2019/02/13

天皇には世襲独裁政による侵略や搾取等の蛮政について日本人その他に謝罪の必要がある

今上天皇(平成天皇、明仁)いわく「桓武天皇の母は朝鮮の人と『続日本紀』に書いてあり、韓国とのゆかりを感じている」
 天皇が朝鮮人の末裔なのはこのことで陛下ご自身自認されていらせられる。もしなんらかの理由で朝鮮人(朝鮮民族)という分類の人々に謝罪する必要がないとしたら、一体誰が? 天皇という朝鮮人の末裔(現在では日本人と自称している)が誰かに謝罪する必要は、もし或る朝鮮人に誰かが謝罪する必要がないとしても、やはりあるのでは?
 勿論、人種・民族・国籍等での差別は単なる偏見からきた人権侵害なので、私はそれを根拠に誰かが誰かに謝罪の必要がないとは思わないが。
 天皇は神道教祖を兼ねた世襲皇帝という地位から、先住日本人を侵略し搾取し奴隷化してきたことが大化の改新以後、1400年近くに渡る日本史から明らかだが、その種の蛮行について日本人一般が天皇による謝罪を要求していないとしても、やはり天皇側には道義的責任がある様に私には思える。つまり、天皇が朝鮮人の末裔として、彼が先住あるいは奈良の外にいた渡来系日本人や、彼の先祖の郷里の一つにあたる韓国の人々へ、その他の彼自身の権限による帝国主義的侵略戦争下で、嘗て自らの権力を乱用し侵略等の暴政で殺め傷つけてきた人々やその子孫へ、謝罪する必要は私は道義的にあると思う。このことは天皇が朝鮮人の末裔としての血統を現にもっているか否かとは全く関係なく、彼には1400年近くに渡る日本・アジアその他への侵略史があるのだから、それについて歴史的反省が必要なのは事実だし、遡及処罰まではいかぬとしても、人道的な意味で彼の先祖の蛮行や、現今の独裁を謝罪すべきでは?
(ツイッター上での「李明博元大統領も天皇に謝罪要求したり、もし誰かが謝罪したとしたとしても、朝鮮人は結局ぶり返すだけなので百度謝っても同じ」との意見を受けて)
 謝罪は単なる謝罪であって、相手の譲歩を自分に有利なよう引き出すといったなんらかの手段では本来ないと思う。それは謝罪ではなくただの説得の技術というべきだろう。例えば閻魔の前で罪を軽減されるため謝罪してみせるといった演技をすれば、当然その罪はさらに重くなるだろう。
 天皇は罪悪感がない精神病質(サイコパス)で、謝罪する意味を相手へ許しを請う自身の良心の呵責への補償だと考える知能がない、と、あなたは仮定しているのかもしれないが、もしそうだとしたら、ますます天皇一族の罪を弁護する理由はないといえるのではないか?
 国民の象徴と憲法上に規定又は自称している人達が、単なる精神病質的な罪悪感を覚えない特殊な脳遺伝子の保有者だというのは、もしそれが真実であれば地位と現実に必要な判断の齟齬に極めて問題があることだし、もしそれが必ずしも真実でなければ、天皇を過度に精神病質視しすぎというべきではないか? 天皇一族が遺伝的に精神病質度が高いという意見には、確かにそう思える節は多分にあるので、可能性は十分にあると思う。原爆投下を見送って後に昭和天皇が仕方なかったと思っていると述べたことなど、良心の呵責を健常者と同様に感じていればにこやかにいえた義理ではなかったろう。
 恐らく、あなたは謝罪を相手の譲歩を引き出す説得の技術と捉え、一般人が使う懺悔という意味では用いていないのだろう。今回、韓国国会議長側の述べている謝罪とは、現実には懺悔を要求しているのであって、その種の政治的策謀を意図しているのではないと思うのだが。
 もう一つ、あなたのいっているのは「日本文化では罪は禊等の伝統的観念によると、謝罪(含む懺悔)によって祓われ清められ、罪が消えると考える」「しかし韓国側にこの種の文化観念はなく、謝罪(恐らく懺悔を含むもの)によっても罪が祓われたり、清められたり、消えたりしない」という比較文化では? もし謝罪・懺悔などの禊(みそぎ)的儀礼によって民衆の倫理観念の中に許しが生まれ、日本では再び共同体にこれまでと似たように参加できる、という一般論があるとしたら、これは決して全能のものではないでしょうね。前科のついた人へ、陰に陽に行われている社会的偏見が残るのを見るとよくわかる。
 私は韓国側の文化にはあまり詳しくないから、韓国側に禊的な許しの観念が全くないとも思えないけど、もしかすると本当にそういう面が少ないのかもしれない。であれば、天皇が韓国文化側、または日本含む侵略被害者側にとって本当に罪を許されるにはどうするべきだということなのか? もし天皇の精神病質度が十分低くて、自らが先祖共々1400年間近く日本周囲に侵略主義的な帝国を作ってきたことを含め、現状も国民全般を納税制度によって搾取し祭政一致的な封建君主の地位を維持している中世的な蛮行を反省できるなら、許されずとも謝罪や懺悔は最低でも必要な祈りではないかと思うが。
 まあよく考えると、天皇が本心から懺悔しているかどうかを確かめるすべは天皇以外の人からはないから、これは天皇自身の課題であって、我々一般日本国民が十分なしうる業ではない。表面的な謝罪を彼がするときが来ても、それが政治的策謀なのか、単なる反省なのか見分けもつかない。少なくとも、日韓両国民、或いは旧日帝の統治下に置かれていた諸国民全般は、天皇がこれまでアジア一帯にもたらしてきた侵略史を十分かつ相互に歴史学的・実証科学的検証の元で確認しつつ、天皇には今後も真摯に反省と謝罪を要求していくしかないと思う。一方で天皇自身が世襲独裁を自ら反省したり、象徴の地位を撤退するのはプロスペクト理論の見地からも難しいので、彼自身の利己的な精神病質性との戦いになるんだろう。それについて我々が思い悩むのは無意味だし、最終的に天皇自身の内面的な反省力によっているのだから、彼に懺悔を強制できない。