2019/02/05

子孫の意味について

人生の意味は人間の理性が言葉によって後付けしているものだから、他の色々なことにそうしている人がいるよう、子孫の有無にも意味付けしている人がいるに過ぎない。その子孫自身にとっても事情は同じだろう。
 裏返せば、自己愛が激しい人は自分の遺伝子を他人のそれより意味があると思い込み易い。現実には全ての生命体は意味を言葉によって定義するといったこととはほぼ無縁に生滅している。星の明滅の様に。人生の意味を子孫のみに定めると、子孫の絶滅という十分ありうる現実の前では自分の存在が無意味になってしまうだろう。更に子孫自身が過酷な生存競争の中に産み落とされたのを不幸に感じていることもありうる。人生の意味を子孫のみに定めると、子孫の絶滅という十分ありうる現実の前では自分の存在が無意味になってしまうだろう。更に子孫自身が過酷な生存競争の中に産み落とされたのを不幸に感じていることもありうる。だからブッダがいう通り、子孫を我が物と思わぬがよいのだ。意味が主観的なものであるからには、我々はあらゆることに何らかの意味を後付けできるのであり、その意味を特定の考えに固定するのは人生の多岐にわたる運命の中で再適応の自由度を損なう結果に終わる。
 あらゆる意味を特定の人生観に紐付けしないべきだ。代わりに変化へ柔軟に接し、他者のありとあらゆる価値観の変容も含め、起きてくるあらゆる場合を受け入れるがよい。そこで常に新たな意味を作り直す方が、既に使い物にならなくなった特定人生観という意味にしがみつくより利口だからだ。