2019/02/04

芸術家という職業に対する平成日本人全員による人権侵害の告発

寝ずに全力で金儲けしても年に3万しか儲からないし、今年も去年もそこからブログ執筆の為の3000円の中古アイフォン4sと、生活費の足しになると思い株以外何も買っていないけど、生命維持のための食事代(元々少食なのであまり食べない。親に怒られる)で赤字になるので、私に金儲けの能力は全くない。
 だが、全力で努力しているのは確かだし、これ以上私に何もできないのもはっきりしているから、これで餓死したとしたらそれは私の責任ではないということに今気づいた。金儲けの才能がない人を餓死させる社会、つまり日本人全員の方に責任がある。私は大嫌いな金儲けも全力で努力し尽くしている。
 正確に言うと、2000円少々の貯金と、1つだけのある銘柄の株を数株と(時価総額20万円以下)と、ある銘柄の仮想通貨(時価総額15万円以下)しか私個人は何も資産をもっていない。これが全財産なので、私は相当清貧なのではないか?
 そんな私は、恐らく誰より仕事している。この20年くらい、土日も殆ど休まず勉強や仕事をしている。しかも自分の能力の限界までカネを儲けようと、金儲けが大嫌いだが嫌々ながらしている。が、そんな清貧な私を餓死させて平気でいるとしたら、それはもう日本国民全員が悪いのだろう。100%ね。
 謙遜抜きでいうと、私より仕事している人というのは地上に誰も居ないと断言できると思っている。なにせ僕は高校を出てから風邪で倒れた時を除けば1日も休まず、1秒も休まず、起きている間は懸命に全力で勉強と仕事を続けてきたのだ。それ以上は誰にもできないと思う。神に達しようと僕は努力してきた。
 商才が0以下でマイナスな人というのは現実に存在している。それが私だ。他人からカネを奪うとか、上前をはねるとか、原価以上の代金をとるとかいうのが、気持ち悪くてできないのだ。なんで自分の利益のために仕事しなきゃいけないのか? 全く意味がわからない。
 自分が芸術活動をしているのは、高校の授業で周りを見渡してみたとき、どうも自分が一番絵がうまくできそうだったからだ。恐らく。それでこの分野を極めれば、周りの人にとってよい絵を見れてよい影響もあるだろうし、天職ではないかと感じた。ある種の自己犠牲でもあるわけで、自分の利益の為にやっているのではない。
 自分が芸術活動をしているのは、高校の授業で周りを見渡してみたとき、どうも自分が一番絵がうまくできそうだったからだ。恐らく。それでこの分野を極めれば、周りの人にとってよい絵を見れてよい影響もあるだろうし、天職ではないかと感じた。ある種の自己犠牲でもあるわけで、自分の利益の為にやっているのではない。だから絵がたまたま売れてもその金を他人が持っていこうがどうでもいいとおもう。全く商売人と思考原理が違うのであり、生きる動機に、信用貨幣という有限の資源を自分が少しでも多く寡占しようみたいな汚い思いがないのだ。
 僕は高校3年のとき、そういう無私の思いで、深夜に学校に忍び込んでまで、ある絵を描いた。起きて常磐線にのって海から昇る朝日を眺めながら、だれもいない学校でその絵を描いて、授業中も上の空で小説を読み、放課後は真っ暗になって一番最後に当直の先生においだされるまでその絵を描いた。
 で、その絵は福島県の展覧会でなんかの賞を貰ったのだが、それ自体はああそうですかという感じだった。限界まで努力しても一番いい賞ではなかった様な気がした。恥ずかしがり屋なので、多少ともあれ人前に立つ授賞式がいやだった(今はもう出ない)。
 僕は高校2年から3年のとき、そういう無私の思いで、深夜に学校に忍び込んでまで、ある絵を描いた。起きて常磐線にのって海から昇る朝日を眺めながら、だれもいない学校でその絵を描いて、授業中も上の空で小説を読み、放課後は真っ暗になって一番最後に当直の先生においだされるまでその絵を描いた。
 で、その絵は福島県の展覧会でなんかの賞を貰ったのだが、それ自体はああそうですかという感じだった。限界まで努力しても一番いい賞ではなかった様な気がした。恥ずかしがり屋なので、多少ともあれ人前に立つ授賞式がいやだった(今はもう出ない)。
 それはいいとして、その後、いわき市の学生展かなんかでその絵が展示されることがあったんだけど、その時なぜかみんなが感想を入れる方式かなんかになっていて、そこになんかしらんけど死ぬほど感想の紙がきた。大抵はがんばれとか感動したとか励ましてる様な感じで、100個くらいあった。
 どういうわけかこの紙の束は、僕がその後、進学校だったためなんのためらいもなしに美大芸大の入試を受けて落とされて、すいどーばた美術学院という場所にいた時に僕の手元に届いた。どこかから経由で親友が渡してきた。
 僕はとても普通な意味での優等生で、小中学校の成績はずっとよかったし、高校の時も前準備なくデフォで早慶にA判定とか出ていたので、大学くらい受かるもんだろうと思っていたんだが、人生ではじめて挫折感を味わって、入試のために泊まっていた池袋のウィークリーマンションの一室で悔しくて泣いた。
 何が悔しかったかというと、自分は努力家というか限界まで努力する性質をもっているのだが、それにもかかわらず、入試の際1日だか2日で全然乾かない油絵を描かせるというとんでもない不条理の前で、前準備していたのに何ら太刀打ちできなかったことが悔しかったのだ。
 自分のふがいなさにしばらく落ち込んでいたが、仕方ないので誰より基礎をやり直そうと思って、その美術学校でデッサンを朝早く起きて最初に場所とりしてやっている最中だった。親友から紙の束を渡されたのは。
 なにがいいたいかというと、僕はこの紙の束に何かがある様だとその時思った。涙ぐみながらその紙の束を読んで、随分励まされた様にも思う。
 無私の思いで絵に打ち込み、何かしら自分ができる最上の表現に限界まで接近しようという自分の芸術的熱意は、表向きは誰もに無視されている風であったのだが、実際にはその紙に書かれた感想の束が本音であったならだが、100人近い何十人だかの人達に何かを伝えられた様だった。
 僕はその時18歳だったのだが、今34歳になるまで、その時の感じというのは何ら変化がない。
 逆に絵が売れたというか、アメーバ・ピグにいたミューデという女の勧めで絵をはじめて売ってみたのが3年くらい前で、その時は確かにこういうものなのかなと思いもしたが、大したカネにもならないのもあるんだろうけど、「これか? 俺のやりたかったことは」となってしまう。
「これじゃないよな、あれは」と。「お前はこの額を手にするために、あまたの困難をのりこえて生きているのか。お前は絵を描くことで何かを世界に表明するつもりだった。そしてお前は15歳の時、あの自画像を描き終わったらどうなってもいいと思っていたよな? それがお前にとって最後の頼みの綱だと」
僕の理性はいう。「お前は15歳だか18歳だかのお前が見て、これを表明したのだからもうここでしんでもいいのだ、とおもえる絵を残せたのか? まだなら、なぜお前はこのはした金の為に、どうでもいい様な些事に時間を費やしている? 今すぐ反省して、自分の仕事にとりかかれ。一切の俗事は無視しろ」
経営学だか心理学で、報酬を与えるとかえって奉仕活動の満足度が下がるというのがあった。今調べたらアンダーマイニング効果というやつだ。こういう科学的な分析をいれると、芸術家の仕事に報酬を与える「商業芸術」は、実際には独創性を下げる効果があると思う。儲からないとやめてしまうのだから。
 アンダーマイニング効果において、励ましや賞賛といった言葉による報酬は、内発的動機づけをそがない、という記述もあるので、僕が根本的な動機にしているのはその種の自他の心に与えるプラスの影響だ。少なくとも僕自身が最高最美の芸術から来る感動を常に欲しているし、それが世間になければ自力でつくりだすしかない。残念ながらなのか僕が最高だと思うものは、必ずしも世間の人々にとってそうではないことはよくあるが、それは大した問題ではない。
 僕が人類の一員であるからには、僕一人であれ、自作や他作に魂を救われるということがあれば、それは十分に芸術の意味を果たしているといえるからだ。
 多くの商業アーティストは、流行おくれになって作品が売れなくなると、仕事自体をやめてしまう。その人達は外発的動機、つまり金儲けが、表現衝動を上回る制作の理由になってしまっていたのだ。自分はそうなりたくもない。だから絵を売るのもやめたいと思っている。
 芸術の換金をやめた結果、餓死したとしても、僕は自分の職業特性をより正しく用いた結果そうなったのだから、責任は僕の生存権をきちんと憲法に基づいて保障しなかった日本国民全員の方にあるとここにきちんと述べておく。これはただの人権侵害です。
 僕も税金は払ってきているし、中華思想で驕りたかぶる東京都民だの、都民に扇動された県外人が卑しい確証バイアスで差別してくることが多い地元の色々な美質を愛してもいるので、少なくとも県税と市税については自分に払える限り最大限払って何とかこの県や市を世界一美しい街にしたいと念願している。
 税金を滞りなく払い、しかも総務省の定める日本標準職業分類(平成21年12月統計基準設定)222に載る画家という歴たる仕事を20年来つづけ沢山の作品を残してきた僕が、なぜ基本的人権の一つである生存権を、日本国民全員から侵害されねばならないのか。答えは日本国民全員が人権侵害者だからだ。
 僕は商業美術も実際試した。大衆迎合した絵や、更に通俗的なロール・プレイング・ゲームなどの作品で金儲けしようとしてみた。だがこれらは自分のなすべき仕事ではないと分かった。偉大な画家は換金を目的に絵を描くのではいけない。ただ立派な絵を残すことに集中しなければならない。
 僕が後生に、この文書を残したのは、平成日本人がとんでもないどけち連中だったのだと、そのむさぼりかたの陰湿さや陰険さ、そして代表的文明人と呼ぶべき芸術家へおよぼしてきた凄まじいばかりの弾圧の野蛮さのほどをきちんと教えておく為だ。何かの参考にしてほしい。

※このブログURLは2019年6月8日に
https://yuusukesuzuki.blogspot.com/
へ変更されます。