2019/01/01

科学という宗教について

各大学はそれぞれ宗教団体で、各学会はその部派でしかない。現時点でこれらの人々が信仰対象にしているのは、おもに実証主義に付随した諸信念である。これらの人々、大学人一般が自らの正当性を過信しているところは、他のほぼあらゆる宗教団体と変わるところがない。同様に、この大学に入るまでの履修課程を意図して形成されている高等教育学校、中等教育学校、小学校はどれも多少あれ同様の信仰を教え込む為の分派(sect)である。
 各人は既存の実証主義中心教義に懐疑的であるほどこれらの全団体に順応し得ず、それらの信者(教授、教員、学生、生徒、未成年者の親、親権者、保護者、及びこれらの制度をつくる政治家、官僚、公務員や同教育制度の妄信的信者ら)から部外者として扱われる。つまり科学は今日、国教の体を曝している。科学信者として既存教義を年齢に対してなるだけ幼い短期間に習得しているほど、その人の科学信徒内での地位が高くなる、という伝承体系は、極めて抑圧的で非人間的な制度なので、科学を国教化している(つまり政府が公教育で科学を制度的に教えている)国々のほぼ全ての民衆はこの宗教に感染し、学歴や学位、日本にあっては一律な年齢制限による偏差値教育による順位づけに従う事を強制されている。
 今日の知識人が少しなり知性を備え持っていたなら、これらの実証教の諸要素群自体に疑義を唱え、元々胡散臭いこれら大学体制群に表裏どちらでにせよ反旗を翻しているだろうから、この意味でマイケル・スペンスのシグナリング理論は狂信性を強化する謬説でしかありえない。いいかえれば既存の科学的習得度は知性のある型ではあっても、それはある命題、わけても自然科学的命題に対する真らしさを蓋然性としても多少しか保障していないし、不確定かつ虚偽に満ちていて、その命題が社会や人間に関する事にわたっては殆ど決定的ではなく、指導性をもっているわけでもない。つまり、大学的なあらゆる要素群は、科学についてのそれらと同様に、ある人について、ほぼ知性の保証ではないのである。

※このブログURLは2019年6月8日に
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