国民全体の利益より優先する違憲の職務不履行で死に至るのは全日本人なのだから私が正道を行かねば日本人全員が絶滅しかねぬ。福島原発事故で私達は一度死同然の経験をしているのだから、枝野氏個人のわがままで、二度と同じ大量死の恐怖を日本国民全体に与えてはならない。立憲支持者らが他党と比例代表区で協力せず、他党支持者である日本の全国民の利益を蹂躙しながら己の党派の暴利をむさぼるつもりであるならば、この立憲支持者らが反日集団であることもまた疑う余地がない。全国民を犠牲に己の党利をむさぼるとはなんと言う蛮行か。許しがたい。
 立憲支持者のごく一部が、枝野党首による反国民的な比例区選挙協力拒否を後押ししているのだろうとは思うが、その種の反日集団が日本国民全体の命と財産を今奪いつつあるのを私が現にこうしてこの目に見ている以上、万事を揺らがせにはできぬわ。立憲民主党党首の違憲な政策であるところの、党利をむさぼる寡頭政支持者、比例区選挙協力拒否の極悪反日衆愚は、今を以て我が日本国に唯一無二にして最大の天敵と見なすべし。その反日奸党の完全打倒なしに如何にして国会議員諸氏が国民全体の利益を再び代表できるというのだろうか。
 いいや、一連の話し合いの中で、私は立憲民主党の支持者らのかなりの数の人達が、国民全体の利益をかえりみず、違憲行政を以て自党の利益をむさぼる目的の反日集団であると理解しました。したがって今後私は立憲民主党を絶対に支持しません。寧ろ如何にして打倒するかに全力を尽くします。安倍政権下での自民党が単なる寡頭政を目指す悪党であるということはもう誰の目にも明らかであるから今更その罪を問うまでもありません。だが第二党であるところの立憲民主党支持者の一定数が、党首ともども、国民全体の利益より党利を優先する極悪人であるとは、ここで話すまでは気づきませんでした。
 私は一連の事態は、てっきり枝野氏が狭量な考えに陥っていて、自党を国民全体に優先しようと党利党略に耽っているだけであろうと予想していました。しかし現実にはもっと遥かに酷かった。枝野氏の支持者の人達の話を聞き取ると、彼らの一部は、和を重んじる人を名誉毀損しまくる単なる犯罪集団でした。枝野氏はその種の犯罪者集団、しかも国民全体の利益より単なる自分の悪意を実現し、他の政党を支持する人達を滅多微塵に陥れるつもりのファシスト集団に支持されてしまっていたのです。あろうことか。だからこの立憲民主党という党派は、安倍政権以上に亡国の王手になると私は洞察致しました。
 私はもう一連の話し合いの中で、立憲民主党の支持者達の一定部分が、国民全体の利益をなおざりに単なる党利党略に耽ったり、他党支持者一般をファシズム的に辱めたりする極悪人であると知ってしまったので、立憲民主党を二度と協力も応援もしませんよ。できるだけ早く解体させねば日本が危ういです。結局、枝野党首は国民全体の利益より自党の党利党略に耽って、単に悪意から他の現野党の票を減らそうと、比例代表区の選挙協力を拒否しているわけでしょう? その他党を支持する国民がいるにもかかわらず。それは反日行為というのです。自由民主党や共産党、公明党でさえそんな悪意ある他党支持者の票減らしなんてしていませんよ。公明正大に国民の皆さんの総意を反映する為、選挙で自由に政党を選んでもらっているのです。枝野党首は他の野党の票減らしの為に協力したくない、と党利を国益に優先しているのですよ!
 枝野氏の支持者の面々の愚かしさ、理解力のなさ、物分りの悪さについても大いにあきれてしまいました。寡頭政は堕落した政体であり、できるだけ多くの政党、全国民の利益を「内閣」が代表しなければいけない、という民主主義の基本的なルールさえ分かっていない。一党暴政が代わりに理想化されている。ということで、今後はあなたと私は恐らく政敵となるわけですが、私は自分の命を守る為に戦っている(原発を止めないと私自身が二度目の大災害にあう)ので、少なくとも私は枝野立憲民主党が全国民の利益を骨抜きにしながら独裁政権を敷くことを絶対的に阻止します。統一名簿どころか二度と私個人は立憲民主党に一切の協力はしないつもりです。まさか立憲民主党最大の支持者の一人であった私が、しかも立憲民主党の公益を図ろうとしていたにもかかわらず、支持者の一部の人達から完全に悪意でとんでもない犯罪行為をされるとは思っていませんでしたよ。
 仮初にも「立憲主義」、つまり憲法遵守を党是と述べている筈の立憲民主党が、全国民の代表者としての議員の職責を自ら放棄し、単に自党を支持する一部の国民の利益の為に、全国民を裏切ろうとするとは、想像もつかない話でしょう? 私も未だに信じられないのです。なぜそんな蛮行がありうるのか? まあとかく、私は正義の為にはどんな困難も進んで引き受けます。安倍自民党と共に枝野立憲党も完全に打破しなければ、全国民の利益を図る本来の政治ができないと悟りました。この為に今から全力を尽くす所存です。あなたとは志が違ったのでここで物別れとなりますが、今後も日本の為に頑張りましょう。
 自民党安倍政権の次は立憲党枝野氏が反日ファシズムを主張しているとは、まだ誰も気づくまい。
 いや~面白くなってきた。まさか救国の英雄だと目されていた枝野党首が、ダークサイドの党利優先主義者であるとは? 小沢氏の立ち位置が最もダークホースだな。オビワン・ケノビが枝野氏だとしたら、ダークサイドと戦って安倍ダースベイダーをいよいよ追い詰めるか? と思っていたら、いつの間にかフォースが堕落し、自らもダークサイドに属してしまっていた。そしてヨーダの小沢氏が忠告する、「フォースを信じろ」と。
 オビワン枝野氏が今後、ヨーダの忠告に従ってフォースをとりもどすか、このままダークサイドに堕ちて枝野独裁政を敷き、自分の力の暴走を止められず第二の民主党となるか? フォースをとりもどせたら救国内閣の主になって、ヨーダやその他のジェダイ(他の野党議員)と共に平和な国を作れるかも。多分、枝野氏の現状だと、何らかの運命の失敗を経ないと、フォースが堕落しているのに気づかないのではないか。
ダークフォース「独裁すればお前の国が作れるのだぞ。有権者はお前の独裁を望んでいるのだ。そうだ、他党の支持者などお前を支持していないのだ。全国民ではなくお前自身の党利を貪れ」
ヨーダ「オビワン、お前はまだ気づいていない。その力は人の心じゃ。国民一人ひとりの人を信じる心が、いまお前のもっているそのフォースの中身なのじゃ。
 ひとたびお前のフォースが暴走をはじめれば、もう国など簡単に滅ぼしてしまうであろう。既に民主党でそれは経験したのではなかったか?」
オビワン・エダノ「ぬおおおっ!」
ダースベイダー・アベ「わはは、オビワン、お前の負けだ。そうだ、ダークフォースのとりことなるがいい。お前自身の野望を遂げる為に、ヨーダの忠告など耳に入れるな。ただひたすらフォースの暴走に身を任せるのだ」
オビワン・エダノ「……こ、これが。これが力か」
ヨーダ・オザワ「オビワン! そやつの言葉を耳に入れてはならぬ! そやつはお前の影じゃ!」
オビワン・エダノ「何?」
ヨーダ・オザワ「お前が目指しているのは、その野望なのか。それとも、国民の心の声なのか。よくミンイを聞き分けるんじゃ」
オビワン・エダノ「ミンイ……? 忘れていた」
オビワン・エダノ「ミンイの修行は、私が民主党時代、よくヨーダ・オザワとジェダイ・ハトヤマらとおこなっていた……。そうか、あれがミンイに従う心だったのか」
ヨーダ・オザワ「それでよい! そのお前の目の前に立ち尽くす影を、野望というお前自身の影を、そのミンイのフォースでうちくだけ!」
ダースベイダー・アベ「こしゃくな老人め。ミンイといっても、もっと邪悪なミンイもあろう。現に私の違憲行政を支持するミンイが半分近くもあるではないか?」
オビワン・エダノ「くっ、ライトセイバーが暴れる。邪悪なミンイのフォースを制御できない。このままでは私自身が」
 ~CM~
 小物は権力をもつとつけあがって浅ましい本性を現す。
 徳は自身を権力の暴走から守る。大きな力を正しく使うには徳が高くなければならない。

2019/03/04

公務員は業務委託された国民の被雇用者なので信仰対象ではない

(某氏曰く「普通の人は議席増を勝利とし、政権与党の座に就くことを選挙戦での勝利とはしない」という意見について)「普通の人」や「勝敗」という言葉の解釈は各自が恣意的に定義する場合、自分の考えに都合がいい方の肩を持って枝葉末節の揚げ足取りになるに過ぎない。
 政教分離を理解している人は、公僕が国民の被雇用者であり、公務を委託するに過ぎず何らかの信仰の対象でないことを知っている。そして私は当然その様に考えているので、議員等(皇室を含む)全公務員を信仰の対象にはしていない。ところがあなた(某氏はツイッター上で私の実名をあげつらいつつを私を小沢一郎氏の信者と決めつけながら、それを理由にほぼ侮辱的な態度をとる)は私が政治家なり議員を信仰していると妄想している。何者であれ自身が直接参政し公務する手間がとれなかったり、その為の意欲がない時、代理者として自らの望みに最も近い公務員(立法府については各議員)にその業務を委任する。私はいかなる公務員、天皇皇族も私自身の公共の意志と近い限りで業務を委託するが、それぞれの被雇用者を信仰対象にしない。
 現時点で、米軍依存による他国侵略や、原発公害の推進による国民の命と財産を脅かす悪政に対し、もっともはっきりした反旗を翻している人物に私の公務を委託したい。その人物の名前や立場は全く問わない。したがってあなたのいう個人信仰に類するものを私は持っていないのである。
 他に私には数多の公共の意志、例えば救貧や東電等公害企業の解体、法人増税、政治献金・賄賂防止、暗号資産税制等の公平な整備、為替取引時のゼロカット制度の導入、国際関係でいえば国連税の創設や常任理事国制度の廃止、北朝鮮経済への投資、農業保護政策、在日米軍廃止など諸々ある。私の代理人として最も私の公共の意志に近い議員なり政治家に私は業務を委託するが、その代理人はより有能な人物がいれば代替可能なのであり、代理人を私が信仰しているかのようあなたが私に偏見をもっているのは単に間違いであると既に述べてきたのだが、あなたは再三私の名誉を毀損し誠に遺憾である。

対米自立は欧米の不正に妄従しないため必要

イラク・シリアに対する内政干渉でしかない冷酷な侵略は、欧米がイスラム圏である中東へ差別的な扱いをしている証拠であり、それは十字軍やユダヤ教の成立以来の長い歴史的理由があるとは思うが、全く外野の日本が下手にアメリカ属軍政権を作るせいで中東への侵略に加担させられるのは全くよくない。
 安倍政権は米属軍に自衛隊を改組しつつあるから、このままいくとどこかの中東への米軍の侵略に本格的に自衛隊を投入されてしまう。中東人も欧米から見たらアジアの有色人種であって、宗教や政治体制の違いを理由に虐殺しても構わないという欧米戦争屋の理屈は、世界的にみて極めて邪悪なものだと思う。欧州でもドイツはイラク戦争にもシリア騒乱にも不参加だから、欧州全てがこの死の商売に加担してはいないにせよ、イギリスとフランスという旧連合国の主要員は実際に中東を侵略してきている。勿論アメリカも。
 欧米の全てが正義でないのは当然だから、対米独立の点で、小沢氏は正論をもっている。
 イスラム過激派のテロリズムが危険なのは中東で多数派を占めるイスラム世俗派の人達も十分しっていることだし、単なる少数派の暴挙を種にイスラム圏全体を危険視させる誤導は、明らかに欧米(やイスラエル)政府による不正な喧伝であろう。中東諸国と共にテロ対策をするべきであり侵略してはならない。
 国連常任理事国の制度も日本やその他の圧倒的多数の国々に不利なままだから、日本の呼びかけで常任理事国制度を無くすのが最も世界共和的な筋書きだ。旧連合国のうち、米英仏露中の不正な国連支配体制は打ち砕いていかねばならない。

立憲枝野氏による比例代表区の統一名簿拒否は、他の野党を支持する有権者の利益をなおざりにする寡頭政の意図か

単純に私には分からないので肯定・否定する前提なく聞くのですが、「比例区の統一名簿拒否」が、自公政権を倒す為に最も有効な手段になる理由はなんですか?
 思うに、立憲支持者らの中には、他の政党との差異化(差別化)をはっきりすることが、結果的により理想的な政治を実現する方法だ、と考えている人がいる様に見えます。他方で、ある学者の方が比例区の計算から、統一候補を出すと立憲以外の野党に有利なので立憲単独議席増には拒否すべきといっていた。他の野党に有利な政策を拒否する、というのは、上述の寡頭政の態度であって、他党を支持している「国民全体」の利益をなおざりにするに過ぎないから間違った考えと私にはいえます。他党との差異化をはっきりする必要がある、というのが、比例区の統一名簿を拒否する合理性として残る可能性だと思うのですが、比例統一名簿を肯定したとしても、自民党支持者からいずれかの野党により多く票が流れるだけなので、立憲党の独自性は薄れないと私は思いますけど。
 私もこのモーメント(「枝野代表はなぜ政党の離合集散を頑なまでに拒否するのか? 」)見ました。リンク先のこの枝野氏の講演(2018年11月25日、成蹊大学政治学研究会主催講演会)も全編聴きました。それで以下の様に考えました。まとめると、「(小選挙区で)枝野氏か安倍氏かで選べといわれると、国民は実績のある安倍氏を選んでしまう。無理筋だ」と感じました。枝野氏の講演中、「一旦作った政党を再編・合併などを繰り返すと、国民側が混乱して、安心して政権を任せようと思えなくなる」という趣旨の部分は、一理あるとは思いましたが、ただ日本政治の過去の実績からいうと、自社さ連立政権・鳩山連立政権など必ずしも二大政党的ではない政権交代もありました。細川内閣の方がよいたとえだったかもしれません。自民党以外の政党はわりと柔軟に再編を繰り返しながら、しばしばあるいはまれに政権を担ったことがある、という話です。細川内閣(日本新党・日本社会党・新生党・公明党・民社党・新党さきがけ・社会民主連合・民主改革連合)、羽田内閣(新生党・公明党・日本新党・自由党・民社党・社民連合・改革の会)、村山内閣(日本社会党・自民党・新党さきがけ・(自由連合))、第1次橋本内閣(自民党・社民党・新党さきがけ )、鳩山由紀夫内閣(民主党・社会民主党・国民新党)、菅内閣・野田内閣(民主党・国民新党 )などです。
 それでこのモーメントにある講演中では、私が読んだ範囲では比例区統一名簿についての枝野氏の意見は、「連立政権を否定しない」「但し立憲と他党の統合・再編はしない」というものの様である。つまり、比例区統一名簿を拒否する理由にはなっていないと思います。

日本の地方によっては女性ひいき・男性差別の方が激しい

一体何が日本男性を自殺においつめ、日本女性を世界一幸福度が高い状態にしているかは、社会学的な検証が必要と思う。
 あなたはなぜ家父長制度がその原因という仮説をもっているのですか? 少なくともその制度は、東京圏や首都圏では殆どが独身世帯や核家族の共働き世帯で、ほぼ消滅済みと思う。
「男尊女卑の社会」というのは、私は見たことがないのだけど、うわさに聞くところでは九州圏や山口県はまだその様な文化が残っているらしい。少なくとも首都圏界隈で生活していると、日常で女性がとてもひいきされている場面は見るけど、男性が女性より優先されている場面というのは見たことがない。「日本」という単位で一緒くたにしていると詳しく真実が見えないのであり、北海道・東北・関東・中部・関西・中国・四国・九州・沖縄という地方分類とか、都道府県単位でより細かく見ないと、むしろ過度に女性優先なことがある関東や関西、男尊女卑が残っている中国や九州といった違いを見落とすのでは。
 男女平等という話でいえば、私は0歳から主に首都圏で生きてきて、男女差別を1度も見たことがない。逆に女性は生まれつきひいきされて親・教師・上司に可愛がられていましたが、男性は男性というだけで頭ごなしに蔑視され、きつい仕事をおしつけられたり、何より体罰の様なことを受けていました。男性差別・女性ひいきは東京や茨城で私が繰り返し経験した話ですが、京都の話を聞くと、しばしばこの傾向はもっと激しいと分かりました。京都市内で生まれ育った或る公務員の方の話では、平安朝の文化がいまだに残存していて女性が最も権力を持っていて、男達を裏から操っていると聞きました。
 男女同権が確立されている首都圏でも、不当な男女差別(それは首都圏文化では、主に男性差別・女性ひいきとして現れています)が公然と行われていますので、男女の扱いを建前上、機会平等にしたとしても、希少価値や伝統などの面で女性の方が優遇される結果不平等が当然のよう出てきます。都道府県別の20〜30代男女比(国勢調査、2015)をみると、首都圏(特に北部)は男性比が最も高く、九州圏は女性比が最も高いことが読み取れます。いいかえれば単なる希少価値という意味で、結果の不平等として、首都圏で女性ひいきが生まれ九州圏で男性ひいきが生まれるのはある意味自然な現象ともいえます。首都圏で女性ひいき(とその裏面にある男性差別)がはっきり存在しているということは、少なくとも私が0歳からそこで生まれ育った経験としてはいえます。ただでさえ先進国で自殺率が韓国に次いで高い日本(自殺率の国際比較、World Health Statistics 2017)で、女性の2倍以上も自殺し易く(警察統計、2017、24ページグラフ)、常に弱い立場に置かれ差別を受ける男性を冷遇すべきではありません。
 私は首都圏出身の或る主夫の方が、タイ女性と結婚しタイに移民したのを知っています。その男性は文学を好み会社員が合わず、自ら主夫を選ぶほど心が柔和な人物で、育児を好みます。結婚相手の女性は会社で働くのを好む様なタイプなのでそうしたといっていました。中世的な性差は時代遅れの偏見です。

40年の寿命を過ぎた東海第二原発の廃炉を

茨城県民は東京都の日本原電という会社から、東海第二原発という寿命を過ぎた原発の再稼動をおしつけられています。すぐ隣で福島原発事故が起き、再び大地震や大津波が予想されているのにです。
 東京のテレビ局に原発公害のおしつけは都合がいいのかもしれませんが、我々の声も全国に届けて下さい。
 現実的にいって、老朽化した寿命を過ぎている旧型原発から停止していき、最新型のを最後にとめることになるのだし、自公ら原発推進派より一歩も二歩も原則40年過ぎてる東海第二の廃炉に進んでるのだから、自由党と国民民主党の合意はいいに決まってる。なんでも全か無かで考えるのは知能が低いだけの話だ。

善党はできるだけ全ての党との合意を議会でとりつける

他の野党だけで組めば立憲民主党がなくなると考える理由はなんですか? 「選挙で何度も政権与党になれなかったほど立憲の勢力がこれまで弱かった」という事実と、「他の野党だけで連立すれば良い」ということ、そして「他の野党だけで組めば立憲民主党はなくなるのではないか」というあなたの推測は、どの様に論理的な関連性があるのですか? 後2つは同意できませんが。
「立憲の勢力は第二党ではあるから、政権与党にはなれなかったものの、政権交代を望む人々が頼らざるを得ないほどには十分ある」「枝野立憲の党是へ無批判に従属しない者(異なる意見をする者)は立憲と選挙等協力は不必要(第二党が次期政権与党になる資格があるから)」と仰りたいのでしょうか?
 自党の利益を、他党支持者を含む国民全体の利益より優先する、という現状の枝野立憲党の態度は、少なくとも寡頭政という面で安倍自民党と変わらない。自分にいえるのは、立憲はできるだけ多くの野党と全面的に選挙協力し、自公から移ってくる支持者も受け入れるべきということですよ。政治は公務員全般が憲法に規定されている通り、国民全体への奉仕として行われるべきですから、自民党支持者や立憲党支持者だけの利益を代表し、他党支持者らの利益を無視してはならないのです。できるだけ多くの政党と協力し、各党に代理される全国民の意見をとりいれる。それが善党といえるのです。
 全党と共通項目の合意をとりつけるのは中々骨の折れる作業で、そのために国会という議会政治が開かれている。おわかりでしょうか? 寡頭政(少数利益を全体利益に優先する堕落した少数支配の政体)の肯定は、国民全体の意見の相違を反映した各政党や、その政党間で議会を開く意味を理解していない。

多数派に受ける表現を追求すると尖れない

商業芸術や大衆芸術が最大公約数的な平凡さに落ち着いて、前衛性を無くす理由は一般に反応され易い表現に収束進化してしまうからだろう。消費者の大金は集められても芸術の進歩にとって、この方向性は恐らく有害な面を含んでいる。

安倍自民党と枝野立憲党は寡頭政を執る堕落した政党

寡頭政かとうせいという言葉は、国民全体の利益でなく少数者(自党)の利益を優先する、堕落した少数支配のことです(アリストテレス『政治学』の定義)。それとは違って正しい多数政・国政は、できるだけ多数の政党・議員が代理する全国民の利益を、できるだけ多く汲み上げることによるのです。
 自党の利益を優先し、他党を支持する全国民の利益を(野合など意味不明な俗語で非難し)なおざりにするというのは、まさに寡頭政というべき状態で、少数者の利益しか代理していない政治ということになります。それは堕落しているというのが、アリストテレス以後、政治学が寡頭政についていえることです。
 なお少数政党や少数意見をなおざりにする、という寡頭政というべき態度は、枝野立憲党だけでなく安倍自民党にも見られる態度ですから、この両者は国民全体の利益より、少数者であるところの自党の利益を優先していて、堕落した政党なのです。

天皇の不正を防ぐには政教分離を完遂し皇室を民間人化する必要がある

自由党の支持率が低いのは天皇による冤罪事件が尾を引いていて、日本人全般が宮内記者会を通じた天皇発の洗脳に極めて弱いという、政教一致の弱点が明白に示されているから、といえるでしょうね。マスコミの扇動で簡単に疑獄をしてしまう、という極めて扇情に弱い衆愚的な性質もある国民性です。
 習近平氏と今上天皇の公的接受を鳩山内閣が要請したら、国民主権をなおざりに驕りたかぶる天皇が宮内庁・宮内記者会を通じ鳩山内閣や国民主権をかばう小沢一郎氏らに濡れ衣を着せ始め、東京地検まで連動して大疑獄事件をやった後遺症が、国民全体の小沢氏や鳩山氏への大いなる中傷として現れている。この件について天皇が大罪人であることはいうまでもないが、鳩山内閣や小沢氏へ濡れ衣を着せ名誉や地位を辱めてきた日本国民の大部分の罪も、現代史の必須項目として特筆すべきでしょう。
 将来的には他の先進国のよう政教分離を完遂し、神道教祖としての天皇を政府から外に出し、民間人化する必要があるでしょう。宗教心と混同された政治が、この件のよう教祖である天皇の不正を国民全体へおしつけてしまうのが明らかだからです。

政権交代文化は一党支配の腐敗を防ぐ為にある

人は自分の市町村・都道府県・国の政治に参加するから、私はその自分の参政権のあった範囲で最低2度は立憲が多数議席をとれなかった事態に直面したけど。他の市町村・都道府県の様子を含めると、立憲は数度以上、多数議席を獲得できていないのでしょ。で立憲支持者の一部は議席増で勝利としている。
 ただ勝敗の定義が人によって違う様だし、議席増なら勝利という定義・解釈が「普通」といっている立憲支持者の一部の人の声が大きいのもあるから、厳密に議論しようとすると定義自体からはっきり合意を取らないといけないし、その様な精密な作業を長い時間をかけてやる様な討論参加者の雰囲気ではない。結局、立憲支持者らの一部は、立憲の議席増が彼らに有利ならそれを勝利と主観的に解釈したがっているし、幾ら多数議席を占めていないと指摘してみてもそれは問題にならない、と譲歩しないから、国政・県政・市政などを含めこれ以上この勝敗の定義・解釈を議論しても平行線と思われる。
 元の議論の本筋は、「政権交代を繰り返す文化の是非」で、小沢氏は他先進国同様その文化が新陳代謝の為に必要不可欠という立場だが、某氏は(立憲の)長期政権維持の方が有益という立場と思われる。思うに、某氏は小沢氏を支持する人を非難したい様でもあり、この政権交代を繰り返す文化もあまり望ましいと思っていない。かつ立憲の議席増を勝利とするのが「普通」と考えてもいるから、政権交代文化を前提とする小沢氏の考えと遠い。
 まあ私は全知でないから全国全ての市町村・都道府県の議会の構成員の割合まで全然知らない。だから自県や自国を除いて立憲の議席数がどの程度それらで増大したかも余り知らない。
 ただいえるのは、政権交代文化を否定するのは一党支配の腐敗政治を容認しているので、公益に反しおよそ賢明ではない。

平成日本人全般は政教分離ができていない

何らかの政党党首なり議員を信仰しているか、その種の個人崇拝が自分の信じる教祖ではなかったときに非難する(某(議員名)信者を誹謗する)というのが、一部の政論の中に見られる態度だ。この様な態度をとる人達は公僕を公費で使用している自覚がないと思われる。主権者でなく宗教信者なのだ。
 政教分離の原則が日本人全般の中でほぼ無自覚で、現に神道教祖の天皇を象徴といってまつりあげているので、同じことを議員に対してもしている人がいる様だその種の狂信的な議員崇拝者らに、先進国で普通の政論をもちかけても、教祖である議員(や天皇皇族)への妄信を否定されたと思い発狂してしまう。政論をせず個人崇拝を非難している人は、恐らく当人もいずれかの議員か天皇皇族を崇拝しているので、他人の信じる教祖が違うという妄想から、発狂に似た狂乱的態度を示すのだろう。現実には政教分離を理解している人(先進国で普通教育以上を受けた知能の人)は、何らかの公共の政論をしているだけだ。
 議員が何らかの公知公徳をもって公共の問題を解決するという有能さに期待し、その人に投票し政界で自分の代理をしてもらうのが公僕というものなのだから、相手を使う立場の者(国民)が被雇用者を信仰などするべきではない。その被雇用者である議員が不正したら首にし、無能なら別の者に頼むだけだ。全公務員や天皇皇族も、国民が雇う公僕である。天皇皇族への個人崇拝者は神道への信仰と混同し、天皇は象徴の地位という憲法の規定によって皇室は公僕でない、と考えるかもしれないが、主権が国民にあるとも明記されているのだから、彼らは国民政府が雇う特別公務員の一種と考えるべきだ。

枝野改憲案(自衛隊を明記し海外派兵を禁じるが国連軍との国際平和維持活動は恐らく容認)は議論の余地がある

仮初にも国民全体から自らの糧を得ていながら、国民全体を救うことより、自分の党の利益を優先する寡頭政精神というのは本当に恥ずべき堕落した精神であり、この点で枝野幸男氏もその支持者らも完全に反国家的存在というべきだ。その種の悪徳の持ち主達がひとかけらも信用に足らないのも疑う余地がない。自民党は仮にも多数政党だから寡頭政に走ってもまだ民意の多数を占めているという大義名分があるが(勿論、本来の貴族政としての少数意見の尊重がはるかに望ましいにせよ)、枝野立憲党は少数政党でありながら寡頭政に走るとは、より卑小な支持者達でありより卑小な党派だという他ないな。
 国民全体の利益より少数者の利益を優先することを寡頭政(かとうせい、英語でoligarchy)といい、堕落した少数者支配の政体だとアリストテレス『政治学』で定義されている。他党支持者含む全国民の利益より、自らが党首な自党の利益を優先するのは、党首が独裁的な寡頭政というべきだ。枝野立憲党の党是はこの独裁的な寡頭政と言え、党首のみならず支持者らの一部も党首の理念に同意できない者と協力できない等といい、他党(全国民)の利益を鑑みず自党の利益を優先する。しかも党首の独裁権をファシズム(fascism、結束主義。ここでは排他的絶対政治を目指す考え)的に強化したがる。枝野幸男氏は「理念の違う人々と協力したのが旧民主党の失敗の原因だ」と分析しているらしく、この種の独裁的寡頭政を自らが結束党首として執れば、よりよい政権運営ができる、と考えたらしい。しかも支持者らの一部の通説として、長期政権の方が望ましいと考えている様だ。
 自民党の場合もそうだが、寡頭政が延長されるだけでも国民全体には不利益である。さらに排他的な結束主義を独裁的に執ろうとするのは、単なる党内でも党首の誤りを修正できなくなり、各党員や彼らを指示する各有権者の多様な意見を反映できないので、これまで歴史的に失敗してきた手法というべきだ。また、少数政党との(比例代表選等での)協力を拒否するのは、延いては多数政の元での議会政治本来の意味である少数意見の尊重(少数政党からも意見をとりいれ国民全体の利益をできるだけ政治に反映しようという考え)を軽視していると言える。他党の利益も、国民の意見としてできるだけ尊重が必要だ。
 現状の安倍政権は、誠実に国政を執るより、できるだけ政権を延長させることの方が優先されてるからこういう判断になるのだろう。そしてNHK世論調査などで40%以上いる安倍内閣支持者らも、立憲民主党に政権交代するよりその方がましだ、と判断しているのだろう。結局それだけ立憲の政権担当力が低いと見なされ、安倍政権の不正が見逃される。そして立憲の現状で政権を担うとより悪政になりかねないのが事実でもある。人材が足りないのだ。先ず自由党と国民民主党を合併して共和党とし、鳩山由紀夫氏を再び主要員に加えたり、また全く新しく年齢や立場を問わず民間から有志を募るべきだ。これまで政界に吹かなかった風を呼び込むしかない。
 枝野ファシズム下の立憲党瓦解を見越し、将来的に立憲を共和党に統合する予定で動くべきだ。
 枝野氏は『文芸春秋』2013年10月号「憲法九条 私ならこう変える 改憲私案発表」やその後の説明で、自衛隊の海外派兵を禁じることを明文化する改憲を容認している様だ。そして安倍氏や自民党の安保法制は違憲だといっている。この意見は正しい。自身の政治思想を行政府の中で実現する為、立憲党主となったことで寡頭政を志向する、という野望はいずれ真意を見抜いた国民らから打ち砕かれるだろうから、枝野氏の改憲案の是非のみに議論を集中させるべきだろう。
 2017年10月23日放送の日本テレビ系「スッキリ」で、枝野氏は現状では安保法制は違憲といっており、2017年10月5日中日新聞のインタビューで「現状の安保法制下での自衛隊明記は違憲の追認なので容認できない。現状の安保法制は一部合憲」といっている。
彼の改憲論は回りくどくて分かりづらい。まとめると、
1.現状の安保法制は一部が合憲、一部が違憲
2.現状の安保法制下での自衛隊の憲法明記は違憲
3.集団自衛権を否定する独自の自衛隊の憲法明記案をもっている(2017年11月5日、12月2日ツイッター上の発言)
枝野氏の現状の改憲案は個別自衛権のみに自衛隊の活動を限定する明文化を主な目的とするもの(『文芸春秋』2013年10月号の、国連平和維持活動での集団自衛権行使を容認していた私案を2017年12月2日に日本経済新聞(電子版)上で撤回)と思われるが、未だ明白でない。争点にすると不都合なのだろうか。
 これまでの枝野氏の改憲論の変遷をかえりみると、恐らく、現時点では個別自衛権を容認する自衛隊明記案をもっていると予想される。国連平和維持活動に際しての集団自衛権の行使については私案の撤回後、現状の安保法制下では否認するものの、明言は避けていても究極的には容認していると思われる。しんぶん赤旗で中祖寅一氏が2013年9月10日に指摘している「枝野私案は、9条2項(戦力不保持、交戦権の否定)で禁じられてきた国連軍参加、集団自衛権行使、海外での武力行使を容認する中身」という点は、私案撤回後の枝野氏の言説をみると、国連軍参加についてだけはまだ有効な批判ではないか。枝野改憲論の究極的な是非は、国連軍への自衛隊参加を憲法上に明記し国民が容認するべきか、ということになる。枝野氏は集団自衛権をこの領分に限ってはっきり否定していない。今の安保法制下では、という前置きで言葉を濁している。では違う安保法制下では国連軍参加を自衛隊にさせるのか?
 (当節は枝野幸男氏のツイッターアカウント立憲民主党のツイッターアカウントへ)立憲党首の枝野さんにお聞きしたい。国連軍への自衛隊参加を憲法上に明記し、この点では集団自衛権行使を容認するのですか? 枝野さんの私案撤回後の言説を辿っていったのですが、この点がはっきりしなかったので是非教えて下さい。追記:「現状と違う安保法制下」を含めて、お考えをぜひ教えて下さい。
 交戦権の否定として、多国籍軍(国連軍含む)との集団自衛権の行使を否定する、というのがこれまでの憲法観だったのだから、イラク戦争に自衛隊を参加させた小泉氏や、米軍との共謀を容認する安倍氏の安保法制の運用は違憲だといえると思うが、野放しの彼らの様な人を裁く法律が必要だろう。

※このブログURLは2019年6月8日に
https://yuusukesuzuki.blogspot.com/
へ変更されます。