2019/01/27

茂木4象限の分析

(茂木健一郎氏はLINEブログ『自国他国肯定否定マトリックス。』で次の4象限を描いた。
      他国
      肯定    否定
自 肯定 ☆     ネトウヨ
国 否定 インテリ  不平家)
福沢諭吉は愛国心について2つの立場を使い分けていて、『文明論之概略』『脱亜論』などでは自大的(茂木象限でいうネトウヨ象限)、『修身要領』(26条)『明治三十一年三月十二日三田演説会に於ける演説』などでは相互尊重的(茂木象限でいう自他肯定象限)な態度を唱導しています。
 私の福沢理解によると、福沢は植民地主義の早い者勝ちな時代における便宜的な外交様式に必要な処世術として自大的態度を推し進めていたのですが、それは明治時代頃における人類の知徳がいまだ低次元だからであり、将来的には相互尊重的な人格の陶冶や、文明化された国際交流を後生に期待していました。
 また福沢とほぼ同時代に岡倉天心がおり、植民地主義政策の只中で互譲の精神とかアジアは1つという言い方で、相互尊重の実践を既に説いていました。日帝はこの標語を大東亜共栄圏という野望と混同させてしまいましたが、岡倉の方は芸術を通じた東西の文化交流と異文化間の相互尊重を企図していました。
 この茂木象限は先日の、NHKとBBCの比較などからご発想されたのかなと推測致しますけれど、例えば無政府主義は自他否定、絶対的否定という不平家の象限に属し、同時に禅や和辻哲学などでいう「空」の運動を内包していると思います。それも国の枠組みを無化する普遍的な気づきの原因となる点で有益です。
 ある欠点はおおよそ観点であり、別の角度から見れば同時に長所でも往々にしてあるので、自大的な愛国者(ネトウヨ象限)が無理やり合理化していく中で、自国の欠点と思っていた観点が意外な長所を交え見えてくる場合も、もしかしたらあるかもしれません。他尊自虐のインテリ象限も似た効果をもちます。
 例えば福沢や岡倉のもっていた相互尊重象限への博愛性、と同時に福沢のもっていた差別心を含む利己性というのは、それぞれなんらかの機能をもって人間界で主張されているわけで、この茂木象限の4種の考えはいずれも思想多様性と捉えられ、必ずしもどこかの象限が正しいとは言い切れない様に思います。
 嘗て、日本人に差別的な憎悪表現をくり返すアメリカ人らしき外国人があるSNS上に現れた時、普段は素行の優れない(ネトウヨ象限に属するであろう)或るやくざ的人物が即座に喧嘩を売りに行って追い出した、という場面を私は見ました。いわゆる攘夷には、不良外人を退治するという美質もあるんですよ。
 輸入学問の伝統って、勿論文系にもなくはないですが(マルクス主義の様)、思いっきり数学や理科そのものが西洋近代流の真似ですし、そしてより非個別な要素を含んでいるのは自然科学ですので、理系の方が激しいと思いますよ。文理の入試区分による区別自体が分類学にふさわしくないと思いますけどね。
 輸入学問から最も遠い学問というのは、日本では「国学」でしょう。これは今では文学部、哲学科とか神道系学校の履修に入ってるのかもしれませんが、文系でしょう。まさに輸入学問の残滓たるからごころを意図的に排除して成立したんですから。あとマルクス経済学は京大では理系かもしれません。

※このブログURLは2019年6月8日に
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