2019/02/13

ツイッター上のブロック姿勢についての分類

ツイッター上で異見をブロックする人達って、同調に価値をみいだしているわけだから、孔子のいう「同じて和せずの小人」ではあるんだろうけど、一体その人達は同調の何に価値があると思っているのだろう? コピー的な自見を複数眺めてなんの意味がある?
 以前ある知り合いが「セロトニン・トランスポーター不足の脳遺伝子が多い日本人全般が無意味に同調を求め群れるのは、生得的な不安を解消する為」といった説を唱えていた。ツイッター上でブロック癖がある人も、これと同じ症状というか脳内現象があるかもしれない。文化依存症候群の様な面もある。
 自他の意見が違って当たり前という世界常識から大変ずれていて、自他の意見がほぼ同じでなければすぐブロックし、排他的集団内で確証バイアスの強化に取り組む。政治的にはファシストのやっていたことで、ある種の宗派が排他性をもっているとき似たことをする。しかし日本人の一部にも似た症状がある。自分の意見(自見)の無謬性を信じているとしたらその人が暗愚なのは明らかだし、仮に他人の意見(他見)になんらかの優れた点があっても排除してしまえばそれ以上、自見をよりよく修正できない。異なる意見(異見)の中で最善のものから常に学ぶしか、自見の修正可能性は先ずないほどだ。異見の排除は視野を狭くし、自らの妄想や思い込みを正す機会をへらしてしまう。
 以前これについて「卑俗な情報を避けつつ反証的情報をとりこむこと」という小論を書いた。単に卑俗なだけの情報を好んでみてとる必要はないが、自見に対して反証性がある情報は全て有益である。我々が驚くのは、世間的に高学歴と自称している様な人達が、進んで異見の排除をしていたり、反証的情報の持ち主を簡単にブロックしているからなのだろう。その種の人達が三流の知識人、つまりは学者として凡愚なのはこれまで分析した範囲からはほぼ確かだろう。進んで卑俗なアカウントをフォローしなければその種の有害情報が頻繁に投げ込まれることも多分ないだろうし、有名人はもしかするとそれが驚くほど多いのかもしれないが、少なくとも一々ブロックしていたらとても手間が足りないはずだ。つまりカジュアル・ブロッカーは無能か適度に無名どちらかとなる。同調主義者はカジュアル・ブロッカー(異見の人を簡単にブロックする人)をさらに強化した類型で、自見への同調者が多いほど満足し、かつそもそも向上心や向学心、科学精神をもっていない。だから彼らは異見をすぐブロックするだけでなくイエスマンや、自分と似た意見の人達をひたすら探している。同調主義者たちが科学的知性という意味では最低級の分類なのは明らかで、そもそも彼らはポスト真実とか嘘、ただの迷信でも見た目の同調者が多ければそちらを真理より採用しがちの人達ではないか。アッシュの同調実験で75%の人が1度以上サクラに同調し、同調確率は約33%だったとされている。恐らく同調主義者達の正体は、この種の同調圧力に通常より弱い人達であって、しかも元々のIQが低いため偏見に陥り易い等なんらかの理由で異見の多様性に寛容さをもちづらい人達かもしれない。これらに加えセロトニン不足の傾向も脳自体にあるのかもしれない。
 大まかにブロック界を分類すると次の様な種類がみつかる。異見への寛容さの高い順に

非ブロッカー(寛容主義者)>下品系アカウント限定ブロッカー(上品主義者)>カジュアル・ブロッカー(排他主義者)>同調主義者

寛容主義者>上品主義者>排他主義者>同調主義者

このうち非ブロッカーが下品な表現も避けていない点が気になる。それは正しいのか?
 確かにどうしようもないほど下品なアカウントというのはあって、その下品さという認知が自分の思い込みかもしれないと思ってしばらく眺めてみるが、遂に耐えられなくなって縁を遠ざける、ということはツイッターにはよくあると思う。非ブロック原則は無視によってブロックの手間を避ける。無視よりブロックの方が認知費用がかからない時、この下品系ブロック(できたら相手側に気づかれないミュート)が有益だ。それは下品さが明白で、また無視するまでもないほど内容が有害な時に当てはまると思う。自分でその種の基準を決める必要があるが、相手の悪意が明らかな時がそれなのではないか。
 茂木健一郎氏は「荒らしの情報」を手にする為、ブロックせずに泳がせるとブログで述べていた。自分の経験上、この種の情報にもきりがない。おぞましい卑しさを見ずに済ませられないのは精神の健康にとって望ましくない。そもそも下品さとは何か、仏教語としては愚かさのことだ。結局、致命的な危険のあるアカウント(犯罪を意図的に犯している)とか、悪徳的であることが明らかな悪意のアカウント(炎上商法をしている)等は、慎重に検討し目に触れない様にしたほうが、認知費用が安く済む様に、自分は思うが。無視とどちらが高くつくかは総合的判断によっているだろう。
 自分は他SNS等での荒らしに対する実験で、ミュートの有益性を十分に知っているのでこの様にいうのだが、荒らし一般はサイコパスや嗜虐趣味なので完全無視によって最もよく撃退できる。しかしその間、こちらは暴言の被害を受け続ける。ミュートは最初からこの認知費用を0にできるのだ。また自分は他SNSでの経験で、ゼロ耐性がかなり有効だということも知っている。どうしてもつきあう必要がなければ、明らかに自分へ悪意あるふるまいをするアカウントには一発でミュート判定をしても問題は起きない。その種の人はいずれ似たことをするものだし、善良な人はその種の悪意をもっていない。
 ツイッターでもミュートが無視より楽に荒らしを撃退できるかどうかは、まだ実験途中なのではっきりとはしていない。が、自分の今の意見では、認知には費用がかかるから、日々の無視費もばかにならない。よって相手の悪意がはっきりした時点でミュートすればより簡単に認知費用を削減できると思う。完全な荒らしでない者(が少なくとも悪意を嘗て1度以上示した者)を誤ってミュートしてしまう場合があるので、どうしても必要ならミュートを解除して再びそのアカウントのふるまいを確認すればよい。その相手を見間違えていたという場合も、自分は先ず慎重に見るのでまれだろうが、あるかもしれない。
 ここまで書いてきてわかったが、恐らく同調主義者たちは悪意と単なる異見を誤認しやすいのではないだろうか。両者を見分けるにはかなりの共感知能が必要だ。
 悪意あるふるまいをするアカウントの行動を追跡するということが真に、その一発ミュートより合理的かについては今後も研究したい。