2019/01/31

みちながら

みちながら大和心をしるものはひとをかなしみともにさうらふ

大和心

安倍晋三氏を打倒し、全国民の命をおびやかす原発を是非とも止めていただきたく存じ申し上げ候。虚偽統計、虚偽答弁、サイコパスな口から出任せを忖度する奸臣共は皆国賊と存じ上げ申し仕り候。経団連癒着、米軍基地おしつけ、農村破壊種子売却に水不安、北方二島の売国にはホトホト呆れ果て仕り候。
 二大政党制が理解できない立民は、立民単独で自民党倒せると思ってるの? なんで自分の実力をそこまで過信しているの。普通に考えて無理だろう。自分の議席を見てみなさい。
 はっきりいって、枝野氏は自分が党首として上に立つ為に、他党との大統一なしにやっていく方が自己利益だと思ってるだけでしょう? 国民にはその枝野氏の立民のわがままが、ものすごく迷惑なんだけどね。だって立民単独で自民と一騎打ちしても勝てないじゃん。
 そういうことじゃなくて、国民の側に立って考えなさい。自民党以外がいいね、と思ってもばらばらいたら、どれに入れていいか分からないでしょ? なんで米英で二大政党制が成り立つと思うの。2択なら簡単だからだよ。日本人が多党制できるほど賢かったらとっくに自民党なんて消えてるよ。
 はっきりいって、枝野立民は、自分の実力を見誤ってるよ。立民単独で勝てないから今みたいになってるんだよ。それなのに大統一しませんって、勝つ気最初からないじゃん。そんなら政治なんてやめた方がいい、すぐ引退して党首交代してくれよ。
 政治マニアみたいに細かい計算なんて、一般国民は絶対しないから。普通に2択にまとめてくれ。枝野さんは迷惑なの。2択にまとまれないんだったら単兵で出てほしい。議席の計算なんて一般国民がするわけないだろう。自民党以外はぜんぶ1つにまとめてくれ。
 二大政党制が分からない人は、日本全体にとって本当に迷惑だからさ、それなら第二党じゃなくて単独で出たらいいじゃない。枝野さんは無所属議員になるべきだ。そして本格的な二大政党を作ろう。
 枝野氏個人の私怨だか野望だかに、日本国民全体をまきこまないでほしい。枝野さんが立民やめればいいだけなんだ。
 離党すべきなのは、枝野さんだよ。二大政党制を理解できない人なんて党首につけちゃだめだよ。
 安倍晋三氏と麻生太郎氏より悪い政治した人なんていないよ。戦後日本史で。違憲立法何本通してきたと思ってるの。不正三昧の悪夢は今だよ。
 国民は細かい政治マニアのいうことは、てんでわからないんだから、2つに絞って。2つに絞るのを邪魔する人は、無所属で出て。
 国民は政治なんて普段かんがえてないのよ。2択に絞るのを邪魔する枝野さんは、まじでもう政治やめて。立民やめて1人で党首やったらいいじゃない。立民で政権とれなかったのは枝野さんが弱いからだよ? 弱いくせに軍勢ふやさなくてもいいってなに考えてんの? 実力わからないなら第二党党首やめて。
 今の立民のままで戦っても負けます。軍勢を弱めてる枝野さんは単兵で出てくれ。立民を全野党と共闘できる人に、党首交代すれば、必ず勝てる。
 理念は独裁者打倒による日本国民救済だよ。
 二大政党制が理解できないなら、脱原発も理解できないだろうよ。俺みたいに近所で原発事故に巻き込まれりゃいいの。先ず独裁政権倒してくれ。俺の払ってる税金で食ってる自民党政府に、なんで俺が原発で殺されるの? 考えてみてくれよ。
 本気で勝つ気がない臆病者なんて党首にしてちゃだめだよ。一刻も早く党首交代し、本気で安倍政権をぶっ潰してくれよ。
 枝野さんは器が小さすぎるんだ。それはもうしょうがない。党首交代だ。
 枝野さんは本気で政権交代するつもりは全然ないんだから、期待するだけ無駄だ。枝野おろしを考えよう。
 本気で勝つ気がないやつになにいってもダメ。ダメなやつは自己イメージからしてだめ。枝野さんはもうびびってて、無意識に政権交代がトラウマになってんの。党首を辞めてもらう方針で、小沢さんを新党首にした方が絶対いい。
 戦争あおるのやめてほしい。
 多様性を認めてもないし、お互いに支えあってもないから、自分の狭い心で、国民の為の野党大統一での安倍政権打倒を枝野党首が見誤ってんでしょうに? 普通にこのままあなたの軍勢が戦っても負ける。あなたの器ではない。やめましょう。国民の為に党首を降りて、小沢党首の下に再結集です。
 はっきりいって、枝野さんは原発事故の恐怖で、自分が首相をするのを無意識に怖がっているのよ。それはもうしょうがないんじゃないかな。「絶対に勝つ」という気迫も緻密な計算もないじゃない。腰が引けている。もう党首はやめたほうがいいよ。首相やるつもりないなら第二党の党首の座は辞退するべき。
 私があなたの立場だったら、全国民の為には先ず安倍政権を確実に破壊しないといけないから、公明だろうが共産だろうが社民だろうが国民民主党だろうが自由党だろうが、自分が党首やってる元で全員集まれというよ? まじで。なんであなたはそんなに心が狭いのさ? 差別で勝負に負けたら意味ないのよ。
 自民に頼ろうとする阿呆国民が異様に多いのは目に見えているんだから、しのごのいわず、とにかくかき集められるだけの全勢力を自分の足元に集めきるんだよ。そこにどんなの混じってようが、自分が首相になったあとから処理すりゃいいんだよ。それが全国民の為なんだから。
 私が一般国民、それもあなたのフルアーマー原発事故被害をおもいっき食らった一国民として、なんの怨みもなしにいうけれども、枝野軍が全力で安倍と一騎打ちするのと、小沢軍が全力で安倍と一騎打ちするので、小沢軍師のが勝率高いと思うぜ? そう思わない? 勝てない戦いに挑むのは武士なのか?
 俺がみてきたかぎり、維新の藤巻議員は経済についてはかなりできる男だから、維新も統一したほうがいい。要するにあなたの仕事は、自民打倒の最大の軍勢を作る。それ以外考えなくていい。一番肝心なのが先ず政権交代だ。政策能力も小沢さんのがはるかにあるんだからあなたが党首やってるのがおかしい。
 小沢一郎氏が一番優れた人物なんだから、あなたは彼に臣従して自分の軍勢を勝者に入れることにすればいいじゃない。枝野副総理でいいだろう。どうせあなた首相やるの怖がってるんだから、腰引けてるんだから、小沢首相でいいだろう? どうなんだ? 枝野党首で勝てる見込みないならすぐに戦略変えろ。
 いいか枝野さん、和を以て貴しとなすというじゃないか? あなたがやってるのは自分のつまらんびびりで、首相になるのを無意識に怖がって勝てるのに勝とうとしてないんだよ。セルフイメージが低すぎるの。俺が全世界を仕切ってやるから首相になるんだと思えないならもう党首やめて。全国民のためにね。
 自民党の中で反安倍の派閥が色々あるんだから、徹底して安倍政権を粉々に叩き潰したら、そこから離党者募って自民党の伝統を完全に引き裂きぶっこわしてやりゃいいんだよ。そのくらいの軍勢もてないなら、あなたは源平合戦やるレベルの将軍じゃなかったてことなの。自分の実力を認識して行動しよう。
 なんという心の狭いお話でしょう。日本国民全体が、いまや北朝鮮より危機に瀕しているというそのおんときに、なんと、自分の党の利害損得のために、ためだけに、勝率を1%でも下げるような暴挙。これは許しがたい暴挙でござろう? 全野党よ、わが下に結集し、悪の大安倍魔王を倒さんという話だろ?
 国民が2択(実質1択)と、6択だか55152151択だかあるばらばら野党候補異党名から選ぶのと、どっちが楽とおもう? かんがえて? 先ず安倍政権をぶっつぶさないと、われわれはしぬのよ? かんがえて?
 政治オタクはわからないでしょうけど、安倍大魔王の強さってドラクエ4でいえばバルザックくらいだよ? 普通のパーティ(政党)で勝てるとおもってんの? かんがえて。全野党から最高のメンバー、いざ勝負っていっても、サイコパス嘘つきで普通に国民だまされるほどなんだから。真剣にかんがえて!
 普通にだれかが枝野党首なら、まず全野党の中で最高の精鋭をえらびぬき、そいつらに前線に立たせるでしょ? 枝野党首がくそみたいに弱いせいでこうなってる自覚をもつべきだ。もっと強いやつを集めないと、普通に即しするわ。
 それが失敗したから今なんでしょ? 枝野党首は政権交代に失敗してきた責任をとって、党首を辞任するべきだよ。人望が足りないから党勢が足りないということに、もっと早く気づくべきだったのだ。
 枝野軍が安倍軍を完全に破壊しつくせるというなら、私も枝野党首の元に参集するのはやぶさかではない。だが? その可能性は? 0ではないか?
 安倍軍こと安倍自民党を完全に叩き潰す戦略を、どうか私たちフルアーマー被害者たちに教えておくれ。うらみなどはまったくないのだ。枝野首相が誕生してくれるならそれがなによりのことである。NHKで何度も、震度7の中、福島は安全と仰ったお方のことは、もう許そう。勝てればだ。勝つ見込みがない?
 勝てない戦いに挑んで、永遠に挑戦者のつもりなら、それは児戯に値する。そのだれとかさんの幼稚なごっこ遊びが、一体どれだけの国民を虐げているとおもうのか。どれだけの禍根を、わが国の未来に消えない傷あととして残しているのか。もう亡国しているのは明らかなのに、勝てない党首。ありえん。
 なんで二大政党制が理解できないんですか?
 枝野立憲民主党で勝てると思うなら、現実には何度やっても枝野さんがその前に亡くなると思う。現実逃避してるだけですね。
 あわないんじゃなくて枝野さんの人望が足りないの間違いでしょう? 心が狭い人が、色んな考えの人と一緒に政治できないってことなんだから。党勢ってなんだとお思いですか? 党の支持者数って、全国民の中の支持者数ですよ? つまり、心が狭い人が、党員少ないんですよ?
 なんで立憲民主党って、勝てないのに威張ってるの? 立憲民主党の支持者数が少ないせいで負けるのに、なんで更に、国民の中の支持者数を減らすような自殺点ばかり入れるのですか? 枝野党首は?
 安倍さんがなんで今のところ、日本国民から最大の支持者数を集めてると思うんですか? それは、国民の中の最大数の色んな考えの人から共感の念をあつめてきたからですよ? それだけ心が広いから、色んな考えの人からの信望をあつめたんですよ。枝野さんはなんでわざわざ国民の一部をきりすてるの?
 国民民主党の支持者も日本国民だし、自由党の支持者も日本国民だし、維新の会の支持者も日本国民だし、社民党の支持者も日本国民だし、公明党の支持者も日本国民だし、共産党の支持者も日本国民ですよ。皆日本の仲間でしょう? なんで一部の国民には奉仕しないっていっているの? それは差別だよ?
 私はほかの日本国民とはあわないからいやだ。そんなこといってる間に、独裁政権が日本国民全員をめちゃくちゃな目にあわせているのでしょう? なんでほかの日本人を差別してるんですか? 差別じゃ世の中よくならない。みんなでまとまろうってあたりまえのことじゃないですか。
 公務員は全体の奉仕者で、一部の奉仕者ではない、とちゃんと日本国憲法に書いてある。立憲主義を標榜する政党が、なんで一部の国民を差別しているのですか。
 自分と似た考えの人としか一緒に行動できないから、ほかの日本国民なんて差別してやる、排除してやる、って狭量な差別心が、「日本の皆、考えは違うけど私は日本のためにがんばるから応援してくれよな」っていう安倍さんの和を貴ぶ考えに負けているから、立憲民主党の枝野党首は、いまだに勝てないの。
 枝野さんの心の広さが、全日本国民を愛する心が、安倍さんより大きかったら、とっくの昔に全国民は枝野さんのもとにつどって、大軍勢になっているんです。差別なんてしているから負けている。もっと反省してほしい。

全利的中庸

全利とは、場合によって利己、相利、利他のいずれかを満たすか、それらのくみあわせを同時に満たす状態を指している。自分も皆も同時に得する、という点がある。
 相利というのは、お互いの利益になるときしか何かをしないが、全利は自分だけ得しても相手だけ得してもそれが皆の利益ならよい。
 商人は大抵、相利主義者だ。金にならなければなにもやらない。純粋に利己的なこともやらなければ、純粋に利他的なこともやらない。
 全利主義者は、ただ自分だけ得するようなことでも、全体にとって損がなければやる。ただ他人だけ得するようなことでも、全体に損がなければやる。全体に損がないというのは、誰かが得すれば全体の得の総量は増えるということ。もっと簡単に言うと、自分だけ楽しんでいても、人助けしても、全利ならOK。互いに利益があることをしてもよい。
 全利は利己のみ、利他のみも含む。相利は利己のみ、利他のみは含まない。全利は相利のみも含む。
 利己より相利が、相利より利他がよいが、結局、皆のためになることをするのは、その一員としての自分が自己犠牲し過ぎない範囲でしかできない。その意味で、利他の先は全利にしか到達しえないのだ。 
 全利主義にも中庸があって、余りに誰か1人だけ得するとか、全体に得でしかないとしてもやりすぎるとかは、極端なのだろう。いいかえれば全利的中庸とは、だれもが損しすぎないが、だれかがとりすぎもない、しかも皆が得をするとしても度を越さない、という状態を全利性の中で追求することだ。

すぎやまこういち

私はドラゴンクエストシリーズの音楽を作曲したすぎやまこういち氏より偉大な音楽家をまだ知らない。

偽善の考察

偽善を自分の為にする行為、善を他人の為にする行為と定義すると、偽善は、良心の満足を目的に行うものの場合、その程度が高くなっていくと、ある時点からは善のほうに転化するのかもしれない。実際、良心の満足を追求する偽善者は次第に他人の為に行動しているとしかいえない状態になって、その時点ではもう良心の満足といえば人助けと一致しているのだから偽善の究極状態が、自己犠牲である。自己犠牲を良心の満足の為だけに行うと、完全な慈善と一致する。
 偽善は、善の前段階なのかもしれない。向社会性は、悪(幼児のよう単に利己的な状態)、偽善(自分の為に利他的な段階)、善(しばしば自分になんの得もないが単に利他的な段階)、慈善(自分に損でも利他的な段階)というように発展するのかもしれない。 
 善意で利他行動をとる人も、良心の満足は得ているだろう。あるいは偽善すべてのなかで、良心の満足の為に行う部分を、善とよんでいるのかもしれない。だから偽善の一部が善でしかないのかもしれない。我々は良心の満足を目的にする偽善を、善といっているのかもしれない。

知の本体について

多くの人にわかりやすい表現、通俗表現に熟達していることと、ある表現の高尚さに伴う価値はまったく別のものだ。
 汎用知能は存在しない以上、人は自分の読解力と類似だが自身にとって調度新たなことを理解できる範囲の人を、遥かに高度なので意見を理解できない人より賢いと勘違いし易い。この問題の致命的な点は自分の愚かさと似た程度の人を真の賢者と見間違えてしてしまうという脳の主観的性質である。更には肩書きなど全知や博学さと厳密に一致していない属性に頼って高度な知性を期待している時はもっと間違え易い。
 通俗表現の能力は、大衆の中で最多の知性にわかりやすい表現を使うことによっている。一方で高尚さ自体とこの能力はずれがあり、通俗能力は決して高尚さと同じものではない。勿論、通俗能力が唯一の賢さ、最高の賢さともいえない。なぜなら高尚さの中で完結している知が愚かだとはいえないからだし、通俗能力の様に愚かさと折衷的なものより、単に高尚な知そのものの方が愚かさと接する要素が少なく知の本体だといえるからだ。

わが庭に梅の咲きたり冬の日に

自制と批評の公害制動機能

自分の過ちを制してくれるAIが我々には最も役立つ。この自制という機能を我々はしばしば理性と呼んでいる。自分の理性をその中に含まれていないより正しい観点から批判してくれるAIが我々には必要なのだが、今のところ我々はそれを持っていない。この自制という機能は部分的に外部化されており、それが社会なのだ。いわゆる制裁が意味するところや、それ以前には注意や批評がある人の過ちを社会的有害性に対して制限している。
 我々の中で虚栄心が強い人ほど自制心が少ないとすれば、それは他者による批判の内に、自らの理性より正しい意見がある可能性を認められないからなのだろう。又これの逆が孔子の言う「徳孤ならず必ず隣あり」として我々が知っているものの正体なのだろう。つまり虚栄心が弱い人、謙虚な心をもっている人ほど、誤りを制してくれる人からの忠告を受け入れやすい。自制補助AIが足りない現状、社会の中で誰かが実際に大きく過つ以前に制動装置としての互助組織をもつのは賢明なことだ。言論の自由の最も大きな公益の一つが、批判や批評と呼ばれる機能にあるのは以上で明らかだろう。
 勿論なかにはそれ自体が誤りである的外れな批判批評もあるわけで、名誉毀損罪や侮辱罪という法規定は他者への悪意や私怨による単なる誹謗を部分的に制限している。だが公益を図るために行われた批評において、この制動機能を自ら無化するのは後に大きな災厄をもたらすというべきだろう。問題は、ある人の虚栄心が大きいほど、その人自身がこの制動機能を無化してしまいがちになるということだ(標本母数の少なさから統計的な意味は為さないにせよ、私は少なくとも2人以上の、哲学者とか作家と称する人々が、私による真摯な忠告を聴くや否や発狂したようにその言葉を遮断し、のち、何ら反省の色なく自滅への道を辿って行ったのを知っている)。そのうえ一般市民にたやすく訴訟手続きがとれないほど名誉毀損・侮辱罪の訴え方は手間どるので、私怨や悪意からの誹謗が国内には蔓延しており、本来は善意からの親切でしかない批評的制動機能をますます分かりづらくしている。だから少なくとも自分だけは、この機能を理解しておいて、他人の批評の中でも自らの信念を反証する類の、最も耳に痛いものの中に、単なる誹謗ではない重要な自己反省の契機が含まれていないか殊更注意深くなる必要がある。むしろ、我々は自己の信念を木っ端微塵に破壊する様なありとあらゆる前衛的事象に新奇性選好をもっている方が、少しなりとも常識を信じるより、知性的存在としてずっとましなくらいだ。
 必要なほど受け入れられづらいものが忠告だ、といった意味の警句があった様に思うが、これはダニング・クルーガー効果と全く同じ意味で、無知なほど陥り易い自己過信についていえる。過ちて改めざるを過ちといい、過ちを改めるに憚る事なかれ。

遠ざかる朝

相変わらずこの世には何もないな
君がいなければ僕に求めるものなどないのだから
この世に用もないのかもしれない
君がいなければ僕の前にある大海原も
ただの水溜りと違いないのかもしれない
果てしない宇宙のどこまで旅をしてみても
あるのは砂漠のよう乾いた墓場だけかもしれない
先ずはじめるのだ
なにを
死に至る旅路で
一体なにをだ
夜がどんどん深まり
かわりに朝を遠ざけていく
それでいい

男の株価と幸福論

だれでも最初は低所得者でしょう。相続財産がない限り。低所得者でも将来性がある人なら性的魅力はあるし、糟糠の妻というようにそういう貧しい男を支えて、一緒に成長できた人が、本当に偉い配偶者なんじゃないのか。別に大金持ちにならなくてもね。
 見向きもされない株の中で一番輝いてるものを買えば、将来玉の輿に乗れるって話でしょ。既に金持ちになってる男の愛人になるのはグロース株で、低所得者の中から素晴らしい種をみつけだすのがバリュー株でしょ。バフェット的女なら過少評価されてる一番いい株買うだけなんだけだろうけど。
 まあ商才なんて人によって生まれつき差があるんだから、金儲けが下手なら下手で、子供がもてないならもてないでも、自分を好いてくれる女とのんきに暮らしたらいいじゃないですか。幸福の種類が違うだけだよ。
 大金持ちが最高限度に幸福かというと、なんでも飽きが来るから実際そうでもないし、もてまくったら断るのも面倒だし、性欲にも限界があるから求められて逆につらいでしょ。
 遺伝的に商才がない人を差別する社会の方が悪いんだから、低所得者を階級制度の下みたいに言うのは行き過ぎだよ。清貧のが成金より偉いんだから。イエスやブッダとそこらの大金持ちのどっちが聖人といえるでしょう。カネがなくても偉い人もいれば、ろくでもない金持ちもいるでしょうよ。
 つか、よく考えると、女なんて別にいてもいなくても幸福にはなれると思うよ。配偶者がいたらいたで面倒もふえ、子供がいたらいたで世話だの心配でてんてこまいで、自分の自由な時間がどんどんとれなくなるでしょう。女は女で男や子がいてもいなくても幸福にもなれますし。配偶や子が全てじゃないの。
 カネでできることもあるけども、カネがあるとできないこともあるんだなこれが。カネがないからこそ楽しいというか、カネがあったらしてないだろうなという貴重な経験もあるのであり、男にカネがなくても女性から奢ってもらえばいいじゃないか?
 結局、所得格差と暮らし易さって厳密には負の相関してないでしょう。だから一般論としてはいえるにしても、あたかも全ての場合にあてはまる階級差みたいにいうのは、法の下の平等という日本国憲法に記されてる基本的人権を踏み誤る。単なるたとえではあるんだろうけど、大いに誤解を呼びましょうよ?

被害者叩き

極悪の日本人が原発を我らにおしつけ被害者叩きす

公害を都民と日本人全体からおしつけられ命の恐怖でご飯も喉を通らない

反省も何も、私たち茨城県民が、東電の大公害の被害者じゃないわけないじゃないですか。さっさと再稼動やめろといってるに決まっている。東海村役場は、国の研究機関が起こした公害を後から知らされて困ってるんじゃないですか。そのままですってなに? 被害者をそのままにして、原発おしつけるの?
 日本国民の全体が、自民党とかいう原発おしつけ政党に投票するせいで、わたしたち一般国民が犠牲になっているんですよ。東海村はその日本国民全体の悪意の犠牲者ですよ。なんであなたたち日本人の金儲け公害の犠牲になっている役場を叩くような、ひん曲がった根性がでてくるのよ?
 村だの市だのの役場は普通に昔からあるよ。全世界どこの自治体でもね。そこに日本国民全体が、悪意でもって、危険施設をおしつけにきましたよね。自民党と日本原電という東京都の会社が、悪意で。さも安全だと嘘をついて。これ、犯罪ですよ? 詐欺罪で公害おこしてるんだから、いまなお。全日本人が。
 東海村の役場は、普通に詐欺罪の被害者ですよ。勿論、自民党に入れていまなお原発おしつけて公害まきちらす日本国民全体からの詐欺にだまされたんだ。ぜんぶあんたがた日本国民全体の金儲けのために、わたしたち茨城県民をだまして、被害者たたきしてる悪意そのものじゃないですか!
 日本原電と東京電力という東京都内の会社が、自民党とつるんで、勝手に、私達の県に大公害施設をおしつけてきているうえに、どけろといってもどかさず、再稼動するなといっても拒否権さえあたえず、そのうえこういう大事故を毎度おこすんだよ。私たち茨城県民は一方的な被害にあっている。
 いいですか東海村がどれだけの悪魔的な日本国民全体からの被害にあっているか。まず日本原電という都内の会社でしょ。それから日本政府の原発をたくさんおしつけられている。どけろといってるのにどかさない。寿命がきた原発をとめろといってるのに無理やり再稼動しようとする。廃棄物おしつけ。事故。
 事故を起こすなといってるのに、日本政府の公害施設は次々と大事故を起こす。反省していないのはそういう体たらくな極悪自民党にこういう大事故を起こさせている日本国民全体のほうなんだよ。もうさっさと東海村をいじめるのはやめろ。茨城県民をいじめるのはやめろ。原発をさっさとどかしてくれよ。
 事故を起こしてる加害者は、日本政府の施設、つまり日本国民全体なんですよ。自民党に投票している人達だよ、具体的にはね。そんであなた方日本人は、毎度ひとの県で大公害おこして、連絡するのがこれだけ遅い、なにをしているのか。役場に連絡いれろといってるのに入れない。県民が犠牲じゃないか。
 村役場の側は、日本原電という都内の会社とか、国の研究機関が起こす事故をおしつけられてる被害者ですよ? なんで被害者の側を叩いているの? 東海村には再稼動拒否の権限すらないんですよ? 勿論わたしたち茨城県民にも再稼動拒否の権利がないのに?
 勝手に事故おこしてあとから事情知らせて。で、周りの愚民が被害者である東海村という役場を叩く。なにをしてるんですか。被害者叩く道理がないでしょう!
 日本政府が勝手に大公害起こす施設おしつけてきて、公害起こす施設なんて全地球のだれだっていらないんだから、あたりまえだけど私たち茨城県民はそんなの今すぐ除去してくれといっているんだよ。いきなり日本政府がわが県土で事故おこして、連絡遅れて村役場にしてきて、なのに被害者を叩くってなに?
 ダメなのはあなたたち日本国民全体じゃないですか。大公害の被害者である私たちがあなた方の原発事故でこれだけ苦しんでいるのに、ダメだなじゃないよ!
 あなたたち悪意の日本国民の政府が、自民党とかいう極悪政党と一緒になって、私たち何も持たない一般人を、原子力災害で命ごとおびやかしているんです。なんで被害者である村役場を叩いているのか、当たり前だけどあなた方日本人が東海村に原発だの公害施設をおしつけているんだよ。日本政府とグルで。
 自民政府の施設が原発事故おこして村に連絡おくれた。
 で、なぜか被害者の村をたたいている。
 どこをどう読み間違えて、どこをどう勘違いすると被害者たたきになるの? しかも正義面で。
 私たち茨城県民が世界一原発事故で今苦しめられている、東京の電力会社やら自民党大公害の被害者なんですよ?
 自民党が仕切ってる日本政府のもっている公害施設や、東京都内の日本原電という会社がもっている原発しか、東海村にはありませんよ? どちらも東海村役場の持ち物ではありませんよ。あたりまえだけど。私たち原発おしつけられてる茨城県民は、一方的に県外の極悪人らに近所で公害おこされてる犠牲者。
 ほんと弱い者いじめを堂々と正義づらでやるのはやめていただきたい。茨城県民は原発なんてもってないんだよ。だからなにもしようがない。動かせないし止められない。都民や自民政府を支持している日本人全員から一方的に原発を外からおしつけられて、公害で毎日おびえて恐怖でご飯も喉を通らないの。

2019/01/30

言語による自己表明

私はもう二度と、日本人達の集まりに進んで参加することはないだろう。そこから何か立派な成果を得られた試しがないし、どちらかといえば彼らの想像を超えた下賎さによって被害を受けることがほぼ全てだったからだ。
 私は日本語という母語をもっていて、それに諸言語で最も練達してしまっているのが、一番私にとって困ったことだ。この母語を捨て、日本人達の陰湿で個性を弾圧する最悪の集まりに参加する危険性を最大限避けることができればそれに越したことはない。私は努力して他の、もっと利他的で善良な人々が、個性や独創性を認め合う仲間に入りたい。外国語に熟達するのは難しいが、私にはそれしかないのだ。
 本当にできるのか? そもそも母語を捨てる必要があるのか?
 もう一つの懸念は、いかなる外国語を学んでも、いずれの国にもその様な善良な仲間などいない、ということだ。いやこれは懸念でさえなく、恐らくではあるが一定の真理なのかもしれない。ブッダがいう通り。では、何の為に私は言語を持って生まれてきたのか? 私に害を為すだけの下らない人々に、何かを説く為? 私は自分より優れた点をもつ人々から学んできたが、かれらの中の一人が説く文芸に熟達する方法を実践する為に、こうして何かを思い、書いている。文芸の能力など無用で、思慮の全ては脳内におさめておけばよく、外部にあらわして言語によって明快にする必要はないのかもしれない。ある思いの表明が、それに共感する仲間をつくる作用だとすれば、自分が最も得意な言語でそれを公衆の便覧に供していればいいのかもしれない。

ツイッターで信者ビジネスに冤罪をかけられた話

はじめに

 きのう(2019年1月29日)とおととい(2019年1月28日)、あるできごとがあって、私は今ある感情を感じている。今日(2019年1月30日)起きたとき、その感情は非常につよく、まどろみの中まだ意識が無意識を覆っていないときのものなので、潜在的な感情なのだろう。今もなお残っているこの感情が、ときの経過と共に薄れ、あったできごとの詳細も忘れてしまいかねないので、備忘録としてそこで起きたことをここに記録しておく。また私自身この感情を完璧に整理できていないので、状況及び心理的分析と共に、今後いかに生きるべきかを自己に開陳する狙いもある。

ツイッターアカウント

 私は実名によるツイッターアカウント自体は、ツイッターのプロフィール表示によると2015年9月16日に登録してあったようだが、その後、長い間放置していて、殆どみていなかった。私は別にホームページやブログを作ってもいるので、主にその更新を自動で投稿させているだけだった。ところで諸々の経緯があって、アメーパ・ピグというSNS内外で私が主催してきている哲学部という一種の文化サロンに一区切りおいて、自らのツイッターアカウントに本腰を入れようとしたのが、おそらく数ヶ月前だった。最初はそれまで別の視聴専用のアカウントで見ていた中から、主要な人達をこちらの実名アカウントの上でもフォローしていったのだが、更に普段は視聴していなかったが少々興味がある別の人達もフォローしてみた。使い方を覚える為だ。色々試行錯誤してみようとしたのだ。

フォロー数300人以後

 やがてフォロー数が300を超えてきたあたりで、タイムライン(色々な人のさえずりが流れる、ツイッターのホーム画面)の情報の質が下がってきたように感じた。特にある有名人アカウントが自己宣伝の為にか彼自身をほめている他人のツイートばかりをリツイートしてきてうんざりした。また彼は彼自身の著作と関連するあるハッシュタグ(関連ツイートをひきだす文字列)がついている投稿をリツイートしまくるのだが、私はその内容が嫌いだったので疲れてしまった。
 そのハッシュタグがひきだしている情報は、後悔という感傷主義や、悲観主義を含むもので、みればみるほど憂鬱になるたぐいのものだったのだ。積極的にこれらを無視していたのだが、それも認知力を浪費すると気づき、ツイッターの設定からこのハッシュタグを禁止ワードに入れて対策をとってみた。しかしなぜか同投稿はタイムラインから消えてくれない。彼自身の投稿そのものはしばしば知的な内容を含むという意味で興味深いので、また彼が自己宣伝をするのも自由なことではあるし、私は困り果ててしまった。
 それでさらに対策を打って、彼のアカウントだけは個別にみることにし、フォローをはずしてみた。その他、ツイッターの色々な使い道を試してみようと彼の興味深い投稿に返信を書いてみる、ということをはじめてしてみた。だが確かにそれ自体は私にとって新しい試みで、私自身を新奇性によっていくらか高揚させはしたものの、また別の憂鬱な点が発生していくのに気づいた。彼は彼自身を殆どなんの批評的意味も知的内容もなく、あるいは諧謔などの面白い要素もなく褒めているたぐいの、いってみれば賞賛ツイートだけを、それらの返信や引用の中から選別し、リツイートしていくようなのである。
 虚栄心というのは誰にでも多かれ少なかれあるものであろう。また商人として市場に参加せずに生きられる人が多数派とはいえない今の社会で、彼のようにいわば自画自賛をくり返す行状で、ひとり東京テレビ業界みたいなことをするのも、また完全に自由ではある。ただそうであると分かってはいても、私は彼のふるまいにある種の軽蔑の念を感じずにはいられなかった。それは決して彼の人格に対する毀損やらその他、名誉に関わる問題ではないとつけくわえたい。私がここで真に書き残したいのは、私自身の内面に起きた変化だけだからだ。
 私がどうして彼の振る舞いに軽蔑感を覚えたかといえば、端的に知的誠意に欠如があるからだ。少なくとも知識人と公認される者が、知的に意味のある内容とか、人類の道徳的展開の中で鋭く且つ有益な指摘をさしおき、商業的自己喧伝を優先するというのは、紳士の名に値するとは言いがたいものがある。勿論、彼自身が紳士であってもなくてもそれは彼の自由であるから、彼自身の人格的尊厳は必ずや守られているし、そもそも知的誠実性というのはあらゆる知能の中でもある一部の特性である為、普遍的に期待できるものではないだろう。ただ、私はこのような彼の振る舞いや、彼をとりまく人々の言行を重々観察していたのだが、そこで他のインフルエンサー(影響力のある者)とツイッター内で称している人々の行状と照らし合わせ、ある洞察を得て行った。はじめから直観はしていたが、次第にはっきりと認識できるようになってきた。
 ここからおととい以降に起きたことに話はつながっていくのだが、これらの前提なしには以後今日の私の感情に至るできごととそこで私が覚えた内容は、おそらく明快になりづらいので、あとからふりかえるに際して必要な条件として書いてきたものである。

インフルエンサー稼業に気づく

 ところで私が得たその洞察というのは、フォロワー達を多数あつめて、何らかの情報発信をしているインフルサンサー達は、いわば新興宗教の教祖と全く同じことをしているのだ、ということである。教祖ビジネスといえば分かり易い。
 あるインフルエンサーは色々と常識とは違う意見を述べ、大衆全体の中から自分の同調者を募り、彼らに向け慰めを言う。すると彼らは嬉しがり、いわばインフルエンサーの信者となる。更に慰め中毒となった信者らは、現実逃避のため教祖のご高説に玉串代を出し始める。
 インフルエンサー教義の論争をひきおこす明らかな偏見へ、一般大衆の反感は当然のごとく向かう。それはだまされやすい信者の上にも向けられる。結果、己は不埒な他者から迫害を受ける選ばれた者であるという神聖なる自覚、実際には大いに誤解や自己認識に歪みのある狂信的抵抗者状態を捏造していく。狂信者達を自在に洗脳できる上、オンラインサロンとか著作の販売とか、講演料だとか、幾らでも信者からの貢納金を徴収する手段がある為、「新興宗教一度やったらやめられない」状態を、なんと今日のインフルエンサー達は美味しい飯の種にしていたのである。
 そもそもアイドル稼業だとか、芸能人や政治家や、皇族や、作家の活動だとか、もっと以前なら芸妓だとか遊女だとか、歌舞伎役者、白拍子、相撲取り、あるいは武士や公家、その他サービス業種といった類のものにはいくらか似た要素があるので、必ずしもインフルエンサー業だけが新興宗教的なのではない。ここでいえるのは、インフルエンサー稼業に潜んでいる危険性の大部分は、新興宗教一般が陥り易い傲慢と類似のものであるということだ。我々はオウム真理教とか、神道政治がひきおこした重大な事故という歴史をもっているので、宗派的傲慢に伴う厄介な問題点の詳述は他の学者に任せる。話を進めよう。

フォローの整理

 私がある人物によるインフルエンサービジネス風の教祖賞賛リツイートにうんざりして彼をフォローから外したところまでは述べた。次に私がツイッター上でおこなったのは、煩瑣になりすぎたタイムラインを一度、最小状態まで整理しなおしてみることだった。これは私には有益だったのだが、というのは非常に慎重に人物の格や、表現内容の重要度を改めて評価し直すきっかけになって、自分自身の価値観をも整理できたからだが、ダンパー数と呼ばれる人類の脳が記憶できる100人前後の数以下までフォロワーを、私は減らしてみた。
 一度にフォローを外すとツイッターの管理者側は何かでツイッターを悪用している人達と勘違いし易いらしく、同様のことをするには一度にフォローはずしをしても安全な最大数と数あわせをする必要が今のところあるようだが、私は200アカウントくらい一気に外しても問題なかった。
 明らかに私にとって無駄な情報が減ったタイムラインだったが、今度は、私にとっての雑音さえずりも多いが、たまに有益なことをさえずるアカウントもフォローから外れてしまっていた。そこで、途中からリストを使ってそういうアカウントをフォローしなおすことにした。
 リストは非公開にできるようなので、もともと誰をフォローしているかを他人に知られるのは何となく気持ちが悪く、頭の中身を覗きみられるような感じがしていたこともあって、今も全て非公開に設定している。
 こうして私のタイムラインは平和になって、ツイッターの使い方もようやく慣れてきたと思った頃、私はいよいよおとといの事件にまきこまれることになる。それは私の作ったリストの一つである、同時代人に関するタイムラインでのできごとだった。

ソクラテスの話

 そのとき、タイムライン上にある引用ツイートらしきものが流れてきた。私はそこに書かれていることを読み取るために、当該ツイートを私が愛用でもないが長い間つかっているDELLのPC画面上でクリックしてみた。
 そのツイート集を書いた人物は理解力が十分あって、私の祖父設計の家の1階にはじめから備え付けてあるささやかだけれど思い出深い本棚の一隅に、忘れ去られたように眠っているはず岩波文庫『ソクラテスの弁明・クリトン』について、とてもしっかりしていて、またわかりやすい解説をしていた。私の岩波文庫のあとがきより優れているほどだった。
 その内容こそが重要なので、むしろ私が感じた随分な感動についての具体的解説や、過度の賞賛の数々を敢えて最小限度に抑え、一言「とても感動した」という最も単純な感想を述べておくだけにとどめた方が、却って私の内面にまきおこった諸々の感慨は伝わるのではないかと思う。
 ではどのような内容だったかといえば、ソクラテスという人物が古代ギリシアのアテナイでいかに生きたか、その高貴さについてだ。ソクラテス当人の目線から語られた、実に優美に、実に必要十分な筆順で、だれもに彼の置かれた立場や否応なかった刑死の悲劇が伝わるだろう記述で、とても一言ではいいあらわせない巧みな物だ。私はこれに大いに感心したので、その場で少しその連続ツイートの周りの状況を確かめたものの、どうやら連続ツイートを書いた彼がその最初の記述に伴う現代に最も欠けているものの一つだが、人類史の中でも最重要であることはまずまちがいない主張を、撤回しつつあるのをみてとって、たまらず返信した。
 すなわちソクラテスは果たして高貴であったのだが、我々はその貴族精神に自主的に見習うべきではないかという様な内容であったと思うが、これは私個人の記録であるから、完全に正確であるかについては保障の限りではない。私自身の主観的印象としてはその様に脳裏に焼きついているということだ。ちなみに私はこのブログにこのときした返信から、以後、ツイッター上でやりとりした全ての私側の記述については記録済みであるから、万一、この手記をよみなおす後生が、より詳らかにそのときの状況、特に私の側に起きた思いを知りたければ同時期の他のブログ記事からみてとれよう。私がそこでいわんとしたのは、彼のすばらしい記述の偉大さ、ソクラテス批評の最高限度のたくみさ、すなわち華々しい文化的功績への心からの敬意の念は十分いいあらわせたかは定かではないが勿論のこと、何よりこの哲学の始祖の一人がもっていた立派な生き方を見習おうとするその魂の美しさだった。
 私は文学や哲学、科学書その他なんでも読書といえば大好物な読書人の一人だと自身を認めるにやぶさかではない。なんといっても20代の間ほぼ全ての時間を、この読書の為だけにつかったほどである。したがって彼の記述の比較級を超えたすばらしい出来栄えや、そこで語られた思想の貴重性はすぐに認められた。今こうしてふりかえって記述しているだけでも、ソクラテスの一生に秘められた重大な精神の高みを改めて敬仰し、それを伝えてくれた偉大な連続リツイートについて考えているだけでなおその感動が蘇ってくるほどだといったら言い過ぎかと思われるだろうが、事実なのだ。
 話は打って変わって、私は彼の述べたソクラテス理解は全世界の誰に恥じるものでもないほど立派な解釈を伴っていると今なお信じるので、そこで掘り返された貴族精神という眩いばかりの宝の原石が、何らかの理由で主張全体ごと撤回されてしまう結果、再び暗黒の情報界へ永遠にうずもれてしまうのが悲しかった。このため返信の目的は、ソクラテスの命がけの高尚さを最大限擁護することだった。今こうしてできるだけ冷静になって考えている段階でも、当時のアテナイに実在したソクラテスの魂に触れられるようで、嬉しい。話がもっと打って変わるのが少し遅れるが、どうしても記述しておきたいこととして、ベンジャミン・フランクリンが「イエスとソクラテスを見習うこと」と謙譲の美徳を述べていた理由は、それまでソクラテスについての部分だけ釈然としなかった私だったが、遂にここではっきりとした。立派なソクラテス解釈を教えてくれた某氏には感謝しかない。
 私の返信は単なる貴族精神ばかりか、ソクラテス理解そのものの素晴らしさを称揚し直すと共に、これを永遠に哲学の殿堂へと私を含め全後生の模範の為に飾り置く為のもので、私心は何一つ混じっていなかった。他意はなく、後に記述するが他者から多少なりとも向けられた下らない難癖は全て私にとって付属的で全く意味をなさないものである。
私の返信は、その一連のソクラテス理解を含むツイートがもともと向けられていた、ある別の人物の元へも届いた。私はこの人物については少し前にツイッター上で見かけ、少し調べてみたものの、さほど詳しく研究しようとは思わず、殆ど興味があるわけでもなかった。

教祖の登場

 ところで便宜的にその人物を仮にAとし、また連続ソクラテスツイートを行ったもう一人の人物をBとする。私はBの掘り起こした重要な精神と、そこに含まれる立派な考えを、現代にあっても回復するのが重要だと考えた。単純化すれば良心に基づく自重、真心、恥を知る心、これらが同語彙の多義性に伴って若干正確でなければ、哲学用語としてカントのいう義務というような、貴族精神につながる美徳である。日本のネット文化が匿名掲示板を中心に全く自重のない無秩序や犯罪集団をつくりあげたり、現実文化でもいじめやしばしばそれを喜劇的にいいかえたいじりといった集団心理からくる負の同調圧力、空気の研究とか全体主義などで知られている、恥知らずで罪深い側面をもっているのは事実で、外国での日本学や日本人自身の社会学者が、これらをより詳しく分析していくのは是非とも必要である。天皇制ファシズムという太平洋戦争やそれ以前から続く、重大な大量虐殺をひきおこした戦時体制についてまだはっきりとした反省や総括が行われたとはいえず、制度の改良、再発防止策も進んでいない。
 しかしながら、Aは私の返信の意味を遂には解せず、Aには難しすぎるのでより簡単にして欲しいとの旨でいいかえをツイッター上にて要求してきたため、私なりにより簡単化し同趣旨を再返信したものの、それを理解するのはAにはやはり無理だったようだった。
 その後、Aはなぜか彼をとりまく信者の一部に同調を求めるツイートをくり返しはじめた。私にはこれらが幼稚にみえたので、また、もともとAを何かに向けて説得するつもりもなければ、単にソクラテスの精神をBと同趣旨で称揚するつもりだったのだから、相手どるのをやめようと思い、一日が経過した。

名乗り文化の3類型論

 睡眠をとってから目覚め、脳内も整頓されたところで改めて考えてみると、この話にはある重要な要素が含まれているのに気づいた。それはある人が実名・匿名・仮名のどれかを使って著作物の発表をしたり、社会的活動をするにあたっての文化的な特性だ。詳しくはこのブログの別記事にまとめてあるのだが、実名文化・匿名文化・仮名文化の違いは、それぞれ、主に実名が偉業を、匿名が悪事を、仮名が演技をしやすくするので、実名高潔者文化、匿名卑怯者文化、仮名特別者文化と、鼓舞する誘因ごとに一般化すれば名づけられると私はおもった。
 ところで再びツイッターを見てみると、Aはなぜか彼が仮名で活動していることを誰かから責められていると勘違いしているようだった。Bにその様な意図はないか、既に撤回済みだとB自身が語っていたようだったので、これは完全にAの被害妄想に過ぎないのだが、信者に向けて扇動のようなことをいっていた。私はこの段階ではAの理解力にまだ期待をもっていた。Aは哲学しているといっているようだったので、理解に時間がかかるだけなのかもしれない。それで名乗り文化の3類型論が、彼の混乱の整理にも役立つ可能性があるため彼へその内容を返信し、ブログにも同理論と関連する考えを記述していたので、リンクもあわせて返信の最後に掲載してみた。
 すると驚くべきことが起き、Aは対話をやめて誰かまとめてとか、このことについて動画をつくるなどといい、私にとって青天の霹靂ではあったのだが私をツイッター上でブロック(彼のツイートをみれなく)してしまった。私は彼について特に知らないし、また彼についてなにを語るわけでもなかったのだが。いまだに私は、単に名乗りの文化的類型を哲学的に分析すればよいと思うのだが、なぜかAにはそれができないか、なにかについて混乱しているようだった。その途中で、これは記録の為に書いておくが、Bが私のツイッターアカウントをフォローしてくれたようだった。また、Aが知性を称揚しているCという人物がおり、一連のことについて次のような意見を述べていた。
 Cいわく、匿名(彼は仮名という概念を使わず、匿名のなかに仮名を含めているようだった)で活動するAになんの落ち度もないと。私も全くそう思う。最初からそれについてだれも疑問はないだろう。
 それでこのCという人物なら理解できるのではないかと思い、というのもソクラテスや当時のアテナイ世界などについてある程度の知見をその人は述べていたからなのだが、私はやはり名乗りの文化的類型について話しかけてみた。

冤罪する信者

 するとここでも、もっと驚くべきことが起きた。そしてこの手記で、最もいいたかったのはこの部分なのだが、いきなり私に嫌疑をかけてきたのである。どのような嫌疑かといえば、「Aの匿名性を私が責めているがAになんの落ち度があるのか、誹謗になりかねない」などというのだ。これはこの記録を残している今でも、私には凄まじい衝撃で、殆ど天地がひっくり返るくらいの内心的傷害を受けてしまうのだが、最初から何一つAに興味どころか関心も殆どない私が、しかもソクラテスの高尚さや文化類型について哲学的考察をしているだけの私が、なぜかCに濡れ衣を着せられたのである。
 濡れ衣というのが大袈裟なら、ただのあらぬ嫌疑のようなものではあるのだろうが、そこに私は極めて大きな悪意を感じた。私がもし神として状況をみていたら、あるいは第三者として一連の事象を眺めていたら、確かにこのCによる言葉には失望に似た驚きを感じざるを得なかったであろう。
 一体なぜCがこのような冤罪、もしくは悪意ある嫌疑、あるいは単なる誤解か無理解によるこの心無い言葉を吐いたかについて、私の想像力を限界まで使ってその後、1日かけて考えてこれを書いている今に至るが、殆どわからない。ひとついえることは、私がCという人物に話しかけたのはそのときはじめてで、Aは自らのツイートでCを知性的だと称揚したようだったし、それ以前からCはAに詳しいか親しんでいるか、いずれにせよ親近感をもっているかのように私にはみえたので、Aにわけもなく同調する為に、A自身の被害妄想から来る錯乱となぜか全く無関係の私に、あらぬ嫌疑をかけようとしたのかもしれない。もしそれが単なる誤解や無理解によるものだったとしても、冤罪はそれ自体が人類が行いうるありとあらゆる蛮行の中でも最悪の類型の一つなのは自明だから、Cによる数ツイートが私には衝撃的だった。
 私は事態を察し、できるだけはやくこの悪意ある、もしくは無理解や妄想からくる錯乱が蔓延している人々の輪から抜け出、二度と関係しないようにしなければならないと危機感をもった。冤罪をこんなに簡単にする人がもし現実にいたらと思うと、いまだに背筋がぞっとするのを禁じえない。
 勿論ツイッターも現実の一部だ。Cも実名でのツイッターアカウントだったようだったし、濡れ衣による侮辱罪そのものもまれな場合にせよ成り立つので、私自身が被害者になるのを避けるべく、Cに一通りの挨拶を書いてその場をすばやく離れた。
 私はまたインターネット文化や、日本人達の実にげに恐ろしく、陰湿で陰険な悪性の一部を覗き見た感じがした。ツイッターがその様な場を生じさせるはるか前から、主に視聴者として界隈をみてきた私には、これはツイッターも悪意ある人達の媒体として近い将来、深刻で重大な事故につながるであろう余震とも思われた。
 私はAとCをミュート(こちらから相手のツイートが見えない状態にしていることは相手には伝わらない)し、一刻でもはやく不慮の災害から身を安全な場所に匿う必要があった。

義憤

 私の魂は繊細で、特に他人の悪意については極めて強く拒否反応を示すようにできている。そういう性質をもちあわせていない人にとって、すなわち鈍感だったり他人の悪意をある種の薬物のように簡単に消化できる人にとっては信じられないことだろうが、私にとってははらわたが焼ききれるより強い痛みだ。
 義憤。おおよそその陣痛よりはるかに強烈であろうはらわたの痛みを感じつつ、何とか他人の悪意が与えた恐怖感のなかで、自分という存在の根底から揺さぶる震度も知れない大地震がもたらす絶大な不安におののきながら生きながらえて、一日がたった。それが今だ。
 生きながらえようと何とか筆を執った私が、これらの記述をどんな面持ちでしているか、未来の私を含むかもしれない読者に想像はつくまい。唯一つたしかな真理として後生に伝えのべておけること、それは人の肩書きほどあてにならないものはない、という常識だ。

教訓

 私がこの2日、今日を含め3日間、教訓とすべきなのはある肩書きを掲示している人が、実際にはそれと正反対の性質の持ち主で、寧ろその人が成りたいが到底届かない精神的態度への憧れを示すものとして、肩書きを掲示していることがある、という重要な真実である。ある初対面の人を肩書きもろとも信じたが為になぜか裏切られ(不本意にブロックされ)、その人が知性を認めているといっていた別の初対面の人をも信じたが為に更にひどく裏切られた(冤罪にあたる嫌疑をかけられた)。どちらも人の肩書きや評価を信じることの危険を教えているツイッター上での経験だ。
 読者は、改めてこの経験を反省し、次の処世術を執る私をどう思うか分からない。ただ私はその方針を執るつもりでいる。それは二度とツイッター上で他人と議論しないことだ。原則的に返信も書かない。単に自分の意見を述べることこそあれ、他人とのやりとりは完全停止する。コミュニケーションしない。
 この世は本物のふりをした偽物が多い。人の肩書きを信じて痛い目にあった私だけでなく、誰かが別の誰かを評価している時にも最大限の疑いが必要だ。他人の評価には表面的な言葉の裏に意図があり、真実を語っているとは限らないのであり、そもそも評価自体が間違っていたり、評価基準が違う事さえある。

信者ビジネスの行方

 またインターネット世界での信者ビジネスの行方について、この短い手記の中で全て分析し尽くすには紙幅が足りず、別の機会にゆだねる。我々はこの新たな新興宗教がもたらす甚大な災厄を待っている段階だが、遠からずそれは起きるだろうし、既に起きている炎上の火の粉の一部が、偶然私にもふりかかったのかもしれない。実際、炎上ビジネスで注目を集め、派生的商品を売ったり広告収益を獲得するという手法は一部の個人ビジネスとして殆ど使い古されている。怨みを換金したところでそれが邪教であるのに変わりなく、公害宗派としてこれらの教祖らの未来はいわずもがなだろう。
 信者ビジネスが新手の新興宗教として世間を席巻していく前に、教祖らの放った火の粉による大火傷で済んだ私は、寧ろ幸運だった。この深い心の傷が癒えてから、私は二度と信者ビジネスをはかっている多くのインフルエンサーらに近づくことはないだろうし、それは立派な現代の徳になるだろうから。

より善く生きる

 より善く生きるという当たり前だが達しがたい目標を掲げ、道徳を追求するわれらは今日も世界から学んでゆく。まだ心の中にはあるわだかまりがあって、それを十分吐き出すには別の表現が必要らしい。
 私は芸術家として生きようとしてきているので、幸運にも表現の方法について色々試せるし、また今後も訓練をつづけていくだろう。この手記は私自身の為に書いた備忘録だが、たまたま読む機会がある人にも何かの教訓を与えるものになるよう配慮したつもりだ。私の他の創作にもどる為、ここで筆を置きたい。

新自由主義と全球主義について

新自由主義は格差拡大に過ぎないから微妙だったが、グローバリストそのものは、新興国の経済を発展させてるんだから決して害があるとは言い切れない様に思う。売国の定義にもよるが、地球経済の発展は博愛的であるのと同時に日本もその一部として恩恵があるだろう。
 全球主義を愛国心の観点から否定するのは、いわば自国という共同体を単位にした利己性を意味しているのだから、博愛の観点からは決して立派な態度ではないだろう。真の愛国があるならそれは世界の発展、特に世界で最も恵まれない国の最不利者への恩恵を前提とした上でのものであるべきだろう。
 自由貿易の推進は、関係国それぞれに公平な関税があるとき世界の必然的発展の一部だから、決して否定されるべきではない。したがって重大な問題は新自由主義の方であり、格差拡大を放置する様な、結果の所得・資産に対する非調整的な政治の側にある。累進課税の弱体化が一国内部でも国際的にも有害だ。

新たな封建制度

今日の資本主義は新たな封建制度でしかない。

脱原発政策について

小沢さんは人を恨むようなお方では断じてない! 一体日本国民のどれだけの人が小沢先生に冤罪、濡れ衣かけて名誉毀損ざんまいしてきたとお思いですか。その国民の為に全力をあげて日章旗をかかげてらっしゃるのであるから、少しでも疑うようなことを申されるのは、国を思う真心に反しています。
 先ず鳩山内閣のときに、天皇と宮内庁がわがままいって習近平さんとの会見を断ろうとしましたよね。面子を大事にする中国の文化がわかっていたら、当然、これが国益に反すると分かる。したがって鳩山内閣は正しかった。
 しかし天皇のわがままぶりを党首奪還の為に菅直人さんは利用した。宮内記者会に扇動され記者クラブから槍玉にあがった鳩山さんをかばった小沢さんは、当然、国益の為に天皇陛下はきっとお会いになる、と全くの正論、全くの大義に殉じるご発言をされた。大義がないのは菅直人さんだったでしょ?
 天皇の為に国があるのでは全然ない。天皇がいない状態で12万年も日本はここにちゃんとありました。天皇がでてきて世襲王朝を作ってからまだ歴史も浅く、天皇がいなくなっても国はつづきます。国益の為に天皇が殉じるのは、当たり前の義務でしょう? これを理解していないのは天皇だけではないですか?
 菅直人さんはここで原発政策は細かい政策ではない、といって、いわば細かい揚げ足取りしているんだけど、たみの命を守る国益そのものである脱原発実現するには自民党打倒しないと一歩も進まない。だから大義という意味でも、小沢さんは無矛盾なんですよ。政権交代すれば脱原発政策も実現するんだから。
 細かい言葉の揚げ足取りなんて小人物のやることでしょ。大行は細謹を顧みずだよ。「細かい政策」ってのは、政権交代の大義の下に、色々細かい個別政策が入るけれども、それは大義より後回しだよねって意味であって、だーれも脱原発はどうでもいいことだなんていってない。自由党も脱原発なんだからね。
 それはそれならなんでしつこく菅直人さんは小沢さんにケチつけてるの? 脱原発政策・その他の政策、それらの細かい政策を含めて安倍政権打倒なんだから、いちいち言葉の下らんあげあしとって細かいのは菅直人さんのほうでしょうよ?
 東電を解体しないからいまだに世界最悪の大公害になんの反省の色もみられず、再稼動にカネまで出しているぞ。資本主義の暴走そのものだ。人類の命まで奪って金儲けなんて政府が止めなかったらどうやって大公害をとめるんだ。
 細かいのは言葉の揚げ足取る方だ。幼稚な言葉遊びというべきだ。原発政策が言葉の上で細かかろうと大雑把だろうと、どうでもいい。脱原発で一致すればいいのだ。
 思うに、天皇が中国より上、というヤマト王朝以来の帝国主義意識が頭をもたげ、習近平さんだけ数日ずれてもOKとするのは形式がずれるといういいわけで断ってしまえ、と宮内庁と天皇はたくらんだ。つまり国を跨いだ権力者同士のマウンティングで国民が犠牲。これは両国益を害する。自分らで調整しろと。
 国民にとって天皇vs外国権力者で戦争だかプライドの張り合いにまきこまれるのが最悪なんだから、天皇宮内庁と中国共産党が勝手に形式調整してりゃよいのであって、一般の平和を求める国民を面子合戦で犠牲にしないでいただきたい。やはりどう考えても国益に反してたのは内閣に従わない天皇の方だろう。
 菅直人さんのこれまでの性格特性からいうと、多分、菅さんの利益になる場合しか小沢さんと協力できないだろうね。今回は小沢さんらが政権与党になった場合、菅さんだったら旧怨から政敵として自分を排除するだろうっていう憶測から、小沢さんをやたらと恐れている。小沢さんの方はもっと寛容なのに。
 あのね、先ず安倍政権をぶっ飛ばさないと、脱原発できないジャン、って意味なの。それが細かいって意味であって、別に原発を細かいことだなんてそんな阿呆なこと小沢さんがいうわけないですね。合流後の原発政策が折衝案か止揚案かゼロ案か党員任意案かわからんけど、小沢さんは脱原発のままでしょう。
  べつに党全員でまとまってゼロ案にしなくても、最終的に、内閣で決定権をもってる人、たぶん首相が脱原発しますといって実行しちゃえば、一々数合わせしなくてもできるんじゃないですか。脱原発派の議員を超党派でふやすべき立法府の問題と、行政府の問題を混同してますよ。
 自己権勢欲の塊、日本よりも国民よりも自己欲優先の政治屋。どこをどう見ても小沢一郎さんがそうだとはいえないじゃん。なぜそんな嘘をつく。民主党首すらしてなかったじゃん。日本や国民より自己欲が優先だったら最初から商売でもしてるでしょ? 極悪国民が冤罪かけても日本に尽くしてるでしょ?
 もう菅直人さんがなんでここまで小沢さんにびびってるか、心理学的な分析が必要だと思う。たぶん菅さんが誰の目にも明らかな暴走で民主党を回復不能なまでにしてしまった自責の念から、小沢さんをスケープゴートにしてるんだと思う。おそらく無自覚に。
 議会政治というのは国会で色々な人の意見を取り入れるためにあるんです。だから政策や理念が色んな人が、同じ政権の中にいたほうが、国民の中のより多様な声を反映できる。国会にあっては色々な意見、特に少数派の国民のよい意見をとりいれて立法すれば、より国民全体の意思が反映されるんです。
 政策や理念を無理やり1つにまとめるのが正しい、という考え方は、議会政治の旨に完全に反しています。北朝鮮で金正恩さんが、日本では安倍晋三さんがいっていることが全てに優越する、といった状態です。それは独裁政治といい、国民は犠牲になってしまいます。勿論、王様が全国民より賢ければ別です。
 政党というのは似た政策や理念を共有する仲間ではありますが、それぞれの議員の政策や理念が完全に同じなことは個人がそれぞれ異なる限り、原理的にありえないことです。この為、党内でも議論があり、また多数派がいてもお互いの信じるよい政治を話し合う意味があって、国会が成り立つんです。
 ある政党が、政策や理念を完全に一つにまとめてしまおうとすることを、ファシズム(結束主義)といいます。これは歴史的に失敗しやすい考え方だとわかっています。全会一致の幻想という集団心理現象があり、全員一致させようとすると間違った意見を採用してしまうばかりか、個人の本音が無視されます。
 いいかえれば、政策や理念に色々ばらつきがあればあるほど、そして多様な議員が同じ国会・同じ内閣に参加していてこそ、その国は少数者の願いまで決め細やかに反映され、真に国民の為になる豊かな政治ができます。あなたが仰っているのは結束主義という、歴史的に検証された最悪の政治方法の一つです。
 この菅直人さんの細かい揚げ足取りは、ただの言葉遊びに過ぎません。なぜなら自由党も小沢一郎さんも脱原発だからです。
 菅直人さんの政治の功罪は私も原発事故の被害者の一人なんでよくわかります。が、がん細胞度でいうと、違憲立法・不正行政連発中の安倍晋三さんのほうがもっと強烈なんですね、これが。
 自己権勢欲の塊度合いでいったらどう考えても、自民党規まで捻じ曲げ、民主主義をぶちこわしてまで党首続けてる安倍晋三さんのほうじゃなかろうか? 同じことは2000年ちかく最高権力やら象徴の座に居座ってる皇族にもいえる。菅さんて世襲ですらないでしょう?
 おもうに菅直人さんは小沢さんをスケープゴートにすることで、自分が民主党を下野させてしまったという自責の念から目をそらす、っていう心理的な置き換えをしてるのではないだろうか。でそれに自分で気づかない。菅さんが大人になるには、自分の失敗を小沢さんのせいにしている矛盾を認められるかだ。

天皇と国民のどちらが主権者なのか

天皇と国民のどっちが主権者だと思ってるのです? これは重大な問題ですよ。今上は違憲な退位法を忖度させて、いわば国民の主権は蹂躙されてんですから。国民が奴隷で天皇は主人なのか、国民が主人で天皇が従者なのか? 国民>首相>天皇、なのか、国民<首相<天皇、なのか?
 奈良にヤマト王朝からできたときからずっと、日本各地の諸民族は弾圧されてきたんですよ。ヤマト帝国主義でね。
 天皇が江戸に移る前まで、普通に今の東京人も朝廷からの被差別対象でしたからね。東夷・アヅマエビスなどと。しかし天皇が来ると今度は自分が差別する側に回ってしまう。ヤマトっていうことばは、天皇の華夷秩序を意味している。天皇崇拝とひきかえに周縁民族を差別する前提の上にあることばですね。

小沢長官の号令に従え

二大政党制自体が悪いんじゃなくて、二大政党制が理解できない日本人が悪いんでしょ? ということは正しい命令を出した長官が悪いことにはならない。命令に正しく従おうとしない日本人が悪い。
 小泉親子みたいに自民党内に居残って、内部で改革とかいってても、結局いまみたいな腐敗政党のままなんだから、どう考えても小沢さんが実現した政権交代のほうが正しかったでしょう? やっぱり一党独裁は腐りきるものなんだから、正しい長官だったのは小沢一郎氏だ。
 あなたの意見が正しいと私も思う。日本人が二大政党制に従えという非常に正しい号令に従わないのが悪い。二大政党制も、号令もまったくもって正しいし、当然その号令をだしてる長官は有能だ!
 小選挙区制とか細かいことはよくわからんが、二大政党の号令が正しいと日本人が理解できる程度の知能があったら、最初から安倍最悪政治なんざ実現すらしていない。要するにどの選挙区でも反自民の最大の政党に入れりゃよかったんだから。
 小沢一郎さんの下に野党の野郎どもが結集し、一致団結して安倍最悪政権をぶっ飛ばすしかもう何一つ手は残っていない。その最初の段階でなにいってるの。足引っ張っちゃダメ。

安倍信者の根絶論

奈良美智氏へのツイート
僕も今の政権が一番最悪だと思うけど、日本をあきらめちゃだめ。損得で捨てていいものだったら、とっくにつぶれてる。命を懸けて危機をのりこえてきた先人たちの偉大さを思えば、安倍晋三氏を倒すだけなんて実に簡単な話。
 安倍さんがましとか消極主義に陥って洗脳されてる日本人をなんとかしないといけない。僕は奈良さんに比べ全く無名の芸術家ではあるが、自分にできることはすべてやっている。あらゆる手を尽くしてもだめだったといえるまで、洗脳を解く努力するしかない。放置すれば反省するかと思ったらみなしない。
 幕末の志士のように、安倍信者をありとあらゆる場所で徹底的に説教しつくす方針に変えようと私は思う。私が想像していたよりみんな馬鹿だった。言わないとなにも分からないようだ。相手がもう降参したというまで、安倍信者を一匹残らず退治したほうがいい。

名を名乗れ

やっぱ下らん濡れ衣ごときでツイッターみるのやめるのもばからしいので、自分よりばかに場を譲るのはよくないと思いなおした。これは正義の為だ。濡れ衣を着せるほうが悪いのだから打ち倒さねばならぬ。
 千万人と雖も吾往かん。全人類が敵だろうと正義を譲るべきではない。
 濡れ衣を着せてくるような無知蒙昧にして悪質なやからとは、地上から骨一つ残らぬまで徹底的に戦い尽くすべきだろう。わが国武士道の前に、良心のひとかけらたりともこぼれ落としてはならぬ。吾への嫌疑を晴らした末、全員が敗残するまで吾は戦う。
 匿名が卑怯かどうか。間違いなく卑怯だろう。どんな理由があるにせよ匿名で逃げ隠れする事は卑怯というほかない。日本人の殆どは卑怯者だ。だから2chであれだけの大悪業をしてきて恥じる気配もない。匿名の卑怯者は全員罰するべきだ。適当な言い逃れで匿名の卑怯さをごまかすのは誠に卑怯者の所業だ。
 偽名や仮名で行動するのは訳ありにせよ、これもやはり卑怯さが幾分か混じっている。人は親から貰った名前があり、それを玉の様に抱いて生きていく他ないのだが、いわば名誉や誇りはこの名前と共にある。名を失ってあるいはごまかして、人が誇りを持てるかといえばそれは偽だ。自分を失うだけだ。
 私は水戸で多くの武士が眠っている墓を見た。その中には私と同姓同名の墓があった。彼は幕末の志士であり、勤皇の志を抱いて懸命に生き、そして死んだ。彼の誇りであった名前だけが私の前になお残っていた。私はその武士に敬意を表する。彼の考えは今では古いかもしれない。だが彼の名は名誉ある名だ。
 私は私の名と共に生まれ、名と共に死ぬ。私の死後、私が懸命に生きた事は万人に忘れ去られるだろう。私の苦労も、私の感じていた感動も。だが、あの武士の様に、私の名前はきっと未来に残るだろう。だから私は名前を失って生きる事はできない。それは未来の私と同姓同名の自分に志を伝える為だ。
 武士の子は、自分の家名を誇らねばならない。武士はいつ死ぬかも分からない。残るのは名前だけなのだ。私達はもう武士という身分を失っている。だが先人の高貴な魂に学ぶ事はできる。死を賭し、自らの志に殉じる。死後もその名を汚す事なきよう、誇り高く生きて死ぬべきだ。
 私は2chの文学板という場所で、嘗て、綿矢りさという作家のスレッドでセクハラをしている者を注意した時、自分の名を名乗ってからそうした。それは匿名で、自分だけ安全な場所から誰かを責めるのが卑怯だからだ。愚物や下衆にはそれが分からない。だが高貴な使命を果たすことが何より重要だ。
 この世で、高貴さとは魂の命令に従うことを言う。決して外から与えられた身分や賞賛が、高貴さを身にまとうのではない。私は自分の魂の声に従う訓練に命を懸けてきた。誰に恥じることもない生き方をするには、先ず自分が自分を絶対に尊敬できねばならないからだ。俯仰天地に愧じずと心からいえるよう。
 偽名や匿名で生きる事についてぐだぐだと言い訳がましい連中は、みな自分を恥じる心を必ずや免れない。親の与えた名はかけがえのないものだ。他人がどういおうがその名を捨て、私は誇り高い者ですなどとなぜいえるのか。先ず自分自身をみるがいい。自分に恥じることがなければ捨てる名などありえない。

2019/01/29

賢愚と尊卑の見分け方

自分より愚かな者を相手にするな。愚か者は常に誤解し、そのため常に他人を害する。愚か者に近づくことそのものがあらゆる面で有害な悪徳だと知るべきだ。また自分より卑しい者に、尊い気持ちなど想像もつかないのだから、無闇に説教してはならない。自分より卑しい者はその卑しさと共に死ぬ。人の卑しさを変えることはできない。
 ただ自分より尊い者、自分より賢い者に学ぶだけにとどめ、愚者や卑人と少しも親しんではならない。もし何かの間違いで愚者や卑人に関わってしまった場合、必ず有害な目にあうことは間違いないのだから即座に彼らとの関わりあいを断て。二度と彼らに近づくな。
 人の賢愚を知るには相手と会話してみればよい。愚かな者はあなたの意図を誤解する。いくら説明しても、当人が愚かである以上、その試みは徒労である。会話する以前に、普段の無理解さや拙い見識から愚か者と分かるならそれに越したことはない。賢い者は物分りがよく、物事を誤解しづらい。また疑いようのない真理を常に探しているので、少なくとも常識と異なっているばかりかより優れた意見をもっている。
 人の尊卑を知るには相手が利己的かよく観察せよ。損得勘定の優先を堂々と公言していればそれは卑しい人だ。善行を単なる他人の為だけにしている様な人でなければ尊い人とはいえず、その善行が博愛的で、虐げられた人や最不利者に向けられたものであればあるほど尊い。対して卑しい人はあなたを彼ら自身の為に利用こそすれ決して無償で助けはしないので、関わるほど損害が膨らむばかりか常に裏切りの恐怖におびえつづけねばならない。卑しい人とつきあうのは地獄に暮らすのと何も変わらないだろう。

貴族精神について

日本でNEETや無業者、その他の自由人が労働者全般から軽蔑され、差別を受けているのは、決して単なる嫉妬心の裏返しではなく、彼らの殆どに貴族性がないからだ。小人間居して不善を為す、至らざる所なし(小人間居為不善、無所不至)と『大学』にいう通りの陰湿な悪業三昧を、5ch(旧2ch)はじめ匿名ネット文化の中でやりつくしてきたのが彼らNEETの一部だった。別に高潔な一部の自由人がいたとしても(私もそうなりたいと絶えず願って最大限の努力はしてきた)、5ch文化がもたらした災厄が余りに大きすぎたので、日本ではNEETが蔑称になるばかりか、内向的生活様式を好む引きこもりを社会問題化しつつ無業者全般と同一視して労働者と対比させながら差別したり、私有財産があるが故の自由そのものを否定する勤労者側の悪意はとどまることを知らず、遂には被差別階級扱いしているのと殆ど同じだけ自由人全般が貶められているのが平成時代だった。
 なぜその様な状態が生じたか考えるに、2chとして匿名掲示板がネット上に作られた頃の日本はバブル崩壊後の不況が覆いつつあり、したがって就職氷河期世代などを主に失業者が多く発生、彼らはネットで不満を紛らわす為に我々が知るありとあらゆる蛮行をはじめた。彼らがなぜ匿名の2ch(のち5ch)やニコニコ動画を選び、なぜ実名のミクシーや後のフェイスブック、今日のインスタグラムなどを選ばなかったかは明らかだろう。それは彼らが小人だったからで、いわば自身の人格に尊厳を持っていなかったのである。なぜ彼らの人格が低劣だったかといえば、およそ高い教育を受けた人は順調に就業し、その枠組みから落ちこぼれた人達が恨みのネット文化を作ったからだと考えられる。生きる動機が社会への復讐であったり、他者への憎悪であったり、自己効力感の欠如と自信のなさからくる衆愚的蛮行での憂さ晴らしであったりする上、その抑圧を文化的活動に十分昇華するだけの素養を見につけなかった彼らに貴族精神など当然の様に期待できないので、日本のネット環境は暇に飽かした彼らの想像もつかない悪事の山で埋められた。唐沢弁護士や長谷川亮太氏、スマイリーキクチ氏らだけを死の間際に追い詰めたのではない匿名衆愚の百鬼夜行により無法地帯と化したのは2chだけではなく、犯罪幇助の容疑を裁判への欠席で回避してきたひろゆき氏のつくりだした次なるニコニコ動画や、Hagex氏を遂には殺害してしまったはてな村など、日本人の一部が自由を無責任に乱用し続けたことで積みあがった被害者のむくろは富士の頂をとうに越えるほどである。その様な現実を毫も省みず、平成日本でも自由人はだれであれ高等遊民たるものとして尊敬されるべきなどだと暖気(ノンキ)にのべつまくっている輩は、もういないにせよ単に無知なのだ。もしリチャード・ドーキンス氏の上にさえなお聖書の神が実在するのであったなら、遥か昔にこの国はノアと目される者(私だ)を除いて亡び去っていたであろう。
  いずれにせよ、この国に起きた匿名ネット文化下での悪業の数々は永遠に閻魔帳に記しおくべき世界史の汚点だと私は曇りなき眼でしかと鑑みるわけだが、問題は貴族精神を宿した少数の、本来の自由人の居場所である。彼らは確かに労働者や商人と違って己の利にさしたる関心もなく政治家や皇族らと違って己の名誉欲に突き動かされもしないのであって、ただ純粋に高貴なる魂を考究しまた実践しているのである。だが海より深い匿名悪業ネット衆愚が溢れる毒の沼の中で、一体だれがその存在に気づけるというのか。そして一体だれが真の自由人の誇りと威厳を、尊敬しなおせるというのか。偉大な自由人であったソクラテスが毒杯を仰いだ事は今日なお我々の胸を打つ自己犠牲であったにはせよ、切腹の文化すら衰退しているこの国で、たった一人であれ定言命法の崇高さに自らをなぞらえ、死を賭して匿名衆愚との馴れ合いによる排他的同業組合と化した悪徳日本の退廃と戦い、そこでの経済弱者たるNEETや無業者らを含む自由人の探索的で進歩的な役割を進んで果たせる者がいるというのか。
 上智と下愚は移らず、と孔子はいった。それがIQや一部の性格など知能因子の遺伝が徐々に明らかになってきた今日なお真理なら、我々の中に上智の者が一体一人でも残されているか。もし残されているのなら、その人こそは堕落しきったこの国を、匿名ネット文化の卑怯さを、だれきった内輪ぼめでの信者ビジネスやらネット右翼との慰め合いだのにとけこんだ差別の数々を、なんとしてでも変えねばならない。できるのか。その人が本当に知恵と勇気の持ち主で、正義を知っているのなら、たとえその人を除く日本国民全員に不当な迫害と弾圧を受けまくっても、なお最低最悪の衆愚どもの遥か頭上に輝く後光のごとき精神の高みの、貴族的な魂へと昇竜する思想の革命を起こさねばならないだろう。

SNSの衆愚性

我々の不幸の殆ど全てが自分より卑しい人との関わりに由来している以上、社交相手を厳正に選べないSNSは不幸をふやす事こそあれ、誰も幸せにはしないだろう。
 その人の知徳が万人に優越している様ならSNS全般が有害になるだろうし、長じてそこに最後まで居残るのは最劣悪者だけだろう。知徳に中間的な人は徐々に少なくなる優秀者の零す情報に縋ろうとし、最も慈悲深い人達が遂に耐えられなくなるまで利己心のため彼らの無償奉仕から搾取する。最善者が自己犠牲する場であるのとあわせ、全体としてSNSは他人を利用したがる劣悪者にとっての適所でしかないのだ。
 SNSで悪人は善人を駆逐する。SNSは常に堕落し続け、最後には地獄化する。
 ゴータマが看破していた通り、人は孤独を楽しむことを覚えるべきであり、知徳について自分以上の相手が見つからなければその様なSNSに参加するのは自己損失しかない。ウェブが各界の著名人の実力を判別し易くしたとはいえ、多くの生きる聖人は同時代の大衆に理解しようもないので無名である。したがってウェブ上で現実に存在する聖人達を見いだすのは難しい。特に衆愚が多数派であるSNS全般では。

日本人相手に議論するな

日本人相手に議論するな。日本人一般は議論の習慣がなく、個人攻撃と容易に勘違いしてくる。その上、匿名で陰湿に群れ、集団いじめをする傾向が激しく、議論参加者が誠実に対応するほど匿名の卑怯者からの一方的な冤罪や、誹謗中傷の標的になり易い。彼らは単にメタ認知の能力が低く、言論の中身と個人をきりはなして考えられないのも加わって、哲学における対話術(dialectic)が日本人一般相手には全然通用しない。正反合の展開は勿論、助産術的な真理の探求、その他反証主義的な傍証による批判的思考など、ほぼありとあらゆる知性的な思考法が日本人一般には当然の様に不可能であり、詭弁や議論の規則違反を平気で犯し開き直るし、他人に単なる意見をいうだけで喧嘩と考え突然形勢不利と見なした方を集団弾圧するだけ、ごくごく幼稚かつ陰険な人達が基本なので先ず以て日本人全般と真剣に議論も討論もしてはならない。相手がとるに足りない者であったなら、容易にあなたへ子供じみた濡れ衣を着せ誹謗中傷の的としだすし、恐ろしい事に何の罪もない人をこの様な卑人が攻撃しているのを見ただけで、日本人の一般民衆は即座に群集化し束の間の安心を得る為だけに殺害までしかねないのだ。
 福沢諭吉は『福翁自伝』で日本に足りないのは数理学と独立心だといったが、もっと足りないのは議論に関する基本的な倫理観、特に対話術の不足である。だから日本国民として少しなりとも知性を持った者であれ、その他の外国人であれ、なにかで会話することになったのが日本人であると分かったら十二分に注意し、その人が和という衆愚的集団心理に妄従する悪癖をもっている空気を読みの全体主義者であることが先ず殆どだと疑うがよい。ごく例外的な知性の持ち主が、退廃した日本国内の典型的衆愚化教育を免れていたが為に対話術に秀でている様な場合は、私は一度も知らないにせよあるかもしれないが、その様な個人だと完全に分かるまでは、日本人相手に議論をしない方がよい。彼らの習慣が一朝一夕で変わる事もないだろうから、重要なのは日本人相手に真剣な会話を避ける自制心だ。

実名高潔者文化・匿名卑怯者文化・仮名例外者文化の分析

一般に我々日本人は全員が、学校や会社、役所など最大限の信頼性が必要な場面では、個人特定できるだけの上記個人情報を提出します。単なる著作物の発表にあたり、匿名の著者でないと証明するにあたり必要な個人の特定性は、これに対して少し緩和措置があるのだろうと思います。
 色々と考えたのですが、ごく大まかにこの世には著作物の発表にあたって3つの文化体系が存在します。1つは実名高潔者文化(一般に人は実名で活動します)、もう1つは匿名卑怯者文化(名を隠さねばならないのは個人特定されると不都合な場合、多くは悪事を働くためです)、最後は仮名例外者文化です。
 仮名例外者文化は言論の自由がない国で正論を述べたり、現実とは異なる別人格を演じ遊んだり、色々な場合があるでしょうが、多くの人類は仮名をもっていないので特別な理由がある例外といえそうです。
 ところで日本国のインターネット文化は特殊化(俗にガラパゴス化)が進んでおり、2ch(5ch)という匿名掲示板の影響が恐らく大きいのでしょうが、フェイスブック式・実名高潔者文化が基本の国外と異なって、匿名卑怯者文化が一部に根強く存在しています。
 荒らしと呼ばれる人達の一部は、匿名で群れつつ現実に犯罪を行い、有名どころでハセカラ騒動と称される殺害予告事件や、スマイリーキクチさんへの脅迫事件など起こしつつ、匿名卑怯者文化を形成してきました。最近の知見ではサイコパスと呼ばれる良心の欠如した人や、サディストが多いとされています。
 日本人の多数の人は脳内のセロトニン・トランスポーターという部位が遺伝的に少なく、およそ世界一不安を感じやすいと考えられています。もし実名で矢面に立つのを怖がったり、多数派に同調するのを仮初の安心を得る方法としている人が多いのなら、日本の匿名卑怯者文化は科学的にも分析できそうです。
 そして日本人の多数派が、遺伝的な不安感など何らかの理由で、インターネット上で匿名卑怯者文化に属したり、他の人類全般と違って少なくとも実名で堂々と活動するのを怖がったり嫌がったりしている為、ネオさんの主義である仮名例外者文化の擁護に身を隠してしまうとしたら、これもまた卑怯でしょう。
 匿名卑怯者文化を仮名例外者文化と意図的に混同させるのは、確かに部分的に重なる場合はあるにせよ、現状の分析というより信者同調目的に見えてしまいますし、宜しくないと思います。現実に日本ネット文化独特な匿名の悪用で、多くの犯罪が社会問題化している現在、ネット倫理を退廃させるからです。
 人は強弱や多寡を、善悪と混同している場合があります。殊更日本人には不安感が強い遺伝子をもっていることからか群れの多数派につき、弱い立場の少数者がどれほど善良であっても集団虐待してしまう、いじめという現象があります。YouTuberらインフルエンサー信者ビジネスは同じ構造を悪用し兼ねない。
 確かに顔を知られると、ナルシシスト以外には余りうれしくはないのが私も含むシャイな日本人だと思うのですが、フェイスブックが世界の人々が最もよくアクセスするSNSで、ユーザー数は22億人以上(日本人全員の17倍以上)おり、どちらかといえば顔を隠すメリットが分からないのが人類のようです。
 裏を返せば、日本人は恥ずかしがり屋すぎ、また自分をオープンにするのを怖がりすぎており、同時にインターネット文化がガラパゴス化していて、いつどこで誰が個人情報を悪用するか分からないといった野蛮な状態にあるのも、顔を出したがらない原因だと思います。「有名税」という俗語がありますよね。
 言論の自由に表裏一体に伴う責任追及の可能性が、匿名だと担保されず、仮名だと部分的に弱められる、ということだと思います。またデカルト、スピノザ、ルソーのよう言論の自由という基本的人権が確立されていなかった時代、国での言論活動は、平成日本の状況と必ずしも同じものではないと思います。
 自由と責任が一体不可分であるべきだ、という他者への名誉毀損等を禁じる刑法的な考え方が、匿名・仮名の潜在的な責任回避可能性への嫌悪感には潜んでいるのですが、ネオさんはこの観点に気づいていらっしゃらないか、否定されているように見えます。実名の個人特定可能性に話がすりかえられている。
 思うに、まあこれは全くの勘違いかもしれませんが、ネオ氏の視聴者の方々の一般世論は、無名または仮名で活動するのをよしとする空気になっているため、糸崎氏らソクラテスを模範とする実名高潔者文化の擁護者を否定する方になびいているようにみえます。
 ネオ氏は仮名例外者文化(何らかの理由で仮名を用いる)に自らの活動が属することから、この自文化中心主義に陥っているとも見受けられる。しかし匿名卑怯者文化(名誉毀損罪など悪事をする為に匿名を使う)の所属者や、実名高潔者文化の所属者もいれば、行き来もあるので、もしそうなら残念な話です。
 あなたの仰るとおり、著作物において実名で危険に陥ったり(小保方論文)、匿名で世界を変えたり(サトシナカモト論文)、色々な場合がありますし、日本の著作権法は実名・仮名・匿名が任意になっています。したがって匿名が無責任というのは絶対的な前提ではありません。単に文化的一般論なのです。
 日本の刑法では他者への名誉毀損に該当する言論には、自由に一部制限がかけられていますね。ところが、個人特定が不可能か、しづらい状況下では、警察が訴訟手続きを面倒がって行わない誘因があり、民事裁判も費用がかかるので、事実上は匿名の方が他者の人格を損なう言論がしやすいのが現状でしょう。
 著作物の発表に際し個人特定による責任追及の可能性が非常に低い条件が匿名であり、仮名はこれに次ぎ、実名は又それに次ぎ、あらゆる個人情報を公開している場合が最後にくる。個人特定可能性が言論の責任性と正相関するというのは、一般論で例外を含むでしょう。また個人特定可能性は、信頼性や質と正相関しないでしょう。
 ちなみに私は実名も仮名も匿名も使い分けますし、特にどれかにこだわるつもりもなければ別にどれを使ってもその人の自由だとおもいますよ。
(以下はツイッター上で山中哲人氏からの返信(返信1返信2)への再返信)
 勿論、私は誰のことも頭ごなしに否定していません。私は言論活動に際し、実名・匿名・仮名に伴う諸々の現象について一般論をしているまでです。誰のことを指しているでもないのです。
 実名・匿名・仮名それぞれの特徴について、色々な意見があるため、それぞれの人は自由に意見を述べていれば宜しく、それぞれの意見についてもまた別の意見があるということでしょう? 私は全宇宙の誰であれ名誉毀損しませんし、全宇宙の全ての生命は幸あれと願うものですよ。
 山中さんはなぜ私がネオさんという方を責めているかのように、思い込んでらっしゃるのですか? 私はそのネオさんという人について、ライムライン上にでてきてつい先日知りましたし、特に何も知らない。当然、非難するわけも人格否定するわけもありません。言論の自由を一般化し分類しているだけです。
 私は全人類の誰であれその人の人格の尊厳や、名誉を守りたいと思うし、その点は山中さんは勿論、ネオさんという方についても同じです。単に実名・匿名・仮名が今日の言論活動の中でどのような意味をもっているかに興味があって、この話に加わってみただけなので。私はネオさんについては何も知らない。
 思うに、私は「著作物を発表する際の、実名・匿名・仮名の意味」について、発言者が誰かを問わず色々な意見を検討しているだけなのですが、山中さんは「ネオ高等遊民@哲学系YouTuberさんの人格的擁護」をなさっている。私のメタ言論的意図についてご理解くださいね。私は全人格を尊重するものです。
 山中さん、私はツイッターでなんとなくタイムラインを眺めていたら、ソクラテスの記述が流れてきてどれどれと読んでここにたどり着いた。それでお話の関係者の方々についてはほぼ何も知らないし、勿論、誰のお人柄やご活動を否定するつもりもないのです。言論の自由の構造に興味があるだけなんです。
 この場合、「言論の自由における実名・匿名・仮名の構造」といったメタ言論「のみ」を意図しているのは、私一人で、ほかのかたがたは人格であるとか活動の尊厳といった別の話題を含んでお話されてるのかもしれない。私は善良な一市民でありたいだけなので、係争を避ける為ここで退出します。
 申し上げたいことをできるだけ簡約化したつもりなのですが、返信欄が長くなってしまったことにお詫び申し上げて、失礼いたします。また、ご迷惑でしたら私や私の申し上げたことについては忘れてください。

意識は質感の束

もぎけんTV「人工知能の環境認知的晴れやかさと意識との無関係」に宛てて)
今の人工知能が処理できている情報は、意識が処理している現実の情報のごく一部をひきだしたものでしかないので、実質的に意識そのものと関係ないという意味だと思いますが、おそらく環境と意識の結節点たるところの脳が臨場感として覚えてるのが質感なんでしょうね。意識は質感の束なんでしょう。

意識は一つのみという茂木健一郎氏の仮説に向けて

もぎけんTV「意識はひとつしかない」に宛てて)
似たような主張はユングの集合的無意識や、カントらの共通感覚というのがあったけど、集合無意識は原始的な脳の共通性だから実在するとしても、共通感覚の方は全体主義の前提となって或る常識をおしつける手段になりかねないので危険だ。意識は一つってのもある意識のおしつけになるから倫理的に危険。
 意識は脳の可塑性の中で個人経験的に得られるものだから、それを連続体として共通感覚みたいに扱うのは、どう見ても論理的に飛躍しすぎでしょ。どちらかといえば意識の一部が他人と類似なことは、個人経験間の類似性によるので、多少なりとも共通した部分があるのも文化的類似の影響でしかない。

芸術と哲学の狭義・広義の定義について

私も絵を描いたり、美術を中心に創作活動を高校の頃から続けてきたんですが、今の私の意見では、芸術はある思想を表現する形であり、哲学は特に形にこだわらず思想を探求する活動をいうと思います。広義では芸術もある形の中で思想を探求するので、哲学(知恵の友愛)に入るかもしれません。
 アリストテレスは形相(エイドス)という言い方で、プラトンのいうイデア(いわば理想)が物の形から離れて存在するわけではない、という考えを展開していました。したがって芸術作品はその形相を意味している時、思想のある表現形態といえるでしょう。一般に哲学書とされるものは散文文学の形相です。
 もし形相論の立場をとると、哲学(知恵を友愛する事)は何らかの芸術から離れて探求できない、ということもできます。会話は対話術の、口頭での主張や講義は演説術の、著作は文章術の形相をとりますよね。このため哲学が幹、芸術が枝葉と糸崎氏が仰るのは、プラトン流のイデア論の立場ではないですか。
 もう一つ思ったに、イマニュエル・カントは『純粋理性批判』865,866で「哲学は決して学べない。哲学史を学べるにすぎず、理性に関し精々、知恵を友愛する事を学べるだけ」といっています。これは芸術についてもいえて、芸術史は学べるが芸術作品の独創的な作り方は学べないわけです。
 私の考えでは、哲学とこれまで呼ばれてきた活動は、自然哲学(今日の自然科学)も含め文章に著される限り散文文学の一種です。哲学という語の起源は知恵を友愛するというギリシア語で最初は対話術が主でしたが、その他の口語による思想表現も、芸術の一部です。つまり哲学と芸術は同じ活動の別名です。
 最初に述べたこととあわせると、ごく大まかに哲学は内容を、芸術は形式を重視する一つの表現活動だといえます。形相論の立場から芸術と哲学が同じものであるからには、重要なのはその表現活動の質で、呼び方ではないのだろうと思います。
 最初に述べた芸術は思想表現の形で、哲学は思想の探求活動を指すという定義を狭義とすると、一般にはこちらが使われていると思います。哲学が主に散文体の文学や口述で表現される対話・演説術であることを鑑み、形相論の立場をより広義のものとすると、2つの言葉の意味はよりはっきりすると思います。

歴史の偶有性について

歴史は法則的展開(人権の発達や国連の構想など社会学的なもの、科学知識や技術的発展など自然学的なもの)も非法則的展開(自然災害など偶然の事象)も含んでいるので、偶有的なものではあるが、全てが完全に無秩序によっているとはいえない。

日本の特殊な匿名卑怯者文化の改善について

(ツイッター上でのネオ高等遊民@哲学youtuber氏糸崎公朗氏の間での顔出しやソクラテスをめぐるやりとり(やりとり1やりとり2やりとり3)に宛てて)
私も議論は好きではない(学ぶ事が少ない上に論争を目的化している人がいる)ので、誰かとこの話について長い間話すつもりはない(もう終えたい)のですが、匿名の卑怯さは古典になっている作者が多数いても変わらないでしょう。卑怯ではない種類も、偉大な種類も、色々な匿名性があるとは思いますが。
 私はたまたまタイムラインにどっかから糸崎氏のツイートが流れてきて、ソクラテスの偉大さに感動した事が書かれていて、確かに匿名で悪行する2chねらー的日本人の正反対の態度だし、ニートが差別的扱いなのはそういうことがあるんだろうなと。侍も無為徒食だったが貴族的なので尊敬されていたのでね。
 ツイッターでの発言もコンテンツでしょう。糸崎さんは実名で顔出しなので命かかってるでしょう。そして誰のどのような発言であれどんな作品であれ誰も賞賛させる義務なんてないでしょう。なぜなら感動は鑑賞者の主観に依存しているからです。例えば三島の切腹は命がけですが私は呆れても感動しません。
 ここで問題になっているのはコンテンツの質ではなく、「匿名性」に伴う、個人特定の不可能さであって、それが貴族的ではないという指摘です。作品の気概や、主観的な感動をもちだすのは、おそらく論理のすり替えに該当します。
 ネオ氏も含め、匿名・筆名・ニックネームなどで自己表現をすることは私もありますし、誰もにあると思います。ネオ氏が今後もその筆名で活動される事もだれも非難しないでしょう。糸崎氏のその後のご発言からも、ここで問題とされているのはその様な個人攻撃とか、個人的係争では全然ないと思います。
 思うにソクラテスの時点では、哲学者という職名はなかったんじゃないですか。彼が始祖とされているでしょう。プラトン『ソクラテスの弁明』によると、ソクラテスは巫女に「ソクラテス以上の賢者はいない」といわれた。彼は自分が無知と知っているからだと考えた。彼のその後の生き方が哲学の始まりで。
(タレスが哲学の祖といわれていると教科書に書かれているのを再確認したが、彼は万物の根源を水と考え、雑多な万物を一つの根源的で本質的なもので説明しようとした最初の人というのがその理由になっている。これは自然哲学なので、今日でいう狭義の科学といえる。パルメニデスは理性のみが真理の判断の基準と考えていたので形而上学的な思考の萌芽ではあったと思う。しかし彼は形而下のもの、物理的なものに思考を限局したので、最初の物理学者というべきだ。以上も以下も自分の意見だが、その後、教科書的にはプロタゴラスという相対主義の思想家やゴルギアスという懐疑論のソフィストらが現れたが、無知の知の論理によって徳という純粋に形而上学的・後自然的な概念を最初にみいだしたのはソクラテスだと私は考える。このため、狭義の哲学の始祖は彼である。
 私の持っている教科書(参考書)を記述した藤田正勝と私の意見は、言葉の詳細な定義が異なるため少し違うが、少なくとも私の中で、次のことが結論だ。
 知られている限りタレスは自然哲学、今日の自然科学の始祖であり、パルメニデスは物理学の始祖、プロタゴラスやゴルギアスらソフィストは形而上学の端緒であり、ソクラテスは哲学の始祖である。ここでソクラテスにおける哲学とは、自然学の一切を要素として含みながらも、それを超えて徳を求める純粋に形而上学的なもの、すなわち倫理哲学である)
 匿名や偽名、その他どのような名義であれ、私は糸崎氏が後に言い直されたのと同じく、その人の自由であって他人には指定できないし、言論その他の活動をする上でも、いずれでもよいと思いますよ。書籍その他の著作物の信頼性についても同じです。ネオ氏も当然何も非難される事はないと思います。
 ただ、ここで問題になっている(当初なっていたが両氏が素通りしてしまいそうだったので私が再び持ち上げた)のは、ある種の匿名性に伴う卑怯さです。全ての匿名性が卑怯なのではありません。匿名で寄付や慈善活動をしたり、偉大な著作をするのは立派な匿名性です。匿名で悪事するタイプの卑怯さです。
 両氏はそうではないのかもしれませんが、私は匿名で卑怯な悪行三昧をする日本人達を、インターネットの長い歴史の中で何度もみてきて、その人達の陰険で地獄に堕ちるべき卑賤さというのを重々知っています。ネオ氏はそういう人物ではないでしょう。寧ろ大いに賞賛されうる匿名者の系譜に入りましょう。
 ソクラテスが誇り高く生きたのは、職業名によるプライドでは全然なく、単に彼が高潔な人物だったからだろうと私は思います。ただ自由市民が奴隷に対してある種のプライドを持っていただろうことは、これは我々は同じ感情を得るのは難しいにせよ、当時のプラトンらの記述では確かそうですね。
 100%悪意からの匿名性、この世で想像できる限り最も卑怯、といった類の匿名性は、確かにあります。しかも日本人の一定の人達が、サイコパスでもなく、因果応報で罰されないだろうという憶測の元、匿名で卑怯な振る舞いをしています。私はこれは日本国で最大の汚点であり、重大な問題だと思います。
 自由人が貴族として尊敬されるためには誇り高い精神、分けても諸々の知識の中でも最も総合的な、後自然学の最後にして最高の知恵であるところの倫理が必要です。ソクラテスが刑死を選んだのはその様な自己の良心へ絶対に従う為であり、彼は逃げられたのに逃げなかったんですね。武士が切腹するように。
「匿名YouTuberが卑怯であるか否か?」これについて考えるのは私の仕事ではないと思いますが、というのもつまらぬ論争や、他人との係争に巻き込まれ時を浪費したくないからですが、必要があるなら今後皆さんが考えていただきたい。実名で卑怯な人も匿名で高潔な人もいます。ネオ氏は後者でしょう。
 哲学界は一般には実名顔出し、色々な思想家が出自を明らかにした上で議論してきているので、どちらかといえば匿名性が特殊だろうと思います。したがって実名顔出しの哲学に誰も見向きもしないということは全然ないですよ。動画投稿のハードルについては、私も恥ずかしがり屋なので、意味はわかります。
 なお私はYouTube上に何らかの哲学を語る動画を投稿するにあたって実名顔出しを義務づけるべきだとは全然思っていません。むしろ匿名であれ顔なしであれ誰がなにを言っていようがどうでもいいと思っています。ただ言論含む自由には責任を伴うというのが法的な真実であり、匿名の悪事は有害だと思う。
 ネオ氏の匿名・筆名について私はどうとも思っていません。ネオ氏のことではなく、匿名性に含まれる問題点は、責任追及が不可能な立場からあらゆる悪意ある振る舞いをする、自由の乱用なのです。例えば、ツイッター匿名アカウントが違法な誹謗をくり返している様なことを指しています。
 名誉毀損罪や侮辱罪という刑法は、個人特定が可能な条件であるほど抑止力があります。現行犯逮捕ができる状況で、実名+顔出しで犯行すればすぐに捕まります。匿名+顔隠しはこれらの犯罪をしても逮捕までに時間がかかる為、しばしばインターネット上の犯罪者らの責任回避に使われているんですね。
 著作物の発表に実名や顔出しを義務づける法律はありません。ネオ氏が匿名・筆名なのでソクラテスに比べて卑怯かどうか。私はネオ氏について詳しくないので判断はつきません。私が問題視し、世界から一刻も早く、できるだけ除去したいのは匿名を隠れ蓑に蛮行を続ける一部の日本人達のその悪癖です。
 過去には色々な思想家が、筆名や匿名で様々な著書をしてきました。ある時代には言論の自由といった基本的人権そのものもなく、絶対王政や古い迷信が支配していて、従来と違う意見(しかもより善く正しい意見)を表明しただけで死刑になる事もありました。例えばこれと匿名の悪人を混同はできません。
 ソクラテスは糸崎氏がご指摘されていたよう、彼の良心の声に従う高潔さにおいて匿名・筆名などを使って責任回避や照れ隠ししていたわけではなく、寧ろ進んで矢面に立って、ソフィストの詭弁が跋扈するアテナイの知的腐敗と戦い、死刑になった。多分ですが、ネオ氏は彼を模範にはしていないのでしょう。
 日本国の外では、ネット上であれ、フェイスブックのよう実名で責任を進んで引き受けてやり取りする方が普通であり、日本国内のネット文化が2ch(5ch)という匿名掲示板の影響を受けてなのでしょうが、特殊化している。それもおもに悪い方に特殊化していて、匿名で悪事する。卑怯者の文化なのです。
 かつて武士という貴族がいた時代、ソクラテスのよう自ら名乗って戦ったり、交流するという文化が日本国内でも散見されたこともありました。「貴様何者だ、名を名乗れ」などと時代劇でもいっていますよね。これは平成日本における2ch(5ch)的卑怯者文化の真逆である、というのがここでの論点です。
 私は匿名卑怯者文化をまったく変えないと、それが伝統化してしまって、被害を受ける後世の日本人は平成に生きていた人達を怨む結果になると思います。このため、高潔な自由人たる人であれば、匿名を選ぶには十分な理由が必要です。例えばねたまれないため隠れて善行をしたい、というようなね。
 私はネオ氏については殆ど知らなくて、つい先日たまたまライムラインで見かけただけでまだ1つか2つしか動画もみておらずブログも少し見てみただけなので、今のところ匿名卑怯者文化の人物か、それ以外の何者かまったく判断できません。匿名・筆名でも高潔な人がいるでしょうからね。
 言論の自由が保障されている現代日本の知的空間で、敢えて匿名を使う理由は私にはみあたらないし、追及されるといささか都合の悪い表現活動をする時(落書きという違法行為をするバンクシーとか、性表現を扱う同人誌作家)くらいしか思いつかない。が現にネオ氏がいるから他にも理由はあるんでしょう。
 もし高潔な匿名者がいたとしても、匿名卑怯者文化を徹底的に改善する必要がある、二度と匿名加害者による犯罪を起こしてはならないというのはその被害者達にとって大きな課題なので、匿名での言論著作活動全般がその種の匿名卑怯者文化を増長させる側面があると指摘するのは決して無益ではないだろう。

About egoism walls

(To an ironical Tweet of Richard Dawkins about President Trump making wall)
Mexico wall, Dover strait, both is a prison wall of egoism. Human makes walls for homeostasis, but it will be impossible on the world economy at end. I can say all conservatism is mischievous.

匿名性について

自由人が匿名性を使う場合、それがある種の極端な善行(例えば大金の寄付や、人の命を救うという次元の無償の自己犠牲行為)に伴う他者からの無用な妬み、又は助けられなかった他者からの怨みを回避する為だった時を除いて、その誇りに一定の傷をつけるというのは大よそ真実だろう。衆愚やサイコパス、皇族の様な有名人、又ある種の成金などがこれと正反対の蛮行、即ち悪行に匿名を使うか、まれにする偽善行為(一見して善行に見えるが目的が利己心にある行為)で大仰に自己宣伝する場面を見るにつけ、確かに自由な状態での名乗りには重要な意味がある。
 通常の善行、つまり特に他者からの注意を引く事もない中庸程度の善行については、匿名が意味を持つとはいえない。したがって匿名の人物はその行いが極端な善行である場合を除き自由を濫用しているのであり、通常の場面で個人特定されるのを防ぐ様な事、いいかえれば名を隠さねばならない様な事は誰であれするべきではないのだから、実名の掲示が不可能である場合以外では基本的に実名を公開しておくべきだろう。
 一方誰であれ私事という領域があり、特に性にまつわる場面で全てを公衆の目に触れさせるのが品位の面でふさわしいとは考えられていないし、実際に犯罪化されている(公然猥褻罪等)。公共に影響を与え、しかもそれが私事に属するものでなければ、まず実名性やそれに類した個人特定可能性が有徳といえるのだろう。
 偽名・筆名などニックネームが推奨されているSNSは基本的にその規則や文化に合わせるべきではあるだろうが、そもそも半匿名性を好んで使う人々は多少ともあれ名を知られたら困るような悪行をする目的でそうしているのであり、その集まりが極端な善行のみで満たされている様なSNSがあった場合を除いて余り立派な参加先とはいえないだろう。

2019/01/28

東京圏在住・通勤者への不当競争助成金についての批判と改善策

最初から田舎に住んでいて起業資金が足りない人(そっちの方が多い)にとっては税の払い損な上に、この制度以前に地方移住を完了させた人にとっても不公平だ。なぜ東京圏在住・通勤の人だけが起業時に税から300万も貰えて、地方の起業家よりひいきされるのか? 税は全体負担なので整合性が全然ない。
 地方移住の鼓舞として東京圏在住・通勤者に税金をやるなら東京圏から特別税を徴収し、その範囲でやるべきだ。全体負担の国税から供出したら地方人は差別を受けるだけだし、ただでさえ地方より金儲けてる東京圏在住・通勤者に給付を上積みしたら不当競争になる上、逆進課税だろう。
「移住先の都道府県が紹介する中小企業」への就業に限って助成金を税金から最大100万渡すって方も、単なる地方政府と一部企業の癒着にしか機能しないし、どちらかといえば市場での競争力に逆行して既得権を強化することになるんだから地方経済の活力を低下させる原因になるだろうに。

哲学者の責任と個人特定について

匿名は卑怯だという一般論は、高等遊民や哲学者にとっても恐らくいえるかもしれない、ということです。なぜなら発言の責任をとらなくて済むからです。責任をとるつもりでいても匿名なら逃げられるし、場合によっては発言の内容を一貫しなくてもいいからです(別アカウントを使った二重基準の発言等)。
 したがって糸崎さんがはじめに直感的(ご当人は感情的だったと申されていたようでしたが)に仰ったとおり、個人特定が可能で、ほぼ無限に責任が追及されるような条件下を進んでつくってから、哲学者は自身の見解を述べるべきなのかもしれないですね(なお私はそうは思ってないが)、ということです。
 なぜなら、それは誇り高い貴族の中でも或る意味最高の名義ともいえる哲学者という存在が、ソクラテスという偉大な先人をもっていて、彼みたいに自分の主張や生き方を通じて矢面に立つ貴族の義務を進んで果たしていてこそ与えられた尊称が哲学者というものだからでしょ(糸崎氏のはじめの趣旨では)。
 因みに、私個人は匿名・偽名・筆名・実名・顔出し・顔隠しだろうとなんだろうと哲学は哲学だと思うし、貴族の義務を果たそうと果たすまいと哲学者も高等遊民もいるだろうと思うので、糸崎氏のはじめの立場には全然立っていないが。ただ彼のはじめの主張の一部が、確かに正しいかもしれないと思います。

2019年1月28日の安倍晋三氏の所信演説中に語られた雄々しさついて

良心を持つ日本国民と安倍晋三氏との権力闘争を(女性やその他のジェンダーも含めて)今こそ雄々しくやるべきでしょう。

安倍晋三氏の精神病質について

サイコパスは嘘をつくことに罪悪感はないし、そもそも良心を感じる能力が欠如している。安倍晋三さんがサイコパスだということはもはや誰も疑う余地はないでしょう。嘘をつかないで下さいとか、良心を感じてくださいといっても、サイコパスの脳はその部分が盲点となっているので、それが遺伝子に由来する場合は今のところ後天的に遺伝子自体を変えるすべはないので永遠に不可能です(但し原因が環境要因なら、将来何らかの治療によって矯正の可能性がある。後述)。
 サイコパス(精神病質)性自体が問題というより、その様な脳をもっている明らかな危険人物を首相に選んでしまう自民党員や、山口県第4区の日本国民が問題だといえます。サイコパス性は遺伝する場合もあるようです。安倍さんを責めても彼の脳が嘘に罪悪感を覚えたり、良心の呵責を感じるのは難しい。
 状況がそうさせている面もありますが、サイコパス度が極めて高い安倍さんが首相を続けてしまうのがわかっていながら、自民党に票を投じている一部の日本国民は、自分で自分の首を絞めているのです。代替党首のサイコパス度が低ければ、少なくとも嘘を平然とついたり、良心の欠如した政治はないのです。
 サイコパスの脳が嘘の罪悪感や良心を感じることが「永遠に」不可能と書きましたが、より正確には、それらの精神病質の原因となっている要素が遺伝子ではなく環境要因であった場合には、この部分に「但し原因が環境要因なら、将来何らかの治療によって矯正の可能性がある」と付け加えられると思います。
 安倍さんについては幼児の頃から慢性的な嘘つきでやってきたという記録があり(『安倍晋三 沈黙の仮面』野上忠興2015年。安倍氏の乳母・久保ウメさんが語った逸話等)、彼の精神病質は遺伝要因が大きいのではないかと推測される。今後、精神科医と矯正すれば嘘の罪悪感を覚える可能性はわずかにある。

脱安倍共産経済について

安倍さんに計画経済の不可能さなんて高度な経済学は、多分理解できないでしょう。そこは期待するだけ無駄です。麻生さんにも無理でしょう。政権交代前は、安倍内閣に知恵を吹き込む財務官僚、日銀総裁らを説教すべきですね。
 自民党議員も安倍・麻生両氏に計画経済NGと教える能力も胆力もないでしょうから、どうせ相手にならないでしょ。結局、自民党議員と国会で話すだけ無駄なんじゃないか。自民に安倍共産経済の血迷い方を理解する能力なんて先ずないし、あっても安倍・麻生両氏を説得したり下克上起こす能力ないんだから。
 少なくとも将来の布石として、石破派や小泉進次郎氏を主として反細田派・反麻生派の自民議員に脱安倍共産経済を説いておくのが、現状、国会での経済政策の議論の意味でしょう。ほぼ全く改革の効果は期待できないし焼け石に水だが。

田園都市

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野党の大同団結について

大同小異あるいは、大同団結という言葉の意味によれば、政治思想のつまらぬ小異にこだわらず、明々白々な大悪党の安倍自民党を全野党が結集して打倒するのが筋でしょう? 木を見て森を見ずで、つまらぬ重箱の隅をいつまでもつついていても、大悪党の大悪政があなた自身を日々滅ぼしていきますよ。
 目の前で大悪党があなたに致命的な違憲立法・不正行政を連発してるのに、細かい違いにこだわって正義の第二党に結集できなかったら、あなた自身が敗れていくんですよ。
 日本国民全般というものが相当のばかで、安倍独裁政権の暴走という致命的な危機のさなかにあって大同団結できず、そのままどうでもいいような揚げ足取りで少数野党の力を更に弱めるような足の引っ張り合いを演じ、国ごと亡びたとして、あなたがその様な愚行を現にしたのだからあなたが責任者でしょう。
 心の狭い人間がどうでもいいような細事で弱い者いじめし、強大な独裁者の暴走を間接的に放置することで日本国ごと滅亡してしまいましたと。世界史の中にはそんなこともあるでしょう。無資産の議員が失職の恐怖から保身に走った、無職になればよかったみたいにいっているが、そんなのあなたにできるの?
 もっと詳細に分析してみましょう。前原誠司さんが民主党代表として小池百合子さんの希望の党に合流を図ったときがありました。第48回衆議選です。がこのとき前原さんはやはり今と同じ事態を憂慮していた。暴走し悪政中の安倍政権を打破するべく、最大の第二党を結党しようと大同団結を選んだわけです。
 どちらかというとこのとき、政局としての要点を理解できなかった人達、いいかえれば「先ず悪しき独裁政権を打破してから」、「次に政権与党となってのちに」それぞれの政治的理念を主張しあう、という二段階の手順を理解できなかった人達が民主党内にいたわけです。大同第一・議論第二という手順です。
 朝三暮四と同程度の話なので、さすがに民主党議員の中にこれが分からない人はいなかったらしく、希望の党に集まろうとしたのですが、小池さんは一計を講じて排除リストなる物をつくり、恐らくある程度恣意的な選別ですが、一部の民主議員を希望の党に所属させませんでした。大同を乱したのはこれです。
 小池さんがなぜこの様な奸計を用いたか定かではありませんが、彼女は旧自民党の議員であり、当時「(リベラル派は)排除します」と発言をしていたことから、希望の党が最大議席を獲得し政権与党になる可能性より、自身の非寛容な政治思想と希望の党内での独裁権力を優先しました。
 小池さんが合流議員の一部に排除をたくらんだため、大同団結できず、結果として希望の党に入れなかった民主党議員らは分裂してしまいました。否応なくそれぞれ立憲民主党、国民民主党などを結成し、参院のみ民主党が残りました。それは民主党議員が大同団結を理解していなかったからではないでしょう。
 結局のところ、野党分裂状態と、第二党の党勢鈍化をひきおこした原因は、小池百合子さんの奸計が大同団結を破壊したからだというのが正しい認識です。国民民主党の議員が大同団結の意義を理解していなかったからでは当然ありません。寧ろ二大政党制の意味が分かっていないのはあなたのような民衆です。
 小池百合子さんの第二党を弱体化した利己的政略(議員の非寛容な排除)は、国会議員政党としての希望の党のその後の趨勢から敗れましたし、民主党から大同団結を選び希望の党、国民民主党へと所属が移行した議員らは決して惨めだったわけでも思想信条を捨てたわけでもない。単にあなたが無知なんです。
 第48回衆院選からこれまでの日本政界に起きたことに対する、客観的な分析から結論を申し上げますと、あなたの仰る国民民主党が、かつて第二党を便宜的に大団結しようとしたのは、現状も変わらぬ安倍政権の独裁がもたらした負の結果を防げていただろう為、まことに正義の行いだったといえるでしょうね。
 一体なにが安倍政権の独裁体制を手助けしたかといえば、それは小池さんの排除政略ですよ。もし前原さんの大同団結政策が日本国自体を救済する意図をもっていた、いわば国民の命を握る最重要な王手だったと小池さんに理解できていたら、第48回衆院選で国会は大幅に自公の蛮行を防止する方に動いていた。
 大同団結し政権交代を実現してから、そこでさまざまな思想をもった非自民党を中心とする議員らが、自民党議員を含むお互いの意見のよりよい点を立法に反映し、本来の「国会」を開く。これが当たり前の先進国のあり方でしょう。正直、自公議員は幼稚なんです。国会を寡頭政オセロの場だと思ってんです。
 自公議員が国会は相手の意見を尊重し、少数政党すなわち国民の中の少数派の意見からよりよいものをすくいあげ、立法に反映させていくための場だと、先進国で通常の政治的知能をもちあわせていれば、とっくにこんな子供じみた説教をする必要はない。ただそんな自公に議員を任せている日本国民も愚かだ。
 なお「寡頭政オセロ」とは、短い文字数制限の中で、多数派の専横をゲーム的な目的とするような自公議員の歪んだ国会理解への皮肉を目的にした表現であり、オセロという競技が幼稚という意味ではない。
「無資産の議員が失職の恐怖から保身に走り易い」という話ですが、これはなぜ参院(旧貴族院、資産家らの上院)が用意されているかの本来の理由です。衆院(庶民院、資産の少ない議員からなる下院)とすみわけることで、大局的な法の番人をする目的の議会です。参院は無給とし資産家を選別しましょう。

脳の違いに基づくいいね文化といけず文化への適応について

茂木健一郎LINEブログ、「脳なんでも相談室」782回にあてた返信)
日本生物学的精神医学会誌22巻1号『妬みと他人の不幸を喜ぶ感情の神経基盤』高橋英彦、2011年によると、脳内の背側前部帯状回が妬みを苦痛として感じさせ、その活動性に正相関し腹側線条体が他人の不幸に報酬系として反応するので、katakataさんの会社の人の脳は通常です。
 
なぜ人は他人の幸せを素直に喜べず、自分も幸せになれるよう努力できないかという疑問には幾つも主観的な回答があるとは思いますが、リチャード・ドーキンスのよう遺伝子が利己的であると仮定すれば、競争意識の為でしょう。共感や利他性は、脳の原始的な利己性を抑制し、向社会的人格を演じさせる。
 利他的な向社会的人格が、いわば無意識や本能を抑圧して表現している、しばしば自分自身をも偽っている対人的作り物だとすれば、katakana氏の属する「高学歴な人達」茂木氏のいう「会社の文化」の評価として、寧ろ本音を素直に語ってくれている、心を開いてくれているという意味ではよい集団でしょう(一般的な意味では性格が悪い集団だが)。
 茂木氏はkatakata氏が所属する、本音をいいあう社内の高学歴者達の会社文化を、より利他性の高いものへkatakata氏が影響源となって変えていくようこのブログ記事で推奨されてますが、脳科学的にいうと、実現すれば本音を抑圧し偽りの賞賛を送りあう文化になり、恐らく却って息苦しくなるかもしれない。
 katakata氏の記述からkatakata氏が当該社員らより相対的低学歴と推測できるので、実際にはかなりの確率で高学歴者らが虚栄心や誇りから、その種の賞賛文化を拒否して文化改造は実現しないと思う。郷に入れば郷に従えという逆の立場からも、インスタ映えフェイスブックいいね文化式の偽善を知るべきだ。
 妬みや痛快(ここではSchadenfreudeの和訳)を感じる脳部位(背側前部帯状回や腹側線条体)の反応性には個人差があるので、単純にkatakata氏の属する社員達はその反応性が強い集団なのだろう。文化以前に脳反応の違いであり、遺伝的要素があるかもしれない。ここでは遺伝子まで変えられないので抵抗するだけ無駄という場合もある。
 京都市上京区界隈のいけず文化が有名だが、文化としての妬みや痛快はその背後に、背側前部帯状回や腹側線条体が高反応な脳を遺伝した人達を持っている可能性があり、後天的文化が当部位を鍛える場合もある。単に文化で片付けると脳遺伝子が違う人を無視する結果になり危険だ。
 背側前部帯状回や腹側線条体が低反応な脳の遺伝子を持ち、あるいはそれらの遺伝的反応性に関わらず性格の面で利他的な人が集まった文化をつくるというのは、それらが高反応な人を自然に排除するか周縁化し、下手すると逆に抑圧する組織をも意味する。茂木さんはこれが自文化中心主義だと思いませんか?
 私は上記の考察、即ちkatakata氏が妬み深い社員との習性の差は脳の違いが大きく、いいね文化への改造は必ずしも現実的でなく部分的成功になる可能性が随分ある上、いけず文化が快適な脳の人もいることから、文化改造の抵抗が大きそうならさっさと別組織と親しむかどうしても不快なら転職すべきと思う。

高等遊民の義務について

ネオ高等遊民氏に対する糸崎公朗氏のツイートに宛てた返信集)
匿名性が追及可能な発言の信頼性を損なう、という意味で、糸崎氏の批評は有効な主張だと思う。ここで問題を匿名・実名に伴う追及可能性から、多様性にすりかえて議論から撤退してしまうと、匿名が哲学する者自身の信頼性を損なう側面がおそらくあるというそもそもの指摘が未解決のままにとどまるかも。
 筆名(その他の仮の名)と、匿名、実名はそれぞれ異なる要素があるのだから、最初に顔の隠蔽や匿名が、哲学する者個人の主張の信頼性を損なうという意味で指摘されていたこととは別の議論なのではないか。
 ソクラテスら自由市民は哲学者が個人として矢面に立つことを前提にしていたとはいえ、現代の言論メディア環境がその種の自由な発言に伴う責任を、匿名、偽名・筆名、顔隠しなどで部分的に回避可能にしているという状態が、個人の信頼性や自由自体に与えている卑怯さは見逃しにできないのではないか?
 一般に「匿名は卑怯だ」と言う実名ツイッタラーが、荒らしその他の投稿(俗にクソリプ、糞のような返信)に向けている軽蔑と、最初に糸崎氏によって主張されていた自由に伴わねばならない責任の指摘は同じものではないか? 言論の自由と、個人が発言を追及されるという責任は表裏一体であるべきか。
 実名と顔を現すという要素が、個人特定可能につながる可能性が高い為、自由な発言にとって前提的な責任を増すだろう、という意味で、糸崎氏がネオ氏の発言に伴う責任回避につながる要素を鋭く指摘していたわけでしょう? 筆名が個人特定可能性に伴う責任を実名+顔出しより弱めるのは事実では?
 匿名その他の個人特定不可能性を悪用し、無責任な発言をしている人の場合(それがネオ氏ではないにせよ、筆名+顔隠しという要素として潜在的にそうなりうる)、そもそも議論しても詭弁的又は矛盾した主張をしたまま逃亡するかもしれないので、論理に基づく個人対個人の建設的な議論はできないのでは。
 ネオ氏が筆名+顔隠しの哲学者である事は、ネオ氏の言論に伴う責任を個人特定の回避性によって弱めているし、かつ各々の言論については実人格との使い分け等によって矛盾可能になるので、論理的議論が不可能になる懸念がある。
 自由な言論が、矛盾や追及不可能性を含み無責任に行われてよい、という立場でない限り、匿名・筆名者は少なくとも当該人格の一貫性(断りなき限り、つながりのある各論理的言論の無矛盾性)や、責任回避を目的にした詭弁を弄しえないという前提条件がなければ、信頼性を一部損なうのが事実ではないか。
 実名者が紳士的対応で筆名者を人格的に尊重し、詭弁の可能性や責任の欠如に対する不信という筆名者側に人々が疑いうる無責任さを便宜的に無視したとしても、あるつながりのある主張を論理的に一貫させる動機づけの一部を欠いている、という筆名・匿名の根本的な欠陥の方は何も解決されないでしょう。
 実名者が誇り高い自由市民の系譜につながる真の高等遊民であり、いつでもあらゆる角度から矢面に立つ覚悟を常々、彼らを眺める公衆に印象づけているのに対し、匿名・筆名者はいつでも責任回避の為に逃げられて卑怯だな、というのが本当のところで、現実にそうなのではないか?
 高等遊民間のマウンティング自体は児戯に類する個人的にどうでもいいが、現代の匿名メディア環境が自ら進んで自由に伴う責任を取るという貴族の義務を弱める効果を伴っているのに無自覚なのは問題だ。勿論、その種の匿名性(広義の筆名や偽名を含む)が責任回避につながるなら自ら捨ておくべきだろう。
 善行は隠れてせよ、というよう、広義の匿名で善行をすることに矛盾はないが、責任回避可能な条件で名を隠すのは、日本でいえば武士が名乗らないのと同じくらい卑怯でしょう? だからそんな輩が自由市民の代表者たる哲学者きどりでいるのはソクラテスに対する冒涜だ、という糸崎氏の義憤はご尤もだ。
 糸崎氏は顔が実名・匿名の担保になるという立場で、少なくとも個人特定がいつでもできるという堂々たる態度を示さない哲学者なんて、高等遊民たる自由市民だのギリシアの誇り高き貴族、わけても悲劇のソクラテスにつながる系譜に属する存在だということはできません、この卑怯者めという意味でしょう?
 古代ギリシアの哲学者が自由市民で貴族とみなされていたことから、常に奴隷(資本主義でいえば労働者がそれでしょう)や公衆一般から模範になる存在だと目されていた。では現代のニートや高等遊民はどうなのか。匿名で貴族的だといえるのか、いつでも逃げられる責任回避の卑怯者如きが? という意味。
 糸崎氏は最初の主張をもう撤回されてしまったようだけど、筆名や偽名を含む顔隠しで匿名の高等遊民がなお貴族的であるといえるのか、という問題を考えるべき。
 現代の高等遊民は、過去の歴史の中とは違って、労働者階級によるしばしば嫉妬混じりの侮蔑的な差別に直面していて、状況が違うように感じるかもしれませんが、進んで自由の責任をとるといった貴族の義務を果たせないことなど、貴族的資格が欠如しているとみなされることにもよるのかもしれませんよ。

安倍結束主義政権の分析

別の方が「韓国と国交断絶すべきである、レーダー放射に対する反応で愛国心が試される」といったことを主張されていて、気づいたのですが、安倍政権というのは排外主義者を含む右翼全般に迎合政治をしてきたわけなんですよ。だからこの麻生ナチス発言は、右翼受けを狙っている。ジョークじゃないね。
 安倍政権は大衆迎合の潜在的範囲を右翼全体に向けているため、そこには天皇制結束主義者も、人種差別主義者も当然含まれている。対韓政策が典型的だが意図的に矛盾する主張、つまり排外的・差別的主張と、自由で寛容な実務を組み合わせている。片手では韓国軍との事故を煽り、片手では米露に売国する。
 小沢さんは自由寛容で、無矛盾かつ正直に一貫性をもって行動されていらっしゃるとおもうんで、知性の高い人からすれば信用に足ると同時に、国民の半数を占めている知性の程度からは、わかりやすい差別のような右翼受けする稚拙さが含まれていないともいえる。安倍さんは(右翼受けを狙って、立法と行政の両政府を専横する独裁政を維持した人という意味で)ヒトラーを模範にしてるのでは。
 安倍さん自身もそうだけど麻生さんのような明らかにある種の知性が劣っている人が、幼稚な世迷いごとをいってるだけに「我々には」みえるんですが、それは差別主義者からは彼らに共感できる愛国的言動に感じられる。そしてその程度の知能である日本国民が、有権者中のかなりの部分を占めている。
 結局、安倍政権というのは二重基準を狡猾に使った結束主義政権だった。大衆迎合には手段を選ばず、安倍さんのサイコパシーを乱用し口からでまかせにあらゆる甘言を使うが、真逆の行政をする。扇動された衆愚はまあナチスを信じた人達と同程度の知能なので、障害者差別に反省などしないと思います。

安倍晋三氏への忠告

私は生まれてから1度も安倍さんに共感できたためしがないんだけど、安倍さんはウソでもついてるんですか? もしそうなら、ウソつき続けるのは辛いだけなので、もうやめたほうがいいと思いますよ。あなたが首相されてる間もたったの一度も、なぜか共感できませんでしたよ。安倍さんは、ことばを心から言ってないでしょう?
 わたしは詩とか文学とか、音楽とか、なんでも感動しやすいので、本当に不思議というか、もう安倍さんも首相は随分長くされてますけれども、本当に、なぜかただの1度も、あなたの仕事をみていて共感できたためしがないんです。なにか言葉がウソのようにみえて、入り込めないんですよ。
 詩は心の声だといえると思いますが、安倍さんの言葉は、どれもなぜか心の声が聞こえてこない。安倍さんがサイコパシーをお持ちだから、なのかもしれません。非常に表面的で、お仕着せで、形式的で、本当に生きているんだという感動が無いと申しますか。
 本当は、安倍さんは長期政権もどうでもよく、単に政治家の家系に生まれて民間企業の仕事もつまらないからやむを得ず議員になっただけで、何もかも借り物で、生きている実感がないのかもしれませんね。それで見ていて感動しないんですよ。本気で生きている感じがしない。やらされている感というか。
 首相の椅子に座ると、官僚がつぎつぎ提案をもってきてそれを事務的にこなしていけばよく、かえって自分の考えを主張すると波風が立つばかりなので人形じみたものになってしまう。天皇もそうでしょう。それ生きているのに官僚に操られているのだから、死んでるようなもんですよ。無感動になるわけです。
 安倍さんはなぜ岸信介が安保法制を実行したかについても、そこまで深く考えた試しはなくて、まあ彼がCIAスパイになる事で生命保持と共に親米政権を日本につくり、いわば属国体制を完成させようとしたからなんですが、単に祖父の志を継ぐってのもお仕着せですよね。あなた自身の考えじゃないんだから。
 自主憲法って岸がいっていたのは、米軍依存を脱却して、日帝風の国にかえろうっていう終戦直後の混乱が冷めやらぬ頃の古い意識からいってたわけでしょ。トランプさんもケチなので在日米軍は撤退させたいだろうから、自衛隊単独防衛の国にはなるでしょう。が弱い国をいじめに行くのは改悪というんです。
 旧連合国だの米国だって世界中荒らしまわってた大した国でもないんだから、武力で弱い国をいじめようぜって言ってきたところで、しらねーよって断るべきでしょう? あなたがやってるのは弱い者いじめに加担するために自主憲法にしましょうっていう、卑怯者の論理です。米軍は卑怯ですよ。そうでしょ?
 弱い者いじめは絶対にしません、弱い国をいじめに海外派兵をすることは決してできぬように改憲致します、たとえ米軍に誘われてもです、といえばいいんですよ? いえないでしょ? トランプ怖いの? 私は別に怖くないけどね。誰であれ。怖いのは良心にそむく事であって。安倍さんに良心がありますか?
 クジラ食うなと、白人国家が騒いでいます。江戸時代にはイギリスの捕鯨船が大津浜に漂着してたんですがね。山口だの和歌山の二階さんの票田ですよね? 自分達の地位を確保する為に、わたしら捕鯨なんてしてない一般国民はおもいっきり被害者になってんですよ。自民党、全体の奉仕者といえるんですか?
 原発で東京はぼろ儲けしてきたでしょう。カネがほしいでしょう。けれども、福島はじめ日本各地の田舎は、どうですか。被害者でしょう。あなたは悪魔なんですか。原発で私たちをいじめて、ウッヒッヒって笑っているの夫妻とお祖母さんで? 原発のとなりに住めないでしょ? じゃあすぐにやめなさいよ。
 安倍さん、私はあなたの政治はとても長く見てきた。そしてもう大体どんな感じかわかった。そしてあなたが大して楽しくなさそうなのもよく知っている。下野した時よりましだ、という権勢欲で長期政権維持に躍起なのも知っている。祖父の幻影を追いかけ道に迷っているのも知っている。もういいでしょう?
 別にあなたがこの後、死ぬまで金正恩みたいに首相続けたところで、イエスマンにもちあげられ官僚の書いた原稿読み上げつつ、適当に保守的なこといって米国の手先やってるだけですよ? そりゃ誰でも面白くないよ。憲法なんて日本史の中でどうせ変わるから。誰がやってもいいの。名誉なんて浮雲です。
 安倍さん、わたしが本当のところをお教えしますよ。これから世界は米軍へ反旗をひるがえす流れになると思いますよ。トランプの自己中ぶりや、これまでの弱い者いじめへの反動でね。中国の力がもっと大きくなって、世界はアメリカの覇権はもう終わったって思うでしょ。親米政権も肩身が狭くなるよ。
 これからはね、多極化した世界に向かいます。米国依存の危険が大きくなって、親中グループとか、親インドのグループとか、いろいろ多極的な助け合いのネットワークができてくるでしょう。米国はケチって駐留米軍を撤退させていくのでね。印中や東南アジア、中東の発展を背景にしたアジアの時代がくる。
 あなたはトランプさんと盟友ぶってしまったので、同時に、根底に反米感情を持っているほとんどの諸外国を同時に敵に回してしまった。けれどもそれに気づいていらっしゃらない。これは長期的な日本の道にとって、かなりの損失だと私は思う。正直いって、時代の流れを読み間違えているとも思う。
 結局ね、私があなたを長い間観察してきて、ご著書もたぶん全部買って何度も読んだのですがね、あなたの考え方と政治手法ってのはおおよそ正統的ではあったんだけれども、ちょっと古くなりつつあるんだよ。日本は中国シフトに先駆けないといけないんですよ、今。それにタイミングがずれてんだよね。
 日本はアジアの時代の成長エンジンとなっている中国経済の恩恵を、最大限に吸収し、かつ利用するっていう新たな体制に向かって思いっきり飛躍的な革新を起こさないといけない状態にあるんですよ。それが現状の正しい分析だと思います。安倍さんはその世界の流れにもうついてこれてないし無理でしょう?
 私は、アベノミクスの功罪をいろいろと分析してきて、まあ特に日本企業をGPIFと日銀に実質国有化させていったのが、一番、将来に禍根を残した手だったかなと思う。株高を演出することで一時的とはいえ投資家に恩恵があったのが功績です。が、日経は経済成長に裏づけされてなかったら下がりますからね。
 安倍さんの経済政策は、企業を国有化させていったって意味で、共産経済ということなんですよ。お気づきになっていらっしゃらないと思いますけどね。で出口戦略といっているけど、売るに売れない。売ったら株価下がって混乱するから。業績がもっといい外国株にのりかえられない。日本企業が腐っていく。
 ま日本企業のETF買いを日銀がやめるにやめられないという状態で、そのままいくと旧共産主義国と同じ結果になってしまうんですね。中国は市場は自由にするってことで、市場に不干渉の自由主義経済と共産党は共存してるんで、安倍さんの共産経済の正反対なんですよ。日本経済は袋小路に入ってしまった。
 安倍さんが退陣された後で、私たちはこのどうしようもない共産経済をどう元通りの自由市場にもどすか、大変苦慮しなければいけない。私にいえるのは、善は急げというように、少なくとも日銀は日本企業の保有率を最大限下げる方向に、ETFを一刻も早く売っていくべきだということです。株価は下がるが。
 安倍さんの性格上、あなたが政権をもっている間の権勢を最大化したいでしょうから、あなたが在任中に日本企業のETFを日銀に売らせるということはしないでしょう。経団連と癒着しているので円安誘導もやめないでしょう? つまり今とおんなじということですよね。もう矢は尽きているのにです。
 なぜ企業を国有化するのが有害かというと、非効率が温存されるぬるま湯になるからです。結果的に企業の競争力、すなわち収益性はどんどん悪化していって、自由市場で勝ち残ってきた他国の会社に実力で負けていってしまうんです。だから日銀は日本企業を進んで買うべきではないんですよ。
 ま、安倍さんの性格上それができるとは私は思ってないんだが、もしあなたが勇気ある政治家であったなら、日銀に日本企業のETF売りを勧告して、株価は下がってバブル崩壊だとかいわれながらも、自由主義の政党としての王道に経済政策をひきもどしてから退陣するでしょう。それが大人の仕事なんですが。
 GPIFの株式保有の割合は、国際分散投資という基本的な理論に基づいて行われていますから、まあ日銀がやってるほど日本企業にかたよった買い方ではなく、並みの機関投資家くらいのもので、日本経済にさしたる致命傷にはならないでしょうね。そっちは放置でもいいかもしれない。共産経済的ではないので。
 官製株高は結局まやかしですから、つまり一企業の将来の収益性の伸びを予想する、という本来の投資能力からずれたところで、人為的に税金を投入して上前をはねようという邪道の投機家たちをうじゃうじゃ儲からせただけですので、中長期的にみたら、日本人の投資能力をだいぶ下げてしまったと思います。
 結局ですね、自由主義経済を標榜する政党の党首として、安倍さんは市場にできるだけ干渉しない、という王道に、今からでも全力でもどらないといけないんですよ。投資家も自由な競争が最もよく行われていて、純粋に企業の将来性を予想できる市場でこそ最もよく育つのです。
 雇用市場についても、最低賃金を労働者が文化的に生活可能な水準に保つよう、法整備するという義務は政府にあると私は思いますけれど、それをこえた賃上げとか、値下げ要求とかは、政府には企業経営能力はないのですから、やってはいけないことなんですね。需給の一致にとって有害な干渉となるのです。
 かなり長めの返信となりましたけれど、安倍さんに向けて書きました。私も一国民、一憂国者としてこの国の発展に誠心誠意つとめてきましたし、今後もそうするつもりですので、私たちの血税からなる公務員の職責、すなわち全体の奉仕者たるつとめをぜひ最後までまっとうされることを望み筆をおきます。

2019/01/27

日本人びいきと皇室の全体主義

外人に誉められたら急に日本人扱いでひいきし、自国内の過ちを正そうとしたら韓国人扱いで攻撃するという新手の差別は、憲法前文に記述されてる「名誉ある地位」への偏執が一原因かもしれません。個人が国に同一化していたり人種・国籍への偏見が含まれるので、愚かさの一種だと思います。
 差別は脳が情報を単純化できないと処理できないことからきている一つの愚かさであり、国など共同体への自己同一化というのは個人としての自信のなさからくる真理傾向のようなので、日本人ひいきや韓国人差別をしている人達は、恐らく愚かな上に自信がない人達なのだろうと思われます。
 IQの6~7割は遺伝するという見解があり、セロトニン・トランスポーター不足など不安を感じ易い脳遺伝子もあるので、日本人ひいき(しばしば裏返しの韓国人差別)している人というのは生まれつきの脳傾向でそうしているかもしれず、ある種の被害者とも受け取れます。寛容で公平な見方をしにくいのです。
 皇室の人達も日本人の活躍を無意味にひいきするし、それは自己の男系血統を絶対化する人種・性差別的な神道を信仰している為でもあるから、差別しやすい脳を系統的にもっているという意味では余り賢い脳を受け継いだ遺伝子ではないのかもしれません。よって皇室を祭る祭政一致の政治もそうでしょう。
 日本国内で、ひいき・差別的、かつ国など共同体への自己同一化を他人にも自明の前提として強要し疑わないような人、いいかえれば愚かで自信がない人達というのは、皇室をそういう偏執的態度を結晶させた存在として崇めているんですね。全体主義を正当化する根拠が天皇ですから。まあ皇室はそういうひいき・差別的かつ全体主義的な人達と同じかそれ以上に有害な存在です。

大阪なおみ氏の国籍問題に宛てて

何重国籍でどんな血だろうと完全にどうでもいいと私は思うので、日本法も多重国籍認めればいいです。他方で赤の他人の業績を共同体意識で無能な自分達も笠に着れるみたいな考え方は、単なる同一化に過ぎない上に、集団間でのひいき・差別の競争的敵対関係を無意義に強化するからかなり有害と思います。
 万が一、自分が死ぬほど苦労して何かの業績を達成したとして、それまでなにひとつ助けもしてくれなかった陰湿な群集が突然手のひらを返して仲間ぶってきたら、本当に嫌な感じでしょう。その群集って他人の業績に乗っかって自分まで有能気分に浸りたいだけのろくでなしどもだし、国籍争奪戦は実に醜い。
 大阪なおみっていうこの人が好きにどっかに帰化するだか、国籍選ぶだかすりゃいいのであって、赤の他人が自分の名誉欲しさのためだけにこの人の業績を突然群れて我田引水しようとするのは、本当にうんざりする俗悪な利己主義者どもだなとしかいいようがない。ナショナリズムの醜悪さを感じる話だ。
 世界1位になったらいきなり仲間といいだすが、名も無き苦労人の頃には唾を吐き差別し搾取しひたすらばかにしてきたような衆愚に、誰だって仲間ぶって欲しくないでしょうよ。大阪さんの場合は日本側にいいコーチがいたようだが。大事なのは国籍じゃなくて普段、全く無名の人の努力を助けているかだよ。

無能な愛国者と擬制君主国

安倍さんは当人の中では愛国なのだろうけど、残念ながら公徳が足りないので結果的に日本へはなはだ害をもたらしている。いわゆる「無能な働き者」というやつで、組織にとって最も厄介なタイプである上に、サイコパスもだいぶ入ってるので良心が致命的に欠如している。日本人大衆には人を見る目がない。
 日本国を最適化するには安倍さんや麻生さんのような「無能な働き者」タイプには黙って寝ててもらうしかない。そういうタイプの愛国心は百害あって一利もない。動くほど国内外に公害が広まっていく。が自民信者がそれに気づく日は、恐らく永遠に来ない。反日左翼に迫害されてると思い込んでますので。
 思うに江戸時代「馬鹿殿」を家臣が忖度してた頃に、自民党員も官僚も先祖がえりしてるのであって、その一つの証拠が今上天皇の違憲な退位法を全会一致で可決したことだ。全野党議員も戦時中と微塵も変わらぬ天皇制ファシストの馬鹿どもだということである。さながら安倍氏が将軍、麻生氏が大老である。
 天皇に違憲だと指摘し、退位法に1人反対したら、自民党とグルになって集団虐殺でもする気なんだろう。これは法治国家では断じてない。天皇統治の擬制君主国だ。立憲主義を主張している枝野氏であるが、日本人程度に憲法が権力者や象徴を気取る教祖に優越するなんて高邁な理想は理解できないのだ。

名刺文化について

対人恐怖症の人が多いので、日本人のかなりの数にとって目を見て話すのはハードルが高い。むしろ日本人の間では合理的な慣習でもある。でも名刺文化なんて旧社蓄カルチャーなので遠からず消えるだろうし、若い世代の間では既にないと思う。スマホもってないか嫌いな人がSNSのIDないから仲間はずれ。

茂木4象限の分析

(茂木健一郎氏はLINEブログ『自国他国肯定否定マトリックス。』で次の4象限を描いた。
      他国
      肯定    否定
自 肯定 ☆     ネトウヨ
国 否定 インテリ  不平家)
福沢諭吉は愛国心について2つの立場を使い分けていて、『文明論之概略』『脱亜論』などでは自大的(茂木象限でいうネトウヨ象限)、『修身要領』(26条)『明治三十一年三月十二日三田演説会に於ける演説』などでは相互尊重的(茂木象限でいう自他肯定象限)な態度を唱導しています。
 私の福沢理解によると、福沢は植民地主義の早い者勝ちな時代における便宜的な外交様式に必要な処世術として自大的態度を推し進めていたのですが、それは明治時代頃における人類の知徳がいまだ低次元だからであり、将来的には相互尊重的な人格の陶冶や、文明化された国際交流を後生に期待していました。
 また福沢とほぼ同時代に岡倉天心がおり、植民地主義政策の只中で互譲の精神とかアジアは1つという言い方で、相互尊重の実践を既に説いていました。日帝はこの標語を大東亜共栄圏という野望と混同させてしまいましたが、岡倉の方は芸術を通じた東西の文化交流と異文化間の相互尊重を企図していました。
 この茂木象限は先日の、NHKとBBCの比較などからご発想されたのかなと推測致しますけれど、例えば無政府主義は自他否定、絶対的否定という不平家の象限に属し、同時に禅や和辻哲学などでいう「空」の運動を内包していると思います。それも国の枠組みを無化する普遍的な気づきの原因となる点で有益です。
 ある欠点はおおよそ観点であり、別の角度から見れば同時に長所でも往々にしてあるので、自大的な愛国者(ネトウヨ象限)が無理やり合理化していく中で、自国の欠点と思っていた観点が意外な長所を交え見えてくる場合も、もしかしたらあるかもしれません。他尊自虐のインテリ象限も似た効果をもちます。
 例えば福沢や岡倉のもっていた相互尊重象限への博愛性、と同時に福沢のもっていた差別心を含む利己性というのは、それぞれなんらかの機能をもって人間界で主張されているわけで、この茂木象限の4種の考えはいずれも思想多様性と捉えられ、必ずしもどこかの象限が正しいとは言い切れない様に思います。
 嘗て、日本人に差別的な憎悪表現をくり返すアメリカ人らしき外国人があるSNS上に現れた時、普段は素行の優れない(ネトウヨ象限に属するであろう)或るやくざ的人物が即座に喧嘩を売りに行って追い出した、という場面を私は見ました。いわゆる攘夷には、不良外人を退治するという美質もあるんですよ。
 輸入学問の伝統って、勿論文系にもなくはないですが(マルクス主義の様)、思いっきり数学や理科そのものが西洋近代流の真似ですし、そしてより非個別な要素を含んでいるのは自然科学ですので、理系の方が激しいと思いますよ。文理の入試区分による区別自体が分類学にふさわしくないと思いますけどね。
 輸入学問から最も遠い学問というのは、日本では「国学」でしょう。これは今では文学部、哲学科とか神道系学校の履修に入ってるのかもしれませんが、文系でしょう。まさに輸入学問の残滓たるからごころを意図的に排除して成立したんですから。あとマルクス経済学は京大では理系かもしれません。

麻生ナチス発言と政治体制の批評

意見の多寡と国益国難には何の関係もない。
 多数政治にあって多数決が公害を伴う誤りであり、国難を生来する時を衆愚政治という(アリストテレスの言い方では多数派が公益をはかるpolity(市民政治)に対する、democracy(民衆政治))。多数派が各々自分の利益を優先し、公益を無視するような時にこれが生じる。
 多数派が各々政治的に堕落しており、公益より私利を図る集団であるような国では、衆愚政治(民衆政治)が生じ、多数決は同集団に公害をもたらす。また最高の公徳の持ち主が単独者か少数者で彼らが政権を執るとき王政や貴族政といい、単独・少数意見が公益という正義を実現する。
 善政は為政者が単独・少数・多数いずれの場合でも、為政者自身のもつ公徳の質によっているので、意見の多寡を公益・公害の判定に用いる事はできない。したがって議論すべきなのは、為政者個人、政党、または政治参加できる国民多数派が持つ公徳の質である。
 戦争は地上で想定される最悪の政治形態である。少なくとも近隣諸国と平和的に協調外交を執れないばかりか、差別主義的な衆愚からの愛国支持を得る目的で、仮想敵の捏造を行う現政権は国民全体にとってのみならず周辺諸国にとっても公害で、危機的な独裁体制に他ならないといえるのではないだろうか。
 安倍晋三氏は単純な憎悪感情に扇動される衆愚を欺き、諸外国への侵略戦争を米軍の手先として行う下準備を進めるべく、手近な韓国軍との軽い事故を大げさに騒ぎたてている。それを憲法改悪への助走として利用するつもりなのだろう。だが戦争は誰もに有害であるからには、全て児戯に値するというべきだ。
 この小沢一郎氏事務所のナチス優生学への人道からの批評的意見として、安倍政権の対韓挑発外交を例に出すのは凡そ見当違いになるだろうし、麻生太郎氏は憲法改悪をナチスのよう独裁政治の元で行えば愚かな国民は気づかないといった趣旨の発言をしたのだから、優生学の議論とすりかえるのは正しくない。
 麻生ナチス発言は非常に問題がある政治的不正な発言と思います。安倍さんや麻生さんは皇族閥・薩長閥だの世襲の箔を笠に着て、自民党内で大威張りしてきたわけですが、彼らに学問が全然足りないというのは皆が知っていることですので、寧ろ馬鹿殿を忖度してしまう党内序列に不健全さがありそうです。
 いわゆる年功序列や、自民党史の中での世襲の箔とか、神道政治連盟・日本会議を援用した皇族閥による後光効果だとか、まあ腐りきったといおうか戦後日本の保守的な位階制に伴う諸々の不合理さの結晶が、安倍・麻生コンビみたいな馬鹿殿を忖度しまくる自民党界隈の異様な光景なんでしょうね。
 自民の村上誠一郎さんが「膿の親」と地元でいわれてる、と安倍さんを間接的に揶揄してましたが、ほぼ事実といわざるをえない。旧体制を腐敗込みでなるだけ長く維持しようとしてる人なのだから。麻生ナチス発言とか、中高生の生徒会でも失脚するでしょ。それを擁護し副大臣って救いようが無いでござる。
 まあこの期に及んで自民党依存の愚民ってもう完全に狂気の沙汰であって、戦争で負けてるのにいけいけどんどんとほざき、反戦と正論を一言いおうものなら憲兵に通報して国民殺害してた時代の衆愚となにひとつ違いはない。安倍内閣メンバーだけでなく自民信者もかなりの国難知能を持っているのは確かだ。
 徳川幕府も慶喜公の禅譲で一夜で亡びたけど、安倍政権崩壊の瞬間も今から楽しみでござるよ。いくら出来レースの安倍ナチズム続けたところで安倍氏もそのうち死にますからね。その前に日本が亡びるだろうけど。小沢氏の生前に腐りきった自民党利権の完全打倒が実現するといいんですがね。

小池百合子都知事へ宛てた都政論

都知事、全豪テニスで優勝した大阪なおみ氏がどんな血でなに国籍かなんてどうでもいいことでしょう? 自分に近い血筋だか自国籍だと応援すんのですか? なぜ? 自分の利益を他人の利益より優先しているエゴイストだからですか? 日本人が優勝すると自分の株があがったつもりになっているの? なら先ず東電原電の原発止めて。
 東電原電は都内の会社です。致死的な公害施設である原発を都民におしつけられ、生命と財産を常に都政からおびやかされている青森・新潟・福島・茨城には、県民投票で再稼動拒否の権利すら与えられてないんですよ? 信じられますか? 貴女の都庁が東電の主要株主、原電の地方税もあなたが食んでいる。
 福島原発事故はまだ収束していない。都政は東電・日本原電の再稼動を放置し、自公政府と同調して弱い者いじめしている。しかもちゃっかり東電株の配当だの東電原電からの地方税だの電気だけは搾取するつもりで。東京が福島を汚しているんですよ。先ず都が儲けた金で福島県を復興しなさい。それが筋だ。
 東京五輪は都内財界が自民党とつるんだ単なる利権であり、安倍首相が皇族を政治利用しながら賄賂を使ってつかんだ汚い開催権であるとわかっている。しかも世界最悪の原発公害を起こしたのが貴女の都内の電力会社であって、被害地は事故収束すらしていない。復興もままならず仮設住宅にお年寄りがいる。
 政治というのは商売と違って、国民の一番貧しい人からも等しい重みの税金を徴収しているんです。公務員は国民全体の公益を調整する為に、つまり一番不利な人の利益を最大化する為にいるんです。アリストテレスはこれを調整的正義といいました。実力に応じた分け前をもらう配分的正義は商売の役割です。
 あなたはトランプの真似して東京第一とかいっている。もう都政は散々搾取してきたじゃないですか? 青森も新潟も福島も茨城も、東京の原発の犠牲になって、散々電気だの利益だのを搾取されてきました。石原慎太郎氏の強欲を受け継いで他県犠牲に賄賂五輪で金儲けよとかいってると、また転落しますよ?
 都内の土建屋だか建設業界だか、経団連だか、そういう政商利権団体は、ホームレスを全然助けていないでしょう? じゃあ誰が助けるのか。貴女なんですよ。金儲けしてる場合じゃないんですよ。政治は金儲けじゃないんですよ。国民全体への奉仕者なんですよ。都政も。都ばかり考えるんじゃダメなんです。
 憲法15条すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。都知事もそうなんです。各都道府県は相互依存関係にあって、地方自治法によると競合してはいけないんです。助け合う同じ日本の仲間なんです。東京は他県の為にがんばり、他県も東京を助けるのが美しい日本の姿なの。エゴは醜い。
 現実に五輪中止を貴女が決断できるとはちょっと思えないが、最低でも、世界最悪の原発公害を起こした東電を解体しましょう。後世に禍根を残しますよ。都内の東電か原電がまた大公害やってもまた放置して、都政は金だけ頂戴するつもりでしょう? 貴女は国民殺しという重罪に加担してるんですよ。
 今のままで五輪やっても、みんな呆れてみてると思います。福島犠牲に他県におしつけた原発の電気で、自分だけ目立って外人から賞賛されたがり、ますます公害の被害者から金儲けしようといってみたところで世間の目というのがあり、遠からず東京への総すかんが襲ってくるだけなんですから。
 もし石原氏以後の都知事に公徳があったら、強欲な賄賂五輪などすぐやめ、福島復興と脱原発を東電主要株主として責任とって果たしたでしょうね。猪瀬氏、桝添氏、そして貴女も、傲慢に陥ってカネになりそうな違法落書きに歓喜している。今からでも遅くない、反省し他県に公害をまきちらすのはやめよう。
「自分さえよければ、私のせいで他人がどんなに苦しんでもいい」これがあなたのいう東京第一。どうみても間違いだというのは子供でも分かる話です。サイコパスでもなければね。人類は一人では生きていけない。都民は食べ物も電気も水も、人さえ他県に依存している。全国みなの幸せを図り都政しなさい。

我田引水

都の外に公害撒いて金儲け我田引水の五輪ならやめろ

賄賂撒く五輪

原発や東電株の配当で福島犠牲に賄賂撒く五輪

テニス見る都知事

青森に新潟福島茨城に原発おしつけテニス見る都知事

原発をどけろ

何人が何国籍で勝てば何それより都知事は原発をどけろ

国籍ひいき

日本を都内の会社の原発で汚し国籍ひいきする都知事

ねずみ

難民を歓迎せよと叫ぶ文字ひどいと叫ぶねずみかな

小池都知事の金融街宣言に向けて

青森、新潟、福島、茨城にまきちらした東京都内の二社の原発公害を、いますぐ防止してくれませんかねえ。田舎者を犠牲に貴女の金儲けはもうわかりましたから、その金融街を動かす危険施設を、都外にくらす人の目の前におしつけて国民の生命と財産をおびやかし続けるのは、もうやめてくれませんかねえ?
 己の金儲けの為なら原発公害で日本アジア人を大量虐殺するのが、TOKYO都知事なんですねえ? すばらしい金融街ですねえ。東電株や日本原電公害でぼろ儲け、電気代けちって平和な田舎ぐらしをおびやかし、さらに全世界搾取を自慢したい。すばらしいですよねえ。賄賂五輪。原発やめてくれませんかねえ。
 わたしら茨城県民には、なんと、県民投票で原発公害を防止する権限すらまったくあたえられていないんですよ? わが県に、都内の会社が勝手に公害施設をおきざりにして、爆発させ、被害をうけているわたしたち日本国民が、公害防止の権利すらないですって? 笑えてきます。金融街より先に原発とめて。
 小池さん、私はかつて都内に住んでいた茨城県民なんですが、貴女の都庁が主要株主として配当を得ている東電株のおかげで福島原発事故の被害を受け続けていまして、まだ1円も公害の保障受けてないんですよ。電気はとっくに水戸電力にかえました。あなたが金融街というから、水戸を金融街にかえますね。
 金融の様に電力を使う街は、あたりまえのことですが、自分の自治体の外に公害を伴う施設で発電するべきではないですよ。自力でぜんぶ発電するか、クリーンエネルギーのみで賄うべきだと思いますよ。なんで貴女の単なる自慢の為に私が犠牲になりつづけないといけないのか? 傲慢にも程がありますよ。
 東京五輪も、青森、新潟、福島、茨城に置かれた都内東電・日本原電の公害で被害を受け続けている国民から、搾取した電気と東電株の配当でやるというから、みんな反対してたじゃないですか? 先ず福島の現状を御覧なさい。神がみたら怒りますよ? 東京が汚して復興していない。先に責任をとりなさい。
 私は全人類の公害防止を望む良心の為に、東京をこれ以上増長させてはならないと強く思いますね。わが県都水戸がちゃんと金融街やってくれるかは全然わからないが、東京に任せるくらいなら水戸のほうがいいでしょう。原発ばら撒くような自治体に金融街だの名乗って欲しくないね。原発事故は未収束なの。

漫画家と前衛画家

漫画は商業美術なので実は絵画分野の中ではかなり恵まれていてとりあえず理解者1人は多分いますが、純粋美術の場合ピラミッドの裾野が漫画カーストの50京倍くらい広い上に前衛は生前誰にも理解されない。狂人として精神病院に強制入院させられかけ消耗するし、孤独と極貧の余りとてもよく自殺します。
 死後も永遠に忘れられるのが基本の純粋美術を目指した画家は、自己の内面的表現と、描きたくもない売り絵の間で死ぬほど葛藤し、誰にも理解されない絵が売れるわけないので大概貧しいまま、小金を持った売り絵描きを尻目に自己の理想という妄想と終生格闘し、全人類から無視され死ぬ。強化版カースト。
 漫画家のみんなは私ら自称前衛画家を多分心底ばかにしてるんだろうけど、少なくとも私はただ真剣にすばらしい絵が描きたい、なんとしても見てみたいだけだ。金にならないのは、大概の絵描きに科された全く謎の呪縛だが、絵画カーストは自殺しなければ生ある限り戦えるし、戦い抜く事しかできないのだ。
「売れる漫画・面白いマンガが描きたい」という漫画家らしい欲求と、「誰も見たことがない絵が描きたい・誰もした事がない表現を見てみたい」という前衛画家の欲求というのは、目指すところがだいぶ違うけど、カーストの中でもがいているのは似てると思う。ただお金は僕らのが無いしより孤独だと思う。

日本の民度について

冷静に日本史を見返してみて頂きたい。どの時代も日本人なんてこの程度です。安倍さんの美化してらっしゃる明治維新も、ただの薩長のテロ活動ですからね。皇族が兄弟殺したり、信長絡みで家康が子に切腹させたり、南京だの関東で中韓人大量虐殺したり、国民を人間魚雷にさせたり、今とそう変わらない。
 国民の遺伝子がそのまま続いてるならIQの6~7割も遺伝するといわれていますし、性格遺伝子もあるようなので、そう生まれつきの賢愚は変わらないと思います。ちょうど安倍政権の腐敗が極まってるのと、ネットが愚民を可視化したので、知識人側が現実の民度に面食らってるのが重なってるんだと思います。
 平安期の朝廷において、火事で御所に助けてくれと逃げ込んできた文盲の国民を女官みなで嘲笑し、からかいの短歌を短冊に書いてやって追い返した、皇后も大笑いしたと『枕草子』の298段にかいてあります。人権がなかった時代で差別も厳然と存在したとはいえ、現在の官邸もこの程度なんじゃないですか。

竹中平蔵氏に宛てた平成経済政策の批評

小人は利にさとり、君子は義にさとると孔子がいいましたが、同一賃金同一労働という名目で、正社員を非正規待遇にすげかえることで給与を削り、更に人材派遣会社の利権が膨らむしくみですよね? フランスの正社員率は9割、日本はあなたの政策で非正規が4割。なぜみなを豊かにしない方に考えるのです?
 株主資本主義の追求で極限まで人件費を削り、労働者の犠牲のもと株主利益を上積みする、という方針なら、消費者が死んだ日本市場に誰も生き残れない、少なくとも不況を脱せないと思いませんか? 国民全体が豊かになる方に導きさえすれば、1億以上の人口を抱えたこの国はもっと成長できていたのです。
 貴方がた米国追従の自民関係者達は、日本に貧富の差をもちこんで、貴方がたが強者の立場から弱い者いじめをしてきました。国税や国民貯金をたらふく食べた経団連大企業は肥え太り、実質所得ばかりか生活保護さえ削られた国民は貧しくなりました。国際競争力という名の少子化で、この国は亡びつつある。
 貴方がたの死後も我々はどこかでこの国の名義を背負って何とかやっていくしかないのですが、平成時代に竹中さん達がなさったことは大いなる失政だったと思いますよ。政府に格差拡大を唆し私腹が肥えるよう政商された竹中さん一代はよかったのでしょうが、残ったのは貧困問題と国有企業の残骸ですから。
 日本企業ETFをGPIFと日銀に買わせ、日経平均株価を国税と国民貯金で釣り上げ、同時に移民導入や長時間労働の拡大で人件費を削り、好景気と偽装するというアベノミクスについてなんですが、結果は企業の競争力の減退と、更なる貧困の蔓延ですよね。おまけに政府と経団連の癒着を通じ原発公害も拡大。
 竹中さんは大企業に有利、国民全般に不利となる政策を結果的に推進してこられたと私は思うんですが、経済は国民なり人類が需給を合理的に満たす手段であって、企業がいくら栄えようと国民が貧困化したら経済は回らないんです。しかも、安倍さんが日本企業を国有化してしまい国際競争原理が働かない。
 平成時代の経済構造と財政の両面に残っている新自由主義政策の傷跡が余りに深すぎ、何から手をつけて治療していけばいいか分からないほどなんですが、とりあえず、格差拡大をいくら続けても、与沢翼氏のよう無税国家に金持ちは進んで逃げてしまいますし、国の発展になんの意味もありませんでした。
 円安誘導でトヨタら一部の多国籍企業から多額の献金を受け、安倍さんは長期独裁が叶いさぞお喜びでしょうが、日本経済の7割を占める内需企業は苦しむ一方です。国民を虐げる独裁体制に何か意味があるか。自民党ネットサポーターズクラブからの洗脳が解けた後、貧しくなった自分達を鏡で見るだけです。
 トリクルダウン理論の失敗が明らかになった時点で、竹中さんは民間議員から撤退すべきでした。こうして私のような一国民からくどくどと失政責任を追及されるのは、逃げ遅れたのだと思います。今後は平成を反面教師に、格差縮小し、国民自身の豊かな家計消費に基づく好況な経済を目指したいものです。

一律貸付論

OECDは所得を得るほど収入が増える一律貸付(universal credit)が基礎所得(basic income)より貧困率を下げると主張していますBBCの記事)。一律貸付はイギリスで実践中ですが1ヶ月遅れて支給されるため民間配給であるフードバンクの利用が増えています。
 負の所得税は中所得者は無税、高所得者が有税、低所得者が給付されるというフリードマン以来の枠組みです。基礎所得の有効性は、就労支援への鼓舞を含む一律貸付と、高所得者への給付という(官僚に中間搾取されるだけの)無駄手間を避ける負の所得税と比べ考えるべきです。
 所得税が累進化されているわが国では、法の抜け道となっている全金融商品による所得税も累進化することを前提として、就労または起業支援と同時に行う一律貸付が現実的な制度改良と私は思います。制度を最大限簡素化するため具体的しくみは競争入札で民間委託し、ウェブ上で手続きを可能にすべきです。
 一律貸付は給付のみより所得があった時の収入がふえるので基礎所得や負の所得税、現行生活保護の欠点である就業意欲の減退が起き辛く、基礎所得の不公平さ(高所得者への給付)や、生活保護が低賃金労働より高所得という欠点も解決しています。
 一律貸付のイギリスでの前例では、基準額と照らし合わせるべく1ヶ月前の所得を確かめる為、給付が1ヶ月以上遅れてしまいます。この期間に前借できる制度も作っていたようですが、十分周知されていませんでした。同轍を踏まぬよう日本では誰もに分かり易いしくみを政府が民間企業に委託するべきです。

愛の姿

愛がなにをつくった
そこにあるのが呆れ顔の悲しみだけでも
人の群れのなか
探す君の姿も紛れ
愛がなにをつくった
そこにあるのが夢の破れ果てた(むくろ) でも
人の列のなか
探す君の姿もなく
僕は朝から朝へ飛び移っていく
やがてこの星も崩れ
太陽にのみこまれていく
やがて全宇宙も崩れ
僕は夜から夜へ旅を続けていく
探す君の姿を求め

About madness of Shinto government on human rights

Japanese Imperial family and their devotees are believing they have religion in the law. I think they are evil, but I cannot change the majority Japanese madness. Their belief called Shinto does discriminations on human rights, deification of Emperor's male blood line is very crazy.
  The belief to Emperor's blood line in Shinto, justifies all bad crimes in the rule. Almost all Japanese can't understand separation of church (Shinto shrine) and state. Japanese Emperor is also a top guru of Shinto, he dictates anything in the isles. We slaves cannot punish him.
  If we criticize something wrong to Emperor, the devotees (almost all Japanese) are bullying the individual. In Japan, good aim resistances against Emperor are called as Enemy of Imperial court (朝敵), just be killed or be intimidated. Why do you call Japan as a developed country?
  Mainly Shinto teaches to believe and obey with Imperial family's male bloodline, with power as the Emperor government, in fanatic.
  Before Meiji era Imperialism(1868-1912) Shinto was mixed with buddhism. Before Asuka era(538-710) there was no Imperial court so there was only native natural worship. After Emperor's ancestor came from China, they brought new idea for Emperor worship, this became today's Shinto.
  There were some theories that where Emperor's ancestor blood lines came. But genetics about Haplogroup O-M176 and O-M122 taught Yayoi people came from around China. Almost same era Imperial family founded the govenment with them. He would be a member of them in the blood lines.
  Japan is peace recently, Shinto devotees who included Abe prime minister brainwash them more tactical softly. Nippon Kaigi(日本会議) or Shinto Association of Spiritual Leadership(神道政治連盟) are the political scheme. They say Emperor sovereignty is much better than democracy.

東洋大学における竹中平蔵氏の授業中止を求める船橋秀人氏の立て看板をめぐる政経的議論について

竹中氏は新自由主義を日本に導入し、自身は派遣会社で私腹を肥やしてきましたよね。これが中流没落を伴い日本経済を衰退させた、というのは歴史的事実なので、今後も語り継がれる筈です。ただ彼と自民党の癒着関係は堅固、国民全般も自民の失政を理解し改革するような頭はなく、貴君(船橋秀人氏)は孤軍奮闘ですね。
 いま大学生をしている20才前後の人達の殆どは小物で、保身を第一に考え、団塊引退・少子化で就職率が上がってる(但し移民導入中の)安倍政権の間に、自分さえ就業できればと問題を先送りし、日本経済の未来や新自由主義の失敗なんて考える能力も余裕もないでしょう。
 竹中さんは自民党という既得権益に寄生し、大学に天下って学生に相変わらず新自由主義を吹き込みさえすれば、金も権威も地位も得られるので、あなたの反抗を快く思わないでしょうね。しかしあなたの存在は、日本国の若者にも高い志操をもった人物が1人だけでしたが残されているという一つの希望です。
 新自由主義のもたらした結果が明らかに有害なものだったのに、いつまでも自説に固執しているとしたら竹中さんは経済学者として尊敬に足らず、東洋大学が謬説を唱える人を教授にしていることそのものが学問の尊厳に反します。あなたの言論活動はソクラテスと同じかそれ以上に、敬意に値すると思います。
 同一賃金同一労働という尤もな名目で、正社員・非正規社員の区別をなくすべきといっている竹中氏ですが、正社員の特別待遇を今の非正規と同じ有期雇用者程度にせよといっているようでもあり、全体として欧米の悪い面を日本に直輸入する事で、自民党の親米政権から諸々の便宜を得ているわけです。
 日本国の既得権や利権を、米国の日本に対する政治的優位とすりあわせながら、大学関係者として乗りこなす事で竹中氏はこれまでうまくやってきました。そして終生そうしたいと思っているでしょう。しかし真理は政治権力によって歪められるものではない。東洋大の全教授は、あなたを模範にするべきです。
 雇用問題についてですが、欧州に比べ日米の非正規の給与は低いので欧州並みにするという名目でむしろ正規労働者の給与水準を下げさせ、結果、パソナグループ会長の竹中氏ら資本家が更に搾取できるようにする、というのが実態でしょう。経団連企業から政治献金を受ける自民党にも、実入りがあるのです。
 非正規雇用者は正規に比べ不利な労使条件で期間契約を結んでいるのですから、非正規の給与水準を正規以上にしなければならないという法律が必要だと私は思います。同一賃金同一労働の触れ込みで更にピンはねする子供だましに簡単に欺かれている人々が多く、自民・経団連の癒着を打破せねばなりません。
 労働者の給与をなるだけ減らすことで株主資本主義を強化し、米国風の所得格差が更に大きな国にしようとするのが株主側に属する竹中氏の目指す国です。貧富の差を示す日本の相対貧困率は先進国最下位の米国に次ぎ、更にこの差を広めるのは当然、国民全体の不幸を意味します。全て竹中氏の利権でしょう。
 我々一般国民は、竹中氏が自民政権に民間議員等の形で影響を及ぼす結果、大いに実害を受けてきているのです。彼の政商活動に内在する利己性は公人としての資質の欠如を示すといって先ず間違いないと思います。貴君の授業反対は大学内での出来事ですが、彼を政界から徹底排除するのが最も公益的です。
 純粋に経済学的に述べても、一般国民の家計消費に余力がなくなる相対貧困化政策を勧めている、という点で、竹中氏の誤りは確かです。米国経済は貯蓄性向の低さに依存しており、生活保護も受けられるとは限らない高貯蓄性向の日本人は将来不安のため低給与の元では消費しません。給与を上げるべきです。

2019/01/26

菅直人氏への忠告

宮内庁含む皇室の反内閣的な絶対政治(習近平氏との公的行為に基づく接受拒否事件)により、皇室信者から槍玉にあがった鳩山首相を菅直人氏はかばわず、自らの民主党内での政権奪取のため鳩山氏を排除した。小沢氏は鳩山氏をかばった為、その後、報道各社・東京地検・一部国民からの冤罪を受けたのが事実。
 菅直人氏は、米英その他先進国で一般的な議会制民主主義(共和政、多数政治)を日本でも確立する為、二大政党制の実現に尽力されていらっしゃる小沢氏の基本的な政治学を未だに理解していない。菅直人氏が党内政治で独裁政を執った事が民主党含む二大政党政の国民理解へ致命傷を与えたと自覚がない。
 一党支配が寡頭政に至り易く政党政治とみて未熟な形態という、基本的政治学を菅直人氏含む国民一般がもたず、理解する能力も多分ないので、宮内記者クラブ含め都内報道各社のよう、二大政党を目指すごく当たり前の小沢氏の態度を壊し屋よばわりし続け、一党支配を理想視するんでしょう。
 天皇のわがままで公的行為を一時的に拒否され、皇室信者やら記者クラブやらの煽りで窮地に追い込まれた鳩山内閣を、菅直人さんは党内権力の奪取のために裏切りましたよね。さらに菅直人さんは鳩山さんをかばった小沢さんをも裏切って、政権交代の朋友2人を自身の独裁権力のために党内排除したようでした。
 私は原発事故の被害を大変強く受け続けている地域に暮らしています。原発事故の当時も、まさに現場で大変恐ろしい目にあいました。当時、菅政権に起きていたこと、当時の様子はとても強く記憶に残っています。小沢氏を下野させ身動きをとれないまで冤罪や偏見報道で追い込んだ原因は、菅政権でしたよ。
 当然ですが、原発公害の第一原因となっているのは、安倍晋三氏やそのとりまきといったサイコパスじみた利権者達です。菅直人さんは小沢さんのお陰で念願の最高権力を一時的に手に入れました。今はそのご恩に報いるべき時ではないですか? 国民を虐げる悪しき独裁権力を嘗ての朋友と共に倒しなさい。
 小沢氏は二大政党制という、政党政治の腐敗を防ぐ為に先進国では専ら基本とされている政治的慣習を、日本にも根付かせようとされていらっしゃる、日本で最も偉大な政治家の一人です。一党支配が必ず腐敗することは明らかで、日本国民一般は政治学に無知なのです。政権交代は破壊ではなく、再生です。
 私は原発公害の被害を今も変わらず受け続けていて、一円も保障を受けていない。私は民主政権による自民悪政の浄化を信じ、これまであなたの生活にあてられてきている血税も驚くほど少ない財産から払ってきた。菅さんを怨んでも故郷は帰ってきません。公害防止という大義の前では好悪など捨てるように。
 重ね重ねになりますが、あなたは日本国の政治を救う為に、二大政党制を日本においても、米英含む先進諸国同様に実現するという小沢一郎さんの大義を、全然理解していらっしゃらない。野党は与党の失敗を修正した最大の第二党を作り、必ず政権交代を実現し、絶えず国政を再生し続けねばなりません。
 わたくしの見るところ、小沢一郎さんは、わが国民はじめ諸国民の公益の為になら、最高権力を握るという単なる私心を離れ清廉に生きる事ができる、いわゆる大人君子であります。あなたはあなた自身がそれとは正反対の狼子野心の持ち主なので、小沢さんもあなたのような小人物だと勘違いしているんです。
 あなたや安倍さんが心のより所にしている長州閥は、徳川支配への嫉妬からきた寡頭政をいまだに最高の仕事だと勘違いしています。それは間違いです。権力は何の為にあるのです。公害を起こす力なら、はじめからない方が善い。日本で二大政党制を実現する大義は私の権力などより遥かに大きな仕事です。
 つまらぬ野心に凝り固まり、束の間の権力に固執し、国民全体、いや国民全体を含む諸国民の立派な国づくりより己を優先するとは、なんたるつまらぬ態度でしょう。あなたはこれを読んで、あなた以外の他人事だと思うでしょうが、私はあなたにあてていっている。小沢さんに協力し、政権交代をしなさいよ。

いじめの研究と対策

いじめは協調性のとれない集団が、無理やり又は自然になんらかの攻撃対象(標的)を少数つくり、集団虐待をとりあえずの目標として統制をとろうとする現象といいかえられる。このことは子供の社会だけでなく大人の社会でもみられ、単に規模が違うだけである。大人社会でのいじめは、地上の最大規模で国連によって非協調的な加盟国や非加盟国に向け行われており、国という規模では政府が仮想敵国を捏造したり、政権与党が野党や特定の反政府団体を認定することで行われている。最も広義では法的に少数者に罰を下すのもいじめの一種ということもできる。そこで標的となっている人がなんらかの加害者であったとしても、形式的には多数派が少数者を集団虐待する構図を法が正当化しているのである(広義のいじめ、広義いじめ)。勿論これは一般に狭義でいじめといわれている善良であるか何の罪もない個人や少数派を、多数派が標的捏造の為に集団虐待する現象とは、倫理的な観点からは正反対の場合でもある(狭義のいじめ、狭義いじめ)。
 ところで狭義のいじめは統制をとろうとする或る集団(統制集団)や統制を目的にする一個人(統制者)にとっての利益、または多数派の利益を目的に行われるものであり、同時にそれらの集団の標的になる個人や少数派の不利益である場合が往々にして多い。つまりこの様な典型的な狭義いじめの場面では、統制者、統制集団、多数派は、便宜的に生み出されるだろう協調性から得られる自己利益を目的に、標的の被害を正当化する。よって標的にとってこの集団に属することは、標的になった段階で有害なので、狭義いじめへの基本的で最善の対策はその集団からの被害がなくなる範囲まで同集団を離脱することである。狭義いじめが仲間内や学級単位など小規模集団で行われる子供のいじめの場合、いじめられたらいじめ集団からすばやく出ること(にげる)、そしてできれば自らを保護する別集団にすばやく所属すること(かくまわれる)が基本的対策である。また同様の事は、法的な細部を無視するとしても、大人のいじめにおいても亡命や移民、移住、所属がえ、宗主がえなどとして一般に有効である。但しこの被害者側の加害集団に対する統制力が十分に強い場合に限って、具体的な報復によってもいじめを阻止できるが、その様な場合は通常、正当防衛などによっていじめ自体が増長しないことになるので、ここではまれな例外とし別の機会に考察し直すこととする。
 他方で加害集団の立場からみると、もしいじめの加害集団が、被害者側になんの悪徳もなく標的捏造(冤罪)を行っていたり無意味な心身の暴力を振るっていたりするだけの場合、この集団虐待そのものが統制者、統制集団、多数派の悪徳を正当化する。したがって時間の経過と共に同加害集団は自滅していく可能性が高く、この加害集団の外部者と内部通報者が集団虐待という犯罪を裁く方がより一層はやく被害を最小化できるにせよ、単に多数派や統制集団の一部に属し、協調性から自己利益を得る目的でいじめを放置していた第三者風の加害者(第三者的加害集団、放置的加害集団)は、同悪徳を正当化する統制との協調を余儀なくされる。すなわちいじめの放置は、いじめ阻止の費用(S, Stop cost of ijime)に比べて、加害集団との協調から得られる自己利益(B, Benefit of ijime group)の負の値と加害集団との協調でこうむる悪徳からの費用(V, Vices cost from ijime group)を差し引いた分が、多いか少ないかで合理性が判定される。これをいじめ放置費用(T, cost of Through ijime)とすると、次の3つの場合の式が仮定される。

T, Through cost of ijime: いじめ放置費用 
S, Stop cost of ijime: いじめ阻止の費用
V, Vices cost from ijime group: 加害集団との協調でこうむる悪徳からの費用
B, Benefit of ijime group: 加害集団との協調から得られる自己利益
のとき
T={S>(V-B)} … いじめ阻止が高費用
T={S<(V-B)} … いじめ放置が高費用
T={S=(V-B)} … いじめ阻止・放置が同費用

第三者的加害集団がいじめを阻止するというあり得べき場合は、この3つのうちいじめ放置が高費用な場合に、それに気づいた人が自己利益の保護を目的に行うと考えられる。これが関係者全員が純粋に利己的であった場合、自浄または内部通報が起きる仮想条件である。
 他方で一般に正義感の費用(J, sense of Justice cost)という負の補正値があり、それが強い人はいじめ阻止の費用を自己犠牲の度合いをもとに差し引きあるいは過少評価する。ここでいう正義感とは、その集団で最も不利な立場の人へ利他行動をするには自己犠牲をいとわないという性質、いいかえれば不当な被害を防止する特定の利他性のため自己費用を任意に削減する性質を持つことを指す(一般にこれは利他主義と呼ばれるが、より狭義にはジョン・ロールズの正義における第二原理、特に最も不利な者の利益最大化としての「差異の原理(The difference principle)」がこれにあたる)。この正義感を考慮した式は以下の様に示される。

T, Through cost of ijime: いじめ放置費用 
S, Stop cost of ijime: いじめ阻止の費用
V, Vices cost from ijime group: 加害集団との協調でこうむる悪徳からの費用
B, Benefit of ijime group: 加害集団との協調から得られる自己利益
J, sense of Justice cost: 正義感の費用
のとき
T={(S-J)>(V-B)} … 正義感で補正されたいじめ阻止が高費用
T={(S-J)<(V-B)} … 正義感で補正されたいじめ放置が高費用
T={(S-J)=(V-B)} … 正義感で補正されたいじめ阻止・放置が同費用

 以上の論理から、個々人が利己的な動機で行動する仮想条件下(但し、利他行動への動機づけとして正義感という補正値を考慮する場合)では、いじめに対して第三者的加害者集団がその自浄や内部通報を自発的に行う為には、上記の
T={(S-J)<(V-B)} … いじめ放置が高費用
といういじめ放置費用の不等式を満たす必要がある。これらの式にあって、(S-J)は内面の、(V-B)は外部の集団統制費用(統制費)だといえる。加害的な統制集団自身がいじめを自己統御するには、内面の統制費を最小化し、外部の統制費を最大化する必要があることがここから分かる。すなわち、最も端的にいじめを或る集団自体が自己抑止するには、その集団の中に正義感(利他主義、特に差異の原理に基づく最不利者救済の力)のできるだけ強い個人を所属させるか、いじめ認容も加害と同罪とするのが有効である。学校などの子供の小社会では、正義感が強いと認められる習性をもつ年長者や指導的役割の子供を一定のまとまりがある集団ごと必ず配置し、且ついじめを認容した者がどれだけ多数でもその全数を加害者と同罪として等しく罰するべきである。国や地域などの大人の社会では正義感の強い個人もそうでない個人と同等の発言権をもつよう自由な言論を最大限に尊重し、大規模な紛争にあっては政治的な考え方の違いを抜きに多数派または加害集団による迫害を放任した者には加害者自身に対するのと同じだけ激しく非難を向けねばならない。少なくとも、国際法と国内法とを問わず紛争の平和的解決においてより強大な加害集団による攻撃を阻止しないことはそれに加担するのと同罪とし、紛争への武力による加担に加えその放任に罰則を設けるべきであり、ここでは多数派であれ少数派であれ(少数派の武力が多数派にまさる場合を顧慮し)常により強弱の関係において大きな被害を受ける側にとって進んで第一の擁護者となった上で、利他主義(特に最不利者救済としての差異の原理)に基づき紛争阻止に非武力的手段で尽力するのを万人に義務づける普遍的立法が必須である。

2019/01/25

愚者の焼印

利己心自体が文明人にとっては恥ずべき事なのだ。これを拡張した愛国主義や民族主義、拝金主義はその人が同胞や他人より自己を優先すると宣言している様なものなので、そもそも自集団ひいきの妄想に耽っているに過ぎない愚者の焼印である。

沖縄基地問題と日本人のいじめ文化について

日本人一般はまず必ず多数派に群れて弱い者いじめを進んでするような卑怯で陰湿な国民性をもっている。これは経験上は間違いない事実。
 すなわち日本では少数派がどれほど正義でどれほど善良であっても、強い多数派に進んで混じって集団虐待をするようないじめ文化が厳然としてある。これを現日本人一般は民主主義だとか和の文化だとか、下手すると(関西では)いじりだとかいっているが、単に卑怯なだけ。そこに善悪の観念は全くない。
 いま本土と沖縄の間で起きていること、自公政権と沖縄で米軍基地をおしつけられ不利益をこうむっている人の間に起きていることは、日本国の都道府県規模でもいじめ文化を正当化する集団圧力が非常に強くあるという証拠でしょう。多数派が最悪の決定をするということはよくあるので、多寡は善悪でない。
 日本人一般はいわしの群れのよう、集団暴力の標的になる不安から逃れる為だけに、つまり保身のためだけに群れて、少数派や弱い者をいじめる。それが悪いことだと薄々感づいていても、卑怯さが正義感にまさるので、良心をあざむいて知らないふりをする。そういう人が愛国者と名乗り、多数派を自称する。
 他方「千万人といえども吾往かん」と『孟子』にいうよう、できるだけ普遍的な善悪の判定は自分の良心のみに由来し、周りの意見は全く無関係なので、日本人の中にも正義感の強い人は少数ながらいる。自公政権から米軍に国土を売国されている現状を嘆く憂国者が少数派でも、正義感は偽愛国者を糾弾する。
 公務員は全体の奉仕者で一部の奉仕者でない、と憲法にあるが、この意味は少数派の国民も軽重なく政府による公共奉仕の対象でなければならない、ということです。国税は全員が公平に(累進的に)負担していて、少数派だから奉仕されないということにはならない。多数派による少数派弾圧は道義に反する。
 沖縄基地問題は、安倍晋三という長州閥の政治家が、米軍に国土を間接占領させるのとひきかえに長期政権を敷く便宜を得ている、といういわゆる売国性にあるんですよ。安倍氏は独裁を目的に、国税を払う日本国民を犠牲にする。同時に日本の軍事独立を弱め、米国有利な経済制裁下でわが国力を低落させる。

星の旅

だれもが束の間生まれきて消える
特に用事もない
だれかひとりでも目あてを悟れたというのか
ありきたりの一生は終わり
わけもなく散っていく
だれもが一瞬かがやいてうせる
それすら退屈
だから君はひたすら理想をおいもとめ
それすら果たせずきえていく
中空に浮いた歌詞のかけらがふってきて
君の脳裏にあらゆる美しさを語らせたがる
だから君はゆっくり浜辺を歩きながら
わけもなくこの世を歌う
果てしない惑星群の旅のなかで

学歴の知恵

自分より遥かに愚かな人が学歴という箔で大衆を騙し金儲けし、かつ通俗的名声を博しているのを見ると、漱石が現今の博士号を害があるといい辞退した意味が分かってくる。
 私は20代のはじめ頃この問題について重々考えつぎの立場を得た。高学歴の後光効果による虚飾という害と、意図的に低くした低学歴が大衆に一々自分を実際より愚かと勘違いさせた結果こうむる不条理の費用とを共に鑑み、学歴自体は学力や知識とあまり相関がない装飾目的のものといえる。装飾であるからには過多過少どちらも悪い。つまり中庸が最善なのが学歴であり、単なる学力や知識は全くそれと異なって、多いほどよい。
 対して一般人は学歴が学力や知識とほぼ厳密に比例すると思い込んでいるので、肩書きにすぐ騙される。がこの装飾が実際の知力や技芸より控えめにとどめられていれば関わるほど有害な大量の愚者らは素通りしていくだろうし(学歴主義者のよう平均よりもっと愚かな人は、実際の知性を評価できず肩書きのみを以て差別的な態度をとってきさえするのですぐに見抜けるだろう)、或いは過剰評価からくる期待や無意味な賞賛によって真の知者をさしおいて万事に間抜けぶりを曝すという侮蔑すべき恥知らずさを避けられる。いずれの場面でも汎用的に最善なのはある所属する集団にあって最も中庸的な状態だろうから、母数を国や全人類など多くとるほどその精度は高くなる。

About the victims by anti-Islam agitations

The reason why capitalists hate traditional muslim is just an agitation from hebraism under the European-American nations where included Israel. The friction among other cultures is very typical, but capitalists force to hate muslims for getting oils, with Israel politics.
  Religious war is the worst situation. But anti-muslim capitalism devotees do it very easily agitated by US-Israel politics for Middle East domination. Democratization of muslim is just a superficial reason, the reality is only death commerce.
  She is a true victim like a puppet that be controlled by UN. Because old allies of World War II can use her freely for political agitation to hate Islamic countries. There's not only a hypocrisy to mislead religious war, but also cultural discriminations.
  I want to say same (is 'Individual Muslims are the principal victims of both(by a reading way, both of illogical people and Western governments)' by Richard Dawkins tweet) for strict scientism devotees who capitalist in the economics. Anti-Islam agitation for religious war is brought in Asia by death merchant who has been living in far side from Middle East. Just only for money, not for humane way.

A tweet about the entire world

Perhaps, milky way that included the earth is very country side of this universe, because there are no aliens we known. If we could know the entire of the world, we would sorrow our poverty of agape among ultra tiny human beings, on one ultra micro ball.

茂木健一郎氏のBBC賞賛・NHK卑下へあてたさえずり集

茂木博士がBBCを完全に神として崇拝してらっしゃるのはツイッタラーの万人にとっては太陽が朝にのぼるくらい自明のことなのではあります。が先日、BBCが某未成年女性の亡命について、さもイスラム教自体に原因があるかのよう印象づけ兼ねぬ自文化中心的な偏見報道をするのを見て気分を害したものです。
 もしかしてですが、NHKの自己中ぶりはBBCの自己中ぶりに比べ、多分にイギリスびいきの出羽の守にとって不都合なのではないでせうか? 何せ私ら貧民は実質的に税金をNHKという薩長史観の権化に強制徴収されているのです。日本人大量虐殺の内乱を誘導したテロ商人坂本龍馬ファンの喧伝機関にですよ?
 大英帝国的偏見についてでありますが、より正確には、某国民を表すのにムスリム衣装シルエットのアニメーションをBBCワールドは使ってたんですが、それって民族衣装そのものを差別的な文脈(他文化を貶す文脈)に置くものですので、きわめて偏見的でした。十字軍の時代から中東蔑視がある侵略国です。
 どうせ世界中の誰一人よまない無意味で本歌とりを駆使した俳句を作りました。島国やああ島国や島国や。一体世界中の全報道を隈なく同時に見たところで、私達はあらゆる偏見から逃れられないのではないか。特定の報道神を崇めるという偶像崇拝の危険にNHK教徒(BBC教徒除く)が気づく日がきましょうか?
 で。ご高説賜りましての本題に入りますと、NHKが与党寄り(ていうか自民党のプロパガンダ装置)ではないかという実に鋭く、且つ、クリティカルなご指摘についてなのでございます。これはですね、日本人全般が二大政党制を一党優位制より合理的で腐敗防止可能と認めてないせいなんじゃないでしょうか?
 もちの論、公共放送とも自称している貧民から強制徴収の国税やくざ、いやこれはいいすぎでしたが、もといNHKが放送法上政治的に中立な立場から、与野党とも公平な視点から報じる習慣がない、というのは、日本人全般が数の専横を少数意見の尊重より民主的(共和的)と考えられない阿呆だからでしょう。
 一般日本国民が、政治的エゴイズムの塊であって多数政治的に無能、すなわち誤った決定となるような多数決とか全会一致のごり押しを正義と勘違いしている衆愚なのですから、少数意見の中に正論がある可能性を排除しない、という議会主義の基本も何もないんですよ。それにあわせてるだけなんです、NHK。
 結局のところ平成日本人という国民のうち、政治に関心がある主な層は多数派の決定がどんなに最悪でもそれを押し通せ、という衆愚であって、NHKが政治的中立性を発揮する時は視聴者としてその種の衆愚を対象とする為、少数派や野党、自公以外をかなり軽視して扱う。国民の知性に応じた報道内容になる。

2019/01/24

現実的な経済政策について

我々が蓄財を拒否し、単なる無一文の最貧者として資本主義に対抗したとして、株主と経営者、自民党議員、皇族らは奴隷がいなくては搾取できなくなり、贅沢をして権力行使で暮らせなくなるため、進んで更に貧しい移民を国内に呼び込もうとするか、さもなくば外国株や国内企業の海外法人を通じ、諸外国人から収奪しようとする。この意味で庶民の仏教的抵抗は、既得権の移民政策・外国投資で無効化されてしまう。
 一般の労働者は思慮不足で気づいていないが、移民政策を進める安倍政権や自民党、諸外国の類似の政権は本質的に、労働力を安売りさせる過当競争の強化で、国民一般をより貧しくしながら、自身への経団連企業からの企業献金額を増やそう、または自身の分け前を増やそうという利己的悪意しかもっていない。いいかえると、起業や投資を通じ自身が蓄財することはいうまでもなく、資本主義のしくみを強化する世襲その他の権力者になったところで社会の不公平や、所得格差による不幸感の蔓延を解決できない。
 個人事業主や自営業者がふえると企業の担っていた生活保障の費用が外部化されるので、 政府により生存権が十分確保されない場合、企業が外注化を進めさらに競合する個々の契約先が買い叩かれ、疲弊する結果になるはずである。一部のブロガーやユーチューバー、オンラインサロンなど個人IT商人が割高の独自商品を直接顧客に販売することを勧め、被雇用者を独立させようとしているが、これは扇動され会社を辞めても生活保護が確実に得られない健康な一般人の殆どへ浮浪者になるよういざなっているともいえる。いわばこれらの脱社畜信者ビジネスは、個人としてやっていけるほど十分商才がないが、会社員のくらしにうんざりしている一部の労働者を甘言で釣り、対価や信仰の獲得とひきかえに大部分の生活保障をきりすてている。扇動された全体の一部には当然商才があるだろうから、後光効果と自己責任論を用い辻褄をあわせ、称揚されるごく一部の成功者を除く大多数の犠牲者らは教祖たるインフルエンサーらにひたすら搾取され続ける。これは構造的に、脱社蓄教という新手の新興宗教といってもいいだろう。その功罪は結局のところ大企業にとって都合のいい、代替可能な個別契約の外注先をふやす結果になるので、資本の寡占状態と、個人事業者らの取り分減少かつ労働環境悪化を強化することに帰着するだろう。
 資本主義の根本的矛盾である社会的不公平を解決するには、現実的に社民主義が最良の答えだった。北欧諸国が少なくとも現在その模範である。つまり累進化した高税率と結果の所得調整が、必要十分な解法だ。そして国有企業や行政法人(公的セクター)の拡大を否定し、民間委託(福祉自体を営利企業に任せる民営化ではない)を進め、具体的福祉給付において、競争入札的に民間委託先を選ぶ、公開されていて透明な過程が必要なだけだ。自由主義も共産主義も極論だった、社民主義の進化が正しい中道だったというのが現代までに実証され、確立された社会的な幸福の構築方法である。この観点からいえば安倍政権が日銀・GPIFを通じた税収や国民の貯金によるETF購入で日本企業を国有化させているのは完全に日本企業の非効率や自民党・政府との不正な癒着を進める共産化政策でしかなく、既に得られている知恵ある知見に逆行する悪しき財政政策だ。安倍氏に失政の反省や理解力は期待できないので、当然ながらできるだけ早く退陣させ、社民党を中心とした新政権を樹立させるべきということになる。またさらに重要なのは保守的固陋さをもつ一般民衆に、この中道の合理性を正しく伝える事にある。彼ら一般日本人はGHQや米軍による間接占領以後、米国の政策や思想全般に依存的となっているし、北朝鮮が社会主義政策をとっていると考えており、旧ソ連の実例をみてもいるので、成功した社民主義国である北欧の幸福度を社会主義に対する否定的な確証偏見で正しく評価できない。衆愚に啓蒙する仕事は、私が長い間試行錯誤した実感としてごく大変な作業であり、世俗知に関心も興味も欠けている私にその才能があるとは少しも思えないので、読者諸氏の賢慮に期待する。

人間への関心

利己的な人は他人から得られる効用のみに関心があり、しばしば有害でさえある人間自体に関心をもたない。だが博愛は悪徳を含む人間自体へのものだ。人格主義を信じる者は人間の道具視から離れ、単に生命の一つとしての人間に目的たる関心を持たねばならない。

哲学者と芸術家の同一性と違い

哲学とは言葉で表された思想だ。この定義に基づくと、韻文の形をとる詩や、小説その他の文芸も、科学論文の一切も、雑談とか講演、会話、文通といった言葉を通じた表現も、又まだ自分の脳内にとどまっている考えも、そこに含まれる。
 言語を用いて知恵を友愛する一切の活動が哲学である。この意味で、私は自然哲学(道具としての数学という記号論を含む自然学、通俗的には科学と呼ばれている)や形而上学を行い、私の認識を散文体、口語体、韻文など言語芸術の諸形式を用い表す。更に、私は絵や建築、音楽など非言語表現においても同じことをする。だから哲学者とか芸術家、画家といった呼称は本質的に同一のものを指している。そこにある差は、哲学者と呼ばれる人が口頭か文章による散文体の形式でしか思いを表せないのに対して、芸術家と呼ばれる人はそれ以外の形式でもできることだ。

市況への適応

不況で格差が広がりますます生活費に困る人がふえている時、つまり一般に生存権の確保の為だけにさえかねが足りない時に金儲け自慢をする人達(主にインフルエンサーと自称している)は、単に憎しみを稼いでいるのであり、徹底的に人類全般から復讐される為に喜劇役者を演じている様なものだ。
 不況に清貧となり、好況に蓄財せよ。失敗者はこの逆を演じており、不況時に成金自慢で世間からうらみを買い、好況時には散財し手元に何も残らない。

世俗知の手段について

私の現実に見聞きした全人類は悪徳の塊で、つきあうに足る友は一人たりとも見いだせなかった。全現生人類がもし私より道徳的でなかったなら最早なにも学ぶべきことはないのだが、少なくとも各知識、諸能力に限っても私より優れた人が多くいるのがせめてもの救いだ。
 確かに私は神に成りたかったし今も変わらずそう思っている。人類は愛するには余りに愚かで卑しく、有害で親しめる相手ではないからだ。
 私には全知全能全徳に達するまでなさねばらならぬことが余りに膨大なので、通俗性にかかづらう時間がますます無駄に思える。愚かで卑俗な人々の生態を知ったり、彼らの好むところのものにも通じているのが真の全知だと、私は福沢諭吉による同記述を鵜呑みに一時期、勘違いしかけた。現実には愚かさや卑しさは固有の情報界をもっているが、その中にある秩序はやはり暗愚や不道徳に由来する多くの混乱を含み、そもそも理解し難いのだった。愚かな者をどれほど思いやったところで自分が同等以下に愚かでなければ相手の考え方など到底想像もつかない。つまり世俗知は抽象化し、何らかの間接的な手段で要領よく理解するのが最も手っ取り早く、合理的ということだ。
 経験のみによって世間を知るのは、得られる標本母数が少なすぎる為、一定の信頼が置ける科学的認識というより、しばしば何らかの反証または確証偏見を伴う経験値にしかならない。だから世俗知を十分得たければ必ずしも直接体験のみによらず、反証性を目的とした無作為かつ最大母数の抽出という手段、つまり帰納的な手段をとるべきであり、それは通俗的な疑似科学や、任意の統計操作を含む俗受け報道的な作為とは正反対の作業になるはずだ。この意味で、社会学的理解を深めようとする者が社交全般を現地調査の様に見なしていたり、そもそも彼らが人と交わるより何らかの媒体に接する時間の方が長いので、単なる経験のみに依存する俗人の目には奇異に映るとしても全く驚くには値しない。抽象的理解力が知恵の原型であることは「歌人は居ながらにして名所を知る」とか「賢者は歴史に学ぶ」いうことわざにも示されている通り、何ら変わらないからだ。

創造力の定義について

私は創造力という言葉に事物をあるべき様につくる才能をあてる。
 聖書は創造主(造物主)という、世界をあるべき姿でつくったはずの存在を仮定した。知的設計論はこの比喩を人型の神(人格神)なる前提なしに抽出したものだった。一方、自然の全ては物理で、人為の全ては倫理で説明される。自然の原因を造物主なしに説明すべくビッグバン仮説が唱えられたが、私の宇宙観によれば時間の停止は各ブラックホールで起きていることなので各宇宙を含む世界全体に各ブラックホール以前の時間というものはない。いいかえれば天地創造という働きは、もし具体的に説明すれば単に各恒星の誕生としての時間の中の物理反応や、引力場が最も弱まり光束のみで満ちている時間の最速化したホワイトホールといった地点で見られる物理現象である。つまり神という比喩は人が物質を加工し何かを作る働きから類推し、自然という物理的世界も創作意図によっていると考えた古代人の妄想だった。宇宙の物は単に時間の流れの中にあるので、それを無から作る必要はない。有が無から生み出されるというのは、単なる妄想の飛躍であり誤りだ。地球の日常的自然現象が時間の中で営まれているという人類的偏見が、宇宙解釈へ無意識に適用されてきたのが創造主や天地創造という誇大妄想だった。
 この世で人間界を作っている技のうち、行動に当為を与える倫理哲学の働きが最も高貴で通時的かつ普遍的な技なのが事実だ。つまり人は創造主という嘗て聖書の冒頭で語られた存在自体には成り得ないが、物理的に環境を改変する芸術家や諸技術者、或いは人間界に賞罰を与える善悪の定義を行う哲学者には成れる。

柿食えば野趣の溢るる味のする

世俗知について

 ある知的(ふさ)はその房に属する要素との共通性の多さと、類似性によって距離がはかられる。この房の一規則として例えば真偽判断の精度といった命題があり、或る賢さの定義となる。この意味で賢愚はある規則を含む房との距離でしかない。
 尊卑は道徳知について同じ規則ではかられる。この房が知性を決める基本的な情報の束だ。
 全知の房が世俗知を含むなら、無理解の混沌を程度こそあれ含む通俗的理解の房をもつことが必要となる。しかし、賢さの一部としての世俗知は、単なる通俗性或いは愚かさそのものとは異なる知性の部分である。いいかえると、知性という全体集合に対して、賢さという集合の一部としての世俗知という部分集合は、単なる愚かさという部分集合とは異なる集合である。愚かさは知性にとって賢さとは異なる部分集合であり、かつ、愚かさは多分に誤解や無知という要素を含む。 賢さは有知の要素を含む。また無知自体が賢さではないということがもし真なら、無知の知とは有知の要素である。
=:等しい
⊇:含む
∋:要素として含む
¬:でない、否定
∨:または
全体集合:知性={賢さ、世俗知、愚かさ、誤解、無知、有知}
知性⊇((賢さ(∋有知∋無知の知)⊇世俗知)¬(愚かさ∋(誤解∨無知)))
もし世俗知が愚かさ自体ではない、ということ、そして世俗知は賢さに含まれるということが真なら、より賢さの知的房に属したいと願う人は愚かさ、或いは通俗性を社会学的研究対象としてのみ認識すべきで、決して当人が愚かであるべきではない。つまり同時に賢さでもある様な、世俗知の範囲内において、世間を見聞きし分析する必要がある。愚かさ自体を知る事はできないにせよ、愚かさがどんな誤解や無知の型をもつ可能性が高いかなど、世俗知の範囲内で俗事に通じているのは確率的予想の可能性を若干高めるのだろう。

2019/01/23

無償主義について

資本主義者は単なる悪人であって、利益追求の名目で他人から貪ろうという、人間の道具化を行っている人達の群れなのだ。カントはとうの昔に目的の王国という当為、そして人格主義の定立(人間性を決して手段としてではなく同時に常に目的として行為せよ)を通じこの様な人間の道具的使用を禁じていた。
 商取引の相利性をデリダは返礼の省略として正当化した。だがこの背後には搾取(労働価値の経営上位者からの吸い上げ)や壟断(価値の偏在を取引差額として上乗せする行為)による蓄財を、純粋な無償の奉仕に比べて同等以上に重要な事かの様にする偽装が含まれている。
 政府や宗教による所得調整が生存権確保のため十分に行われない社会では、自由至上主義や新自由主義、その他拝金主義といった資本主義の暗面を単なる自己利益のため強調する資産家が羽振りを利かせだし、傲慢にも彼らが貪ってきた貧民を虐げ始める。この意味で全労働者に生存権を確保しようとした共産主義や、その前段階として公的福祉の充実を進める社民主義(社会主義)は、いまだ労働や投資などの営利活動への参加を否定する者(それは善意というべきだ)を救うことはできていないにせよ、少なくとも市場の需給原理による配分のみに経済活動を集約させたがる自由主義(及びその根底にある資本主義そのもの)よりは人間的でましなのである。
 自由至上主義や新自由主義は、国の中に所得格差を広げ、収奪できなくなった国民を見捨てる富裕層の海外流出を鼓舞する。同時に地球経済に加担し、搾取・壟断を人口が多く経済発展が見込める他国に及ぼそうとする。いいかえれば人間の道具化を一国民から全地球人に向けかえるのが自由主義者の必然的帰結だ。一体これが悪意でなくてなんなのだろう。経済全球主義は発展の後押しという名目で、投資や現地法人を通じ新たに奴隷化した労働者らから貪る目的しか、その本質には何もないのである。これまで国内で貪ってきた結果、もはやなんの上前も吸い取ることができなくなり、生存すらできなくなった奴隷の消費余力が枯渇したので、今度は何も知らない新興国の労働者に同じ収奪行為をしようというのだ。地球規模の格差が縮まっているというありふれた大義名分は、ますます蓄財した超富裕層の節税と売名目的での慈善行為で飾られる。結局、資本主義者がしているのは人間の道具化でしかない。
 我々に善があるなら、それは人間の目的化のみによって実現される。そしてこの善は資本主義の外にある。全く無償の奉仕のみが、真に人間的な生き様なのだ。勿論これまで全宗教が、聖人やNPO団体、ボランティア、一般的善人らと共に試みてきたことはここに含まれる。私はわたしの知識の範囲内では、この立場を命名した人はいないと思うので、無償主義と名づけておく。これは無料のフロントエンド商品を意味するフリーミアムとは全く別の立場である。全ての仕事は全く無償で行われねばならないということが、資本主義のもたらしているあらゆる全地球的災厄から離脱する唯一の方法だ。

死者を弔うふり

日本人一般は死者ときけば途端に弔うふりはするが、その人が生きている間どれほど苦しんでいても決して助けようとはしない。それは人の死を利用して自分が善人だと周りに示すつもりだからであり、完全に偽善であって、殆ど費用を使わない自己宣伝が目的でしかない。もしその人が本当に善意なら現に生きて苦しんでいる人、分けても貧困によって自殺しかけている人を支援しているのだ。
 商人の殆どが義人でないことは皇族が救貧より自己崇拝に熱心なのと同じかそれ以下に卑しい蓄財行為で明らかといえる。資産家は慈善行為以外によっては善良さを全然証明できない。

金の亡者が驕り高ぶる

金儲け嫌う義人は虐げられ金の亡者が驕り高ぶる

安倍幕府について

日本国株式会社は安倍幕府がその殆どを所有する同業組合で、経営合理性より年功序列の情実人事を優先します。従業員持株会に属する日本国民全般にとって、国際競争による大きな進歩より馴れ合いと既得権保守の方がよほど大事な主義で、この退廃的ギルドを抜け出そうとはちっとも思っていないのです。
 あまつさえ経団連と呼ばれる大企業連合は、安倍幕府こと自民党に政治献金を貢ぐ日本最大の利権団体であります。彼らの中心層が定年直前の中高年男性らである限り、日本国民の税金と貯金は、安倍幕府年金機構・日本銀行等の投資永久機関を通じ、堅牢かつ安泰な年功序列体制に注ぎ込まれていくのです。

資本主義・共産主義・社民主義と移民についてのさえずり集

永遠に続く資本主義はなく、新興国に主要な経済発展が移っている現在、寧ろ利益を求める商人は進んで共産国(共産党が与党)たる中国に移民していくでしょう。現実的な話です。労働者の環境悪化は、その国に暮らす危険度をあげる一方なので。
 資本主義(おおよそ株式会社を通じ自由市場で需給を満たす考え)は経済思想であり、共産主義(おおよそ全労働者の生活程度の向上)は主に政治思想なので、中国で両立しています(一国二制度)。逆に、安倍政権は日銀・GPIFを通じた企業国有化、賃上げ圧力等で共産主義国家を建設していっています。
 安倍政権下の日本も、中国も、労働者一般の生活向上を目指すという意味では共に共産主義政策をとっており、特に差異はない。企業国有化の程度でいえば日本の方が中国より共産的といえます。株主・経営者による労働者の搾取が仕事の危険度に応じた当然の利益配分だ、という構造は共産国でも同じです。
 共産国(中国や最近の日本)に移民しても、金持ちが貧民を搾取するという構造は変わらないので、商才による貧富の格差という根本的な不公平は、余り解決されていない。むしろ社民主義をとった北欧の方が格差が減りました。所得の公平が国民の幸福度を上げるとされているので、行くなら社民国でしょう。
 多分、商才を生まれもたない個人は、終生貧困に耐え、金持ちがより金持ちになる政策をとり奴隷化した労働者をひたすら収奪すべし、という自由至上主義(リバタリアニズム)的なご主張なんでしょうが、問題は低所得者が消費できず物も売れなくなる事です。新興国に経済成長で負けている理由です。
 物が売れない国、貧困が蔓延した国は子供も産まれず衰退し、経営者など金持ちは進んでその資本国から抜け出してしまいます。お金がなくなり、人口も減っていく国はもう資本国ではありません。現状および近未来の日本であります。労働者が生活しづらい国は、搾取する経営も成り立たないというわけです。

安倍内閣の赤字国債踏み倒しについて

安倍さんの誇ってる長州藩(や薩摩藩)は藩札を踏み倒した。借金逃れを兼ね内外でテロ活動を行い政府をのっとったが、一揆や士族反乱にみられるよう民衆は苦しんだ。明治維新を美化している安倍内閣の人々は、全く同じ事を国単位でいつでもやるでしょう。中韓に対する先祖帰りの態度も類似しています。
 一般民衆は歴史に学ばないというのが歴史の鉄則であり、そもそも国債・公債を円の増刷で水増しして返却されるという実質的な踏み倒しに気づく知能はないと思われます。安倍内閣やその背後にいる財務官僚は重々それを承知で赤字国債を乱発している。確信犯なんでしょう。最終負担者は円保有者全員です。
 円への信用は財政危機や日本の経済成長が見込めない為、一部投資家の中では下がっているので、暗号資産がより安全な資産保有先として需要されてきた。それを自公政権が弾圧するのは、踏み倒し前提に(安倍議員の縁故主義の為の)赤字国債を発行し続ける民衆負担の円通貨圏に国民を囲い込む為でしょう。
 更に状況が悪いのは、安倍さんの任期が切れてから借金踏み倒しを別の内閣、または別の与党がやらされる、という狡猾な策謀が現実のものだということです。たとえばジム・ロジャースさんは以前から似た指摘をされてるので、このことは知っていると思います。知らないまま扇動されている民衆が哀れです。

※このブログURLは2019年6月8日に
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