2019/02/05

鈍感な人は他人の悪意を平気で眺めている

茂木健一郎氏のツイートに宛てて。内容の大意は、茂木氏が堀江貴文氏と対談した。その場で堀江氏は、ツイッター上で堀江氏がだれもブロックしないのは、ブロックが「情報の鎖国」と一緒だからと述べた。これをきいた茂木氏は、彼もブロックしない派なこともあわせ「ホリエモンは世間が思っている以上に本当に立派だなと思った」という)
鈍感な人は傷つきづらい。
 きっと生まれつき神経が鈍感にできている人は、一体、生まれつき繊細な心のもちぬしが、他人の悪意でどれだけ傷ついて生きているか、想像もついていないんだろう。自分の経験上は、悪意ある他人と接するのは毎秒内臓をカミソリで激しくえぐられているのと同じくらい痛みを感じる。
 HSPについて調べてみて欲しい。他人の悪意に対する鈍感さは、立派さとは何の関係もない。ただの神経のでき方だ。
 堀江氏も茂木氏も、テレビ芸能人をやっていたくらいだし、どうみても鈍感なタイプだ。だから私達みたいに生まれつき繊細な魂をもった人達が、他人の誹謗や悪意にどれだけ苦痛や苦難をおぼえているか、全然感じないんだろう。
 鈍感さと「情報の開国・鎖国」は殆ど何の関係もない。茂木氏はこれについて、堀江氏の表面的な口舌をうのみに、完全に誤解していると思う。生態が恒常性のある情報機関だとすると、情報の新陳代謝はその人の神経系にどういう影響をもたらすかで決まっている。鈍感なら悪意も平気で見れるんだろう。
 だが生まれつき繊細な人、特に共感能力もとても高い人は、他人がひどい目にあっているのを見るだけで自分自身の魂がけがされたと感じたり、不安や義憤で眠れなくなったり、最悪の場合は失神することさえある。それは異常なのではなく生まれつきそうなのだ。茂木氏や堀江氏はそういう心の持ち主として生まれていないだけなのだ。
  もう少し詳細に考える。ツイッター上のブロックは、一般に情報の遮断が目的ではない。悪意ある人の嫌がらせを避けたり、心無い誹謗とか犯罪じみた行為を無用に眺めないために使われている。
 これはツイッターのルール違反をしている人を通報してみると、あとに「ブロック」「ミュート」がついているのでもわかる。
 ところがここで茂木氏はなぜか文脈をよみちがえている。わざとなのか、当人が気づいていないか。
 しかも「情報の鎖国」と言う。国内外に大量虐殺のテロ戦争をもたらした死の商人坂本龍馬好きの九州系血統を持つ茂木氏が、同じ九州系血統をもつ堀江氏のもちいた、幕府への悪意を持つ意味で使われている鎖国という、現在では日本史的に否定されている明治用語を援用し、ブロックの意味を語っている。
 いいかえれば、悪意ある人と、単なる異なる意見に過ぎない情報の遮断を、茂木氏はとりちがえている。堀江氏の方も多分だがそうなのかもしれない。この2名の個性をある程度しっている人達なら、特に堀江氏の方は他人の毀誉褒貶にさらされてきたのでもう慣れっこになっているのでは? とおもうだろう。
 九州地方の大部分を含む西軍が、江戸幕府へテロ戦争をしかけたが、欧米列強の傀儡戦争を経ての植民地化を危惧した最後の将軍の英断によって、致命的東西決戦以前に将軍職が禅譲され、結果として西軍は元将軍への濡れ衣を行った。
 この冤罪を雪ぐのが当然と奮い立った奥羽越列藩同盟へ西軍は各地で内乱をしかけた。このとき使われていた西軍の武器は、坂本龍馬がスコットランド商人グラバーから買い入れたものだった。これが史実だ。そして「鎖国」というものは出島や日本町、朝鮮通信使の存在で今日否定されている。
 この鎖国という言葉は、茂木氏がしばしば称揚する西軍によるテロ政権というべき明治政府が、徳川幕府を貶めるために捏造した概念だったのではなかったか。なぜなら江戸時代当時から抜け荷と呼ばれる海外貿易をしていたのが、茂木氏のルーツの一端がある当の九州の人、鹿児島県人だったのだから。
 なぜ「鎖国」という、学問的に誤りとされもう使われなくなった言葉をわざわざ堀江氏や茂木氏が比喩のなかで引用しているかというと、彼らが上述の九州勢が嘗て不当に国内侵略したことを美化あるいは肯定しているのは恐らくいうまでもないが、単純に悪意ある人と雑音を見分けるほど繊細ではないのだ。
 僕は彼らとは全然性格が違ってとっても繊細な神経をもって生まれてきたのでよくわかるのだが、悪意ある人の罵詈雑言と、反対意見を含む意見の多様性(しばしば単なる雑音でもあるが、自己の意見や思い込みより正しい場合もある)とは、全然違う。なぜ両者を見分けられないのか。
 そして悪意ある人が一見論理的なふりをして詭弁を弄し、嫌がらせをしてくるという場面もネットにはよくある。これについて臆断するのが早計だとしても、少なくとも相手が荒らしと分かった時点で情報を遮断しても、それは神経系を一々無駄に働かせない為に有益だといえる。
「情報の鎖国」を避けてブロックを一々しないと語る堀江氏を、「立派な人」だと、茂木氏は思ったという。ここで私のある逸話を話そう。
 私は嘗てYouTube上で東浩紀氏のゲンロンでのライブ動画をみていた。彼は私がチャンネルをつけてからずっと、何かの本にサインをしていた。
 彼の仕事は批評家だ。そこで私は直観した。この人は自分が理想の批評史をつくるために、他人がやったほうがいいような雑事に時間を無駄に取られている様だと。そして周りのスタッフとおぼわしき人も、それに気づいておらず、逆に東氏を励ましてさえいるようだった。
 私は妹島和世氏の事務所でしごとを手伝わせてもらっていたとき、妹島氏が飲んだコーヒーカップをもって私の立っていたほうに歩いてこられたので、「僕が片付けましょうか?」といった。すると妹島氏は少し驚いた様な表情をしてから「いいです。私がやります」といって、自分で洗いにいってしまった。
 これと同じ感覚で居た私は、東氏が本来の仕事にもどれるよう「批評しろ」とYouTube上に表示されていたチャットに書き込んだ。すると東浩紀氏はちらちらそれを見ていたようであったのだが、突然「BANしてくれる?」といって私のアカウントがゲンロンチャンネルに表示されないようブロックしてしまった。
 批評しろ、というのはそのとき最小の言葉でいうべき意味を伝えるために使った表現だったし、Do criticという英語を脳内で訳していったことなので、まあそのチャットは長文なんて打ち込めないのでそうなってしまったんだが、今でも正論と思っている。言い方を回りくどくすると読まれないかもしれない。
 ただ彼はブロック癖もあることだし、多分、あまりにもはっきり言われたので失礼だと思って削除してしまったのだろう。その後、年末になって彼は鬱的症状か何かを出して、スタッフ問題でゲンロンを解散するかの様な言説を述べていたので、やはりそうだったかと私は思った。
 話をもどすと、茂木氏がこの東氏らとしていた別の対談というかたぶん津田氏もその場にいた鼎談の中で、東氏が「(誰であれ気に入らないと)すぐブロックするよ」などという意味のことを言ったとき、茂木氏は軽く呆れた様な表情で「へえーそうなの」みたいな顔をしていたのを私は動画でみたことがある。
 別のところで茂木氏は「ブロックするのではなく認知的ミュートを行って、意味のない情報はスルーしたほうがいい」と述べていたし、なぜ茂木氏が今回、堀江氏を「立派だ」と述べたかというと、この東氏との態度の違いに由来するある種のバイアスにその一端がある、というのが私の主観にみえることだ。
 私は茂木氏も堀江氏も東氏も、全員の名誉を守るつもりだし、誰の人格も最大限に尊重し、彼らの意見の違いや共通性についても認める。私がここでいいたいのは、ブロックや情報遮断の基準というもっと繊細で重要な認知的課題を、茂木氏は見なかったことにしまっているということだ。
 ブロックを含む情報遮断の基準は、茂木氏ら莫大なフォロワーがいる有名人と違って、一般市民は「悪意ある嫌がらせをする人」とか、「ストーカー」とか、いわゆる犯罪者の人達なのである。
 単にみているだけで不快になる様な嫌がらせを、やっている人はサイコパスだったりネットサディストだったりするのだが、荒らしは常駐的にやっている。そしてストーカーの場合は更にひどく、これを現実に及ぼしてくる。
 茂木氏は大雑把な堀江氏の「情報鎖国論」へ賛同の意を表することで、こういうとんでもないネット犯罪の被害にあって苦しんでいる人達にさえ、「誰のこともブロックしなくていいんじゃない?」というあまりに非現実的な立場を間接的に正当化してしまっている。
 確かにストーカー対策として完全無視が有効な場合もあるだろう。しかしその結果、実際に殺人されてしまったという例も既にある。
 科学がポパーのいうよう反証的過程なら、自己の偏見を省みる契機となる情報開国が有益なのはいうまでもないが、それと単なる悪意ある荒らしの放任理論を混同するのは、大いに公益にもとるというべきではないだろうか。
 荒らしの定義を恣意的にすると、単に批判者を消すという独裁者に成り下がってしまう。自分と馬があわなくて気に障る人だけならまだしも、現実に実害のある荒らしの中には犯罪をする者もいて、その人達を「情報開国」といって放置していると、ますます犯罪被害は広がっていくのだ。
 法的定義は厳密に必要だが、積極的に遮断しなければいけない類の情報というものもあるのだ。個人情報をさらしながらのストーカー犯罪。衝動的愉快犯である殺害予告。差別を目的にした名誉毀損の類。こういうものを積極的に「鎖国」するのが、立派な態度でないと、果たしていえるのだろうか?
 最後に一つ付け加えておきたいが、特に子供がいる家庭にとってこれは全然ひとごとではない。世間知の不足から自力で自己防衛の判断をできない幼児が、完全な「情報開国」に巻き込まれたらどうなるかは火を見るより明らかである。
 児童を対象にした、または児童間の情報世界として既にそういう現実がある、そしてそこではネット無法地帯としてありとあらゆる蛮行が日々繰り広げられているというのもまた知られざる真実だ。茂木氏は情報の範囲をあまりに自己中心に置きすぎているので、こういう事象を排除して考えすぎていると思う。

※このブログURLは2019年6月8日に
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