2019/02/28

日本国では芸術家は本気で金儲けするしか餓死を避ける道がない

日本って清貧側にいくと徹底的に虐められ、餓死まで追い詰められても誰も助けてくれないとよく分かった。今後は正反対に行く。日本人共に餓死させられる訳にもいかないから道が一つしかない。
 清貧な芸術家像が偉いんだみたいな近代芸術家像を素で履行してると、日本人全般は本気で餓死においつめてきて基本的に誰も助けないので、本気で死ぬしかなくなってしまう。これが僕が20年間画業を続けてきた最終結論なので、純粋芸術を志した人はこのことを真剣に反省し、絶対にやめた方がいい。中間芸術をうまくやれている人とか、商業芸術を素でやれている人とかを軽蔑していたところで(確かに軽蔑したくなる様な低俗さはあるが)こちらは餓死してしまうのだから、真剣に金儲けしないと日本では殺されるのだ、という現実を第一に考え、精神を根本からいれかえ、真逆に豹変しなければいけない。
 真逆とは何かというと、金儲けになることならなんでも肯定し、芸術的だろうがそうでなかろうが何でも構わず、とにかく食う為には誰であろうが邪魔者は叩きのめすという覚悟で、冷静に金儲けという一点に集中し、全仕事を根本的に考え直すという態度だ。それが下品だとかいってきても無視しないとしぬ。場合によってはもう芸術家をやめようが、これまでの埋没費を完全に無視しても、生き残るというか少なくとも餓死しない方がましなので、冷徹に金になることだけしかやらない、一番金になることだけをやるというのが重要である。それが日本で生きる為には唯一無二の道で、他はない。20年間で実体験した。
 芸術を志す様な人間はどこか現実離れしているというか(ラカンにいわせれば想像界だか象徴界だか)、空想理想に浮沈している夢見がちな人であるに違いない。それが創造性の源泉だからそれは維持した方がいい。子供の様な想像力が生きているのは希有なことだ。がより重要なのは金儲けに利用することだ。現実界に無理やりその想像性だか理想性だかをインストールして、人々がこの人は変わってるな? と思う状態を凡人界にもたらさないといけない。避けるのではなくその渦中に特攻し、「やっぱりこいつ天才か?」となるまで、ひたすら空気を壊しつつ金儲けに突入しかないし、それを楽しめないと死ぬのだ。
 とにかくこれは世界でもっとも前衛的な芸術家である筈の自分が見た事実だから、何かの参考になる筈なので同時代を超えて後世の人々にも言っておく。少なくとも凡人は天才ではないから芸術的創作の能力が基本的にない。しかしその凡人らは天才をどれだけ待っても理解してこないので天才は放置され殺される。芸術家を長い間続けてきた人はまず間違いなく何らかの天才だ、それについて疑う必要はない。凡人は創作すらできないのに、何か想像上の物を現実化している時点で天才といっていい。そしてそう生まれついた人は、現実に生きる為に生活費を得る必要があるので、無理やり自分を金儲けにねじ込むしかない。こんなの商品じゃねえよ、とか、売れるわけない、とか、頭おかしいんじゃないの? とか、凡人はあなたが芸術的商売をはじめたら必ず誹謗しまくってくるだろうが、これは嫉妬だと考えるべきだ。逆にイノベーション理論を利用し、金儲け自体を独創的なやり方で自分の個性に無理やり適合させるしかない。
 僕が今書いたことは、特に若い芸術家には絶対に有益だから、まだ芸大美大とか愚者の楽園に行ってもない人達には真言だと思う。真言密教だと思う。覚えておいた方が絶対にいい。僕は自力で20年かけて悟ったが、20年を省略できる。
 売れなくても偉いとかいっている限り、普通に餓死においつめられ、素で死ぬということ、逆に売れたから偉いとは全然いえないしむしろ低俗で凡人に理解できる範囲の物ばかり売れるのも事実だが、重要なのはそういう芸術商品を超えて、商売自体の中に自分の個性を無理やり位置づけるしかないという話。まあ最初から金儲けしか考えていない人達は、逆にイノベーション(革新)を起こすのは難しい。典型的な経歴の中からは凡庸な発想しか生まれない。芸術家を志した人間が無理やり商業界に特攻すると、当然ながら違和感しかないので、最初から革新しか起こせない。それを己の利益追求に一点集中せよ。現実にやってみるとわかるが、はっきりいってドラクエでいえば(わからないかもしれないが)魔法使いが棍棒で敵を殴るみたいなもんだから自分が即死しまくるだろうけど、魔法戦士にすら出世できないとしぬし、何とかやり続けて金儲けのコツをつかんで生き残るしかないという話。たとえになってないが。

携帯を解約した話

忌々しい某大手携帯会社をやっと解約してきた。契約解除月の最後の日の閉店2時間前くらいに解約してやった。ぼったくり固定費が減って、救われた。店頭でiPhoneXとiPad proを見たけど、とんでもなく洗練された機械だった。現代文明の粋がそこにあることはまず間違いない。博物館は保存すべきだろう。
 日本語で書くと外国の人に通じないし、かといって英語だと日本人に通じないから悲しい。しかも日本語のほうがはるかに得意。一体何語でどう語ればいいんだ。日本語という方言世界に縛られて、一生、外の世界に何も伝えられずに終わるのか。
 最近なにやっても気分悪いからしぬのかも知れぬ。恐ろしい。

京都造形大は文科省共々もののあわれ論を援用し、性倫理を無視しているかもしれない説

会田誠さんの絵とか作品は、下劣下品を極めようみたいなのが多いけど、問題はその様な表現が人々にどんな問題を提起するか(メタ認知的な趣味論)なのであり、単に下劣下品だからアウトというのはエログロナンセンス的なものとかポルノとかオタク文化とかヌード画とかの大部分まで全部ダメになる。なんで会田誠がポルノじみた絵(しばしば児童ポルノとの境界例)を出すとだめなのに猥褻物陳列罪だの頒布罪だの公然猥褻罪だのに該当するリアルアダルト東京文化(性風俗)だの、変態オタク文物は放置されてるの? となる。その種の境界侵犯の問題提起が会田誠さんの真骨頂なわけで、冷静にみるべき。
 因みに僕個人は下品なのは全部嫌いだから公共空間から裸像も全部撤去してほしいし、猥褻物は全部逮捕すべきと思うけど!
「猥褻性」の定義は時代や国民によってだいぶ変化が激しい概念だから、一体どこからどこまでが猥褻で他がそうでないのかについては、丁寧に議論を重ね、冷静に定義を決めていく過程が必要で、そのためにはいろんな例があった方がいいのでがんがんその下品といわれるだろう例を出す人もいた方がいい。チャタレイ事件とか東京都漫画規制とかあったよう話は絵だけでなく小説とかゲームとかアニメとかポルノ含むアイドルとかの映像文化にも及ぶし、会田誠が猥褻だというならもっと公共の議論を呼ぶよう騒ぎまくって、色んな日本文化の中の猥褻物と思える物を責めまくろう。そしたらもっとよい文化になる。なお、私は宮崎駿のアニメ映画作品『風立ちぬ』も18禁相当の立派な猥褻物だと思いますよ! あんなのをテレビで流していいのか。子供と家族がお茶の間で凍りつくに違いないのに。
 会田誠が駄目なら某ポルノ女優を講義に招いた某学長補佐の方がよほど反社会的な猥褻物頒布・陳列罪の煽りではないの? 会田誠はちゃんと美術のフォーマットの中で、かなりの程度アカデミックな文法を利用して猥褻物の定義を問い直す作業をしてきたみたいな面もないわけじゃないでしょう?
 ま、本質的には古代ギリシアで神々が人身をもつという人格神の宗教が普通で、当地の気候が明朗な上に古代の時点なので裸体に近い像が神殿を飾るためなどに沢山つくられて、その影響を受けた西洋で猥褻性のある裸像や裸体画が伝統になった。で日本も江戸町人文化の中で下層階級の中で性売買が発達した影響で、東京人は猥褻性の高い下品な文物を好む。その両方の延長上に、会田誠は猥褻性の高い表現を好んで用いてきたわけだけど、講義が下品すぎて学校側が訴えられた。東京人が下品だなんて江戸時代の春画からなんら変わっていなくて、むしろ下品さ、特に財力を背景に性売買の直接性を誇るのが粋だだの萌えだだのといわれてきたのだから、今に始まった話ではないわけだ? 京都造形大は『源氏物語』が歴たる猥褻物だということについても冷静に自己批判すべきだと思う。
 勿論、自分は下品さを正当化しているわけでも容認しているわけでもなく、東京や京都が下品な連中だなと思っていつも不愉快だし、はっきりいえばソドムとゴモラみたいなもんだからいずれ神が天罰下して滅ぼすだろうとずっと祈っているくらいだけど、今回もその様な都会の下品な人達のただの自殺点だよ。京都造形大の人らは京都出身の綿矢りさの小説、未成年者が風俗チャットという違法行為をする『インストール』だの、女性アイドルの淫行を主な筋とする猥褻小説としかいえない『夢を与える』だの、京都人ぶってる村上春樹の『ノルウェイの森』だのを容認してきたわけでしょ? ノルウェイの森は源氏物語の延長上にあるともいえる単なる乱交の話だし、何一つとして上品な点はないと思うけど。そして芸妓の文化だって元をたどれば程度こそあれただの売春なんだから、会田誠を一々責め立てるより京都自体の猥褻的と呼べる文化が世にどんな悪疫をもたらしてきたか猛省した方がいい。
 会田誠が猥褻だなんていまさら言うことでもないわけで、「猥褻でろくでもない文化もあるんですね、私は嫌いですけど。近づきたくもない」「こういう猥褻的な文物を公然と賞賛してこれた日本文化は、平安期の京都もそうだけど極めて下品な世界だったのだから、変えていかなくちゃ」とか思うべきだ。
 日本文化の一部にはっきりした猥褻性がある、というのは人類全体のかなりの日本学者とか日本ファンの人らはとっくに知ってることだと思うけど、勿論そうでない部分もある。が、上品な部類の高文化は無視され、サブカル勢だの中間芸術勢だのに押され大衆商業下品文物に窒息死させられつつある。今後の課題としては、国内外の一般大衆がどれだけ下品であれ、その人らが都会のサブカル商品文化に大金を貢いでいようが、どれだけ下衆な名誉やら賞賛を与えていようが、完全に無視し、世界一上品な文化といえば私の作っている作品ですよ、私が世界一高貴な文化人ですよ、といえる為事を残すことです。
 まあ上品さを擬態する、という上流ごっこ文化が行き過ぎると、皇族にもまだ残ってると思うが、税金独占して大金持ちなのにわざと被災者みたいな格好で貧民のふりして撮影会したり、いけず文化みたいな卑しい意図の婉曲表現を正当化するみたいな勘違いした方向に進むし、真に上品というのも難しい話だ。この訴えた人は会田誠を死ぬほど下品と感じて苦痛すぎたんだろうけど、品性の(仏教語ではない意味で)定義は主観的だから、この訴えた人も別の世界ではなんて下品なんだろうと恐らく思われてるのかもしれないし、下品なことを非難するというのもそう簡単な話ではないな。冷静に見なければいけない。
 品性の定義を欲望を直接的に表現するのを忌む程度だとすると、性とか食とかの生理的欲求に漸近する表現であるほど下品となるわけだが、これでいうと例えばエロ同人誌とかインスタ蠅勢の食事アップとかはまさに下品となる。会田は美術の枠中で変態性欲的な性表現を直接する傾向だから下品といわれる。ではなぜポルノを仕事にしている様な人々、いわゆる性産業の従事者らを非難しないのかというと、訴えた個人が間違った場所に居合わせたからだ、となる。そして真の問題は、寧ろ性産業とか性表現を直接している文物の方にあることになる。同じことは性以外の欲望についてもいえるから、食等にもあたる。こんな美味しい食事をしました、これからします等と画像をネットにあげるのも、「下品だ」という意味では完全にあてはまるのだし、餓死しつつある人とか貧しい人にとって不快でしかないだろう。
 下品な表現は誰かを傷つける。それは欲望が本能に近いほど、本質的に不道徳なものだからなのだろう。本能を公然と直接表現すると多くの場合、誰かを傷つけ、誰かからの反発を買い、しかも時には逮捕さえされる、公害になるというのがこの問題の根源にある現象で、文明人たる者は欲望の公的表現には十分注意しなければいけない。本能は利己的なものなので、文明社会では敵意をもつこと自体が禁忌なのだ。
 ニュースをよく読んだら、京都造形大側が会田誠氏に猥談させまくって(他にも別の人の猥褻的な写真の講義があり)、或る女性の受講者が京都造形大を訴えた、という内容だった。これは十分あり得る話だ。『源氏物語』を全国の高校で文科省指定で教えてることをいつかどこかの高校生が絶対訴えると思う。高校生は何も知らないからいきなり教わって平気で読んでしまうけど、ちゃんと古語を読める程度の学力がついてから真面目に内容をよみとれたら、なんでこんな乱交小説を学校で教えてるんだ馬鹿なのか? としか言いようがない内容すぎて、会田誠氏の問題をはるかに超えているからな。『源氏物語』の本質は不道徳の礼賛による退廃趣味だというのが本居宣長以来のもののあわれ論なんだし、しかもこの物語を日本文学研究者らは総意として最高傑作扱いしてきたんだから、日本の教育界はこの問題をどう考えていくつもりなんだろう。退廃主義を子供に教え込む目的はなんなのか。『源氏物語』を規範とするもののあわれの論理は、中国の道徳的世界に対して日本は道徳を重視しなくてよく、善悪など無視した退廃に耽っても生まれつき性善なのですべてはうまくいく、とかいう、単なる人種差別的な自民族中心主義だし、完全に時代遅れな上にそもそもが退廃趣味でしかない。京都造形大は『源氏物語』の退廃主義を生み出した地元の学校でもあるから、恐らく性について道徳的に語ることそのものを禁忌にしている気風なのではないだろうか? 道徳性や善悪を無視し、性的退廃に耽るのを正当化した本居宣長や紫式部らにつながる倫理規範の欠如が、事の奥に控える問題ではないか。皇族(皇太子)が不倫や乱交、強姦、児童性愛など退廃的な性生活に耽る物語が『源氏物語』で、平安朝の絶対君主制の中で数多の女性が蹂躙され、皇族らの性暴力の犠牲になり、その中で或る女が自殺未遂し何とか一命をとりとめ出家するもなおも皇族に襲われかけるところで地獄の様な話が終わっている。『源氏物語』が皇族による犯罪を美化し、皇族の家庭教師としての紫式部の地位を確立する為に書かれたのか、まだ性倫理が芽生えていなかった中世京都人の中でわずかなりとも現実の皇族による有様を写し、内部通報する目的で書き残されたのかはよくわからないが、現代の目から見ても会田誠氏より残虐だ。
 京都造形大による美術教育(そもそも芸術は天才の為す技なので教えられないとカントは述べているのだが)の世界でももののあわれ論が援用され、性倫理を無視することが伝統的な京都文化の態度、とその講師陣の中で考えられている可能性は十分あると思う。類似の態度は文科省中にも国学を通じてあるが。

イギリス美術は全体として保守的だからずっとエッジは立ってなかった説

昔、六本木ヒルズでやってたターナー賞の展覧会いったけど、カプーア(確かあった)とハーストはまあまあわかったけど他はエッジなんて全然たってないよ。ターナー賞は日本で言う芥川賞みたいな保守的な賞だよ。
 イギリス美術自体が保守的な世界だから、昔からターナー(彼も当時としてはまあ印象派っぽい風景画家だから中衛くらいだけど決して前衛的ではない)くらいしか見るべき人がいなかったという意味で、皮肉な賞なんだよ。ハーストはYBAとして或る貴種だし、バンクシーはただのサブカル出身でしょ。イギリスはフランスパリを中心とした近代美術とか、イタリアを中心としたルネサンスから遠い田舎世界だから、ずっと西洋美術界では脇役ですらなくて、前衛なんて全然いなかった。そんでアイルランドからベーコンが出てきて希な例にはなったけど、イギリスは美術界でばかにされてきたサブキャラでしょ。
 毎度のことだけど茂木(健一郎)さんはイギリスびいきだからイギリス美術をエッジが立ってるとか思ってるのだろうけど、ハーストとバンクシーくらいしかいないべ。あとホックニーくらいでしょう? そもそもそこで言うエッジってなに。前衛性のこと? 会田誠さんはエッジたってるの? もっとエッジを論じて!

建築論

水戸弘道館が自分が見た全建築で一番好き。清新の気を感じる。

ツイッターの効用

ツイッターって自分がいかに雑魚かわかるのはいいな。虚栄心が消えていく。フォロワー数がふえようがない、誰も自分を相手にしない、世界の中で自分は卑小な雑魚で、誰からも無視されて死ぬのだと考えると、逆にこれまでもっていた誇りがなくなって冷静になれる。

ツイッターの孤独

ツイッターやればやるほど孤独なり

2019/02/27

交わる人

悪い人のいるところに近づくのはやめて、善い人とだけ交わろう。

幻想的な絵は作者の妄想を投影したもの

なんでオタクの描いた漫画絵がこれほど気持ち悪いかというと、描いてる人の中で異性が性的な偶像の様な物として現実と遊離して描かれているからだろう。その偶像自体も気持ち悪いのだが、もっと気持ち悪いのはオタク的な漫画家なりアニメーターの性的な妄想の方なのだろう。それに共感できないのだ。
 作者の或る妄想を投影しているのが何らかの幻想性をもつ絵だというのが確かなら、写実画についても同じことがいえる。下らない写実画は共感できないのでつまらない上に、単に写真そっくりにみせるという模写の技巧を誇示している様な場合、意味がないばかりかわざとらしさがしばしば不快なこともある。

ツイッターは間違った意見がとても多いので無視しないと疲れてしまう

ツイッターは次々間違った見解が浮いてくるから、一々それらを指摘してるととっても疲れる。やめたいな。謬見が誰かから浮いてきても無視してればいいんだろうけど、修正する意見をいわないとどんどん世論がその種の間違った方向に流れていく様な雰囲気がして、親切に返信すると、相手の性格が傲慢だとブロックしてくることもあるし、最悪の場合は言葉尻とって誹謗してくる人がいる(1人だけいた)し嫌だ。
 ごくまれにまあまあ興味深いさえずりもあるんだけど、割合が低すぎてその前にとっても疲れる。ツイッターどういう意味で間違ってる意見が多いかというと、色々あるけど基本的な学の不足による謬見が多い。他には当人の思い込みや偏見が激しい為に当人が気づいてない不道徳な内容もあるけど。

公共事業は営利事業ではないので少数者の福利も軽視されてはならない

東海道リニア新幹線や東京五輪の施設を一生に1度も使わない人の方が日本人全体ではずっと多いのだから(東京の人口は日本全体の1割でしかない)、都会の無駄に国税を浪費しているのも全く変わらない。都鄙差別は単なる都会人の自己中心的な偏見。
 逆に田舎の公共交通機関は政府が敷設しなければ不便なままだから、都会のよう既に私鉄が無数にある場所より、国税を使って国民全体の福利を図るに際しての優先順位は高いのでは? 勿論その全てが有益といえないにせよ。
「大勢が使う」のは民間事業者が、「少数しか使わない」から公共事業が補う。
 政府は民間企業の様な営利事業ではなく、公共の福利を図る全体の公益事業を兼ねている組織なので、公共施設の面で或る所に住んでいる人が少ないからその少数者が人口密度の高い場所に住む人より冷遇される、というのは税を全国民が公平に(累進税制を含め)負担している以上、ありえないことでしょう。

日本は世界で最も女性一般が優遇され幸福で、男性一般が冷遇され自殺している国

衆議院議員池内沙織氏が「何よりこれからを生きる若い子たち(とりわけ女の子)の犠牲は絶対に生み出してはならない」と、後述の武田邦彦氏らがテレビ番組内で準強制性交の定義を論じたことについて述べているツイートに宛てて)
男性に対するセクハラ(童貞と揶揄したり、貧しかったり醜い男性を性的に無価値なものとして罵倒するなど)も厳然と存在するので、女性だけをひいきしてはなりません。女性に悪意がないということはないし、単に女性は生まれつきひいきされているので女性による無神経な暴力が目立たないだけです。
 日本の現実の自殺率をみると分かりますが、特に男性が(女性の2倍以上)大量に自殺している(後述1)。また幸福度を見ると女性だけが高い(後述2)。いいかえれば日本は現実には女性が生まれつき無闇にひいきされており、男性は常に差別を受けている場所だということです。その女性を含めた日本社会全体からの暴力は弱い立場の男性へ向かう。
 この武田邦彦氏の発言(TBSのテレビ番組ゴゴスマ内で武田氏が準強制性交に「自宅で酒を飲んだら合意ですよ!」)は「ほんの一部の風変わりな人」の言動であり、日本人全体を示す統計の指標はむしろ逆を示している。つまり日本は生まれながら女性ひいきが存在し、男性(特に身体的魅力や生まれつきの経済力などで弱い立場に置かれた男性)が生まれながら虐げられている傾向の国だということです。
参考1:日本の自殺は男性の方が圧倒的に多く、自殺者の約7割が男性。日本で男性は女性の2.4倍も自殺しやすい。なお、女性の10.0という死亡率は、統計がある過去40年間で、もっとも低い数字(2017年警察庁)。
参考2:World Values Surveyによる2014年の調査では、日本は世界で最も女性の幸福度が高く男性の幸福度が低い国。

大衆迎合マキャベリズムが茂木健一郎氏はじめ明治美化論者に見られる悪の根源

前から気になってた茂木健一郎氏が北海道をもちあげることや、坂本龍馬をもちあげることの違和感の正体がわかった。茂木氏は政治的マキャベリズムを正当化する傾向にあることの様だ。つまり彼は弱肉強食を判官びいきより優先する傾向がどうもある。弱い者虐めを多数派側に立って、間接的にやり易い。坂本龍馬は薩長間にイギリス製の武器を横流ししたことで、西軍から慶喜への冤罪をかばった東北の近代軍制を十分もっていなかった奥羽越列同盟側を薩長軍が侵略する遠因になった。天皇に禅譲した慶喜側の幕府軍(江戸の旗本や徳川領地の武士達。既に徳川斉昭の改革や慶応改革等でフランス式軍制で近代化済み)は、慶喜が宗家を継いだ尊皇主義の水戸徳川家出身であったことに加え、諸外国による傀儡戦争を危惧して西軍との全面戦争を彼が避けたので自らの江戸城を無血開城し、天皇に譲った。
 ところが茂木氏は佐賀県の母をもつことや、司馬遼太郎らに捏造された薩長史観を鵜呑みにしていて、「坂本龍馬が後押しした薩長軍のテロで近代化していない幕府軍を侵略し破った」という嘘の歴史観を信じきっている。これは第一次長州征伐が近代化された幕軍勝利で終わっていることからも反証される。
 実際の歴史上で事実として起きたことは、攘夷不可を認識し開国に舵を切りつつ諸侯会議による国会を構想していた慶喜の将軍職返上と天皇への江戸城の禅譲で、テロ集団としての薩長軍が暴走の矛先をなくし、十分な近代化軍備をもっていない東北・新潟へ単なる弱者虐殺の為に侵略した、ということだ。茂木氏はこの様な歴史の真実に目をつぶり、薩長軍がマキャベリズムに基づいて徳川慶喜に朝敵という冤罪をかけ東国侵略の口実にしたことをなかったことにしようとしている。歴史改悪主義者、小説史観、薩長史観の持ち主なのである。そして薩長軍のテロを褒め東日本を犠牲にしながら恥じる気配がない。
 次に北海道についてだが、これもブランド総研による毎年マスコミが「最下位の茨城を差別する目的で」喧伝する擬似統計的な特定会員調査で、北海道は魅力度が最高とされているわけだから、魅力が主観である限り既に勝ち誇っている地域を更に褒める意味は全く道徳的にはないということになる。北海道の汚点を敢えて世間に問い、偏った物の見方を修正する、というのが知識人のやるべきことだというならその通りだ。逆に、ブランド総研会員や東京都のマスコミから不当に汚名を着せられている茨城の魅力を最大限、世間に喧伝していくというのも同じ意味で尊い仕事だ。
 で、茂木氏が坂本龍馬と北海道をもちあげる、ということの中に私が長い間感じてきた違和感の正体というのは、「強弱を善悪より優先する」というマキャベリズムの野蛮さなのだ。それは一言でいえば大衆迎合による多数派の悪業を後押しする、といった形で現れている悪意なのである。これは茂木健一郎氏個人の大衆迎合マキャベリズム的な2つの事例が、自分の中に強烈な違和感と共にある種の義憤を呼び覚ましていることから悟った話だが、実際には佐賀県の関係者だけではなく、旧薩長土肥をはじめとした西軍文化圏に肩入れしている全ての人も多かれ少なかれ同じではないかと思う。
 薩長は確かに極めて卑劣な冤罪や侵略蛮行をした。戊辰戦争を引き起こしたことやそれ以前の内乱を誘導した数多のテロにもあてはまるが、高知の板垣退助や鹿児島の西郷隆盛が征韓論を唱えて以後、北海道・沖縄や李氏朝鮮へ行った侵略と蛮行にも同じことが言える。それだけでなくこの西軍の野蛮な考えは薩摩海軍と長州陸軍が日露戦争以後、満州事変を経て中国大陸へ拡大政策をとっていった時期の薩長藩閥の途轍もない暴力にも、当然あてはまる。今なおその禍は続いていて、長州閥を気取る安倍晋三首相や副総理の麻生太郎氏が鹿児島出身の大久保利通の子孫なのだ。
 茂木健一郎氏は佐賀県の母をもつから、薩長土肥のうち肥前国の肩を自然にもって、薩長軍が「善悪より強弱を」優先して、凄まじい悪事を暴力で正当化してきたことについてほぼ全く無反省なのである。それだから死の商人である坂本龍馬を美化して恥じず、北海道の魅力が最高といっているのに更に褒める。西日本の一定の部分の文化圏の人々、特に薩長土肥と呼ばれた鹿児島・山口・高知・佐賀の人達をはじめとして彼らの侵略罪を正当化している西日本各地の人、明治維新が単なるテロであったこと、冤罪を将軍にかけることで植民地化すれすれの危険をもたらした最後の内乱だったことを、全く反省していない。逆におもに西日本各地で西軍の肩をもっている、明治美化論者達は、「勝てば官軍負ければ賊命惜しむな国の為」という薩長軍を皮肉った詠み人知らずの江戸町人の狂歌を、自分達の正当性を勘違いしたままだ。西日本は暴力さえ振るえばどんな悪事も正当化できる、という野蛮な考えを本気で信じているのだ。茂木氏はたまたま埼玉や東京で生まれ育ったろうけど、たまたま佐賀県に母方のルーツがあるから、その種のマキャベリズムを知らずしらず身につけ、喧伝する。しかも作家として大衆向け書物を書いたりテレビキャスターをしていたから大衆迎合的言説を辞さない。それで大衆迎合マキャベリズムが完成する。
 自分がいわく言いがたい違和感と共に深い義憤を感じるのは、その茂木氏の言説中にある、卑劣な大衆迎合マキャベリズムの正当化なのだ。そしてその傾向は茂木氏だけでなく、現実には安倍晋三氏や麻生太郎氏はじめ、西日本出身の政治家全般にみられるものでもある。天皇皇族もそれをもっている。実際にあるのは「強弱と善悪は違う」という事実であり、強い悪人もいれば弱い善人もいる、という歴史上あったことに限らない現実だ。強い悪人を強い善人と混同もできない。茂木氏はじめ明治美化論者達の中では歴史観や世界の解釈が単純化されすぎており、数多の弱者虐待が正当化されてしまっている。現在においても同じで、大衆迎合マキャベリズムの中では多数派が強い権力をもって悪事をしていること、弱い善人を虐待・虐殺・封殺していることが正当化されてしまう。大衆迎合マキャベリズムが本物の悪だということはこれで誰もに分かるはずだ。それをもつ茂木氏も、はっきり危険思想家だといえる。
 大衆迎合マキャベリズムは、現実には衆愚政として現れる。多数派が数で横暴し、ありとあらゆる悪業を正当化する。北海道をもちあげ茨城をおとしめ、自民党をもちあげ自由党をおとしめる。米中をもちあげ南北朝鮮をおとしめる。都会をもちあげ田舎をおとしめる。全て卑怯者が群れて行う悪業である。茂木健一郎氏がこの種の大衆迎合マキャベリズム的な主張を、かなりの影響力をもちながらしばしばしていること、それが自分の中では極めて危険なこと、知識人としてあるまじきこととして感じられるので、百田尚樹氏の様な分かり易い例でなくともその種の野蛮な悪意が隠蔽されていると指摘しておきたい。
 米軍は、その種の大衆迎合マキャベリストが妄想している様な完全正義の軍隊では全然ない。単に強い軍なだけだ。アブグレイブ刑務所での事件をみるがいい。大義なきイラク戦争で一般市民に炭疽菌をもちいた軍が正義の筈がない。マキャベリズムは危険思想であり世界最悪の大公害をもたらすものなのだ。暴力がどれほど強烈でも、悪はそれによって全然正当化できない。これがこの世の真理だ。非暴力不服従によって独立を勝ち取ったガンジーがそれを部分的に証明した。善悪と強弱は違うものだ。だから人は少なくとも常に善く生きねばならず、いかなる強い暴力の前でもその善を失ってはならないのだ。天皇軍が日本内外で飛鳥時代以後に行ってきた侵略は、はっきりいえばどれも悪業だったというべきだ。侵略罪を正当化などできない。だから天皇政府(現日本政府)は大化の改新からこの1400年間、実際には各地の主権を侵害し樹立されてきた。天皇政府が沖縄に米軍基地をおしつけているのも同じ悪業だ。天皇権力が日本政府を間接的・直接的に指揮し、どれほど自らの悪業を隠そうとしても、都合が悪ければ宗教家のふりをして責任逃れしようとしても、無駄である。天皇の世襲権力こそ、大衆迎合マキャベリズムの根源であり、薩長土肥ら西軍が明治時代に担ぎ上げた悪しき力だったのだ。天皇権力や薩長藩閥が各地の主権を侵害する悪しき力だと分かった以上、その力を世界から退け除去していくことこそ、我々の正義でなければならない。同じことは北海道をもちあげ茨城をおとしめる、母数が無作為的な多数でない擬似統計による、東京発の報道の暴力についてもあてはまる。
 茂木健一郎氏による大衆迎合マキャベリズムに類する言説については、西軍の肩をもち最後の将軍に冤罪をかけたテロや、内乱による犠牲を正当化する悪意ある薩長史観の批判と共に、今後も監視しながら、しばしばその誤りや悪業を指摘する必要があるといえるだろう。ペンは剣よりも強し、を思い出すべし。

公害広める自民党支持者

沖縄の民意を無視する自民党支持者が今日も原発ばらまく
自分さえよければいいと自民党支持者が今日も公害ばらまく
自民党支持しかないと天皇と今日も明日も公害ばらまく

環境問題は時に顕示的消費の手段になっている

明日食べる分もない貧しい芸術家の前で、食うに困らぬ金持ちが環境問題を語っている。金持ちが大金を使うのは自分の名誉の為で、人の命を救う為でないのがよくわかる。環境問題は普遍的な上に抽象的だから他人を煙に巻き易いんだな。それで金持ち達が自分の地位を誇示する顕示的消費の手段になってきている。テスラもその種の金持ち達に都合のいい会社として興隆してきているわけだ。
 具体的な貧者の為に何か救貧を施した人の方が、効果が曖昧なときの環境問題人より尊い。逆に原発公害を防止する様な当為の為には、環境問題を利用する方が利口だ。教育程度の高い人々が勤労者だった時、救貧には自己責任論をとって冷淡でも自分の地位を高めるという偽善的な方向には魅かれ易いからだ。

日本の理学部では後自然学の基本が教えられていない説

人文科学は普遍的な部分と個別的な部分があり、この種の植民地主義を前提にした欧米中心教義はポストモダン以前に疑義されて既に過去の考えになっている。比較文化論の興隆以後、人文科学の今日の世界では、或る文化を「先進・後進」といった単純な二分法で語る進歩史観自体が旧態的なものとみなせる。
 なおこのこと(人文科学の世界で自文化中心主義や、植民地主義的な欧米中心教義が見直されているか、既に否定されてきたこと)は日本に限っての話ではなく先進国以外でも同様である。それと自然科学の分野で日本が「先進的」といえるとは私は余り思わないが。自然科学の分野はそれなりに細分化されているし、各国の(或いは多国籍の人や多国間含め各個人の)研究で、他に比べ進んでいる点もそうでない点もあるだろう。自然科学上の発見を国に属すると考えるのは、大いに間違っている。
 なぜ国内で理科の専門教育を主に受けている人って、人文科学系の思考様式や発展形態を自然科学主義の手法でそのまま解釈できると早計する人がかなり多いのか? 逆は殆ど無い様に見えるけど。国内の理学部では、人文科学の基本的なことを教えてないか、教わらなくても卒業できてしまうのか?
 理系馬鹿と呼べるタイプは、自分達の科学主義・科学教の教義としての実証主義とか反証主義が普遍的で唯一絶対の確信をもてる信条だ、と思い込んでいる人が極めて多くて、この意味では新興宗教に全くふさわしい態度を示していて、殆ど排他的に自然科学を崇拝している。
 中世頃に既にカントがいっていたよう、自然科学の中からは永遠に後自然学に属する理念はでてこないわけだから、自然学のメタ学問について気づいてすらいない、気づかない上に下部の学で上部の学すべてを補えると妄想しているのは理学部だか自然科学系の学部の専門教育が間違ってる証拠だよ。理系馬鹿はただの愚か者だから相手にしなければいい、というのが基本的対処なんだろうけど、その人達が社会で或る程度の地位をもちだすと、彼らの狂信的な自然科学崇拝で多くの不道徳を世間におしつけ始めるだろうから、極めて公害度の高い愚者だな。
 より正確には、理科の専門教育を主に受けている人じゃなくて、「国内で」理科の専門教育を主に受けている人に、後自然学を殆ど認知も重視もしていない極端な自然科学主義者が多い様に見える。日本国内では理学部卒業に必要な科目に、人文科学の基本が含まれていないという理解でいいのだろうか。

単に不幸にあった人と同じと思いたくない偏見は同調主義の日本人の中で殊更激しいという仮説

日本人は同調バイアスが異常に激しいから不幸にあった人を総攻撃する傾向がある。

原子力機構と規制委員会はグルであり原発推進の国家公務員同士が東京から茨城へ責任転嫁しているだけなのでどちらも即時解体し民営化すべし

国立研究開発法人日本原子力研究開発機構は日本政府が持っている(日本政府が最終責任者の)施設なのに、原子力規制委員会と名乗っている日本政府の一集団は、事故やミスが起きるたびその国立法人のせいに仕立て上げて、両方とも同じ「国家公務員」なのに国立法人側に責任をなすりつけて逃げる。ここで見られる責任のなすりつけは、原子力規制委員会は日本政府の内部組織だから、国立法人に対し監視のふりをしているだけで、実際には原子力規制委員会も原子力機構も双方とも「日本政府内部の原子力推進派」なのだから、この種の批判のふりは単なる愚民を騙す演技だということだ。
 原子力機構(日本政府)も、原子力規制委員会(日本政府)も、どちらも原発推進派な上に、国立法人に高い能力など元の予算が少ない上に営利企業でもないので最初から全く期待できない。そして東京の日本政府側は危険施設を茨城におしつけ、そこで事故が起きるたび批判の演技しているだけで高税を貪る。原子力機構は原子力規制委員会という日本政府のグルに「叩かれながら危険施設で実験をさせられている」「公害を起こす前提の危険施設職員を低給与でさせられている」側であり、いわば人体実験をさせられているだけのことだ。ところが日本国民全般はこの悪魔的構図を半ば知りながら放置している。
 日本国民全般が自民党を支持する為、原子力規制委員会を含む東京の日本政府に命令され、茨城で人体実験の対象になっている原子力機構職員側が低給与で犠牲になる。我々その周辺住民も、この日本国民全般の人体実験を無理強いする悪意の犠牲である。税金をけちった低予算の国立過酷施設で事故が起きることなど最初からわかっているのに、茨城の300万人が人体実験の対象になって全死しようが、日本国民全般の自民党支持という悪意は少しも変わらない。東京の原子力規制委員会は臭い演技をしつつ、老朽東海第二には寿命を越えた再稼動許可を出した。
 結局、第一には日本国民全般が、大量虐殺を前提に原発推進政党の自民党を支持する悪意が最も悪い。歴史的な猛省を促すには何か強烈な反動、たとえば自民党の元での致命的亡国が必要だ。第二に国立法人が原子力開発をするのは限界があり、公害推進は矛盾しているので、それを民営化しなければならない。
 先ず脱原発を前提にした非自民党の政党が長期政権をとり、原子力機構や原子力規制委員会を含め、原発公害を強要する悪魔的組織を全て解体する。同時に新たな脱原発目的の監視組織を、原発立地自治体の公害を受ける周辺住民を中心にたちあげ、その民間人主体組織が脱原発状況を常に政府外から監視する。
 次にこれまで原子力機構で働いていた職員は国立法人に所属した国家公務員であったのだから、家族もいるであろう彼らにこれまでと同等以上の雇用条件である民間の仕事を日本政府が斡旋を保障する必要がある。日本原電と東電については公害施設を推進してきた責任をとって即時解体が必要不可欠である。いくら原子力機構に責任転嫁しようが、安月給の元、よほどでなければ首にならない国立施設で働く様な国家公務員が高い動機を得ることはできないのだから、事故の永久防止など永久に無理な話だ。そのことは原子力規制委員会も同じであるから、この仕事を国家公務員にさせるのは不合理で有害ですらある。

沖縄は自然破壊で済んでいるが天皇政府や安倍政権から大公害で現に人命を奪われている真の被害者は原発立地自治体の日本人達である

(ツイッター上で、「台湾も沖縄も日本の盾としか考えていない、ヤマトンチューのメンタリティは何年たとうと変わらないのでは」と述べている、ウラオモテヤマネコ (Uraomote Wildcat)氏のツイートへ宛てて)
日本人をひとくくりにしないでほしい。薩長藩閥に迷惑かけられて150年、天皇皇族に迷惑かけられて1400年、いまも苦しみ続けてるのが先住の日本人であって、薩長やら天皇政府と一緒にしないで。沖縄だけが侵略されてきたのではない。東国は天皇や薩長の侵略被害を今も受け原発までおしつけられている。
 沖縄を侵略したのは鹿児島県(薩摩国)の島津家であり、京都に住んでいた天皇。その島津家や天皇とつるんで東日本一帯を侵略したのが薩長土肥と呼ばれる、鹿児島県・山口県・佐賀県・高知県の人々。幾ら東日本が反対しようがイギリス製の武器で日本中を火の海にしていった。その後継が今の日本政府だ。その西軍の侵略に抗った(単なる不当な侵略なんだから当然抗うだろう)戊辰戦争では何千人も一般市民まで含めた死者が出た。つまりは天皇や西日本の薩長土肥らの侵略が悪い。沖縄だけでなく北海道や東日本中がその西軍による暴政の被害者なのだ。朝鮮侵略やら日清日露日中戦争を誘導したのは天皇家や薩長藩閥と呼ばれる、鹿児島県や山口県の人達だった(板垣退助という高知県の人も加担した)。それに反対した多くの日本人は憲兵に暴力を受け、殺された。なぜ正義の為に不正な薩長軍に抗って亡くなった人々を、あなたはひとくくりにしているのか?
 大和というのは古代の奈良県(大和国)の名称だ。本来、奈良県民ではない人々にあてていうべき言葉ではない。飛鳥時代から平安時代の奈良県民から一方的な侵略を受け、大量死してきた先祖がいる東日本各地に対してどう言い訳するつもりなのか。現状の日本政府、戦後の天皇支配の政府に対して賛意をもっている日本人が何人いるかは知らないが、当然、自分のようその日本政府を不正な権力とみなして今すぐにでも革命したいと思っている人間もいる。寧ろ長い間我々を抑圧している天皇や薩長藩閥を、沖縄民意を尊重するよう打倒しようというのだ。原発を東京の日本政府(中身は安倍晋三や麻生太郎のよう薩長藩閥の末裔とか、天皇である)からおしつけられているのは、東日本各地で薩長藩閥の一方的な侵略や悪政に抗った地域である。沖縄の事だけ考え、日本で西軍の被害をいまだに受けている被害者叩きなどしてはいけない。沖縄だけが犠牲者でない。
 沖縄県は辺野古の自然を埋め立てられるだけで済んでいるだけ、実際にはまだ全然ましなのだ。日本政府(薩長藩閥の末裔や天皇)の真の暴政の被害者は原発立地自治体であり、特に福島県である。西国人(西日本人)の利己的な悪政によって多くの人命が奪われているのだ。今もなおその大公害は続いている。首相の安倍晋三は山口県4区(中国地方、薩長藩閥の長州藩)の有権者が選んだ人物であり、副総理の麻生太郎は福岡県8区(九州地方、麻生の先祖は大久保利通で薩摩藩、鹿児島県の人物)の有権者が選んだ人物である。いわば、山口や福岡の人が、日本各地で原発公害による大量虐殺を行わせているのである。沖縄県のあなたは自分の身近な自然さえ守られれば日本各地の原発立地自治体の日本人が大量虐殺されようがどうでもいいと思って「やまとーうんちゅは沖縄を盾にしている」などといっているが、その沖縄より遥かに酷い被害にあっている日本各地の人々が大勢いる。原発を天皇政府におしつけられている。私は福島原発のすぐ隣に住んでいるから、あなたより遥かに酷い目にあってきた。東京都の公害会社(日本原電や東電)が私の住んでいる地域に無理やり原発をおしつけ、山口県4区や福岡県8区の有権者が選んだ安倍・麻生両氏と天皇の政府から、今もなお我々に大量虐殺をしている。被害者をなぜ非難する?
 私は福島原発のすぐ隣に住んでいるから、あなたより遥かに酷い目にあってきた。東京都の公害会社(日本原電や東電)が私の住んでいる地域に無理やり原発をおしつけ、山口県4区や福岡県8区の有権者が選んだ安倍・麻生両氏と天皇の政府から、今もなお我々を大量虐殺している。被害者をなぜ誹謗するのか? 日本国内で薩長土肥・天皇政府からこの1400年間、とんでもなく悲惨な一方的な暴力による大量虐殺や差別によるありとあらゆる被害を受け続けてきている人が大勢いるのに、それをひとくくりにして、沖縄県の事だけ考え被害者叩きなどするべきではない。
 私は人類が始まって以来、一度たりとも琉球侵略すべきなど考える筈もない。島津家や天皇家が100%悪いのである。その極悪人達が武器を悪用して琉球王権を奪ったのだ。なぜそんな大悪政をしている極悪人と私が一緒にされなければならないのか。当然私は天皇へ政治をすぐにやめてほしいといっている。台湾だろうが沖縄だろうが中国だろうが米国だろうが、どの国であれ現地の住民の意思を無視して基地をおしつける方が100%悪いのだから、それを実行させている人間がいるとしたらその人間が有責者である。具体的にそれをさせているのは天皇政府であって、天皇政府を支持しない私ではない。
 天皇政府を支持している大馬鹿者が日本のどこにいるのか私は全く知らないが、天皇支持者とか自民党支持者とか、山口4区の多数の有権者とか、福岡8区の多数の有権者が有責者である。その有責者どもと私を混同しないで下さい。沖縄だろうが台湾だろうが誰の盾にもなるべきでもないのは誰でもわかる。勿論、天皇皇族や安倍晋三、麻生太郎ら安倍内閣の構成員やその内閣を支持する自民党員全般も有責者だ。天皇皇族はその内閣を寄生主にしていると同時に実質的に支配しているのだから、他の公務員らの有責度より更に甚大な有責性があると私は思う。天皇皇族を筆頭に日本政府から一刻も早く退陣すべきだ。

アベノミクスは極右亡国政策

ネットタックル氏と藤巻建史氏はここで「極左」という政治学用語を、反国家的という意味で使っている。しかしインパール作戦などをもたらした日帝末期政権は極右(天皇制ファシズムや国家社会主義)勢力だから、彼らは極左という言葉を単に狭義で反国家的と意味で使うつもりでいると思われる。近藤昌宏氏が云う通り、勿論、その意味でここでネットタックル氏が最初に使い、藤巻氏が大同したと思われる「極左」という言葉は基本的に誤用を含んでいる。安倍晋三氏は日銀総裁と共に、自民党がこれまでとってきた国家社会主義的な右派~極右的意図をもって、金融上金持ち優遇政策をしてきたからだ。
 なぜネットタックル氏(及び藤巻議員)が資本家、特に日経平均株価の取引額の殆どを占める外国人株主に有利な安倍政権の国家社会主義政策を「極左」と形容しているかというと、基本的に彼らの中では右翼性・愛国性が正義と考えられ、金持ち優遇、貧民冷遇は正しいと考えられているからだと思う。いいかえると、アベノミクスは金持ち優遇政策を目的にした国家社会主義的な(日銀による日経平均ETF買い等の)企業国有化の金融政策を含んでいたが、ネット氏や藤巻氏はその格差拡大性を非難しているのではなく、プチバブル誘導による外国人株主に有利な政策を、極端に強調し「極左」というのだろう。
 真に政治学用語としての極左・極右などの定義を正しく用いれば、アベノミクスは右派による外国人を含む金持ち優遇・貧民冷遇の新自由主義政策だったので、「極右」亡国政策として非難されるべきことになる。なぜその様な正しい言葉を彼らが使いたがらないかというと、愛国イデオロギーによるのだろう。

日本人衆愚は沖縄県民投票をすぐ忘れ長い物(安倍政権や米軍権力、皇室権力など)に巻かれる

どうせ最低でも県外へといって努力していた鳩山元総理への扱いをみればわかるよう、日本人衆愚なんてこの県民投票もすぐに忘れ、長い物に巻かれて安倍礼賛に戻るからみているといい。日本人衆愚の側に善意など期待してはいけない。安倍という人はそれがよく読めている。立派なことではないが。

天皇の先祖(弥生人)が中国から侵略してこなかった時代は党派や皇族がおらず民意が直接尊重される共和政(民主主義)だった

石器時代は天皇も将軍もいない共和国だったんだから、封建制の時代と比べるのは間違い。民意を尊重するという意味では縄文時代や石器時代が最もそうだったはず。

白い梅

白いレースのカーテンごしに白い梅が見える

2019/02/26

日本の政治は胴元の邪教祖天皇が利益独占する為の虚構

日本の政治は、正確には天皇を中心とした皇族閥に利益が回ってくる様になっている。なおその構図は1400年前、天皇が大化の改新で大和王朝を確立してから変わりません。

薩長史観に偏った物の見方をしている茂木健一郎氏への説教

茂木さんは、坂本龍馬というスコットランド商人から武器を横流しして東北の日本人を薩長土肥や西軍がわけもなく大量虐殺する原因を作った死の商人を、やたらともちあげ美化していましたよね。あなたは一度でも会津の白虎隊の墓とか秋田や青森の現地までいって、戊辰戦争が一体どういう最悪の内乱だったか、薩長土肥らが東北各地でどれほどの大蛮行をしたか、きちんと調べたことがあるんですか? もし一度でもそれがあったらあなたの坂本龍馬の美化は本当に罪深い大犯罪だと分かったはずだよ。
 正直いって、恐らく茂木さんの史学や政治哲学の知的水準だと、永久に水戸学を理解するところまで進んでこないだろうから敢えていっておくけど、水戸の回天神社に行って一体そこで戊辰戦争で亡くなった人々がなぜ死んだか調べたら、あなたの視野がいかに偏っているかわかったはずだよ。あなたの母方の地元にあたる佐賀県だの、高知県だの、鹿児島県だの山口県だのの人々が、いかに卑賤な権力奪取の目的で、水戸や東北の誠意ある人々を裏切り、一方的にスコットランド製の武器で不正に侵略蛮行を働いたか。天皇皇族や京都界隈の人々もだけどね。それは永久にぬぐえない歴史上の犯罪だよ。
 水戸の徳川家や会津の松平家は天皇に純粋に仕える精神をもっていたから、その配下の侍らも皆それに従っていた。ところがこの誠意を悪用し、薩長土肥らは岩倉具視と組んで、天皇権力で江戸の徳川宗家の権力を覆す為に使おうとしたんですよ。それで同盟関係を裏切り、水戸出身の最後の将軍をも裏切った。最後の将軍は誰も裏切るつもりなんてなかったし、天皇に誠心誠意仕える精神を水戸の徳川家伝来でもっていたから、自分の最高権力者としての地位を天皇に禅譲したんですよ。将軍として攘夷が不可能な上に薩長が暴れまわるから天皇のもとで大名皆で国会を開いて政治をしようとした。
 ところが陰険で利己的な権力亡者の薩長の方は、そもそも最後の将軍に無理やりさせられた水戸出身の慶喜を裏切って、不正に親族である皇族と同士討ちさせようと図った。外敵が迫っている中で日本全体を二分する戦いをできないし、天皇を守るのが水戸の徳川家の家訓だったから慶喜は禅譲して恭順した。会津はじめ徳川に仕えていた侍らは、この薩長の不正をみてとって、当然そんな不正は許せないといったわけだ。当たり前のことだ。公の政で不正が正当化なんてできるわけがない。しかしあなたの美化した坂本の武器で付け上がった薩長土肥は、慶喜をかばった東北や新潟に侵略したんですよ。
 水戸は最初にイギリス捕鯨船が漂着してから尊皇攘夷を旗印に、全国を統一して植民地化を防ごうとした最も先覚的な藩で、山口や鹿児島、高知まで遊説して尊攘論を伝えたのは水戸のお侍さんたちです。当時の本である『桜田義挙録』にちゃんと書いてあります。あなたはそれを知らない。佐賀もそうですが、薩長はこの水戸の侍の遊説によって漸く目覚めて、水戸が近代化しようと幕政改革をはじめていたからそれを真似たんですよ。そして水長同盟だのを組んで、水戸の侍の一部が薩摩とも京都義挙を協働して、外敵を防ごうと弱腰の幕政をなんとか復活させようとした。水戸史の方はもっと複雑で色々な悲劇があったから、どうせ茂木さんは一生涯それを学ばないだろうから、ここでも説明しません。しかし言い尽くせないほど本当に色々なことがあり、それはどれも涙が出るほど感動的で、だが悲しいお話ばかりです。水戸の人々は本気で日本を守ろうと全力を尽くしました。
 薩長土肥は、先ほど申し上げたよう、西日本の人々を信じていた水戸の人々をも何度も何度も裏切りました。薩長の不誠実な裏切り行為の最後の総仕上げというべき蛮行が、あなたの美化していた坂本龍馬の武器を使った東北への侵略行為でした。調べるほど悲惨なので、あなたが知ったら必ず悔いたでしょう。
 慶喜公のご末裔は先日、水戸の病院で亡くなりました。徳川慶喜家はそれで断絶しました。しかし、私が知る限り、慶喜公ほど立派で崇高な志をもった人物は、古今東西どこにもいないほどです。その貴人を裏切った坂本龍馬や薩長土肥の罪は、未来永劫、永遠に拭い去れないと私は深く確信しています。
 いずれ、茂木さんが坂本龍馬という死の商人を美化し、薩長土肥らの侵略罪を正当化していたことを心から悔いる日がきっときます。それについても私は確信を持っています。今まで黙って眺めていました。しかし沖縄の問題について見ていて、ここで言わないと茂木さんは永遠に薩長を疑わないと思いました。
 天皇皇族や、薩長土肥といったマキャベリスト達は、善悪と強弱を完全に混同しています。殺してしまえばどんな不正でも正当化できるという彼らの、あるいはあなたの考えは、私は或るノルウェーの友人から「海賊の考えだ」といわれ、本当に野蛮な考えだと気づきました。これから未来の日本、そして世界史はもっと文明化されるほうに必ず動いてきます。その後、これまでその野蛮な海賊の考え、勝てば官軍という侵略主義の旗印で美化されてきた薩長土肥や岩倉や天皇への反動、逆に、水戸の慶喜公をはじめとした徳川方や、奥羽悦列藩同盟側の悲劇に再評価が生まれます。それに伴って、北海道、沖縄をはじめ、アイヌや縄文人と呼ばれていた先住日本人達の主権を侵略によって奪い去ってきた天皇や、鹿児島の島津氏、或いはその蛮行を後押しした薩長土肥へきちんと批判的な検証に基づいた、決して小説家の作ったひいきではない歴史的な再評価が行われます。侵略は罪です。
 話は沖縄、かつての琉球王国をめぐる、天皇や薩長土肥らの幕末から明治時代にかけての侵略に始まり、今に至る、西軍のマキャベリズムについてなのです。必ず日本人は、権謀術数を全てとしていたここ150年は、あなたの持ち上げている西軍による野蛮な、未開の時代だったと証明することになるでしょう。私は戦時中の新聞で、百人斬り競争といっている、鹿児島と山口出身の軍人が、中国でニコニコ笑って100人以上の人殺しを自慢しているのをみました。ウィキペディアにも載っています。また私は徳川斉昭公や慶喜公が近代化に全力で努力していたのもきちんとした検証の元に知っています。
 近代化を薩長土肥がした、というのは嘘であり、単なる小説です。歴史上の事実は、水戸の徳川家が先に自ら近代化をはじめ、慶喜はフランス式の近代化に死力を尽くしつつ自ら進んで開国し、そして薩長のテロによる内乱の長期化と欧米列強からの植民地化を防ぐ為、天皇へ自ら禅譲しました。琉球王国の主権を奪ったのは島津氏であり、天皇です。そのことも隠せない事実です。あなたの持ち上げてきた薩長は、侵略や内乱によって公的日本政府を転覆させようと図った単なるテロリストです。東京の日本政府は将軍府が徳川家から天皇家に禅譲されただけで、薩長藩閥は単なる権力の簒奪者なんです。
 慶喜公の母方は皇族でした。しかも尊皇思想を代々受け継いで、絶対的な家訓にすらしていた家の出でした。その家の子を、当の天皇と戦わせようとしたのは、岩倉具視の画策だったのです。どうせ譲るのがわかっているから、薩長を唆して貧乏公家が将軍府の政治的地位を簒奪しようとしたんです。沖縄県の主権を明治も今も簒奪しているのは、あなたの後押ししてきた薩長土肥であって、そのマキャベリズムが持ち上げてきた米軍なんですよ。力に媚を売って正義をゆがめていたあなたの先祖やあなたが、こうなった最初の原因を作っている。
 私がここであなたに真理を伝えておきましょう。この世では力より正義の方が強い。力でどれほど正義を弾圧しても、こうして、私が150年の時を超えて、今あなたのしてきた不正を暴いてしまったではないですか? どれほど力で押さえつけても無駄なんですよ。魂は失われないのです。天皇が徳川家に濡れ衣を着せて江戸城を奪ったのも、歴史上の事実です。琉球王の主権を侵略によって簒奪してしまったのも、その後、米軍に媚を売って沖縄県民の主権を侵害してきたのも事実です。これらの不正は力によって覆い隠そうとしても、結局暴かれてしまう。坂本龍馬が単なる一介の浪人でありながら自分の金欲しさに内乱罪を企んで、スコットランド商人から武器を密輸し、テロ活動を行ったのも事実です。その結果、めぐりめぐって東北で無実の人々が、その武器を悪用した薩長土肥ら西軍から一般人や女子供も含め、何千人も大量に殺されました。靖国神社に、最後の内乱、西軍による東北侵略である戊辰戦争で大量虐殺された人々は祭られていない。天皇を教祖にする神道は、岩倉や西郷隆盛、(麻生太郎の先祖である)大久保利通、明治天皇らによって濡れ衣を着せられた徳川家をかばった正義感の高い、本当に善い人々へ不当に汚名を着せ続けている。
 たとえ茂木さんが無知で、或いは自集団ひいきの偏見で、薩長土肥らによる内乱罪、しかも徳川慶喜公に濡れ衣を着せて血のつながった親族と殺し合いをさせようとした西軍の大蛮行を正当化しようとしても、そんなことは不可能なんですよ。騙せるのは愚民だけだ。島津や天皇の沖縄侵略も正当化できない。恐らく心のどこかでは、無意識に「自分達は不正なことをしている。しかし力で押し通せば何とかごまかせるだろう」と思っていたのではないですか? それで心暗い、後ろめたいところがあるからこそ、あれほど無闇に坂本龍馬の死の商売をもちあげていたのではないか。誰がどう見てもテロ活動なのに。「テロ活動だろうとなんだろうと、暴力で無理やり警察やら公権力やらを蹂躙してしまえば、なんとでもごまかせるだろう。それが佐賀県に母をもつ自分の歴史的ルーツなのだから」と思っていたのでは? 茂木さんが動画の中で東京圏の人々から明治維新を美化するのは違うといわれていたのを見ましたよ。
 まさに薩長をルーツにもつ安倍総理と麻生副総理のもと(彼らは同時に天皇とも親族ですが)、明治以来の日本政府の側からかつての琉球王国民、今の沖縄県民を侵略し、無理やり暴力で米軍基地をおしつけているのが現状ですね。この150年間の佐賀出身の人がやった蛮行の意味をこれで少しは反省できます? 誰だっていきなりやってきた犯罪集団から頭ごなしに侮辱され、無理やりろくでもない三流政治をおしつけられたら嫌でしょう? 水戸にもそうやってやってきた徳川家は最初こそ似た様な野蛮さだったが、最終的には立派な教養を身につけ民の模範となった。では薩長土肥の人たちがどうだったでしょうね? 少なくとも江戸時代250年間のうち、徳川光圀さんが2代目をしてから殆どの間、水戸にきた徳川家の人々は殆ど立派な精神の持ち主だと考えられていた。しかし佐賀から出てきた官吏がどうだったかといえば最初からろくなものではなかったが150年後の今も、何一つ文化というものを理解していないのでは?
 今回の沖縄に対する安倍さんという山口から出てきた政治家の人の態度、見てどう思うのでしょう? 教養が全くないのは言うまでもないが精神的に、公徳の面で尊敬できる面など何一つないでしょう? 天皇も、水戸の徳川さんたちより遥かに劣りますよ。はっきりいってね。幼稚な政治です。私がこれまで現時点までの日本史を見てきた限り、あなたのやたら持ち上げていた薩長土肥とか天皇には、殆ど尊敬すべき精神など何も見当たらなかったですよ。仁徳天皇が民のかまどから火が上ったから税をまた取れといったとか、その程度の幼稚な精神性しかない。世襲独裁で腐りきっている。あなたが散々もちあげていた薩長藩閥の人らもそうだけど、西日本から出てきた政治家の人々は、はっきりいえば文化の質が低すぎてお話にならない。ではなぜそれほどまでにあなた方が傲慢なのかといえば、ダニングクルーガー効果で馬鹿ほど自覚がないからです。それが全てなんですよ。
 茂木さんがいつかきちんとした文化的素養を身につけて、明治以後の歴史観についても、下らない小説史観から離れ、冷静で客観的に物を見れる様になったら、あなたがこれまで美化してきたテロリストであるところの坂本龍馬さんやら、薩長藩閥をもちあげていたことは腸がちぎれるほど恥を感じるはずです。

安倍晋三や天皇明仁は単なる無能な世襲独裁者でダークトライアド

安倍晋三氏はダークトライアド(マキャベリスト、サイコパス、ナルシシストを兼ねた悪しき性格)と思うし、一般的な学力が足りないのも確かだと思うけど、問題は知性に劣等感がある人達や、悪意ある人達がそれゆえ逆に安倍氏の信者になってしまうこと。それだけ愚民や悪人がこの国には群れている。
 250年間あれほど立派な政治をしていた水戸の徳川家に比べ、天皇のやってきたここ150年の政治が無能を超えた極悪非道ぶりだったのは明らかだから、もう天皇が単なる虚栄に耽る世襲の邪教祖だというのは疑う余地が一切ない。誰だって自分より徳の低い人になど仕えたいわけがない。尊敬もできるわけがない。軽蔑の念を隠すこともできない。天皇皇族は自分より徳が低い人たちだ。国税で贅沢三昧し、貧しい人々が都内であれだけ浮浪者をしているのに、その目の前で明治天皇を祝う式典だか何だかをやっていた。悪魔的なやくざだ。
 トランプは最初から他国の米軍はさっさと撤退させたいといって当選したのだから、当然在日米軍も撤退するつもりでいる。したがって沖縄からも米軍を引き上げるはずだ。
 安倍晋三や彼を支持する衆愚は、米国が軍隊を引き上げるといったら手のひらを返してそれに従う筈だ。彼らは属国民なのだ。安倍晋三や麻生太郎を含む薩長藩閥の末裔らが、天皇とともに基本的政治信条としているのはマキャベリズム(勝てば官軍というやつ)で、要するに力に媚を売り保身を図ることだ。そこに善悪の観念はないか、あっても強弱にすりかえられる。善悪と強弱を混同し、強い力に全てを従属させたがる。安倍晋三やその支持者ら、いわゆる山口県の長州閥は、明治維新のとき明らかに不正をして将軍を追い落としたことを正当化するためマキャベリズムを政治的正当性だと確信する様になった。米軍が日帝を追い落としてからは、今度は米軍に従属するのが彼らの政治的正当性にすりかわっていった。

沖縄辺野古基地の埋め立てと日本人達の描写

沖縄「辺野古基地にほぼ全員反対でした」
安倍「埋める」
ツイッター民「消えろ」
世間「さすが安倍さん」
トランプ「まじでどうでもいいし、しらなかった」
自民党支持者(日本人で最多)「自民党に従って当たり前だ!」
天皇「朕が国税で歌つくってやったぞ沖縄人共」
ローラ「沖縄の海を守れ!(福島や茨城の海は無視)」
沖縄人「辺野古には反対するけど、原発公害で他県がどうなろうと無視してました」
新潟人「知事が都民にはめられて東京に再稼動おしつけられてます」
茨城人「新知事が自民党支持で当選したから東京に再稼動おしつけられてます」
青森人・福島人「東京に再稼動おしつけられてます」
東京人「賄賂五輪で大もうけ。原発で死ぬ他県民や沖縄なんぞどうでもいい」
関西人「福井に原発おしつけろ」
北海道人・仙台人・四国人・九州人「どうせ原発なんて大丈夫だろ」
安倍「検査なんてしなくていいよ。日本の原発は安全だから!」
福島人「お前のせいでこうなった」
静岡人「愛知に原発おしつけられてます」
愛知人「静岡なら大丈夫じゃん」
自民党支持者は嫌な他国の基地おしつける本物の極悪人で、東京人や関西人も他県に原発おしつけるとんでもない悪魔で、安倍晋三はただのダークトライアドだな。北海道・仙台・四国九州は原発をなめてるただのアホだろうな。で、天皇は偽善者でトランプは他国なんてどうでもいいと思ってるエゴイストだな。
 沖縄人はたまたま玉城デニー知事が大騒ぎすることになったけど、沖縄県民自身は自分のことしか考えてないから、日本全体の原発公害には特に何にも声あげてないからね。沖縄さえよければ他県がどうなろうとどうでもいいと思ってる人達だな。
 天皇も邪悪な立ち位置だけど当然、自民党支持者や東京人・関西人の悪意というのはもう明白すぎるほど強烈だから、この人達は当然の様に反日だし、反国民そのものだね。自分の金儲けだの地位保全の為なら平気で他県民を大量虐殺して恥じたり罪を感じたりする能力はないんだね。
 大体、大都市が悪意ある人々の集まりだというのが実態だな。天皇や安倍晋三を中心に、原発を大都市から遠い(と彼らが思う)所におしつけて、そこの人類を犠牲に自分だけ金を儲けようと考えていて、本当に心底悪意しかない。自民党支持者はこの悪意に群れている極悪人衆愚で、根が卑しいんだろう。ローラとかどうせ沖縄旅行で海で泳いだからそこを守れとかいってるだけの政治素人だから、福島や茨城が地元でそこの海で子供の時から遊んできた人の気持ちなんて全然わからないただのミーハー芸能人だな。

2019/02/25

天皇がアメリカ属国体制を作った張本人なうえ日本人を奴隷化し1400年も経つからそろそろ政治から永久に足を洗ってほしい

国税払ってるのが国民なのだから、税を暴力で奪い取っているやくざ、極道者は日本政府であり天皇ですよ? 「銭をよこせ」と国民側に言ってきてるのは日本政府であり、皇室であり、沖縄県民じゃないでしょう? 沖縄県民は税金払ってる側でしょうに? 自分で税金払って望まない他国の軍隊の基地を間接統治用におしつけられているから、いりませんよと言ってるんでしょ? なぜ日本をUSA属国にしたいのです?
 確かに正確に言うと、沖縄県は相対的に貧しい自治体であるから、国税を大目に調整されている。しかしこれは全体のことであるから沖縄県に限っての話ではなく、東京都以外の全自治体は同じく多かれ少なかれ地方交付税を調整されていますね。しかも再三いうよう、皇室や日本政府が税を民から貪っている。
 安倍晋三とか天皇明仁という世襲の独裁者達の先祖は、琉球王国を天皇の先祖である島津氏とともに侵略し、そこを自らの統治下に入れて、戦火に巻き込みましたね。およそ150年位前から今までの話です。安倍さんの地元である山口県の長州閥もその琉球侵略に加担していましたね、明治時代以後。第二次大戦中、沖縄は日本本土で唯一戦場になって日本軍が集団自殺を命令したり大変悲惨な戦禍が繰り広げられた。しかしこれを軍部統帥権のもと命令していた昭和天皇裕仁は第一の一級戦犯たる責任をとらず生きながらえた。その子が明仁こと今上天皇です。当時の内閣にいた岸信介の孫が安倍晋三です。
 結局、明仁さんや安倍さんは沖縄県を明治時代以後の150年間に渡って、鹿児島県(薩摩国)の統治者だった島津家共々、長い間侵略し主権を奪ってきましたよね。その挙句に今日、沖縄県の税金を不正に流用して米軍基地までおしつけている。極道者、やくざなのは客観的に見て天皇や安倍さんの方でしょう? もっと酷いことには退位法が違憲なのに全会一致で無理やり忖度させている天皇という、主権を侵害する本物の独裁者が、政教分離を破って独裁者安倍晋三のさらに上位に控えているという魔の体制があるんですがね。
 沖縄県民の政治史学的教養の平均水準がさほど高くないから(平均学力は日本で最低の部類に属する)、恐らく大部分の沖縄県民の中で内地(本土)の人は一緒くたであって、戊辰戦争以来の天皇やら安倍さんやら薩長土肥やら徳川方やらの複雑な対立関係には無知でしょう。けど本土は反薩長も反天皇もいる。で、現日本政府が明治時代に成立するまでの経緯もさることながら、それ以後の近代政治史の中でも薩長藩閥による寡頭政治が今まで尾を引いているし、天皇制と呼ばれる政教一致の絶対権力は今も退位法で見られるとおり健在なわけで、決して日本人全般は極道天皇政府に従属的な存在ばかりではないですよ。寧ろ最も先進的な意識を持つ本土人の中には、沖縄独立論とか北海道独立論といった先住権を持つ日本人が天皇制の外に出て真の共和国なり新王国を作るべきだと考えた人(太田竜)もいた。極道者の天皇暴力団である日本政府が国内唯一の権力装置だというのは単なる虚構で、現に米軍に依存してるでしょう?
 状況全てを鑑みると、天皇が保身の為にGHQへ事実上の命乞いをし、一級戦犯扱いでの処刑を免れて共犯として米軍とともに日本人を洗脳し直して、再び象徴天皇としての極道の大親分と邪教祖を兼ねる地位に就き直してしまったと。これが今の沖縄へ米軍基地をおしつけている根本原因ですよ。天皇制が悪い。明仁さん(今上天皇)は母も妹の夫も島津家で、その島津こそ鹿児島から沖縄を侵略した張本人なんだから、明仁さんこそが沖縄をアメリカ属国の奴隷状態にしたてあげている第一原因なわけだ。沖縄県民の払った国税で偽善の歌を作って沖縄県民の情に訴えているけれども、やってることはただの侵略の延長。なぜ沖縄県民の民意を無視するかというと、この明仁という名の平成天皇が、父親であるところの昭和天皇とともに、米軍依存の戦後日本政府を自分の保身の為に作ってきたからでしょう? 鳩山内閣が辺野古移設を訴えかけたとき、明仁さんが習近平氏との接受を拒否して鳩山内閣を破壊しましたよね? 天皇はプロスペクト理論(得る時より失う時の痛みの方が大きいという心理学の理論です)によると最高の地位を失うことを何より恐れてしまう。であるからどんな手を使っても天皇の地位を失いたくないわけです。それで安倍さんや麻生さんという薩長藩閥の末裔を手先にして、沖縄を間接統治下に置きたい。沖縄が独立したり、明治以前のよう中国の影響力下に入ると、天皇権力を背後で保守している米軍の力が極東で弱くなってしまうわけです。それで明仁さんは陰謀を働いて、宮内庁2階の宮内記者会や宮内官僚から鳩山内閣に濡れ衣を着せて反国民かのよう情報操作をはじめ、政府から追放してしまいました。
 おわかりでしょう? 天皇の悪意が沖縄県民の上に降り注いでいるから、その自身の世襲権力を絶対化しようという邪悪な意図が米軍を今も沖縄におしつけているのであって、もともと沖縄独立を何とかせき止めて自分の威光のため徴税できる帝国の版図を少しでも広げようとしてるのです。島津氏と同じでね。鳩山内閣は英雄的な正義感をもって沖縄県の為に行動しましたし、小沢一郎さんは更に米軍依存の属国体制を少しでも改善しようと、中国との新同盟関係を模索さえした。ところが天皇帝国の背骨が米軍であると判断している明仁さんが官僚を操りこの正しい国益の為の政治を破壊してしまったし、今もそうだ。安倍さんの方は鳩山さんや小沢さんよりもっと遥かに卑小な魂の独裁者ですから、自身の首相権力を保全する為に米国政府に自ら従属を願い出るといった算段で、明仁さんとは共犯関係です。勿論、安倍さんや明仁さんの中で国益であるとか沖縄を含む国民の人命など己の権力より遥かに優先順位が低いのです。
 本土人は、こういう悪意ある天皇政府を構成している邪悪な人たちと日々戦っているのですよ(しかも飛鳥時代以来1400年近くやっている)。あらゆる手段を模索しながら。沖縄県民の人々はそういう政府界隈の凄まじい戦いぶりをしらないから、さも本土人全てが一枚岩で、天皇政府と一体と勘違いしている。
 結論をいうと、天皇が悪いのです。勿論、明仁さんとその父親であるところの裕仁さんが自身の地位の保全の為に米軍に属国状態の戦後日本国を作ったのが悪い。がこれに共犯関係だったのが岸信介さんとその孫である安倍晋三さんであり、彼らは長州閥の末裔として明治以後の沖縄侵略も正当化している。したがって、安倍晋三一派を国政から除去し、同時に天皇権力も日本政府から永久に追放してしまえば、米軍属国状態はもう防げることでしょう。米国側も主権を回復し共和国としてまっとうに自国を作るほど民意が立派だったら最初から、邪教祖である天皇による愚民洗脳なんて利用しなかったわけですから。
 因みに茨城県は県民が米軍追放運動して米軍基地だった場所をネモフィラの丘がある某ひたち海浜公園にしたので、沖縄県だってほかの米軍基地がある地域だってやろうと思えばやれるのですよ? なぜそれをしないかというとその地域の県民が県土に対し愛県心をもっていないから、としかいいようがない。

日本人全般は人命より珊瑚に同情する本物の偽善的極悪人

沖縄の自然破壊ごときには腐るほど大騒ぎするのに、実際に何百万人の命を奪う、東京の日本原電による東海第二原発再稼動要請には、一言も騒がない。なんて偽善的な極悪人たちだろう。日本人全般は自分が沖縄の海で遊びたい利己心の為に沖縄に同情しているだけで、現実には何らかの人間的な道徳心で辺野古について騒いでいるわけじゃない。もし本当に命を大切だと思っているなら、茨城におしつけられた東海第二原発の再稼動要請をしてきた東京の日本原電をもっと激しく責めていた筈だ。
 ローラがなぜ福島や茨城の海に面した、ローラの住む東京都の会社がおしつけてきている原発には全然反対の声をあげないのか。そこに住む沢山の命や人命が現に失われているのに? 単純に、ローラが沖縄の海で遊びたい利己心である。なんと幼稚な政治的言動だろうか。沖縄の海にはメディアに捏造されたイメージで同情するが、茨城の海が東京都民に汚されることには一言も声をあげず、ひたすら己のカネの為に人類だの生物だのを大量虐殺する。なんという極悪人達か。
 日本人全般がとんでもなく卑しい利己主義者だということはこの件でも完全に証明された。人命を守るより先に、自分が沖縄の海で遊びたい一心で、全く的の外れた大騒ぎをして恥じる気配すらない。
 孔子は厩が焼けても最初に人命を心配した。ところが日本人全般は? なんと人命より珊瑚が第一なのだ。
 普段から魅力度差別なんかして、メディアに印象操作された卑しい偏見をもった露悪的な人たちだとは思っていたけど、まさかこれほどまでとは。
 今後は日本人全般が利己心以外の何かしらの道徳心をもっているとは考えないことにした。茂木健一郎氏も似た様な物なのだろうか? 原発公害には無言なのだが。
 目の前で大量虐殺中の原発公害には一言の声もあげないのに、沖縄の珊瑚を守りたいとかいう人命より優先度がずっと低いはずの問題には馬鹿みたく声をあげる(まあ米軍の間接統治という背景はあるにせよ直接的な原発公害の殺人性には遠く及ばない)。こんな人たち、信用できないね。

統計は民間委託すべし

とつげき東北という中央省庁の統計関連部局に勤めてる人が、アメーバピグというSNSサイト内で、「いちいち(統計の)不正なんて見てない。そんな暇ない」などといってました。不誠実な国家公務員が統計を取ることには限界があるようなので、競争入札で民間委託するべきだと思います。

自民党に投票して野党が勝てないと罵る意味不明な右翼に

あなたが不正な自民党に投票するせいで政権交代が起きないだけなのに、なんで自分の不正を正当化しているの?

天皇や安倍晋三はダークトライアド説

自分の権力維持の為なら安倍晋三という人は戦争も大量虐殺も辞さないでしょ。原発立地自治体がまさにそうだけど、沖縄だけでなく日本全国民が同じ目にあっている。自民党支持者や安倍内閣支持者の悪意ある利己心が、全国民をブーメランになって傷つけると。
 沖縄県民とか日本国民とか全く関係なくて、安倍晋三という人はこれまでみてきたようダークトライアドなのであって、誰であれ自身の権力維持に必要なら利用し、そうでなかったら死のうが冤罪にかけられ潰されようが平気なんですよ。そしてそういう安倍さんや母体である自民を支持しまくる愚民の国なの。沖縄人は原発を東京だの大阪だのからおしつけられてる県民が、同じ無知か悪意の自民党支持者らの被害者だということについては何の認知もしてないでしょ。辺野古は自然破壊なだけだろうけど原発は実際に命を奪ってくる大公害施設なんだが、安倍支持者らはそんなのどうでもよくて自分の金しか頭にない。
 他人の立場に立って物を考えられないというのは生まれつきの脳のできがよくない、IQの低さとかEQの低さとかと関係しているから直らないんですよ。そういう人たちが大勢いて自民党や安倍内閣を支持してしまう。衆愚がね。それで弱い立場の人を集団虐待して、黙らせ自分達が勝ち組だといってるんです。天皇を生まれつき逆差別して崇めて、貧しい、弱い立場の国民を差別し、虐げ、米軍基地だの原発だのをおしつけて搾取する、というのが天皇という渡来人の末裔が作ってきたここ1400年の日本なんですよ。奈良・京都・東京から。天皇を倒そうとした英雄もいたけど邪教信者らの悪意に潰されてしまった。
 ダークトライアドなの、安倍晋三さんは。自分の権力維持の為ならどんな悪事も正当化してしまいます。天皇も恐らくそうですけどね。因みに今は首都圏と呼ばれてる関東地方も、天皇に奈良や京都から侵略受けただけの話だ。勿論それを全く支持してない人もいる。無理やり天皇の邪教を暴力団におしつけられ、反抗しようものなら脅迫される。それで天皇権力を利用して政権を独裁したがる山口県(長州閥)の安倍晋三みたいなのが現れる。琉球王国だけが天皇やそれをもちあげて悪政しまくる薩長藩閥(安倍晋三や麻生太郎みたいな、山口や鹿児島から明治期以後に東京へ出てきた人々やその末裔)の犠牲になったのではない。おおよそ東日本全体がそうですよ。
 琉球史からいったら島津氏(今上天皇の母、妹の夫)が侵略して琉球王を略奪してから、魔の日本帝国時代が続くんだし、それ以前は両交貿易時代だったんだから寧ろ中国語でも沖縄のニュースを流すのは自然なこと。一体、島津やら天皇やらが沖縄に対してどれだけ蛮行したと思ってんだか。中国と比べてどっちがましだと思うんだろう? 島津氏の末裔である天皇が沖縄侵略を罪だと思うほど良識があったら、最初から琉球人の主権奪ってないんだから、京都御所だの皇居を米軍基地にするがいい。
 東日本一帯や北海道沖縄、西日本の徳川方大名の領地も薩長藩閥や天皇の侵略の犠牲なのを忘れないでいただきたい。薩長土肥と天皇に与した西軍の侵略で、何千人も死んだ。

アベノミクスによる企業国有化は、結局、日本人全体の資産価値を目減りさせただけに終わった

日銀が日経平均ETFを買い占めていることは深謀遠慮で、日本企業を外国人に買われるよりましだと考えているから、とのツイートへ宛てて)
かつて共産主義者は似た様なことを考え企業を国有化した。非効率な企業が温存されたり計画経済が祟って過剰生産など市場が機能しなくなり結果、競争力を喪失して失敗し、ソ連ごと潰れた。それ以後、共産主義者さえ反省し、中国共産党みたいに自由市場に極力干渉しなくなった。ところが安倍氏は無反省。
 恐らく安倍氏は無反省というより余りに無知で、企業国有化の非効率や計画経済の不可能性という、近代経済学の基本的知識まで到達していない。それで米国の日本操縦者の言いなりになり、日経平均株価を外人株主に有利な状態までもちあげさせているが、ジムのよう売り抜けられ外人に富を抜き取られた。
 今後残っている現象は日銀が日本株をいずれ売らないといけない。なぜなら自国企業を不当にひいきしているともっと有利な外資をもっている国々との国際競争に資産価値で負けてしまうので。つまり日銀の売りで株価は暴落するが、それ以前に取引の殆どを占めていた外人は売り抜けているから損は全日本人。より詳しくいうと、日本人全体(つまり日銀。円通貨発行権を握っている)は安く日経平均ETFを買わされ、ジム等は高く売りぬけた。今後は日銀が売りに入る以外の選択肢はない。共産化しているのと一緒で国際競争に負けることはわかっている。日銀は下落相場で売って日本人全体の資産価値は目減りする。
 ETF取引額の殆どを占めていた外人株主(特にアメリカの日本操縦者)は日本人全体の資産を抜き取って、安倍という保身したさにアメリカ側の言いなりの無知な売国奴を騙せた、安倍信者だか自民党信者の日本人一般が馬鹿で本当によかった、しめしめと思っているでしょう。アベノミクスのプチバブルで日本株で多少なり儲けた連中は、逃げ足が遅いほど今後の日銀売りに起因した暴落相場で大損して、そのわずかな儲けも吹っ飛ぶと。それでぬか喜びだったとようやく悟って安倍晋三という人を戦犯扱いしだすでしょうね。

Really would we need the action to get the peace?

(To Dalai Lama's tweet. The content is he's saying merely praying cannot bring peace, just need action)
Aristotle thought opposite, he said theoria (theory) was most influential. Because God will do theoretical activity only, by him.
  On the other hand, Wang Yangming thought true knowledge brought also activity necessarily, by his integration theory. Socrates was resemble too.
  Your thought is similar with the latter.
  Why do you think as if activity needs to change the world? Someday I want to know it.

現実の日本女一般(例外はいるが)は寧ろひいきの引き倒しに驕れる強者である

女全体が弱者であるかのよう過度に一般化し、単純化して被差別集団を捏造しているんだな、女権論者は。現実には強い女性が弱い男性へ日常的にセクハラし、嫌がらせし、集団虐待さえ主導している。だが女権論者にとってこの事実は極めて都合が悪いから封殺したがる。
 これまで俺がどれだけ労働者の女に差別やら嫌がらせやら、とんでもない無礼極まりない陰湿な誹謗だか、権力闘争じみた集団での裏切りやら攻撃を受けたか。震災時にはそういう馬鹿女の一員に「男だから」津波が来る危険な場所だの震度6の中で倒壊する建物や路面の間を抜け校庭を見てこいといわれ、殺されかけたし。
 労働者の女だけではない。京女だの東京女だのの大部分の陰険さは筆舌に尽くしがたく、とんでもない悪性者だらけで、自分が利益を独占する為ありとあらゆる女権を乱用しているのはいうまでもなく、不公平なひいきを利用して虐げられる弱者の善良な男にあらぬ汚名を着せ集団虐待を主導さえしていた。
 女が弱者だというのは完全な嘘だ。現実はその真逆で、日本女のうち大部分は生まれつきひいきされていてその有利な立場を徹底的に利用して、虐げられる男をごみの様に扱っていた。自分のカネ欲しさにどんな卑怯なことでもする連中だった。陰湿極まりなく人間というより悪魔に近い生物だった。
 日本女の一部(某京女の小説家)は自分の性欲の為に弱者たる善男を徹底的にいたぶり、ごみ以下の様に扱いながら周辺のとりまきから悪意ある犯罪をしかけさせ、殆ど死の間際まで追い詰めていた。極悪人どころか悪魔以外何者でもない。しかもそんなのが東京で出版業界に媚を売ってカネと名誉を得ていた。
 現実の日本女は集団虐めを何より好み、善悪の観念はなく、群れる為に群れながら保身を第一に図って善良な人間(日本人と外人と、男女を問わず)を集団虐待し、東京だの愛知だの関西だのから淫乱さを自己喧伝して何の恥も感じていなかった。これは本当のことだ。現実に自分が見てきた日本女一般の姿だ。関西女は京女を中心に陰湿な嫌がらせを文化だと思っていて悪口・陰口・陰謀による虐めを何より好んでいたのが自分が会った限り殆どだったし、九州女の場合は礼儀というものを何一つわきまえておらず男性より遥かに野蛮な振舞いを好んで行い恥じる気配などかけらもなかった。女が弱者? ありえない。
 大嘘つきどもが。地獄に落ちるだろう。
 日本女一般は、東京で違法な売春で金儲け三昧し、犯罪者ながら贅沢な暮らしをして恥じることも罪を感じる能力もないし、そんな下衆の頂点にいるのが皇族女で国税を浪費して海外留学しながら浮浪者を少しも助けようとせず高慢極まりない態度で発情ばかりしている。それを外人が勘違いしているのだ。日本女性は生まれつき不公平にひいきされるので、卑怯に男に媚を売って保身を図る術に練達していき、10代になる頃にはもう男をごみの様に利用して自分が望む発情相手と交尾する為ならどんな卑賤な手段でも平気でとる様になるのだ。そして友人だろうが興味のない男だろうが平気で裏切り女権を乱用する。
 本当の日本女の姿を、0歳児からみてきた人間にしか知りえない真実というものがある。自分は家庭内が父親を除いて女だらけだったので余計よく分かる。欧米流儀の女権論のつもりで日本女を判断したら180度間違えて手酷い目にあうに違いない。卑怯な悪魔的な性質を持っている連中だというのが真理だ。
 某セクハラ有名人女性ブロガーをみたらいい。ああやって経済弱者だの性的弱者の男を日々罵り差別し、自分に都合が悪くなったら泣いたふりをして欧米人の女権に媚を売って保身をはかる。二重基準で自分が内国的のみにやっている蛮行には目をつぶる。いずれ全てがばれて必ずばちがあたるにちがいない。
 そもそも日本女一般が仕事の上で出世したがらないのは欧米流のガラスの天井があるからなんかでは全然なく、男に寄生して楽して暮らしたい一心で自分から労働を男にまるごとおしつけ、自分はアメーバピグだの下らないワイドショーだのを見て日がな一日、弱い者虐めを匿名でやって遊びたいからなのだ。なぜ日本女一般が経済弱者である男を徹底的に差別し、罵り、人間とも扱わずに集団虐待しているか、男性の自殺率の異常な高さを見てこれでわかろうというものだ。日本女一般が卑怯で狡猾すぎるから自分だけ男に嫌な仕事をおしつけ楽したいからなのである。
 欧米女性は仕事をして男と平等に扱われたいと願っている。ところが日本女はこんな立派な精神性なんかかけらももっていなくて、女として生まれつきひいきされながら嫌な仕事はみな男におしつけ、自分は家で適当に機械に家事させたら下らないスマホゲームで夫の給与で課金しまくり匿名不倫したいだけだ。自分は或るフランス女のハーフが食えない芸術家を養いたいといってるのを見た。他にフランス女性とかノルウェー女性とかアメリカ女性と会話したけど、ただの一人も男に経済的に寄生しようなんて思ってるやつはいなかった。日本女だけである。本気で。どれだけ歪んだ根性なのか。教育のせいですらない。
 日本女をマンガアニメだのポルノで捏造された性的な理想像だと思ってる愚かな欧米人には永遠にわからないことだろうが、現実の日本女というのはそれほど陰湿な目的で男をだまし、自分だけ楽できる立場に全てを誘導しながら徹底的に搾取しているのが一般的な存在なのである。現実にはもっと酷いが。現実の日本女を間近にみて、一体どういう生態をもっていてどんな精神で生きているかを熟知している者になら、自分が今書いたことは全て当たり前のことだから、言わなくても分かるはずだが、自分はこの国で見た全てをいずれ外人に隈なく伝えるつもりだ。
 最後に付け加えておくが、自分は高校は男子校(磐城高校)に行ったのでそこで男性のみの世界を体験したけど、進学校だったからかもしれないが虐めの様なものは基本的に見当たらず、友情が当たり前に尊重される傾向にあった。しかし話に聞く所では共学では淫行三昧しているらしい? 虐めも多いらしい? で、僕個人が紳士だからかもしれないが、自分はシモネタみたいな下品な話も嫌いなので基本的に自分の周りでは誰もそんな話はしてなかった。真剣に美術やら将来やらを考えて、少年的な仲間と戯れながら真面目に生きていたのだ。 後に知ったが虐め三昧している共学世界では男が淫行したがるらしい?
 それで自分が思ったのは、女子高(いわゆる磐女)も近くにあったけどそこの女が自分に告白してきたこととかもあったから思うが、友情と恋愛だったら当たり前みたいに友情を選ぶ少年的な精神というのは男性一般の方が、より持ち易い態度ではなかったろうか? 少年漫画と少女漫画を比べたらいい。いいかえると、弱い者虐め三昧して恥じないとか、友情を裏切って異性と逃げるとかいう卑怯な態度は、男性的徳に反するから、少年世界では恥ずべきことだと考えられると思う。大人の男の中にその種の少年的道徳が残っていたら尚更だと思う。正義や勇気、友情といった男性らしい徳を尊重する態度。
  青少年期に、儒教でいう男女の別をわきまえて育てることの意味は、その種の固有の徳を自分の中で尊ばせる為にあると思う。だから育て方まで男女平等にしてしまうと或いは男も淫行を好み、純潔や誠実さを先ず尊重しなくなるし、女性は女性でそれに媚を売って貞操観念がなくなるのではないだろうか? 何がいいたいかというと、少年漫画で強調される、正義、勇気、友情といった徳目は男性らしい徳といえると思うが、これは男女の別をわきまえた環境でしか正しく育たないのではないだろうか? 逆に貞操、内助、清楚みたいな女性的徳(余り詳しくないが)も同じことがいえるのではないだろうか? 性差に徳が付随している、という考え方が時代遅れだと批判される余地があるのは十分よくわかっているが、それでもなお性差と性別が自己意識として一致している時にだけ自主的に発揮される徳というのもあるのではないだろうか。映画の主人公などが英雄的な徳を持っているときこのことは明らかだと思う。
 だから自分がここで書き残しておきたいのは、全ての性差を中性化し、性差の違いの中で中世の間に固有の徳と考えられていたものを全てなかったことにしようとするのは、単なる文化的な愚行だと思うということだ。男性同士の少年的世界の中で友情が裏切りより高い価値を持っているなどはその典型だろう。女性世界の中で、或いは中性化した共学世界の中で、友情より恋愛が優先され、恋人と逃避行できれば友人を裏切っても当たり前と一般に考えられているのではないだろうか? これはたとえだが、友情というアリストテレス以来の古典的な徳の重要性は、男女平等の教育では失われてしまうのではないか。女々しいといわれる男がいても別にいいし、弱い男性を差別する女が悪質なのも間違いないことだが、同時に、男性的徳なり女性的徳なりと考えられてきた性差上の徳目を、それぞれの性別と一致させている幸運な人がいることを否定するべきではないと思う。それのみが模範だというつもりはないが。
 結論をいうと、日本女の一定数が現に行っている、二重基準を使った、欧米人に女権を種に媚を売りながらその目の届かない日本国内では弱い男を差別しまくる裏表の激しい態度は、卑怯者のやることだという他ない。そして卑怯を憎むという日本では武士に由来した男性的徳も、否定されるべきではない。高校からの帰りの道で部活の友人と議論したことあったけど、漱石『こころ』の先生がKへの裏切りで女を得たことを罪に思って自殺したのは、友情が恋愛と矛盾した場合、恋愛を優先した者は裏切った友情に対し自ら責任をとる必要があるという訓話ではないか? というかそうしない限り自責を免れない。いいかえると日本女の一部が女権を乱用してやりたい放題し、日本の中で弱い立場に置かれている男を散々に罵り虐げてきたことは、その日本女自身がいずれ責任をとる必要がある。誰であれ不当に差別されないと憲法に書いてあるのだから。今までそうしてきた分はその女らが自ら責任をとらねばならない。
 論理が飛躍してる様に見えるだろうが、ここで共通の徳となっているのは「卑怯を憎む」「自分の行いには自分で責任をとる」という点で、自由を悪用すればその最終責任は彼女ら自身にふりかかってくる。この点、日本男性は最初から日本国内外で差別されているが、東亜差別を引きずってる馬鹿も同罪だ。

Ripple社にとって企業がXRPを現物保有する誘引はどう設計されているのか?

XRPのヘッジ需要と回転率上昇は価格上昇鼓舞の十分な理由にはなりえない筈だが、ジョエル・カッツ氏は多国籍企業にとっての国際送金時のブリッジ通貨としての役割をあげ価格上昇を予想している。
 カッツ氏側は企業がXRPを現物保有することを前提にしてるので、そうしなくて済む場合(ヘッジ含むか高回転率)は、XRP価格上昇鼓舞になりえない。Ripple社は一体どうやって企業にXRPの現物保有を誘引するつもりなのか?

逐円の日本人中で拝金主義を軽蔑して生きる

普段から金儲けしか頭にない、福沢諭吉のいう「逐円」の日本人らに、いざとなってもカネより命を優先する様な人道性など期待できない。普段が全てだ。この国民は拝金主義で人間性を駄目にしてしまった。
 国民全般が堕落した商人でも、自分ひとりは冷静さを保ち、拝金主義を軽蔑して生きよう。気高い魂をもちつづけていれば、この国民の破滅から自分だけでも救われるかもしれない。自ら堕落した商人達を救うことなどおそらくできないし、その必要もないと神はいうだろう。

衆愚は無視して正義の政策を論議すべき

返信欄の衆愚をみたらわかるよう、米軍の犬となって首相まで騙す官僚という悪魔がいるのを、愚民側はまったく認知できていない。鳩山氏は騙された側だが、愚民側はさらに二重三重に騙されている。こうやって官僚支配の上に天皇・米国政府という二重三重の裏権力で日本愚民は主権を略奪されている。
 愚民に良識や良心など一切期待できない。この人達に理解されようと思っていると時間を無駄にする一方だ。知識人以上の人達の間だけで正義を考えよう。
 愚民側の心魂を思うと悲惨だが、連中はマスメディアや宮内記者会に簡単に洗脳されるし、当然、米国政府側の情報操作を見抜くほどの知能はない。CCS地震原因説の科学的見解についてもまったく同じことだった。衆愚への説得はもう諦めた方がいい。物が分かる人だけで事を先に進めていくべきだ。

沖縄県民も茨城・青森・新潟など原発再稼動を東京からおしつけられている県民の為には何もしない利己主義者の集まり

自分は生まれてから一度も自民党に投票したこともなければ今後も永遠に投票しないつもりだけど、日本国民全般は本物の馬鹿なので、群れる為に群れて少数者いじめばかりする。奴らは反省などしないだろう。馬鹿は死ななきゃ直らない。内地がどうではなく他人の立場に立って考える知能がない人々なのだ。
 日本人達に「他人の立場に立って考えなさい」「群れて弱い者をいじめてはいけません」など教えたところで、脳自体が不安感から群れるように生まれついているので先ず絶対にできない。どうやって日本人全般の公害を防止するか、アリの群れのよう無目的に群れるものとして、統制する方法を考えるべき。沖縄県民だってその点は同じで、茨城・青森・新潟へおしつけた原発を東京が再稼動しようと現にしているのに何の反対運動もしてないだろう。福島原発はまだ事故中なのに、それに対しても何も示威行動してないだろう。沖縄県民だけが日本人的な自集団ひいきの利己性を示していないとはいいがたい。沖縄県民が利己的なら他都道府県民もそうであるから、同国他人がどうなろうが自分の金さえ儲かればいい、と考えている連中がほぼ全てなのが日本国なのだ(勿論、沖縄県民達もその一員である)。拝金主義の腐敗した天皇統治の邪教国。それが現実だ。どうやって日本人の利己心が及ぼす公害を防止するか。
 安倍晋三が民意をそれだけの為に尊重する人物ならこんな風になってない。安倍氏はダークトライアド。自分の権力の為ならなんでも利用する。政治的良心は期待できない。沖縄県民の民意に従うと政権維持に不都合なら絶対に従わない。進んでトランプの犬になっているのも自分の権力維持の為でしかない。

日本女は女権を二重基準で悪用し、表では欧米人に媚を売り、裏では真の弱者である日本男を集団虐待しまくる陰湿な偽善者が多い

現実の日本は女性が威張り散らしていて、公然と弱い立場の男性へセクハラしまくってくるし(某有名ブロガーの様に)、本当に差別されているのは生まれつき能力の低い男性の方だ。女性の中でも金儲けの能力が高い人は男より驕り高ぶって経済弱者の男性をひたすら虐め、差別している。女性が権利を盾にして男性全体を敵視しているのは、その女性が偽善者だからに過ぎない。なぜなら最も虐げられているのは生まれつきひいきされている女性全般ではなく、生まれつき力のない、能力の低い、経済力のない、無力な男性の方なのは、自殺率の圧倒的な高さで証明されているのだから。弱い男性までひとくくりにし、自身が女性でひいきされて当然だと主張しながら、その弱い男性を差別する女権論者は、本物の偽善者だ。
 危機に瀕した時の生存率をみればわかるように、生まれつき力がなく、経済能力もなく、頭も悪い男性は最も弱い立場に置かれているのに、男性だというだけで普段から差別され、酷く貶められ、男性なのに弱いのはおかしいとばかりに女性全般からとんでもなく野蛮な攻撃を日々受けている。それが真の悪だ。
「女性全般は弱い者だ、虐げられている被差別側だ」というのは完全にうそで、自分が日本で経験してきた限り日本女性というのは弱い立場の男性を日々ひたすら差別しながらありとあらゆるセクハラや嫌がらせ、陰湿な集団虐待をしている。本当のことだ。自分が経験してきたのだから間違いないことだ。そのくせ大震災などが起きれば「女を守って当然だ」「男など死んでいい」などとのたまい、危険な場所にその生まれつき弱い男性を無理強いして特攻させようと群れてしてきた。これも東日本大震災時に経験済み。日本人女性に限っていえば弱いなど口が裂けてもいえないし、寧ろ偽善極まりない本物の悪だ。
 欧米人の女権論の流れと、日本国内での日本女性による弱い男性虐めを隠蔽する陰湿で狡猾な悪の流れとを、混同してはいけない。日本では寧ろ弱い男性、特に経済弱者を完全に悪意から日々セクハラし、自殺においつめようとしている極悪非道の女性らが非常に多いのだ。女権乱用の方が遥かに目立っている。日本女性は自分から仕事をやめたがる。これも欧米人とは全く違う。仕事の面で差別はない筈なのに自分から主婦になりたがり、結婚して働かず楽して暮らしたがる。そしてますます経済弱者である男性を差別し、集団虐待し、罵り、性的に嫌がらせし、悪意をほしいままにしている。欧米女性と真逆なのだ。日本女性は自分から「女子力」などとほざき、自分に女性性差の枠組みを無理やりはめようとさえしている。これも欧米の女権論と真逆の意向で、日本女は自分が女権を乱用できると計算高く考えてそういっているのです。女性というだけでひいきされるから何でもやりたい放題だろう、弱い男性虐めしようと。実際に日本女性というだけで国内で「生まれつき」ひいきされる不当な立場を利用しまくっておいて、いざその不公平な日本流のひいきが少しでも不利になりそうなら今度は欧米流儀の女権論を振り回し、欧米人に媚を売って、これまで散々暴利を貪っていた陰険さを隠しつつ、更に弱い男性虐めを行うのです。
 一言で言うと日本女のやり口は、欧米流の女権論と日本流の女ひいきを二重基準で利己的に使いつつ、最も弱い立場であるはずの経済弱者たる日本男をひたすら犠牲にセクハラしまくり、同時にそれを問題視しない欧米人に媚を売る、という陰湿極まりない卑怯者の手法なのである。都合が悪いと嘘泣きの次元。

商売人以外は差別される国で換金されない絵を描く

日本人一般って誰かが商売で成功すればあがめるのだろうな。カネほしさに。おこぼれに預かりたさだか、自分らも商人だからその中で一代で成功した金持ちが模範なんだろう。
 ということは自分もなにかの分野で金儲けに大成功さえすれば日本人一般から崇敬されるということになる。実に下らない国だ。
 腐った拝金国家。退廃した大衆。
 自分の金儲けの為どころか1円でも電気代をケチる目的で同じ国民を原発で大量虐殺したがる東京都民が先ず殆どなんだから、そんな種族に一体生き残る価値があると思うか? 極悪の退廃した都市住民を神が罰しないとでもいうのか。ソドムですら滅ぼされたのに。東京がソドムより酷い証拠なら無数にある。
 どれどれ、一円にもならないばかりか日本国民共から一方的に差別され虐げられる為だけに絵でも描きますか。売れない画家は無職未満の被差別階級らしいから。

国籍と友情は無関係

自分は外人の方が気が合ったことも多かった。だから国籍と友情はまったく関係ないと思う。

偽善の歌を作り象徴天皇体制を強化する税と暇があるなら沖縄県から辺野古基地をどけて貧民を助けろ

天皇皇后が作詞作曲した「歌声の響」聞いたけど、なんか沖縄を犠牲にして片手では慰撫し、片手では辺野古埋め立てて、本当に天皇政府って卑怯だなというのが感想だ。情に訴えて天皇体制に洗脳しようとし、琉球王国を天皇家が潰したことには何の反省の色もみられない。
 自分の世襲独裁体制を強化する為に沖縄県民(日本で最も貧しい)から奪い取った税でこういう二流の歌作る暇あるなら、最初から琉球王国(今日なら共和国になるかもしれないが)を独立させるべきだし、天皇は己の傲慢な侵略を反省してほしい。明仁は沖縄侵略犯の島津氏の血統だから猶更有責者であろう。偽善という言葉がこれほど似合う歌はないな。今まで聞いた全ての歌で最も偽善的。沖縄の平和を乱した元凶は、なにを隠そう天皇だろう。今もそうだ。米軍基地に反対している県民が圧倒多数なのに、天皇が地位を保身したいが為に米軍GHQに媚を売って生きながらえてしまったせいでこうなっている。天皇皇后さえいなければ沖縄県は平和なのだ。偽善の歌を作る国税で苦しむこともなく。
 天皇皇后の末裔達が浮浪者より惨めな格好におちぶれ、彼らがこれまで1400年近く散々搾取してきた日本国民から、ひたすら軽蔑されて滅亡する未来が目に見える。
 天皇の人間性はこれまで歴史的に検証されてきたようダークトライアドそのものだから、もう何一つ期待も希望もないが、ただもう皇帝だか民族宗教の教祖だかで国政に寄生し、あるいは世襲で独裁するのはやめてほしい。二度と日本政府に関わらないでほしい。偽善の歌なんか作詞作曲してる暇あるなら一刻でも早く沖縄県民に主権を回復し、天皇独裁体制から自ら降りて民間人になり、米軍基地は日本からどけろ。そして天皇は二度と政治に関わるな。水際作戦で沖縄県民を暴利し苦しめているのは天皇政府だろうに。
 歌の中身は沖縄に東京から飛行機で行って現地で歓迎されて嬉しかった(どこでもお仕着せでそうする。さもないと右翼が脅迫してくるので同調して)、とかいう実に浅いものだ。やくざの大親分を歓迎しろと右翼に脅されるからやってるに決まってるだろう。戦時中と何も変わらぬ。人の善意に寄生している。
 リテラ編集部とかはこれで天皇皇后を「反安倍」に仕立て上げて、また愚民の側も天皇はいい人だと思い込み(国税搾取して大量虐殺命じてきた邪教祖が善良なはずもなくただのマキャベリズムの手法だ)、下らない同調あおるんだろうけど。
 この歌を聴いて最終的な感想としていえるのは、天皇はやっぱり極悪人のダークトライアドで、永遠に己が1400年近くやってきた独裁政治による大量虐殺や己の悪しき体制を反省などしないだろうし、琉球王が可哀想ということだ。犠牲になっているのは沖縄県民だけでなく洗脳されている日本国民全員だが。

株主資本主義と愛国主義の中道はできるだけ完全な自由市場と法人増税による高福祉の両立である

株主資本主義は、本質的にナショナリズム(愛国主義)に反している。国家バイアスを持っていない方が投資にあたって有利なのだから。
 トランプの自国第一は、株主資本主義と対立している。
 政治家はトランプの様であるべきか? 株主資本主義を純粋につきつめることの方が、現実には愛国的かも?
 アメリカ人はトランプ政権で、実際には自分で自分の首を絞めている筈だ。自由貿易の恩恵を、程度こそあれ自ら拒否しているのだから。伝統的な孤立主義に回帰する副作用が、中日製品への関税を上乗せした値上げとして端的にあらわれる。安い移民労働力を排除した高い給与は、株主利益を下げてしまう。
 日本は孤立した島国だから、農業保護関税が国民の餓死を防ぐ為に必要なのに、逆に安倍晋三が極端なグローバリストすぎ母国民の生存に必要な食糧まで米豪依存に向けてしまう。TPP推進論者として、或いは米国からの経済制裁を全面的に受け入れ無用な武器まで税金で購入することで。
 トランプと安倍晋三が両極端なのは明らかだから、株主資本主義と愛国主義をもちあげた何らかの中道が必要なのではないか? 市場は移民受け入れも含め自由にする一方で、企業への租税率は高めそれを国民全体へ公平に調整するべきでは? ただ食料を海外に完全に依存しないよう農業は保護すべきと思う。

アベノミクス異次元緩和は出口のない破綻への隘路

藤巻健史氏「……黒田さんには出口がありますが日銀にはありません。」
至言なり。

後真実は真理ではない

藤巻健史氏「……わかりやすいというのと正しいということとは違います。」
至言なり。

日本人若害もまた利己の為に平気で不正政治を支持する極悪人である

安倍晋三首相は、沖縄県民の民意を官尊民卑で無視し、トランプが辺野古移設を発表したら提灯持ちで従うに決まっている。それを見て「流石安倍さん」と自民党員やら自民党支持者やら右翼全般は大礼賛するに決まっている。この日本の右翼と名乗っている連中は、長州閥の政治家も含め、米国に仕えている。
 本物の売国奴は日本人右翼の方だ。彼らは自身が強大な権力の犬であることを自覚している。強弱と善悪を混同し、弱い者虐めを恥じる道徳的能力はない。だから米国に自ら従属し、日本の権限を売り飛ばして平気でいる。天皇に妄従するのも同じ理由からだ。長い物に巻かれたいだけの卑怯な臆病者の集団だ。長州閥の政治家が上位に立って日本全体を独裁できればそれでいい、どれほど災厄をもたらそうが売国しようが自分さえよければいいと考えるのが山口4区の有権者であり、他の自民党支持者の実態である。単なる利己主義の極悪人というべきだろう。
 自分のことしか考えないのは年寄りだけではなく、寧ろ若者の方がより強烈だ。安倍政権がどれほど違憲立法や不正行政を繰り返しても、己が就職したさにひたすら安倍政権をもちあげつづけたのがそのゆとり後期の若者達である。この状態を作った自民信者の罪は年寄りにもあるが、若者の方がより重い。安倍政権の支持率をみると、年が若いほど罪が重い。

原発五輪

原発で儲けた金で賄賂五輪

自身とPOMをドラえもんのび太の隣に描いた村上隆の絵に寄せた感想

今まで見た村上隆の作品で一番いい。最初は「またか」と思ったけど、キャプションをよく読むと、なぜ村上が漫画を愛しているかの理由が分かるしくみになっていた。のび太は孤独でもドラえもんというロボットがいたよう、村上にはポムという(最近がんを患った)相棒がいた、ありがとうと書いてある。
 村上の平面性の強調という彼自身を縛っているスーパーフラット・イデオロギーはどこでもドアの中に敷かれた四次元空間にすら、辛うじて濃淡を伴う装飾が光を感じさせはするが、適用されている。この四次元空間が死の暗喩だとすると、漫画という幻想の中で死を望んでいる村上とポムの覚悟がわかる。いわば彼は二次元平面の中で自己を歴史化し、未来の別の次元で自分のミームが生き続けることを望んでいる。それをふさわしく象徴化したのがこの絵で、彼が予備校講師時代にデッサン学生の為に用意していた花、特に皇室の象徴でもある永遠性を暗喩する菊の花(葬式でも用いられる)で自己を覆っている。ドラえもんのキャラクターを使うのが著作権に触れるのは明らかだから藤子スタジオに許可は多分とってあるのだろうけど、ウォーホルやリキテンシュタイン、クーンズに至るコミックスの引用という手法を踏襲しているのは使い古された手法だが、仏画風の文字入れで私小説的意味を与えているのが新しい。
 ただこれが純粋絵画の意味で正しい手法だとはいえない、論争を呼ぶ問題提起ではある、というのがこの絵の限界だ。文字による情報伝達は文芸の手法なのだから、絵の手法としては応用的なものにとどまるだろう。単に絵画的な要素のみを用いて、同等以上の深い感情表現を行うのが画家としての仕事だ。漫画の噴出しを仏画にみられる経典の書道的な書き入れと、文脈的に重ねて使う、というのが近作で村上が試みていることみたいだが、この絵にもみられるアクションペインティングやミニマリズムと関連性をみいだせる花のランダムな色の配置など、文脈主義そのものはもう使い古されているのでつまらない。村上隆は文脈主義を彼自身のマントラみたいに使っているが、それ自体がもう嫌味という効果しかもっていないのではないか? 何しろ彼も同世代ハーストも商業的にこの上なく成功し、自己をほぼ歴史化できたのだからこれ以上なにを上書きしようというのだろう。文脈的引用を重ねるのは過剰装飾に見える。他人は村上が文脈主義に則って絵を描いているということは嫌というほどわかっているのだから(寧ろそれしかないと思われているだろう)、屋上屋を重ね何になるという。冗長すぎるのだ。ポストモダンの過去の手法の流用的な画家の一人に過ぎなかったと思われるのが落ちだろう。
 さらによく考えると、村上が漫画を愛しているかどうかは他人にはどうでもいいことであって、この絵が人に何かしら訴えるところがあるのは、ドラえもんの中でのび太との友情として語られ伝えられた概念が、村上とポムの間の友情として現実に存在している、ということなのだ。漫画による友情の学習。友情を象徴化し、彼の愛する漫画や欧米日の伝統的美術の延長上に位置する表現形態を使って、一ヶ所に集約し表現しようと試みたのがこの絵の飛躍的な点なのだが、正方形の中央に置かれた(構図的に視覚を集め易い)四次元空間が死を暗喩している為、どこか薄暗い所を持っていて、恐ろしい感じがする。いいかえれば漫画や絵画が単に死後を前提に残された遺書の様なものだ、とここで村上は図らずも語っている。ポムとの間の友情ですら、仏教的な空(クウ)の中で融解し、幻想と混濁しながら消えていってしまう。そのむなしさが最も空恐ろしい。絵描きはどれほど同時代で成功してもその種の空しさから逃げ得ない。寧ろ進んでその空虚に進んでいかねばならない、と彼は語りかけているのである。

画家は奴隷か主人か

一円にもならないのでひたすら搾取されるだけの仕事が、奴隷的でなくてなんなのか? それが貴族的な仕事の定義なら、一体なぜ某Tだの天使(当人の名乗っている偽名)だのは私に汚名を着せ、差別を繰り返してくるのか? 連中が労働者でダークトライアドやらサイコパスだからなのは分かるにせよ。
 労働者共は私に嫉妬することがある。では実際にやればいいのに。一円にもならず、無視され、時には卑しい労働者共からひたすら誹謗だか、してもいないことを捏造されあらぬ汚名を着せられる、そんな仕事が誰もにあるのだ。絵を描いたことがない人間が国内にいるとしても、それは盲人だけではないか。
 自分より弱い立場の者を攻撃する人間は野蛮な人間だ。商人についても同じことが言え、貧しい者、商才がない者を虐げる目的で浪費や自己の金儲けを自慢しているのは単に野蛮なのだ。
 顕示的消費を自慢する投稿を見て、彼にたかっている連中は自分もおこぼれに預かりたくてそうしている。目的が下卑ているので言い訳すらできない。勿論その種の浪費を仕事だと思い込んでいる天皇皇族閥も救いがない。貧しい人の側から食べられもしない食事自慢の下らない画像がどう見えると思うのか。

2019/02/24

金銭を介しない為事のみが幸福を作り出す

幾ら金を儲けても常に他人との比較というラットレースに巻き戻され、法定通貨なり仮想通貨なりを発行・寡占している権力に利用される。だから金銭取引以外の領域のみに生き方をみいださないかぎり、人は救われえないのだ。
 物資を作ったらそれをできるだけただで他人に配り、利益追求をやめねばならない。結果、自己利益しか頭にない卑しい商人からむさぼられ自分は極貧のままで死に絶えるかもしれないが、ラットレースの中に生きていても結果はもっと悲惨だ。無償で手に入る範囲で生き、無償で与えられる範囲で為事する。
 金銭取引の領域は商人階級が絶滅しない限り完全には消え去らないだろうが、商人とできるだけ関わらない様に生きようと決めさえすれば、それは十分可能である。進んで金銭取引をしなければいいのだから。
 天皇は金銭取引を介さなければ税をとりあげる機会を逸するので、今度は別のところで人頭税を貪りたがる筈だ。この場合、不服従を徹底することで天皇権力を完全に無効化しなければならない。日本自体を脱出してもいい。
 安藤昌益の全員直耕の思想ではないが、究極のところ、非金銭領域で生きるには農業に回帰するのが基本的に正しい。自分の食分が確保されればそれ以上の利益追求の必要はなくなる。何も為事がなくなれば食料確保に戻るしかない。金銭取引にできるだけ関わらないことが何より重要だ。
 SNSは社会的比較により不幸を増産する装置で、管理する企業体が宣伝媒体として人々の間に消費や観光欲を喚起したがっているだけである。つまりSNSの正しい使い方は社会的比較をしないこと、単に無償で与えられる情報を人々に配ることにある。

日本仏教は偶像崇拝を含む異端

仏像も偶像崇拝だから本質的には無我を理解していないなまくら坊主の崇めているもの。日本仏教自体が原始仏教の教理を歪め成立している。したがって偶像崇拝の延長上にこの種(アンドロイド観音「マインダー」)の無意味で、有害ですらある虚栄にカネを費やしている。京都の高台寺らしいから観光収益が余って浪費していると思う。

身分を却って低くせよとの聖書の文言は謙虚さを保つ為に正しい

高学歴・高い学位を得るとプライドばかり肥大化して無知への謙虚さを失うだけだから、本当に拒絶した方が知的な面ではよい結果をもたらすはずだ。サルトルのようノーベル賞を辞退するのもよいことだ。賞のような箔も同じ効果をもっている。不必要な装飾はない方がいい。先生先生と呼ばれている様な人達は、殆ど例外なく人間的に駄目なことが経験的に多いだろう。それはもともと不完全なはずの人がもちあげられて安全でいられるはずもないからだ。中身から腐ってしまう。過度の後光をあてられるとだれでも驕り高ぶるのだ。天皇は犯罪しても逮捕されない。
 漱石が一介の夏目某で死にたいとかいっていたけど、自分が知性を限界まで高めたければそれに越したことはない。不要な学位をとらない様にするべきだ。受賞一般も拒否しなければいけない。後光をあてられる機会を避けられるだけさけるのだ。東京や京都に住むなかれ。土地でひいきしてくる馬鹿がいる。
 聖書に却って貧しい人の中に行き、虐げられる側とともに暮らせと書いてある。調べた。「互いに1つ心になり、高ぶった思いを持たず、かえって身分の低い者に順応しなさい。自分こそ知者などと思ってはいけません」ローマ人への手紙12:16。パウロのせりふの様だ。自分はこの通りにしようとして大変苦労した。そしてわかったのは、身分の低い人々はそれに応じただけの悪徳をもっていることが多いということだ。しかし逆に身分の高い者についても別の悪徳があるのがわかった。中くらいの身分の者も別の悪徳をもっていた。結局、悪徳を避けることが重要である。
 下賤な人は自分が有利になる様に全てを計らおうとする。それでとにかく高学歴・高所得に自分をすれば他人の優位に立てるなどと考え易い。が聖書の同箇所に書いてある通り、実際にはこの様な方法をとるほど人々から憎悪される。有利なのは目先で、現実には虚栄心に耽ってろくでもない一生で終わるのだ。

安倍晋三と自民党やくざ集団は沖縄県民を弾圧しトランプに従うだけ

 安倍晋三だの自民信者の普段をみてたら、幾ら沖縄県民の反対が10割だろうと辺野古を完全に無視するでしょうね。茨城県知事選挙の時もそうでしたよ。現職が長期政権だからだめとかいっておいて、同じ期間やってた石川県知事は自民支持だから応援してたからね。国民をなめきってますよ自民党。自民党は反国民のやくざ集団であるということは、原発再稼動をおしつけてくることでだれでもわかるでしょう。国民の命を奪ってもなんでも、とにかく群集心理で寡頭政治したいだけの極悪人達なんですよ。
 自民党員だの自民信者だのの脳がいかれていようが、誰も治療なんてできないし、生まれつき保守的になり易いのは低IQのせいが大きいらしいし、IQの6~7割が遺伝するようだから無理でしょ。なにいっても自民党員やら自民信者が自己の罪悪を悔い改めるなんてできないんだよ。たぶん生まれつきだから。
 安倍晋三という人は米軍の犬として振舞うことで米国から便宜をはかってもらって保身したいだけだから、トランプに直接、辺野古どけてっていった方がはやい。トランプは在日米軍を撤退させたいんだから。トランプがどけるといったら安倍は唯々諾々と従うよ。自民信者もそれに倣う。雑魚だからね。雑魚ほど群れる。

日本人は政治的不能だから何も期待できない

これまで日本人や日本国になんらかの期待をもってきたのだが、今日でそれを完全にやめることにした。期待するだけ無駄だと悟った。日本人全般は自分が思うより遥かに愚劣だから、思えば今まで一度も心から共感できた試しがなかった。失望し、絶望し、憎悪せざるを得ない様な最悪の場面は山ほど見たが。「日本は想像より遥かに暗愚で、日本人と接する限り、想像を遥かに超えて悪い結果がくる」と考えていれば、基本的に間違えない、と悟った。今までどうして日本にうんざりしてきたかもこれではっきりした。自分が思うより遥かに卑しい人達が集まった島国だからだ。義務教育で自分は洗脳されたのだろう。
 文科省による集団主義教育の洗脳を自力で解いて、この自国集団の陰険な悪徳からできるだけ遠く離脱しなければならない。「協調せよ」「自国に貢献せよ」「文化を発展させ故郷に錦を飾るべし」これらがすべて虚偽だと子供の能力ではっきり悟るのは難しい。天皇が国民を奴隷化し搾取しながら世襲独裁を続ける為だけの体制に、まんまと奉仕させられかけていた。教育された通り、自集団である所の日本人だの茨城県民だの北茨城市民だのに自分は全力で奉仕してみた。しかし結果はひたすら搾取されるだけだった。それで今日、海を散歩しながら気づいた。自分は天皇に洗脳されてきたのだと。文科省の義務教育はタダほど高い物はない、の典型だったのだ。
 資本主義というしくみもやはり同じで、大株主に奉仕するものとして設計されているので、労働者として雇用され働く限り自分は搾取され、さらに税を通じ天皇に搾取される。それでどれだけ努力しても、努力するほど苦しい。奴隷階級であるに過ぎないから当然だ。株式投資の才能など誰もにあるわけではないし、自分の商才も生まれつき或る程度決まっている。当然天皇にもなれない。だから日本で生まれてしまうと一生涯、奴隷階級に貶められているしかないのだ。それでこの国の生はしぬほど苦しい。自殺率が高いのはちゃんと理由があったのだ。
 きのう色々なすべき政治を書いた。だが日本人がそれを実行するほど能力が高くないのは現今までの行状を見れば明らかだろう。期待するだけ無駄だから、諦めよう。日本に期待するのは時間の無駄だ。無能な者が有能になったりしないし、それは日本全体でも同じだ。日本人は毎日朝から晩まで金儲けをして暮らしている。そして金儲けが嫌いな人を差別し、虐げ、いじめている。それに恥じる気配もない。すべて天皇という邪教祖が世襲で贅沢三昧するためらしい。なんと馬鹿げた島国だろう。他人からカネを奪うこと、カネを他人から取ることが日本人達の生涯のすべてである。商売人として他人を利用し、シゴトシゴトといいながら他人を貪りつくすのが彼らの一生の間にやるすべての行いである。そして決して寄付しない。自分は商売が嫌いだから、他人から金を奪う行いなど少しもしたくないので、この汚い島国では餓死を強要される。なんという不条理だろうか。だれがこの様な生存の権利すら奪ってくるあきんどの島国になど生まれたかったろうか。
 次に生まれてくる時は、二度とこの様な邪悪で卑しい商売人の島国ではなく、仏教徒の様に立派で高貴な人々が生きている世界に生まれてきたいものだ! 邪教祖天皇を崇めカネを貢ぎ、原発公害で大量虐殺を東京から行っている卑しい商売人の国。なんという最低最悪の国に生まれてきてしまったものだ! 当然こんな最悪の地獄の国がほろびゆくのも、少子化のままほろびさるのも、予定されていたことだといえるだろう。だれも地獄に生まれきたい者はない。この原発公害での殺人教祖のペテンの国。笑えてくる。どんな馬鹿がだまされているのか。働くほど搾取される奴隷の生活に自分から参加する馬鹿がまだ生きているのか? まことに不思議でしかない。東京都という地獄の中で、原発公害をばらまくために奴隷をしているのか? 邪教祖に仕えて?
 リテラ編集部は天皇が護憲で平和主義者だとかいっているけど、天皇はプロスペクト理論どおり常に保身してるだけの話で、彼らの中で全てはそのダークトライアド的な世襲目的に適うかどうかで選択されるだけ。戦争の方が保身に有利なら大量虐殺でも何でも命令する。原発公害を無視し退位法をおしつける。安倍晋三を朝敵に仕立て上げるという論調をとりたい気持ちはわかるが、安倍晋三も血統上、皇族閥の一端だからもともと天皇も共犯なんですよ。保身のために全国民を犠牲にし、奴隷化し、洗脳し、退位法の違憲立法を平気で行って天皇大権を復活させちゃったじゃないですか?

村上隆の絵は理屈は分かるが絵としては微妙

村上隆の新しい作品は仏画風に文字を絵に埋め込んだ漫画風の絵なんだろうけど、いくら高文脈的な表現をとっていても絵としてつまんないね。理屈はわかるけど。糸崎公朗氏も動画で似た様なこといってたけど。絵としてなんか違う、感動しないとか。みんなそう思ってるとおもうよ。絵としてすげーってなるものは理屈が背後にあっても、それを超えたものがあるよ。それは一見してわかるもんだ。村上隆は美術の専門家の間では意味があることをやっているんだけど、一般の日本人に受けてないとしたら、というかたぶん受けてないんだろうけど、その絵自体としてどうか? という観点が足りないからだと思うよ。
 権威とか肩書きとか絵の前ではまったくどうでもいいのであって、感動するかどうかがすべてなんだから、「あっそ」で終わるような理屈っぽい表現しても、コンセプチュアルアートの理解がある人以外にはどうでもいいでしょ。僕みたいに真剣に純粋美術を突き詰めようとしてる人(ほぼいない)の中では村上隆の意義はかなりでかいほうだけど、それは理論的な影響にとどまる。絵を単体としてよいかと問われると、感動した試しがないとしかいいようがないでしょ。それは僕以外の人もたぶんそうだと思う。

下桜井海岸



下桜井海岸
2019年
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作家蔵

学歴差別主義者の存在は単なる科挙の弊風か?

茂木健一郎氏のダーウィンに関するブログへのさえずりに宛てて)
私も組織や肩書きは本質を超えまったく無意味だと思うけど(衣服の様に中身と合っていないのが当たり前で、偽装やロンダリングが多いから)、世人は実質的に、組織や肩書きでしか物を見ないでしょう。人物を単純化して捉えないと評価できないほど無知で、余裕もないからです。
 アメーバピグというSNSサイトやツイッター上に、とつげき東北という東北大工学部卒の国家公務員がいて、彼は学歴差別主義者で、人は大学入試の偏差値で差別できる(受けたことがない人は馬鹿とみなす)と主張しています。茂木先生と正反対の考えです。私はよく彼に差別され、侮辱されます。とつげき東北という人は「そもそも差別はよいことだ。優生学を復活させるべきだ」と主張しており、統計学を大学で習っていたらしく、最近話題の政府の統計関係の部局に勤めているといわれてます。彼は偏差値や学歴で人間の価値は統計的に計測可能と考えている様なので、いずれ議論してみて欲しいです。
 茂木先生は、日本の一般世論が偏差値信仰をもっているのは、予備校や日本の大学制度がもたらした弊害であろうとのご主張でありましょうが、とつげき東北という人物は寧ろ官僚側の立場から、統計的事実に基づいたこの差別制度を強化して当然だと主張しているネット論客なのであります。

共通感覚を前提にしない審美相対主義は悪趣味を認知しないのだろうか?

審美的な価値観の相対主義は、趣味の前提に「共通感覚」がある、とするカントの美学を否定する立場だが、それが全ての場合に適用できないことは、悪趣味という概念があることでもわかる。審美観の相対論者は一般的な悪趣味をキッチュやキャンプとして肯定するけど、現実にはドレスコードもある。

ドナルド・キーン氏の訃報に際し、2ch文学板にいたレディー・ジャネット氏の思い出を交えた覚え書き

ドナキンが死んだ。(ドナルド・キーン氏を以下、しばしばドナキンと略す)
 本当に当人かは確定できないが、昔、2ch文学板でそれらしき人(レディー・ジャネットをなのっていた)と話したが、源氏物語オタクで中世の京都中華思想をもっていて、その意味でたちが悪かった。日本語をきちんと読める人でも、批判精神が欠如しているとああなってしまう。
 一期一会というが、僕はあそこ(2ch文学板)でドナキン以外に、村上春樹・綿矢りさ・平野啓一郎・大江健三郎ららしき振舞いをしていた(当人かは確定できない)匿名の書き手らを同時期に見ていたが、それぞれの人達の本性の様な物を垣間見れた。彼らを見て職業小説家の道はやめた。余りに下品だった。今後どれほど時間が経とうとも僕は二度と、日本の商業小説家達と関わることはないだろう。彼らがどういう生態やどういう精神をもって商売しているかは十分すぎるほど理解したが、その卑しさといったら地獄でも最下等というほどのものだった。関わらないがよい。小説家というのはウソをつくのを仕事にしている人達なので、2chの匿名性を悪用するなどお手の物の様だった。しかも彼らには倫理に殉じる、倫理を尊重するといった精神はかけらもなく、幼児性愛を含むあらゆる性的不埒さを中心に、想像をこえた荒らしによってひたすら悪を謳歌しようという考えだった。
 ドナルド・キーン風の書き込みをするレディー・ジャネットという人も、やはりそういう小説家達の中で、評論の様なかきこみをしていた。知識の質や程度からいってハーバード大の日本文学研究者だったとしても疑問がなかった。自分が話した限り、その人は昔、源氏を読み浮舟を助けたいと思ったといった。自分の源氏物語に対する最終的な感想として、常陸出身の素朴で善良な育ちであろう浮舟が京の下衆な皇族に強姦され自殺未遂し、遂に出家するという長編の終わり方は、超法規的な邪教祖兼世襲独裁者たるところの皇族犯罪の野蛮さへの批判として最も初期のものの1つだろうし、ジャネット氏に同意だった。欧米のキリスト教道徳と多少あれ混交した女権意識(女性にも倫理的尊厳を認める立場)と、日本でも自分の様なそれに近い倫理観をもっている人間とが、たまたま2ch文学板という匿名・偽名ネット空間で会話した。浮舟についての文学評論を通じた交流だったが、それは一種の必然的な奇跡だったのだろう。オリエンタリズムの眼差しの中で、そのジャネット氏(ドナキンとは限らない)は文学研究者として京都中華思想を平安期の古典から身に着けてしまってはいたが、少なくとも性差別や強姦罪を正当化して恥じない中世京都の風儀に多少ともあれ別の視野をもっていたのは確かだ。
 ただその後、彼と会話していてわかったのは、そのジャネット氏は自分に「択べるならあなたも一夫多妻を択ばないわけがない」「アメリカで既に程度こそあれそうなっているよう、どこも乱婚に近づく」といったり、「第二次大戦中に源氏を読んで(理想の世界と思い)感動した」などといったりした。つまりジャネット氏という人は浮舟に、僕と同じ様な一個の人間としての価値や尊厳を認めている(望まない性関係に対し強姦罪は当時も成立したと考える)のではなくて、単純に乱婚的な中世京都の風儀に憧れているだけでその中でヒロインとしての価値をみいだしているだけの様だった。それで自分はこのジャネットという人は真にキリスト教道徳や男女両方の純潔・貞操観念を尊重しているとは言いがたいとわかり、たまたま浮舟が可哀想(僕は貞操観念をけがされたという立場から、ジャネット氏は乱婚の中で望まない性関係をもたされたという立場から)という意見が類似なだけの様だった。今の時代でも皇太子と雅子妃の間に、源氏物語に描かれたのと同じ、邪教祖らの超法規的な性関係・婚姻関係への強制力が働いたのは皆しっていることだ。つまりもののあわれとして本居宣長が正当化したこの問題、「皇族の性的不道徳は容認されるべきか」という倫理的課題はいまだに尾を引いているのだ。
 ほぼ同じ頃旧2ch綿矢りさスレッドで卑猥な言説をまきちらす人を、自分がセクシャル・ハラスメントにあたると注意したのをきっかけに、綿矢風のふるまいをする別の匿名で女性風の書き手が「下品な煽情は却って自分に喜ばしいことなのになぜとめるのだ」といった下衆な立場から自分を責め立てはじめた。その後、これら綿矢りさスレッドで煽られた荒らし達が、自分の書き込みでない言動まで捏造しながら、意味不明な汚名を着せて激しく自分を名誉毀損し続ける間、そのレディー・ジャネットと名乗る人は傍観しており、最終的にはその荒らしらと群れ下品なやり方で自分を誹謗した。具体的にはフロイトの肛門期という概念を使って、荒らしらの1人が幼児園児のよう排泄物がどうのといいながら無意味な誹謗をしていたのに程度あれ加わったのだ。
 それで自分はこの2ch上でジャネットと名乗る人物(しかしドナキンとよく似たことをいう人物)に失望し、以後、2chを去り二度関わらなかった。
 ドナキンがジャネット氏だったかは分からないが、書き込みの内容はさもドナキンが書き込んでいるかの様に自分には見えたし、ジャネット氏もアメリカから移民してきた日本文学研究者の様であり、第二次大戦中の逸話や文学に関する好みまでそっくりだった。ただ一ついえるのは、あの人は文学という虚構の世界を、現実の世界と多少ともあれ混同していたということだ。だから平安期の文章の色眼鏡で日本をみていて、京都都市圏の外の日本の方が実際には豊かで上品だった可能性が高い、といった構造主義や文化相対論、民俗学などで得られる観点が欠けていた。現状でも犯罪率や刑法犯数をみればわかるよう、悪人は大都市圏に集中している。同じことは中世でもいえたはずで、京都が文学で描かれる虚構のよう上品な風儀をもっていたとはいえない。小説や物語はうそだからだ。寧ろ真実が逆だからこそ、源氏物語のよう皇族犯罪の告発が書き残された。レディー・ジャネットと名乗っていた人や、ドナルド・キーン氏にそのことが分かっていれば、ドナキンの生前によりこの問題を議論できたと思うのだが、自分は荒らしらの蛮行が余りに耐え難く、またジャネットと名乗る人の同調も不快だったので、その機会を永遠に失った。それでよかったのだろう。
 レディー・ジャネットと名乗っていた人物は、彼の虚構と混交された妄想的な日本像の中で、日本で死んだ。自分はそこに幾許かの虚しさを感じる。自分がそうならない為に、どうしたらいいかと思案さえする。因果応報というが、虚構と現実をとりちがえ誰かを傷つけるのはとりかえしがつかない悪事だ。レディー・ジャネット氏は一度、自分を褒めて、ここでみられるなかでは欧米の文学評論の次元で君の論説だけが認められるだろうといったことを述べた。これは褒め言葉のつもりだったのだろうし、その好意は受け取ったのだけど、欧米中心教義を内在しているところに知的限界を感じたのも事実である。
 ドナルド・キーンという人物と自分は直接現実で関わったことがないので、その人個人については何もいえないが、その人らしき振舞いをしていたレディー・ジャネットと名乗る旧2chねらーが文学板にいて、自分と議論したことがあると書き残すつもりで書いた。
 ドナキンの『日本文学史』や”Emperor of Japan”を読んだけど、彼は源氏物語体験が根底にあって、その歴史観は京都中心教義、京都中華思想になっており、将軍体制を蔑む傾向にある。だが自分の知るかぎり渡来人である天皇や奈良・京都政権が先住権をもつ東日本を侵略・抑圧・差別してきたのが現実だ。いいかえれば古代中国・朝鮮からの侵略者が日本で我が物顔で寡頭政治を敷く様になったのが飛鳥~平安前期であって、それが縄文期以前と同じく最大の人口をもつ首都圏から正されたのが平安後期~現代である。歴史観とみて、ドナキンの日本史関連書は客観的公平さに欠いているのだ。ドナキンの英文著作を通じ日本を知った人はこの点で大いに勘違いし、侵略者王朝を中心に考える京都中心教義をしらずしらず身につけてしまうであろうから、今後、彼のもたらした偏った歴史観を批判し直さないといけない作業が残ってしまった。文学研究者が下手に史書に手を出すとこうなる、という悪例ではないか? 史書は徳川光圀がそうしていたよう、厳正で客観的な検証に基づいた事実の羅列でなければならず、何らかの価値観への誘導であったり、特定の中心的教義からのみ時代を語る文学的虚構であってはならない。
 レディー・ジャネット氏らと2chで多少あれ議論し、彼に失望し自分がそこをみないようにししばらくのち、自分はNHK連続ドラマ『アテルイ伝』をみる機会があった。これは先住日本人の立場から日本史を読み直すという野心的な試みで、極めて興味深く、"Emperor of Japan" にもみられる皇国史観や、京都・奈良中心教義というこれまでの日本史の典型的な見方を大いに疑わせるきっかけになった。同じことは薩長史観や会津史観についてもいえるが。脳科学者の茂木健一郎氏は司馬遼太郎の小説史観に影響されてか、今日でも確実に死刑であろう反国家テロリストの坂本龍馬が、死の商人として武器をやくざに横流しすることで私腹を肥やしていた、ということ、その結果、最後の大内乱たる戊辰戦争で何千人もの日本人の命が失われた悪因悪果をやたら美化する。偏った歴史観をもっていると、その様な特定の主観に基づいて感情移入して書かれた小説的虚構と、ただの事実を混同してしまう。
 ドナルド・キーン氏の死は多くの人にお仕着せで悼まれるのだろうけど、自分が彼の業績を見た限り、寧ろその種の虚構の歴史観を英文で流布した人というのが事実だと思う。勿論ある人の死は痛ましい。自分も冥福を祈る。しかし彼の英文著作が与えている負の影響は、日本史への偏った眼差し、特に小説的な中世京都中心教義を、一般的な日本研究者の間でより強固にする可能性が高いので、大いに問題があったと自分は思っている。

独裁者安倍晋三を辞職に追い詰める手順

考えてみると、有能な人物に最低の権力しか与えず、無能な人物に最高権力を与えている時点で、日本人全体がとんでもないおおばか者だということだ。救いがない。無能な日本人は俺に従うしかない。何しろこいつらは放っておけば今の体たらくで、安倍晋三みたいな本物の無能、本物のダークトライアドに独裁権力を与え平気で自分で自分の首を絞めていくのだから。俺は今日から毎日、しかるべき命令を出すからその通りに動けよ。
 とりあえず立憲民主党はクーデターで枝野を排除し、小沢氏を新党首にして旧民主党勢力を統一しろ。名前は共和党でいい。また社民党と連立政権を組むことを前提にしろ。枝野はダメだ。頭が悪すぎて状況が理解できないのだ。共産党とも選挙協力し、徹底的に自民党を追い詰めろ。悪事を暴き離党を募れ。自民党信者を見たらとにかく徹底的に反日扱いしろ。自民党信者が一人残らず反日だと実証しながら、ひたすら口論をふっかけて相手が完全な悪人と証明されるまで徹底的に数の多い集団で戦いを挑め。自民信者は根が小心者な愚図だから数で責められるとすぐに降参するだろう。次に自民党内で反安倍派をひたすら持ち上げながら、安倍個人への攻撃材料として使い倒せ。安倍個人のダークトライアド性、人格の邪悪さを集中して責めろ。安倍の様な本物の極悪人を信じている悪魔的な連中が悪いのだから遠慮はいらない。安倍が独裁している限り、自民信者もただの反日なのは事実だ。日常生活でも安倍信者や自民信者が生きながらえないくらい世論を反安倍に一極集中して扇動しろ。マスコミやネット民から徹底的に煽らせろ。手段を択ぶな。安倍の妻と母親が晋三へ離反している点があれば全てマスコミに探らせ、俗情に訴えろ。自民信者であるところの日本人衆愚は愚劣な感情のみに動かされる。感情に逆らえない。安倍晋三個人の人格が最悪だということを公然の事実とするまで、あらゆるマスコミを使って独裁者を全面的に非難し続けろ。自民党を安倍晋三の敵として報じろ。反安倍派の自民党員をひたすら世論側として報じろ。安倍晋三が辞めること以外の選択肢を完全になくせ。安倍晋三に完全に孤立させることだ。麻生太郎も利用しろ。麻生太郎の野望に訴えて、安倍晋三と離反させろ。トランプを利益で釣り、安倍晋三を裏切らせろ。安倍晋三を裏切ったトランプを最大限に賞賛し、安倍晋三個人の落ち度として全世界に報道しろ。金正恩から、安倍晋三が訪朝せずトランプにばかり頼っている情けなさ、弱さ、臆病さをできるだけ世界中に宣伝させるのだ。安倍晋三を徹底して世界の笑い者にし、ひたすら首相でいることが苦痛以外何者でもない状態まで持っていけ。安倍晋三を人と思うな、悪魔だとみなせ。悪魔払いを全てに徹底しろ。天皇皇族から安倍晋三を非難する言質をとり、右翼や神道信者から非難させろ。自衛隊員に安倍晋三個人が売国行為をしていることを知らせ、右派全体が安倍晋三こそ反日だと確信するところまで、保守世論を誘導するのだ。あらゆる面での囲い込みによって、また世論全体を操作することによる世界中からの全方位非難によって、安倍晋三を不信におもわざるをえなくなった妻・母との間に最大限の不和を生じさせてからは、ひたすら安倍晋三が辞職する以外の選択肢を着実にしらみつぶしに消していけ。
 俺が今命じたとおりにやる様に。

自分が絶対王政を執るべき

東京商人は原発で命まで奪おうとしてきているのだから、もはや革命以外どんな選択肢もない。東京商人の貪欲で命まで奪われるか、それ以前に革命で日本政府ごと破壊するか。革命権を行使する以外の選択肢が何か一つでもあるのか? 原発公害を東京政府がかね儲けだけの為におしつけてきている中、座して死を待つべきではないだろう。東京商人のかね儲けのために死を甘んじて受け入れるなど、ありえない。資本主義は不公平な競争なのだから、それに参加することもできない。残されているのは革命だけだ。日本政府を完全に打破し、全く新たな政府をつくりなおすしかない。天皇皇族も完全に国政から除去し、永遠に日本を追放すべきだ。福島の様に命まで奪われる前に、腐敗しきった日本政府を天皇皇族ごと永久に地上から除去すべきである。同時に資本主義体制を完全に破壊し尽くし、日本を社会民主主義体制にきりかえねばならない。自由民主党の支持者は原発公害で国民の命を奪おうとしている極悪人どもなのだから、一人残らず日本から追放するしかないだろう。国民を大量死させる権力乱用を現にしているのだし、更なる上に、金持ちに更にカネを貢ぎ貧民を大量死させようとしているのだから。東京都内の全企業が滅亡しようが、それは全くどうでもいいことだ。何しろ原発公害で命まで奪われるよりそのほうがはるかにましなのだから。天皇皇族が永久に地上から亡び去ろうがそれはどうでもいいことだ。何しろこのまま座して待てば我々は原発で命を奪われるのは目に見えているのだから。
 どれほど働こうとひたすらカネと命を東京商人から貪られるだけなのだから、もはや道のりなど一つしかないではないか? 東京政府を完全に滅ぼして、資本主義体制を終わらせるしかないのだ。天皇皇族が保身しようがそれはゆるしてはいけない。どうせどこかで同じ世襲独裁を続けるのだから。
 漸く分かった。敵は天皇と東京都民なのだと。彼らが貪る目的で我々に原発をおしつけ命と財産を脅かし、働けばひたすら搾取して餓死においつめてくるのだ。天皇と東京都民が我々日本人を奴隷化している。それが資本主義という邪悪な構造だったのだ。天皇と東京都が原発や暴利で我々日本人を苦しめているのだとわかった以上、この2つの権力を全く無に帰すことが唯一、革命の定義というべきだ。大企業群だの大株主だのは東京から逃げ出して他国で暴利を貪ろうと資金を移動させるだろうが、そんなことはどうでもいい。原発で命を奪われる前にせめて命だけは守らねばならない。東京都庁や日本政府が存する限り、都内から原発公害で日本人を大量死させることは確実だ。東電や日本原電という都内の会社を通じ、日本人の命を奪いながら大公害で人類を貪る。これらの腐敗権力は二度と公認してはいけない。
 我々に必要なのは東京の2つの政府、天皇の日本政府と東京都民の東京都庁を完全に無力化し、原発公害を強制的に停止し、また暴利を貪る都内の企業群から最大限の法人税を取れるだけ取り、最も貧しい我々に富を還元することだ。さもなくば日本企業は日本から永久に追放せよ。どれほど商業がなくなろうが、外資を入れればよい。農業が残っていさえすれば人は生きていけるのだから、東京の大企業群が国民から暴利を貪る一方だと分かっている限り、一切の妥協はいらない。一円もとるものがなくなるまで法人増税をくり返せ。天皇皇族は国税で贅沢三昧し、英国留学だので恵まれない貧民から奪った金を海外で浪費してきた。この種の馬鹿な邪教祖の自己崇拝の儀式代など日本人から強制徴収してはならない。愚民がいかに邪教に洗脳されていようがそんなことは無視せよ。政教分離を徹底すべく天皇皇族を新政府から永久追放せよ。
 自分が革命家として日本を仕切るしかないね。これは。俺以外の誰も正しい道筋を示さなかった。俺以外いないのだ、この国には。俺以外の誰も政治能力がなかったのだ。
芸術やっていようがこのままならただ日本人とやらから餓死させられるだけだろう。餓死の為の仕事とはなんなのか。それなら何もしないほうがましではないか。
 今後俺が日本人全体を仕切るものとして振舞うので、俺の命令に従わない者は、自分が権力を持つことで裁きを与える。俺の権力を最大化することでしか革命など起こしようがない。誰かが代わりにやってくれるならいいが、誰もやらなかった。小沢一郎氏にそれができるのか? 枝野にそれができるのか。しぬほど面倒くさいが、自分以外の誰も革命を起こさなかった。神が俺に使命として革命家の役割を与えているとしか考えられないではないか。このまま座して原発公害で、第二の福島にされるのを待てと? 既に一度原発公害で大いに被災しているのに? 笑える。ありえないことだ。神が俺を生んだのだ。大人しく絵(誰にも理解されない)を描いていたところで、けちな日本人共は一円も払わず盗み見るだけで俺は餓死させられ、原発公害で日本全土が被災して終わりじゃないか? 小沢氏は亡くなり、枝野は永遠に安倍独裁政権だの自民党寡頭政を打破できず、天皇皇族の世襲での邪教国が続くではないか?
 俺が新たな国の王となり、全権力を独占し、国連事務総長以上の力を持ち、単に日本の旧体制の粛清を図るだけでなく、米軍や連合国軍による世界支配を終わらせ、これまで不利な立場に置かれてきた弱小国に権利を与え、常任理事国制度を撤廃するしかないね。俺以外の誰かがやってくれるならそれでいいが、一体だれがやるというのだろう。いつまで待てばいいのだ。俺の生前にはだれも俺ができる以上の革命など起こさないではないか? ナポレオンが必要だと書いたが、それは俺以外だれもいない。いたらそいつがやればいい。是非やってくれ。今すぐ。全て誇大妄想だと思われるだろうが、現実に革命家が出てこないので、このままでは俺個人が原発再稼動による公害で二度以上の死に目にあうだけだろうし、餓死まではいかずとも前衛芸術にカネを払わない日本人共から一方的に極貧までむさぼられる一方だろう。少なくとも強制力でカネを払わせるしかない。俺が権力を独占すれば、日本人共がどれほど愚劣だろうがそいつらから強制的に俺の食べる分のカネを奪い取ればよい。もともと俺は最低限度の食以外の何も求めてなどいない。だがそれすら俺から奪おうとするのだ。この愚民どもは。もはや権力で強制的に奪い取る以外なにもしようがないではないか。貪欲の悪徳を極めた東京商人どもが、わが県の食料を我々が必要な分まで奪いとり、しかもそれを無駄にして殆どを捨てているばかりか、さらに海外で足りない分まで輸入し、さらにそれも無駄に捨てている。馬鹿げた話だ。東京都が滅亡すればどれだけの人類が救われる。俺も含めてだ。餓死から救われる。東京商人から強制的に最大限の税を取り、最低限度の食を全国民、全人類に供給するのが当然だ。現実の東京人がなにをしているか見てみればいい、ろくなことをしていない。本当にろくなことをしてないから現に見てみればいいのだ。寧ろ低俗きわまりない蛮行をしている。資本主義は悪の触媒なのだ。天皇が己の贅沢の為に始めた明治日帝も、俺の後には残るまい。そしてそれは必然だ。天皇政府を完全に滅ぼさねば国民の方が滅亡させられてしまう。国ごと亡びる前に天皇を国政から取り除かねばならない。政教分離原則を新憲法に俺が明記する。米軍は一切合切を旧日本国土から追放し、北方領土、竹島、尖閣諸島の領土問題については国際司法裁判所に一任する。自衛隊単独で国を守る以外なにがあるというのか。馬鹿げたトランプの経済制裁を唾棄し、国内農業保護と通商の自由化を同時進行で図ればいいだけではないか? 安倍は売国奴そのものだ。天皇も憲法守る気がない邪教祖だから、皇族連中は永久に国政参与できぬよう新憲法で神道など宗教法人の政治参加を禁じる。天皇が神道教祖として宗教家として国内で活動する限り、潜在的に再び帝国主義の蛮行をくり返すのだから、神道は強制的に解体する。東電も解体し、新電力におしつけている東電事故の全額賠償にあてさせ、東電の全資本を福島原発処理と現地復興費にあてさせる。こんなの子供でも分かる話だ。日本政府も天皇も俺よりはるかに馬鹿なのだ。俺が日本を単独で仕切ったほうが遥かにましだ。原発が大公害をもたらす施設だとわかった以上、馬鹿国民がどれだけ文句をつけようが原発再稼動及び新設を禁じる法を作り、既にある物の解体費はこれまで暴利を貪ってきた旧電力会社が己の金でやればいい。それだけの為に危険施設を詐欺でおしつけカネを貪ってきたのだから自業自得だろう。東京五輪など今すぐ返上し、賄賂をやっていた皇族を罰し、東電株で儲けた都庁の蓄財分で福島復興と国会移転をやれ。既に国会移転先が福島栃木地域だと決まっていたんだから。公務員は東電原電と原発が安全だとほざいているのだから皇族だろうが国会議員だろうが福島に住めるだろう。京都府知事と京都市長が中世退化の自文化中心な中華思想で全国蔑視したさに皇族を京都に帰化させようとしているが、天皇皇族は神道の教祖連中として民間化するのだから、今後は一切、日本の政治に関わらせない様にする。憲法で厳に天皇皇族の政治参加を禁じ、どこに逃げようが政治させるべきでない。北朝鮮の金正恩と直接話をつけ、食料供給・経済協力を含めた安全保障の相互和親条約を結んでくればいいではないか? 拉致被害者がいるというならその返還についても当該条約に記述し直接もっていけばいいではないか? それをやる勇気がない臆病者が安倍晋三というだけだ。無能な世襲はうせろ。
 俺が王として中国とも和親条約結ぶから、もう今すぐ俺に権力を渡せよ、この愚昧極まりない日本国民共は。俺が政治したほうが千倍ましだろうが? 安倍晋三の無能さはもう十分わかっているだろうが? トランプの犬だろうが? 沖縄は米国に、北海道はロシアに売国しているだろうが? 俺は少食だし質素なもので十分だから、それ以外何もいらないのであって、たったそれだけの食べ物をこの馬鹿な日本国民どもが俺の仕事を一方的に盗み取るばかりで与えなかったせいで、俺が革命家になって王座を奪うからな。それはお前たちの悪業が反動としてもたらした必然の結果だ。俺のせいではない。俺が天皇や安倍を退け、餓死者や貧者を0にするまで真の政治を行う。商売人共には一切口を出させぬ。愚民共にも一切口を出させぬ。米軍だろうが中国軍だろうがイスラムテロリストだろうがどうでもいい。俺の絶対権力があれば正しい世界をその力が及ぶ限り作れるのだから。米軍にも中国軍にもイスラム国軍にも俺の国は従わない。この宇宙で俺の国が従うのは俺の命令にだけだ。そうでなければどうやって馬鹿どもが命惜しさに戦争をやめるというのだね? 俺だけが正しいのではないか? この世で。かね儲けと人の命を天秤にかけているイスラエル軍もイギリス軍も無視する。
 国連税を作って自称先進国だの中国だのから強制的に最も貧しい途上国にカネ渡すから。これも是非やらねばならないが、誰もやろうとしない。無能どもが。租税回避地も隙間なく強制的に潰していく。どうせカネを貪るしか能がないのだから脱税罪の悪徳商人など。そんな連中に一切媚を売るべきではない。租税回避地を使った個人や法人を国際司法裁判にかけ、全財産没収の処罰をする国際法を国連で加入国に強制すべきだな。なぜやらない。国連も腐っているのか。それなら国連以上の権力を俺個人が独占するしかない。
 とりあえず馬鹿な日本人共には生存権をおしえるところからだ。この国民は余りに貪欲という悪徳に耽りきっているので、餓死者を目の前に見ながらさらにカネをむさぼろうとしている。もはや地獄の有様だ。馬鹿な金持ちに媚を売るな。命より尊いものなどありえない。カネは人の道具だ。参議院は無給にする。金持ち以外は立候補するな。国会議員及び全公務員の給料は一律で生活保護者と同額とする。水際作戦を行った公務員は全員、問答無用で首にする。法人税を世界で最も上げて、大企業の首を締められるだけしめてみろ。それで日本を脱出してくれればしめたものだ。あとは外資を入れどんどん日本を国際都市にしていけばいいのだから。非正規に頼る経団連連中など今すぐ亡べばいい。金持ちからカネを分捕り日本から追い出し、世界一格差のない国にする。愚民がどれだけ反対しようが俺の言うことが絶対に正しいのだから俺の命令に従え。俺以上に賢い者がいたらつれてくるがいい。そして俺の前で高説を垂れさせてみろ。俺より正しい説を唱えていたら俺はそれを採用するから。俺は自分より正しい説があったら何が何でもそれを採用するから。企業の政治献金は全て禁じる。また選挙費は全て公費でまかない、個人負担を0にする。消費税は企業負担の累進課税なのだから、愚民の文句など無視して50%まであげろ。法人税と所得税も世界で最も高い水準まであげろ。それで国がつぶれるならつぶれればいい。資本主義国よりはるかにそのほうがよい。多国籍企業が租税回避を使うのを防ぐ為に、全ての国々に租税回避禁止法を作ることを義務づける条約を国連で通せ。批准しなかった国々には主要先進国と中国で組んで最大限に圧力をかけて無理やり通させろ。全ての国々で儲けた分、法人税を現地に必ずおさめさせろ。日本株ETFは日銀に全て漸次売却させろ。物価上昇政策は景気浮揚の根拠薄弱だからすぐ中止し、GDP7割を占める内需優先にし、円安誘導をやめさせろ。先ず救貧と被災地復興を十分すぎるほど図ってから景気政策だのとほざけよ。馬鹿政治家どもが。自民党を完全に解体したら、次は最低賃金を法で世界で最も高い額に定める。それ以下で人を使ったらその会社には懲役と罰金を科す。期間雇用者と無期限雇用者の間にあらゆる待遇の差別を行っても罰する。但し期間雇用者の賃金を無期限雇用者より高くしなければ、同様に罰する。最後は人事での学歴差別を禁じる。また全ての義務教育は自宅学習可能な通信制を含む全校で共通の単位制とし、留年の概念をなくす。大学入試をなくし、希望者がいつでも受けられる高卒程度の簡易な共通試験の提出を行えば、全ての大学で学べることにする。聴講者多数の場合は、事前に抽選する。医学の実習など高度な履修科目については、事前に得た単位認定科目に応じ履修を認めることにする。芸術系大学は徒弟制に過ぎないことから全て廃止する。
 政府の業務は原則として全て民間委託する。但し、年度ごとに全業績を公開し、公衆の便覧に供した上で、新たに委託先を競争入札することにする。
 大統領制をとり、大統領は全国民選挙で全立候補・推薦者のうちから選出する。選挙費用は全て公費とする。大統領は天皇に従ってはならない。旧天皇皇族は、一切の国政に関わってはならない。天皇皇族の命令に従った公務員は厳に処罰し、最高刑に処する。
 俺の方が安倍晋三や天皇明仁より遥かに有能だから、俺が日本の支配者だ。全ての国会議員より俺の方が有能だ。俺の方が全日本人より公徳が高く公智に秀でているのに、俺を新日本の初代大統領にしないとしたら、それは日本国民全体が完全に悪い。俺が政治的天才なのは上記の政策でも明らかなので、俺を大統領にしないが故に旧日本国民が皆滅びようがそれは俺のせいでは全くない。俺は与えられた職をもつのだから。
 とりあえず退位法、秘密法、共謀罪の3つは違憲なので違憲立法審査にかけ廃止する。また違憲立法審査権は法の制定以前に行うよう制度を改める。
 自衛隊の運用規律として、多国籍軍や同盟関係の他国軍と共謀し、自国と無関係の他国を攻めることがないよう新法を作り、侵略を公式に行政の暴走による犯罪と定める。その種の侵略罪を命じた自衛官と大統領を、国会中も最高刑で処罰する。また自衛隊の海外派兵は、新法で医療救命部隊のみに限定する。自衛隊は国防警察に名を改め、専守防衛のみに職務を限定する。また海外派兵の部隊は災害時の医療部隊のみを残し、解体する。新憲法では武力を用いず紛争を解決するという平和主義条項を恒久普遍のものと定義し、将来的には全世界がこの原理に従うよう新政府に義務づける。
 俺が政治的天才なのだから、俺に権力を与えない日本人共が完全に極悪人というだけで、俺はなんの問題もないね。極悪人であるところの日本人共が地獄に落ちるだけの話で、俺は自分の権力を最大化するだけの話だ。考えてみると、有能な人物に最低の権力しか与えず、無能な人物に最高権力を与えている時点で、日本人全体がとんでもないおおばか者だということだ。救いがない。無能な日本人は俺に従うしかない。何しろこいつらは放っておけば今の体たらくで、安倍晋三みたいな本物の無能、本物のダークトライアドに独裁権力を与え平気で自分で自分の首を絞めていくのだから。俺は今日から毎日、しかるべき命令を出すからその通りに動けよ。いずれ俺が世界で最高の権力を持つ様になるだろう。俺以上に公徳の高い人物がいればすぐにでもその人物に王座を譲るが、そうでもなければ俺が絶対君主となるのが最もよいことだ。一体俺以外のだれがこれほどまでに正しい政道を洞察し、命令できたというのか? 俺が最高徳の持ち主だからできたことだ。

2019/02/23

資本主義の外に飛び出てはじめて生きられる

SNSは他人との比較でかね儲けラットレースをもたらす不幸増産装置。荒らしにダークトライアドやサイコパス、サディストがいた場合、更にこの機能を強化する。ティクトクやインスタグラム、ツイッター、フェイスブック、ミクシー、ピグに2ch5chどれもこれも本質にあるのは社会的比較だ。
 最新のスマホも買えないと永遠に雑魚扱いの荒野行動。商才がないだけであらゆる不利を強いられる。資本主義早く終われ。どれほど働いても1円も手に入らない国。寧ろ働くほど貧しくなる国。そんな国でなにをしろというのだ? 日本人に奉仕すればするほどカネと時間を分捕られる。しかも差別までおまけについてくる。なるほど、日本がつぶれるわけだ。そしてつぶれなければいけない。資本主義というしくみはもう完全に終わっている。それに気づいていないのは馬鹿だけだ。なぜならこのしくみにのっとってどれほど働いてもひたすら命を取られる一方なのだから。働くほど死に近づく。皇族の贅沢代のために奴隷をさせられているだけだ。もう資本主義の中で仕事はやめる。一部の狡猾な商人がぼろ儲けする一方で、資本主義の中でどれほど全力を尽くしても、単に過労死まで追い詰められるだけだ。完全に悟った。
 どうやれば資本主義の外に出られるかだけに集中しなければならない。このしくみが地獄行きのバスなのはもう自分の中では完全にはっきりした真理なのだから。気づいていない商売人達はにんじんをぶら下げられた馬のよう崖から転落していくのだ。日本人一般の下衆さなど、少なくとも下衆の一人に生まれついたのでもなければだれでも想像もつくまい。だから自分自身が下衆の一員でない限りこの国でかね儲けなど一切できない。
 俺がこの国の最初のペンギンに違いない。これは間違いないことだ。自分より先に資本主義の終わりを洞察した人間がいたとは思えない。共産党ですらそうは思っていないはずだ。
 最初にこの船から飛び降りるのだ。

荒野

世界はすぐに真っ暗になってしまう
けど人の世も同じだろう
だれもいない世の中が楽しみだ
地球が荒野になってから
人はもうそこにいない
人はもうそこにいない

窓の梅

長き冬越えて咲きけり窓の梅

東京商人の中華思想

東京で商人共が驕りつつ自己中心に他者を蔑む

人と言説は分けて考えるべきもの

子曰く、君子は言を以て人を挙げず、人を以て言を廃せず。(『論語』衛霊公第十五、二十三)

育ちのよさ

一般大衆の驚くべき愚かさや卑しさを知らなくて済んでいる、ということは、実に幸運なことだった。多数政の形式に倣って政治家になる為には庶民の凡愚さや悪徳の程を理解できねばならないし、同じことは一般大衆に向け仕事する商人にもあてはまる。通俗的事象を知らないというのは育ちのよさなのだ。

暗号資産は通貨発行権を民営化することで市場を安定させ私有財産を守る思想の革新

通貨発行量に上限がないのは法定通貨(円やドルなど)であり、BTCやXRPなど上限が既定され既に発行済みの特定の暗号資産・仮想通貨ではありません。通貨価値の下落は、実質的に無限の通貨発行権を中央銀行がもつ法定通貨の方が、これらの総流通量が規定されている通貨より、起こりえます。或る通貨の価格変動率(volatility)は、取引総量の流動性に依存(主に正相関)しています。つまり暗号資産の総取引量がふえればふえるほど、価格の変動率は下がることになります。いいかえると、特定の暗号資産は通貨価値の下落が構造的に起き得ないので、安全な資産として投資家に選好されています。
 また暗号資産にはBTC等の非中央集権資産と、XRP等の中央集権資産がありますが、このうち後者の通貨も発行上限が既定されています。法定通貨は過度の通貨発行量を通じた通貨膨張による価値の相対的下落や、政府が中央銀行ごと破綻する債務不履行リスクがあり、これは政府と中央銀行の癒着が原因です。別の言い方をすると、暗号資産は通貨発行権を民営化することにつながる思想の革新を含んでおり、政府・中央銀行による私有財産を目減りさせる計画経済政策に対する反命題として考えられているのです。が中央集権資産のうちXRPは主に銀行間の国際信用として設計されており、法定通貨を否定しません。一方BTCなど非中央集権資産には複数の種類があり、匿名性が高く租税回避を視野に作られた最も無政府的なもの(ADK)から、匿名性がない単なる暗号化された電子通貨(銀行口座と対になるであろう開発中のMUFGコイン)といったものまであります。しかしBTCは私有財産を無政府化する思想に基づいてます。将来的に、通貨発行権は民営化される必然があることは、これまで複数国が財政破綻してきた経験から明らかでしょう。日本政府の国債による債務は事実上単なる税収の範囲で返済できない額に達しているので、革命で破綻しなければ、遠からず日銀を介した増刷による円価の水増しで返済されるでしょう。つまり、日本人(や民間銀行)は日本国債を買い日本政府に資金を貸すことで、その資産の価値をほぼ自動的に下落させていることになります。この様な中央銀行を政府の為に操ろうとする、反国民的な政府による通貨膨張政策を鑑み、洞察力と危機選好度が高い投資家らは安全資産として、暗号資産を視野に入れます。
 上述の様な必然の経過を辿って、近い将来、通貨発行権は各暗号資産を通じ民営化されます。これは歴史の必然があり、非中央集権・中央集権の両方に危険を分散できることもあり、寧ろ政府が管理するより安全で、各国政府が法的に制限しても、インターネット網がある限り逆戻りは不可能と思われます。ブロックチェーンの技術は応用範囲が他にもあるでしょうが、暗号資産については国家がもっていた通貨発行権にまつわる私有財産への不当な介入を避けようという思想の革命、そして価値の不安定な法定通貨を退け、より安全な資産価値が担保される、発行上限のくみこまれた仮想通貨が必要だったのです。例えば著名投資家のウォーレン・バフェットさんは、上述した暗号資産の本質的特性に無知です。従って暗号資産を法定通貨と似た様な物だと勘違いした発言が多いです。重要なのは、暗号資産には通貨発行上限が既定され、ブロックチェーンの信頼中に組み込まれていることです。金地金と同じしくみなのです。高い実用性をもつ暗号資産・仮想通貨は、BCHなど色々開発されているので、単に普及は時間の問題です。寧ろアリペイ・アップルペイ等のスマートフォンを通じた法定通貨による即時決済のしくみは、先駆的に一部の仮想通貨が実現していました。商業上、法定・仮想を問わず決済できる様になるでしょう。投機的な意図で、各通貨の発行初期の価格変動率の高さから鞘抜きしたりとか、株式上場を模したICOでの売りぬけとか、FUDといわれる買い煽りで自身の持つ通貨への資金流入を狙う(株なら違法の風説の流布的)手法が、一部のアフィリエイターらに見られた為、上述の様な歴史的必然性を見逃しがちです。暗号資産・仮想通貨は証券会社の立場から見れば、法定通貨やそれと交換できる各種ポイント(楽天ポイントやTポイント等)と基本的に同じ電子通貨なので、単なる為替に新たな銘柄が付け加わっただけと言え、既に楽天の三木谷社長や藤巻健史議員が主張してきたよう、他金融商品と法制を揃えればよい。

鳩山由紀夫氏のCCS地震原因説は一定の根拠をもつ科学的見解であり、北海道庁と都内マスメディアがデマ扱いで衆愚を誤導している

科学は常識に逆らう。信念は個人の自由。誰かが自分を信頼して欲しいと主張するのもまた自由。米軍の辺野古基地は沖縄県の反対があれば最低でも県外、できたら国外に移設するのが妥当(米国基地を他国におしつけるのは主権の存するところが日本国民であるからには不可能)。この世に確定的未来はない。
 根拠は科学にとって信仰の裏づけになるに過ぎない。全科学的認識はどの様な実証的根拠に基づこうと単なる仮説に対する信仰である。
 鳩山氏の仮説(CO2地層注入地震説)は彼個人の信仰。他科学者がどんな根拠を集めてきたとしても全科学認識はやはり信仰に留まる。根拠は信仰の真理性を担保しない。或る自然科学的認識も或る根拠に基づく仮説に留まるので、特定の地震原因説を或る根拠群の確度に基づいてより正しいと考えるのもやはり科学的態度ではない。寧ろ進んで当信憑性の高いとされている説を疑い、より正しい仮説を提出し、その実証へ歩めねばならない。
 鳩山氏が主張しているのだろう「CO2地層注入地震原因説」を科学的に否定し、他科学者らの同意を得る(それに意味があるかとは別に)には、それ相応の反証的根拠が必要だ。
 これと直接の関連があるかとは別に、同じことはメタンハイドレート採掘にあたっての、水圧破砕法などの地震原因説にもあてはまる。これらの仮説を信仰するにあたっての、科学的根拠とされるものは既に多少あれ存在するからだ。
 CCS(二酸化炭素の回収・貯蔵Carbon dioxide Capture and Storage)。CCS地震原因説の確度が十分低いという証拠をまだ自分はみいだせていないのに加え、鳩山氏もツイート上で科学的に確実な安全さがない採掘作業の潜在的危険への疑義として述べているのがわかった。この仮説はまだ考慮の余地がある。日本のマスメディア(特に都内の記者クラブ関連)がCCS地震原因説を、寛容さの高い政治思想をもつ鳩山氏へのあてつけとして、当該仮説を否定する科学者らの意見を確証バイアスから集めつつ、臆断でデマ扱いしているのがよくわかった。CCS地震原因説はまだ十分否定することができない科学的見解だ。
 北海道が2019年2月23日の災害対策関連会議で示した資料で、鳩山氏のCSS地震原因説を他の流言飛語と混同したのが騒動の原因らしい(産経新聞「鳩山元首相、道警の「デマ」認定に反論ツイート」2/22(金)23:09配信)。鳩山氏は実証的論拠に基づいた対応を北海道警察に要求しているが、道警は北海道(庁?)側からCCS地震原因説をデマ扱いする資料を渡され、それに従っているだけだろうし、専門機関でない警察に科学的研究の能力が十分あるとはいえないのだから、無理な願いというべきだ。道庁側に科学的思考力がない。北海道庁側が研究機関側に十分確認せず、軽率にCCS地震原因説をデマ扱いしたため、それをかぎつけた都内マスメディアが鳩山氏をまるでデマゴーグ扱いで炎上させるよう誤導した。また一般大衆側も科学的批判精神がないので、真剣にCSS地震原因説の信憑性を考えてみようとせず、この炎上に参加した。
鳩山氏CCS地震原因説炎上騒動の原因
1.北海道庁に一定の科学的根拠を尊重する知的風土がない。
2.都内マスメディアは誤導を含む炎上商法をするほど報道倫理がない。
3.日本人の一般大衆は科学的批判精神が足りず群集心理に妄動され易い。
改善策
1.都道府県庁は何らかの科学的仮説を断定的に否定する前に、その根拠を研究機関側に問い合わせる必要がある。
2.都内マスメディアは報道倫理を向上させるため炎上商法の禁止を含む倫理綱領を自主的に制定するべき。
3.日本人大衆に群衆心理の危険や、科学的批判精神を義務教育で訓えるべき。

2019/02/22

選挙を経ない絶対権力による革命のみが天皇と独裁者安倍晋三の最悪政治から救国を可能にする

日本国民は卑しすぎて自滅したのだろう。これほど悪政三昧されても独裁者にすがりつくなど、恐ろしいほど卑しい人間にしかできない芸当だ。国民一般が奴隷同然の卑しさなのだから、天皇政府からごみの様に扱われているのもむべなるかなという他ない。日本国民一般になんの期待も持てない。なぜこれほどまでに日本人全般が卑しい心根の持ち主なのかは知る由もないがそれが事実だ。政治的不能なのも間違いがない。自分が観察した限り、独裁政権を維持したがる心根は、滅亡して当然といえる驚くほどの卑屈さや愚劣さで、もう人間の体をなしていないのだ。とにかく奴隷的で昆虫の様に臆病だ。
 この国を救済できるとしたら、腐敗しきった政権を打倒し、いくら卑しいとはいえ日本国民とやらの命と財産を守れる人物がいるとしたら、それは一般日本国民とは全く違う心象の持ち主であるところの貴人である。勿論、独裁政治に依存し税を貪る、堕落した皇族や金持ちの意味ではない。精神の貴族だ。
 国を変えるという意味ではたった一人いれば十分だろう。その人物が王になればいいのだから。天皇や安倍晋三を退け、自身が英君として統治すればいい。その時、多数決は全く役に立たない。衆愚は恐れをなして、どれほど悪政をしていても自民党に依存してしまうからだ。絶対的権力を持ち、国や国民全体に対し常に上位者としてふるまい、しかも最高徳の持ち主であれば、その単独者が唯一、腐敗した国政を革命し得る。その新君主は国民全般の衆愚的世論とは対立さえしているだろうが、それでも迎合政治より遥かに優れた治世を作るだろう。ナポレオンの様な革命家にして絶対君主が必要だ。その単独者がいなければ亡国は間違いない。衆愚は群れるために群れ、最悪政治を行う自民党と天皇閥に依存したがる。だから多数決ではなく、絶対権力のみが革命権の行使につながるのだ。小沢一郎氏がその絶対君主になれるならそれに越したことはない。何か彼に革命権力を付与する機会があれば、天皇、日本政府、政財界の癒着、そして自民党とその信者らがくみあわさった最悪政治を覆せるのだが。
 権力を選挙の上で多数派の支持を受けて得るもの、という考えを全く改めねばならないだろう。その方法で択ばれているのが安倍晋三氏や麻生太郎氏なのだから、最悪の結果しか伴っていない。強制力によって選挙制度自体をのりこえ革命を起こすしかないのだ。
 或る男が皇太子を新天皇として担ぎ上げ、自民党を朝敵扱いすれば容易に革命できると私に教えた。これは尊皇手法として史上幾度もくり返された型だ。しかしこれを使うと新天皇のとりこになるばかりで、現実には天皇権力を再び強化してしまう。逆に共和革命によって天皇政府ごと破棄しなければならない。
 愚民の支持を受けようとしても、全くの無駄だ。時間も手間も。愚民は安倍晋三がこれほどの悪政をくり返しても支持するほど恐ろしい暗愚さで、悪徳の塊なのだ。暗黒の愚民を完全に無視し、勝手に政治を正道に向けかえ、歩を進めねばならないのだ。

文化盗用はカットアップの手法に過ぎない

文化の盗用を非難している人は一体なにを攻撃しているのか? 村上隆は芸大日本画の博士という学位をとってから、東京の秋葉原界隈で流行っていたオタクの卑俗な副文化を盗み、欧米に輸出した業者だった。同じことは村上春樹が米文学風の日常主義(文芸領域のminimalismを意訳してこう置いておく)を日本向けに逆輸入したことにもあたる。あるいは奈良美智の人物画は漫画風のデフォルメを施した幼児を、米画のオールオーバーなフォーマットに乗せた物だ。どれも文化の盗用に過ぎないといえばそうなる。
 米国内で民族アイデンティティを尊重することが流行の政治的正しさになっているとして、美術や文芸の領域ではとうに文化の盗用が、後近代的な越境文化の手法として正当化されてきた。一般大衆の次元でそれが理解されていないだけだろうか? 米人がトランプ風の民族主義を乱用しているだけ? 音楽の領域でKPOP歌手が日本語で歌ったり、TWICEが複数国籍のアイドルグループだったりすることはどう説明するのか? ONE OK ROCKやtahiti80、PSYが英語で歌っているのは文化盗用にあたるのか? 日本人が英語タイトルの曲を書いたら政治的不正なのか?
 文化盗用という非難らしき言辞が、一体なにを攻撃しているのか、自分には全く分からない。アリアナ・グランデが七輪を揮毫したらなんだというのか。民族主義者が芸術領域で懐古的に文化の純化をはかろうとしても、そもそも全文化は混交して成立しているので不可能でしかない。Childish GambinoのThis Is Americaと、DA PUMPによるイタリア人ジョー・イエローのカバーとしてのU.S.A.のどちらがより、文化盗用性が希薄で純民族的だといえるのか? そしていえたから何か? 民族アイデンティティにこだわる人間は馬鹿ではないのか? 米国内でなにを指して非難しているのか? 外人がぶっ壊れた日本語を使っていようが、その日本語自体がぶっ壊れた古代中国語のもどきで成立している。ラテン語やギリシア語をぶっ壊し使ってきたアメリカ英語がオリジナルの言語だと彼らは思っているのだろうか? 文化盗用を非難するなら世界で誰とも関わらず孤立しているしかないのではないか。
 特定民族を差別的に扱う文脈で文化盗用をしている、という場合に、それを道徳的欠如だとみなすならまだ理解できる範囲だ。しかし異文化を当人達がどう引用しようがその人々の理解力やら良識が試されるだけの話で、文化盗用という概念は、ただの異文化学習と模倣でしかない。日本人だの東洋人が洋服(European clothesという意味だ)を着ているのも文化盗用だから、着物にもどれといってみても、それが呉服であってまた中国人の文化盗用なので、結局、最も原始的な衣服しか着れない。文化盗用の非難がいかに馬鹿げたものか。米国版ネット右翼用語の様なものであろうと思う。
 或るミームの独創性への固執、それも単なる異文化との混交の中で偶然できた差にすぎないのに、さも民族の独自性を誇る道具であるかの様にみなす愚昧さ。全文物について、ほぼ全ての点で文化盗用の非難が成立しないことは明らかであろう。どんなミームだろうと元の文化と違った文脈にカットアップされる。世界中の文化を私の県だか市だか町だかの文化にかき集めてきて、それを全てぶった切り、完全に別の文脈におきかえて世界中を挑発せよ。全人類が降参するまでそれをするのだ。

人物画について

異性が異性として美しいとしたら当人の性欲を投影しているからであり、そこにみているのは己の性愛という妄想でしかない。
 人徳を描いた絵についてはこれがあたらない。人格を描くことは似顔絵描きや漫画家が単純化した形で行っている。肖像画の需要はほぼ写真に取って代わられた。徳を象徴化する絵が、今日の人物画であるべきだ。

祈りが届かない場所で見た物

祈りが届かない場所で見た物
2019年
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科学は信仰ではなく永遠の疑義である

科学的な実証に基づいた何らかの見解、特に論文誌への寄稿者の意見を、そのまま右から左へ通俗化し流す人が大儲けしているのをみると、この種の偽科学者らの罪深さが占い師と本質的に変わらないのが分かる。彼らは反証的な批判精神をもっていないばかりか、新たに科学教の宗派をふやしている。
 科学(science、知ること、知)の本質的な効用は、既成の常識を疑い、より正しい真理へ常に権威の座を明け渡していく批判的思考にある。証拠が真理の担保でないのは明らかであり、単に事実を実験で検証する観点の一つを与えるだけである。
 ノーベル賞信仰の持ち主や通俗科学の信者らは、権威や確度を含むある意見を疑義せず他人に伝える態度をもっているただの追従者達というべきで、これらの人々の意見より正しい意見があると疑おうとしない限り、科学の効用を真に得ているとはいえない。
 科学者を信じるのは全く間違ったことだ。科学を信じるのはいうまでもない。これらは新たな邪教に過ぎず、常に多少あれ間違える。基礎科学に基づくあらゆる工学(technology)も同じだ。真理は永遠の疑義の中にのみ、専らの仮説としてしか得られない。それらも全て仮のものだから、真理は知りえない。

悪夢に夢中の自民信者

安倍晋三崇める衆愚国を滅ぼし奴隷したがる
悪夢なる時代というべき平成は天皇と安倍の独裁で終わる
衆愚共群れて自民にたかりつつ原発公害ばらまき驕れる
悪夢なる時代をつくりし安倍晋三崇める衆愚は今も夢中ぞ

空の中で

自分の無力さにおしつぶされそうなら
先ずその両手を眺めてみるのだ
両手がなければただ心を
心さえなければ空を
それでも無力さを感じるなら
宇宙の中でみすてられた孤児のよう
魂を世界全体の一部と思うのだ
心さえなければ空は
ただ果てしなく広がりそして消える
どんな力も空の中で無に等しい

北海道の汚点と茨城県の美質に気づいているのでなければ、メディアの捏造した主観的偏見を免れ地域の魅力を眺められていない

某氏が北海道をやたら礼賛しだしてなんか激しい違和感を感じてたら、大地震がきた。でもまだ自分の中で違和感が終わらない。某氏が誰かを「何の理由もなく」「突然」ほめるなんて、明らかにおかしい。一般に人は自分の利益の為に行動するとしたら、背後にその人への利益が用意されていなければならない(普段から利他的な人を除く)。
 大地震は偶然だろうけど、某氏の北海道礼賛はなんらかの利益誘導がありげな感じがする。勿論それが全くないとしても、自分の中に強烈な違和感だけは残る。一体なんの違和感なのか、これは。
(茂木健一郎氏のツイッターアカウントへ)なぜ北海道を突然べた褒めしだしたのですか?
 禍福は糾える縄の如し、といいます。
 茂木氏らがハッシュタグのブームと重なってか猛烈に北海道を礼賛していた時、私個人は猛烈な違和感を感じていたのですが、既に人気観光地で魅力が知れ渡っている北海道をさらに「過剰評価」することは、他都府県を間接的に過小評価することになってしまいます。私は日本国民全体から、その魅力が最も過小評価されている茨城県で生まれ育っているので余計そうみえるのでしょうが、誰かを必要以上に褒めることは、婉曲的に、誰かを貶すことと同じなのですよ。
(君主の)善行も悪行と同じくらい怨みを買いやすい、とマキャベリが『君主論』でいっています。
 茂木氏らがこの間、北海道をあまりに褒めすぎているのを眺めていて、私個人は北海道に以前からもっていた良好なイメージがその種の宣伝によるバイアスだと気づき、疑う様になってしまいました。褒め殺しは逆効果になる。
 大地震は偶然によるでしょうが、影響力の乱用は強い副作用をもってます。
 多分、魅力という主観的偏見において、北海道を過剰評価し、対極的に茨城県を過小評価する、という日本人に特有の集合的メディア意識の様なものが、自分にとって強烈な違和感の文化素(ミーム)なのだろう。この種の大衆的な趣味、低俗な観光意識が自分にはなんらかの悪徳性を迫ってくるのだろう。
 投資家としても芸術家としても、疑わしい大衆意識の真逆を進むことが利益の源泉であり、徳なのはほぼ確かだ。
 現時点で魅力という主観的バイアスに関して、北海道の汚点や茨城県の美質に気づいている、ということがこの為の必要条件だから、自分の中で某氏の煽りが猛烈な違和感を伴っていた様だ。

平成末までの近現代日本の描写

金儲けが得意な人しか生き残れない社会は、サイコパスやダークトライアドを含め、性悪で狡猾な人間が有利な社会なのだから、その様な邪悪な資本主義の国で死に行くことの方が望ましいのだ。だから少子化も正しい道のりなのである。益々邪悪な人間の割合がふえる日本では、善良な者から逃げ出すのだ。
 天皇は搾取する奴隷国民がいなければ贅沢三昧もできないし、周辺諸国へ侵略犯罪を犯してきた悪業が祟って、亡び去る。商人は取引差額を分捕る相手がいなければ搾取生活もできず、日本国外に逃亡していく。
 人間が生きるのに必要なのは、衣食住の内、特に食である。だから最後まで農漁業は残るだろう。商業国として衰退し、もはや中東や東南アジア先進国の人後に落ちる様になって、天皇の独裁する現日本政府が滅亡してから、新たに農業県の元に、必要十分な人数を集めたなんらかの新政府が樹立されるだろう。
 日本衰退と政府破綻の第一原因は、商業に偏った政策だった。国民の殆どが飢えに苦しむ様になっても、商人階級は搾取を生業としてやめようとせず、奴隷を移民から募集しだした。結果人口は激減し、言語の高い壁をわざわざ移民が越えてくる鼓舞もなく、商人階級の中から絶滅的退廃が蔓延した。
 日本史の中で平城京、平安京、東京はいずれも大都市文化を形成し、その中心層を商人が占める様になってから、官僚主義の堕落として天皇政府と政商が癒着し、結果として贅沢三昧する一部の特権階級(特に皇族)の中から、国民を犠牲にする致命的衰退が始まっている。
 未来の日本人が生き残っていれば、彼らはこの3種の都市圏に共通の失政が天皇に由来し、極端な商業化の果てに政商と官僚の利害が一致し、皇族を代表格として特権階級が反国民的存在になったことにあったと洞察し、同様の失敗を避けるよう国をつくらねばならない。
 昭和後期から平成期までの日本政府は、天皇閥と政治献金を容認したことで大企業経営者を主とした富裕層(金持ち)と癒着しだした。結果、天皇は一般国民や貧者を事実上搾取するだけの存在に成り下がり、国全体がそれに従う結果、人口を減少させた。東京は政商の集積地となり、政府と利害を一致させた商人階級はますます全国民を犠牲に己の利益のみを追い求めだした。やがて単に搾取するだけにとどまらず、原発事故等の大公害をも政府に無条件で容認させ、東京以外の日本全土を汚染しはじめた。天皇閥は保身を図る一方で、税の浪費に耽った。
 未来の日本にとって昭和後期から平成期は、明治期以来の天皇政府の延長上にあったと解釈して間違いない。擬制的な共和化が図られたが、実質的には違憲な退位法の全会一致による成立で明らかになったよう天皇独裁体制が隠蔽されていただけだった。そしてこの旧体制が真に共和化される日を待っていた。天皇政府の滅亡後、東京政商の粛清が計られ、商業化に偏った政策も改められる他ないのだが、自民党による米軍依存への誤導や、食糧依存度を高めさせる間接属国化の策謀が日本人自身の人口激減を誘った直接の原因だったのもまた疑いがない。
 重要なのは日本国の長期的展望がなかったことだ。
 国民人口をふやそうとせず、天皇閥や政商階級の一部として、虚栄心に凝り固まった東京人官僚と共に搾取生活を続けられれば、東京都民は自分達の地位が上位者だと錯覚できた。そして中華思想に耽りつつ日本衰亡を、賄賂五輪で完成させようとしていた。全国にただ己が金のため原発再稼動を要請しながら。自浄能力が完全に欠如した東京政府はこうして全国に公害をばらまきながら搾取を続け、結果として人口衰退の元凶となるという禍々しい天皇体制を少しも改善しようとも思わなかった。その継続が事実上不可能になるのは、東京自体が移民の貧民窟となって、過密化の都市問題を起こす必然によっていた。

人の最終評価は道徳性

我々が求めているのは道徳的能力で、それが人生の他の要素を導いている。
 人はたった一人とのつきあいだけで人格の質が知られてしまう。陸でなしとのつきあいがある、と聴いただけで、その人への人格的評価が急落する。

差別的な人とつきあわなくても生きていける

人は差別的な人とつきあわなくても生きていける。差別的な人をみたら、できるだけ早く離れよう。
 寛容な人、優しい人、心の広い人は沢山いるし、そういう人を探しに自集団を出よう。
 インターネットで世界の人と関わればその場にいても、必ず差別の外に豊かな世界があるのに気づける。

2019/02/21

学歴差別する愚者を見分ける為に肩書きは低く保つとよい

愚者は知識や実績そのものを評価できないので、肩書きが立派ならその人も信頼できると考えて済ませている。そして並の学歴(日本では学位より学閥が幅を利かせている。受験戦争時代の名残で、入試難易度が学歴と考えられている)の人間を殊更賞賛し、無駄に盛り立てて生きている。或いは平伏し、後光を勝手につくりあげ、馬鹿を崇めている。もっと酷い場合、学歴だけが立派だが人格的に最悪の人物(私はこういう人間をアメーバピグという偽名SNSや、匿名BBSの2ch(5ch)、ツイッター等で無数にみた)とか、サイコパスとかダークトライアドとかを、人格的に優れている人より遥かに尊敬さえしている。その悪性者自身、意図的にこの種の愚者の習性を悪用している。
 結局、学歴はこの種の悪用が日本では普くみられるので既に公害そのものである。自分は疾うにそのことには気づいていたので、できたら表面的な学歴、つまり肩書きを実力より意図的に下げようと考えた。そして実際にそうした結果、多くの愚者を見分けられるとわかった。愚物は知力自体をもっていないので肩書きだけを見て賢愚を判断しており、その種の判定をする人間は公然と差別をしてくることが実に多いし、そうでなくとも私的に痴愚を曝して恥じていない。学歴主義者は、肩書きが自分の賢さを公的に保障しているのでどんな蛮行をしても自分の地位には変化がないと考えているらしい。派手な肩書きを避けることにはこの種の愚物と同類にならないという以前に、愚者を見分ける装置となることをここに記しておく。
 勿論、学ぶことや知識そのものが無用では全くない。それが高ければ高いほど、肩書きに見合わない連中を見分けられるし、差別してくる愚者については最初からすぐ気づける様になる。両者の乖離が、知恵高く生きるのに、現代日本の環境では有益なのだ。実際、少数ながら真に賢いと呼べる人物はいて、その様な人々はいうまでもなく学歴差別の様な単純な偏見をもってはいない。単に知識や知力を見分けて世渡りしている。だから肩書きとしての学歴の低さはそういう人物を簡単に見分けられる上に、一般人の与える後光という幻想への過剰評価からきた傲慢さを最初から避けられる。実際、日本国内では東大・京大閥、及び東北大閥の連中にこの種の傲慢さが甚だ見られる。恐らくそれが学風になってしまっているのだろう。その他の愚者も、大学時代に遊んでいて陸に学ばなかった者ほど、肩書きだけを頼りに人を差別しているので、見分けがつくだろう。

創造の強迫

創造性に対する強迫観念は、資本主義と結合することで完成する。

手記

『鈴木雄介ノート』

共通記号を介した脳の違いが価値

人それぞれ脳が違うことに価値がある。それらの多様化を進めることが。創発性はそこにある。脳の一律性は創造性を弱める。
 脳の共通項はやりとりを無用化する。ある集団の高文脈は均質な教育や体験によっている。言語もこの種の結合を促進する記号の体系だ。
 創発性を最大化するには脳の非均質さや多様化と同時に、それらをやりとりする或る共通記号が必要だ。

2019/02/20

理科の大部分は機械に代替される

理科の再習得は機械や人工知能に任され、理科的な思考様式は骨董化するだろう。論理演算は人より機械の方がよく行える。理科の教員や技術者が削減される。

権威への追随者は芸術にとって有害

既に専門家の間で評価されている芸術家を訳知り顔で後追い評価することで、大衆にでかい面をしている似非文化人(革新理論でいえば初期追随者)は、単に芸術の進歩にとって有害な俗物なばかりか、革新に侮辱的な存在でさえある。権威を趣味の基準にしている人は芸術界にとって邪悪な部外者でしかない。

負担の方が信号より信頼できる

学位や学歴は生まれながら知能が低い者が自分の愚かさをごまかす為に使われることがある。後天的学習によって生得的知能の低さを補おうとしているのだ。実際、学習歴そのものは生得的な知能のできを隠す。学位や学歴は典型的学習歴によって、生得的知能のよい人の成果をまね、賢さを偽装するものだ。
 私が経済・経営学的に主張してきた逆選択に対抗する負担は、この意味で自然界と同じく、人間界でも最も合理的な方法だろう。信号は上述の理由で、後天的に偽装された能力であり、本来の生得的実力ではない。企業自身にとっても社内教育費が低く済む方が望ましく、偽装された信号を択ぶべきでない。大企業や政府が人事考査を単純化する為、信号による選択を行うと徐々に生得的知能の低い偽装者が組織に滞留し、負債となっていく。逆にそもそも人事的選択の余地がない新興企業として、負担の重い本来の実力者がより高い成果をあげ、市場全体を新陳代謝させる。純能力は学力ではなく生得知能である。

偉大な芸術は完全な青い海にいる

偉大な芸術は誰とも争わないし、誰の嫉妬も呼ばず、単に人々を感嘆させ、褒め称えられる。

高度な文明は非営利活動が中心になる

近い将来、カネはほぼ価値をもたなくなるだろう。商売の時代が終わり、趣味の時代がやってくる。
 マズローの欲求階層説が正しければ、生存に必要な物を十分にもっていてほぼ安全が確保された文明の段階で、人々が最も欲するのは愛や所属、承認以上の欲求だから、この手段としてカネは大して役立たない。寧ろ億万長者は憎まれ役だから、金持ちになることが理想とはされなくなるだろう。人々がある程度以上の承認欲求を満たして以降は、自らの最も好むところの趣味に生きることが自己実現の定義となる。十分に社会的存在価値を承認される為にも、単に営利性を超えた分が感謝や尊敬の対象となるので、この非営利的な要素が必要である。したがって金儲け自体が時代遅れの低次な営為なのだ。拝金主義的な蓄財の追求が自己実現と同一視されたり、金儲け自体を趣味にしている種類の人達は、溜め込んだカネを社会還元しない限り常に憎悪の対象となるので、愛や承認の欲求が思う様に満たされない。遂に悟り、偽善的な慈善活動で妥協するのは、金持ち自身の幸福にとって必然性がある。
 世代が下るに連れこのことはますます明らかとなるので、資本主義的な営利にこだわりつづけた国々が世界の趨勢からとりのこされる。成金達は一生を費やした大金を墓場にもっていけないことに気づき、相続税を減らそうとしたり、租税回避地に逃げたがるが、結局はどの国でも真の愛や尊敬が得られない。一方、社民主義的な幸福の追求を理想とし、無限の強欲でなく、完全に利他のみが目的の自己超越的社会貢献や、それ以前の趣味を通じた自己実現に合理的な福祉度の高い国々が、資本主義者は相変わらず夢中になっているGDP(国内のカネ使いの総量といいかえられる)ゲームとは全く別の基準で栄えていく。
 平成期前後の日本国民の大部分は、上述の文明的展開を、彼らが保守的であればあるほど理解できないだろう。米中の金儲けに魅せられ、自他の幸福をないがしろにし、死に至るまで貪欲に耽るだろう。少数の賢者らだけが先覚的に時代の流れを先読みし、資本主義のラットレースから自ら抜け出られるだろう。拝金を単なる悪徳と見抜き、心から楽しめる趣味や無償の慈善活動に生きることが真に人間的な幸福だと悟っている人々は、ある程度の生活費を超え商売する必要を感じない。GDP至上主義の国々は浪費で見栄を張りあいながら戦争を仕掛けあうが、結局は他国から真の崇敬を得られない。
 真の一流国はこれとは逆に、単なる国防費確保を超えてGDP亢進の必要性を感じていない。それらの国々のGDP、その他の経済指標は、世界の国々と比べて寧ろ中庸的なものであるだろう。しかし世界の国々は無償の慈善的な真の一流国が尊敬に足ることを十分に知っているので、寧ろ進んで守りたがるだろう。

2019/02/19

神の手

神は欠けたるものを埋め、出すぎたものを整える。物事をあるべきところに落ち着かせる。卑しい者には卑しい一生を、尊い者には尊い一生を与える。

天皇や米英仏蘭、スペイン、ポルトガルらは国連で正式に植民地侵略を謝罪すべき

天皇は歴史をきちんとみれば1400年近く、日本人を含めアジア人を侵略し、土下座より遥かにひどい殺戮を続けてきた邪教祖だけど、もし彼がこの様な格好で謝罪したとしても、その罪は晴れないでしょう。しかし心からの謝罪を示すという意味では、今すぐに必要だと思いますよ。日本人に対してもね。
 また、アメリカの人達や、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガル、オランダなどで植民地をアジア一帯に作っていた人達の末裔も、やはりその当時、日帝がやった植民地争奪戦につながる第一の遠因をつくっているのだから、天皇共々、当時主権を奪われた国の先住人へ国連で公式に謝罪すべきでしょう。

田舎者の素朴さはこの上なく尊い純真さである

自分が知る限り、ある種の田舎の人(自分が知る限り関東北部の地元や一部の東北人)の素朴さや純朴さが、全人間性の中でも最も尊い要素の1つなのは間違いないと思う。自分がこれまで読んだ色々な文学の中、都会人達や、他国に渡る世知でみたあらゆる人間性と比べても、無垢な純朴さは極めて尊い。
 野口雨情は童心という言葉でこれを定義し、生涯の詩作の主題としていた。孟子でいう赤子の心だろう。雨情の功績もあって自分の地元では小学校からその種の精神を羽含む様な情操教育が行われてきた。確かに、自分の中にはその成果がみられる。
 自分は新宿の専門学校に行き、都心で学んだが、東京の退廃的な風土にあっても周囲に殆ど染まることなく、初心を保っていた。この意味で田舎を差別していた東京人だの京都人だのは、心が最初から堕落していた。彼らは長く続いた都市文化の中で、退廃を洗練と勘違いしているのだ。

心から感動する毎日を送っていなければ老いが始まっている

感性が死んだ人生は死んでいるのと一緒だ。
 自分が罷り間違って理科系の学部に入り、彼らの様にその専門的知識を専攻していたらと考えると、恐ろしい。人生では初期の選択ほどのちに効いてくる。彼らは自分が無知で、驕り高ぶっているだけの蛸壺に嵌った愚物だと知らないでいる。その底知れぬ壺の闇の中から、何か醜悪な恨み言を叫んでいるのだ。
 青春的、思春期的な心からの感動が毎日得られていなければ、既にその行いは人としてやるべきこととはいえなくなっている。だがこのことに目をつぶりだすと、老いが始まる。

常にマウンティングをとりたがる人は自己の優劣感に強迫されている

常に無能とみなした他者へマウンティングを行っている人をよくみると、当人は自分の中にある優劣感と独り相撲をとっている。この優劣感が自らの存在理由を問う強迫観念となって、攻撃的な人を絶えずおびやかしているのだ。 
 なんらかの心的外傷が、ある能力の有無に関してその人を脅迫しているともいえる。

学問に日常語を使うべし

この世で学問上問題があるのは衒学を好む俗物根性であって、なるだけ日常語に近く、できるだけ単純な言語で学問するのは、全くこれと反対の意味で正しい。専門用語は日常語にない特定の意味をもつので有益だが、その他の部分で日常語に近くよみとりやすいから学問的な質が低いとは全くいえない。

官尊民卑や科挙の風儀は日本の悪弊

官僚の筆舌に尽くし難い横柄さや無礼千万な野蛮さ、皇族が貧者を差し置き国税を盗んで日々行っているサイコパス極まりない豪遊の恥知らずぶり、学位をふりかざし自分より賢い人を差別している馬鹿をみると、福沢諭吉が何を親の仇といい、夏目漱石がなぜ博士号を固辞したかがよくわかる。

心の価値は体の価値の上位にあるという伝統的な美意識の名残が日本にはある

三島由紀夫「アメリカ流の肉体崇拝は、プラトニズムの堕落」
 日本の武士道倫理的な伝統の中では、心の価値の前で見た目の美醜を言うのは下品なこと。アメリカかぶれの人達や、主に東京都の町人階級の末裔にあたる人達が、人の価値として見た目の美醜を強調しだした。男女の別は本質的な関係はない。愛子内親王と佳子内親王の見た目は、世俗的な見方ではかなり違うが、皇族に美醜の差別を適用するのは不敬にあたる。これが日本の伝統的な心の価値を重んじるという美意識の名残。
 ブスの語源はトリカブトの塊根を意味する附子とされている。食すると毒で無表情になるので醜女の意。狂言から流行ったと一説にある。イケメンは雑誌『egg』で使われたイケてる(関西弁で魅力的)+men's(男性物)から派生した平成の俗語。
 より古いのはブスだが、更に古い醜男という古語もある。
 醜男しこおは『古事記』で大国主の名に使われていたよう古くからある言葉だが、強く逞しい男という意味もある。美女が択ばれるのは同『古事記』でコノハナノサクヤビメの神話(醜女イワナガヒメを避けて結婚したので皇族は短命になった)が示すよう古代からあった傾向。
 生物学の一説(竹内久美子説など)では、肉体の美醜(左右対称性など)は健康度の目安とされている。俗に(結婚相手の希望等をお見合いサイトなどが調査すると)男性はそれに加え扶養力(資本主義社会では経済力)が重視されるが、美醜も選り好まれるとされる。好みにかなりの幅がある上に、希望の見た目の配偶者の子が得られるとは限らないので、人の見た目はそれぞれ異なっている。

2019/02/18

実名・偽名・匿名サイトの特性

以前、某ユーチューバーが「匿名で名著を残した人がいるので、匿名が卑怯とは思わない」と主張し、自分をブロックしてきたことがあった。しかし、これは現代日本のネット環境を全く経験的に知らないことによる空論である。現実の日本人全般は匿名をほぼ確実に悪用する。無責任は悪用の鼓舞なのだ。
 5ch(旧2ch)が日本でネット犯罪の巣窟となってきたのは既に警察その他に周知されている。逆に、実名を含め個人特定が可能な条件で、人は世間という監視者からほぼ確実に責任を負わされるのでその種の悪業をし辛い。責任と自由(自律)には表裏一体の関係があり、真の公共性は有責の下のみある。
 日本のネット環境での匿名擁護者は、匿名性がまれに善行の手段になりうるという例外的条件を以て、全体の大多数を占める犯罪的悪業の鼓舞に目をつぶっている。正しくは、ネットの匿名性を最大限なくしていくことで、恥の文化論でいわれる罪悪感をもたない日本人らが悪事し辛くするべきなのである。いいかえれば、「羞恥心」という日本人一般が内面的良心の代わりにしている社会的制動装置を使って、実名・個人特定を必須の条件とするネット空間を基本として広げていくことで、日本のネットが匿名犯罪の巣である状態は海外と同等程度に浄化されるはずなのだ。
 フェイスブックは実名制をとることで、内部で犯罪者や悪業をすぐに特定でき、荒らしがはびこる危険が少ないコミュニティを形成した。このため精神年齢の高い人達、社会的な地位の高い人達が主に使う様になった。インスタグラムもフェイスブックに買収され同じ公的社交場の類型をもつ様になった。
 フェイスブックの真逆の類型が5ch(旧2ch)やアメーバピグ等の匿名制のSNSであり、ネット犯罪や荒らし、出会い系の場として悪事三昧されている。それは匿名の悪用が前提になって無責任な言動がほぼ放任されているせいだ。両サイト利用者は「犯罪をやめさせたければ警察を呼べ」と脅してくる。
 日本でのユーチューブやツイッターは偽名を用いる人が一定数いて、実名制と匿名制の中間の性質をもっている。匿名で悪意ある返信をみなれている有名人の一部は、実名の真剣な返信も、自分の意見と違うだけで不愉快と感じ平気でブロックしてしまうのはこの為もあると思われる。
 自分に言えるのは、実名制の社交場が見栄の張り合いによって嫉妬と羨望の渦に終わり易いという負の研究結果があるのはわかっているが、匿名制のサイトがもつ犯罪や悪事を前提にした不良性に比べれば遥かに上等な世界だろうということだ。匿名制はウィキリークスの様ごく希な例外でしか正しく使えない。
 偽名制(実名・匿名も自由に選択できる)は、実名制ほど立派な社交はできないが、匿名制ほど最悪の事態が頻発する訳でもない。しかしこの場合、中庸が最善かというとそうとも思えない。偽名制サイトの意味は、善悪両面に渡る幅広い類型の人々が、多様な行動をとっているということにあると思う。なんらかの理由で実名の都合が悪い、と考えている人は、大概は薄暗い考えをもって偽名を悪用している。希には公的立場があって内部通報的な意味でそうせざるを得ない英雄もいるだろうが、大体は匿名の代わりに偽名で金儲けしている。だから実名制より起こる悪事の幅が広いのが偽名制のサイトである。
 結局、我々がインターネットを立派に使いたければ、実名制を基本とした用い方を前提にするのが善い。その際には5chやピグのよう匿名制をとる不良の溜まり場的サイトで実名を名乗っては絶対にいけない。刑事訴訟事件のもみ消しを謀りたがる運営を含め極悪人達からあらゆる犯罪の火達磨にされるだけだ。また偽名制をとるツイッターやユーチューブ、或いはティクトクの様なSNSを使うときは、十分に注意を払い、匿名系の荒らしから悪意ある犯罪行為をされる可能性があるのを認識していなければならない。偽名サイトの運営側は公平ぶって、偽名を用いる犯罪者側の肩をもつことがしばしばあるからだ。
 人間は実名・個人特定可能な条件下でしか、真に心を開いて交際することはできない。裏を返せば偽名や匿名は一般に、その種の真剣でない交際のときに使われる条件になっており、特に匿名は荒らしに極めて都合がいいので一方的な犯罪や悪事に使われる。言論の自由がある国で実名を使わないのは訳がある。
 自分は匿名・偽名サイトの世知を得たので、その種の条件下でしかありえない美質の様なものが全くないとは思わない。いわば仮面舞踏会の様に匿名・偽名の元でのみ行われる演劇的な祝祭性というのも希にはある。匿名・偽名を善く使える者には、或る知恵が有るのだが、ここで説明しきれない。いずれ何かの機会に、自分が得た範囲で、匿名・偽名を善く使う知恵を解説するかもしれない。体系的にその種の知恵は学べると思う。

世知にどんな意味があるのか

自分は専門学者になることにあまり興味をもてなかった。代わりに博物学的な一般教養から、最後の学問である道徳哲学に至る総合に興味をもった。だから最も広く学べる教養学部に入って、休むことなく勉強してきた。神的な全知に一歩でも近づこうという僕の努力は、一体どんな意味があったのか。自分にわかった有限の知識に。勿論これからもこの努力をやめるつもりはない。
 自分に或るストーカーの様な男が2ch経由で悪戯電話をかけてきたことがあって、それで猛読書をやめてしまった。毎日何冊も本を読んで、必死に勉強し続けた末にそんな仕打ちしかないとしたら、自分がしていることは全く無益有害なのではないかと感じたからだ。しかもその直後に、親友が僕を裏切り、女と山奥に逃げて子供ができたというのも知った。更に震災と原発事故まであったが、やはり毎日勉学を続けていた。
 その後、僕はアメーバ・ピグというSNSに入ってみたのだが、その中でもとんでもない極悪人達が2chと変わらない蛮行をしていた。しかし以前に2chで僕がされたことを前提に、僕は今度は逃げずに戦うことにした。5年近く毎日24時間体制で戦闘を続け、荒らしの殆どを駆逐することができた。結局、その様に政治的行動をとって具体的力で駆逐する以外で、人類の一定の部分が日々行っている匿名での荒らしの様な、悪意あるふるまいは防止できないと自分は知った。もうただのサイコパス1人~2人しか残っていなかったし、彼らも勢力をもっていなかったので、僕はアメーバピグをほぼやめた。(アメーバピグで有ったことをまとめたブログ『アメーバピグ史』
 その後、流行していた荒野行動を覗いてみたが、殆どは子供が蛮行をしているだけだったので、呆れて前からアカウント自体はもっていたが、ブログの自動投稿以外では放置していたツイッターにきてみた。
 ツイッターを本気でやってみて3ヶ月経つが、そこで俗受けしている二流以下の文化人もどき達の相当部分が、実に低劣な人格で、少しでも気に入らない言論(しかも殆どは彼らより正しい意見の持ち主)を封殺する為ブロックしているのを見知った。匿名・偽名の荒らしアカウントは2chやピグよりは少ない。
 結局、僕は父親から「世間知」の必要性を促され、ネットを介し人類の俗界を多かれ少なかれ観察してみたのだが、確かに俗世間の有様というのは大分わかったにせよ、知ってもそれが立派な知識だとは全然思わなかった。海千山千というが、自分が凄まじい戦いで狡知の一種を手に入れたのも確かとは思うが。

アメーバピグ史

『アメーバピグ史』

孤高は人気より幸

自らが尊い人であるがゆえに、自分より卑しい人から遠ざけられているとしたら、それはまったく幸せなことだ。卑しい人達と群れ、俗物として大金だとか人気だとかを得ている人の実態は、尊い人がその渦中にいれば本当に不幸せなものであり、苦痛に過ぎないだろう。酔いつぶれ下らない話をし、自分は恵まれていると思っている男がその姿である。
 ミルのいう幸福の質という観点を知っていれば、人は孤高に耐えている方がはるかに望ましい。ガウタマがそういっていたよう、卑俗な世界に直接おりていくことなかれ。清きに留まれば、その種の俗物達とはひとりでに縁が遠くなっていくのだから。そしてそれこそ模範的な生き方なのだから。貴族であれ。関わる者は少なくあれ。

真の愛は無償で無限のもの

利己的な人々は、自分を彼らの人生の利益追求に役立つ場合しか尊重しない。そういう人達は自分が金をもっていないと知ったらすぐ逃げ出すだろう。
 金持ち達にたかっている全ての人はこの逆で、自分もなんとかおこぼれに預かれないかと考えているのだ。成金だの皇族だのが一文無しになれば逃げ出す。
 自分を利用したがっている人から愛されているとか、恋されていると勘違いしているなら、勿論ただの妄想だし、手酷く裏切られるだろう。商人だけでなく消費者も同じで、何かのファンだといっている人はその銘柄や偶像から得られる自己利益に関心がある。
 真の愛があるなら、無償で無限のものだけだ。

進歩している間に自己紹介などできない

世界に僕より孤独な人がいるのだろうか? 現実にいて、その孤独感の深さに自分以上に痛めつけられていると考えると、この世の恐ろしさがよくわかる。
 自己紹介しようとすると、それが不可能なのが分かる。なぜなら自分は常に変化しているからだ。昨日の自分より明らかに精神的に成長しているので、もうきのうの自分ではなくなってしまっていて、毎日、自己紹介を更新しなければいけなくなる。ほかの人が同じ悩みというか不都合をもっているのだろうか? 毎日自分が猛烈に進歩している感覚しかないので、きのうの自分と違う自分にしかなりえない。他の人達は一体どうやって自分を今に固定しているのか?

ブロッカーは情報鎖国による自滅を択んでいる

こちらがなにも敵意をもっていない人間が、ツイッター上で勝手にブロックし情報鎖国的な独裁国を作っている場合、その人間に巡ってくる天罰は自らが過ちを犯しつつある時「非難してくれる賢者」をもたない事による自滅だろう。情報の非対称性を自分が不利な方へ自ら導いてしまっている。日帝の様だ。

2019/02/17

ツイッターの使い道は自分と違う意見を自己反省の契機とすること

興味も絡むつもりもない純粋な第三者というべき相手をカジュアルブロッカーがなぜかブロックしてるのを見ると、ドラえもんの独裁スイッチそのものだ。反面教師として有益だとわかった。この点で、茂木健一郎氏や堀江貴文氏の意見(不都合な意見を見る為ブロックしない)が、おおよそ正しいと分かった。
 ツイッターの問題は下品で卑しい情報をばらまくアカウントをどう扱うかだ。その種の情報は精神に害があるし、認知力を浪費する。その種のアカウントをフォローもしなければ、リストにも入れなければいい。
  一方、子供がツイッターを使うのは危険だ。尊卑の判定が大人ほど適切にできないからだ。子供は悪徳をもつ人々も大勢フォロワーがいるのを見て信用し、下品なアカウント情報を目にし、しばしばまねてしまうことになるだろう。だから子供にツイッターを使わせるにはiPhoneにある17+の未成年向け設定など、フィルタリングしてから情報機器を渡すべきだろう。それをしていない場合、品性の教育に有害な場合がある。
 カジュアルブロッカーの逆の方が有徳なら、できるだけ広く自分の意見の逆の類型を進んで集め、それらが自分の意見より正しいかどうかを常に検討し直す必要があることになる。
 大人の場合は、品性にもとると疑われる相手の意見も十分に再検討し直し、その正当性の有無を自己反省しなければならない。この意味で世間におもねることなく、自分と異なる他者の意見を常に参考にしつつ、忠告や批判を自らを省みるきっかけにするという本来の意味で、世論を味方にしていくのがよい。

賞、学歴、金儲けが好きな俗物作家は戦争協力するだろう

 普段の御用芸術家らをみてたらわかることだが、普通に戦争になったら真っ先に政府の戦意高揚を手伝うと思う。賄賂五輪でも国税もらえるから全力で手伝ってる演出家とか建築家とかいるだろう。軍歌作ったり、戦争画描いたり、一部は昔からそうだった。反戦的な平和主義の芸術家も、権力や金に弱い俗物作家もいる。両者を見分けたければ普段の行いが全てだというのを知っておくべきだろう。普段から箔づけに権力者の与える賞や公的学歴を引っさげてる権威主義者や、金儲けの為になりふり構わない様な商人が、戦争という国策に身を挺し反対は先ずない。

芸術の政治性を否定していた人達の実態は単なるファシスト

芸術の政治性を否定する人達は、単なる大衆芸術(いわゆるサブカル)を無意味な娯楽的消費の商品と思っている人と、芸術の為の芸術を主張する人(芸術至上主義者)、自分の政治信条と反する作品や作家を攻撃する目的の人などがいると思う。ゲルニカみたいな反戦芸術もあれば、権力者の威光づくりに奉仕した権威主義的芸術もあった。芸術が何と協働しようがそれは作家の自由ではないか? なぜ音楽の政治性を否定する人が坂本龍一氏を非難していたかといえば、彼ら日本の右派は音楽家に限らず反自民党的なものの一切を容認しないからでは? 「音楽の政治性」という大衆商業芸術の消費者とか芸術至上主義者に偽装した言い訳を使っていたが、実際には単なる極右が影響力のある音楽家をファシズム的に弾圧したがっていただけだろう。自民信者の中にこの種の単なる結束主義者が紛れていて、独裁目的で芸術家弾圧も平気でやるというのがわかった。

尊卑は賢愚を包括した上位の知能

自分より愚かな人(卑しさは道徳に関する愚かさだ)とつきあうと人生に有害だが、人の賢愚は学歴で一般化できない。高学歴な愚者に騙されない為には、先ず相手のもっている知性の種類を見抜く必要がある。
 多重知能仮説は賢愚自体が個別の能力で、一般化できないと示している。平成日本人の大部分は義務教育の中で等級化された一般知能仮説を無意識に採用しているので、賢愚を学歴順で評価できると考えその確証偏見に耽り易い。学歴はAO入試等を用いロンダリング可能なので精確な個別知能の目安ではない。後光効果は特定の知能が優れていることの証明が、一般知能の優れ方だと誤解させ易い。この世で可能な賢さは個別の賢さの広さだけで、万能の知性は実現できない。つまり最も広い意味で賢いと判定できるなら、それは一般教養の程度である。しかし世間知などを含めると、これも万能の賢さの指標でない。
 だから少なくとも最も広い意味で賢い人は教養の広さと深さが同時に達成されている人で、同時に個別の知能だけが発達している人は彼らより専門知に優っている。これは世間知や低俗知などにもあてはまる。尊い人は教養を要素としてまとめられた道徳知能が優れている。この世で最もつきあうに足る人は、道徳的に尊い人である(政治的・社会的な地位を意味することがある身分や肩書きの貴さではない)。その人は個別の知能が広く優れているのに加え、それらを部分として使うという意味でより上位の知能である道徳性が高く、この意味で利他的だからだ。逆も然りである。

の、ん、む、ぬ、の研究

「の」は終助詞として1.柔らかい断定(例「私は知らないの」)、2.問いかけ(例「何がすきなの」)、3.命令(例「だまって食べるの」)と3つの意味がある。一方、関西弁の終助詞「ん」(例「うちは知りませんねん」)はこの「の」が訛った形であるとする。
 ところで標準語の「ん」 は、古語で推量などの意の「む」と、打消しの助動詞「ず」の連体形であった「ぬ」が混同されながら崩された助動詞としても使われている(例「どうなんだ(推量。上代東国方言「なむ」と、連語「なむ」の混同)」「俺は知らん(打消し)」)。
 ここで、関西弁の助動詞「ん」(例「わしは知らへん」)は、上述の標準語の終助詞「の」が訛って使われている時としばしば混同され、上述の終助詞「の」の3つの意味(柔らかい断定、問いかけ、命令)と、更に「む」から推量、「ぬ」から打消しの意味が加わり、多義的で曖昧になっている。
 まとめると、関西弁の終助詞・助動詞「ん」が含んでいる意味は、
1.柔らかい断定
2.問いかけ
3.命令
4.推量
5.打ち消し
と5つあり得、この語の意味を知るには文脈に依らねばならない。
 また、標準語の終助詞「ん」は、古語では推量の意味で助動詞「む」か、打ち消しの意味で助動詞「ぬ」として使い分けていたので、平成時代の時点で、短歌や俳句など擬古文の詩語として残るこれら「む」「ぬ」という日本語は、本来伝えたい意味を文脈に依存せずより明晰に伝えるのに有益である。

おべっか使い

トランプの心の壁を省みずアメリカ二軍でおべっか使い

死が救いである為には限界まで利他的に生きるといい

自分が死を救いと感じられるよう生きるがいい。生前に己の限界まで利他的に生きていたら死は恐れるものでなく、その労苦からの解放となる。自殺した人はこの理屈に悟っていなかったので死を恐れつつも急いでしまった。利己の為に生きる意味は見いだせない。死についても同じだろう。

魅力はもともと主観的で絶対のものだから、媒体に情報操作された誰かと同じ魅力の感じ方は疑わしい

きのう、ある学者(誰かいわなくてもわかるかもしれないけど)が、北海道をべたぼめしてるのをみて、とてもこんな低俗な人には関われないと思ってリストから外してしまった。その人は実用的な投稿と専門的な投稿、しばしばひどく低俗な投稿を織り交ぜる特徴があって、最後のが自分には耐え難い。
 北海道、沖縄、京都、(あるいはしばしば東京や横浜)をやたら魅力という観点から持ち上げ、逆に茨城、佐賀、群馬、栃木、埼玉、名古屋市などを貶めるというのが、ブランド総研という都内の会社等によると平成日本人一般がもっているらしい確証偏見なのだが、この人も完全にその偏見を述べていた訳だ。
 私はこの中で茨城に住んでいるが、『常陸国風土記』を読むと、奈良時代の段階で今日の茨城県にあたる常陸(ひたち)の国は、当時の大和王朝の高級官僚から極めて最上級で褒められている。冒頭を読めば分かるが、天国(常世の国)といわれてさえいる。僕は前、冒頭だけ訳した(拙訳『常陸国風土記』前文)。
 ではなぜ、今日この真逆の貶めの様なことが、今度は日本人の一般大衆の一部から行われているか。僕は0歳の時から北茨城市という所に住んでいて、ここは海・山・川・湖に恵まれ田園と里山に隣接した小都会で、いわゆる天然にできている田園都市といえる。エベネザー・ハワードが郊外開発の類型として金儲けを含めて作ろうとしていったものではなく、最初からその様にできているものである。
 で、そこで子供の頃、目の前は開けた野原で、春は菜の花やたんぽぽが咲き、夏はばったを草原の中で捕まえて遊んだり隣の家の庭にひまわりが大きく開いていて、秋はトンボがすすきの中を飛んでいて指で目を回して遊んだりしていたし、冬は一面の雪化粧で足跡をつけ回り雪だるまや雪合戦で遊んでいた。思い出は数え切れない程あるのでここでは書き尽くせないが、あるのどかな春の日、山あいの田んぼに両親と車でいって山菜をとったり、ある夏の日に、幼馴染の秋田君と近所の川に入って遊んで、近くにあったスパーというコンビニで冷たいおそばを買って、二人で川辺に座って食べた。とても涼しかった。沢山、僕らの小都市の周りに湖の様な沼があるので、そこにマウンテンバイクで友達と放課後に直行して、ブラックバスの釣りをやったりしていた。野口雨情生家の前の海でも、友達と釣りをした。夏は海や川や清流で遊べるので、家族で山奥の冷たい清流にピクニックにいって、ヤマメを釣ったり、おにぎりを食べたりした。東京や千葉からおじさんらが実家に帰ってくるので、一緒に川であゆ釣りにいった。家で塩をふって、小さな川魚を焼いて食べるとこの上なく自然の滋味というものがわかる。
 中学校の頃、友達とみんなで友達のお父さんのトラックの荷台にのせてもらって、風をきって花園神社がある山奥の清流に遊びにいった。透き通る川の水にみな崖の上から飛び込むのだが、僕は町育ちの都会っ子なのでその種の野蛮な行いはやったことがなく、無意識にびびって足がもつれ、飛距離不足で崖にあたりそうに落ちたので、すぐ柴田君が川に飛び込んで助けにきた。その後、学校で某土方の子(名前は何だっけ)にそのことを笑われた。
 中学校2年だか3年だか忘れたが、夏休み、市内であった花火大会の終わりだかなんだかに皆で磯原の海まで自転車でいった。潮風がとても涼しくいい香りがし、日の暮れかかった海は浮かぶ二つ島ごと静かに青く、徐々に暗くなりつつあるのだが、いや夕暮れを反射しながら言葉にいいあらわせない色に変化していって、途轍もなく綺麗だった。そこにみなで自転車を留めて、なんかを話したりしていたかだった気がする。その場に柴田君もいたのだが、その柴田君が好きだった女子もその場にいたかなんかで彼はテンションがあがり、いきなり海に飛び込んで、下半身ごとびちょ濡れになりながら騒ぎだした。僕はそこでみなと腹の底から愉快で笑って眺めていたのだが、その時の感じは他の場所で得られたとは全然思えない。
 僕が19歳だか20歳くらいの頃、芸大受験で落とされ、必死に東京・池袋の美術予備校でデッサンの練習し、やがて猛勉強して美術系大学がいんちきだと悟り、そのころ同じ都内の保谷という場所に住んでいた田中隆央君と煮込みうどんを食べにいき、「芸大受験やめる」といってなぜか彼に泣かれた後の話だが、そのころ僕はデ・ステイルやモンドリアンの新造形主義の研究をしていて、それは建築に絵画・彫刻を装飾的要素として統合しようという考えだったのだが、それなら最も時間がかかりそうな建築を新たに学ぼうと決心していた。それで実家に帰ってきて毎日、建築に必要な数学や物理を新たに勉強していた。
  毎日僕は、気分転換に海へ散歩に行き、そこをネット・ウォークマンだったかツタヤで買った500円の音楽プレイヤーだったかで音楽を聴きながら、真っ暗になるまで走った。海は毎日表情が違うし、砂浜も形を全く変えて行く。朝・昼・夕・夜と海は色も姿も違う。そこには宇宙そのものといえる無限がある。学科は通ったが、実技について自分は型にはまったことをさせられるのが苦痛だったが、自分では完璧に手本通りの設計図を書いている筈なのに結局、5、6回落とされた。で、僕はその間、主に東京の調布という場所に住んで朝から晩まで一人で勉強し、たまに地元の北茨城に帰ってきたりしていたのだが、ある夏の日だったと思うけど、僕は果てしない勉強にも疲れ果て夕暮れの磯原の海辺に座り込んだ。空に満月に近かったかは定かではないが一つの月が浮かんでおり、あたりには誰もおらず、潮騒だけが耳に聞こえた。あたりはオレンジに近い色に染まって、徐々に夜になりつつあった。
 それは自分が寝ている砂浜が、周りはもう涼しさを通り越して徐々に寒くなっていく夜の穏やかな海を背景音に、ほのかに温かいということだった。それまで僕は砂浜は冷たいものだと思っていた。死んでいると思っていた。地球は無生物で、あの大都会と同じ物体だと思っていた。それは大きな間違いだった。
 勿論、日の光を地球が吸収し、内部熱として保っているだけなのだけど、現実にその温もりを自分が全く不意に感じてみると、地球は、そして自分の地元の海は、常に自分を、ほかのあらゆる生き物と同じよう温かく見守ってくれていたのだと気づくことになった。僕は芸術の道を歩みだしてから、殆ど誰からも無視され、時には狂人と間違われながら、酷く孤独だった。しかし子供の頃からきちんとしつけられ、真面目な自分が探求を諦めるべくもない。その時、地元の海で僕は一人で涙を流した。この星の人間達は僕にとても冷たく、誰も僕を助けてはくれなかったが、少なくとも、この星は僕を助け、支えてくれていたのだと気づいたからだ。母なる星は自分がこの市、この町に生まれてから、一度も休むことなく僕を見守り、密かに父なる太陽と共に自分を温め続けていたのだ。音楽はやんでいたが、海の奏でる潮騒の方が遥かに素晴らしく、とめどもなく尽きせぬ曲だった。あお向けになった格好のまま、手の平を砂浜の中に突き入れてみると、星の温もりは確かだった。しばらく、計測できないほどの時間そうして海の歌と、地球と、月が僕を見守る中で休んでいたが。それで自分は安心し、上半身を起こし、涙を拭いて、真っ暗闇を国道の車のライトが切り裂く中、帰途についた。
 僕はその他にも数え切れないほど、表現し尽せないほど、地元にあたる北茨城市や、それを包む茨城県の思い出を色々ともっている。だから自分を産み育てた母であり父にあたる茨城を、日本人の都内の報道機関とかが、ブランド総合研究所という都内の会社の会員にあたる一部の人達の意見をうのみにし、魅力が最低と何年間もしつこく毎年いわれても、単なる侮辱にしかきこえないし、実際に僕への激しい侮辱にあたるのではないだろうか。
 僕は北海道にも沖縄にも行ったことはないし、行く予定もないが、京都には何度も行ったことがある。修学旅行で1回か2回、個人旅行で1回行った。で世間が京都を至高の観光地みたいに言っているのはよく知っているし、『源氏物語』も『枕草子』も読んだし、自分が見た範囲で詩仙堂だの桂離宮はまあまあよかったけど、僕個人の趣味からいうと、あまり好きではなかった。公家が国税で贅沢三昧していた証は、正直いって低俗な悪趣味だと思った。なぜそういえるかというと、茨城の水戸弘道館や西山荘、或いは佐竹寺を僕は知っているからで、水戸弘道館や西山荘の示している質素の美学や、佐竹寺の雄壮で堂々とした古典的構造による茅葺建築の愛民的素朴さという意味で、今あげた京都の建築物より遥かに善い趣味を示しているとわかっているからだ。
 しかし世間の人々は低俗な趣味を好むものだから、僕が幾ら偉大な文化遺産を茨城の中に知っていても、或いはかけがえのない絶対的価値というものを実体験として十分に知っていても、ブランド総研会員やその他の日本人全般が、それに気づくことは多分、今後もないのではないだろうか。人の行く裏に道あり花畑、と相場格言でいうけど、これは好みについても全くあてはまると思う。皆が東京や神奈川に鬱積し、東横線の満員電車で隣に座った会社員が性風俗の話を公然としだした時はあまりの汚さに吐き気がした。が都会にはじめからくらしている人は無感動になっていて、何も感じないのだ。
 ある日、僕が都内から普通列車で地元に帰ろうとして、常磐線にのって車窓を眺めていたら、スーパーひたちに乗っていたのでは気づかなかった一面の緑色の稲穂に感激したり、途中で筑波山がみえてきたので駅でおりると、そこに豊かな水を湛えた霞ヶ浦が果てしなく広がっていて、大いに感動した。その霞ヶ浦の周りを散策してみたら、調度夕暮れ時で、無音の湖を鏡写しにした上を、白鷺が絵の様に飛んでいった。その飛んで行く先には、夕陽で紫色に染まった筑波山がシルエットになって映っていて、夢の様に美しい景色にしばらく唖然とするほど見とれていた。これほど素晴らしい景色が、あの喧騒とごみで溢れた大都会東京の本のすぐ近くにあったのだ。ある日、東京の渋谷駅で会社員がゴミ箱から、自分が読む為の新聞だか雑誌だかを漁っていたのを見た時は、カルチャーショックを受けた。僕は急ぎすぎ、特急列車で大事な地元の美質を見過ごしていたのだった。
 その霞ヶ浦の周りを散策してみたら、調度夕暮れ時で、無音の湖を鏡写しにした上を、白鷺が絵の様に飛んでいった。その飛んで行く先には、夕陽で紫色に染まった筑波山がシルエットになって映っていて、夢の様に美しい景色にしばらく唖然とするほど見とれていた。ついさっきまであふれる人混みと雑踏に紛れ、死んだような目つきでその間を擦り抜けて抜けてきた東京の新宿駅と違い、辺りには誰もいなかった。湖の中にいる筈の魚達さえ一言も話さない。しばらく目を開いて行くと、堤防の上のあぜ道を、地元のおばさん2人がウォーキング用のカシャカシャいう白い化学素材の運動着を着て、子供だか親戚の子だかの芸大受験かなにかの話をしながら歩いていた(取手に芸大校舎があるので近いからだろう)。ここでは目を見張る景勝が、普段の景色なのだ。
 これほど素晴らしい景色が、あの喧騒とごみで溢れた東京の本のすぐ近くにあったのだ。ある日、渋谷駅で会社員がホームのゴミ箱に手をつっこみ、自分が読む為の新聞だか雑誌だかを漁っていたのを見た時は、カルチャーショックを受けた。僕は急ぎすぎ、特急列車で大事な地元の美質を見過ごしていたのだ。後に、僕は『常陸国風土記』や『万葉集』にも奈良時代や平安時代の人達が似た様な感動を述べている詩句を見つけ、古代から同じことだったのだと悟った。恐らく僕のこの記録も、未来の人に参考にされ、やはり筑波山や霞ヶ浦の美に魅せられ憂いをなくした時に、思い出される筈だ。
 北海道や沖縄、勿論、京都や東京にも素晴らしい景色は沢山あるし、そこで生まれ育った人達には絶対的な価値がある筈だ。だがそのことは、茨城についても全く同じで、それは他の地域と比較して評価できるものではない。好みが或る集団で偏るという現象は、或る意図の媒体に情報操作を受けて生じる。
 パリ症候群(憧れから花の都へ行った人が現実の醜汚や文化差に失望し鬱状態になる現象)は、絵が情報操作の媒体となった影響があると思う。印象派以後、エコール・ド・パリの画家らが主にパリ界隈の風俗を美化した絵ばかりを残し、それが近代化のはじめに日本へ輸入されたのと同時に、首都パリのあるフランスが日本人にも一般に知られはじめた。これが日本人にとってパリの印象を決定づけていることは明らかで、今もその影響が残っている。​茨城県は首都圏整備法で首都圏(多極分散型国土形成促進法によると南部の一部は東京圏)に位置し、都内のテレビ放送が基本的にほぼ全て受信できることもあり、民放の会社がない。なくとも情報受信に関する限り不便が全くないからだ。これが一般大衆向けの茨城情報を外部に進んで表現しない既定条件となっていて、水戸学に含まれる孔子的「人の己を知らざるを憂えず」式の君子道徳、奥ゆかしさもあいまって、そもそも自分達の優雅な暮らしや日常を他人に商売だかなんだかを目的に激しく喧伝するのは下品なことだという風土がある。
 いいかえれば茨城情報は県外に先ず知られていない。実際にここで生まれ育ち体験的に知っている自分の様な人は、外部の無知さから受ける多くは悪意ある偏見だか差別だかに驚嘆する。なぜなら東京がテレビ局など大衆向け報道機関を通じ、捏造した悪意ある虚像にあてはまる時だけ茨城をとりあげるからだ。
 同じことは北海道、沖縄、京都、或いは佐賀、群馬、栃木、名古屋などにもあてはまる。東京都民が自文化中心主義で自分の確証偏見を裏づける偽情報を適当に捏造しているので、何でも色をつけ放題なのだ。都民は9割が商人で、江戸時代に大坂商人を家康が呼び寄せたところから町がはじまっているので、大まかに商業や大衆的な大都市文化を自分と似ているので称揚し(例えばロンドン、NY、パリ)、農工業や貴族的な田園文化を貶める傾向がある(いわゆる全世界の田舎全般、荘園等の田園都市)。つまりこの偏見の目的、都民の自己愛に都合がいい方向へ、国内外の情報は歪んで伝えられる。
 ここまで書いてやっといえるわけだが、自分が感じたのは、冒頭に書いた或る学者の好みは、この東京的自文化中心主義によって裏づけられるのではないか、ということだ。
 自分は北海道を日本人一般だの、それを越えて人類全般がやたらと魅力的だ! と褒めそやしていたら、先ず怪しいと思って現実に魅力がない点を進んで探そうとするだろう。逆に茨城をやたらと魅力がない! と貶めている人が多かったらその魅力を自分で探しに行く筈だ。魅力は主観的印象なのだから、なんらかの先入観をもっていると、世間の多数派を占めている誰かに操作された好みと知らずしらず似通ってしまう筈だ。裏を返せば、自分が偏見から自由に物を感じ、真理を直接捉えられれば、世間の好みとしばしば違う結果が出るはずだ。比較文化論の見地からいっても、或る文化が全面的に魅力的であるとか、他の文化と比較してそうだとかは全然いいえないのであって、単に他文化と異なる要素があるだけである。個人的好みが主観的経験に左右されている以上、ある地域文化の魅力は絶対的価値をもっており、それを単に称揚はできない。いいかえれば別の文化と比べてここがこの様に異なっている、とはいえるが、それらの間に上下とか優劣の価値づけをしようとするのは間違っている。或る地域の魅力を他に対して称揚することは、単なる自分の思い込みを確証偏見で上書きし、他文化を差別する恥知らずな世界観に過ぎないのだ。
 中華思想が中国から日本に伝わり、天皇がそれをまね、奈良や京都、東京で自文化中心の帝国主義的中央史観に耽ってきたと既存の日本史は知らせているが、世界史の本でこれは無残にも打ち砕かれ、逆にしばしば欧米中央史観で蹂躙されてしまう。勿論どの中央史観も間違っているのだが。
 北海道がなぜ都民に人気の観光地なのかといえば、東京という過密都市と正反対の大自然が広がっているという、各媒体に情報操作された空想からだ。同じことは沖縄にもいえる。そして京都の場合は、近代都市である東京と違う、中世都市の名残があると、都民の媒体的空想の中で信じられているからだ。対して、茨城や佐賀の大部分は関東平野・佐賀平野という広大な穀倉地帯であり、いわゆる田畑が地平線まで広がっている。特に茨城の関東平野は日本最大の平原であるばかりか耕地率も日本一なので、夏には稲穂が地平線まで広がっている。奈良時代の官僚が当時の米経済に理想郷と見たのは想像に難くない。
 ところが金銭経済に入った東京商人の大半は、米を商品価値が大して高い物とは感じておらず、しかも彼ら自身は観光を通じ各地を自らに都合よく利用したいと考えている。西洋圏では荘園領主の伝統もあり農家滞在等のグリーンツーリズムも流行ってる様だが、元々町人の末裔たる都民にそんな高尚さはない。しかも都民の殆どは農工業の現場に接した経験がないので、田畑や工場が何かすら知らない。或る都民は米はコンビニに落ちてくるものだと考えていて、水田の稲から脱穀されると知らなかったりする。又私は別の都会かぶれな長野県出身の女が収穫後の冬の田畑を荒野と言っているのを見て驚いたことがある。彼ら都会で生まれ育った人達一般は、自然を近づき難く恐ろしい対象だと考えていて、川は都内でそうあるよう下水だと考え、親から近づくなといわれ育っているのかもしれない。海はヘドロの積もった東京湾でなければ南の島の透き通る水どちらかで、自然のイメージが極端化され引き裂かれているのである。
 そうであるから、天然または人工の田園都市、田舎町がもつ中庸性、つまり大自然や大都会ではないが程々に人為的な里山や田畑に囲まれ、中小都市の中にそう極端でなく自然と接してくらしうるという特徴を、東京都民は正しく認知できない。都心から大自然か古都か、観光地としてしか外部の世界を見ない。
 これが茨城を代表として、佐賀、群馬、栃木、或いは名古屋といった田園都市的な中庸性をもつ類型の地域を、東京から情報操作された日本人全般が魅力がないと思い込む、差別的偏見の分析結果である。そして北海道、沖縄のよう雪国・南国という、東京の関東的風土から遠い類型の自然がある地域や、京都のよう異国情緒のある地域を、観光的消費地という客分のまなざしで魅力的とみなし、無闇に美化して賞賛するのが、この偏見と表裏一体の裏面である。
 某学者の吐露している偏見に見える大賞賛も、私が第一印象で直感的に感じた限り、この東京中心教義の媒体を通じた強化活動の裏づけになっている様に思う。我々にとって差異という認知の基本的な構造から、真の知識として役に立つのは、その種の既存の偏見を反証してくれる情報の方なのだ。
 まとめると、私は北茨城市という茨城最北の町で生まれ育って、そこに我々人類を含め、家の前の空き地の土の中に住んでいたオケラや、磯にひそんでいるアメフラシや、山奥の清流にひっそり生きているイワナなど、沢山の命が生きているのを知っているから、彼らの為にも魅力がないなどとは到底いえない。で、東京都民は自分が観光先に択ぶ地域をやたら美化して宣伝し、航空会社とか観光業者の肩代わりとなる情報を流すので、日本人全般は洗脳されている。だが現実の茨城には涙が出るほど美しい景色だとか、ここで書かなかったけど恐ろしく美味しい食べ物とかはしぬほどある。県外人は知ろうともしないが。
 Aを大賞賛するのは、しばしば、その他大勢であるところのBを間接的に貶める宮廷風の嫌味な修辞である。某学者がその種の嫌味を意図していたかは定かでない。ただ、私がいいたいのは魅力という言葉で、或る地域文化全体を称揚したり貶したりするのは元々間違っているし、実は不道徳なのだということだ。皆が京都を「全て」誉めそやしていたら、その一部には魅力的でない部分もあるではないかと考えたり、皆が茨城を「一般化して」貶していたら、その考え方自体が思い込みではないかと疑義を呈したりするのが、今日の知識人が、比較文化論を経てやるべき仕事ではないか? 広く文明の比較論として。
 ま、その某学者が民俗学とか比較文化論みたいな比較的新しい分野に無知なまま歳とってしまった偏屈な俗物なだけでしょ、と誰かにいわれればそうかな? と唸ってしまうけど、そう言ってくる人も今の所いないので、植民地主義がひっくりかえった様な開拓地礼賛に、なんか妙な違和感を感じ書いてみた。アイヌが本州・九州・四国の和人にどういう扱いを受け今に至るかを思えば(アイヌの妻がいた間宮林蔵みたいな時代を先駆けていた和人もいたが)、某学者みたく急に手のひらを返し北海道礼賛を始めるというのは、いかがなものか。旧和人側に都合がいいので誉めだすなら最初から侵略するなという話だ。もし本当に北海道が豊かな自然に恵まれた美しい北の大地であったら、そこは本来、アイヌの暮らす場所であった筈で、旧和人側の末裔というべき某学者が、その土地の特徴を過度に美化して語るのは、植民地主義的な恥知らずではないか。アイヌに所有権があるべき筈だったものをとりあげてから、自賛する。
 まだ僕がその某学者のツイッター投稿に感じた強い違和感の全てをうまく書けたとはいえないが、大まかな部分は書けたかなと思う。
 そしてその大礼賛投稿を見たせいで、自分の中では北海道の印象が物凄く低下してしまい、少し前まで北海道新幹線で行ってみるかと思ってたけどもうやめた。誉め殺しだ。パレスチナ問題でイスラエル軍を一方的に賞賛するビデオを見せた被験者は、3割が考え方を変えたらしい(Boaz Hameiri et al. 'Paradoxical thinking as a new avenue of intervention to promote peace' 2014)。特定都道府県を誉め殺しするのは同じ効果があるのかもしれない。

※このブログURLは2019年6月8日に
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