2018/10/31

死んだ国

天皇と首相が違憲の死んだ国
不正するゲス安倍選ぶ衆愚自民
SBI首相の不正を隠す企業
極悪の天皇と自民国を乱す
アメリカに媚びて国売る安倍晋三

2018/10/30

失敗

人々はある種の成功を賞賛するが、本当に賞賛されるべきなのはありとあらゆる失敗をくり返していた時それにめげなかった根気の方だ。

2018/10/29

極悪都

渋谷人ごみ捨て犯罪自慢する
東京人渋谷で悪事し田舎差別
差別する東京都民が悪しきのみ
差別して原発ばら撒く極悪都

奴隷となる自民

安倍晋三世を悪くしてのさばれり
長州人テロと侵略驕りきる
自民党悪政三昧驕りきる
天皇家違憲立法民騙す
悪政の極みというべし末期自民
米国に依存し奴隷となる自民
独裁制崇める衆愚国のがん

2018/10/28

理想

理想の低い人には悲壮な現実しか手に入らない。

欲望

人々は大層な欲望をもつ
だがこの世で最も幸福なのは僕だ
秋の日の夕暮れの光が
風呂場の窓から見えるブロック塀や
僕の愛する町に降り注ぐのを見る
それだけで僕にはこの宇宙の美の全てが見える

薄汚い差別の塊日本人

薩長の下衆がうそ吐き裏切りを自己正当化する汚い日本国
皇族と自称のやくざ邪教祖が貧民搾取し権力独裁
薄汚い差別の塊東京人田舎に原発おしつけハロウィン
薄汚い差別の塊京都人田舎を蔑視し小中華思想

国内侵略犯の薩長土肥

下衆が国内侵略犯の薩長土肥を自慢する
なるほど下衆にとって日本人殺しが勝利か
日本人同士に殺し合わせ金を貪った坂本龍馬
勿論最低最悪のテロリストであり内乱罪人だ
極悪人を褒めまくる汚物の様な愚民
皇室という邪教祖に媚を売りまくるバカ
どこまで卑しく愚かになれば気が済む
信じ難いほど劣悪な愚民国
自慢が下品だと気づかない
道徳のかけらもない利己と害悪の塊
金儲けと社畜をおしつけあう奴隷階級
権力に諂い不正を応援する馬鹿
確かに腐りきったごみ未満の国だ
今すぐ全滅させるのが最善だろう

けがれた日本国民

けがれた日本国民
善良な人間がいない国
偽善者が群れ
朝から晩まで極悪独裁者に媚びる
腐りきった政府
自民やくざが毎日悪業三昧
皇族邪教祖が違憲行為を連発自慢
これほど歪んだ衆愚の国があるものか
無学な労働者が差別をばらまき
ひたすら原発で弱者虐殺
世界最悪の野蛮国で自画自賛しかしない
どれほど愚かになれば満足する
地平線まで埋め尽くす衆愚の国だ
絶滅以外何も望まれない国

なんの理想もない

なんの理想もない
ひたすら自信のない愚民
周りの雑魚に群れ
虚勢を張って差別
下賤の極み
醜悪すぎる日本人
悪徳自慢以外やることもなく
搾取罪を付加価値ぶって貧者圧殺
卑怯者の俗物に群れて
今日も労働者自慢
自民やくざに媚を売り
皇族邪教祖を礼拝し
ひたすら国内の弱者虐め
汚すぎる日本国

人の消えた世界

人の消えた世界
下らない人類がいなくなった世界
金儲けに躍起になり朝から晩まで駆けずり回る
繁殖しながら生存競争
うらやみとねたみでできた下賤な国民
国際社会から褒められようと偽善を極め
国内では都道府県差別をくり返す下衆
勿論日本国民など全員死んだ方が良い
皇族と名乗る殺人教団ごと原爆で消し飛べば良い
原発を田舎暮らしの善人におしつけ
己は都会で堕落自慢
勿論消え去るべき最低最悪の国柄だ
自画自賛しかできない生まれつきのごみ
極悪衆愚が今日も悪業三昧の醜い国

浅はかさ

東北と中華思想で蔑視して呼ぶ日本の本来の居住地に住む先住日本人らを、侵略犯のやくざである自称皇室という邪教暴力団やら旧中韓人の弥生人の末裔らが蝦夷と差別し続け、弾圧し、政治的独立を破壊し、その先住日本人らが震災時に普段通りにおとなしくすれば、世界が賞賛したと突然手のひらを返し日本人扱いする。皇室を崇拝する自称右翼、弥生民族の末裔らの底知れぬ浅はかさよ。この種族の目的は利己心しかなく、しかも外国からの名誉という卑俗な目的の為ならあらゆる蛮行を恣にし、平気で手のひらを返し裏切る。その品性下劣さに何の自覚もない。自称天皇と名乗るこの古代中国移民の末裔ほど卑しい人間がこの世にいたものか。

2018/10/26

愚民国家

日本国とは正真正銘の愚民国家であり、その国に対して最善の対応とは無視する事でしかない。この国民を構うほどそれは国際社会に有害な影響をもたらすからだ。

ネット世論・テレビ世論の衆愚さ

ネット世論とは、テレビ世論を劣化させたものでしかない。衆愚がテレビからネットに移行して烏合の衆をしているだけである。特にゆとり若害は、ウェブ上で衆愚に混じり愚見を述べればそれに付和雷同する事が正義と、妄執している傾向にある。だがそこで行われていることはテレビからインターネットに依存するメディアが切り替えられただけであり、中身は多数派への妄従という劣悪な行動でしかない。
 正しい意見とか、傾聴に値する卓見は、これらと全く別にあり、しかもそれは直接、賢者なり人徳者に直帰している。

2018/10/25

商売国民

人間生活をより楽にするための商売で、足りない金を奪い合って苦しむ愚かな日本国民達。勿論この種の悪業に参加しない事のみが唯一正しい。

尊さ

たとえ卑しい国民に囲まれていても、自分ひとりは尊くあれ。この世にあって多数政治の真っ只中でも、自分ひとりが尊ければそれは十分なのだ。人間の物事は最高徳に従う結果に至るからだ。

2018/10/24

差別とひいきの因果

人が激しい差別やひいきをくり返せば、必ずそれにふさわしい反動がくる。しかもこれらが悪因であるからには、凄まじい悪果が。皇室の末路を見よ。京都市の末路を見よ。東京都の末路を見よ。中華思想で自己崇拝や自国民への差別をくり返してきた極悪人達がどの様な必然の破滅を得るか、因果の網の目をみているがいい。

悪事の隠蔽

首相や自民党の不正をかばい、野党を無能と罵る衆愚は、不正を押し通す為、不正を隠しだてする為に悪意でそうしているので、現実において個人でも同じことをしている可能性が十分に高い。衆愚になればどんな不正、どんな悪業も然るべき悪果がやってこない、と考えている点で、この日本人衆愚、自称右派、自称保守の自民支持者や安倍信者らは、地獄に堕ちて不幸のどん底で苦しむ事になるが、それは彼ら自身が凄まじい悪事を重ねながら隠蔽してきた因果応報である。

関西地方

関西地方は、いじめをいじりといいかえて集団虐待を正当化する卑しい衆愚の社会である。そしてこの衆愚は自己中心的で通俗的かつ傲慢であり、自分たち移民が日本の中心だと豪語して恥じる気配がない。それが近畿や京都という、中世の差別を引きずる恥ずべき中華的自称である。

悪の集団

皇室と自民党という悪の集団を絶滅することなしに、日本国政が一歩でも前に進むことは永遠にできない。この種の極悪教団、邪教集団を崇めている衆愚を一匹残らず除去することこそ、真の愛国心の発露というべきだ。この世で多数派が少数派を弾圧するほど醜く、あしきことはありえない。

尊い精神

尊い精神は美しく、それ自体が満足をもたらす。だがこの精神を疑う事こそが真に尊いとは。

金を奪い合う衆愚

足りない金を奪い合う者は愚かである。競争し他人から金を奪った証拠を選好するとは、即ち悪意を選び取ることでしかなく、その様な悪人とつきあう者は当然のよう不幸になるであろう。

資本主義世界秩序の批判

労働階級や、労働主義者(企業の被雇用者として労働する事を至高、もしくは普通の価値観とみなし、それ以外を蔑視する集団)らの信じている社会秩序は、確かに奴隷生活への自己適応でしかない。これは公務員という邪教暴力団(皇室)の手先をしている労働者らも例外ではない。そして多少なりとも知的な人間は、彼らの生態を客観視しこの様な奴隷生活を侮蔑するに違いないので、必ずや資本家になる。我々にとってこの様な必然の過程が、弁証法的展開である。支配階級としての資本家は、奴隷階級としての労働者を無知で、衆愚なままにした方が好都合だと気づき、ナショナリストや愛国者、保守主義者、マスメディア、ネットメディアといった分かり易い愚民洗脳装置を利用し、各国の奴隷制に諸国民を縛りつけておこうとする。この結果、世界はグローバリスト、自由至上主義者らと、それ以外の付加価値生産の奴隷たる労働階級に分離されていく。そして奴隷自身はこの秩序を正義と信じて疑わない。なぜならその衆愚は見事に洗脳されきった家畜・社畜・国畜であり、自分達の搾取される為の労働生活が最高の幸福だと完全に思い込み、その外にある生活を無意識に差別する様にしつけられているからだ。
 この種の構造に悪意がないとはいいがたいが、その国畜製造の悪意の最たる存在である皇室は、邪教によって自己崇拝させ、国畜奴隷らをこっ酷く搾取しながらあがめさせるだけの暴力を、政府として独占している。しかもこの邪教祖らは偽善の口舌を極度に巧妙にしているので、国畜奴隷が喜ぶ言い方で、奴隷階級をおおみたからなどと褒めそやすので、奴隷の方は自分から土下座し、天皇一派を陛下と呼び平伏するほどだ。けれどもこの皇室と自称する極悪宗教家の悪意に対して、奴隷階級自身の無知にとどまりつつ同調圧力で自国民を自らと同じ不幸な奴隷にしたてあげようとする悪意や、資本家らがこれらの衆愚を利用しようとする悪意も、軽視できるものではない。
 資本主義的世界秩序とは一面からはこの様に実に醜悪なものでしかないが、それを肯定的に見ようとする人にとって需給の一致を実現するという麗しい理念は実に欺瞞的である。その欺瞞は資本主義・自由主義信者を完全にあざむききっているので、彼らにとって衆愚である労働階級も、国家の暴力団員である政府の構成員も、いずれも敵となる。
 彼らは資本主義秩序以外を差別し、蔑視する様に自己洗脳をくり返しているので、そこでの成功、例えば社民主義における幸福度の上昇や、共産主義の一国二制度における経済的上昇を兎角口撃し、反省する事はない。要するにこれらの自由主義陣営を自称する衆愚は、凶悪な奴隷制を世界中に流布しようというだけなのだ。しかもその考え方は彼らがしばしば陰謀論の的にするユダヤ教的選民思想等に向け換えられるとはいえ、根底的には彼ら自身の邪悪さ、自己中心な利己心に由来しているのである。
 したがって今日の知識人が多少なり良識的なら、この様な資本主義秩序、そこには自由主義、修正資本主義、神道、皇室、自民党政府、企業、市場、労働者、貨幣経済などこれらすべてが含まれるが、それ自体を疑義するべきであり、決して保守とか現状維持とかで現実逃避したり、あるいは明治信者のよう過去の愚かだったあらゆる時代を美化し退行したり、妄執的に自称先進国の衆愚に同調し自己正当化すべきではない。寧ろ非資本主義的・非自由主義的なあらゆる世界秩序の美質や利点に目を開き、そこから学ぶことが必須である。

卑しい人と文

卑しい人は長文を読めない。卑しい人は短文しか読めず、しかもそれすら誤解する。卑しい人にわかりやすく語る事は、事実上不可能である。だから卑しい人に向けて、何事も語るな。卑しい人は達文に学ぶことがないのだ。
 卑しい人の評価はでたらめで、悉く勘違いしている。だから卑しい人からの風評を聴くな。卑しい人達とわずかでも関わり合いになったり、ふれあったりしてはならない。 卑しい人達の発する言葉は、酷く有害だと知れ。それは悪徳の塊であり、尊い人にとっては理解も、推測する事もできない。

既得権と保守性

既得権を維持する為に保守的な事を述べる様になった人間は、一秒でも早く死んだ方が世の為になるであろう。

大衆の価値観

通俗的な価値観、大衆の評価がまったくあてにならず、しかも実に卑俗で軽蔑すべきものであることは、どんなに強調してもし足りない程だ。

秋の香り

まちに降りるうつくしき夕暮れと秋の香り
七色の空に張りたる梅の枝
七色の空に張りたる蜘蛛の糸

尊卑

自分の利益と共に行動している人は、卑しい。利他的な道徳と共に行動している人は、尊い。商売人は卑しく、哲学者は尊い。労働者は卑しく、無業者は尊い。皇室は卑しく、世捨て人は尊い。商業芸術家は卑しく、純粋芸術家は尊い。

2018/10/23

重要な国民

二大政党や両院、政教分離の意味すら分からぬ愚かな日本国民は、テレビ・ネットを通じ皇室に洗脳される程度の政治的知能しか持ち合わせていない。だが重要なのは、その種の衆愚以外の国民である。我々は重要な国民のみに焦点を絞って、日本の政治を考えなくてはならない。

捉え方

同じ物事でも、捉え方を転換すれば幸になる。
 金が儲からなくて苦しいと考えるのではなく、清貧に生きる機会を与えられたと考えよう。魅力がないと考えるのではなく、高尚さは大衆に理解しがたいと考えよう。衆愚に囲まれて苦しいと考えるのではなく、自分が孤高なのは救われていると考えよう。しかもこれらはすべて、以前より正しい見方をすることによっている。通俗的な物の見方はすべて誤っている。
 衆愚の国で邪教祖が国税を貪っているのが事実だとしても、自分がその様な愚民の一員でない事は、既に救われている。
 愚か者が明治維新の際に侵略犯や内乱罪を犯した極悪人らを尊敬しているとしても、薩長土肥や坂本龍馬、岩倉具視や明治天皇といった恩知らずにして裏切り者の悪魔らを模範にしているとしても、自分がその種の大馬鹿者でなかった事に感謝しなければならない。

2018/10/22

日本国民の性質

日本国民一般は卑しい国民性なので、その様な人々に関わったり、接する事で苦しみ、不幸になるのは必然というべきだ。ただ日本国民、日本人一般に関わり合いにならぬ様に暮らすのが最善である。卑しい人々が尊さについて理解するのは先ず無理であり、期待しようもない。日本国民一般に触れたり、近づいたりしない事。これだけが幸福になる最上で最後の対策である。
 卑しい日本国民によき趣味や良心、良識を期待する事はできない。だからそれらの人々に触れるな。
 卑しい国民の存在意義は、世界の反面教師となる事だ。日本人一般の悪徳と悪業が、然るべき結果をもたらすのを、自分ひとり冷めて、美徳の中に安住し見ているがいい。
 平成時代の日本人一般は、間違いなく衆愚でしかなかった。今後その性質が急に変わる事は、遺伝や教育の質が一定であるからには、おそらくないであろう。

2018/10/20

悪徳

悪徳をもつ人々はそれを表す為に生きている。その様な人々が改心しないなら、単に、彼らにとってその習性は世に反例を示す為のものなのだ。

卑しい人々

私は卑しい人々を山ほど見た。そして彼らについて思い出さないこと、思い出してしまったときは反面教師にすることで、どう生きるべきではないかについて知った。

2018/10/19

自由

自由に生きることは、隷属的に生きることより優れている。隷属的に一生過ごすより、自由に一日生きた方が幸福である。

衆愚と独裁者の共犯

首相や自民党総裁の悪事や不正、違法行為、違憲行政・違憲立法をなかったことにしようとする偽愛国者たち。要するにこれらの衆愚は、独裁者の悪政すべてを棚上げし、多数政を放棄しているのである。単に、天皇皇族や安倍晋三といった独裁者のみならず、わが国のがん細胞とはこれらの自称右翼、自称保守の衆愚である。

高貴な生

巨万の富を蓄えてみても、世襲の象徴の地位に就き民衆を洗脳してみても、卑しい人に高貴な生を味わう事はできない。優れた幸福は徳に応じてのみ味わい得る。

2018/10/18

禍根

卑しい人との関わりは人生に禍根を残す。孤独と卑しい人との関わりを比べれば、前者が遥かに優れている。明察する者はこの道理を見抜き、いたずらに交際を求めるな。
 卑しい人は、ただ有害なのだ。説教によって改善させられると思い込み、啓蒙主義の罠にはまってはならない。それは永久に不可能だからこそ、卑賤な者の不道徳さが改善した試しがない。卑しい人に対処する専門の職業、教育家や宗教家、警官、刑務所員、裁判官、自衛官、軍人、精神科医らに、卑しい人の人生の事を任せるがいい。

卑しい人の意見

卑しい人の意見を聴くな。卑しい人はひたすら利己的で、害他的な考えを当然かの様に主張する。だがそこには何の道理もない。卑しい人は立派な考えを学ばない。卑しい人は勉学を疎む。卑しい人は俗説を鵜呑みにし、衆愚に同調する。

幸福になる手段

卑しい人を避け、卑しい人々の発する情報にふれないよう生きる事。これが幸福を得るすべての手段だ。

卑しい人の考え

卑しい人の考えを知ろうとつとめる努力は無駄である。そこには何もない、つまり考えなしに言動しているか、知ってみても呆れるほど愚かな考え、大いなる過ちや、下賤な利己心がでてくるだけだからだ。

悪役

卑しい商人は、寄付が代価と勘違いし、返済を要求して恥じない。この種の人は何事にも代価を要求するものなので、真の善や、慈善というものが理解できない。つまり悪役である。

関わり

この世で最も苦痛なのは、卑しい人との関わりだ。人生で幸福を得るのにこれより役立つ教訓はない。自分より卑しい人と、決して関わり合いになるな。不幸のほぼ全ては、卑しい他者が持ってくる。卑しさとは不道徳さだ。卑しい人を助けてはならぬ。卑しい人は逆恨みするからだ。卑しい人との交わりを断て。卑しい人と接さない限り、人が自ら不幸になることはありえない。人生で最も悪い行いは、卑しい人と接点を持つ事だ。卑しい人と関わるくらいなら、一人で過ごす方が比べものにならないほど優れている。卑しい人と親交がある状態より、天涯孤独の方がはるかに優っている。
 卑しい人々に囲まれる様な国にあっては、ひたすら孤独を追い求めるがいい。卑しい人の忠告を聞くな。それはひたすら誤っているばかりか、とかく人を不幸に至らせるものでしかない。卑しい人が夢中になっている物事もひたすら悪い。卑しい人に親切にするな。卑しい人は必ず恩を仇で返してくるからだ。
 さかしらでいて悪徳に満ちた人は最も悪い。その種の邪悪な人間と一切接するな。すでに関わり合いがあればすぐに断て。
 愚かな者と接すれば自らも堕落する。愚者を相手にするな。愚か者に説教してみても、彼らは一切学びはしない。愚者は亡びの悪例としてしか意味をもたぬ。
 自分より尊い人としか接するな。その種の人が見つからなければ、他者との交わりを断て。尊い人の孤高は幸福にとって最上の状態と知れ。
 自分にまさる一部の知識をもっている人でも、自分より卑しい相手なら関わり合いになるな。その様な人物と接さずとも知識を得る手段はあるからだ。悪徳をうつされるより、知識を別の仕方で学んだ方がはるかにましである。
 この世で人は尊い人と接した程度に応じてのみ向上する。他方、卑しい人に関わり合いになるだけ堕落する。自分より尊い人とのみ接し、自分より卑しい人には一切関わり合いになるな。卑しい人々が集まっている場所には近づくな。都会を避けて生きよ。政府や皇族と関わり合いになるな。暴力により支配を試みている政府や、宗教で愚民を洗脳する皇族は卑しいからだ。商売人と接するな。搾取を生業にする人間は浅ましい。

道徳

この世で最も価値のある知識とは道徳だ。だが卑しい人はこれが分からず、悪徳のままに過ごし破滅していく。

2018/10/17

つきあい

 愚者や卑しい人(不道徳な人)とかかわらずにいきるべきだが、賢者や尊い人についてはそうではないだろう。自分より優れた人、即ち、賢者や道徳的な人物と接する事でわれわれは自己を向上させうるのだから。

資本主義論

資本主義者は付加価値と呼ぶものを、共産主義者は搾取と呼んでいる。これを資本主義者は善と考え、共産主義者は悪と考えている。搾取とは、マルクスが『資本論』で説明した概念で、経営者なり資本家(株主ら)が、労働者に働かせて、労働者が稼いだ額の一部を抜き取って懐に納めている、ということを指す。英語でexploit、搾り取るという意味なので、日本語で、搾取と訳している。しかし、資本主義者は、これを企業が労働者なり消費者なりから、原価以上を稼いだ証拠と見なし、付加価値と呼んでいる。つまり儲けとみなしているのだ。 
 私が疑問なのは、商売は自己利益を含む振る舞いなので、真の善ではないのではないかということだ。他方で、デリダというユダヤ系フランス人の思想家は、商売を善と見なし、相手が何か奉仕されたお礼を省略する為にカネという対価をもらうのだといった。それで商人階級でうずめられた東京都民は、食べ物を残して捨てても、後悔しないし、吉野家で牛丼だされても、金払ってるから当然だという態度で感謝もしないことになる。その上、農民蔑視を始める。なぜなら「付加価値」の低い仕事を見下すからだ。最も付加価値が高い仕事は、資本家、投資家、経営者、或いは皇室のいずれかなので、これらの搾取をうまくやっている人達を尊敬しだす。商業主義というやつである。芸術にもその影響は及び、売れているものをよいものとみなしだす。
私は労働者が、画家を差別してきたので、資本家になろうと考えた。資本主義は労働主義ではない。資本主義は上記の「搾取」「付加価値」を目的にするものだから、労働一般はそこでは価値が低い行動になる。労働主義とは、労働を目的にする思想を指す。日本人の一般大衆が信じている思想である。日本人は労働主義者ではあるが、資本主義者ではない。だから安倍政権が、反資本主義的な政策をしても容認している。また、しばしば金持ちを蔑視さえしている。蔑視というよりねたんでいる資本家になる事を拒否している。労働主義とは、おそらく、天皇制に洗脳された人々が、天皇の奴隷となる事を自己容認するための思想なのだろう。日本政府が、文科省や文化庁を通じ、日本国民に教え込もうとしている思想は、この労働主義である。彼ら日本人衆愚は無知な群集の一員になる事、自分が日本国の多数派に紛れ込む事を安全策と考えていると見られる。労働を金もうけの手段として容認しつつ、金を無限に儲ける事を目的にしている。
 仏教は乞食を是とするので、本来は非労働主義である。京都の坊主が投資始めた、というニュースからいえるのは、金もうけする坊主と言う時点で、京都の仏教界は腐敗している、または変質しきっている。仏教の世俗化はいいとして商売が善なのかについて真剣に分析できていないからそういう問題が起こる。労働主義というのは、皇族が安定して税金を搾取する為の洗脳だ。 
 スーパーがなくなれば商店街がもどる。またはアマゾンのような通販になる生協もある。要するにそこでけちをしていると、大手が儲け、その大手が儲けた分を更に皇族が搾取する。生協は協同組合なので、営利企業ではない。協同組合とは、構成員が全員出資する組織。協同組合は搾取・付加価値が目的ではない組織だから、労働者と経営者(資本家)の区別がない。全員が組合員なのでその協議で給与を決めている。
 労働主義というのは、皇族が安定して税金を搾取する為の洗脳だ。つまり日本国民一般は、労働する事を是としているが、それは皇族の資本家としての地位を確固たるものとする為の手段でしかない。資本主義の中では、皇族と、その他の資本家は競合している。皇族は自分の組織に暴力を集め、政府と呼ぶ徴税組織を形成している。いわば日本最大の暴力団が、皇族閥、つまり日本政府である。皇族以外の資本家らは、この徴税組織と戦っている事になる。自由至上主義(リバタリアニズム)は、この様な国家政府という敵と戦う為にでてきた思想と言っても過言ではない。ところが、民衆は政府の暴力に怯えるばかりか、自ら政府に依存しているので、自由至上主義者らを脱税していると非難している。
「働く」と「労働」は違う。労働しない、と働かない、を同じ意味で使っているとしたら、間違っている。労働とは経済学用語だ。労働とは、被雇用者の賃金労働に当たる語彙だ。働くとは、一般に人が何らかの労をとって、行動する事を指す一般的語義だ。どちらを指しているのか。働かないというのは、上記の言葉の定義によれば、何もしない怠けをさす。労働しない、というのは、資本家その他の様々な仕事をする人にも当たる言葉だ。言葉を正しく使わないと、誤解を呼ぶばかりか、伝えるべき事を伝えられない。特に、専門用語は誤用してはいけない。専門用語には、特殊な意味が与えられているからだ。
 民衆は政府の暴力に怯えるばかりか、自ら政府に依存しているので、自由至上主義者らを脱税していると非難している。つまり民衆は、皇族による搾取を、自由至上主義者による本来の資本主義秩序より、正しいと思い込んでいるわけだ。ところが、資本主義の本質によれば、完全競争市場に至ったとき、需給が最もよく満たされる。皇族による搾取を、政府による市場干渉といいかえてもよい。政府による市場への干渉度が激しくなるほど、資本主義的な善、いわゆる需給の一致が難しくなる。今日の世界情勢において、最も大きな争いは、国の政府(日本においては皇族の支配する暴力組織)と、自由至上主義者のめざす資本主義的世界秩序の間の争いだといえるだろう。
 自由至上主義を、本質的な意味では、資本主義といいかえることができる。資本主義を世界規模で、脱国家的に再認識させる語彙として、自由至上主義という専門用語がつくられた。そして資本主義の秩序は、グローバリズムを当然含み、国民国家の枠組みを超えていこうとする。しかし、我々が「右翼」とか、「ネット右翼」とか、「ネオナチ」とか、「愛国主義者」とか、「保守主義者」とか呼ぶような一部の民衆、おそらくこれらのひとは衆愚なのだが、これらの人々が資本主義に対して抵抗を試みているといえるだろう。
 他方で、資本主義は微視的に格差を拡大する傾向をもっている。ここでいう微視は、国内単位でみると最もよく見えて来る。国内で、いわゆる相対貧困率が上がる傾向があるわけだ。その逆に、巨視的な単位、つまり国際単位、地球規模では、資本主義秩序は格差を縮小する傾向をもっている。現に東南アジアや中国と、日本の間で起きている事は、他の途上国と先進国の間でも起きるであろう。相対貧困率を下げる(これは国連幸福度によれば重要な施策だ)為に、政府という徴税の暴力組織が民衆によって頼られていると言える。だが、この国家規模の暴力組織、政府が、国際単位で自国第一を主張しだすと、上記の世界規模での格差縮小に反作用として働いてしまう。アメリカ政府が今日の国際秩序に対して、有害なふるまいをしていることがその一つの例示である。
 まとめると、
1.国内的に政府は、徴税と調整(再分配)によって格差縮小の機能をもっている。
2.国際的に各国家政府は、国益を追求することで、世界規模の格差縮小を害する様に働く。
3.資本主義は、国内的には政府を格差縮小の機能として部分的には利用しながら、国際的には自由貿易を推進するように導いている。
商売が善だといえるとしたら、次の2つの機能に限るのではないだろうか。
1.先ず国際的に世界規模の格差を縮小させる機能。
2.国内的には需給をできる限り一致させつつ、政府による税の調整(国税を支払う事と、その福祉への再配分)を通じ、福利一般を向上させる機能。
民衆の一部が、自由至上主義者らの脱税とみなされる行為(租税回避地の利用など)を非難しているのは、こうしてみると、2.の国内における福利の低下という点から、正しい指摘をしていることになる。
 自由至上主義者は、資本主義の秩序のうち、国内におけるあるべき秩序と、国際的にあるべき秩序を、混同しているといえる。また、自民党政府とか、皇族、あるいはトランプといった保守主義や愛国主義を主張する人々が、国益第一という誤った考えを、国際秩序に対して主張するとしたら、これは世界に対して有害なふるまいだといえる。いいかえると、「世界規模での自由貿易」と、「国内における国税の福祉への調整」は、両立されねばならない。トランプ政権や、ブリグジッド以来のイギリス政府は、世界規模での自由貿易を害しているし、現日本政府や中国政府は、むしろ自由貿易の推進に邁進しているので、国際経済というこの点では日中の方が米英より正しい道を歩んでいるといえる。
 南北格差のような、国家間の格差拡大がある、という指摘があるとしたら、これについて国連調整税、国連税をとって再配分せよと私は主張してきた。専ら米英仏、露中の国益追求が、グローバル経済の必然的な趨勢で挫折しない限り、この様な国連税が実現する日は近づいてこないであろう。
 微視的な面での商売の善悪についてだが、相手に奉仕する事を純粋に目的視するなら、慈善が正しいのであって、自己利益とひきかえにそうするという商売は、恐らく半悪半善に過ぎない。ではなぜ人々が慈善家として暮らしていないかといえば、国民全般が、上述の皇族による搾取の体系に洗脳されているからである。だが、巨視的にみれば、これは国内での徴税・調整を合理化するのに役立っているともいえる。今日の日本国民は、半開もしくは未開であり、本来の秩序としてあるべき慈善の国をつくりえていない。また、皇族による搾取という、神道政府を通じた宗教的洗脳を抜きに、国民自身の自己統治による共和的な国民政府をつくりえてもいない。今後の展開をいえば、日本国民は政府を改造し、国民自身からなる非宗教的な(世俗的な)政府を、憲法体系ごと作り直さざるを得ないであろう。皇族による搾取を世襲で、宗教政府として続けるという前時代的な秩序は、理性ある近代人の目には、欺瞞でしかないからだ。またこれに加え、自己利益の追求という野蛮な段階を徐々に脱し、単なる良心の満足の為に慈善活動を主とする生活がふえていくことになるであろう。国内経済で重要なのは、需給の一致と、格差の最小化だから、これらを両立させるのに最も合理的な方法と、最も合理的な流路を辿って進歩していくのが望ましい。
「労働者」「被雇用者」としての生活がむいていないのは、雇用主より経営上有能であるような人物か、さもなくば、非常に経済的に無能で福祉をうけているほうが増しな人間か、いずれかだろう。一般人は、それほど経営力上に有能でもなければ、それほど経済的に無能でもないので、被雇用者として、有能な経営者の命令に従っているほうが安全だというわけだ。経営上に雇用主より有能な人物であるなら、独立して自らの企業をもつか、自営業をするか、不労所得の手段を得ることになるだろう。その他の雇用主、労働者らより経済的に無能な人物は、福祉の恩恵を受けて暮らす事になるだろう。
 で、最終結論としていえるのは、商売が善か、を厳密に考えると、慈善の方が真の善なのは明らかなので、商売は真の善ではない。無償の奉仕と、有償の奉仕では、無償のそれの方が明らかに利他的だからだ。今日の地球の各文明は、資本主義という国際規模の秩序再編の中にあって、この有償の奉仕、つまり商売による需給の一致を目指して動いている。この様な世界の中でも、なお、慈善の方が優れた善なことは変わらないのだから、今日の人類にとってさえ、最も名誉ある人徳者は、慈善家として明らかな人になるに違いない。では、いかにすれば慈善家になれるかといえば、2つの方法がある。
 1つは、自分自身の欲望を完全に満たしきるまで商売で富裕になってから慈善に向かう事だ。もう1つは、そもそも自分の欲望を最小化する事で、清貧な慈善を目指す方向性である。後者の清貧な生き方については、労働者にとっては侮蔑に足る(彼らは奴隷的な労働主義に洗脳されているので)為、1つ目の超富裕層による慈善に対するより、更に侮辱的・差別的な言動をとってくる傾向にある。労働者全般、または労働者の一部による、いわゆるニートとか、無職とか、その他の経済的に無力な人々、福祉を受けて暮らしている障害者などへの差別的な言動、社会のお荷物、死んだほうがいい、といった言説を見ればこれは明らかである。だが、その慈善を目指す人に、そもそもの経済力がない場合、努力しても身につけるのが困難な場合は、清貧にいきるしかないのであって、労働者による迫害を耐え忍ぶしかないのである。労働者らは、半悪のふるまい、つまり被雇用者としての労働を苦痛なしに経験することはできないので、彼ら自身の鬱屈や不満を、攻撃しやすい経済弱者に向けかえているにすぎないのであるもし、慈善を目指す人に経済能力が十分あったなら、1つ目の、超富裕であってもはや自己の欲望を満たしきっている為、慈善しかやることがない立場を実現するべきだろう。
 更に需給の一致について緻密に考えると、対価を払う度合いに応じた需要と、対価を払うに値しない需要の2つがある。多くの対価を払いたいにもかかわらず、支払える対価がない需要、この様な需要が、最も供給されるべき価値の高い需要だといえる。ところがこの需要を満たせるような有償の奉仕者が居ない、という場合、慈善家にしかこれを満たすことはできない。他方で、対価を払うに値しない需要、些細な需要というのがあり、これは慈善の対象としてはあまり望ましくない。つまり、経済上の価値、金銭に換算されている価値というのは、需要としては一種の目安として使えるのだ。そもそも需要がないところにいくら供給しても、喜ばれない。だからこれは慈善とはいいがたい。しかし、消費者(需要する者)自身がなにを求めているか、提案されるまで気づいていないときがある。いわゆる革新(イノベーション)理論の対象となるような需要だが、これについては、例外とみなすべきだろう。革新的な需給を一致させられる人はある才能を持った人であって、この様な才能がある人は、人の気づいていない需要を、先見の明によってみいだすことができる。だが並の人にとってはそうではない。したがって、並の慈善家にとっては、すでに需要が明らかなところ、特に高額の対価を支払うとされているところに、無償での奉仕を行うようにつとめるべきなのである。そこでわずかにでも有償の対価を得れば、金が儲かるではないか、という商魂を発揮したくなり、実際にする人は、前述の超富裕層になるまでの道を辿りきっていない人だといえる。
上級の対価とは感謝であり、究極の対価とは良心の満足そのものだろう。金銭による報酬は、対価としてみれば、低級なものだ。金銭は何かと交換するためのものであって、それ自体としてよいものである感謝とか、すべての目的の中でも最も望ましい良心の満足より劣っているからだ。

2018/10/16

脱神道国家論

神道という邪教を完全に否定し、皇室という邪教祖による差別観を完全に抜け出し、人種、民族、都道府県、地域、国民、障害、個性、属性、職業、性別、その他あらゆる神道と皇室政府がもたらしている差別の悪意を全て脱却する事が、唯一、日本人として善良になる方法だ。宗教は良心に盲点をつくり、差別をもたらすが故に邪悪である。神道教祖に皇帝の地位を与え、象徴と名づけ政府に癒着させている日本国や日本国民は、そこからもたらされるありとあらゆる種類の差別的偏見の故に邪悪である。
 日本国民は邪教祖皇室を永久に地上から滅ぼし去り、真の善良な国民による脱神道国家、あらゆる差別から免れた国民自身の国民国家を、思想信条の自由と共に建設しなければならない。

明治解釈

明治解釈はその人の品位そのものだ。卑しい人は侵略主義を崇め、尊い人は禅譲を褒め、聖なる人は相手の立場を慮らない人類の愚かさを嘆く。

許し

人類の愚かさを嘆いてもきりがない。それを許すしかないのだ。

愛すべき理由のない国

尊さについてだけ知るべきだ。
 自分の国が好きになれないなら、それは自分の正しい心だ。自国や自国民に嫌悪すべき、卑しむべき点が多いのに、無理に好きになるべきではない。自国の卑しい人々を疎む事は立派な魂の証拠だからだ。天皇制や皇室が好きになれないなら、それは自分の正しい魂だ。侵略犯や殺人鬼の末裔が、世襲で貧しい人を搾取している罪を少しも肯んずるべきではないからだ。
 人類全般を疎む事はない。自国の卑しさについてはよく見えるものだからだ。
 卑しい政府や、卑しい公務員を憎悪しても構わない。それらの人々は実際に卑しい性質を持っているからだ。卑しい自民党の寡頭政を推挙し、卑しい自己愛に耽っている衆愚を少しも尊ぶべきではない。愛国を強要する人々には、愛すべき理由は何もないのだ。

差別

差別はする側に100%原因がある。差別はする側が100%悪く、差別される側は100%善い。差別されたら、自らもそうしていないかに気を配り、差別する者を反面教師にするがいい。差別する者は偏見に囚われ道を過ち、自滅していく。差別された側は安楽に伏す。差別する者は亡び、差別される者は救われる。

2018/10/15

絵画論

絵にしかできない表現と、写真にしかできないそれは違う。この点で写実絵画の伝統は意義を失った。絵とは抽象性にしか目的がない。
 絵らしさを全きものにした絵と、写真らしさを全きものにした写真とが重要だ。この両者を混同させる表現は、全て間違っている。寧ろ写真は写実絵画が果たしていた役割の一部を受け継ぐ。記録だとかモチーフによる象徴だとか。
 絵の伝統は抽象画が引き継いでいく。
 商業が絵に与えた影響は過大視されている。はっきりいえばそれは完全に無視して構わない程しか絵画史に意味をなしていない。商人は俗人だ。バンクシーのパフォーマンスといった瑣末な嘲弄に対し、絵画史は全く意を介さず存続する。美術市場を相手どる類の芸術家は、全く無意味な作業に時を無為にしているのだ。政治的要素とか、経済的要素は絵画史の本質と無関係だ。あるべき事は絵自体の探求でしかない。

宇宙のわけ

ひと気のない夕暮れ
私はそらを眺める
誰もいないそら
魔法よりうつくしい
神のわざ
だがそれにも終わりはくる
宇宙がどれほど果てしなくとも
星は力を集めて壊す
夢の合間みたい
私はそらを見る
あたかもそこに全てがあるかの様
この小さな星が作る奇跡
生きていることさえ
宇宙にとってはわけもない

正しさ

人は正しく生きられれば十分だ。それ以上を求めるべきではない。

2018/10/13

教え

愚かな者を教えるのは辛い。愚かな者は逆恨みする。愚かな者に教えるな。愚かな者に教えれば、逆恨みされるであろう。

自国批判

最も自国を軽蔑している人が、代表的なその国民だとは。自国に批判的な人こそが、内外の人にとって最も誠実だから。これに比べ愛国者を自称する連中の愚昧さは、自国について虚偽や自慢をくり返すばかりで、自他に有害でしかない。保守とは愚劣の別名だ。

2018/10/12

卑しい人

卑しい人を助けるな。卑しい人は逆恨みする。
 人生では卑しい人と片時も過ごす事なかれ。卑しい人を避けて暮らせ。卑しい人はさも魂をもたぬ偶物である。卑しい人とともにあって幸せには決してなれない。
 卑しい人を避けられる程、人は幸を得る。卑しさは行いによっている。わずかなりとも卑しいふるまいがみられた人とは、関わるな。尊い人は卑しいふるまいをしないものだからだ。

2018/10/11

金持ち

卑しい金持ちは淘汰され、尊い金持ちが択ばれていく。

秋の日に

秋の日に庭の芝生にねころびて陽を受け我も救われり
秋の庭眺め煮込みうどんくわば縁側の我を鳥も笑えり
夜更け過ぎ秋の虫奏づ窓あけみれば海の香ぞする
君のする遊びにわれも興ずれど野卑なる戦われは好まず
われらすごすわずかな時も死とともに生きた証も自然に還る

大衆

今日の大衆は企業や政府の奴隷として人生の長い間を過ごし死ぬ。だが彼らは群衆心理でそうしているだけで、それを望んでいるとはいえない。

美術論

決して壊れない機械の様な作品、全ての時代の人々に救いを与える作品。

2018/10/09

発明

ソーラーパネルを背面にしたスマートフォン、及び、ソーラーパネルつきのQiの充電器。

2018/10/07

親は子供を程度こそあれ愛玩動物とかんがえている。

わが国4つの悪の元凶

薩長藩閥と皇室を永久に除去する事なしに、日本がわずかでも進歩する事はありえない。
 京都と東京を完全絶滅する事なしに、日本から差別が消える日は来ない。

2018/10/03

実証主義について

実証主義者は無根拠な倫理、即ち当為が人間理性、もしくは良心に基づく創造的な分野だと知らない。実証主義や実証的科学はコントの創始した新興宗教である。この宗派に心酔している人は、人間づきあいにおいて偏屈で、無神論に陥りがちであり、そのうえ利己的で礼儀や道徳をわきまえていない傾向にある。大学で理科や非人文学のいずれかの分野を専攻した人物は、その総合知力が低いほど不道徳を知性と勘違いしたまま、一生を不幸に過ごす。

自己利益

卑しい人は自己利益が他人にとって好ましいと勘違いしている。もしくは、自己中心的で、他人にとって自分の利益が基本的に有害だと気づいていない。利己的な性格の人は悪い性格である。

経済

経済は人の為にあるのに、それがこれほど人を苦しめるとは。

2018/10/02

理性と本能

動物は本能に従って生きているが、人は理性に従っていると考える人がいる。だがこの理性というものが、即ち人間的な本能の一部を構成している。人はその本性において、理性的にしかふるまえない。

利他性と利己性

利他性は究極の所、良心の満足という利己性の一部、それも最も高貴な一部である。利己的功利主義、相利的功利主義、利他的功利主義の3つは、それぞれ矛盾しない。これらは同じ良心を、場合によって異なる角度から最適化するものに他ならない。

2018/10/01

義務と自由

人は義務から解放される度合いに応じ自由である。義務を背負い込んだり、義務を至上と考える事は、幸福の前提たる自由度を損なう。
 カントのいう義務を自己犠牲の合理化と考えた時、それを幸福と思い込むのはふさわしい意志のあり方ではない。自由が望んで選ぶ義務の遂行は良心の追求なのであり、利他性を真に自己満足の為だけに考える事を指す。自分が苦痛や不快、有害さをこうむる時、それを自由が選びとるのはよい事とは限らない。救世主優劣感のよう、聖人の中にも不幸を幸と思い込む人がいる。他方、真の善は利他性自体を純粋な自由意志と一致させている時にあたる。自己に不幸でしかないような利他性は、利他性の偽装と同様に偽善的である。
 自由は義務を超えている。自由である事の中に、利他性が追求されるべきだ。
 天皇や政府の掲げる義務は、国民への奴隷化を意味している。そこからの解放は自由の最大化や、国家からの離脱によって果たされねばならない。個人は国という制度や、皇室という教祖なり権威なり裏の絶対権力者から、自由でなければならない。