2019/02/10

慈愛の欺瞞と次善

この世で毒にも薬にもならないばかというのは、なぜ生きているのだろう。なにかの数合わせなのか? そういう連中が他人のブログに、全く愚にもつかないコメントを残しているのをみると、一体この人達はなぜ生きているのだろうと真剣に思う。しかも無数にそういう人がいるのだ、目には見えないだけで。
 慈愛と呼ばれる性質は、まったく欺瞞的だ。一体人がどれだけの細菌を日常的に殺しているのか? うがいせずにくらせるのか? それと同じことは人についても実はいえるのであり、都会人は情報の入らない田舎に公害をおしつけ平気で搾取自慢している。勿論その種の都会人の破滅にも同情の余地などない。
 自分の私的鬱憤晴らしに政治闘争を外野席から罵倒している連中。この人達も完全に反省力がない。彼らは政治家の給与を払って、三文芝居をみせられているだけなのに。
 尤も私利だけを目当てに租税回避地や山奥に移住した人を眺めている限り、その種の逃亡が人類の進歩に逆行しているのも確かだ。
 民衆に反省力があれば、一度正論をきけば道に悟るだろう。だから説教や説法をくり返したところで全く意味はもっていない。無駄なのだ。私は嘗て同じことを試したが、結局、その場の民衆は昼夜を徹した私の説法を何も憶えてはいなかった。しかも彼らが例外ではない。愚民の現実に悟らねばならない。
 慈悲が生命の保全、特に苦痛の軽減につながるのは分かっているし、寧ろ慈悲心の強さがその人の善良さの最大の面だろうから、この全生命に向けた仏教的理念が最高善に近いものなのも知っているが、それでも微生物界に対してはまるで意味をなしていないといえる。ピーター・シンガーとブッダは微生物や植物の苦痛をへらせるのか? 有機体の苦痛をどう定義しているのか? 原核生物をどう扱うのか? 腸内細菌や生殖細胞にも苦痛があるなら?

※このブログURLは2019年6月8日に
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