2010/01/31

数学

人類がやり取りをする訳は彼らの思考内容の取引ゆえ、最も抽象化されたそれは数値か数式に戻る。代数計算の形式以外に、少なくとも数論より細かい微分方針を知らない段階ではやむを得ない。
 故に思考の省力が全数学の命題。論理学の成果も同じ。

 造り数学は一定の公式を多くする。そこで、意味論が数学化される。意味論がない侭では多くの公式はこまやかにされない。
 造り数学は全やり取りへと算式数学の成果をおしひろげる。この形式は文面内のくみかえで改められた口語を造る。且その最良の算法を自らへ組み上げ続ける。
 思考の原則は単位重畳さではかれ、∴この言語内図式の積算が造型数学の目当て。単位重畳さは語学によれば字画の最短\意味論の値と示せる。→意味論が要る。
 もし造型数学の実態を、引用を除く字画対単位重畳さの複合にとればそれは意味論を順列規則の汎用性ではかる最もの基礎。この意味論は任意の公理を樹立する特定主観をより合理づけうる。造型数学は論理の順列を数列にとって最短の趣へ導く。∴思考は最短のやり取りに最大の意味論の成果を込め得。
 もし数え数学内にあった幾つもの公理系をはじめに発見したひとりを無意識の造型数学者とよべば彼らは少ない記号種の最短のやり取り内でそれを為していた。がひとたび造型数理が認知されるに至れば算術論は途端に自動化されうると理解できる。そもそも、数理の最短さは算術論理の内にあった原則で言い及ばされなかったのみ。→記号論理の置きかえは思考法則へ一定の最良さを保つ。

人類生物学

情緒を原始段階の発生史の名残りだと考えた者は、全く感情生活のない世界を想像するに及ばなかった。しかし、もし情緒が同等に個体発生史にくりこまれる特定の反応確率だと定義すると、この圧縮は起こるべくして起こる。感情生活の畳み込みは特に保護が必要な幼児期に、人類含む哺乳類には著しい。理知は協力か競争の形質としてはじめは求められたらしいが、次第に生態内の日用表現にも支配的となりだした。そして後期人類については、情緒圧縮が社会内猶予の間へ広げられた。つまり個体発生史の想像できる正道を逸れて、脱現代系の文明では変種への引き金が見つかる。それは感情能力が成人以後にすら延長されていく傾向。だが、当然ながらこの傾きはきわめて希な僻地の条件にまつわる遺伝の特異化にすぎないと思える。もし人類が自体の全体系を保守するつもりで、この為に自種の持続にあらゆる手を尽くせば正統の進化は当然ながら上述の情緒圧縮を徹底していくだろう。幼ながた化に伴い文明系適応への必要学習量が膨大となる適所についてのみ、この流れとは違う種類への移りゆきが入り込みつつある。
 ゆえ後期人類の中からは進んだ理知の大多数と、情緒の延長を決定的とした変種とが別れてくる。もし一般生物学の法則をその侭この場合へも引けるなら、変種の方は限られた適所で旧態の温存を司るべくして希に生き延びるだろう。そして常に勝利を収めた種類の最大多岐への分化という一般進化論の原則と同じく、人類以上への未知の生態学的変異は理知への機能強化を徹底した系統のその又一種から生まれるだろう。

2010/01/30

地球生態学

S=Ap log eの文化対数は、それが自然対数の比喩だと解釈すれば次の考えを持ち来る。自然文化は人工社会のみでなく、最低限でも地球規模での生態の時間比例であり、底を地帯生産性にみれば雨量と高温の掛け算に、またこれを地味と解釈すると宇宙の中身は次第に場所反応毎に片寄り続ける宿命にある。要するに、この自然指数の法則は場所勘か場所認知へ決して矛盾を起こさない。その意味で熱反応の全体は一定の規則に習って運動する。仕事量は決して自然対数と矛盾する方向へは動いて行かないと定義できる。
 図式で考えた宇宙の場所はその規模が人間的なら誤りなく、過大か過小で観測範囲外ならそれだけの基礎条件の変形に関してこの自然指数反応をおよそに逆らわない。もしこの逆反応が時たまみられても、それは熱的可逆の文明系の中にくりこまれる。
 全宇宙の中で最も繁栄するのは地味豊かな条件下で、その偏りは時間内で急速に広がり続ける向きへ進む。地球生態は多様化のみを一様に目指すわけではないこと、つまり場所柄では自然反応と対比できる人工か生物の熱的反抗がみられないか、元々みる方向を目指さない生態適所が幾つもある。
 この知識は、弱肉強食の秩序が決して自然界の基礎ではなくそれは最も競争心に特徴ある一系統の適所であること、直ちに、共生については個体毎の縄張りが強い為その方向付けが起こりづらいことを悟らせる。生き残り丈を理由とすれば生態適所には数かぎりない隙間が用意されていて、どの一系統が退歩的だと述べるのは時間直観の究極延が見渡せぬ脳容積のかぎられた全生命秩序には偽。恐らく生態系は多岐の分かれをよしとし、膠着や安寧の位を一生態内では永久に完結させない。この訳は、自然指数の間に熱反応の移りゆきを出来るだけ多産させようとする計画は、自体がとても趣よきものだからだ。もし趣という借用された語彙がもと理念語にすぎないと反駁するなら、この用語を生態学識にかぎっては趣好と所謂生物学の中にみつかるえり好みの全体像について宛てられる。趣好のよさ或いは単に趣好の度はそれが合理的な比例、この天晴れ等しい自然指数に綿密にかなう一定の先行きを保っているところにみつかる。なぜ世界に黄金比が見つかるのか、この疑問は我々が自然生態にも決して偶然だけでない工夫が仕組まれてきたのだと恐らく自らの系統に含まれきた同一の秩序反応を内にみて気づくところにある。その精華は地球が置かれた生態環境、およそ潮汐を原理とした太陽と月の周期への適応が、我々の中に同数のくりかえしを韻律しその最も基本となる定常値に(1±√5)/2という両方の地球への影響割合として教えてきた。黄金比は地球の生態学環境が生み出せた恐らく最も趣好の高い定率だった。この為、気づくと否とに関わらずこの無理数の比率は表現にみた地球型秩序に類比できる割り当て。
 宇宙の無辺さはほぼ似た比率を基調とする生態をどこかの星間へたしかに宿している。ゆえ天体経済面から鑑み、ほぼ同位種といえそうな生態系との折衝はつねに文化間化学反応の何らかの副作用や特別な強壮化または太陽系の近くでは類比の少なさからおよそ希ながら隣接文化参照の反作用の程度あれ成功し、真逆であるほど難しいか結局不能。

茨の道

自称オバマジョリティの衆愚どもが
弱者を最強の兵器で殺しまくる勝ち組ワールドだ
僕は何をするにも億劫で
今更ミスチルなんて聴いてる女が知れない
似た様な趣旨のなんだかという二世が
今度はつわものの足を引っ張る歌で大盛況
チャラい江戸くずれがあふれかえる街
なにも分かってない教師と親が再生産する地獄
僕はまだ誰もいない岬の
静かな潮騒の力で少しずつ削りとられていく
いまにも消えいりそうな物語の足どりを
ひたすら追い続ける
ただ一直線の茨の道を行く
走る自分のこの血痕がみな渇いたあとで
みながようやく感づいた頃にはどうせ
なにもかも元通りだろうと

欅道

車かな次々あつまる駐車場
井の中にたつる標ぞもへじ像
枯れた日も禽の寝床か欅道
鮮やかな海はきこゆる初日の出
粛々と流れのまゝに古川や

王座

生物学向け裸の図鑑集は取り締まるが
やくざが国中で撮った姦淫犯罪映像で儲けるのは黙認
ん? 南蛮虫都民でしょ
猥褻スポーツ奨励の

どうせ繁殖活動しかできない
生きている価値のない
大穢土民のやることなぞ
本気にするなよ

腐りきった残飯教師は
便所飯しか食えない
どこに入ろうがね
そして無趣味な空威張りで

法を悪用し
民衆を見下し
辺りじゅう悪風俗ビルだらけにして逮捕の偽善劇場を撒く
出来レースの淫本王座に居直る芥川賞受賞者先生は

語学

文章の順列法則は語学か言葉の知識にとってかなり本質的。文章は少なくとも、書道にあってさえ口語と文語との間になりたち、この法則は古語となったほぼ使われていない用語集の中で観測できる一定量を常にもつ。
松島よひねもすのたりのたり哉
この短い例文の中で現役で使われている用語と用法に関わらず、重畳性(単位順列の執れる複雑さ)とここに介在する手法をときあかした学識はやはり法則性をもつ。語学的にはこれを重複性・repeativityとなづけていい。例えば「助詞ノよ」と「副詞ノ冒頭句ひ」の間に特別な因果関係がないとすると、それらのもつ分類の適切さは1通り×1通りで1重複。ところが「副詞ノひねもす」は順列で4permutation4→4×3×2×1=24通りある内の4つ並びなので4\24=6重複をもつ。「副詞カ動詞ノのたりのたり」の場合は、のたりの連続語かつ、上述の順列計算に倣い
(3p3÷3)×(〃)=(3・2・1÷3)(〃)=2×2
⇒4重複
となり、ヒネモスの句よりも重複さは低い。つまりくりかえしが使われる程その単位順列にみる複雑さは一定の比例で低まる。このルールは
((XpX)÷Y)log e‥重複比例
X: 文字長さの未知数
Y: 品詞単位長さの未知数
e: 自然対数
の値で増減する。ゆえプログラム言語で既存辞書の機能にくみこめば、重複さという使われてきた言葉の、少なくともこの手順のみでの単語中の複雑さを分析できる。
 この手順を有限回くりかえし、作品とされる文章全体の計測によっては、かなり客観的に或いは平均した語彙の流暢さの中でその読み方の難易度が想像できる最も単純な統計指標でだが表示できる様になる。
 音読みと訓読みの問題は次の手順で解決できる。もし重複比をrepeativity orderの略でreoと書くと、
漢字数reo仮名数⇔XreoY⇔
つまり、「形容動詞カ終助詞ノ哉」と「名詞ノ松島」についていえば
 哉は漢字1文字reo仮名2文字→1reo2、重複さは1p1÷1=1、元となる重複比例は自然対数の底なので、累乗根計算に還元して、1×1√2≒1×1.414
⇒1.4重複比
この値を口語単位な重複さにかえればいい(重複比は文語用の付加できる演算子)。
 松島も同様に、
2reo4∧reo
=2p2÷2
=1∴2reo4
=2×1√4
=2×2
⇒4重複比
 字学についていえば、字毎の重複さは無駄も入り込みがちな2ビット演算のみでなく、同様によりたやすいものとして日用に卸せる。画数を使う方法。
重複さ÷画数%=重複率
この単純な手順で、文字毎の複雑さを今より精確に数値で図式化できる。

2010/01/29

数学

造り数学は論理作用に数列の無秩序さを一定幅でもちこむ。造型と呼ぶのはこれが算術とは違う系列でしか処理できないから。「侖言と言侖、及び論」の例えは造型数理の基本原則の解説用に使える。これらを任意の公理系内で自由に処理できる様に体系を造ることを造型数学と呼べるので。又この記号づくりの基礎法則は書の範囲に無限の可塑性がある条件を一定の正方形か四辺形内でのビット数を視認可能に調節することで可。造り数学自体は既存の公理系を含む。ゆえ数え数学自体は消え去らず、その法則素となって残る。しかし広域に亙る造型数理の元では、法則量の面からこの系列は原始的とみなせる。
 直には、言を生じさせているビットマップを半数か三分割の片へつくりおき、任意の順列規則に配列できる計画が要る。又この言内には口のマップが含まれ、その細分化を可能にす。同様に、最小限の処理機構をビットマップ内での点か線の処理機構に還していく内に数列の現れる公理系を算術計画外に据え置くのが合理とみなせる。ゆえこの造型数理を別項とし、更にこの計画を歴史ながらにみて造り数学分野への発展とみなせる。たとえば全語学は当然この分野に入る。数列規則の処理で可能な全代数法則はすべてオートマトンの処理性能向上(各演算素子の小型にした積載並列で)で短い時間に代替可能になる。
 これらは脳可塑性は単位時間内の表現数列に還元できると示す。自動化の平原をみれば、それは仕事をなくせる。仕事なき精神は、資本制度内では貴族制度と同じ発展系列でのみ伝播する彼らが認識できる世界法則の界隈を証明論の多岐に亙るまことしさに観るが、なおこの理解を超えない。数列化としてみると、理解の系統は仕事量の省略を活動の重複さに鑑みれるのみ。これは全生態を含む。ゆえ生物のみならず社会機械は実現している。全生態はこの数理を世界法則内へくりいれるしくみのみ。

2010/01/28

宇宙物理学

光流率c4/πを記号で洸、コウ、きらめきと示すと、
宇宙定数Λ=4πGρ/c2=1/r2から
Λ=4πGρc2/洸=1/r2‥宇宙半径式

が導ける。r2は宇宙半径の比喩であり、もしこの値に擬似面積用のπを編入すると、
4Gρc2/洸‥宇宙面積式
c: 光速の規定条件つまり引力場の大きさがρ: 空間密度を定数比で拘束する。花火効果から光速は大きな引力場でより速いので、同一面積の宇宙では空間密度は洸きに対して2の累乗根分の縮まりをとる。よって比べれば七夕系は隣接宇宙では最も急速な十五夜系よりも空間密度は明らかに低い。

数学

人類の生態学は生物学の分れた枝のみ。ゆえ数学的にはこの枝を生物学内で処理できる。
 語るべき内容を数学自身に求めるのは十分でなく、科学の完成には処理言語に発祥のばらつきが見つかる。しかし、表現の芸術性といった装いの次第とは別に、全学識は知識体系としては厳密化を単語処理の重畳化にまとめられる。ゆえ論理学の方法は、解析の結果を入れて全ての科学の記号数列化に最も貢献できる。科学処理は計画化できる。そしてこの組織は自動で、ある程度の表現形式への変換ばらつきとは別に普遍性の相当高い中身かやわ品として科学計画を自律運営できると示す。単なる翻訳の微調整を除けば、全科学作業は倫理哲学により生成される生態学識の瑣末なくみかえも込めてこの母集合に属することになる。科学計画はもし政府に管理されない侭で進めば各民族の垣根を払うに十分。
 科学計画の外づけは各個の学習速度を高める。ゆえこの計画は先ず大幅に社会生態の合理化を進める。次に集団教育組織を廃止か撤去する。最後に順位制を学習によってでなくそれを含む才能で行わせる。

文明の精神

文明間の精神現象学はどの系外とも成り立つ。現時点で私が知っている最大の枠組みとしての宇宙系間での連帯や包括関係はその止め揚げる弁証法展開を内に秘める。舞台としての文明、はシェークスピアや和辻の考えの中で既にあった。そしてヘーゲルの西洋史中心思想の独断は和辻倫理学の風土論から導かれた役者交替説によって克服されている。色とりどりに、民族毎の役割は彼らのつくりあげるその時代なりの精神によってこなされる。歴史哲学が導ける最高の理念は、民族精神へと昇華された総合経験則そのものだろう。だから一つの世界、という理想は彼らの出自が異なるという条件づけを寧ろ前向きな、できるだけ劇的な展開を誘ない易い役者選びとして尊んでいる。聖書の文面にある絶対民族の否定(バベルの崩壊)はこうして歴史物語として鑑みれば真の悟りだった。彼らが役柄を違えるということは劇場世界論の最も基礎となる案件で、さもないと世界史の筋書きは決して趣深き複雑さをとらない。全く文化の由来や夫々の行動原理が違う世界を民族精神という概念は前提とする。
 国連精神は最も総意に近い民族集成の政治原則を導き出すが、これまで連合国と枢軸国との権力闘争にみられた如きいくつかの連盟に亙る別々の意向をさらに前置きとしてなりたつこの会合の方が、意見の多様さについて或いは手続きの重畳さに関してもいずれのべられた地球精神というべき総意を剛柔併せ持った偉大な常識へ高められる。詰まるところ、ヘーゲル哲学の西洋覇権論をその侭で植民支配の正当化へ援用したアメリカニズムは決して地球型の国連組織にとっても迎合や全面肯定されるべき中枢ではないと言える。国政方略としての米国尊重と単なる強権への無目的な追従とは趣を違える。
 植民地の豊かな土地資源をかえりみた伝統としての孤立主義が米国外交の原則ならば、我々は互いの利益を図る最低限度の商取引の協調をのみこの伝統の持ち前を尊重して行えば宜しい。この友好原則をこえたどの様な協力体制も、決して国家存立の対等さについて反省すれば自明ではない。
 遠い将来の確率でしか語れない先行きたる七夕宇宙外文明系との交渉、並びにこちらは殆ど百年単位で曖昧に千年単位で確実に数えられる天の川銀河系外の文明との折衝はいうまでもなく我々に以前と同じく、生まれ育ちとしての歴史を民族と彼らが造る国家の進退にかけて責務づけている。温故知新の本筋は歴史哲学へと集められるだけ比べても見劣りしないばかりか圧倒的に偉大な祖先の来し方をその来世の世界展開を見通しつつ慮った計画理性について希望している所に待たれる。かくしてイスラムの聖典に印された力強い来世勘定の功徳は、民族精神にみれば一切の国造りの本質だと知れる。
 この様に、過激派に惑わされてイスラム原理主義が滅ぼされるべきだとでも主張し兼ねない米英の知識層は彼らが世界精神は絶対的であるというヘーゲル哲学の粋を十分な根拠もなく自民族中心思想と混同してきた由縁で、如何なる民族にも独自にして唯一回の使命が託されているという世界舞台論の台本意識を欠いてしまっている。先に近代化した国がすべての面で優れているとは限らない。岡倉の高貴な論調に倣えば、核兵器を創った国民は一度も茶の湯の韻律に目覚めなかったし夷狄と組んででも維新を成し遂げた謀略の徒は理想に燃える勤皇の志士を犠牲にしてでも急ぎ足の故なき模倣を望んだのだった。現実についてイスラム教義にみられる来世勘定の絶対精神はそれが精密な英知に基づいて敬われるほど益々より血統の完成度、家格の誇示、行く末は民族創造根本の道である国権の維持計略にとり優位なのだと歴史経験から結論できる。武家伝来の諺に、「大義の勇、匹夫の勇」とある。
 カント哲学の達成である心の不死の形而上的証明は、以前の言葉でいえば臣民の道、現代のそれでは国民の道が神道の伝統精神であることを唯一回の生命経験の内に構想させる。日本の命題に限ってはこの神道を堅持し、且つ想像できる最長の未来に至るまで維持し続ける事こそ最も不可欠な一民族の魂であると考えられる。だがこの魂が完全で完成された不動体であるとはとても言えぬ。国家間の競争環境はそれが相互批判の関係を最高度の善あるいは良識へと導く便宜上の方法であるなら、いわゆる禅の哲学に於ける問答法や助産術、および無用な戦争を忌避するところの平和主義鼓舞を主権間の自己矛盾の証明によって、というのも世界の主権は神の元にあるので、敷衍させる倫理哲学のゆっくりとした効き目等などで浅学者の功名心や博識に勝りたがる自尊心を老獪に傅いてさえ世界の啓蒙を徐々に促す。又以てこの啓蒙の歴史運動は異なるか大幅に違和した文明を跨ぐ国連間でさえも真だろう。永久平和の理想は部分的に、代わる代わるな非戦状態の緩和段階としてしか実現できない。それは永久に同じである。歴史運動の地政的交代劇は当然、彼らに絶えざるか止まざる競争誘因を吹っかける。故に、カントの最も主要な誤りは彼が女々しいか少なからず母権的な理想としか言い難い永久平和をだれもが望んでいるとした、歴史運動の必然性におもいみられるべき政治力学の因果関係を覇権の劇作論へと類推できなかった一種の書斎派の過自重にあった。人格主義の根底にある無条件の歓待は元々学界外では通用しない単なる空想の産物なので、自然の隅々まで探っても決して完璧にはみつけられない。それは完全な教科書論で現実界にない。即ち、悪の理由は絶対精神の否定的契機を人間性の限界に保つこと、批判の余地を一精神の脳可塑性の少しも或いは多くなく偏った系統発生潮流の内へ忍び込ませるという絶対善の到達不可能さにあり、最高の人格は決して神格には到りえない事が彼らの属した動物か機構の文明対数の比較的基礎(宇宙の運動論)に鑑みて明らかだ。条件つき歓待は政治関係の中にのみ成り立ち得、こちらが神格の定義(これは理論的には構想論の無限漸進としてしか捉えきれえないが)含む文面の理想論完遂を除いた一切の社会的正義や適法な社交進捗の現実論であり続け、よってその展開事情への不満は彼らに文明化をより高い学識からの批評誘因で誘なうだろう。まとめてみると、文明化とは歓待条件の好転を来世勘定の合理つまり道徳的啓発で果たし続ける世界内運動なのである。そしてこの目的は社交性つまり付き合い方の高尚さにある。孤立や隠遁の真の法則はそれが宇宙規模での交歓といった現世目的の脱構築を図るところにあった。究極の文明化、もし歓待条件の進化にこれを推し量れば最高度の道徳法則は、当為の域でではあるが無限遠の来世勘定としての神との付き合い(精神論の究極推攘)を合理づける。要するに、自然哲学(今日では科学と呼んでいる体系)と道徳哲学の源は「神学」或いは神話という宗教段階に全く代わりばえがない。それは神話体系という物語の分岐なのだ。
 数理哲学だけはこれらの何者からの学びの系から除かれているのだから、我々が自ら何かを創作したり発明できるのは結局、この数学の文章芸術に於いてだけだろう。しかしそれでも形式についてはそれ以外の一切の、何者かによる創造を借りるしかない。ゆえ数学に記されたできるだけ普くした心配りは唯一の内容知であり、我々は数学公式にしか真実語るべき内容をもたない。語りえないことについての沈黙(純粋理性の背理)は語るべき内容が矛盾した主観論を避けようとする限り数論の厳密化へ協調する文化習慣以外にみつけられないのだから。「鑑」という概念がこれを説明している。現代哲学の驚くべき結論は、計算本能の多元さにしか我々の生殖系統の何か劇作じみた白々しく永らきくみかえにみる魅了はないという事だ。これが我々の知る全言葉使いの本性だ。形式を省けば全道徳界は、法則や現実的折衷を含めて全く生得的合理化力の外に出ないという神知れぬ福徳の言い伝えは、全てを映し込む鏡の世界としての宇宙を魂が得た理解度に限って我々の理想像に曇りなく充てる。イデアか理想を宇宙の鏡たる精神世界に投影した古人は、彼がみていた道徳観を究極の善いわゆる最高善定義にとって漸進的なものとしたとはいえ、また寄り道たる道具化した理念をはじめから趣ない会稽の策と退けて歩を進めた。この点で、先覚の理想論が全体を先導する構想でもあるという神と精神、即ち上智と下愚との恒久的二重構造世像の最も原理的な計画予想の直観点を見逃さず捉えたが故に手比べてみて、孔子に比類する、より優れた理性だったと云える。究極の善は実用主義者つまりプラグマティストが行った社会内個性を絶対視させたがる民主主義の過信を除けば理想論の深さにあり、それは個々にできるだけ長い計画予想に則って現状の趣をとる習慣づけ、いわば深慮の本能を習性化させる様な躾にある。そして群生の中の個性にみた最高善はこのしつけの趣深さを理想通りにしつらえる仕業たる風趣にある。こうして白々と考え直せば、幸福主義のおしつけはありえず、それは一部の適所での風趣に叶うにすぎない。趣味主義論の世代間に最も上品な点はこの押し付けがましさを因果律への啓発によって個性を尊重する自由主義と矛盾なくまとめる様な、機知に関する心の余裕幅を蓄えうる所にある。深さにみる理想の度合いは彼らの文明色を際限なく多様にし、この為に役者交替説の一番の起源ともなる。精神の違いは彼らの未来を趣通りに処理するので、偶然含む業の因果は運命の次元へは全く正確に示されるものだ。

2010/01/27

米軍施設原案

今までの逐一の経緯から次の事が分析できる。
まず沖縄人の平均意識にみた総意は、遠い将来は半ば考える能力がないので無視し、ともかく危ない基地は外に置きたいという米兵迷惑論である。
 一国民の意見として自分に言えるのは次の事だ。
 先ず米軍の利用価値は我々のみならず東洋の広域に亘る上、建前としての擬似占領状態に彼らをおびき寄せておくことはテロリズムへの事前名分にすら役立っているということ、なおかつ米国からみればそこは職場であり、また多くの派遣兵士の内実は強い符号付けが要る(官僚主義的な)本部に入り込めない雇用志願者だからこれは多民族へ恩義の需要を与える意味では善意なのだ。
そして我々がなぜ米軍の排斥を(ネオナチズムの連中の如く)矢継ぎ早に行わないかといえば高度技術力を温存する為だから、沖縄人の総意は計略知能からいえば取るに足らない。
又、政権内部へある種の迎合用に女を入り込ませておいたところで所詮女脳は理知に決定的に欠けていることはほぼ存在しえない超奇形の突然変異を除く全生態史が教えてきたので、この発情論は見世物としてテレビ局向けにあやす他は内心で無視していい。

これらは、次の理屈を導く。

県外移設案をうまく彼ら自身の口から語らせる様に、マスコミその他の世論を「自重の維持」で五月目前まで続ける中で、もしそれが可能なら沖縄県を最前衛の傘から除外する仕分けはできる。つまり民主主義の理念に則り、主権在民を逆用して沖縄へ高度な施設を差し置く理由は揉み消せる。
もし千年以上放置すれば自然力学のため以前と似た光景に里帰りするだろう珊瑚礁如きとひきかえに自らの命を軽視する結論をひきだした県民は知能の分岐に問題がありこの編入はクラスの進歩にとって害である。
よって県民の主権尊重を方便として、最重要な施設は確かに安心して運営でき、また施設内外への需要喚起にも当然なる関東圏のどこかへ今後一切移設の原則で話を進めるのが合理的である。熱帯模造の擬似施設費も含む。
 大阪府が分設案をもちだしているが、現首長は政権交代時点でも最初に裏切りを表明していた小人物なので信用しなくてよい。かれの行動原則は己らの商利権の追求であり、今回については基地のおこぼれが目当てで中央政権の強化や国民防衛の完遂ではない。よってこの口先さがないかつぎこみ案はやむを得ない設備制作の瑣末な外注にのみ考慮できる。

 他の移設案は、歴史経験上、特に九州や土佐含む西海圏の諸地域は彼らが現政権の維持ではなく自らの地位を目的として外国人がもたらす武器を悪用して生き延びてきた限り、西日本一帯へはただの想像を超え全く不可能である。もしそれを行えば西日本人は危機に及んで必ずや今在る多数の日本人及び本土の占領へ力を借すだろう。

数学

数え数学の自然比例はそれが有限数の整理できる中で慣習的に最も少ない造りを求める。だが抽象比例の目でみると、差延の潜在強さはくりかえせる最も複雑な造りを用いるのを理に叶うと置く。これは自然比例ではできない差延量の図式化を意に任せた造りで多少あれ可能にするから。差延量は記号単位の造り込みかその選ばれた乱雑さへの据え置きによる。つまり有限数の絵解きの数列の内もっとも特定の時間直観により任意の抽象比例の図示に都合のよいと思える記号を、要する情報量の可視できる多さに伴って択んで行くことがこの数学分野での仕事になる。
 比例量に省み、数学内での抽象比例幅は指数関数×指数関数の一般量をもつ。ゆえ既存の数え数学でえられた多くの公理系は失われないか据え置かれ、抽象比例の知識はそこへの指数の加算量に習った付け加えたるのみ。解析幾何学はこの成果に従う。

花笠

賑わいて忍ぶ了いに花笠の消えゆく街のいず遠きを
とおくなる昔の音は墓まいり陸奥のさらに日暮れの鮮やか
シノワズリなみもしらすも侭ひおりのんびりと過ぎる岩村の午あと
さきはいてなきがらの上に花さかす木枯らしなくば誰もそ休まん
ふつ/\とうつろのさまに数まいてさがしにゆけばのこる昔香

武蔵野

僕はガヤガヤと煩い
その通りの小さな席で喋る
気色わるい小人どもの声を分析する
中身はなにもない
喋ることはみんな悪徳の証明書だ
僕は昔ここで見た
何もなかった頃の武蔵野が
最も記憶に焼き付いている
そこは見渡す限り広がった野原だった
艸茫々の
そこにはぽっかりと青白い満月が架かっていた
僕にはその川の奏でる同じ声が聞こえる
僕にはその流れが歌う変わらない匂いを思い出せる
いまとなっては
奈良から出てきた極悪侵略犯がよごし散らす地獄だ

東京人

田舎者としかいえない
どっかの地方から大勢あつまってくる

僕の目には
迷惑かけられてる様にしか
見えない
だが田舎者は
意味不明な劣等感で
軽蔑を送る
なら闘ってみろよ
次々繁殖していくゴミ社畜の群れの中で
奴らの足元を叩き壊してくゲーム
一旦おちれば二度と上がってこれない様
奈落の
底を掘り下げ続ける仕事
東京人と呼ばれているゴミ人間の処理場
飽き飽きするほど続けてきたが
まだ山ほどあつまってくる貴様ら猿の処分に

2010/01/26

数学

科学言語が数学化されていくのはそれらが厳密さを目指す限りで。そして数式や幾何学の把握によってなせるのは、示すべき任意の比例を記号で短縮するか定式づけること。ゆえ論理学の系の拡張としてのみ全ての数学化はある。言文間の差延という分析哲学からの見方はここにも当たる。数式には、(ライプニッツが普遍数学として夢みた様な)言語の多機能さの全側面の繰り入れを行う事が難しいのは、記号単位としてみた文字あるいは字が、いわば一つ一つ自体の差延可能性を持っているから。ラテン語を元にした(日本語では和に当たる意味の)Sumの変形である∑:シグマや∫:インテグラルは、水流の象形と解くことは今日でもまだできる。つまり全記号は文字たるのみ。この点で、公理系についての記号代数学か記号論理学の西暦二千近年の展開は、一般論理学を重畳性の人間原理について細かく整えて行った仕事だった。自然数は人類が今まで手にしてきた中では一番ととのった記号系列だが、ゼロの概念が入り込んだ時点でそれは形而下的・有形な探索の域を通り過ぎた。よって整数論は記号についての数理を、その応用の幅も含めて少なからず形而上化・無形にした。0:ゼロ記号は自体としてみた時、何も示さないことを示す位どり記数の道具に宛てがわれて生まれたといえるが、数える対象を文字そのものの単位とし直した点に決定性があった。つまり0記号は非対象記号論のはじまり。そしてのちに複素数の分野と一連の抽象数学界を生み出すきっかけとなった。
 数学と呼ばれる全ての体系が任意の公理系と定義し直せることに注意。これは任意でない、無作為な公理系については一定の秩序だった法則はみいだせない証でもある。即ち数論そのものの定義を除けば全ての因果関係の類推(これは一般の論理の演算し易い記号化か、重畳性を特定の規則で満たすことでもある)は、思考手順についての省力表記法の議論。数え数学の中に代数記号の種類か現役機能(今も使われていて自然比例に還元できない何事かのあてはめ)がどれだけあるか、この問題が実は思考の秩序度にとっては潜在した埒。
 ここで、数え数学か算式数学に比べて造り数学か造型数学と呼べる分野の可能性がある。それは代数記号についての多機能と、既存数え数学の様に任意か、新たに任意でない無作為や適当な定義を数学体系内へもちこむ知性による。整数と複素数を含んだ数え数学の中身は文面計算上に使い易い最も単純な記号の系列を択び込んで行くこと。ゆえ数え幅は常に口語成分と文字の差延を除いて考えを進めた。よりくり返し易い記号系列をそれが最小限原則に適うほど他の系列より選ぼうとしたから。秩序度の表し方に数え数学のみが叶うのではない。数え数学の限界はそれが文字単位で母系とする、生み出せる公理系の直観範囲。ゆえ母となる公理系を、それが既に存る自然比例の注釈に宛てられる、単位時間内に最も効率よい任意さの入れかえとして造りおくことが有用。
 この公理系への幅広い基礎付けの柔らかさは思考すなわち考えるという任意の時間直観をそれが他の主観へ伝えられる限りできるだけ趣深くする。というのも、母となる公理系の規則はかなり省力された代数記号へあてがえる象徴や対象とする内容の高い程度の差延をゆるすので、さもないと考えの現せる自然比例にない比例(多くは抽象比例)をたやすく導けないからだが、同じ情報量の中でも指定するくりかえし記号の造りおきでその時間直観の単位で表せる思考の宛を広げる働きをもつ訳。

星粒ばら

生理的に受け付けない人物しかいないので
私には世の中がまことに面白くない
だからもう人間について考えるのは止して
大人しく宇宙のお話を数式の合間に探る事にしよう
遠く遠くに置いてきたいくつもの
星屑がキラキラとまばゆいばかりに
私達の町にしずやかに降る時
私は祈りの底に眠っている
いくつもの星粒ばらが真っさらな
砂丘の上に更紗の様に流れゆくのを
ジャミロクアイの昔ながらの曲調に委せて
ただしずかに聴いているつもりですよ
それともなにかね
あなた方には仕事しかないのか

論理学

任意の公理系内では自己証明できない、という不完全性定理からは公理系が集合論の内積なだけでその目的が道具的完成であるという知性の限度をも引き出せる。どの知性も任意の公理系の部分集合ゆえ、論理の双対性を経由せねば証明に至らない。逆なら、数学や科学知識の真とは人間原理にとっての、また我々の自然認識の主観の適合性にとっての系。論理集合としてみた知識体系が主観の証明論に拠っているという現代数理哲学(これが数学と呼ばれてきた全純粋理性のア・プリオリな、生れついた公理集合)からの推察は、数学知識の全システムが主観が捉えた多くの公理系からの抽出である、という西洋型近代化した諸学問のデカルト癖を内側から否定できる可能性に言い及ぶ。科学が真理である、という考え方はデカルトに倣う一信念か仮定。ゆえ実証主義科学が唯一の知識であると証明することはできない。
 かなりやさしくいえば、科学は事実の羅列とみえる実験で確かめられる法則にもそれを証明しようと試みた段階で必ず主観が関わる他ない。つまり科学法則は任意の主観的公理系であり、ベーコンによる帰納法の方法論から最も客観的だとされてきた実験科学の内容でさえそれが数理比例という共通の源泉から同じ水を酌む限り同じ。論理学の成果は記号論理についても複雑化へ向けて効率化を施したが、なしえたのはより絡まりあった論理作業の機械化だけ。ゆえ科学知識の目的としての暗記作業そのものは、全く機械化される。それらが主観を除けば要領よくまとまった公理系であり続ける限り、それらを使用できる側にしか試験すべき、何らかの誤りを避ける才能か学習された既存公式量の調査はしえない。
 教育指導機関が公理系の記憶量を調査することを教育としている事は、これらの現代数学の地平から予知できる誤り。それは機械化した数学公式群の検索や社会含む自然知識の辞典や教科書を読み取る側にのみ知性の内容系はある、という主観の知識媒介を前置きとしていないほど益々国民の思考原則の機械化を誘なうところに戻る。
 任意の公理系を証明できる主体はその手順を繰り返せる、という特定の比例重畳性の導出にかけて知性をもつと言われていい。そして無限個の真理を全て証明できる主体へは全知のみならずその任意の光速度内時間についての能率にも極限を充てるしかないので、この場合にはカントのいう世界外存在にしか、仮にそれが仮説の産物だとしても原因は求まらない。ゆえ有限の知性については、つねに有限の公理系から証明論の繰り返しに限っての試験ができる。この証明は既に行われたものでなければならず、決してあやふやな以前と違う証明論を課すことはできない。
 新しい命題には別の解法があり、この場合は別の手順が要される。よってかくの命題をつくりあげ解ける為には別の主観が用いられる。カントの定義に則れば主観は時間直観なので、この場合は時を置いた同一個性も入る。

2010/01/25

社会生態学

複数の社会関係が錯綜した結果、彼らの利害がぶつかる原理はそれらの結末をより重複化する為だけ。文化面でも同じ。ゆえ社会関係の外にいかなる利害もなく、その複合型たる道徳や善悪もない。つまり全社会性は一途に利害解消を理とす。社会性は智恵を喚ぶ。知識間の絡まりは複雑な利害関係に及ぶ程つよい。即ち、脳容積比率が最も適応要因として取り立たされ易いのは社会性の高まった所。でないとその誇大化は奇形視されがちで寧ろ節約されてしまう。智恵を使わないで済む場は脳を軽んず。
 符号化は定格に社会性の一摘みを宛て、思考や試験を省く。ゆえ符号化理論は社会定型の合理化で、その役割は既にある業務の効率上げ。もし定格外の才能なら当然、既存符号では染めえない。利害をみて既存の社会定型を効率化しようとした時、又この規格を全体主義に格上げしたとき社会性は進歩の為の独創力を自ら失う。よって複合した社会であればあるほど、符号化の適切さは負担化理論の側面をも担う。一筋縄では行かないという言葉は智恵が、知識とは分かれた機能であり社会定型の複合を前置きにすると示す。これらは、知識の規格が必ずしも進歩の論理と合わないばかりか、社会性の利害に省みると負担化の面を社会的進歩として規格づけられる論拠になる。但し、効率面では常に符号化は利用されるべき。この理論の利点は、検証を省くのに既にある社会性を援用できる所。故利害の上に全体主義の回避を行うには符号化の正の側面、つまり業務効率の機械化に独創性とは別の回路を宛がうのが巧い。
 個々人の利害調整を模倣の領域で走らせるのに符号化は最適。ゆえ符号化差別そのものは法的に規制された方がいい。なぜなら負担化傾向とは異なり、この差別は独創性という既存路線と違う変異を排除したがるので、業務効率は上がって行くが決してその線路をこえた進歩を社会内にもちこむ習慣を守る事はない。我々が企業やそれにもまして政府という全体調整企業の行う符号化差別を放置し続けるなら、その社会からは独創力という全く既存とは違った道をつける才能が抑圧か淘汰され、次第に凡庸で取るに足らない変異の群れのみ生き残ることになる。結果、この社会はより力強い進歩を果たす別の生態や社会から搾取か侵略される。この必然性は歴史がより自由度の高い生態を集団として擁護してきた生態学の知見と、社会生態の実際を重ね合わせている。
 社会的符号化は有用だがその閥としての増長が公に正当化されたり既得権益と呼ばれる古巣となりそうなら、できるだけ早期に規制か罰則でこの固定観念を公に壊した方がいい。そうすることは、社会性面からみて独創力を凡庸の模倣よりも尊ぶ誘因になり、結果として凡庸一般の取るに足らず慣れに基づく機械的技術でいずれ誰でもできるただの業務効率に対する、精神労働といわれるべき世界でも希有にして唯一無二な発明発見の才能への抑圧を多数派に回避させる条件づけになる。機械はほぼ無限に複製可能だが、才能というものは遺伝子と文化素のくみあわせに依存するものであればあるほど一度うしなわれると二度復活できない。つまり、すでに公認か認知されている社会的符号は複製可能性のもとにあるが、特殊な才能、いわゆる独創性は何らかのまれな生育条件でのみ生じた生態学的突然変異に他ならない以上、限りなく唯一回的でその成果は決して他の条件のもとでは生まれないのでより或いは遥かに貴重。尤も独創性にも諸種あり、このうちより情報量の高い変異をより希少とみなすのは利口だし原則的。この量は決して既存の符号知識に還元されるべきでなく、常に新たな指標でできれば複数設けられた方がよい。

猿まね

暗記させられたムイミな課題を
なにもない部屋の小型の机で
必死に解く少年はそれが
猿まね倭人のつくった欺きであると知らない
裏には膨大な努力が隠されてる
そういう先祖代々の文化の上に立って
見渡すかぎりのビルの群れはどうだ
勝利の味でもするの
単純に言って
すでに生きている意味などない
大昔から続けられてきたゲームは
キャラクターを自動で生成していく
死ぬまで辛い奴隷労働させられながら
あたまわるい人間界で生き抜いて行こうよ

民衆裁判資格

往時の民主政はそれを司る民衆が、目先の感情偏見で冷静かつ的確な判断を行えなくなった結果、滅亡と被征服へ進んだ事を歴史の中で教えてきた。脱構築系の現代哲学が警鐘を鳴らすのは責任の応答可能性が各自の無条件の赦しへの期待についてしか決して当たらない事から、何事かへの罪を正当化する法の支配を究極では言い崩せる仮設構築物にすぎないと民衆裁判の決定権に大きな土台の不安がある事実の指摘でだ。もっと日常語に、普通の言い方に近くしていえば、民衆自身が無資格で裁判を行う事は彼等が罪作りに係わり合いになるという絶対不正義さの証だとデリダらは「不可能な来るべき当為」としての我々の善意からの歓待の理想を語って来た。成るほどこれは一人の哲学する者、即ち翻訳源義に則れば、智恵を愛する者からの言伝てにすぎず現実の裁判制度と、それに無理強いでも関わらせる裁判員というまね事を半強制で遂行させたがる社交辞令からはかなり離れた趣意かもしれない。
 現実では、偶像崇拝に係わる幾つかの禁止条項が信仰を軽くみる多くの人々へは古代宗教の権威よりも功を奏する所より少なく、欺装界への憧れはその多神教の在来風景に吸い取られ易い。
 法矛盾への反語だが、裁判員裁判という欺装界への裁判権は当然考えられねばならず、これがない間は公的資格なき裁判員の自主司法政参加の意思のみは自由権の文脈で処理されて然る可。でないと裁判は誰もに可能となり、また主体人格の空疎化が相互裁判の末まで及んだ結果、彼等は皆が罪悪欺装への主体参加者となるしかない。この論旨は、裁判権の委任が実質的には批評と意見公開による相身互いへの権力抑制の理由を含む司法主人格の分離をある信憑性の高い調査に慣れるための資格制度と共に、当該社会での最低限度の良識後駆り機関への投資となってきた既存の法貴族制的な信任関係を明らかにしようとする。もし法廷入りの、そして少なくとも主体分離の資格が誰もに分け与えられるなら、この散種は無償の歓待という期待に逆らう動機づけに向けいわば多数決の行き過ぎへとみたび力を借す事になるだろう。このいわれなき借し分は当然、彼等自身に跳ね返り、法貴族制度上の無資格者からの裁決を無条件で受け入れるという法定不条理を、いわれなき感情的非難も考慮に入れて傅ける。扇り報道や検察などの止まざる虐めで不条理に逆らう勇気の削がれた侭、また様々な背景事情から十分に知識を得る機会の少ない侭でその場に立たされた被告人は、この到底行く先知れず繕われた負債、原因がないので返済できそうにない負い目を幾らかの復讐感情のきっかけとするかもしれない。だが斯くの感情は、結局この制度の上述の矛盾、民衆の主体人格が裁く側と裁かれる側とで分かれていない、という自己矛盾論の業に戻る。なんら反語でなく、ゆえ無知の為の無知の合理化は、彼等が善意に関わらず、多少あれ絶対無知なる同胞同類を、同胞と言う訳は司法が国家内でしか現実的でない間は同国民にとりあえず限るが、その無知で責め合うという蠱悪界へと帰るほか道はない。
 もし司法制度の外で、つまり同等の立場が法的に保証された所でこの説教が行われるなら、それは啓蒙と呼ばれていいかもしれない。だがこれをあまりに広がった法分野に関する倫理知識についてもともと主客に原則的非対称さの前提やまったく保証されるべき弁護人つきの法廷で行うなら、我々は意思に限らず自分自身の同胞を公に苛むのと似た責任結果を進んで選び取ることになる。より簡潔にこの矛盾点を述べる可きなら、赦しは絶対的非対称の制度内では、善意には程度を決して許容しない。神の例をとった宗教人が如何にこの旨を身に修めていただろう。さもなくば世界では、同類を上位から無資格で虐める弾劾なき吊し上げを善しとする歪みと不正義を、西洋社会の錯誤の猿まねで習慣づけた因果による、自業自得の悪意を復讐心の終りなき伝染なる醜風で繋げつづけるだろう。

2010/01/24

人類生物学

人類にあって、有性生物一般とはかなり違う雌雄間の逆選択が働くちなみは、社会的圧力。とてもまれな例だが多くの哺乳類の如く、孤島化しほぼ世代間競争の解除が起こっているくらしでは雄性への選択誘因のみがみつかる。つまり世代間抑圧がこの社会条件の鍵で、それは特に雌性の側からの選好みを押さえ込む方向へ強く働く。結局、理性はとても著しい形質でこの遺伝子の源は抑圧を性選択での決定的判断の引き延ばしへと導いてきた。だから更にいえば雄性でより特徴づけられる理性の程は、その遺伝子が過去により引き延ばされた選択経過を辿ってきた証で又この程は競争的。
 もし幼型の必然さが対遺伝池へえり分けに働いたなら理性分の幼型成熟比は益々この形質を促し、他のいうなれば安売りされている多分に発情し易いそれより魅了的となった筈。要するに、理性が大脳新皮質を誇大化させて行った大きな原動力は性選択での主導権争いにあった。
 現実社会の次元で考えられてきた知性万能論は決して人類生物学の眼で見渡すと都合通りでない。ここでは、知性とは引き延ばされてできた空白期間を、特に雄性に限って後先しれぬ獲得した道具立てとみたてた時のみ推し量れる。そして高度に文明化したか又は現代で一部の特権集団の外ではこの知性自体へのえり好みは、おもに雌性の能力不足のため強調されないでおくか、双方向にわざと隠されもする。段階にみた文化内での傾きは、空白期間としての若年猶予を結果の勘ぐりのみで評定したがりその方が、おもに雄性については好都合だからそうされた侭。選択の双方向さは先進国系の現代文明では空白期間の自由をより雌雄間へはるか裕かに与えたが、他の進化に等しく改造は節約する。つまり天分を補う獲得量としての学習は、多くは生産量に関する社会的誇示の枠内で性選択用か自己応用の余地をより賢い系統混淆の手だてとした。これらは、私には次の近い未来を十分に教える事実だと思える。知性自体への選好みはその系列遺伝を急激に強めるので、他一切の既存の選択原因よりも短い目でみて圧倒する広がりをみせる。但し、最も人類の系統発生の伝統に適う理性による選択遅延の慣習と名残りはおよそこの系統論の中身にも入り込み、知的審美性(哲学では直観と言われてきた、直の感覚刺激のみには省みない悟り澄ましの能力)を執れるだけ最良の長い目でみる一系統を、血統書の中で支配的完成種とするだろう。連続した推論の確かさにみた選れた直観を完成の域へ導く社会性あるいは文明性の血統が、人類にあっては地球圏生存の基調になりそうと予想され、この能力はまた地球外折衝の接客方針にとってもたしかに選ばれた最適な行動というべき仕種を本能的な直感(こちらは寧ろ生きる場面ごとに微調整されゆく細やかな感情とよばれるのが相応しいが)と擦り合わせられる唯一の回路らしい。

社会学

著しい社会的多様さという概念は人間原理の鞍替えらしい。そこには重量秩序の域でみられる数多の建築的変形しかない。そして装飾自体を含めれば一切の社会構築物は実用的。実用主義の社会関係への分析展開は優れてその混沌らしさを解く鍵。ゆえ生態学の目でみた社会とその副産物の実用性、要するに機能分類は最も社会系の知識化に役だち貢献する。機構に鑑みればどの生態をとりまく秩序づけられつつある自然変形も、彼らが理由や目当てとした一定の生態様式への道具立てとみなせる。科学での実用主義は、機能分析の生態学に実証科学の中で落し込める。ゆえ科学体系からみれば全社会系やそこでの文明と文化の産物および精神とよばれる生態学機能はみな繰り入れうる。
 様式についての必然や偶有の、また定常確率での突然変異を含む偶然の変遷はみな社会機能に於けるその機構くみかえ命脈に求まる。直ちに様式のみに触れればこの機構展開は、系としての社会がもっている最大の内部エントロピー潜在形質による。その結果、外界への接触比率は著しい複合さか生態法則の難しさを伴うから。顕在化された社会秩序は、こうして顧みると生態単位の大きな正のエントロピー化傾向を生物の機構へくみこんでいくしくみの裏返し。
 単純に言葉のそれを重畳性で測っても、とりこまれた系統の繁雑さが現れる表現形態の発生知を、記憶か記録づけた遺伝素にて行っているだろうことは明らか。つまり機能にみると社交性の最大の特質はその生殖ならびに発生系統のランダムな並び替えをくみこみ式につづけてえらぶ法則素順序にある。これをもし遺伝振り子のとりこみ強さとよぶと、機構としてみた生態秩序の完成へ向けた過程とつくりこみとは、およそ生殖系統すなわち血統の最も自然体な姿を少なからず壊すかある程度飛ばせる作為次第(注意すべきは、完全な無秩序は無作為に等しいので決して生態法則となりえない、なるまったくの乱雑さへの退行は社会系では営みえない事実)。この強化方法にしか機構が自ずと進む単純化への、内在された法則素のもとでの防ぎ方はない。さらに単純化すると、生態系のベクトルは既存の系統に潜在されたエントロピー掛ける結論としての機構継続を理由とした社会行動の重畳さに比例する。
Ecological vector=Entropy×Perplexity
Ev=S×P
もしこのエントロピーを文化対数に代入すると、
Ev=Ap log e×P
∴実際の社会系の真理関数は、すべての現象にまつわる比例としてその内部に
1/Ev=1/Ap log e×P
の定常さをもつ。これは生態秩序に向けた一般的な熱反応に対する文明逆数といえる。もしこの数式を分析すると、明らかに地帯生産性、Area productivityはこの全反応の底であり、情報についてのそれは単位時間の重畳さあたりのエネルギー投入量の乗数にまた比例するだろう。言換えれば他の産業をのぞいて情報秩序のみに生産量を特化させた市政は、なるほどエネルギー投入の指数比例に応ずるだけの資源確保が前提だがその文明逆数率では他の生態ベクトルよりたくみにこの命令をこなせる。工業化近代都市が芸術化情報都市よりも起こる重畳さの割合が低いだろうことは、少なくとも装飾能力については真。ならまずこれらの市政潮流の分散か分業は、それらの混同に叶った実用性への傾倒よりも生態機構の流通網にとっても有利。それらの間に起こる各変異と社会淘汰の速度差は当然、文化対数と文明逆数の双方向比率を守る。
S:1/Ev=一定
この為に、巨視すれば情報化という流れは社会比例にみた重畳さの文化そのものに対する増大であり、これは彼らか地域のもつ生産性に入り込む資源つまり仕事量の乗数に比べてかなり早く双方の馴れをはなしていく。ゆえ情報社会は工業社会と、以前に工業と農耕の社会関係にあったのと似た比率で遠ざかっていく。

2010/01/23

潮騒

かしわでか楓の揚げはとる猿よ
夢ながらねむりのうちに見るさむさ
しののめのかたる潮騒さわがしき
ひとけなき山あいにふる白雪よ
手を繋ぎかよう俗びと村松ぞ

歴史民俗学

東アジアで使う食器に、夫々の発生学が見つかるのは偶然でない。

 殆どの古い発明は広域な文化圏をもっていた中国由来だが、その中で箸と飯碗については明白な文化色が潜む。中国では西暦二千年前後でも象牙による古代の風習だろう痕跡がのこっており、これは磁器のまがい物のプラスチックにいつの間にか取って代わられているが、いまだに習慣としての皮膚感覚はその白亜色を愛顧している。又、白磁の発明はそれをおそらく煎茶の色味を試すところを起源とする汁物の基調にし、他の食器にまで浸透させた。南方アジアの油っこい食事はすみやかな清掃可能さを保存させたがる。そして亜熱帯気候での暮らしは特有の旺盛な活力を余儀ないものとしているので、将来も白磁器に代わる碗はその洗浄処理の予感にまつわる色彩感覚への慣れを有り難くするだろう。
 朝鮮では儒学のみの厳格な国教化のもとで、贅沢に及ばずながら肉食が普通だった。その為、食器類は油脂分に加えて時に生煮え含む血の気ある肉類をできるだけ清浄に処理する利便性を求められた。日常に金属製の碗が用いられるのをよしとした主な原因は多分そこにある。今日でも、あらゆる国で金属製ボウルは肉類の料理に役立つのが見られる。又この向きは箸の選び方にも及び、更にどちらかなら飯碗の利便が先だったろうが、この文化誘因は彼ら朝鮮民族の風習自体を独特なものへ変えた。熱い飯や汁類の食事にあたって食器を手に持たずに終える事が正式とされ、儒学の教えは残し物を最も先につくられた食べ物の大部分を支配する家父長の権威づけへ援用させた。これらは、おそらくはじめは偶然ながら共に熱容量面から後片付けの冷めた食事を極端にする背景色をもつことに注目できる。
 日本では茶碗と彼らが呼ぶ別の変形がみられる。最初は朝鮮を経由して得た大陸の文化要素は、島国の孤立の中でゆっくりと発酵し、かなり特殊な風土にぴったり適合するまで作りかえられる。彼らは先ず飯碗に改良を加え、それを熱を通さない木製にしてしまう。これは全く突飛な考えで、大体の文明圏で元からある素焼き土器の風土とも接合点をみつけ難い。恐らく仏教の伝来と先覚者・聖徳太子による工夫された布教がそのきっかけだった。仏教徒は彼らが節制と質素を旨としたいくらかの穀物と草食だけの生活を奨めたので、従来の油ものへの対策は不要となった。最小限の托鉢道具はずっと軽さをよしとしていく。そこでつゆものと彼らがいう水分の浸透圧を調整するべく、器物表面に漆塗りを施すだけに納まった。更に、箸類もこれに追随した。しかし漆は平滑面を繕いすぎる由縁で、こちらには昔からある白木製かもしくは木肌の摩擦力を損なわない簡素で人体無害な、少しく気の利いた塗装だけをよしとしがちになる。象牙箸はここでは渡来した観光品としてみやげものか、何らかの特殊な儀式様の格式張った品物になった。鉄製の箸は作り添え易さからあからさまに便宜に叶う鍛冶屋の産業用か、火鉢の隅に重さの為たやすくは失くされない風趣ものに転用された。近代では、おそらくは町人が賑わう驚くべき生態学から生まれた割り箸といわれる、最大限の清潔を保てる使い捨ての木箸も発明された。
 何気ない一文化産物が別の文化圏には発明のきっかけになる。一時は占領された朝鮮半島へ流れ出した楊枝と呼ばれる日本風のてのひらに乗る小型の一本の槍の様な木箸のかけらは再びその場を改めて、肉食の伝統ある風土で家畜の為の残飯分解がうまく運ぶ様に最初から酸化され易い改造された脆い木製素材になっているらしい。逆に、日本圏では近代化の中でえたプラスチック素材で元来の清潔への信念のために簡易な装飾、たとえば野菜や洋剣、ダガーをまねた可愛らしいしつらえと共に使い捨てを前提として、真新しく造型された。物そのものは小さいが、象牙を模造した前に述べた同じプラスチックによる中国発明の製品の趣とは、母国従来の形にさえこだわらない斬新面で著しい対称を為しているのが観察できる。
 彼らには器物を持ち上げるのをあしとする風習は、木製器物の発明や改良、それらの伝統による文化条件のゆえまるで一般的にならなかった。相隣接した風俗は詳細な比較検討に及ぶ反面教育作用のため強い逆向きの力線を望む傾向がある。朝鮮で信じられているのとは逆に日本では寧ろ、熱さを感じない碗を持たずに食事をするのは犬飯ぐらいという形容句が示す様に品がないか、よい習慣でないとされることすらあることがその一例を裏付ける。
 風習の伝来に当たっても中国由来の多くの製品の文化素が殆ど原型をおもいだせないほど変形や改善だてられている事実から、影響がしばし発明への機縁になる、という文化間化学反応とでもいえるだろう発見は、そこで趣の様々な風物詩に限っては東アジア圏の文化史的に真だったと見える。たとえば茶碗という短いが、大変な珍しさを込めた言葉がいかにそれを示すだろう。
 薬用からの流用で徐々に洗練を加えて行った、もとは有閑で高位な読書人の風習だった生きている余裕をおぼえる為の喫茶という中国で生まれた東洋文化は、最も古くは漢方薬として遠く舟に乗って、或いは朝鮮王朝の有閑層であった両班に属する歴史の表だった頁からは深山の向こうへか隠れた文化人づてにでも極東の島国へ伝来した。遣随や遣唐使および対馬をもとに行われてきた朝鮮外交官を通して日本の貴族達はそれをはじめ食事後の儀式として用い、次第に庶民へ伝播した習慣が飯碗の中へ御飯粒を残さぬ様、彼らへ勿体なさという粒々辛苦の縁起説の敷衍を理に一つの個々人なりの罪意識の感謝に任せた洗い桶として恵んで行ったのだった。彼らはこの伝来を起源とした面白い風物をとても高貴な精神を含むと感じつつ紛れもない伝統芸能に値する世界として茶道へと昇華して行き、まずまず標準的といえるだろうある決まった型がみえるまで整えた。茶室という特定の建築様式や、いうべからざる方法論を彼等の独創性と職能本能に関して継いだ幾つかの由来ある家がその格式高い保存をつかさどっている。現代でも日本人がこの興味深い芸能界の風習を日常生活の隅々へ持ち込んでいることは飯の碗をなぜ実用および他の世界でさえ元は炊いた米をよそう為の道具でしかない筈なのにお茶碗と呼んでいるのか、また日常茶飯事というこなれた言葉にまでみいだせる。この化合の一例にまつわる退屈かしれない由緒にはしきたりについての高度な趣味観がもう幾らか知れない高徳な世代を跨いで結晶しているらしい。

2010/01/22

Digital

Somebody thinks some days will endure
But you're doing most important job
This orchestra might not be too long at
Night this summer chastity of
Endures have to be vanish every
Things dust breaching diamond lyric
I used to mean ever comes quickly songs
Taught under Rolling stones or Beatles & more
Radio heads sickness virus mime from
Compact disk flow in
Our Hipparchus contemporary doctrine
But not to say about
Something over drawing rough choosing
Sight seeing from mathematical digital view

人類生物学

人類自身を唯一の知性とみなす根拠は少なく、その中身は正当化の論理としての神学化に戻る。只の社会構成に省みて知能は生態機能の特徴にすぎず且つ変異内。これらの訳は高等範畴をくみかえる必要はその生態機構が入れ替えられればありうると言え、しかも環境条件による。権能としての知性は神学構築を除けば一切が主に同種間協調の段階に求められ、この加速度は分業についての文明逆数による。社会行動の記録は人類が協調の枠を広げてのみ母系の繁栄を謳歌したこと、及び歴史はその自己展開を資源と産業段階についてそうしてきたと示す。単に人類内の原則は以上の法則性に叶う行路を日々辿る。そして人類なる種の変異内では文明逆数をこえた一切の自己展開はない。巨視すれば社会とは彼らの建築と帰巣のつながりでそれを少しも出られない。文明の本能をもつ生態構造に人類生物学の知識を集めゆける。我々はこの学識から諸種に渉る建造の方針が彼らの内部生態内でいかにつくりかえられてきたかを余さず知れる。
 性能にみた諸種の内、獲得形質でない変異の幅を仮に一定の違いとみなしそれらの間に品種分類はできる。この知識は我々がつくりあげる社会秩序のうち如何に彼らを適所に置くかへすぐれた解決法を与えるかも。更に、遺伝毎の分岐がいかに法則だった系統樹に沿うかを教える。反社会行動、とされるほぼ同値の教育程度内で発生する、学芸へ昇華されない乱雑さの確率は当然、種内変異にも当たり、また学芸内の概要は何れ劣るか仕業にすぐれぬ変異としての多数派を整理させる根拠になる。教育組織がこの種の模倣変異種一帯への再獲得条件づけの作為でしかないので、淘汰勘定にすれば多数派を保護する合理性はなにもない。つまり、我々は論理だったいくつかの評定平均で凡庸を整頓する知力からの構成をみいだせる。
 ある期間の平均変異割合の内、独創性をみせる選種誘因が高い程その遺伝系の比較有益さは十分。一般の商勘定が凡庸さへの取引還元誘因なら人口比÷無業率は彼らが同等の商誘因空間内ではより選れた情報量の消化を果たせる内部秩序の目安といえる。この種の変異は当然、商取引の様な既に流通している遺伝変形とことなっていることだろう。最も滞留的かつ後続的な遺伝子の溜まりは政治系をつくり、その不満分子比率に応じた犯罪死角の構造づけを行うのが普通。即ち政治系の大きさは整頓か粛清されなかった遅れた遺伝変異を残している、といった社会構造に於ける不合理さの証。現実にできるかは別に、最小限の政治系はそれを誘う商誘因という凡庸種の池同等に、上述の変異比率を所謂法規制の自己正当化で下げてしまうが故に淘汰必然的。
教養度×人口比÷無業率=特異性保守率
と考えられ、又この値が高い程その集団か種条件は他の特定社会行動に結ばれた既存の出来損なった人類全般よりも次の進化にとって決定的に有利。この相対した非既存社交系の内からのみ次世代の全く目新しい変異は出現確率がある。
 続いてきた協調の内部にこの割合が高い程、人類はその生存域を広げる。よって選種誘因としてみた特異性保守率は他の一切の凡庸種への停滞をきたした社会系よりも、本質的で不可欠に類の機能拡張を担う。

2010/01/20

天文学及び天体生態学

各宇宙系の間に最小の接触点があるのはそれらが引力のみの関係で説明できるなら真。特異点定理はこの最小限となる時空間の抜け道について当たり、しかも引力以外を省みなければこの定点は不動。宇宙系同士の盛衰は、もし総量としての引力場間に、宇宙系毎の偏りがかなり大きければ起こり、且つそれらの絶対値は総量としての当宇宙の全仕事量による。この仕事量が尽きると一宇宙系は他のより強大な仕事量を誇る宇宙の部分集合として暗窟化(ブラックホール化)する。暗窟化した系は情報量の極大値の限界で流出が起こるまでは一宇宙内での引力収縮を行う。
 上述の接触点は、引力のみの通路なら(なぜなら光速度はこの地点で当然、当宇宙の限界速度に達するので空間そのものは仮想の無限に極大化している)この暗窟化とは異なる反応の組織を持っていると言える。もしこの組織を光、少なくとも引力場の偏りが予想させる(少なくとも一定の時空間範囲で定常視できる、形状に則した複数の)極小点でのそれ、の系内で可能な最大自由値だとすると、ホワイトホールと呼ばれる宇宙の果ての極点にのみ実在可能な計算値は予想される。日本語で光輪と呼ぶと、最大の暗窟は通用宇宙では一つだとするが、少なくとも光輪はこの七夕宇宙系の最も平凡な基準となる湯たんぽ形状では最大のもので二つ存在できる。しかしそれらはやはり完全な対称ではないだろう。宇宙系同士の運動はもし全世界が静止し、しかも一定の形を保っていないなら必然だから。この宇宙型は銀河間の広域な流路が、実際の一光速度不動さの枠をのりこえて別の法則内へも流れ着く事を予想させる。最も源流となる全宇宙系の最上流領域は考えられていいし、原則として光速度に沿う空間は花火効果によってより重たい宇宙に於いてほど長寿を全うし易い。ゆえ七夕宇宙を仮に照準地点とすればより緩やかな流れが入り込む鈴系の側が、少なくともこの視覚域ではより上流に近いと言っていい。
 だから生態構造との関係でいえば、より下流にあるだろう十五夜系の発展が早いそれぞれでは小規模の文明の内に栄えた何らかの秩序を、多かれ少なかれ地球の属した文化圏では受け入れる事になる。しかしながら、輸出入の関係でいえばより上流にあるだろう鈴宇宙は自然にその選択権を持つ。地球の川で実際にそうある如く、深海で生まれた幾つもの多様な形態は本来の場所とは大幅に異なる上流域へ再適合を計るのが途轍もなく難しい。この数式は地政学の一般的文化逆数に、進化速度を掛けた乗数へ更に生存確率を期待値化したものとなる。
1÷S×Evolution timeLiving probability
⇒EtLp/S
⇔EtLp/Area productivity log energy
⇒EtLp/Ape…上流到達率
この値は経済力進化論一般にも精度あれ適合する。但し、その精度は期待値の上限にあてはまる既存の文明度の許容生存確率に従う。よって値としてこの割合がゼロ以上となるのは底である地帯生産性が下流から遡上しうる全生態秩序の総進化速度より、等価原理に則り早い場合だけ。つまり原則として中流域と中間文明および中間帯宇宙の多数の生態は彼らが想像できる限り必然の秩序の編入に経済力進化の既得条件内で適応できねば絶滅する。広域に及ぶ淘汰の規則へは彼らの想像力が普通には脳容積割る感応器の鋭敏さについて見事な比例を保っていることで恐怖をある範囲に閉じ込め働きをしている慰めが見つかる。進化速度は彼らが業と呼ばれる自己活動の結果を十分認識しつつもそれを即刻の死によって受け入れる能力をもつと知らせる。そして進化速度自体は生態系の属する光環境と全体から引いた速度比を最大の密度の中で起こる突然変異出現率(これは期待できる生態系の孤立時間による)に鑑みたものゆえ、偶然の異類接触を除いて、支配した孤立文明自体がその維持や選良生存を保障されるのは条件の中で起こる特異性保守率が他のほぼ同一条件の文明より何らかの都合か誘因で高い場合だけであり、更にこの場合は生計外ゆとり幅のある一般的経済力としての生態系か社会単位の生産量へ大幅に依存する。
 七夕宇宙系の型をとってみても明らかにその最上流視はできないので、人類とその末裔か変異した地球型生態が生存確率を保てるのは生産量の多寡平均を生態史の時代毎に測るか推した多さの側に傾く割合で。もし確率を除いて経済力をみると、進化の矛先は生態構造から導いた最もエネルギー資源投入に恵まれた地帯の一員により早く、より広い生態交渉を依頼するらしい。だから運よく維持されれば七夕宇宙外との交通路を拓くのは文明逆数の比例順序にほぼ叶う生態。

落語

星中を走り回るあわれなおさるさんがんばれー

呟きまくる首脳かな

お祭り屋さんが鳥と囀るへんなカフェ

弱いものイジメが趣味の浪費知事、ぷっ終ってる

都内じゅうで笑われる関西人けっぱれー

小説

金を儲けて猥談を売り捌き威張り散らす
しか能のない出来損ないの民族
その一員として生まれた身の上なら
絶望しない方が不思議だ
ゲイシャかヤクザになる為の歪みきった義務教育
生まれて間もなくその畜生界に叩き容れられ
下賎な闘争と足の引っ張り合いの毎日を
物心ついてから十年以上つづけさせられる

疲れきって魂は悲鳴をあげているが
脱出しようとした途端、精神病院に葬られることは
ちゃんと規則で決まっている
前に倣え! 前に倣え! 好きに竹刀で叩きつけ
正当防衛を知らない無知きわまる体育教師が
暴力しか才のないヤンキーとの連日連夜の
陰湿きわまりない、嫌々ながらの防御戦を
喧嘩両成敗とほざき、同一の重罪で裁く

何もしないしできもしないヤクザの親分は
溢れる大金と絶対安全な地位から
わざと品位をおとした狡猾なボロのジャンパーで
税金をしぼりあげるため全国視察、偽善の言葉を吐く
それが先祖伝来の習性になった一族は
大衆をどこまでも奴隷視し
自分ひとりだけは助かろうと全力で上品ぶりまくる
その後ろには、山になった暴力教師が風俗店を守る

きちんと見なさい! これがあなたの生まれた国だ
畜生の戯れる底知れぬ地獄の世界に
どうしてわざわざ生まされたのか考えてみなさい

俗物を殺せば当然ながら死刑だ
だが俗物は金儲けで増長しつづけていく
そのみにくさきわまる俗物類をカモにして
次々繁殖しつづける役座が全員のリーダーぶって
君に誤った命令を下し続ける歪んだこの世で
絶望しない方が不思議だ

Necklace

Dynamics or top of the
Window touches lap to back
Non meaning in ottoman stool
Dishes talk about our all envies or varieties
Or nothing more candidate some canary cities?
Deed in locked
On a door is opened otherwise
Retouched beads necklace course
Under the road staring
Twinkle winkles + road map times jam is
Wrapping bows above the
Olympic bubbles take two scattering
Not but you should catch to some summery
Some oceans butterfly deeds reel

2010/01/19

社会学

社会関係を好転させ自らの地位をより将来に亘る優位にたもとうとする共生か競争のそれは、社会力学の全場面。資本主義の目あては国際ふくむ最小の摩擦抵抗のなかでこの最上の順序をたもとうとする能力への、既存と建設した文化場土壌づくりに等しい。経済学と政治学を分けると、この種の国際や個性をもつ主体間の運動が説明しきれぬ。ゆえ資本主義社会学のみに限って歩を進めれば地政学という地理学と歴史学の折衝点に存立する諸学識を仲介用に引用しなおすしかない。個々人の利益を求める運動としての経済学と、全体調整のための政治学の中身の違いはこうして、地政学の経由で幾らか緩和できる。それらは一定の社会環境で起こる全福祉制度についての奉仕関係知としてまとめられる。よって単にそれらの包括たる社会学というおおざっぱな巨視観で見直すと、個単位から始まる経済運動と生物学類に及ぶ最大の群単位でそうする政治運動とは相応の逆ベクトルをもつが同時に、同じ社会場で営まれる配分と調整の応報関係とみなせる。
 一般に、商誘因は何らかの物資の偏りなる勿体なさが環境間にあるときそれらの仲介料を担ぐ生態を、人々か生物群が保守するとき起こる。物資の偏り自体は文化対数そのものがこの宇宙に、また現段階の想像を超えない世界に引力からはじまる諸誘導で確実に生まれる既存計画下にあればどこまでも進む。
 Economyという周辺支配を意味させたイングランド語は、この観点から時代精神を体現させた荘園経由の封建制度の敷居より発想で出ない。歴史語か古語としてのそれは今後ものこるかもしれないが。本来的に社交界の最も高く掲げられるべき特質は、他のどの生物よりも趣ある様々な奉仕に仲介業種が別れてあるなる高等動物とかれらが自らの非索居性を称する所にみいだせる。つまり商関係の重複形は社会性を仲介能力について高めた結果で、その内容とは協力関係の暗黙知とされてきた領分を含む規則づけ。只の協力関係としてみたとき商空間の合目的さは、それが最も部分最適の側を鮮やかにうつしだす為みえる。なぜなら利潤の最大化をめざす欲求は、資本の限界効用を組織規模であからさまに象徴か知らずしらずであれ誇示させ易い。逆にいえば徴税商は経済学での負担理論の最大の効用を強く表し易い。そこにはベンサムの定義してきた量的幸福への誘因が入り込みがち。結局、政治行動の訳は大幅に片寄った資本配分への不平等(多くは生得的な)の是正をのぞむ野心からだし、それは選良主義にとっては魂の苦役でも不条理な自己矛盾でもあるうる限り、かれらの群生を指導づけるのは(又それに成功するのは)多くは最も不満のある個人の自己犠牲の転化なので。
 質的幸福は奉仕する個性種を十分主体的にえらべる、一般商誘因であり易い。即ちもし功利主義の論理が精神の快さに及ぶなら、それは現代では第三次産業とよばれる大きな奉仕市場をつくっているわけだが、こちらの側は明らかに資本使用の関数を最大の利己感覚か概念的事業主体できりもりし易い一般商のもちまえとなる。
 資本主義社会の終わりはその全奉仕面の実質無償に及ぶまで個々人の勤労の成果を生産性の最大化に向けて動かす所にある。いいかえれば、福祉国家がめざす虚像は山頂の自己の影と似てあやまって捉えられた国家主義の怪物であり、本当は、資本主義社会をより勤労の習性を高い知的工夫に充たすうちにしか第三次産業を含む全商社交の完成はありえぬのだった。質的幸福の内容はそれが無償のなりわいをかなり高い集中力でこなすという心理の高尚さを各互恵関係の中へ充足させること、もっと日常語に近い形でいえば奉仕習性か歓待癖なるものの、社交界全般にわたる競争と向上の獲得誘因の拡大のみ。ゆえこの商能率は、目にみえるかとは別に小売商を頂点とした一般的な資本主義社会やその会社の業績上昇の努力でしか達成するのが極めて困難だろう。福祉国家自体が第三次産業を完成の域に導くことは決してできない。私はこの逆理の結論を資本社会の実質無償化効用と述べていいと思う。それへの進展はいわゆる徴税の手間をへて再分配の偽装によって恩着せがましい無料の国家基盤を繕うよりはるかに、流動資本運用上効率がいい。そもそも彼らのつかう貨幣は発行された国政の文化素にすぎず、実用価値はない。交換価格にしか世界貨幣本来の効用はない。もともと金融に関連づけられた制度内通貨はどれも商能力の誇示を理由づける勤労誘因の一つにすぎない。
 外部経済の内分泌予算という流動量運営の望ましいはず資本主義の本質は、余分に働いたり余計に作ったりそれを資本家のいわゆる余剰価値搾取の旨味とは別にほとんど只であげたりする頼もしい能力の結果的な擁護と(なぜなら誰しも無用分の資財を完全無為に廃棄処分するよりは、限りなく只でも大盤振る舞いする方を社交の上で自尊心充足の為えらびがち。これは宗教家以外でもかれの社交性に準ずる功利精神があるから)、さらに社会環境にみれば寧ろそれを積極的にえり好んで集積するところの文化場づくりにも目的がある。文化逆数の比例は、余裕量の増大について地帯生産性の間の仲介業種についてもきわめて理にかなった分布の密度を示す。要するに、自助の格言に等しく最も合理的な社会秩序である(社会保障の域をこえた仕事量の)勤労とそれを消化する為の健全や聡明な心身能力の人間淘汰は、確実により他者を助ける能率の高い逸材をえり好むかある程度の機会浮動内配偶の選別期間で人類について限ればある程度の確立済み文化関係にありながら特殊な相互参照を込めてそうもさせがちで又、かくの才能を強化させる地域を次第に完全非階級化社会主義論旨をえらぶ一類より豊かで、いつしか他の怠惰な国柄へ模範づける役目を果たす。
 こうしてふりかえると、社会主義思想はすべて当時代なりの瞬間には特権にみえるが元々は祖先種の努力もろとも蓄えられた資本家の過大な能力への恨みか嫉妬などの負の感情を正当化する方便としてうみだされた錯誤か断章取義の経過であったし、もし人類社会を改良する、という慈善や啓発の才を血統主義なる自然界や有性生物全般と共有する規則で十分に満たしたくば、国家や民族間についても模範や手本の役目を一部の特徴高い選種基調にかけて保ち、維持し、促進か優遇すべき。

科学界と宗教界の等しさ

聖書のなりたちがどうあれ、もし今わかっている自然知識の程でいえばジーザスの考えた神の親衛隊らしき天使共の到来ということは想像できるし、不思議ない。逆の立場でもありうるのが少しでも工業力ある生態ということだ。
 商誘因のみにかぎっても、惑星型の生態には化合できないか入手困難な無際限の那辺は空を見上げればつねにある。それを示唆した才能が芸能人としてみても古代あまりに飛び抜けていたのは悲劇の素だった。しかし、預言のみを評定していけばそこには既存の予知をあわせてできるだけ確かな将来を教えようとした個性があっただけか。
 信仰からみれば科学に答えを出せないのは疑うべくもない。なぜかといえば、それらは付け加えであれ既に集められた聖書の中味より未だ豊富でもないから。要するに、宗教の確かさは流通した知識量の比率にあり、この共有体が安定しているほど信仰はゆるぎなく仲間は互恵の旨を分かち合う話題やその交易継続の動機をもつ。科学の共同体は何れそのしなに応じた信仰を素に、夫々の信教界に返り咲く。だから知識量の現有比率をもとにみればどの科学も知識人やscientistとよばれる部分集合精神も、同様に一宗教への帰依だ。科学教は共同体づくりの、また仲間内の話題づくりの趣味なのであり、それをこえて一切の内容をもたない。

2010/01/18

国立大学論

状況はもっぱら日本のそれに限るとして、国立大学の法人格に対する株式や友好的な中央や地方政府機関からの教授会ふくむ部分か指導力の核の買収によって福祉税制的な無償化が進められるうちには、その在籍期間延長の可能性を悪用する意図のあるなしに関わらず学内勉励の維持か契機のため卒業試験合格者の絶対数規制があっていい。もし帝国系国立大学が以前のまま戦前に参照したフランスの制度を踏襲し、浪漫派絡む教養主義の流れを、全く質の異なるアメリカ風の実用主義化へ私大との住み分けもかんがみ、自ら変えるべくもなく、その為の大義名分も西洋文明模倣に重ねたGHQ型自由化路線以外に依然持たないならば、当然定員滞留は起こる。そしてこれは現今ドイツの国立大学にみられる様に、成果や制限を課さない国費圧迫を伴う。
 私立大学の整理はいずれ市場の論理にまかされるのだが、法人であれ戦後の方向づけは手間取った国立大学という基盤を自然淘汰にあわせるほど人々は、決して無明でないだろう。つまりは、滞留の清算には学業成果主義の面が勘えられていい、のでないと危うい。もしこの放置がはじまれば我々は有名無実な大量の只乗り窓際学生を維持費が大変高価な大学施設内にいつまでも飼うしかなくなる。彼らが肩書を悪用する近い将来も十分予測可能。
 学習到達程度の規制はそもそも学部段階の知識を抑え込むので不合理である。かつ学費依存でなく定員制限にもなる単位制度の上での卒業人数の絶対値は、その内部学識を飽和的に向上させる。たとえば学部間の移動や転向もこの枠内で自由なほど発明や発見の余地は広がるだろうし、また結果的には講義間の或いは教員間の引き抜きをその人気か上質かでいざなう。問題となる過剰在籍定員は、おそらく無期限在籍者の自発的私立大学への転入傾向黙認で解決できるだろう。学費負担は帳消しになっているので、学生街付近での教室市場確保が期待できる限界効用といえるが、これは全く以て麗しくものぞましい先進税収の方向付けではないか。
 原則として職業の種類が急速に狭まる産業進化型社会では余分な壮健さの受け皿として最も巧いのは、継続した再学習環境の数珠繋ぎ条件づけであり、これにはきわめて高度化した入学と卒業の要件が課された幾つかの公的教育機関が中心ちかしい福祉コアとなる。

地政学

長野の人は緻密すぎる性質を異常だと感じない。徹底的に内陸部の生活では、そこで起こる現象の異様な迄の代わり映えなさから、普段とことなる細かな違いをもいやでも見分けてしまう。しかし港町、特に横浜や神戸や長崎など新興地域であるほどこれとは逆のこだわらない性質が見当たる。但し、横浜では流れ者たちの装いの軽さ、神戸では歴史の浅さからできるだけ目立つ行い、長崎では南方風土らしくあきらめの早さに転化される傾向がみつかる。
 東京の人はお金の問題を殊更強調しない。武家政権の伝統と政治界へのぶら下がりの商道徳は下知より上智を、或いはきわめて恩着せがましい羽振りをこまかな損得勘定よりもとうとびがちなところからか。同様の観点は武権のつよかった土地柄、たとえば水戸や仙台や尾張などでも別の既存の特徴と共にみあたる。即ち水戸では雄藩気質の極端な面が、仙台ではその劣等感からの虚勢が、尾張では排他的なまでの自信の誇示が。しかし大阪や京都、及び武権に関わっていてもより関西圏に近い紀伊では逆の性質が普くみられる。つまり公家社会への依存がつよかった地域では損得勘定が道徳意識より遥かに発達している。さらに、京都ではこの性質はとても激しい裏表の態度差として現れ、同様のたちは影響圏として北陸に近づくにつれ陰湿さや雪国なりの粘り強さをます。
 これらの少ない例は、にも関わらずかなり身近な地域についての実際の法則だった変異から鑑み、諸国政の気候風土との混ざり合いによりその地方の風俗を変える可塑性が十分あることを予見させている。
 ちかく西洋諸国の性格の大まかな差は、変異の平均値をとれば一定の類型で数えられるほどこの予想知に似ている。たとえばイギリスでは極端な文化集積の偏りのためイングランド、ウェールズ、スコットランド、アイルランドの間に連邦以上の民族性格差が観察し易い。順に、過剰な知力、天然呆け気味、がめつい意欲、感情的というおおざっぱな類型をもっていそうだ。これは入植と史実が地域毎の進退を仕訳た理由でもあるかもしれない。ドイツとフランスとは内心で敵対的だが、ドイツは理性にフランスは情緒にその解消を求める傾向がある。これはゲルマン民族を母体とした帝国史の覇権意識と、ラテン語族系の王宮文化とが対立や混淆するがゆえ。そして各々の国民性も無意識であれこの規律を、出自の同一性に免じて採用しがち。一般に、フランス社会では母系の道理が、またドイツのそこでは父系のものが正当化されたり強調され淘汰されゆく。イタリアの民族性は他の西洋地域より幼さか浮薄に傾く。良い意味では未熟さだが、これはかれらの偉大な遺産が同時に、勤労より所得をえり好み易い社会誘因が有閑気質を他のどの国にあってより成功させているから。オランダではこの向きは商圏に、スペインとポルトガルでは冒険と野心に、ギリシアでは自適に、北欧諸国では歴史の浅さから無理やりな権威づけに傾く。スイスやルクセンブルクでは狭い国土の土地生産力を補うための金融業優先に伴う経済力の過信がみいだされ、特にスイスではそれは殆ど牧歌的なまでの新興企業誘致に至っている。ポーランドでは学問への卑屈な態度が染み付いている。オーストリアには王権への尊崇がイギリスよりも強くみつかる。またトルコにはこれらの殆どの要素が混入しつつ、ヨーロッパの強国に対して結局一つになれない。
 将来は推して知らずばこれらは日本の例と同様に、社会場にも系統発生が当て嵌めうるかなりの、ひろく観察できる事情らしく見える。そして民族が地域一帯を国有し、その開拓と耕作で夫々のざえを栄えばえ示すならどれもあるいはまことに麗しい事でもあり、だがおそろしいまでに国民が土地の子であるのもまざまざと示す様だ。まったく宗教的見解を抜きにしておもえば、イスラエルの国民もかれらが国土を建設する内にはべつの性質を獲てまた自らの発生史に記憶していくだろう。現今の南部朝鮮半島については、5つ+αのおおまかな類型がみつけられる。まず北側と南側とでは人工化の片よりがある。よってソウルを中心とした北側の方が文明化率が高い。さらに、北側のうち、ソウルの属した1. 京畿道は先進的、2. 江原道はそこが都市化に遅れたことから後続的。南側のうち百済を起源とした南北の3. 全羅道はおそらく対馬外交時の経験則からもたくみさ、特に南側では怜悧を通り越した狡猾さを含む。対して新羅を起源とした南北の4. 慶尚道ではいわゆる近代化潮流への縁の遠さから古きよき郷民らしさがみつかる。しかし同時に朴正熙政権以来の独善で、とても重工業化の進んだ沿岸部(南部に著しい)と遺跡の多い慶尚北道ではこの性格は、以前よりもよかれあしかれ極端になっている。中間地帯としての5. 忠清道はとりのこされた両班気質特有の鈍感さともちこされた固有の徳目をもつ。この傾向は内陸部である忠清北道の方が強い。孤島としての済州道は開放的。

2010/01/16

社会学

小型の社会場、たとえば家庭、近所、学校、会社といった国やその連合の内部のなんらかの共同体でも、独特さへのある程度のゆとり幅と同じく、そこには法治原則にのみもとづく善悪の誘因が働く。道徳という誘因は、単に内省の将来予測の才に還元してしまえば、社会秩序の中にはみようとしなくてよい。それは心理の側面にのみあてがえる。道徳の非科学性は法案論に及ぶ形而上学についての、一種の推論のよさに従うので実証主義的には歴史哲学の批評に結果としての真理の度合いを求める他ない。
 社会誘因には次の三つの法則がみつかる。
一、原始的な農耕段階にある孝行の規則。
二、進歩史観を特徴づける工夫の規則。
三、情報化に伴う理論の規則。
 これらの推移には文化対数の基本法則内にかなりのばらつきがみつかる。と同時に、それらの推移はたしかに論理的な段階をふむので、一旦先に進めばもはや以前の規則段階への回帰はまず起こらない。但し、強制植民などの撹乱効果に応じた多少の揺らぎと逆行はしばし見つけられる。ともかく、ゆえ都市化の過程がその場の工夫段階にあるなら、当然それをすでに通り越した情報化の社会誘因からはおよそ再び都市化への逆法案はもちだされなくなる。且つ、おそらくこの理由は、いわゆる文化逆数: 1/Sの比例が文明の両極化をなんらかの場の偶有か一帯に及ぶ特定の環境負荷によってふせぐ原因となったことによる。なぜならこの種の情報化誘因があてはまるのは農耕化にも十分に進めるほどに地帯生産性(この場合は人口比分の肥沃さが殆どだろう)が高くないか、都市化に及ぶほどの人口密度についての一つ以上の魅力が欠けているという過疎にも繁盛にもかたむかない原因があった所になるから。
 上述のごく原則的な三分割の間にも数かぎりない変化はあるが、なおも社会誘因としてみたときなにが善悪の基準となるかについてまったくことなる変形を被るという社会科知識の裏付けは、我々が地域や時期によってほとんどちがった生態をみたり実現したりするのを古い倫理観の混入で過ちだと考えるはやとちりを戒める分には有効。

社会学

複数の社会誘因間の重なりはそれらの必然の結合を前提としない。それらはごく偶有的で、遺伝子資源と同じく機会浮動による。もし社会誘因のみに着目して真の進化の多元秩序を観察すれば、文化場間の推移自体は資源的価値や現象としての希少さを多少あれ保つ。よって生態秩序面から社会場の運動をもし遷移や動向の理論の基づいて十分分析すれば、社会適所への遺伝子の淘汰圧内の変異も当然、この社会誘因間の兼ね合いに原因が求まる。つまり生態学的社会進化はほぼ一定の運動法則をもつ。
 善悪とよばれてきた政治行為なる市場の囲い込みによる資源の調整意志からみた社会適性は、これらの社会場の機会浮動要因を分類すれば当然単なる生態秩序種の獲得形質やその実践された習性側面でしかない。いいかえると政治行為の基本理念は可変的でそれをとりまく経済型と予想できる法案知の最低限度に由来している。只の社会誘因として社会行動への規制を政治状態とみなせば、善悪の分別は経済型にとっての合理的行動形式という獲得されるべき後天的生態行動原則の倫理面での呼称なだけ。
 従って、政治行動内から善悪の変異をうみだすことはまずできないと考えていい。それは法規範という既存規制を強化できる行動方式に他ならず、この枠をこえた社会誘因をよびこむこともつくりだすこともできない。社会誘因自体は、経済型の社交段階と、それを内部から動かしている産業条件にほぼよる。そしてこのタイプへの適応規制について、より合理化された一連の道徳観念として新たな時代や地域空間(多くの場合は特定の知識集団を背景にした民族語を担う国の単位で)での理念がひきだされてくる。絶対善というこれまで形而上学の範囲でいとなまれた考え方は神の名のもとに丸め込まれて棚上げされてきた理想だが、実践の点からみればこうして決して到達不可能らしい。善悪の概念自体が倫理法則として時代環境や地域空間の法治条件の法ってのみいとなまれうる道理は、政治および経済の学識を社会学の範囲で全く実践の学としてまとめあげるのにこの形而上認識を媒介しなくていい証だから。即ち、善悪は経済合理性の段階への漸進的調整方法として法案論旨の内部秩序の中にしか永遠にみあたらない。もしこの外に、いわゆる形而上学徒が行ってきた仕方で善意を仮説づけても、それは学識にとどまる。つまりその認識は思想の領域にとじいれられ、決して社会誘因として顕在化することはない。社会誘因を生態学秩序内の人間関係法則と定義すれば、当然そこには幾つかの種類の、おもには主要産業の展開に則った社会淘汰への群的緩和の方法論以外はみいだせない。社会誘因に文化場理論的多様さがみつかるとき、それはこの産業の展開が地域や民族ごとにかなりのばらつきがあるという地球場要因にのみ原因がみつかる。そしてこの要因がもしなくなるか元からなければ勿論、社会誘因間に、従って社会秩序化の法則自体に甚だしい偏りや相互矛盾点はみつけられなくなる。こういうルールの厳密さは、より可逆部品の多く流通に同時さのある機械系にあって精密にみつかる。もし人間社会にそれがゆるやかにしかなさそうなら、かれらの文化に対数比例則がはたらく幾つもの既存の地政学的因果が絡まっているから。

2010/01/14

社会学

人為的につくられた適所はそれらが不自然な形態で成立すればするほど維持費分の労力の多さのためにかなりはやく衰退か撤去され易い。都市化の維持費は同様の結論を導く。従って人為系としての都市文化はほぼつねに経済適所だと考えるのが合理。もし社会場の性質を各種の適所について分析すると、都市文化は唯一の適所では毛頭ない。それは経済適所の一形態で、しかもより詳細には宅地、工業用地、金融業務地、商店街、郊外型開発地、事務所地、研究所地、交通要所、港町、通過地帯などに分けうる。経済活動つまり商業はそれらの重複化を加速する系。仮に商業をこの重複機能のみに着目して分類すると、そこにはおよそ上述の機能群の時間と空間に及ぶ改変経過のみある。
 自然な適所の変化は、それが既存の熱力学速度にしたがう限りでゆるい場合が多い。但し、一部の河川や湾岸や火口に不定期な自然現象で大幅な環境異変がみこまれる所は除く。この例外には人為系は微視的。自然適所への最小の加工としての人為系は遊牧か採集で、これを更に集積し法則づけると農耕か栽培となる。これらの更なる集積は、都市化を除き、培養か食品の適所を誘う。ここで、これらを最小の人為から現在および近い将来にみられる全ての加工をみこんで産業系とする。
S=Ap log eの文化対数は集積すべき地帯生産性をその値の底とする。ゆえ上述の偏差は一般にごく短い期間に両極端に進み易い。芸術適所というべき、産業や野趣に傾かない地帯の希少さはこうして説明できる。そこには何らかの人為か自然の誘因で、文化対数への逆数が働く。おそらく多くの場合は都市化または人為系への潜在(心理的)か顕在した気候要因がその多分には良い意味での妨げとなっているだろう。天才と我々がよぶまれな生得形質のもちぬしは、その生態発生の系統についてこの文化対数への逆数比例が多少あれ働いたらしい。
 もしスチュアート・ミルにならって独創性を天才の特質だと定義すると、既存の文化素への突然変異の編入をその最も有効な改良法則比だと考えて、文化逆数: 1/Sは最も原理的な生活改良の法則素だとのべていい。より日常言語に近い形に翻訳すると、この都市化や産業系は生活改良の最も合理的な方針だとは考えられない。寧ろそれらの割合が自然適所が用意する文化対数の偏りに逆らって法則化されるほど、生得形質すなわち天性への淘汰圧はより独創性を育む方へ導かれる。文化場理論の実質の帰結とはこのより分業制を加速づける様な独創性へつながる突然変異を、かなり安定した母系としての群生(一政府のもとにある国家と称されるのが通常だが)へできるだけ多彩によびこむのが文明化の核心だということ。

社会学

系統発生上に新種の流入か文化のうけいれを経由した文化場は開放的で、社会環境のつくり方も島嶼化し易い。但し、そこでは保守の観点から文化の完成度を誇るのが難しい。よって開放した文化適所は進歩した生態か品種をよりえり好みや淘汰しがちで、そこからは決して多数化した特定品種ではないが全く目新しい才能や性特徴あるいは文化習慣を変性か習得した個体が設計され易い。内陸ではもしそこが盆地だと、文化の流入経験の少なさから新しい文化素をえり分けたり強く選好する傾向が強い。但し、この新文化素の入り込みの経験が大幅に少ないとき排他反応でそうする。特に小さな島では隠れがの無さか少なさから、文化素の到来についてごく受容的でありやすい。更に、ときによっては既存の文化素のあらかたな一掃が起こる。これはいわゆる僻地の、旧態の温存とはことなる経過をたどる。これらの傾向は、文化や文明化という市民開化の系統発生論へ内在された記憶や過去の組成を最終的及び結果的には文化色として模様替えしたりできたりされたりするかできる。且つこれは文化型といわれてきた、ルース・べネディクトのいう、固定的にみたときの一帯や民族構成比に特有の習性形態をも内に含む。ほぼ同じかよく似た近代化をへた地域でもそこに現れた文化素の構成要因や組織の方法論が異なるのはこの為。

2010/01/12

筑波峯

銀杏みちふみしめ歩く落ち着きのわけにおいあやし
武蔵野に通う道の上に散り敷く花びらは夕暮れの楓か
松ぼっくりの落ちる田ん圃みちに枯れ薄の訪れ物悲しき
誰もなき水平線うつくしさたゆたう霞ヶ浦おだやかなりき
筑波峯の雄然として夕陽に輝くわれを見守る

社会学

最大多数への幸福の浸透自体は経済効果で可能だが、趣味度は違う。そしてこの質的高下は経済効果より寧ろ芸術効果を認可し易い。もし徴税商という市場の囲い込みを含む全商現象を幸福面から勘案すると、経済効果は芸術効果の総合体で、芸術効果は経済効果の部分体とみなせる。それらは商現象の量的偏差なだけ。
 幸福の質に高下や偏りがある訳は、文化場理論で説明できる。地脈は彼らにことなる姿で商現象の適応を行わす。ゆえ地柄の分析なしには幸福の質的分類はできない。
S=Ap log eで示せる精神(即ち知能密度)含む文化の偏りはそれらの架け渡しを商空間なしには行わせないし又そうしなくていい。それは分業による効率化の規則にならうから。もし最高幸福を経済学と政治学の両面にわたってできるだけ定量化できる数値として定義し直したくば、それらは土地柄に応じた限界関数を底とすべき事になる。最高の精神がもし定義できるとして、文化偏差はそれらの独自さや異なる方向付けを企む。よって多岐幸福論は当然社会学の、政治経済の両面にわたる命題となる。実質上、質的功利の最高幸福という定義は上述の論旨、つまり多岐に及んだ文化場の互恵を視野に入れてこなかった。植民地支配の最大の目的は質的功利の敷衍であり、その幸福は最も精神化した一族の趣味感覚のおしつけでしかなかった。
 趣味主義的観点を功利主義の論脈内にくりいれえるなら、我々は文明の精神が決してあまねく享受されたり面白がられたりするものでもなく、一部の特殊に集積した文化場のみの共有概念であるのをまざまざと覚える。趣味度は場所柄のおもむきによって淘汰や洗練されてくるもので、我々が如何にこの自然と社会の両面にわたるエントロピーの偏りにかなしみを抱こうとまったくお構いなしに宇宙はその自己展開をつづける。血統の混じり合いは結局、文明の精神にとってすら合目的ではない可能性がある。植民地支配は文化素の混合をゆるすので、当然かれらの融和を促し、化学反応的な飽和現象や新発明をうみだすと同時に、生殖的隔離の進化論効用の係数をどの程度かの比例で低減させる。従ってすでに社会進化の実質が趣味観の多元にもとづく分業制の加速にあると分かる一群にとって、商協調以外の全ての文化素の混入は、遺伝子以前に於いてすら合理的ではない。開放場をのぞく全ての文化場で、この論理は一定の速さで社会進化を促し続ける。これらの知識から当然結論できる十分ありそうな未来は、文明社会という理論集積の適所では一般の生物界とは少なくとも多くの地球型生態の自然とはことなり、逆転化への指数関数的・等比数列的比例というかなりまれな文化場の閉鎖性がその決定的進化の前提となるだろうこと。
 逆転化としてみれば社会系も混沌の一種なので、結局、最も進んだ理論集積に成功するのは普通期待されているのとは大分異なり、自然および社会両面での現象の混沌度に対するエネルギーの流入が他の文化場よりはるかに(この程度は地帯生産性に対する乗数に比例する)高い時に限る。いいかえれば、極端な意味での都市環境でも野生環境でもなく、ごく効率化の進み高度に利用や趣味化された文化現象が世代間淘汰の力学を十分に活用できる程度の期間に及ぶ限り、我々は全く様変わりした文明化した品種を既存の社会型生態の中に精神のめばえとしてみいだす。これは一般的工業都市近代化論に反する結論なので、我々が文明の定義をかえねばならない十分な理由づけとなる。

極悪皇帝の庭

猥褻物頒布罪極悪スラム都市の下衆東京都知事スポーツ擁護に最晩年必死
悪風俗街まもって搾取の極悪都税ニヤニヤと姦淫罪業卑しい汚れた関西の汚い目で都子女見る極悪人小説屋
死んだらいい芸者ジャップの外道地獄でキョート代表宮内庁職員さまが税金浪費の醜態
大量の人身売買業製作会社を囲うアジアンちっく極悪皇帝様の庭それが腐敗のソドム東京都
穢れの関西奴鼻先でわらう貞潔ぞ汝の育ちをかえりみぬかは

2010/01/11

社会学

社会適所は、社会機能や社会思想の支配率に順った性格を淘汰させ易い。家庭や学校や会社や国家などその社会性を抽象やまとめ易い場合には更にこの傾向は極大化しがち。
 社会適所は構成要素、つまり構成員と彼らをとりまく環境条件で変容か改造できる。もし何らかの目的観でこれらをくみかえる意図、社会性のくみかえを行おうとすれば可能。政治形態や経済状態は彼らがいかにふるまう可かを変える。さらに、社会発生知は彼らの遺伝や文化系統がどうふるまいがちに導くかを、生物種進路について保存か積載させる。多数派の人員と生物を淘汰かおきかえられない限り、この種の社会発生源は蓄えが起きる確率と必然さの方が高い。文化素のくみかえを日々行う結果、彼らの間には千差万別とでもみえる丈の多種多様さが栄える。だがそれらの大部分は自然法則のもとにある如く、社会淘汰や社会複合の部分系としての機能を全うする。社会性のくみかえは知的行動の記録に依るところ大きい。だがこの法則は、自然法則としての生物秩序の社会化にすぎず単に複合性をこえては改良も超過もされない。

2010/01/09

啓蒙論の生物学的帰結

持続した思考習慣としての哲学は結晶化した理念を各論の上に花咲かせるだろう。そうであれ、見逃した論法の数は数えきれえない。考えは趣のしつらえ以外にでない一つの内省のならいで、その習性は理想論の程度か品位を格式面で各々つくりかえる為である。哲学を特に勧める可ではない。くらしは多彩で多趣味であっていい。そして最高の理念界と雖も何か人知の理をこえた味わいを伝えうるのでなく、その限度はやはり推しても理性的である。
 考えのよさはかれらのくらしゆきを感じゆき見渡す一定の理性へ全ての因果を集めさせる。だがこの成果は地球民度間のどの活動も何か彼ら以外の知性で分からせる訳でない。夥しい変異は類の項目で詳細に範畴化できる。こうして、運命論に省み構想哲学の真実の意義を地域か國の間の類文化に生物学編入したくば、丸で冷厳新たかな執刀医に似て、彼らの徳性なるものを品性論の範畴づけへ適用すべきだ。そして、この行いは只の科学の中でも成功するだろう。
 人類生物学は我々の限界と共に民俗学が詳細に、民族学が包括に働いた文明論の理性的定義を待望する。批判哲学すなわち徳目理解の体系は、人種偏見への最大限の緩和をのぞみえる広域で行えるに過ぎないが、偏見というものの定理化は世界現象のつめたな省察精神面への注釈の俗では誤解や事実歪曲をひねりこめる偽造でしかなければいずれ、退化的である。

2010/01/08

自然科学の脱人間原理

科学知識の系統論は何れ無効化するだろう。それらには発生系列の合法則性や順列の規則が明らかでもなく、しかも知識の集積が地域毎か個性質に免じた特有の学習適所への寄り掛かりでしかなければ、科学は体系にではなく範畴に理由づけが行える訳。だからもし科学体系を完成させたくば史的順位制度によってではなく、到達決定さの巧い組み上げによってそうした方がいいか公にはそうすべきだ。もし順位制で、つまり先取権争いの面で科学を追い駆けると、範畴の完成度という知識参照の規律でいえば進取の気象の弊害をそれらの行き場なさ、また不整合さで補っても尚不足する。
 人文地理学の決定論的側面はなぜ知識参照を固有の文化体系下で、即ちなぜ一言語種を通じて行わせるかを、正当化の偏りという固有の言葉遣いで詰め込ませる。自然地理学の合法則化は理性的にみれば偽であり、それらの現象率は確率の概念を現代でいう量子論風の目的感覚で薙ぎ倒す幾らかの暴威を含まざるをえず、結局は主観原則を全くとりのぞける訳ではない。超長期の目でみれば自然地理学は合確率式でしかありえないだろう。ゆえ自然計画の実利という一種の仮定勘定、審美論の概算は深慮論の勘違いされた理想主義でもあり、もし真しやかに賢明な選択眼のある学者が現れればかれは自然感覚の非人間感性化、つまり偏見の除去を多くの地理分析へも当然適用せねばならなくなるだろう。

2010/01/06

環境学

空気の澄んだ所では夕焼けの色が最も濃く鮮やかに現れる。同様に、日常の各現象を鮮やかに刻み付けるので郷愁の感情や、それに伴う回帰現象をもある程度成育後の心理へ保存させる傾向がある。
 対して、商業誘因となる人口密集にまつわる高い湿度が常の場所では人間活動が烈しく、乾燥の時は活動が少ない。温度が低いほど人間活動は平淡になる。これらは職業への選好や土地柄を別の方向付けへ誘う主要な理由として、最も原理的には上述の回帰現象を帰巣誘因化し各種生態の内へ内在させがちである。
 絶景のある所では独特の生態がはぐくまれ易い。人為の入らない自然が開発され壊されているほど、その場の人間性は頽廃か退化の傾向をもち、逆のときには健全または特に伸ばされた天分を育てていく。既に開発された場所では、人口流出の結果によってしか人心の復興や回復は起きない。従って最も特徴となる形質を淘汰か選り好み易いのは完全な自然状態からある程度の人家や人工化が入り込んだ時だけだ。古代文明のあった地方の観光地化は、その元々の気質を偽装化とか芸能化させて温存か不自然に延長させ易い。
 人口流出の原因はその場が進歩した生態の為には手狭か不利になったことによるので、ある段階で大幅な人口流入を伴った適所は何れ寂れるのか、上述の開発飽和効果によって過剰に変形された、或いは奇形化した変性を余儀なくするだろう。
 もし生態論からみて天稟のゆたかさを育てたくばこの開発飽和の限度を何らかの指標で測り、それの以下で避けるか退ける工夫がいる。よって人口密度は場所柄によって文化生態論の立場から考究さるべきで夫々に違う値がある。原則的に、景観の中に存在する美意識は帰巣誘因化によって最も記憶され易い。この為に、移住の文化比較はつねに開発飽和の原則を何らかの抑制した地政計画で実行させるのには必須かその立場への教養となる。一般に、又多くの場合は温帯付近の自発速度で、放任した自然は環境を自己本来の姿へ還す能力をもつ。土地生命力は地帯混沌度として数理化しうる。
S=Ap log e
の数式でAp: Area productivityを地帯生産性、e: energyをそこへ起きる熱反応の総量だとすれば、S: 慣習的記号としてのエントロピーの対数は土地生命力の乗数に比例する。地帯生産性は多くの場合は雨期の質量によると仮定すると、開発飽和限界は特に乾燥地帯では指数法則に逆比例して低減されねばならない。つまり、最も理に適った生態論上の配置図には、もしそれが自然と社会に及ぶだろう測量原則に従えばかなり大幅な人口密度の偏りがいることになる。
 特殊変異を巨視観で避け単に降雨量分の高温度というかなりすみやかな眼差しで、少なくとも地球生態を観察すればこの偏りとしての土地生命力は否応なく、一応の生態環境の計画原則として底流づけられているとみていい。よりわかりやすい論旨に直せば、繁多な環境はより密度比を高くする誘因をもち、静寂についての逆もある。それらの偏り方はとても極端で、しかもさらに極端になる様に生命力は造られている。我々がここで知りうるのは社会系そのものは宇宙形態としてもとても法則的であるという理由だけだ。

2010/01/05

理の蝟集説

趣味の高さ自体が全てを解決しきるとは言えない。全知全能の概念の前でいえば、多くの趣味化はその最低限のまね事でしかない。悟りの光は世界の展開を特有の洞察力でみわたさせる。だが完全予知論は実質に脳容積分の神経密度が、ある光速度系の中で到れる精神量を規制するので相対的でしかありえない。つまり人生観はある文化素量の支配率に、社会関係の造り映え程度に趣味化できるだけだ。
 もし社会拘束の度合いを外してみても趣味観が文明度を無視する訳ではない。進歩した生活は悟りの光をある限度までひきのばせるだけだ。文化素量の絶対密度は社交規制の趣を個性化や地域化しつつ集散をくりかえすし、そうしてきた。地球型に限らず下愚は余りに文明を理解しないとしても、不思議はない。そういうかれらには悟りの光は及びでないしそれが用いる精神活動も全然要請されない侭だ。これは趣味が合うかどうかがほぼ文化素量の絶対密度、つまり学徳の偏りにもとづく原因である。
 多くの動物ですら考えをもたないので、とある国民や地域民が全く理性に欠けしかもそれを好まなくても、何の疑問符もふしえない。結局、学問の途を精確に進むのは全人類遺伝系統の内ごく少数で、福徳の恵みや救いにも似てその門はとても狭まり見つけ辛い。大部分の動物、特に非理性的な彼らが家畜化されても幸せな如く、人種の間に、また地域の民俗間に使用関係が多重化されゆくのも自然。ゆえ社交規制としての趣味論はその最も審美完成的な追求という他の定義を主張しない。世界に複数の文明があり、夫々のもつ趣が違うのはなにも疑うべくなき構造で、我々は理性が単に獲得機会的なばかりか合幸福論に対してすら高度に進化した能力適所の分であると考えていい。経済原則や政治原則はそれらも又社交規制の品種分類に帰せる特殊類型へいつか還元できる。理性は人間の、郷土間の特徴づけられゆく個性や変異を理想論に保存する。そしてその偏りは全く建設的で運命選択的である。分類学は人類とよばれてきた社会体系か生物群集にとっても、理想性に向けて行われるだろう。

2010/01/03

年末

綺麗な女性は多過ぎる都
年末はかわらずうつろう
すすきのうつくし
さむさは慣れる北の花
言葉と柴又かなしき

平等主義と階級

生活の定義を社交規制の面から省みると、解釈論としての文面への啓蒙、はその台本の役を担えるにすぎない。脱構築は自体が戯曲論的である。大量の書物など誰しも知的能力さえあればどうにも看破できるので、重複の完成度かそれに含まる複合論のありかを合哲学的な理性の究極解と考え措けば、冒頭の社交規制とは即ち人文学や教養の品行方正論へ至るべき唯一の定義たりうる。
 だが格式に対する反発心は人性の非機械さ、人情味の誤差が余るだけ否応なく、従って文質彬彬の古の定義同様、自然的素質としての素朴は漸く人格の目的たりう。素行のよしあしはかれの生得やそれに付随した一連の初期発生論を基とす。よっていなか育ちはつねに都心に住むことの利点を教育効果上上回る筈。こうかえりみれば人間性とか素質とか心のよさを評価しようとする時点で明るみに出る系統発生内の品種銓衡度は、都会化をある時点で本能に反するものとして大きくかどうか斥けるらしい。決定的な都心としての王の住まいを中心として考える中央品格思考は、上書きの如く随分矛盾を含む。そこでは素質の純朴さを啓発する意図は抑全く不能となるから。冷静にみれば倭王が行った中央集権文化の日本内正統化は中華思想の自民族集権型まね事でしかなかったとも言える。
 完全な納得を期待せずに直も史観分析の根底論を叙述すれば、否定媒介としての王権は本性をあしく保つ所に寧ろ本旨があるとも、ヘーゲルの世界精神交代説に鑑み、思える。この究極否定性か自己矛盾心がなくば、新たに選好された有能さを征服心で充たす動機づけ迄も場毎欠けゆく。俗悪さを最も擬態的な仕種の習性で満たす事、これが品性論からみた王権の最も有用な定義の様だ。悪辣さがあらゆる手だてで隠される程その外部注釈はすぐ難しくなるので、格式化の手順で低級すぎる本性はしまい込まれがちかも知れない。社会権能の最も着実な論旨に法るなら、最高度の知的啓蒙を動機づける内的規制とはその生得的不平等にあるのだろう。「和を以て貴しとましますご当人どのは史上最高の地位にあられまずは絶対安全である(唯我独尊の利己主義)」、こういう自己神格化に必ず伴う矛盾あるいは人間裁判の業は、かれの俗悪さへの大きな穿ちをいずれ絶対必要とする。偶像裁判とは善意の構造なのだ。各種階級化の矛盾は、階梯の細分化深めを伴う場合に最高潮に達す。唯一つの権威に向かってでなく複数かつ複雑な歪曲や偽装の変化を掻き分けながら頂上にある過ちを糾すという大変な仕事は、きわめて平坦でわかりやすい階級化誘因場でのそれに比べはるかに難しく、手順をすら煩瑣にす。
 以上を顧みれば階級化誘因自体は出世経過を複雑化する一つの社交規制の工夫だし決して全廃や撤去しなくていい。何れかならこの誘因を高度にする権威の欺装界は、ちょうど昆虫が様々に擬態した仮装舞踏の社交界で本物の見分けを益々高度な課題にしておくのと似て、罠か蜘蛛の糸かをとわずそれらの繁昌繁縟が最終的な出世段階の選手の機能を殆ど無限に拡大するのだ。マルクス思想のあやまちはこの権威の機能、つまり欺装界の職能を余りに軽くみつもりすぎたことに求まる。富裕層あるいはブルジョアジーへのうらみやっかみを担保にかれがどうも正当化したかったのは、平等主義という階級化誘因の全廃への誤導である様だ。もしそういう社会が徹底されたら、考えられるよりずっと世の中はおかしくなるだろう。なぜかといえば、欺装界の低減は当然各種の生態幅を一元化したがり、権能としての威厳をかれが当然乗り越えるべき将来像たるものに象徴化せしむ出世への動機づけがきえさった世界では灯の消えた屋形船の如く儘とこしえに暗中模索を続けるしかない。
 対して、階級は欺装界の共有規則でしかなく自体は真理でも責めてもの良心ですら多くの場合ないので、もしこの権能を過大にみつもりたがる評論家が現れれば注意がいる。それはギリシア民主政の担い手と似て寡頭政治、即ち少数派寡占をまかり通らせる近い腐敗の前兆だから。階級化誘因そのものは時の流れにすぎず保護も助長もすべきでなく放置か放任されている方がいい。そして本質となる結社の規模と強さを機会次第に解散させる支配階級の分解、つまり解体か調整の原則さえ文明環境の建築理念下へ保てればいい。それでも適宜な階級化は生じるが、害のない欺装は上述の訳で相互参照に準じた社交性の向上に大いにか少しは役立ちもするのでその塊になった閥化傾向が見えない限りは、最大自由にさせておく方が多数派風紀への飽くまで偶像の援用という誤魔化し宜き作用でしかないが、啓蟄効果も矢庭大きい。

2010/01/02

地政学

気候変化の激しく或いは繊細な場からは感覚の鋭敏にまつわる芸術気質が、定常さの高い場からは特有の研究体質が淘汰され易い。もし定常場でしかも気候変化がかなりの安定性をもつ繰り返しなら、そこからは少ない変異に準じた科学気質または大きな湿潤と寒暖のくりかえしに応じた哲学気質が育つ傾向がある様だ。どの土地でも知的生命が最初に行う芸術は歌や詩の言葉であり、その性格に類似か対比した傾向を帯び易い。そして詩歌の次に、それを音程にのせる所から整理された音楽が生み出されてくる。従って、土地なりの歌唱には気風についての秩序がかなりの精密さを伴って分析できる様だ。
 近代文明を生み出したのが温帯か半冷帯での持続した研究による合法則集という機械の発明にもし起因するとすれば、余りに激しい変化、つまり著しく極端な寒暖差や乾湿差には活動を何らかの非法則化や行動力化に結ぶ傾向もある可能性がある。さもなくば近代科学はごく気候変化の抑えられた幾つかの西洋諸国以外でも矢継ぎ早に芽生えただろう。但し、いうまでもなく科学、特に合法則的自然科学を中心とした社会の近代化とか労役について機械化の文化潮流は、必ずしも生存保証でもないかもしれないし唯一の文化変異でもありえないだろう。つまり、自然ながらの定常場の科学研究の習性そのものは確かにある程度より高い地味や経済力や、物資の蓄えを担保とした実用目的からは大分はなれた暇潰しや信仰かに則る趣味として純粋理論としての進路を見開かれた訳だが、かといっていわゆる我々の近代人が考えてきたのとは違和してそれは唯一の進化の方向付けでも目的観でも無論ない。自然にあってそうあった如く、進化の分岐は多岐に渡る訳で、文化に関してもまた同様。もし環境変異への遺伝子かそれをも育む文化素の多様化がまた人類へ課せられた計画らしいなら、つまり単一文明への帰依や伝播よりは各文化系統樹の往路の様々な在り方がより貴いということらしければ我々は或いは最低限わたしは、文化のまことに面白い良い意味でのうつろいや著しい変異の幅をその侭に、政治によって概念としては自治統一された国家系の中へでも保存していく方が賢明であると考える。例えばだが、数学の盛んな文化場と芸術についてそうな二種の素量の偏りがある程度おこなわれたとして、彼らが国政の或いは国連政治の一定の埒についての受け入れを許容しつつその性向や気質を伸ばしていけば、かれらがより合理的にすぐれた成果物を交換したり互恵したりできないことは決してないだろう。そして彼らの間にはどちらが環境変異への適合が高いか、おおよそ偶有か偶発の異変も伴う世界では確かめるのが難しいかもしれない。

2010/01/01

地政学

土地の生育条件は文化や人為系列についても同じらしい。私の観察した所では、社交機能はほぼ孟母の教えに比例する(自然地理学の人為地理への適用)。つまりかれらの文化背景、郷土の骨格は規制としての地政への環境建築にかなりよる。地政学識の応用として、特定の建築意図を一定の文化場へ次々おとしこむのは以上からも合理化できる。数学が論理の正式化なら、可塑性や粘りの定義は地理学の政治的か文明論的分析の、環境決定論から文化場理論にとって環境文化論潮流の、環境条件論への明白な反駁とか注解でありうると思える。この理由は、数理の決定力は全くそれらを可逆化し、いわゆる他の文明場への文化素潮流くみこみやその重畳を可能にしていく見込みをもっているからだ。
 成るほど学識化は骨の様な微妙でくりかえしに向かない要素としての芸術感覚を遺伝しない。だが単に文化素の輸出にまつわる合理化、その利用価値を高める為の定式化自体は矛盾を消去法で捨てて行く限りなお合法則的たりうる。

大北川橋


アスファルト



新聞
川辺

尺八
三味線
潮騒

海の写し

小説

 期待に添うほど立派な成績でもなくモノトーンで塗り込めた画布がだれの目に留まったものだか、不思議におもうのは小説的な展開だがそれだけでものがたりをしめくくってしまえれば楽ではあれ、実際にかれをまちかまえていた運命は殆ど、描かれた薄曇りの空とおなじものだった。そういう書き出しでこの小説を始める筈。充分な文章はない、あるのは妥協の末に紡ぎ出される陰鬱な叫び声より他と言っては、ベーコンの描くインノケンティウス三世と変わりない、何一つ。そう「顔に書いてある」と辞書を引けば済む。かれはまだ思春期という時期をとおりすぎたほど幸運ではなくやはり、かれの生まれ育った街を覆ういつもの低いトーンと似たありきたりな朝の話だ。場所はどこか? その日まだ十五歳だったはずで、極東の島に定着した一粒の土民は、きみをまきこんで学校と呼ばれる奴隷宿舎に通わせていた。だれも助けられず、だれにも助けてもらえるわけはない、拷問の日程を坦々とこなす為。誉めてくれるのは君だけだとしてもコンニチでは君すらそれを当たり前と思うかもだ。今時、高等学校さえ出なければ社会人としては終わってしまった、とどこかの顔には書いてあると云うのだから複雑ではない。兎角、かれは一直線に奴隷場に通う。それしか死なずにいる道もない。どういうつもりか、空はくぐもっている、絶望だけを伝えるべく、それが曇りの朝にあったすべてのこと、そして他に伝達すべき内容はない。おもに作文の現象。
 ギャザガラズバス。コラジラクバイ。紀が狂った様な自慢、改造、目の瘤、盥回しにされる醜悪な。該当、該当、該当。コジラスラク。
 少年よ、なぜ生まれ来るのだ?
 紀が狂ったとして、なぜ?
 それがすべてだ。他にはない。どうしてお前には物事がリカイできるというのか。カリイずるい砂漠のサソリが、熱い砂を食べお前はそれを食べるれるだけ。他に学校もないヨカッタネ。う折角だから説明しておこうと思う。でも、それで何が変わるでもない。かれは絶望という名の学校に通わされた。何年も、何年も、気が遠くなるくらい永い期間だった。か、そこに戯れていたゴミの様な連中と、馬鹿以下のおままごとを何年も、何十年も。全員絶滅すべきダーウィン先生のお導きなのか、全員が他人を蹴落とすために居る、少年って、お前には生まれ来る価値があるの? また。年の所為で。どのルートを経てみても最後には奴隷どもに囲まれるだろう。どこへ? 偽善者どもが。くるしみの声も出せないよ。だれが聞こえるという? ひとり残らずゴミなので。消えうせるしかノウのない作文に書き記した地獄の光景を、いまだに思い出せるか? どうせお前には見えまいがな。優等生ぶって、利己主義のみのオトナの教職あそびに付き合ってやってんだろう、ちょきちょき。生まれつき感覚の欠落した愚鈍な猿どものまったく意味のない授業で中小企業平均以上のカネを稼いでいる狂ったゴミ教師どもを粛清せよ。リセット。
 子供を弄んで、地獄への参加方法を教え込むだけの人畜モドキは必ず養豚場へ帰る。それで「教育」は完了だから。ハハ見つからないのをいいことに、散々悪業をくりかえしていたお前たちの名前はすべて神が裁きの手帳へ逐一記しておくのだ。さもなければ暴力しか能のないお前たち純粋悪人に救いがあるべきではない。手紙の封を切るな。ザコの戯れワールドとか。ガラガラと教室の扉を開けてアクマが入って。入って。ころ。
 ガラガラとガラガラと教室の扉を開けてアクマが入って。入って。開けてアクマが入って。入って。ガラガラと教室の扉を開けてアクマめ。まねしてアクマが入って。入って。ガラガラと教室の扉を開けてアクマが入っ。入って。ガラガラ開けてアクマと仲間になろう。入って。ガラガラと教室の扉を開け教室のけてアクマが入って。入って。ガラガラと教室の扉をガラと教室の扉を開けてアクて。入って。誰をどうしても許される空間なのだ、犯罪はない。入って。ガラガラ子どもよりすべてが劣るオトナト教室の虫を開けてアクマ。入って教室の扉が入って。入って。ガラガラと教室アクマが。退屈な、入って。殺す為の教室の扉を開けてアクマが入って。入って。無意味な給料ゲーム。大地震で潰れるべき世界。入って。ガラガラと教室の扉を開けてアクマて。て。ガラガラと開けてアクマが入って。入って。義務アクマ教えって。入って。殺されるまでのけてアクマが。直ぐに終わるのに、命などを開けてアクマが入って。入って。ガラガラって。テストです。ガラガラと教室の扉の意味が入って。入って。ガラガラ親の目を避ければ子供をモノ以下に扱う。ガラガラと教室の扉を開けてアクマが入って。なぜ? アクマの檻で暮らす。が入っては。直ぐに終わるのに、命などを開けてアクマが入ってく。仕組まれて、テストです。落ちこぼれたら人生のアウトです。死んだほうが? 学校は尊いのですよ。適応しなさい、地獄社会へ。たのしい? アウトです。そんなものは無意味だ。
 誰の声だ? 押し殺してしまえよ。
 結局、潰されるか殺すか、二つに一つだからな。何一つ楽しみはない。あること、延々とつづけられるゴミの演説だけなので。河童以下の人格なのに、教師と名乗っていたいけな子ども心を汚しつくす。邪悪な思想と態度を植え付けて責任をとるでも、謝ることすらなかった。お前たちには生きている価値どころか、まともな人格すらありえはしないのだよ。結局、過ぎ去ってしまえば振り向かなくていいとでもいうのか? お前もオトナどもの蠢く無殘ナ現実社会へ染まって行くつもりなんだろうな。生き残ることがそんなに尊いのか? どこにも救いは無いのに。牧師になって、また同じく布教してみるんだよ。さもなくば坊主になって、お経を唱えてねり歩くんだ。どこまで進んでも競争なのだから。どこまでも。互いを殺し尽くすまでは。福澤語に従う賊ども。可愛らしい赤ん坊が全員、あの人畜類の醜さ極まりない妄念で汚し尽くされ、殺されていく。黙ってみているんだ、社会を。社会。かれは扉を開ける。かれはそれが小説の一部だと、思っていた。
 かれは、それが小説に描かれた、ありきたりで普通の日常だと。あとに待っているのは下等で下劣な、卑猥な「先生」の生徒いじめだけだったのに。子どもはおとなのまねをする。かれはそれを眺めさせられている。イスに縛りつけられて、親の無知と無恥の鎖につながれて。それどころか、やがては労働奴隷として社会というゴミ箱に売られる定めなのだが。絶望。少年から青年にかわり、抑鬱された鶏小屋の隅でテストのマーク点をぬりつぶし、文明化された国民だ、理想的な学際環境だと書きつけられた宣伝文句を言いふらす大天才校長の下で、労力という労力ばかりかあらゆる有用な能力を奪い去られ、捨て去られ、どの才も潰され、成果は餓鬼のしたことだと流され、実質的に精神ごとぶち殺されて駄目にされる。そして「学歴だけ」を誇りにびくびくしながら社会の浮浪の徒となった。お前が理想の人間だったのだろう。サラリーマンに成りたかったんだろ? かれは教室の湿り気のある扉に手をかけている。凍りつきそうな目で、鋭利なガラスが目に入る。かれは教室で授業を受ける。それがルールなのだ。それがこの世の。
 無意味な世界。くりかえし生産されるゴミ。
 かれは教室で授業を受ける。それがルールなのだから。答えは丸ごと書いてある問題集の解き方を、頭から終わりまで丸暗記させられ、低能の猿に頭を撫で付けられあたかも褒められ、馬鹿らしいが高が金持ちの道楽ぞと偉い賞をあたえられれば名誉、お前を司る政府の命令に遣える、都合よく使われ続ける奴隷の生。それがこの世のルールだった。それが、日本人として生き残る唯一の道だと、大昔から教えられていた。一歩でもこの線からはみ出したら殺される。そら、歩けよ。前に習え、校長先生のお話だよ。長者は天才か? ぶん殴るぞ。先輩に従え。先生に従え。例え悪魔であれ、年長者は絶対に正しい。かれは学校へと一直線につづく路を、絶望の色で染まった白い線の上を恐怖で震えながらあしたもあさっても歩いて通うであろう。それが日常なのだから。起きろ。意味も問わずに叩き起こされ、朝になれば学校へ勤めよ。勤労は義務。死ぬまで会社で働け。それが義務だ。それが義務だ。偶然にも、空は曇っていた。それだけの話。終了。
 意味は何だ? 生まされた意味を探しても見つかりもしない。すべてオトナが隠してしまった。すべてが潰れるか、死ぬまでの労働。
 殺されるまでを待ち構える気分はどうだ? 発狂した犬が耳を食いちぎって、腕をもぎとるのに。インターネットを通して手に入るアクマどもの日常に学校よりましな慰めを得ているお前程度のコドモニモ、明日は確実にやってくる、そしたらまたあの場所に通って愚劣な悪魔どもの仲間入りだ。グループワークで、なんでもあり、情報ごと閉じられた和の中でなら犯罪はない、あの死人たちと同じ価値観を、業の片棒を担がせられることだろう。地獄通いは連日つづく。楽しいなあ天皇制度。馬鹿と仲良くしろ。協調しろ、協調は絶対善だ。成績表に書きますよ? 食器が割れる。それも何度も映されるありきたりな動画だが、割れた破片があちこちに散乱してあのクズ教師を鏖にしてしまえばいいのに。輪だ、和だと教え込まれて馬鹿の仲間に詰め込まされる。救い道のない国。学校を大地震が破壊しつくして、この世を終わらせられたらいい。神様とやらはどうしてこの世をこんなに意地悪く作ったのだったか。それも、少年の頭でわずかな休み時間に考えなければ永遠につめこまれる「時間制限」の食事試験勉強でかき消されるのだ。午後からはカイシャ社会の同じパターンで「前に倣え」「前に倣え」をまねさせられるであろうに。学歴と年収とノーベル賞で褒めてあげるから、一歩でもはみ出せば法律の網でいたぶり殺すのだよ。それが社会さ。現実に、かれの友人は先生に腕をもがれ脳をかち割られ、それが大事な大事な体罰ということらしかった。戦前ドイツの軍人教育に見習え、裏切り者九州やろうの伊藤がゼヒ、どうしてそんな下らない後進ワールドが自称民主主義の理想を語ると言うのでした。言うのでした、そうノートに書けっ。覚えなければ体罰です。武士道に忠義。意味なし。体育会です。独裁精神論でイライラしている先生がまた一番弱い子どもを殴り、みんなけらけら笑っている。そして笑わなければ「素直じゃない」、体育会ですというレッテルで今度はお腹を蹴られるのです。学校で教えられる世の中のしくみは、悪業絶対と言うことだけだったが。死ねヨ、気違いジャップ。年上に従わなければ異常者、精神に問題ありと書かれ、病院へ幽閉しますよ。天皇です! そんで? なにが分かった? 高い給料をもらえなくなったら浮浪者になるから、教師は「現実」を偉い先生に決して教えない。繁殖生活が懸かってどうせ教えられもしまいから、教頭先生と親たちが見回りに来た時だけ、クンづけでいつもは殴って笑い物にしている子を呼ぶのでした。ぎゃッハハ大先生、居なくなった途端、下品な格好で性交の仕方の話をしてみんなを笑わせるいつもの光景。「高い給料」の為に。万事安心の笑みで都会で散々わるさをしてから地元に帰ってくる馬鹿の一員にどの子も従わされるのです。それが「真理」だろ? 新任の教師は馬鹿。ベテランの教師はヒイキしかしない汚れ。いじめられっ子をいじめる。それは子ども以外には隠す。天下泰平、維新終了。
 最悪人種倭ばかりの世の中へ混ざれまざれと教え込む親ども。お前たちに何が知れているというのだ。この地獄の何が知れているというのだ、ほら、負け組だろ? 裏切って同級生を蹴落とせよ。仲間なんかいないんだから、仲間になって存在そのものを無視したら殺せ。かれは学校へ通わされる。それが「社会適応」だから。かれは馬鹿に混ぜられる。それが「社会適応」だから。楽しい、楽しいとかれは叫ぶ。かれは死にそうになって叫ぶ。地獄の底でも聞こえない。楽しい、楽しいかれは。素晴らしい世界、金もうけロック歌手の偶像崇拝。直前に暗記しなさい。テストの知識を丸暗記すれば大企業に採用してあげます。悪魔社会の勝ち組になれます。体育会馬鹿の乱舞と狂気。永遠につらなる狂気の大合奏にまきこまれていく。天使よ。暗記しなさい。ノートに書き写す。「テストの知識」を教えます。気違いども。全文丸暗記すれば楽勝でしょ。ガリ勉は堕罪。テストの知識を。低脳ども。校長先生は偉いのだから、教師は現実を教えません。女は偉い、発情は正義、テストの知識しか知りません。ほら、負け組みでしょ? 急に湯気が立った。かれは足早に駆け抜ける。二ノ宮金次郎の横を通り過ぎる。かれは裏道で話をしている不良を横目に見る。殆どゴミの様な社会だ。それでも生き残れ、と書かれてる。偽善すら尊いそぶりで、校長先生の朝礼で倒れていく生徒はなぜあんな馬鹿のために朝から起こされているのだか? 冷静なのは君だけなの? ゴミ以下の奴隷の国。脳がはじめから無い。和、和と言って雑魚にあわせて喜んでいる。全員死滅すべきだ。
 少年は真っ暗な廊下でアクマと会った。再現される。また生まれ変わって、同じ羽目に遭うよ。話す価値ゼロ、知能の足りないグズ獣類ども。どうせ輪廻してるんだろうから。地獄学校に何年も、何年も通わされた挙句、馬鹿に混ぜあわせられて労働奴隷にされるだけの人生をくりかえす意味を書け、テストの知識を丸暗記して下さい。解答パターンを要領よくリカイして下さい。テストします。絶望してください。テストします。殺せば逮捕して死刑にしますよ。親が悲しみますよ。テストします。テストします。虐め先生に従ってください。先生は絶対です。間違ったことしかしません。テストします。不良は人間を殴り殺しますとテストします。憶えて下さい。テストします。
 教科書を全文丸暗記して東大出て高級官僚になるんだ。そして土民どもをすきなように働かせて、税金たくさん稼いで、奴隷国家のためにあとは、天下りして、自称テンノーの暴力キチガイみたく安心して子孫を残します、と。テストします。テストに出ます、これも暗記して下さい。テストします。落ちこぼれは不良です。社会は排除しますから、これ、丸暗記してもらわないと困ります。テストします。普通と違えば精神病院に入れて事実上排除します。村八分が普通でなければ人間ですらありません! テストします。和です。テストです。少年は学校に通わされる。義務です、テストします。
 かれはそれを、つめたくさめきった眼差しで眺める。馬鹿の幸せよりソクラテスは不幸だったのだろう。かれが毒杯を仰いだ時、テストします。暗記できない部分はリカイ分野です。テストします、リカイします。
 優等生以外はゴミだ。東大進学。それ以外はゴミだ。高級官僚以外は原爆投下で燃やせるゴミだ。自分だけは助かるつもりで「アジアの愚民は死んだ方がよかった」と天皇家がほざく、大日本万々歳テストです。どうして税金を支払うしか能のない、お前たち土民がゴミ虫より貴いんだよ。テストです。二者択一問題です。テストです。社会がそんなに尊い、と誰が思い込ませていたんだろう。俗物が何億集まっても、そこは地獄のままだろう。奈良から出てくる気違いわんさか。
 かれは冷たい廊下を歩いて、教室の扉を開ける。そこには野蛮人が何十人もすでにうようよ集まっていて、下品な遊びをして笑っているに違いない。それが社会なので、それが学校なので。義務なので、会社なのであなたはその場に毎日必ず訪れなければいけない。さもなければ日本社会で生き残る資質すらない。しばらくすれば頭のおかしな教師がやってきて、いつものように弱い者虐めをさもたのしそうに始める。それに従うべきである。それが最善なのだ。紀が狂ったか? とにかく、教科書を丸暗記してみろ。全文だ。それで問題なく食える。東大入って「社会」に出るんだ。見栄だよ、それで問題なく美しい家庭が持てる。生きていて何になるんだ? ほらあ言い訳はいいから東大入ってみろって、ごみザコが! 爆笑。勉強好きな俗物と一緒にこんな国の支配者になるんだよ。こんな下等人種と永遠になかよしこよしなんで、なあ地獄なんだろ? さあ、リカイ科目以外なら丸暗記しようぜ。将来安泰だからね。官僚が見下す。必ず地獄に堕ちるだろう。極道教師が。自分が世界で一番偉いつもりか? 竹刀で脅す、体育教師の職分です。馬鹿は死ぬまで馬鹿です。宇宙から消えうせてくれ。
 少年はうつむいて、ランドセルを背負わされ、真っ暗なアスファルト舗装済みの道路を冷やかな学校へと歩き続ける。なんのために? 地獄巡りも経験なんだって。「人生経験も勉強だ」と言いさえすればどんな堕落でも許されるんだな? ぽぽ坑夫になるんだぴょん。いつか、必ず助け上げてくれる人物が現れる。そんなわけがなかった。どんな暴力も、精神の傷害も、学校社会の中で犯罪から、信仰から免れる。だから生徒をいけにえにしても必ず許されます。それが世継ぎの独裁者社会だ! 好きなだけいたぶりころせるんだろう。君は犠牲者だ。そんなに苦しむのにはわけもない。「社会」の俗悪さが、すべて君をこの世に考えられる限りの抑圧で遇したに過ぎないのだ。窓を見る。曇った空のしたで教科書を朗読するんだ。読書タイムといって下品極まりない京都めろうが書いた芥川賞ブンガク本でも読めばいいんじゃないの? ハイいつもの皇統教育です。学力学力、所詮くだらないオトナどもの真似事、競争しかない。つまり死ぬまではこのサル山で弱肉強食の連続なのだよ。お前はそういう世界の一員なのだ。どうして存在した? 親の恣意で存在する様になるのだが。それ以後は? 義務をはきちがえたオトナほど手に負えない気狂い連中はない。威厳を求める。誰にとっての? 許されざるほど大昔の自慢が、いまだに根を引くとはな。些細な顛末。君にもリカイできたなら。いくらかましなのに。有名な時代も終わってしまって、今では名もなき無常の連盟が、子らの支配権を占めている。そうだな、意味のない放浪の旅の末悟っても、在るのは闇夜。少年らは日が昇れば地獄へ再び赴くしかないのに。何の為に生まれてきたの? 畜生界。
 答えられない問いに点数もない。きらびやかな栄えの光を探ってみても、ゆきつくところといって、放って置かれた魂の奏でる鈍い照明がともされた通り。流されゆく、まきかえし戸惑うばかりのまじりけのない。だれの目にすら。生命体。補充。広大な砂あらしに。漣。うらうらと。衝動に意義のないのなら。捌けている。東海。粛然とした写像。君は、又同じ教室でチシキを植えこまれるだろうがな。ほかに教育もない。チシキだけならまだしも、最悪さまでつたえられる。けがれきった社会からの。
 ひとりで生きてはいけないの?
 馬鹿たちに混ざれ、混ざれ、といつも命令される。シネバ? 強制される。さもなければ殺されるだろう。地獄。
 何の勉強なんだ? 馬鹿の練習? 少年に救済をあたえよ。
 一体、なにが目的なんだ? くるしみに満ちた世界で。なにが目当てなのかしらなければならないのだが。構想。かなぐり捨てて進めばいいのに。両端にまちかまえている内容のない、おろそかな民を避けよ。古びた考えをおしつけてくる、ただ老いただけの人々をまともに見るな。冷却し、引っくり返った共通さ。動く、留まらない。形容され、修飾された装いに喩えられた文句のさま。もっとずっと予てから、完備していて、過不足というものが抑えられた侭で、私ね、と書いていく。宙ぶらりんになった感激の渦はいつまでも均しく、なれなれしく、気がつくこともなく。最低から最高までの広い幅の内で安穏とくらすの。そやそや。あきまへんねん。超。だから? あしもとを拭うだけの布をなして。栽培されては費やされる。なして? しりまへん。必ず見つけ出せる。
 中ぐらいの予想。大海に泳ぐ蛙。
 Luckyだったんだ。君も。
 すくわれたって? だれに?
 少年よ。お前もな。
 優れた才能による豪華絢爛な。再三timingを寄せてみたって同じさ。最初から決まっている、ちりぢりにふりしきる雪の構図。どこからどこまでが独創的か。昔、男ありけり。どこからどこまでが。
 挑んでもどうせ囲い込まれるだけ。
 きらめだろ。あきらめだろ。あきらめ。
 それで? なにが見えた?
 君は呆れ。
 のがれでられたの? この世からも。
 いつまでつづくんだ。
 少年は学校へ通うだろう。通わされて、無意味な奴隷になるのだ。それ以外にいきのこるべく十分な社もないと、書いてある。で? なにを悟れた? またくりかえし、量産される子孫のどこかで叫び声を抑え込んだ君の姿がある。少年はなにをまなんだ? おとなのまねすることを? おろかなことだ。
 かわる。
 かえられる。
 うそみたいに、真実の魔法。
 それを望んでいたんだが。
 よくかんがえられた、よく磨かれた鏡。
 再生されゆくいのちだ。同じ、変わらずに移り、滅びてはもどってくる魔法。きこえているのだが。キコエテイル。六月。流れ。今晩は、とたずねてくる狐の親子。よくかんがみてみたの?
 どこまで? 着いてくるなら来たらいいさ。どうせ、この世は同じ。去れるもの。
 泣く子も黙る。テレビを魅せられて、消費文明の汚れた砂漠で終生を過ごす気分もね。砂嵐で紛らした不安だ。解明してご覧、終点のない試案に暮れて、それでも受験勉強してるつもりか? さあ、最後まで就いて御覧。この世に。死ぬまでつづく拷問の日々へと。労働軍に入って、会社と社会と官僚と国民を往復する。永遠に営々とつながる魔法。詠われた正義をお信じよ。空気圧におしつぶされそうな魂も、そこで安住できさえすればと。希望の岬を。積み重なっていく家の頂点から、同じ家の群れを眺めて御覧。
 山からのがれて、いまではここが君たちのすみかなのだ。死ぬまでのね。束の間であっても、いいじゃない? それが幸せならね。威厳のある宣誓者が民族を鼓舞して神の栄光への道を誤りなく導く。そうあって欲しいと願う大衆が見渡す限りの同質の仲間のどこへも哀しいばかりの教育らしきの成果を、ただの凡庸な肩書きへみつけだせればそれで。装われた仕草で世渡りするだけ。もっと古のことだった。
 賞状。誰から褒められたら終わりなんだ? 神様は君を祝福なされたか? 夕日に舞う、雁行した測量術のありかよ。神様は君のもとに救いをお示しになったか? 僕は何も。君には、きりのない鬼ごっこの原因が分かるか。やまない雨。ヤマイの雨が降る。
 凡人の為に創られた世界であるのなら、突然変異の確率は殆ど常に、気まぐれな嗜みでしか。それでも赦されると、凡庸の群れは考えてもいた。何も好き好んで平凡への道を歩んだのでもない。それが自然で、必然だっただけ。諦めてしまえればね!
 遠い場所、遥かな時代には世を形づくった様々な生き物がいたのだった。君も。
 かれらは旅先の小さなほこらで休む。
 雨宿りしている軒の下から、滴るいくらかの時間がなにもかもを洗い流すだろう。洗い流してしまえばいい。かれらは地球に祈りを捧げるが、それも束の間のゆめ。
 雨が上がれば二千年の海峡を越えて、干上がった貝塚の様な大地を踏みしめて歩き出すだろう。つまらない映画。読む価値もない小説、雑誌、あふれかえる情報、雑魚の群れ、どこでも手に入るものに飽き足りる。まるで地を踏む星にはびこった酸素が、海水へともぐりこんでその青色をもっと増すのに加え。以来、かれらも知る。すべては幻で、法則も信仰の形式なのだと。そう言ってみたところで人類は競い、戦い、遊びをも終えられもしまいに。何もしらないアホウドリの様に蓄えては吐き出す、ちりぢりの思想と断片になったチシキのかけらもどこか、異国の地で掘り出された珍しい宝物ほどは珍しくない。大衆。だれの夢なんだ?
 注釈つきのせりふばかり。お仕着せ。Dramaなら信じるのが女よ。騙され易い企みに満ちた経済社会の連邦を、高見の宿から見渡しては積乱雲が激しく、地表の虫へ打ち付ける大雨のいつくしさ。生えては枯れるそれだけのことをよくもまあ飽きずにな。
 最後までご覧ください。ここはくつろぎの席ですから。注意してみて下さい。ここはちっぽけな星の果てにある、ほんのささやかな宿りですから。ご想像のとおり。誰にも気づかれない、小さな小さな庵です。ただ聞こえてくるのは時たまの目白のさえずりをのぞけば、竹薮のざわめきの身です。茶の湯を邪魔する一万円札の乱舞があたりを埋め尽くして、でもそれもが文化というのなら、そうですかね。あなたも、本当は矛盾しかない。子どもを決め付けないでください。どうせどこにでもいる大人になると思うんでしょう? あなただって。言い訳ばかり。ただ偉ぶりたいだけよね。薩摩芋の煮付。頂上に立ってみて。宿命。金切声。楕円軌道の離心率。夏季集中カリキュラム。柳に風、青葉に染まる芋虫の尺を葉脈の文様が測るところを見た。
 だからといって、無造作な理性は。しびれている。再生しうる照明、あかあかと。
 君はくりかえすだろう。
 それで? なにが変わるの?
 苦痛の世。それで? なにがなの?
 あとから後から、湧いてくる馬鹿の群れ。お前もまたその連中に混ぜ合わせられるだけ。それが渾沌たる世の中なんだからな。馬鹿のためにつくられた馬鹿の仕切る制度に適応せよ、適応せよと教え込む永遠の地獄坂に、何度なりともおとしこまれる。それがお前の生まれ落ちた場所なので。なぜ?
 どうしてこんな奴らと同じ世の中に住まなきゃならないの? どうして? ほら、「経済」しろよ。それが目的だろ? カネを使って、子孫を育てろよ。それが目的だったんだろ? はじめから。進化できるだけ。進化できるだけ。
 救い、どこまで行けばたどり着く? 兎に角、着いていけよ。前に習え、前に倣え。学べよ。黙って、黙りこくってまねだけしてればいいんだよ。それが学校と社会だったんだろ? まねだけしてれば満点だよ。学級委員会、教育委員会、株主総会、取締役会、国会、裁判所、内閣会議、国連総会、宇宙に出たって井の中だって、どこでもまねさえしてれば間違いないんだよ。お馬鹿さんのね。お前の考えなんて意味がないんだから、ただ周りの意見へ適当に合わせてりゃ済む。それしかできない癖のお前に、「考え」なんてはじめからあったか? きづいたら産み落とされてただけの。お前に目的なんかはじめからあったの? 神様。
 長雨。ふりしきる。それが晴れて、この上ない水色の空よ。
 救いをもたらせるものとは? 自然? 生存競争と弱肉強食、道義も消え失せた世の中で、いつまで古臭い自己正当化に浸ってられるんだか。礼儀しらず、お前も俗物に媚売ってカネにまみれていろよ。それしか望みも救いも、幸せの名義すらないのなら。好んで師になりたがる自称教師の亜種ども、アクマは死に絶えろ。実際、奴らも長くはない。悪は滅ぶ。自業自得。子供から貴重な時を搾取するしか能のない俗物どもに天罰を加えよ。やがて悪業の末に教育と名づけた悪習慣を教え込むしかできなかった馬鹿には必ず、地獄しか行き着く場所がない。君はまたあの愚劣な連中のつどうだけの地獄そのものの学校を、わがもの顔で蹂躙している馬鹿教師の言いなりになるためにこの世へ参るべきなのか?
 そんなアクマの業を命じた者のあしもとから崩壊していくのだろうに、道理で。
 自由を求めよ。神は精神に自由を与え賜った。無垢な子供へ勉強を強いる者には、来世では何十倍もの業苦を背負わせてやろうぞ。それが業なのだから。救い様がない連中め。
 奴らに話すことなど何もないよ。それをしっているのなら、君は奴らに係わり合いになるべきでもないな。奴らには奴らのみにくい生活がずっとお似合いなのだから。そんな生態にかかわる意義もない。何一ついいことにはならないのだから。
 舞い散る紅葉のさまに、どこからかやってきては去る無数の輪廻の徒、ものかたち、あきれるほど違う、さまよう魂の群れのどこかで孤独な、けれども唯一のうた聞こゑし。それすらひとたび、風向きが変わればもうない。きみもそれとすらかわりがないのだ、なにも。
 少年はまたあさになれば学校という義務地獄へ通わされる。さもなくば生きていけない。馬鹿たちがあさから晩まで下らないおあそびをくりかえすだけの、低レベルの小学校という監獄へ。それが義務なのだ、と書いてあるぞ。他称民主主義の錯誤、外から、上から与えられた主権の混乱だった。けだものと変わりない子供とまぜあわせられることより苦痛で、不快な現象はこの世になかった。奴らのおろかしさ、みにくさ、まがまがしい全ての行いが、きみにとってはこの世を心底憎ませるに十分だった。それでも、かれら大衆のためになにを歌えと? 奴らになにをあたえてやれと? 勝手に生きては死んでいくだけのものじゃないのか? 魂の程も知れている。かれらになにがわかると? 取るに足らないこまかな知識をつめこまれて、汲々としているのがかれらの知能の限度じゃないか? どうしてそれ以外をのぞめよう。どうしてお前はここにいるんだ?
 死んでいく大衆。同情の余地もない。
 同じ行動習性をもつ、思慮のない群れ。捕らえられる鰯の様に、自然淘汰の法則が一網打尽にするのを見ておきなよ。それが業なので。馬鹿と同じことをしているのも馬鹿なのだから、仕方がない。歩け、自分の足で。
 本当に要求されるべき、真実に信じられるべき理想とは何なんだ?
 利益結社に納められて、ちっぽけな家庭を盛り上げるしか能のないお前にも、存在理由はあると思うか?
 現実を見ろ。お前は何もない。何も。
 で?
 雪崩れ。
 技術の所残に埋もれてキカイをつくり続けるマシーンにも心があると、そう述べている。チューリングからヒルベルトへのわかりやすい夢ならよかったのだが。安価な消費財じみた虚栄の桟橋を、よちよちあるく赤ん坊のまなこに映るは大量のゴミ。そうして量産されてしまうだけの集合に群れて、お前もただのオトナと呼ばれるだけだろうに。それで満足して死ねればいい、それが人生ならな。
 誤解の無いよう付け加えておけば、とか。誤解などない。あるのは誤解の微細だけだ。伝達が完全なら個性など無用なのだから。それでもお前はテストしようとしているのだろう。お前ごときの知能に、犬と違いない。
 連続して、再現しては消す。
 元通りに修復される、最大の、または最小までの坂道を、一定以上のゆっくりとした足取りでさがすのだ。どうせ行き着くのは同じ路地だろうが。堂々巡りの集中と。そうなったからどうなのだ。修辞法? 修辞術? いずれにしても、きみはただ宇宙のみを見聞きするのに。それ以外に何も見えず、きこえない。すべては宇宙の持つ偶発した奇跡の偏りなので。
 きみすら。
 構想された真実の音。どこにいてもね。
 さまよえる魂のねいろ。様々に。
 運動している複数の音符が、君にとって有益な都合をつける。都会では通り過ぎるだけの所有部分が。手の平に乗せられた小さな花びらの名前は、すみれなので。風に舞うのも流れの侭に。
 よく思い返せばね。
 さっきの約束はチャラになる。のこされるのは調度いい道徳だけさ。いつの日にか、救われる確信があるのなら、よどみのない流麗な演奏で、この世は依然、あたらしい秩序の旋律を追い続けるでしょう。フルートの調べる音程の詳細も夕べのランダムな音階に沿って、ゆくあてもなけれどいとしいのだろうに。その上、かれらには約束があった。
 はじめに思いついてしまったのが結果だ。
 無体系な覚え書き。
 記憶を探れど、みあたらないのに。
 どうして? 君は夢を見ていたんだ。ずっと、底なしに長く、かなしい夢を。かならず見つかると思ったのに。
 過ぎゆく時の透き間におとしてしまえばね。
 殺人的な暑さ。ブリテン島には無い現象だった。「夏」の定義さえ、不確かなのに。なのに、あたりは開発されていった。なんの為に? 人類の文明よ。お前たちには目的があるのか? 地球の解剖学者、万物をまとめあげる建築家のみもとで。
 さみしげに青く、水色に染まる海。どこまでも、澄みゆくのだ。それでも結論は一つだった。涙と流転、どちらがより高いの?
 暴走機関車。アニメの画像。
 最盛期は過ぎてもまだ走れる車。
 ぐつぐつと煮え滾る圧力鍋。
 パスカルの登山か、トリチェリの飯盒か。二つから一つを択べばいいのです。どちらがよりよく現実らしいのですか? さあこたえて御覧な。どちらでもよい。あちらへかどはる噂に耐えない質疑応答です。試験です。
 放送された祈りの中枢を信ぜる者らは最期まで操り人形をもてあそんでいた。それだけの物語なので、沸騰石をわすれないでね。ネスの手元に当たった! 猫も首っ丈のおいしさ。どこのどなたもガマの油にご注目。宴もたけなわ、不安もサプリ。生涯の絶壁、それでも高等裁判に不服申し立てなどは。大衆のレベルにすべてを引き下げてしまえば、二度とこの世は凡庸のドグマ以外を生み出せないだろう。退廃に沈み込むローマと同じく。
 宿命。そうですね。仕方ないこと。今さらなにを仰いますか。この世のどこへいきましょうとも、あなた様のような方は決していらっしゃいません。かくも忠実なしもべからの、責めてもの進言でございます。さて、くらくらと日が暮れるのをボンヤリと眺めてれば済むとでも? ちょっとずつ、満ちてゆく潮目の様に、運命もお前を運び出すのだ。それで元の木阿弥。海馬に聞け。かれは無事に着いたのか?
 ボートレース。ゴールへ向けて一斉に漕ぎ出す舟。それから、波が朽ち果てた木々の切れ端を寄越す。突如、空に光。ボートレース。人類よ、そなたどもに命令があったはずだったのだが。少年はまた学校へ通い、大人になれば会社へと通わされる。永遠につづく苦しみを煮え切らない曇り空へ投じても、虚しく。実演。改題。くるくるっと回って落ち着くべき所をおのずとみつけし落ち葉のしるしが、すべてを語りつくすもひとりでに成れるのにね。法則のとおり、宇宙は巡る。そうそう、あれをお忘れになりましたよ。どうもいかんな。タベルナにくたくたになった財布の紐。下らない売り文句が腐るだけ並べられた繁華街で、世間知らずの学生を演じるのよ。それで増大していく世界の、旅先でなにもかもが麗しく映るものなら。再現された時代遅れの幻影、もう待ってはくれない王子様のバスが、いや馬車の響きが通りのかどに密やかなパズル・ピースの一枚を填めてしまう前に、ガラスの指輪を届けてくださいな。旧式だね、と書いてみて下さい。そう、今やそれが休止符だ! ぽつねんと座ってただ夕焼けを眺めていた遠い、秋晴れのあとの午後に嗅いだ、薄らぐ街からのいとなみの匂いがどこであれ、世界へは生きていく価値のあることを教えていたのでした。僕は、たしかにひとのことを思いやったのだから、それがただしいことだった。そしてそれ以外にただしい事はおもいつけはしない。直線で引かれた奇妙な魔方陣を背負って、教卓をうごかすくらいの怪力を身に着けた君は、名前のないくらいあたりまえの小学校のどこかの教室で、いち子どもらしい遊びに興じていたものだ。そんな叙述も、宇宙の幅広い活動に比べれば態々かきのこすほどの出来事ではなさそうでもある。けど、本当はかきのこされたものしか読みとられる内容をもつものもまれだ。冗長な論文には重要な数式が一行しかない。それすらないことも多いのに、いとかしこい子どもは鋭敏に見分く。かきのこされ、読み取られるべき文章はあまりに数少ない。そして人生の時さえ無際限というのでもないので、あわれな大人は慎重に熟慮を重ねてか、または単なる慣習にしたがっていかにも、有能そう、最低でもハズレではなさそうなくじを引く。作家と呼ばれてはいて、家を作るまでには随分間のある幾多の魂はその淘汰の網の目を必死で、ふみをも縛りつつ神社の鈴の木へ手を叩いては拝み、願うのだ。なにを? かれらには成功の定義も辞書でひいてみる手間よりながらくは意識されないので、結局の一手が飛車取りをかねた偶然を、自明のことをも見た様に誇り、誤魔化しては高慢ちきな自慢をする。給食室の掃除の番になったら絶対に、パンの金属のいれものをしまっておく大きな棚の上にのぼって、そこから山のほうまで連なる街を見下ろすんだ。ぼくは、それよりうつくしい光景をみたことがなかった。人間たちがいとなむ社会。神様のながめ。それで十分じゃないか? 君には他にのぞめることといって、再び創り直す遊びに手間取るのがいつもの限度で、いつの日にか気づくのだろうけれども所詮、ひとのいとなみのどの一端であってもひとえに、山上憶良が嘆いた時代から遠くはなれて午後の紅茶を木陰でやすらう、平和なひと時をさても、気だるい詩歌の趣きにかえて飛び交うスズメの涙ほどのものではないか。きみには見えていたのだ。そういう夢も束の間だと。築かれていく町の果てには今でも、カブト虫やカナブンやらミヤマクワガタの戯れる朽ち木や、蜜あふれしクヌギの林や、それと一緒にさびていく静かな木の葉の彩りと製材所の鼻の奥へはいりこむつよく、おもしろい香りの一角がいつでもあって、その山奥とこの町の間のわずかな瞬間にも永遠に、どこまでも漸近していく解が無際限に豊かな田んぼの用水路に流れ清らかな水、コンクリートの棚板、真っ黄緑色の小指の先くらいの輝くようなカエルの子供達が住んでいるのかどうか、きみも蛍を幼稚園のお泊り会で寝床へもちこんできてはみたものの、あっけなく翌朝にはひかりを失ってしまったのをみてさみしくもなる。ついには、自然という概念をもちだしてきた西の海に住む人がさがしても見つけられないこと、世にあまねくある神の息吹で、それも定量的にしか思われない以上、奥行きの見出せないくらい圧倒的な宇宙のこと細やかな出来栄え、どの一部にも宿っている命と、まったく異なるそれぞれの形がただの同じ土くれでしかないだろうとも大海原の前に立つ子どもはあしもとの砂を手にとる。けれど、そのどの小さな一粒もそれぞれ全然ことなるのを見て取るなら、神が最高のdesignerとして以上に、なにもかもの内側にあって無限大に広がるこの宇宙の仕組みをのべているのを疑うはずもなかったらしい。ただの空でさえ、移り変わりながら数え切れない美術を惜しげもなく披露しているというのに、一体、人間にはその偉大な芸術作品の手前であたえられたわずかなときどきを暇潰しに、もの慰みにまねることすら充分なしあたわない。精神が観察する世界。でも変わりようがないのは世界の限りなさ。ぼくは、町を見下ろす。そのどの一つもちがっていて、さま夫々の暮らし方があるだろう。だれがどんな生活を営んでいるのかを想像してみるがいい。神様でさえ、神様であればこそ、そのすべての部分が自らの似姿であるのを知る。また知りえる君はそれらの世界を永遠に飛び回ることができる。
 君の魂は失われないのだ。それは神の権化なので。
 というわけで、この世には何一つ見えないものも、知り得ないことも、経験できないこともない。君は一人、と同時に万物に等しく世界のすべての領域を再現しつづけるはてなき神の一部なのだ。
 掃除の時間が終われば君はそのながめを終えて、午後に二時間だけのこっている普段の授業を過ごすだろう。その一つは体育だし、もう一つはなんだった? 音楽か国語だろうけど、どっちにしてもすぐ終わる。
 急にチャイムが鳴って、殆ど一度に弾けだした朝顔の種の、硬くて黒い殻が道具箱のはしから覘いてても、しらんぷりをしていればいいのだ。中くらいの風船が、駅の高く丸い天井へとまいあがり、ヘリウムの薄まるのを待つ間にでも大黒屋の地下でいつもの栗おこわを買うんならね。駐車場へもどる途中には栗屋さんが出ているのでいい匂いがする。ぼくはそのちいさな道を歩きながら赤い袋を伝わる、ほのかな温かみを感じとれる。実際、それだけの話であっても思い出というのは大抵繊細で、しかも親密なキレイさにみちあふれたものだ。
 なにもかもが変わりゆくなかで唯一つだけ、変わらないものがあるとすればそれは生きていた思い出の再生だけだ。実際、人が本当に生きるのは思い出の中でだけなのだ。現実を体験している間は、その直接の刺激が現実味をもって感じられないもの。口頭試問はそろそろお終いです。Aハ足を投げ出した。さもなければ小説にもならない。神様の手順をへてみなさい。何が大切で、何が悖るのかを。再々再燃。これじゃまるで! これじゃまるでダヨヲ! と。ミツカンのかなしばり。ぎゃあ。書いてある。いや、書いてあるんです、本当に。教科書かと思いました。違うんですか? へえ。メールでしたわ。ちがうんで? へえ。交通整理か。それはもう、なにもかもだな。ふーん。
 なもかもだね。
 なにそれ? 言葉ですら、言葉にすら。
 ドドイっドドイ。擬音? ちゃいまんがな。
 方言? しらばっくれて三太郎ちゃん。は? 時代は? 月光の元で。知らば。済々。もっとマズイです。なにが? 状況整理の達人、哲人散歩かしら。ちがーよ。ととのうのもヒマだ。異常事態。緊急常套。どっちや。気をつけなされ。何へ? 聞くも話すも、それだ。
 近藤さんの所為です。
 ちがいました。間が? いえ、間ではなく。混同さん。シュシュ手裏剣。と、書いてあるんです。本当です。音読だったのか! 意味は? 意味の。中学。幸運な落ち着きです。でも十分ではありません。糾明すべきです。偽装か真相か、それとも演義か。文語臭いなあ。とっくりと、日が暮れてしまいます。きつねのごん太は、そのころ松原のすみへ居をかまえては、つんとしていました。少年ピーノらしからぬ、マジシャンらしからぬ、問いもつながる八十八夜。でもねえ。一体どうすれば目的にかなうとお思いです? いえ、ちょっとね。
 開明的。
 解明まと。どうして? 理由という理由では。えらび給え。急におしえられても、すぐに応用できるとは限りませんから。想像通りです。きゃつには京都の舞妓でも宛がっときゃいい。極東の猿真似には他に娯楽という娯楽もありそうにない、クックック。いやしい下らない連中。野蛮の徒があやしげな風情で町をうろつき回る。ほっつき回って、少々の過ちも許されると願うのも過ちなのにな! なあに、言うには及ばぬ、放っておけ。最後にはすべてが然るべき場所へ辿りつくだろう。
 墨汁が染みる半紙のはじへ連ねた文言、か。
 誰にもきこえはしない。君は、世界中で最も孤独な一人。くりかえしおびき寄せられる試験の中身で、君はくりかえし、くりかえしなんらかの目的に適った「行動の型」をつめこまれるだろう。隣りに習え。国民存在の奴隷としてかくも優秀な様に、決して忤うことなき様に、一つの環へ閉じ入れられる。その柵から外を覗きさえしなければ永久に、きみは個性を持たないしもべとしてやっていけるんだって。そしてそういう国の一員として、神の定めた秩序へ、耕作の器械として貢献できるんだろう。あたかもそれがのぞみであったかとさえおもえるときがくるだろう。君は、人間の心を奪われ、正直に感じとる想いを表現するすべをなにひとつ知らずに、再び冷たく澱んだ土くれへ帰っていくだけのからっぽの魂なのだ。どうして?
 土民の群れに雑ぜいれられて、死ぬまで働け。猥雑で、教養もなく、知能は底しれず鈍重で、羽振りも空虚な、暴力を事とするきたない土民たちの一員になりさがって、何度も何度も苦しみに満ちた「過労と勉強」の輪廻を変転するのだ。それが義務。魂の叫び声を聞いてご覧。お前にもその一部を為す正当な理由が、生きているというつまらない理由があるのだから。なぜ生まれてきた? 死に向かう道で。
 ありきたりでうつろな言い分を幾たび聴かせられてきたにせよ、お前の存在理由はこの宇宙のもつ活動のほか何もない。そして宇宙の活動は、すべてを混沌としてのみこみつつそれ以外の目的も理由も、因果も持たないものなのだ。なぜ生まれてきたかを問うがよい。その問い以外のどんな原因もみいだせまい。宇宙の活動は、問いを発するいのちのためにもはたらいたのだ。お前はなにを求めているのだ? この世界の根本理由がまるで言外にもとめられうるらしげに。一つだけ、揺るぎのない定理は、答えのない問いですら、問えない事物もないということ、つまりお前は「問うために生まれたもの」だということだ。そして問いのそとへは生きる余地がないだろう。どこへ住まおうとも、だよ。桃源郷もUtopiaも捜せどむなしい。生まれては死ぬだけのボウフラども。
 どういう手順でお前の命が再び生産されてくるのか、それすら只の機械の工程と変わりはないのに。最初から最後までこの世で厭々なした業のままに、たどり着く終点とてなく、中空を切る露わな大鷲の牙につんざかれ、風にひらりと消えてしまうのだ。集中し、分解されゆく気分さえ二重にも三重にもなりし応援の声ぞ理想より、低くとも高くても至るところば短き、夏休みの構成なりき。くれないの夕日のそらに飛び交う雲ら。ダランベールが言ってまし。正倉院にいいました。どちらへ? 奇遇だも奇跡だ。とるに足る采配。退屈な空で待つ間だってハーフタイムは過ぎ去るんだろう。なにを欲しがって時を過ごすというのだ。どの瞬間も、他の一秒より貴重でもあるまいに。ふとしたmomentの倍加で、かれらは遠心力に気づくのだろうに。ホバリング中の切り札が颯爽と大地を蹴り、水上を渡る。ひどい荒廃に同情しているのかね。いがらを抛つよりは少し、手間どるらしい。病棟の臭いに嫌気がさすのも換気次第ですから。人知の限り、誰も自らを超えては理想を語れまい。きいてた。
 傾クノモ当然ノアリサマダナ。昼夜ニ精魂ヲ費ヤシテヤット生計ヲタテテイルモノニシテミレバダ、遊ビトオナジ生涯ノ語ル信実ハアマリニモ空疎ナノダカラ。さもなくば、ということだ。
 一人残らずこの世から消えてしまう日が想像できるか? 破滅を呼ぶのは人の声ではない。君にはきこえているはずだ。延々、どこへ至るでもない試みを長年しつけるのが「耕す」こと、別に赴く場所がみつかるのなら話もない。かなりゆっくりではあっても、旅の着地がのぞましいすみかを見つけだす行いでなければなおさら、隘路を持たない通路、を求めているのか? さがしても、見当たらない。有名な呪文は、手品にましてや慈しみを持たない。滝壷の青筋揚羽蝶。
 君もその高い滝の奥へと引きずり込まれていく。深くへ、底も見えないほど下へ。どこへ辿りつくのが目的なのであったか。
 何の理由で、かれらと行動を共にしなくちゃならないって? 何の理由もないんだろ、どうせ。和、和って。農耕のための道理をおしつけるだけの土民。なにがたのしかったの? 奴隷ども。
 昔の話をおもいだせる? それも一時の偶然に依らない手筈なのに。嘘だか誠だか、特ダネだか蒐集なのだか、高がたどりついた土地で耕す田畑の温度に添え、あんたの誇りのすべてを他に求められはしない。暗く、教えられた「誰かの真理」をつめいれられてさ、吐きそうになりつつ生産労働を続け、豊かになれ、豊かになれと一万円札の奴がお前を駆り立てたんだって。それだけなのに、全体以て終点なし、働きつづけるだけ、黄道修正をやけに誇りに思うって? 誰の為? 何を? 譲られちゃった、渡されてた切符の、パンチであけられた鍵印の招待から情報を読み取っては、吐き出すのが使命の改札機へと変わってしまえ。なのに。
 キカイでいいのに。貴様など。なにが理由なんだって? キカイとかわりないroutineにしか能もないくせ、人様ぶって動植物をころしつ生き延びる癌細胞、どこへ行けば止まるんだ? 腐りきった帝の星よ。なぜかれらは居るの? 恐竜より巨大になった勢力をだれが裁くか、瞠っているので。森のざわめく合間、鳥のわななく間、お前など。風のさざめく愛相に、ゆらめく冗談じみた街の灯りに茜色へ染まって、宿命の再生。結果論、忠実に行使された法治の原則で幾多もの聖者が向こうへ。で、こっち側にのこったきみらに救いがあるの? 只の冗談なのに、どうして必死になって経済戦争。なにが目当てよ? 右へ、左へとふらふら、「生き残り」、兎に角それしか考えられた試しもない、小動物たちの脳を過剰に見積もったばかりに、やれやれ。稠密な、遁走中も早急な雅楽の調べに舞って、次々と交信ですか。全宇宙科学大辞典で調べりゃ?
 調べてりゃいいじゃん。それで、真理なんでしょ? いいんじゃないの、適当だし。他になにが? 伝えられたマイル。は? イライラしては灸を据えゆ。ピノコだもん。ダイナマイトの発明も後世の金の亡者たちを呼び込んで、名誉らしかった。ほら、名誉だぞ。爆弾で消し飛ばしてやんぞ。そいで? なにが分かったって? だれが救われた? 信仰だろ、どうせ。それなら信じてりゃいい。なぜ暴力で馬鹿を増徴させたいの? ムダでしかない。話が。時間が。とっくに感づいてますよ。そう書かれていますが。ぷっぷ海藻宣言。ゆーらゆら。そう書いてありますよ。読めなかったの? 楽して何がたのしいの? 冷笑趣味者のなにが楽しい? くぐつ回しの天丼マン。ぜーんぜん。償いに足るのかよ、人類ども。お前らに破滅以外のどんな繁栄がふさわしいって? おお、桑原桑原、おそろしやアクマ憑きじゃ。どこまでが? そう書いてあります。善悪なき世の中なら個性すらないだろうに、何しろ、性格の微妙な違いはそもそも何をより良いとみなすかすら人それぞれなのだし。馬の耳に念仏、釈迦に説法、人類に説得、他には? どれもこれも無益の沙汰。終了。消しゴムでも事務機で買え。終了。かいがいしく働きました、終了。界。ててて、テケテケて。天の踊り。で? 遊びで天気でも気にしてれば? 殺伐と。
 なんでむきにならにゃならん? 意味なし。それでなにが不満なの? どうせ、文明ぶってall OKなんしょ? 違うってんなら説明してくれなきゃ。宇宙の目的は?
 何一つ説明できないくせによく自称教育者ぶれるね。世界のしくみを何一つ知りもしないのに、子どもを騙して搾取しやがって。かならず復讐してやる。国家の犬ども。で? なんになった? そう書いてある。それだけ。記号の模様。終了。中空に舞ってる、ひとひらの羽。だれので? すずめの鳴き声。だれのため? 譲られています。コトコト、カップスープ万歳。譲られている。言葉のradio。はためく、それしか。鯉のぼりっぽい回転、回転し、移動し、帰らない星の運動を。それからそれから、repeatアフターミー、で? なにが変わった? 万物の運行、流れ去る中途で見ます。世界は廻るだろう。あやまりないroute。
 意味も十分ならぬ。
 磊落とは飛んだ誤算。そうそう、
 時事問題に関係ありますか。
 そうねえ、どうかしら。
 羽が降り、雪に降りる。設計された景観。粛々と経過する一秒毎の拍子、幸運なセイロンの三王子に委せるのです。委ねて、未来から過去へと転生の最先端が接続されては、ねぇ偶然でしょ? どっちが。だからと言ってウラジオストックの夕陽が綺麗じゃないとは書けないでしょうや。丹頂鶴の導きに添って、いつの日にかあなたは。そうかい? どっちポ。エクレアを不二家で三つ買いましたとさ。その後、beeでバーチャファイターやって帰った。恭しい合図にも似せて、だぜ。後続車両を蹴散らすおちょくり、必ず交わる一点の数字を求めさせなさい。油断はムリ。ぐーすかぴー。
 レイト・モダン。よっぴーもなぁ。
 怖じ気づいた芸能人の科白。つらつらと溌剌を考えるナミンB. えっ。
 そっちじゃありません。こっちですよ。着いてくるのも一苦労でした。
 雲のすらーっと伸びた屋上の風景や。辺りには空より他には街が見渡せるだけ。もし、小学校に屋上さえ開放されていたら。
 又。
 Asiaの純真。
 車。
 仮説。
 鉄道建設費。
 アタシネ、アキタノ。
 折衝策。真相解明。受難に際して祭りとは。カラカラと鳴るびいどろ。ガラスにはりついた液晶ビジョン。過大に見積もった量だわ。
 香味焙煎に、報知国花を、手に。努力次第、と書かれてますわ。生まれよりも努力の国柄、どうか。一概の健康ランドかと。ラッコのたとえで蛤のふたみに別れゆくパンチぞ。ハマグリご飯。そう書いてみただけ。
 ぼすぼす。
 黒板消し当番。ごほほ¥。
 中くらいの希望。
 セメテモノセトモノ。
 よんどころなき秋。
 冬、栗の落ちた林を歩けば気づくデス。
 日本語ワ、栗拾いデス。わぽわぽおお。再現ない。際限ない。かと、オモふ。折角のしらゆきシンシンふりつもり闇夜にうさぎさん一匹、二匹、とびはねてはあがなうに足るデスカ。大逆は怪しからぬ。詫び言ひとついえぬとは。
 なつかしき堂々の。催涙弾で泣ける、とか幾ら下等でもって。役人罪。家出してマイムマイム踊ってたってょ。楽々ハンドリングのニシン。
 ありえる。トコロガ、飽きておます。新年のお言葉とはコレハ。ナクサナイでね。イミすらワカリエヌ。移住に継ぐ移住。あらまほしける。轟きの際中に、ボタモチおち。配ってくばって。再三再四注意しても意中のメトロノームが鳴り止むとは。BOZEの苦闘によりけりとしらべられてしまへ。チャ。くじ引きの卒業。
 埋められている。送られておる。結局のありかはしれず、説き伏せられ、有り勝ちナ昼下がり、へちまのパーごラをくぐりぬけて相撲場の海岸線を透る。SUMMERSノBGM。クベラレテ。折角、角折。低飛車の待機作戦すらミラレヌ。具ッツ。ツツららぽーとのラリーでマウスピースがビカカ、とびかうらしい。ぜットンが説く真実。階段、レベルupをのぞめば正当、春菊を炊く香りよし。降りていく夕暮れ、いいしれぬ、なニヲ見ていたのか。くじ引きなので。すべてのおちつく夕日、走狗を煮るが如き井戸のはたで、会議。首脳の嵐、台風の足、縦横無尽家。中空を斬るなつのつとめて、ラジオ体操カードぞ。苗字をシャチハタで押せ、それで進められてく毎日を繰る、日新月歩やわ、人類以外の協力さえ不断の努力。耕す力も一定の進路情報に込められる。乱される混沌、有象無象、有耶無耶にせざる探究の道、窮理すべき格物。致す知恵へ。哲学の土、科学ノ士、動機づけられた選手らの比例、はりきり。ExcelなWordで窓口を開く。被落下の梨が英吉利の天井から偉大な魅了帯を目指し何百億年かけて、落下するとしてもである、知床半島居住の中身へ邯鄲付けられたfileの歩みとか、フックかかった法則見たいで、ばねのハルでは到底メイモウノそしりをのがれえず、不老長寿を始皇帝が捜す途端、蓬莱の島嶼で起きた地震の伝わって聖書の上。あわわ。
 不自由の注意深さの故、かれの驚きはこの不可解な制度に最大。
 どうしてあんな人たちの仲間にされる?
 和だ、和ダ、グループワークだ、兎に角効率の悪い、ムダな摩擦 軋轢しかない妥協をさせられる御国柄。いっそ亡ぼしてしまったらもっと世界は能率高かったのではないかとさえ。群れになった「愚鈍の連鎖反応」、ぷよぷよ已然にすぐれた個人は、まったくもって一人のこらず海外に出て行く。出てけ! くだらぬこの凡天下で鳥なき里のコウモリ気取りし虚無の森を見、木を見ないだけの。かたや配送済み。拾い上げても放送済みだ。流れ去った歴史の果実は革新済み。不思議。あらら。どこへ?
 青空の意図を買う。君は、空へ描く。
 影絵を何度も、だからといって不完全なのが定めと述べられる。君もさとらないわけにはいくまい。どの地形にもこめられている意図に。
 うつされる都、干潟のみちひき、枯れ薄、場合分け済みの分解酵素らしく、ソダッテ延びる道路で。建設済み、工場からテニスコート。環状線、状況船、普段通りにまつられるぬさのキヨメをオレンジjuiceのビンがユキカウ戸のしまいでナがむ。中くらいの風船のいろ。日が傾くころに空へ飛んでいくのを見られる場所よ、ここだって。
 無頼な正解。没頭可能な種類。謎々の性格。ふとしたときに思い出す、ボクハそれでも退屈ではなかった。日付けが変わる。川が流れる。マウンテンバイクで街を走る。舗装されて行く路面を。
 街灯が懸けられる。店が建つ。普段の様相が少しずつではあっても、確かに移っていく。どういう理由でだか、収縮し膨張する様々な縮尺は表情を遷らせる。変哲のみの世界で、君は唯一、近代を生きている。どうして? 原因は自然の奥底で、命令している一人の計画者にたくまれている。企まれた業、それから∀が加算成就なされてしまう。等比数列で倍々にふやされる資材の上で、つみこまれた石炭の山へよじのぼってよろこんで叫ぶメス猿が王者って? ふつつかどころかただの間抜けであり。訓戒ごと揚棄。双六で一上がり、それ、越境の極みでない? いかにも。不平不満を言い出したらキリしか。寸劇なのに。
 どぶろくを呑まされるとぐろを巻いたヤマタノオロチ。注意していろよ。所詮忠実に守らざるを得ないruleがオマエニモみとめられるんなら。宿命の彩り、係る歌枕に一旦豁然と貫通し、居直る類比の事例をば栄ゆ。下らない、俗悪な世間の白々しい渦へ呑まれる。それでお終い? 終演、まくれ。ハムラビ法典式、まきかえせと書かれているだけ。どうしてこの世でたわむれさせられているんだい。意味のない、無目的で救済方法のない、「カネのためのいのち」なんだろ? ほら、勝てかて負けルな。それで終演。そうでもなくばこぼれおちるだけであろうに。崖は目の前。お前も、お前も、そこから落ちるだけのいのち。カネのために生きる。儲けて財政と国富に追加投資。ほら、勤労せい。それ以外に生き甲斐も用意されてない。働け、働け。儲かればしあわせになれる。儲ければしあわせになったつもりになれる。勤労のさいにカネで誤魔化せばこの世の不安から逃れきれると思ってた?
 ふざけてる、ふざけすぎてる。
 ですから、そうじゃないんです。これは会社に言われてやってるんです、だからアクも何もありません。生活のためにさせられてる、どう仕様もない、演技なんです。食うに困るのはゴメンですから。
 こぞ悪魔の世。あふれかえる。辺りを囲まれて、埋め尽くされ、窒息させられる。俗物世界、たのしい? ほら、「社会適応」だよ。話せよ。話して、一緒にスキー旅行でもいけ? お気楽学生ライフ満喫してみ。たのしい? 生まれては死んでいく俗悪な生計ぬしたちが、あたりを埋め尽くし、覆い尽す。森の奥でも木々を見ず、お前はやはり奴らの一員でしかない。二足歩行の猿。他には?
 他に。
 モノトーン。
 僕は、どこで見たのだかしれない小さなダイヤをなくした。それはガラス製の、にせものだったからか。人々には気づかれない、小さくてつまらないダイヤ。それでも何もないよりはましだ。儲かれば終わり。はいはい、単純明快、大人の論理でござい。そいで?
 金儲け以外に目的もないのに生まれてくるなよ、俗物ども。
 汚い。それも価値観でしょ? ほらほら、慌てる乞食の貰い損ねた満点で、きみの自尊心も満たされたってワケだ。
 輪廻から逃れられない癖に、貯金を積めば紛らわせられる不安なんだろうに。繁殖されていく俗悪な子孫のワールドへ、ほら、また再生産されるんだ。地獄です。
 この光景を愛せ、と書かれても。
 みにくい生き物、なぜそんなに必死で金儲けしてるんだっけ。卑しい心の豚ども。
 宿命だからね。否定しえまい。生まれすら。
 無意味に生産されゆく無数のゴミ。
 屋上のデッキ。街上を駆け抜ける船に乗る。それは想像の船で、現実にあるともなく、君は、その船で好きに飛び回ることができる。実際に神様の見えている世界を君は再生できる。見えないものとてないのだ。
 艸木の合間から体育館の上空を越えて、はるか彼方にのぞける山並みを眼下に見渡す。君は、空を乗り越えて宇宙へ出る。青く丸い星。そのどこかにさっきまで縛り付けられていた教室の一つの席がある。ここから見下せば、その小さな席が本当に風変わりで、ウサギ小屋のブロックと同じほど奇妙な、偶然にしたがう居場所みたいである。
 現実もその程度のものなので。
 一つたりとも揺るがせにできない、と教わって驚くこともない。君は、巨大な銀河団にのまれている一粒の粒子なのだ。その流れ去る先も、どこから流れて来たかも仮に、知ったところで「あたりまえ」を越えなかった。君は、とりあえずまばらに生えた林と等しい導体で、ぐるぐる回る世界の一隅を二つの目でじっと見つめている、ほんの束の間の経験なのだ。君は情報の逆順列にのりとって景色を見る。様々に複雑で、あるいは移り、あるいは循環する諸々の現象。途端に、黒板消しがノートに写すべき文字と記号を掻き消す。けど、この世の有様のどれもやはり、明日には無くなる。わざわざ彼らの空虚な営みに同情してやる必要もなかった。君は、さっさと家に帰ってドラクエをやるべきなのだ。それで命題は解かれたと思える。
 因循な慣習域、陋幣な籠もりきったフクロウの巣で、はてなくうごめくありきたりな複数の、老衰した篭城主。でもすぐに時代は変わって、当然らしくみな淘汰し、跡形も残さずに羅生門を去るだけなのだった、浪人。
 実際、用もない。過ぎ去った時は既に、遅い。夜は新しい太陽を見据える。ジジツ、それは別の地平線から昇る。君は新しい世界の一人として、より素晴らしく生まれ変わるだろう。はるかに遡って真実を捉える。だれも、進化の道は踏み外せば元には戻れなかった。一本の道は万物を貫き、悟れる聖の足下へ長く、とこしえの絨毯を敷く。歩め。終点へたどりつけばなにもかもが明らかになる。それまで歩め。歩み続けるのだ。
 僕は落ちてゆく夕陽を再び、独特の感情を通じて見る。誰にもリカイも共有もされ難い、けど、はっきりとして自分の奥に秘められた感覚なのだがその夕陽にはなにもかも、あらゆる事物の回転がこめられている。僕はそれをたしかに感じ取ることができる。そして、この夕陽は唯一で二度、返り咲きはしない。僕はそれが生命の記憶である、と想う。疾うににげさってしまった記憶なのだが、けど絶対に失われない、すべてが。
 人類の為す全ての行いが、記録される世界なのだから。どの行為も因果のあみで掬われるだろう。糠のなかの麹菌のありかの様に、直接の影響を与える見えない「起源」として。
 だからといって日ごとの問いがないともない。終わりまでつながる道を歩む。実際、もし神の国があればそのとこしえは必ず。かくあれど終演のときをしらないとでも? 幕切れは訪れない。そんな芝居があるとして、一体だれが観にいくものだか。神の国の住み人が、とわにつづく演劇の見物人であればこそ。この世は眺めるのによき秩序をたもつか? もしそうならば神はあらたかに居られるであろう。
 城を築く働き人の大変な団塊。
 太陽。古墳、PYRAMID、地平線を埋め尽くすメガロポリス。
 いつの日か、物語られていた喩え話があった。子供から大人まで、老若男女をとわずにその話は語り継がれ、いいきかせられていた。歴史という壮大な大河で、のみこまれてしまえば悟るよしもなく、君も又、流れていく時の旅人となる。ゆらめく多くの寓話のどこか、虚構と嘘の合間に一筋のまことの言葉が隠されているのに。だれが教えたのでもなく、忘れ去られ、見失われてしまった野に咲く一輪の花の様に、その一抄の通話が何の説明をなしうると? 誇り高い騎士の手綱。
 結局は誰であれ、一時の夢の間に惑う客うど。ひじりの説法も、馬の耳に念仏。砂丘で拾った貝殻。壊れてしまうのに、守ろうとするのもおろかしげなことなり。高層の建物、まちを覆うほど高くに架かった高速道路、大地を駆けて駿馬の唸る風切り声にまして戦国武将の猛々しき勇み足。なにを措いても、決定されざる主題。一つ一つ、決められていくのりにそっては。
 妥当な条件だろ?
 君はゆっくりと過去を思い出そうとする。そうだな、物語が始まる前だ。
 けど、何もない。この世には。
 神が創った作品、違いがあるか? おまえも。
 どういう道理で、お前はこの世にいるんだ。どこにも答えは無いだろう。それなのに、流れてきた。理由も、理念も、原因もなく。なぜそれなのに「この世」へそんなに拘っているものか。夢の隙間で、何事を語るといえど虚しく消えてしまうだけだろう。
 情報の渦。銀河団を一息にのみこみ、地図のない海のどこかで落としてしまった手のひらに乗るほどの小さな、銀色の鍵。誰のタワゴトだか、聞いたこともない。だから。夢に見ていたんだ、と君は云う。それがまことしやかに語られ継がれていくコトワザなのだとして、弓なりになった月天心の端を渡る気分とて。已まない修道の連綿たる空。Flatになって、誰が見当をつけたでもないsignが輝きいでる。探していたのだが、零れてしまったのだ。余りに広過ぎる宇宙では、位置も方角も、目印さえ定かにできず、ユッタリト、羽織った衣を川の上で落としてしまったの。彼は、未だに信じられているのか。宿命。私には夢に見ていた多くの信じる。クタクタの、終電、本来は。巻き戻し、引っ繰り返って元通りに直す。修正、嫌いな。再々、選れて直面した、設計の、下書きの後方に、価格の隠れ家と暗く、中空でみられる。シュウシュとのく。開会、平坦な街だいのちの、さっぱりと延ばされ、罵倒の迂回を港でモタツクのがうしろの、最低から最大の、最高度の。バイシクル。BICYCLE、修羅。ららみゅう。ふふふ、とよるのです。
 様らとかく。不甲斐無い、鴨志田のタタカイ。なぜだ? 
 莫迦するfractal計画。
 網膜に降った雪の結晶も、光に添えて時めく今様色か。終点から始発が出るのだ。
 冒頭から。
 らしく、なけれ。
 リッターいくら? 蓋。照明。
 ソレデ。伝え、られたラメ。目、ハ。SHOCK. ド、ディ、ゴ。法度、うとうと眠りこける桟橋。天の橋立て。もとは、おてもとは、ちっとも足りて。竪琴、絹の羽衣で奏でるMuseの。喇叭ノミ。やさぐれた、ささぐれのあかり、固く違いを、瀟洒な豪邸区のクォークに尋ねてご覧じおろう。普通は、iceチュロスでもなくてならそう赴くのか。地図、図像、画面、画像、距離をとってホノルルとワイキキ海岸を撫でるキカイ雲、ナヴィの流れ着く夢を見る島で、かれは見る。テイラー展開も、コーシー・ハミルトンの定理未然、我先にと奪取されたコニカの本命まと。
 直前講習、オキアミのpoolでも鯨百20号は。
 いきつもどりつのパターンを手習いしても居、羽衣foodsが生れつきとじこめておいた。Bottle neckのフラミンゴスーツを取って、離陸したカッパドキア眼下へ虹の如雨露。ハハン、いい湯かね。マクレガー・コリンズの手帳に秘密を書いておく。
 サチュリコン戦法が功を奏す、とは必ずしも。涅槃で、待たれよ。はいはい。
 さとされて気がつくのはおそい。
 中くらいのち、晴れ。天気時代にきいて。為に、issueをカマウ糸目もありえず。スラスラよどまずはしりされる。猫走りの碁石をばらまく。室内、外で鮫が泳いでいたとして、ノビ太はなにを勘えるだろうって? 腹いせを、暗黒物質を、平凡がそうでもなくなる一秒を、交換の差額からひきだす商業のつて、いつしか不満がみつからず、意図もイミも大事にならない平安のとこよへ至れるとして、木簡からweblogヘ、散り咲く。と、なぜこの世には、数え切れない人達が生きているのに。なぜだ? 君には答えも無かった。嘗てはそれが分っていたのだが。どうして? 明日には分かるだろう。君さえ。第一、この世に何が期待できたのだと。
 夢は醒める。さめるよ。濁流に推し流されるに。違っている。僕は。ゆっくりと、少しずつではあれ。なにが目的なんだ? 君にはリカイできたの? ドチラデモ、どちらにせよ。流麗な、淀みのない声で、語られる真の理は誰に向けられたものか、譲られるのだ。最後まで、記憶に留め措かれ、彼は踏み石を外さない様、慎重で拍子の命ずる侭に歩く。なぜだ?
 かれには。
 抑、正しくは。
 性格が出てるね、と書き記されてある。で? だから何がどうしたの? 昔から?がる大河の一砂みたくにね。余程手が込んでいる。居て、中間体。修繕屋。約束の目方、充ちました。復旧も直ぐですよ。聞えます、普通より手速く、つつましく。
 第一、意味内容のない経過しかない。
 きみは、消えてしまう。消えるだけだろう。
 どこへ進めば答えにたどり着くのか。そう書いてある。
 潤目。
 修繕された。それで、完了される筈だった。冒頭に戻る。繰返し、変化してから再現される。ひどく改装された店内。朴訥な、事由を考慮しない沢山の、紛れない。不束な、不確かな、うつろで爽やかな、何もかもが呼んでいるのだろう。幸先の、終点のない、不完全な、俚諺であればだ。
 没頭してれば済んだ。よく考えればいい。ふとした時、振り返ればいい。天気予報だって、いつも当たると言ってる訳じゃないのに。本当は、夜も昼も同じpaceで巡りたがっているのに。巧く思想してみたら正解が出るの? 状況はより、複雑だ。手の平に広げてみればいい。拡張され、定理づけられた宿命みたいな営み。始まっては、閉じられる式典に同じ挑戦で。どこからが今か、コツで掴むのも。移り住む土地の言伝は。
 ねむの木。尤もなことです。剥がされたposter。安心が貨幣で買える、と思うんだろうか。無駄なこと、誰も習性をこえては来れない。ガウンに身を包んで、新鮮な朝の空気を手に入れる。証明済みの命題、クリアしてしまったステージの列、これさえ一つの歴史に過ぎない。私は、少しずつ変化し、移ってく地表の様子を観察する者さ。詰られて困った子犬の鳴き声。熱く、ほてった体を横たえて太陽を眺める。いつまでも変わらない世界だと思う?
 君は証明書を要求している。生活感情が多かれ少なかれ、報いられるのを。それが幸せを書き換えるだろうか?
 名前を呼べば決まるのだろう。けど、本当には何一つ呼べもしない。それは人のカテゴライズでしか。夢に見た。みた。
 夜、おそく。
 すぐれたうた人。滔々と。
 桜のちること。又だ。
 再び、経験。ふりかえる。けど、同じだ。何一つ、ちがいはない。この世では。一体、
 君はなにを見ていた?
 答えを探す旅。なにを探して? やがて満ちる。うたびとの声。君はなにを見ようとしたのか? この世で。何も答えにならない。悲しみの渦と、海の響きだけがする。何も答えを持たない。君は。答え、答えは。
 ゆるやかな坂道を下る。どうせいきつくこともない道だ。話題、閑話のひまに、まかされたschool、折角のお言葉ですが、普段からそうなのです。ここでは、何もかも。突然できた公園の唐突naレベル。砕ける、分からずに踏む音符と。次から次へと。俗世でいきながらえゆく多くの庶民。うごめく、そらから見渡せば見えないことはない。子供、けれどもう失われてしまったのに。冒頭に戻って、話を返す。なにを? つまさき、君は夢のすき間で、簡単な手織物を続けるだけ。Textileのあや、かならず一度、二度と。ほら、まもなくです。配られている栞に書き記された真理を信じるのは。ないがしろにして、忘れてしまうんですか? そのことさえ。
 僕は運動しつづける宇宙の一部にいる。
 かわりゆくもの。さらには。
 なにごとにもかけがえが効きません。役割は一つなのです。冒頭にもどれ。今も。
 はっきりと画かれたsceneです。必ずまとまるでしょう。下らない渓流の風下で、まちかまえる軌道。つらつらと、かきつけられた文句を詠めばひとしく。うらないの転嫁、よその節分、鬼は外。福は内、過当競争、責任の所在もなく、斬られては捨てられる多くの。君の砂漠も又、遠くにのけられたのではなかった。硝子の灰皿、夕日に染まる世界、君のまちかまえる世界も同じく、ひとたび関わってしまえば。堂々と構えられたうだつに掲げられた、内向のdimensionとそれから、走り出す縮図。
 しあわせだったの?
 私にとっての過去も。はずれていく。
 こらえきれないだけの星屑がすべて地上へ降ってくればいい。くりかえすが、問題もそこにある。くりかえしになるが、命の目あても大よそはな。☆彡と輝く、思い出になった発電源。すべてがおわってしまえばひとときも、かなしさをも。シャベルにもられた土、バケツに汲まれた水、まるで駆動する大地が形作ったダイヤとみたて、辺りには深海から送られる鮟鱇より、モールス信号が微弱では。カラカラと鳴る鈴の音、まちはずれ、すずらんの飾られたお店の入り口、君は土手のある方へと自転車を漕ぐ。ペダルをはしらせ、景色を順繰りに、ぐんぐんと変えていくだろう。それから多分、アトリエに降り注ぐあたたかなお昼のプールで焼きソバを食べるのだ。割り箸の香りに、透明で少し水滴のついた温もりの伝わるのに十二分なときをへて、校庭の見渡せる中学校の、傍にあるベンチへ向かうのだ。君にはそれが分かる。すべてが記憶となり、またくりかえされていく。この世では。
 君は憶えてるの?
 たしかに、君としては重要な演技の舞台だった。それを観た者にとって、役割も、人生観も、計画も変えられてしまうのに。本当にああ演じるべきだったんだろうか? 私にとっての本旨じゃないにせよ、たしかに演じられるべきではない一幕だったのかも。だとして、どうして神様はそんなフシギな花を咲かせて魅せたんだっけ? 自分はジャスコのゲーム屋さんの隣にあるふとん売り場から奥へ向かっていく、新しい匂いを忘れずにいて、一体それでもあっという間にその場所は、十年足らずでなくなってしまった。ぽっかりと空いた穴に填まっている豊潤な、とるにたりない想い出のどの部分でさえ、宇宙が与えてくれた一つのしくみなのに。君は忘れてしまったのかもしれない。あたらしく出来上がる公園の上で、絶えずふりしきる春の雨のおとに紛れて、なにもかもを洗い流す様にすっかり。けど、あたらしい公園には何もない。本当に。何も。
 遊具が無くなって、幼い頃から見慣れた空間に虚空が現れる。僕はそのぐるぐると回る、遠心力のために作られためずらしくて、黄色の球体がもつ鉄の匂いを手のひらに感じ取る。それもただの思い出だ、と人は言うのか? かれにとっても、なにもかもが失われゆくなら?
 沈黙。場の停止。黙想、と給食前に捧げられたほんの短い祈りとしての。
 目がさめ、私が忘れてしまうこともないものよ。現実の流れがあまりにはやすぎて、おとずれもなく大地のあとを消すのでしょう。
 化石になった三葉虫の様に宿命のメロディをかなでつづける宇宙。放送されては忘却される電波信号に乗っては、運命の一秒ずつが生態系にarchiveされている。訪れたこともない街、だれもいない街路を照らす薄闇の蛍光灯は経済性の美化なのか。さっとふりしきってはからりとあがる通り雨がじわじわと、石畳からたちのぼる独特の匂いを一息に、耳を劈くミンミン蝉の激しい数学で塗り潰していくので。格段に、はぐれる確率の減ったデパートのどこもかしこも、すでにかつてのおそろしいばかりの情報量をうしなっている。はためく旗に染まるあおぞら、庭先へ打たれた、うがたれる青緑のホースから放たれた色とりどりの水うみが樹木と、篠に架かる透明で細いクモの巣を輝かせるばかりか、燈籠に苔生す度重なる時間、時代、世代の趣きを蓄積してぞ、或いは数奇にば結晶させて、君の二つの小さな目玉の黒さをあたりまえの、絶対の秩序で充たす。君には原因もわからないし、解き明かすのには一生の手持ちでは足りないほどはてしなく、神秘が脈々と流れくる花園がさても、神様の存在を身近に感じさせる真実への手掛かりだった。けど、社会はそれを邪魔してしまう。君は社会順応という足枷のためにその真理への道を辿り続けるヒマを持てさせられない。君は社会へ適応しろ、と強制され、税金を搾り取られ、安易な労働力として生産の方便へかえられようとしている。なぜ?君はなぜ生まれてきたんだ? この世では、その理由さえ自ら見つけ出せねば永久に、暗黒星団のはざまへ落としてしまえば二度と見つけ出せもしないので。そうなのであっても一生の限られたspaceを少しく生産用から割き、君自身の充実へ、真理の探索へと用いることもできるのならと。
 もう摘まれてしまったかもしれない、とうに蹂み躙られ、踏み潰されてしまったか、それよりさきに萎れて枯れてしまったかもしれない大切な花なのにも、もはやきみはそのありかさえ知ることができない。絶対に見つけ出さなければならないし、それができさえすれば人生の目的の殆どすべてが完了するというのに、と思うのであろうが。何が過去にあったことで、何が未来に起こることかもう十分に判るんだろうけど。
 それでも、どうして山あいに咲いたほんの小さな花なのに君は、それを見逃してしまったのだったか。名前さえもしかすると図鑑に出ていないとも言えない。そもそもそれが花として考えられているものだか、けど確かに世界で最も美しいものだ。二つとなくて、世界中で唯一つなだけじゃなく必然に、他のどの時代でも咲かないそれ。
 了承、君はもう見つけ出した、ウソの一種として捨てさってしまった。
 それで? 三度この世では何ができるんだった?
 僕は考えられるだけ考えるだろう。それでも運命が変えられないとして、だ。普通よりはるかに進んだ宇宙文明、幾世代にもつらなって積み重ねられた文化の結論つ、それで? 君にはナニガできた?
 打ち出の小槌からとびだしてくる富のざくざくとした手応えだとして、なんの感激もない。富、自由、余裕とか忙事とか何一つ要らない。僕には、約束すらないけど。
 初めて人の入る住宅、新品の食器、ステンレスの無傷な水はじきとか、中から大ぐらいのソファに座って、モデルハウスのよくつくられた居心地の中で座って、社会人として働く。この社会が唯一の社会だと思うな。どこへ入っても別世界が広がっているのだしいつ、生れなおさないとも言えない。この時代のこの星のこのヘンテコな生物の一員に再びなるという保障は? それさえ偶然が示す、つかの間の遊びとぞ。神は遍在するTHEORYだし、実に物事の微細にも巨劫にも無限大に広がる森羅万象を彷徨う権利といって、神以外の誰を宛てられよう? 君には「精神」という乗り物が与えられていたにせよやはり、そこからの眺めのどこもかしこもかれの支配する定めなりき。どこであれ、いつでも世界は神のみもとにぞあり。そしてあらゆる現象を貫く一定不変の法則のことわりもどうせ、かれの教えであるのだ。
 もしそうだとして、何を考えていられるというのか。実際、約束されたとおりになる。どこを探しても、やはり到達するのは。日常の重なり、連なって、すべての始まりから終わりまでが。追走する多くの。私には確かに感じられた記憶の。過ぎ去る、回転する、待ち構え、再生される。海のほとりで、手首に?わされたミサンガが風に靡く。ゆるやかにかなでられ、くりかえしリプレイされる過去からの、あしたへの音楽、韻律、旋法とカデンツ、振り返れば何も残されてはない。砂浜には、時間の他に。何も。
 生きている者も死に絶えた物もやはり。
 普通の速度で歩む世界には何事も、なにごとさえも語られるいとまもなし。そばに安らかに置かれたルミネッセンス、瞬きの間にリネン室の前を過ぎてしまうよ。贈り物、宛てられた住所へ。地表を鮮やかに区切る、幾つもの空中回廊、股に掛けて走り回る伝達者の自転車輪の回転率、ちぢまった高架下の食べ物屋、牛丼であれ、いやましに食べられる文脈にのりとってめぐる大地の上の出来事。君は、過ぎ行く多くの自動車の列を眺める。クラクションを鳴らす、テールランプを散して辺りをしらべるいくらかの催し物、どれもこれも都市という名の「舞台」ではある。歩き回る人々の幾人かが来世の出来事を予想するか?
 今も変わりゆき、歌われるのは。
 街の変わり様。誰の責任でもなく、誰が命ずるでもないが。移り変わり様変わりする何もかも、鉄塔から聳やかす摩天楼をわがものとぞおもふかの鴉は、ひばりの囁き、救急の合図、限られた世界の結果を 結束を見通すさまは。もくもくと立ちのぼる煙り、建設され、再び建てなおされる人工物の片隅で逃げ惑う井守、少なくても鯖を読むよりは少しであれ、益しになっていく我が輩は猫である、と書かれた文句の列、どれも。悲しげな歌を聞いては捨てる、それで消費者の情報欲求を満たしつつ作り変えては流通させられるイミも中身も、大事でもない「デジタル信号」が実際、神経系統という人類の精神的営みの終点なら、これまでの試行錯誤の殆どはやがてむなしくも徒花であったのか。それだけに。舞い散る紙吹雪、たくみのもLondonびとが歌舞く痴れ者の狂態かは、とも狂言回しか猿に聴けとぞばかりにな。何事にでも因果があって、輪廻の鎖で切れ目なくつながるものなら、したたかな旅びとは、足跡一つでさえもまこと綺麗にしか遺すまいて。清げな紹介のあとさきもまことしやかに語り継がれたウソの集積ならばどうしてお言葉に、真実のかけらが付与されようか。抵当に会話され、盥回しをする逆さになった手足にも引力が、遠心力とつりあう一つの奇跡を与えてみる、けれどもかれも又、この偶然の星にたらい桶の変わり身に回せられている道理であってこそからに、かの背中は虫の這うサッカーボールを蹴り為す少年のためにも何の、表だった説明を要請するでもないのです。太陽は何を語るでもなく、かれらの運動を支えては自立させていきます。空気を産み出しては浄化させ、循環を通して作り変えられる環境とは、かれらは、決して何事か、秘められた真理を語るでもなく現象を、一つのびやかに演じる役者であった。
 バイエルンのCMなんだか、なんなんだかを盛んに流す放送局の監督、広告モデルの崩壊だかなんだか、IT時代の長者にせっつかれた朝の5時過ぎに僕は、ドラクエⅤのパッケージがプリントされたソフトを手に階段をおり、テレビの前で冷ややかな空気の中で新しい冒険をはじめる。けどそれで何が変わるでもない。学校に通わされるのも、主人公にとっては。望まれたいのちだ、と誰かが書き付けたとしても、それを信じるのがまともな人間のつとめだとか? 僕は信じない。誰も、意味なく生まれてくるべきではなかった。奴隷にされるだけの生なら、無い方がいい。だれに疑える真実だろう? 僕はそれを信じなかったし、実際、騙されているおおくのオトナは単に、この世に輪廻し続けているだけのサルの変種に過ぎない。僕には第一、かれらのテレビやら町中やらで演じる馬鹿げたおまつりドラマに付き合う気は毛頭なかったし、そもそもそれでさえ命じられた感覚ではなかった。人はそれを信じないだろう。だが、子どもは必ずしも「同じオトナ」になるとは限らない。それはサルだった祖先がやはりサルの成獣になるとは限らないのと同じなのだから。何も命令はない。社会など、所詮はヒト科レベルの話でしかないのだ。
 花火の合間にも戦争で殺しあうだけの人よ、お前たちには何一つ救いはない。
 人の社会には何一つ適応する価値がない。サルの変種でしかなければどうか知れないが。
 下らない世間、社会現象のどれもこれも自然現象の一種でしかない、と悟れればどんなおこがましさも、まやかしそのものだろう。いずれ人も死ぬ。ならばいつどう死のうとも何も厭うまい。誰であれ、明滅する星屑の部分集合として命じられた、物理現象の生物カテゴリーに編入できる。そしてその法則はいずれも空だ。
 命じられた理由と同じ。
 新しく、あらたに。作られた世界と、世界と、カナリアのたわごと、かみなり、机、井戸と。波も、森の響きに探られた扉を開き、閉じられた戸、特に感銘を受けるでもない、響き、連なりつつ延びる有料道路、高速道路の高架が突如森に現れては破壊した。生活の環、広がりつつ巻き戻し、パッとサイデリアのcommercialを流しているテレビ、消えていく地上の、ニンテンドーDSを電車で見つめる成人女性、感動もなく停まる。電動ドアが開いて夏の、生ぬるい空気が入ってくる。浮いた服装と窓から一面にトウモロコシ畑、突っ撥ねてみては切り離す。写しては貼る、DATAの集積と、資料は次々工夫される倉庫につめこまれ、格納されては放って置かれる。たのゆえになのだか、云いうること、暑さも過ぎれば記憶となる。感覚、蒐められて一気に捨てられてmemoryは交換される。真夏の炎天下、華氏も憫笑し、送りバントでランナーは二塁へ。滞りなく事態は推される。
 におー。
 おあおぎゃく。すっかりサババじゃ。
 ほなほなら、へったくれのみのサバイヴ鼠っ子、さんぱちかとおもうた。へえ、へええ。
 撚り選れて一等賞、カモンカモン。
 泣きっ面に犬猿の蜂仲。どこまで! イミのミミ。彦十郎殿に聞いとくれよ。冬季直前講習散々やったってば、ウザスギ苦諦も当然に無ければならぬ。Departメントにflooringのwax掛けってな、そりゃ不束なんだし二日もかかって。きこえてましたよ、名声どころかドロロのどこぞ。ん、ただの言葉あそびでしょ? 聞いたことない、さえも。
 年少の、とりあえず人生はSLに乗るか乗れるかで決まっていた。Cut upで気づいた意外さってば、どっちへ送球すればまついいのホームラン記録ぬりかえ注意かって、注意報かすら自在の弁とね。銀座なら未だしも、金座なんて銀行未満です。意図が、イト毬栗なもな。マウス。ふんだりケータイだな、ニホンゴ直裁ににゃうにゃうpadでんす図書館の図示にし舞います、ぴぴ。ちがうます。とべてます。てりゃー、うわわ。ワンタースワンTM。インドのindoorでドアドアやってみたらね、低橋名人にも復調ゼヒだべ。配られた印紙、実に巧妙に、実に見事にこちとら原っぱでさあ。ちりちりと焼き尽くされてはぞ、ビール工場が建つんだって未来の末に、ループした空気の冷え冷えと、養老渓谷、すがしき夏のかなりに満たされてを和室内は。旅館の過ごしやすさ、それも蕎麦殻の枕で高くも、低くも調整されてしまえばよかれ。同じほどに進化した複数の系統が同時期に、同一然とした商店を経営し、廃業しては店の中身ばかりか町の景色さえ、模様替えしていくのは虚しいだろう。
 よろこばしい、と説明される、イズレの損得か、得失かもとわず。NAVIGATION、維持促進、ヨビダサレマシタムービーへ映える、雷と磊の協奏、juvunileの真価、困ってしまうほどに。なにもかも、なにもかもが展開を止めて象限を見定める。いつからの忠告だ? お前は、言葉も知らない。必ず要る考えも、adviceも。君は許されたと思うの? 誰にとっても現実など、取るに足らぬ戯れならば、ではある。おろそかになったdesertのあふれかえる忌み名。宙返り、もしも、奇しくも。
 更々、認められるベキ実験論でもない。葦の原で呼んでいる、広域に及ぶ破れ、綻び。ダムウェイターに乗っけて運び込まれる、つらなった巻き物、誰にも見通せないおもなよしとも、列になったfinderから設計済みのあまのみやこを見渡す気持ちは? とくと遡ってみればいい。
 計画の教義、誰に遣えるでもなく。
 クドクドシイ説き明しを今さらぬりかためるでもありませぬ。群青のOI、キリカワル、ご存知ありませんか。移り住むのも草枕に等しい、ラッパロ条約でかすがいに利くってなワケ。純情も純潔も、子ども心に一笑に付される世界など俗世とはいえ何一つ清げな価値を持ち堪えまい。一つずつ崩れ落ちる城郭の石垣と同じで、お前達のあしもともガラガラと崩れて二度ともどりはしない。そして悪魔の物語を信じて死ぬ。永遠の落下。
 愚劣な連中め。悪業を積むほど、奴ら自身の自滅を速めるだけなのだが。芥川の名前を騙ってあらゆる尊い価値をけがしつくす悪魔ども。ノーベルの遺産をネタに、我先にと誉れを奪い合う愚鈍な狩猟競争が。絶対によい結果にいたり得ないのにな。
 ヴィブラフォンの背後で落された木琴のタクト、しばらくの沈み、黙り。殆どおしまいをなくすだけ広がりつづける大地、星々、銀河流域、まとまった変数が値をうつらせながら一点へ収束し、比例が生み出すいくつもの文明、その中でたくみに示されるのは、かくされるのはまれな草花か、やよい。春夏秋冬、刻まれている、うつりかわらせているおほやけの回り、めぐりかわる運び、定め。自転する十文字、俳諧の諧謔、白々しく。
 でもってとどのつまり、何が目あてなんだって? どれもこれも、 有限の約束なのに未だにとこしえなんて憧れてるんだってさ。どこからか遣って来てどこぞへと去っていく単なる偶々できた姿に、こだわってなんだって? なにも、何もない。何度announceされても結果は。一人で、試行錯誤しながらうずくまっている。どこへも辿り着かないっていうのなら。戦い、つかれはてて君は、夢の合間でなにを必死で。
 何も。
 虚無主義? 解決するとでも? 戦え、周りをうずめる無数の俗物と。どうして? 君は夢を見てるんだよ。感覚、思想、経験、どれも夢。そうでもなけりゃ、なんでこの世が突然現れたっていうんだ。理由も、お前がひねくりだす奇妙な哲学に過ぎないじゃないか。合理化し、死んでいく。それが幸福だと言いたいならそうするがいい。けど、世界は何も変わらない。何も変えられはしないのに。
 宇宙から君たちを見ている者。星にへばりついた虫みたいで、小さな君らを。繁栄し、絶滅する。その夢中で行われる劇場を。でもね、かなしみさえもう抱けはしないよ。どうせそこにあるのは永遠の戯れだけなのだし。砂浜に好きな文字を棒っきれで書き付ける。しばらくすると何もなかったかの様に波にさらわれる。Reset. 舞い戻り、宿される命も、何もかもが消えていく。それで無かったことになるんならもし、そうだとして。
 君はどこへ行ってたの?
 宇宙の果てまで探してみたのだが、もう手に入らない宝物は。壊してしまえば元通りにならない、キャラクター入りのお茶碗みたいに店頭で買い戻せとでもいうのか? 問題は、君がどこにも見当たらないということだ。
 そして偶然じゃなく、かれは勘違いしていた。とても巨大な、とりかえしのつかないそれ。でも過ちに気づけただけで幸運だった。再び同じ夢を見た時は、もうこの悲劇はくりかえさない筈なのだから。殆ど自明の言い訳みたいだが、かけがえのない関係もある。けどそんなことは十分わからなかった。まるでぼんやりと霞がかる湖に降り立ったあさもやの日みたいに、時はなにもかもを曖昧にしていた。それはあたりを取り囲んで、我々を宇宙のどこかへ存在ごと放り出してしまった。救いになるものを探せ、探せといいきかせてきたけど本当には、どれもこれも代償に過ぎない。僕は探している。いつも殆ど自明の言い訳でしかないのであって、いまさら見つけ出すにはもうとっくに手遅れなのだが。
 息を吸い込み、底の見えない水の底へもぐる。ゆっくりと目を開くと、なにもかもがぼんやりとしている。海の中で何もかもが、曖昧に見える。
 夏休みに聴くミンミン蝉の大合唱。それも遠くなって、波の音さえ聞こえなくなる。僕は世界の底へ辿り着き、その温かみにいだかれおなじ永遠を夢見る。実際、それで十分なんだろう。ああして体験される世界だけで。
 描写されては消される風景。膨らみ萎む風船の色、傾き始めた午後の玄関の光がすべてを溶かし込むのを見る。偶然なんだ、と誰かは言う。偶然で、つかのまのいのちでしかない。決して永遠ではないのだから。
 どっちが真実なんだ?
 作られた表情。凍りついた、どこまでも続く路面とその上へ走る輸送車、なにを? なにも構想されていない。新しく始められた計画の隅で、排除されてしまう可能性の種子と共に書かれている文書面に、つらつらと希薄な、さらさらと。検討違いだ。牧草の、想像の奥行きにさえ、手品みたいで、けどはかなく意味も内容も持たずに、それは。
 旅先で履いた下駄の感触、が記憶された回路と旅館の絨毯とを比較するのも。
 所詮、技術でしょ? 忘れてしまいなさい。二日、三日と親睦会の祝賀ムードも晴れて、花崗岩も麝香も天妃山のふところにある休みなき。栽培種、従順が乃至は平面が、ソロpartでblock済み、順繰りに寄せては返す荒波と、竹林を渡る何気ない風、いま墓場のうえでさえも。少年らの走り回る、声と電車の音、遠くからやがて近づき、また低く遠ざかってく。裏返った魔法で本気の結論は先延ばしにし、いつまでもそのよどみに留まってるつもりならきっとchanceも、勇気も満ち足りてないのだろう。平均した記録だったんだ、かれは描く。丁寧にしまわれた手紙と同じく、実際に望まれるとおりに社会が出来上がるのみ。崩される堤防と同じで、なにもかもが記憶の中でしか留まりはしないのに。それでも前に、前にと進む足もとを見るのだ。なにもかもが過ぎ去る、とどまらずに。
 中くらいの画布に塗りたくられた言葉の列、一つずつ拾い続けるのも面倒ならどうせ等しく、思い出せる順列だけでいいと書かれる。でも結局は何とかやり過ごすかしかない。残るのは正確に数えられたトランプと、うまく適合しない配置だけだろうとも。でも不完全な、完璧でぎこちない手間をとって今は、再生されてしまう。君はどこへでもかなしみを振り撒き続けるだけだ。現象の波頭にとって、砕け散るだけの過程は有難くもない。遠く、沈み込んだ渓谷を流れる悠久の河川になにを語ろうというのだ。そこには何も残されていないのだろうとも。
 地図の隅々まで探してみたの? どこかに隠されているかもしれないのに。現実に、それが真実かもしれない。気の所為じゃなくて当然に。証明済みの八卦、発見されたGolf ballに刻まれたdesign、よく考えてはみたんだよ。さながら時限爆弾の様に、与してみればきづく。うつりかわる風景、どこもかしこも。なに一つ、真実と呼べるものさえ定まらないとして。折角なので、社会現象と比べてみましょうよ。ラプラス、被害、充実した開放テラスにキャラメル・マキアートやら並べてなんか、加減が分かるまい。君ニハ、ソレデモ構ワナイト考えラレタンダロウヨ。順繰りニ延ビテイク飛行機雲デサエモ、やっと手中になった量感のある林檎と同じで説明づかない不可解な谷間のムーミンへきくのも、気のせいかと書かれる。解体されゆく巨大なビル、超高層、摩天楼の空を切り裂くばかりに広がった建造物群、遺産なのでも、唯の置き物なのでもなく、人が歩きはじめるそのやっと初めにはすべて、おごそかな回答がもとめられるているんだろう。退屈で難儀な縁側のジングル、とかLet it beの再拝勧告、ちなみに感慨された低床車両のまぢかでも、紅白の垂れ幕、でも決して主導権が絶対とされるまでもないんだ。ニケの勝利、大会に記録された某幅跳びの記録、あたりまえだけれど順調で、しかも嘆くはずも無い善導の提唱、実態、されど救われうる記録の媒体は、地味に始動された一丁の自戒と、慇懃にふされて、けど失礼にあたらないほどの都市開発をへてして、次々と更新されては改造され、建て直される家並み、ふるいものが壊され新しいものがつぎつぎ造られる。仮にそうでも? 気分にない想う像で、改題は楽に主張の平行線を保障しに働くんだろう。崩れてく海岸線と、堤防のブロックが、波が時代の流れへと、なにが確かに生命をつつむのかをおしえてくれる。綺麗な想い出だと片付けてしまえるの? もしかして、わすれてしまったとおもう? あなたには、またとないふたしかな見通しだけがあったんでしょうに?
 月夜、なにもかもが洗いながされる。孤独で、波の音だけがする海岸線。川は流れ、山奥からしみだしてくる流麗な清水を営々と。
 そんなときだったんだ、と私はおもう。きっとそんなときに。静かで、ほんと夢の様な時間に私は宇宙の底でうずめく不確かな音を聞いた。ひとつ、二つと数えられる時の間に、ちょっとずつではあっても満ち干きする波を数えて。かもめの羽ばたきが夜空と、空気を切る美しい潮風に沿ってなにもかもを語るのだった。結論はそこで終わり。
 それで? 何もないよ。
 明かりがつく。一瞬なにもかも見えなくなる。けど直ぐに、そこが巨大な体育館のちょうど中ほどなのが分かる。太陽光がはるか頭上に、一筋の閃光としてきらきらと、空気中のちりをてらしだしている。もれてくる先は埃臭い暗幕の隙間だ。君は、誰かがそれを開けるところを見る。
 映画の上映中に、僕が見たのはこの世の光景だったのだろう。それは想像のかぎりではあれ、一つの典型的な光景、幻、光でしかなかった。探せどみつからない一粒の砂、なにが誤りだったっけ? ふとした切っ掛けだったんだけど、量産される情報の渦の奥で絶対に有用な法則を求める方程式をみた。位置ベクトルや中身も信念もない双子座の天秤、身も蓋も無い殺気立った感情で、徘徊する猫の、腐敗した。幾重にも制作され、崩されていくジェンガと安全で、安心した参考の具に興する毎度の積算なら、六角になった。奇遇だと思う。それなのに退屈じゃないだなんて。
 私には叶えられる。楓の並木道、大学の門、地面に刻まれた青みがかったグレイの金属扉を転がすレール、溜まった水の濁った薄曇りの色、素質、瓦礫とサイパンの青空、順応的で、手順に応じて説明づけられた、説き明かされるべき月明かり。よくしってるんで。かなしいくらい、世界にはなんにも内容がなかったんで。中庭に当る午後のゆったりとした陽射し、イチョウの葉が揺れている。他、闘争的な本能。風下から流れてなにもかも。きみにもわかったんなら。ありきたりで、取るに足らないたくらみならなくしちゃえばはやいとばっか。飾りつけられた魔法のわざ、即断で実行されゆく。どれもこれも流麗で、リゲインなおほめ。まじゃす? とっちらか。ちごへい。きてな。しばらしません。くいくいに、儚じば。さぼうな、サイパスの破突らっがんた。ソンメはと浦ね、ちがおうとも、まやとしやかもなそれ。かぱっちに、つけませます。ただのあそびなんでしょ? だからなにがもちこたえられたっても。シュミ趣のさっちらつきたのだ。ちったおすんで。Magnisituんばんでっぽ? タイ米、タイ米って。いい加減におし。
 力学的な的解、伸縮し短縮され、冗長で冗談な展開に舞う巫女と婦女。身体元年、それも浮流とかメタボとかカカシがいうのね。信じらへんな。たぼん、そっからしつおかじんてす。迷妄、解体されゆく都市の近郊、均衡、ラドンSOSとかってまじめにぶって。ボールが飛んで飛んでもない、とかくそのころろとかは。ころろって芋田楽のラれら、あとさばかつれ。
「ニホンゴかあ」だっちゃ、ってさ。
 清秋、というか青春だったなあ。なにその臭すぎる、いや青すぎるリンゴ。のガムです。カムカムこんぶです。な! な。意味をもなこぶに託してはやリッピング措置、やれやら、へなこなの阻害っちはらほろひれられ。適当なこったいへなぞ。言葉、それすら散れ、回れ、さとるのも聡くないとお思いならね、そうかいな。威厳すらも。
 リネンのアドハイスをソシールにきめまず。
 面白き。白はぎし。歓待、転倒してまごう、床に敷かれた板の間かスノコかそれでいいん。へえ、なんてことはない。アンカーは支離滅裂な謡とばしに収支したらってめら。考えられない、灌漑足りない。ドクらかと。看板でしたか。邪悪で、経験的で、さもなくば合理的で合目的で法則的で倫理的で、感激的な的の上に、aboveでbehindな孱々と経過するイガイな、イガイで素朴な、純粋で生粋ないさぎよし、きよらげな。可能なんでしょ? それで、すべてが閉じらるなら。どちらかといえば現象的ではない。栽培され何度となく再生産される再創造の仮説と仮題、どれでもかまうことないのみ。戦略次第でし。くっとぱときごってま? すぎさます。すぎさまってぽとぽりまふ。なんだ、なんだんだってそんなことか。春先に降りしきる雪は大福か、店頭でハムstarsのラップかとご覧じおろ、てえへんだへえへnなので、きてみておくんなへゑぞや、順当って下る。文字文字君さん氏。期待できないな。カフェテリアぽっちで。きみにもいづか気づくときがくるさな。そんなちっぽけなりquestで一喜一憂どころか十五哀楽してたきみらにも、いつかムダなダムの経営則エトセトラが、どうかな。
 うららかな菜花に宿りしミツバチのまどろむはるも小川にのぞみ、かすみ立ちきこえるたのしきおとの端はおさなき子らの園からの遊びの声か、のどかならいつまでやんぬるこの日かな、おだやかならぬこころをくばりて先行きさえも日ノ本のまひるの頃とぞひきがえる、なつかしらずかみずうみのみちの上にぞとびはねて雨のふるたび水たまり長ぐつであるくあしもとにたまってたもれるつゆのおとずれ ひとでさえわからずじまい、それなのに何をか望むや 消えてゆく町なみあれど刻まれた憶えのうちにつつがなく座っているのは野良犬の、かぞ傾ける少しの間よをなでる、いつかの風にさまようことは述べる閑さえかなしみのおとぞとぞはべめり。出ヴューらっち、らったら。とかにゃおにいらっぺに、なにがとべそ。ぽお、こらりる。かかからにす。全完済lieミォト。どっかやね惠ん。ところがバンザイ! ちがはひ、わっぱめしゐ。ふぬるふんるぬる、どっちああ、ちったらしかやも、こんたんそか。僕ボクって、てつかずの鎮魂歌! きーてた。汎神レラ。ドレスらの音頭、築く、気付く、さまたげかならじや。かなりやしや。かもめ、かのめ。かのらね、機体当チャ、チャチャ茶っ葉。雌鳥のお泣き加減じゃ聞いてもねえぞっぱ。紅蓮タイ、ねこタイ。え? えらべってば。いずれ柿ノ木、渋柿か。くさらせてもくゆらせてもニガ蓬かト。れられられっぷ、にほにほかの。薫陶、品等、カラキリきどんす。きみのみぢかし倦怠k、憂えど悲しめど事態はじりじり、リジリジちらほれ山岳隊かとぞ主ほゑゐる。らっぴーと、発声せよとぞ丸きり、円きり虹の霧、桐箱乃錐あけみたいな誇示付け故事のコジコジ飛び須ぎかって。どんなだよ。どんなだりょ? などと言わずとも那賀。どこがだよ。あきれ、しんっそこあきれまじき。真剣に根。ね。
 書かれても意味。どこから?
 Ne. 説明されました。シュウシュウ。薬缶の沸くおとです。タブ、おされてました。おさめられてもませんです。おさめとられてまでません。かこえれまっせ。とばすともなくかならきしばらめまへぬぞゑ。勤怠、ほな勤労と怠惰の造語でっし。でっして、え、そんな原理、プリンシピアってゆうか有価の優香でさえtalentedなパーソンぢゃ、おあビリんぼめっさたべとけ。なにをぞ? きこえしめしませぬ。かたが、かたがぞ。かたかたた、とはね。きさしぶりのフレーズ二乗、ククも百六桁までのみを欠かしません。歌貸間辺。ニンニク・キックでちちんぷい。めっさめさやないすか、ぽっかむろはーん。似てはいるが。なにを捨てて。
 なにをばふてて。似てはいるが。二条城本丸、きこえしめしませ。命令、乗除にかけてなもさめて。どっからのとっかかりかも、二条城の本丸にかけての。多分、タバコのタッバッコ性むしろけむらしさのためにこんなにいやな感じなんです。いい加減麻薬で国民から税金サクシュするのやめてもらえまへんか、このアヘン密売やろう! 政治家のバックボーン、またか暴力奴。おまへらの右傾は打差パックですな。ちがうっていえぬ。またか!
 またなの? またです。またバッコです! 
 いい我見、わが田引水で倭人ぶるのやめてもれませ? ちはへま。そうすか。機運にのってリカイ重鎮ですは。ネットネイ寧、そりゃリンネです。ラップのムージケ? そら不逞てか、みじゃーりてっすは。会話にすらなりえているか。灰ワにさえなちえておるか。ちゃわちゃうぉ。くんたす、ラッキーのチップスなカンパイへ。どっかてみたわ。とっかてみたわなあ。くじ、久慈でグルコースふえ里。木刀か、散髪や襟足か見所たあちっちるらちとてすに。ほわあーっすぷいてすへえ。そんなほらないぺすわあ。会話ジャンキーてょらぽらの。ぬ? わわ、和わワ、うっさじ。カンタンでしたな。複数でしたわ。カタカタ、からから、音の描写も唯のモジであるましき、変化してバイまたかえる。返すがえすおニ人に帯広駅もとまラメてい。キージ、すていしおんキンとジ、かもれまもしってくらい、たかたっけまし。とジェネラルいわれ召す。
 ニホンゴでかきまさい。そうかもめます。いつはてもそうかんかえてまし。日本湖で。
 唯の悪ふざけなんでしょ? 宇宙全域、どこに善ぶさけがヒント云されてますじ? コントロールシャワー。てぷんか、チンチラ地で待ってるシレンでしょ? そんトリ、ミライちくちくってきいてんてしょ。ピノコ語かとさえニンシキされまちらすな。インドアべったら漬け売りか、極大半径にら饅頭にしんすすす。スパーでね、チョコシェイク買いました。そんだけ。なっとなっとな。
 ほんたけ、いみねーけどな。甜菜だけ。北海道だもん、ウジキントキだけ。伊賀忍者だもん。ラップにくるんだトウモコロシだけ。めいちゃんだもん。昇竜拳だけ。ケンだもん。竜巻旋風脚だけ、ケンだもん。人間だけ。街だもん。あらわれた! レキシントンひばりヒルズたたん。ありがちな飼い犬だな。なきにしもあらずなdisplayだな、ザコろっくんろーらーどもだもん。消えてはなくなる、消えてはなくなる流行歌野郎ども、消えろ。消えてれば最もすっきりするからなってか、キシリッシュです、これをどうぞ。すっきりするからな。変電所にたのんでます。ちがうもん、タンニン酸だもん。タニシ取りだもん。デーモン小暮閣下でもん。ん?
 ン?
 なんか、っていうかんなんか、ちがく……ありました。そうね、マチガイ。そうかもしれないわめ。それわっぱめしです。とんだ勘違いですよ。いいぶりが立派な具眼者です。車道を走らせないで下さい、なら売んな。まてどくらせどマテリアル、それもこれもほなもじら倉に秘蔵されてきましら。じゃ、それで。はは、やっとか。
 右様なら。左利きかと思わ。関連付けスラナイトフッドのロビンにおまかせあれ。任意の記号ドラマ、火花ちるグリーンうどダラムぶんぶんち、ブンブン倒してお城のステージ抜け出すがいいぐさ。ほぼ等しいです。庭球の玉拾い後輩へ強制で暇つぶしにラケット回し発明て、いくらなんでも日本の義務教育終わってるな爆笑。わかるひとにわかればいいよ、だれもいないだろうけど。たたた、駆けてます。
 そんなこと書いている。そんなのかいてもだれもよまないだろうがね放課後が、また、仮に読んだところでなにも。時代の流れをなかへどこかへ消え去る情報ゴミ、そうかねそうかね、sourceかレベルの下らなさ。廃棄速攻。ダンク自体が。
 シジュウ主事から一十姉妹ビリーヴ、リヴィンオズ、ししあんいー根っこの加重て、びびリジェクト不可の雅楽のしらべとね、しとねとぞおぼほえませ、得とご観覧あれら。状況イオンにヒントじみたイライフ別業。ベーコンのらっぽ、今晩は更々かしこ。テイ仁にて、にヒニひ。きこえてませぬ。机上のメイロ、迷い走りつづくちょっからきりとんぱさん。さぽさぽ、きたません。きたませじ、とほらぞら、まっくした。まっくへまっくしきタイちょーてすか。それがイミなんださ? かいたづ、とっかたすまほらし。それがコンテンツなんだったんだ? 二つ、三つとたび重なる丹頂鶴の置物らしきトジまっさら回復二厘。そばから、ばつからとっかかりのチャンシズ、フェンシズ越しにわだまボールズ、ボースボール、トラホンボール、コントラボールフッド。どれもこれもしらばっくれてましたとばかりネット。ノレルル、レルノレ、ルレノレノレノル。ノ月。
 私ね、と突然白地にふわりとしたブラウスをゆらしてカーテンは語る。ブラウズ無生物の世界、ヒントだらけの宙返られるろ文法体系、ひたいになだれかかるれもミズ、太陽にさえしつけがゆきわたってゆきを降らすのがコウカの途中にあるの入り口でつまづくほどの安堵未満、坂道を渡る心、けどその本当の内容は誰にも伝わりてしまいし、ぼくにだけの永遠の記憶として宇宙の自然現象へとかえってしまうんだったらふ。なぜだ? たしかに、その頃わたは十分なだけ感覚を鋭敏に砥ぎ澄ましいる。或いは、とか掻い摘んでても、いつまでもそうなのなら、結局かれが感じ取っていた完全に無限なまでの情報の数々は一体どこに出口をみつけて世界に舞い戻るつもりなんだろ? 私には答えが見つけられる。個人として、他人として。Shipに着いたとき、扉が開くおと。けどそれがなにを意味してるかを知ってるのは君だけだろう。なにかのたとえとかじゃなく、そこにたしかにある宇宙の合図として、時間をすこしずつおしすすめる偉大な法則のほかにかえられない一つだけの奇跡的偶然だか必然だかどっちかの、どっちつかずのリュウチョウで冗談めかしっぽい、電車通学らしき一瞬というかどっちにしても、春のはじめの出来事なんだろう。海を。
 どんくらいの民族がいたって、それがなんだって? 回答だって裏返してみつけてしまえばいいって書かれた。テストの裏側にえがいた芸術だって価値さえないって、あのどっかの馬の骨と校内結婚しやがられた新任の数学っぽい教師がわかるってなもんでもなく、とかく流れにそって生きてきただけのショウジンなんだから許してやれって、サルを? サルに同情しろって? サル権のヨウゴ?
 テレビんなかでサルがどんだけえ、とか言ってた。下らない世の中。自殺者のために祈ろう。でさえもが。
 次々、累々ためられては捨てられるプリントの山、机の奥。だから経験値って答えならもう疾っくに過ぎ去った。講義とか言ってウマシカが冗談めかしたムダ話をする教団に参加すん為、ほら学べまねれと教え込むザコの顔に疲労のあとが見えないとしたら他だの天然なんじゃ? いずれにしても救いようがない。捨てとけ。うっちゃれ。
 永遠にループさせとけよ、どうせ犬なんだから。たのしいのか? 人生。
 尻尾を追う自称教育者の醜態を反面教師以外に使いようも、みなしようもないのだ。それでもまだ量産されては死亡してく大量の類人猿にまぎれこんでしか生きていけないっていうなら、この世に大した喜びだとか希望だとか幸福のかけらを期待するほうがお門ちがいなんだろう。群れる、群れる。きみは、テレビドラマ観てうましかみたいに夢中になっている何匹ものサルたちの仲間だ、と家庭から教養づけられてるんだってから。生まれてしまえばね。
 いい加減にしてくれない? この世界。
 何も楽しめない。くだらなすぎる。
 全員絶滅して地球が消滅したらなんと美しいか、しかしそれにはエネルギーが足りない。だがいつか叶うだろう。僕にとっては神様の世界、天国以外が幸福の適所だとは思えもしないのだから。このサルの惑星にはなんの未練も執着どころか愛着のかけらもないよ。それでさえ日記でしかないので。働け、働け、働いてカミサマへ貢げ。それだけの生態環境ですからねえ。ダメダメ、そんな危なっかしいの。ジョウシにしたがっときゃカテイ爛漫、収支円満、くっくく。キカイ以下、うまれたらしぬまで働くだけの中身のない屑の生活。それがシゼンなので。
 ぎゃはははは、どっかのワカモノが地べたに座り込み笑い声を上げる。はいはい、世迷言どころか夢。犯罪したら死刑、それで脅され税金だすのを待てって? それがカミのオンチョウとやらのすべてなの? ほかには? 家内安全、幸福の代わりに永久奴隷。
 右翼だか左翼だかなにムキになってんの? 全員死んでくれよ、どうせ下らない話しかできないバカなんだから。消えてくれ。邪魔。ははは、それもこれ、弱者の自嘲と呼ばれ流されてきます。言論の自由といい、正論を黙殺する。他人の目を気にして本音を言わない。
 はいはい、表現自由の濫用宣言。それもこれも「虚構のカバー」で誤魔化せるっていうんが小説ならね。桜以下の散り際。
 うらうらら、うあうあうらら、コジコジ。
 チョッチョー。
 っちょ、本気で書いてください。タバコの自販機へお使いなんです。セブンスター買うんです、お父さんに。本気で書いて下さい。なんで? なにもかも悪者扱い、なにが本気なの? このよで。どこにも救いがない。それだけが救いなんだろ? カカカ、はい答え~、終焉。千葉の海岸ギザギザザーっていうくらい音読しません。入り江式の意訳すら省き、黙読です。
 なに本気になって和歌よんでんの? 伝統ぶってんじゃねーよ、と俗庶民。なにが自慢だよ、はいはいまた幻想ですね。うそつき。舌ひっこぬくぞえ。はい、エンマの刑~。終焉。……って夢なんです。どうしたらいい?
 そんなんこちらに聞かれましても~。親切さすらない東京人の冷たさ。同等給料夫の群れ、おなじレベルの均質な家畜。
 そっか。だれなの? 地表面って。混沌って、チカイって、メダルキット、ほら価値です。どれもこれも友情です。友情のしるしです。無駄骨、走ってもはしってもはしけ。芸能人に興味ありません、バカみたいに見えます。まあまあ、めずらしくもない。
 じゃあなんなの? 自分が賢い気してん? また愚痴ですかあ。ほら、カップandソーサーとか回し蹴りで割りまっせ。ちゃぽん。音ちがうぜ! 乙葉そりゃちがうぜ! ゴシップレベル。限界突破、行くぜヒップボバー、きゃはは、きゃははって、はあ? なにこの赤ん坊ごっこ、どこぞの午後とか、芝生とかのうえをなでる名のなき風にもしらずとも知れず、あたかもすべてはあたりまえであり、生産されていく人工周りのどれもあまねくカミの宿りかとぞはべめる。謎々遊び、解けど暮らせどくゆらせたまふのじゃ、まじゃっちくのっぽりっつ、アラカワスポーツばりのカワリヨウだな。ぼくには見える。けど君には何も、見えてなかったんだろう。幻想と現実のハザマとは、まるで見えそうにない「物語」なんだろうけど。そのわずかなあいだに生まれてはついえていく雑草と、菜の花とバッタの川原に降る小雨とか、小水とか雪とかおおいぬこいぬのふぐりとか諸々、みぞれとかどれも大地がつつみこんで大川のながれにとかしこんで消して、浄化してまたや大地の隆起になって世界を模様替えしてくれるんだ、とだれに教わったでもない、むしろカミというかそもそも天というかそこにある町や、川からまなんだ子のつぶやきとか、ありふれてるけど誰かが聞いてるか読んでるとかならそれで真理のすみっこを通り過ぎる、野良の黒猫的風景は現出できてる。何もない、とみなされる空き地にはひとつひとつ表情、というか成分のすべてが異なる、似て妃なる雑草の姫女?が咲いてはふたたび秋が来て、塩からとんぼと赤とんぼを舞わせては、高ちゃんとそれを捕まえにいった。タンポポは綿毛になって飛んでいくだろう。だがそれがなにを語るとでも? ズボンにはとげとげの草の芽みたいなのがつくだろう。それはすくなからず痛い。コーデュロイだからなおsらなんだけど。
 あなたにはそれでなにが分かって?
 ちょっと過去にかえればあふれかえる光、闇のどこもかしこも満たす、ただ光だけのけしきが見える。中空を占める青色。みずいろ、空色の絵の具で一杯にした画用紙のざらざらの面が裏側にしみさせた茶色っぽい日焼けあと、先生がきみに命じた紙芝居をとりにいかせる路程だとか、赤い消防車の跡だとか、スイミングスクールの待合室のつまったみたいに、匂いに塩素の。舟生くんはきみをふざけて手伝いのふりして手放し、あごになん針か縫う怪我をさせて玄関まで謝りにきたときの夏の終わり頃のかおりに、夕暮れから宵にかかる飾られた黄色い花の名前。多分、神様が居られるなら曖昧に美化した世界の記憶などおもんばかられまいに。
 馬鹿としか言いようがないスピードで即死レベルの下り坂をマウンテンバイクで走ってく小学生だか高校生なんだか。知らんが、それでいいのか? ホントに二人乗りだったからそんで、排水溝に落ちて骨折寸前だった。キレつつ、「まじやばいからマジヤバイカラ」とくりかえしてヤバイ顔してもなにも解決しやしまいが。結局躁鬱気質なんでしょ? だって、さ。は? 何もかもが崩れ落ち、テレビはゆずの夏色ですってさ。でっ? って、昔々のお話。終焉。世界がね。それだからみたことか。
 かれは志賀君とかと都市外れの城みたいなカラオケ屋に行ったことがある。ミスチルのクロスロード歌った記憶は記憶というか、単に現実今ここにあること、イマココ原理なんだが。なる説明書き。ボタンを押す。そいで。
 河沿いに歩く、それだけのことで何もない。にもかかわらず、関わりえず世界は流転し、反転しながらrepeat再生される。その河のにごった緑色だって、うすくくぐもった空色のグレイでも、途中で話しかけられて道をおしえたどっかのおばさん二人だとか、いずれにしても細部が細部として。東大の剣道場みたいなとこのはしに座って、サッカーの試合をしばらく眺める。あしもとのほうにはどっかのオーケンみたいのがあるってく。けど、イミもなにもない日だ、としか思えない。かれらはかれらにとっての運動原理があってそれでキカイ的な人生を満足して暮らせるんだから、漱石の妄想がつくった三四郎池のほとりでちらっとみかける地下のフットサル場のマネージャーや美禰子なんだか、明暗までなんだかしらんがバカかと思う。死んでから言えよ。くっく、小説。
 金もうけ。バカじゃねえのと思う。なにせ大阪じゃないんだから。それでも上品な娯楽ぶって、死んでお詫びしてればいいのにザコが妄想ほざくなよ。ハハ、小説ですってさ。ほらゴミ箱の王様へみつげ貢げ。ドル箱国家だ。
 どこに歩こうとそこが大地。君ニハ忘れえない現実以外になにもないって。はいはい、テラシュウね、とかばね、おかちょ、増そうラジのんびすイケブの汚い公園くささが、もう二度とおとずれたくないとさえ思うが。なにがたのしくて池袋?
 みんなワケもなく訳も知らず東京界隈に寄ってたかってきやがって、きたない。きたなすぎる、この星は、という。
 おそらくそれは三井さんだった。
 天窓から降ってくるあふれんばかりの光より他に、この世に見渡せるものはない。なにも。お前にも、経験の定義が知れたならな。タマビのゴミ図書館でねそべってチャラってんじゃねえよゴミどもが。一揆につぶしてしまえればなあ、飛鳥ぶって和歌山でだれもみてないつっ走る自称暴走族のげすな子供らみたいに、おふざけ半分で社会反抗のふり誇示しちゃって適当に、おサル発情させて人生完了ってくらいにお気楽知能ならどんなに右傾でも人生半ば、何一つ利点もない劣った遺伝子再生産合理化できたんだろうなあ。人畜未満のヤクザどもが。どうでもいい、これでもニホンジンって国籍表示して世界放浪旅行しなくちゃならんって、逆さまに落とされバーゼリッツぶったアットビジネスでぼろもうけしたらさ、さっさとアメ公と宇宙に飛んでって消えてほしいな。雑魚は一匹のこらず自殺してこの世から消滅して欲しい。だがだれもそれを叶えも、叶えられも、叶えようとさえしまい。沈黙の群集ぞ。どこまでいってもおなじ、おなじみの光景や。他人次第です臆病者の「わ」。またです、倭人さん。殺せザコども、ぞ。となもし。
 大河の流れ、小さな二級河川のほとりでほそぼそいとなまれる畑の様な、からすよけのCDみたいな粛清じ、けど多様性とか膨張とか科学者が言っててえ、すべてを元通りにしてしまう。リセットしたドラクエの呪いの曲だってだれのせいにできるってんでもなんだから、カセットぶん投げたあっ君に寄与できる事情でもなかろう。君はかもめになって水色の空に融けて消えてしまえる。なにもかもが元通りになる前に、砂漠へ、アッラーのみもとに書きつけられた聖書の暗号がさざなみの手であの海へ帰ってしまうのも道理なら、この砂嵐は、マザー2の飛べない豚へなんの魔法をかけえたというのだ? つまりこういうことだったんだ。この世にはだれもいない。あるのは、永遠のさざなみだけ。
 消えていく。なにもかもが。
 ところで、僕はしばらく振りで訪れてみた公営団地の四階の、つまんない階段の踊り場からちらほら水平線のサインを読み取る。つまりは、そういうことだったんだ。そこには、消えていく、掻き消されていくだけのさざなみ。白い雲ばかりじゃない谷間の清流が、暗く、よどんだ血迷った、むごい劇だか物語だかをかたりきかせてもそれも一つの。ひとつの、他に。けされてしまうスーパーマーケット、屋上、おもいでもなくなる。
 ほかには? つまりはそういうことだったんだって。きみは世界で一人きり、けど何所にいたって真実は。石油争奪、遠隔殺人、経済格差だか階級世襲だか教育狂乱だか、ほんといい加減に馬鹿と一緒に山奥へ帰れ。人類を名乗るサル山のカネ争奪戦略本いらんかねえ、強欲でまみれたゴミ人間の山。自称聖戦、ならすべておまえが吹き飛ばせ。せるならねえ! 結局またご丁寧なご学校とご会社との満員電車の往復しかありませんな、ご愁傷様。ニッポンジンども、うへらへら。シュッセして性欲みたせえ、他称経済大国。くずの山。部っは。でdelete、ほらあみんなスタンバイってましたよお。オヤジ臭ただよわせて給料奴隷が全国津々浦々ふらつくだけのトチジきわまる夢の島ですなあ。うきゃきゃっ! タンジューン。って、で? そいで? 意味の全くない畜生界。永久輪廻。
 奈良の大仏前でうろうろしてる鹿は角が大きくて、こわいから近寄らないべきだと思う。意味が分からないし。なんで人間になついて、しかも鹿? 造形大いく途中の馬舎で走ってればいいと思うが。ずっと。
 なぞるパズルの普遍性。
 振動してはララとか喫茶とかいって、変わり果てた、説明不可の町のどこかで咲き出すのは……アスファルトで固められた駐車場のすみのスミレなのだろう。人間どもが消滅して、世界が平和になるのを待ち望む生態系のぬしは「海のぬし釣り」とか言ってて、鯨囲いに国策つぎこむ税金泥棒でしたか。下劣下等、自称政治家、実態馬鹿は死滅しろ。
 どうせこの世って、社会でしょ? 社会は勝ち組ですよ。なに、馬鹿でもいいんです。サル山なんだから。ええ、お山の大将さまです。
 あらまほしけり愚鈍のzoo。あかあかと染まった地平線やら、一日がはじまり終わり、地球が回転する太陽の回りを回る月が回る銀河系の中心で、ってまちかまえてる幾つもの、いくつかの手裏剣でスーパーマンをやっつけちゃう忍たま級のしょぼ弓道でさあ。子供染みたクソ低知能の専門にいた雑魚教諭の顔くそ、死ねばいいのに。今過ぐに消えうせればいい、センコーぶって頭が悪いんだから生きているのが罪なのを気づかせるべきだと思うわ。そいでも図々しく馬鹿の頭脳で教諭ぶって、あれだけ偉ぶったんだからかならず地獄に堕ちるのだろう。俺は奴の顔の表情のすべてを悪魔の形相として記憶している。
 なぜあの馬鹿に教育されに学校に通わされる? このサル山では。ザコを一人のこらず殲滅させたいと思う。だが、それもこれも法律と、精神科医どもの合理化で押さえ込まれるだけだろうがね。だから永久に金儲け、終了!
 この世は。
 イミキラウ。
 とり小屋に入ってウサギを殺し尽くした小学生はきっと、ゴミ教師の首の代わりにしたんだろう。それも賢明だ、何しろ自称教育・他称独裁の搾取対象になるしか義務奴隷の生活形態は経済原理下で許可されない定めさ。また生産される子供は地獄の中でその底の底で絶望し、絶望しきってはか弱いウサギでも殺して発狂しないままオトナになっては社会で、逆に弱者を搾取して繁殖すんだ。終了!
 海のいきものか?
 陸の生き物でさえその程度だし、どこにも理想郷はないな。全く。ありえません。
 永遠においたてられる生存競争の輪廻です。たのしくわらって慈悲ってませ。わぽぽ。ん。いいのか、それで。
 ほちゃらちゃら、ぺぺ。ぺっぺ、つばぺっぺ。
 いい加減、いい加減。
 きちがいだな。きちがい。
 方便だよ。くく、ケッケケ。などと笑うのじゃった。
 実しやかに語られた辺りをとりしきる朝もやの中で、濡れた頬をかぼそい手の甲でぬぐうより他。なぜ泣いているの? その咲いたばかりのたんぽぽの子は、薄紫の名もないすみれへ語った。風よりほか誰も聞いていなくても、奥山では誰もかもがうたっている。杉林のさわさわと鳴る音。
 遠い喫茶店にはすこしの空気しかない。辺りにふんわりと舞うコーヒーの香り。こちこちとなりつづける古時計ぶったデジタルの偽者、あとは通り雨にすっかり湿りきった、ガラス越しの庭景しだけ。空気がとまり、魔法がかけられる。
 大方止まればいい。
 多分、そうだなあ。神々しいふりして暮らせてりゃいいんじゃないの? このよって、そんなもんなんじゃ? なにもかも、平和なんでしょうにね? 人間なんてそんなもんなんだよ。すべての涙が乾くまで、とある真実を英文学のすみに穿たれ、討ちとられた意味のない、誤って植えられたアポストロフィーを探る時みたくふと、なにかの拍子にステキな宝物として見つける。それで気が楽になる。すべては宇宙のしかるべき場所におさまる。それで完結なら?
 絵巻ものに来た終わりと同じで。人生の終点に近づいた予感がすべてを、雨色に浸した晩年のうめさめの様に、芥川龍之介の目にうつるじくじくした庭のアジサイをきみは、再び咲かせることができた。それでなにが変わるというのでもないんだろう。ジジツはまき戻されない。きみは二つともない都のはてから海の底まで、天空をはしる大昔のお城から、宇宙の外れにもうけられた隠しほこらまであまねくサーチし、シーク後プロットされた文面で大塚あたりの路上を散歩させられている、どこにでも居そうでもある、なんだかわけがわからない不可思議な雑種の犬ねこわんにゃんくんと同じくらい、京都駅界隈のいいともわるいとも言い難い曰くどうでもいいような複雑ぶった通路ごとの、階段だとかなんだかな形だとか色だとか、で外人向けてハイパーノヴァぶってうろうろ片棒担ぎの修学旅行でもしてりゃいいんだ。かれらにはそれが至当にも、不穏にも感じられ実際、違うかも正当かもしれない。花やさんの床のコンクリートの湿り気、ピアノマートの棚いっぱいに詰め込まれたシングルの短冊、けれどすべては時の流れのどこかへ失くしてしまったものさ。失われゆくものが慈しい。
 制度に押しころされかけている数のかぞえきれない子供らを、我が物顔で説教するあの文部科学ダイジンどのには多からず正義という名の狂信があって、きっとなにをか教えてあげても決しておちついてはリカイなされないだろう。だからと言って。冷静になれよ、ロックミュー自社んなか頭からっぽで中身は虫。そんで鈴虫以下のうたうたってぼろ荒稼ぎで、馬鹿見たくステージ上でぱらぱらしてよく恥ずかしくないかとおもうが、低脳だけに高等技術だと信じて土にかえる。さくらももこの描写したつちのこ以下の価値だな。
 ロックとか言ってんじゃねーよ、ザコ。消滅して宇宙に謝れ。はあ? 素でなんなの。
 む。人生なめてんの? 率先垂範とか滅私奉公とか傍若無人とかあ、四文字熟語ならロックブンガクなんですか? って。馬鹿みたいな歌詞カードかいてんじゃねーよ、ザコが。それで必死なの? そいで?
 また必死なの? もう諦めろよ。意味すらそれでは。
 どうせ虫のまねなんだろ?
 サル以下。きゃーっ。
 趣味ぶってぎゃあぎゃあ騒ぐアホ狂った連中に混ざって発情したメス豚が、ぶうぶうほざくへんなコンサートに一度あしを運んだ。二度とくるか、と夏に書いてある。兎に角それもひとつの真理として伝えるべきひとには伝えられるんだろう。碌でもない無駄です。
 サークルとか言ってあちこち遊び回っては「ニセリベラル」ふうジ堕落の教養で学生おわったら社会に羽ばたけ、ってどこそこ書かれてるんだから、卒業証書やぶりすてマシンでいいんじゃん? お前とかも平凡さは分かったろうから。だけは。きょっきょ。
 半無能教授への貢ぎ合い、そんで企業の合理差別に甘んじて身売り、まただ。ほら悪夢だ。ほら、人材砂漠。家畜の骨売り。きょっきょ。また世界支配だ、とかほざいて評論してればいいんじゃ? 大統領席がそんなに恋しいとでもおっしゃりたいのでしたら、俗物の称号だけは永遠でござい。きょきょきょ。バンザイ大衆社会、吐き気しかしない。
 ない。で、中産階級が勝利したらデモクラチック フォーエバア ララバイなんっしょ? ラッキョさん、いい加減。軍人さん、戦争ごっこやめてもらえませんかねえ! 喧嘩しか能がない頭がサル並なのだけはよくわかったから、「暴力でものを解決しようとする」人は山奥で仲間らと永遠に、やっててもらえませんかねえ、それ? いくさごっこはいはい、どうせ兵器実験しかおままごとの仕方さえ気違い右翼にはないぞよ、とかねじり鉢巻して殺人なんでしょ、ゴミ人種は? 自称自衛隊、解釈改憲で国粋軍備、ひとりのこらず死ねと思う。魂ごと潰し切る。位牌。言論統制合戦、政治権力でなにもかもを粛清独裁、人類全滅、それで満足なんだろうが、この天才へべれけ。ちょっとお、ボーボボボならわかるけどお。
 また漫画かい? いい加減にしてな。
 だれと話してるんだ? 壁に向かってYボタン、壁にうがたれた監視カメラに落書きした銀行家の暇つぶし、100円ショップでいいよ。それなら。それならね、どうせ。
 冗談ならね!
 必死で稼いで家族やしなうんだって、それが正解。そいで安泰。万物無趣味。このヨをば、生殖とぞおもふ工業の、傾きたるもなきと信ぜば。だからなにが変わったん? 便利になっただろ、とおしつけがましく書きつけてある寄贈の手水鉢くらいの邪魔さで、死なずにあふれる機械再生産流通用の機械人が、お前に脅しをかけて労働奴隷を名門大学から偏差値順列で引き込みます。流れ作業で幼稚園児から胎盤未然までを貫き束ねて、サクシュのため労働させる。すべて、あの政治屋どもに貢ぐために。便利になった生活の終わりに、すこしはましな石の墓に散骨されるためだけに働き、はたらいて生産しては土に帰るお前ら人類になんの真理だか目的だか、見つけられるっていうんだよ。僕は奈良のトウロウ祭りの路上でどっかの知らんカップルを眺めて思う、そうだなあ。古代から現代までを共通項でまとめるのが生殖本能だって地方の知らんおすめすらが説明してても、それがむなしくしか感じられない。きみらの快楽だか本能だか、どこにも救いの余地はみあたらないな。そこにあるのは永遠の戯れ、遊び超過ぶった奴隷労役へのいつもどおりの順応だけだ。「僕」はそれだけのためにこの世にひきずりだされたんだっけか? くだらなすぎて笑えない。ほぼ上方級。
 建設され続ける都市。大阪道頓堀、繁盛したら橋でも阪神でも建て増してはまつりあげる、飽きなさ。変な商い人形がひげ面でカネ儲けの真髄をきみに教えようとしてる。でもそれでなにが終わるの? はいはい、また寿命内の解決なんて、どっちにしても努力だけでしたって書かれてる。なんのよ?
 どうせまた人生なんでしょうが? なぜそのくりかえしを一々、くりかえさせられなくちゃならないんだ? きみは本能だけで生きているサル山にまぜこまされ、まぜごはんみたく孤独の底で泣いている。図書室の隅に捨てられた漫画偉人伝みたいに、くりかえし人生を復習させられるだけなのだ。それで? おカミ頼みならお前を救いもしまいし。自然の闘争しかこの世にはないのだから。また通うんだ。学校、会社。往復したら死ぬんだよ。あのあらひとがみをなのる気違い狂人のためにね。
 生き抜くライオンは、食い散らかすリャマの肉になにを見るだろう? それが育て上げた蛋白質へ、分解されていく血糖値の再生へ何の想像力をたくす? 悠々と青い海の真ん中あたりで泳いでる、シロナガスクジラにもかつて夜郎に捕獲された悩みはあったのだ。シルバーシートに座る松たか子ばりのつっけんどん、な反抗期の青少年にもかれら也に考えとやらがあって、能才みたいな満員電車でねむりこけつつ会社に通うどっかのオヤジはんもやはり、カラスみたいなものでしかないやろ。餌場へ通い、目的物を持ち帰る。そのくりかえしがかれにとっての本能らしげなりき。「資本」とかいうゴミを我先にとあさる大量のカラスどもに混ざっては、きみは数ある電柱のてっぺんからやつらの醜態を眺めている。いいかい? 飛んでいく先々で気づくのは世界はどこもかしこも同じ、同じ。
 って。
 始まった頃から終わりまで、存在するのも厳密で、緻密で最大の幅、機会、理念と禍とを総合し、二面であれ十面であれ、理想、まとめたれらる。チクリ魔、寂々、天の邪鬼、地図からに、てか、そうしてみなせえよ。まっ逆さまに走り続けるマウンテンバイクの車輪。充電中。
 ほんで? 何も、何も、かとくらすいし。田倉ちょっしさみたでね。仮面か、過当だな、順当たらしばね、そうかしねとば、したくなら地苦瀰の疾患かとぞ晴らす。でこうね、私らの信じられた、人事られた芝居、ああたは。あとからあとから湧いてくる期待ぼうけって、なんぼのもの、浪速ものお、大阪人かよと書くのですか。分かったら返事を下さいな。づふ、ぢふ、たっくらんね。内装、暫くはで。アトライクゼム、イーズィーライターシュバイツ、めってら本数。もともとあとね、くばられたの。鼻先で豚のトリュフ探しにつきあってくれるポーラかとみとむれり。天井から降り注ぐ、ふりかえるキット、メイソウ順に並べ替えられる、ならびかえられすぐに、全体が復興する兆候が探り出されれれ、れ。ラッとラ半増し。ちっともさっともない。波川。
 みっともぱっともないわ。え、それって……。そうね、そうそう、涙ソウソウからしな。そうだ、そうそう、沢山のーおちつく雰囲気ごときがムーディーに展開、カイテン、辣韮のみでパートめんとライスハウス、違いのさばけ、ホンマチャチャ。ラチャってチャリブイヤ。
 あっ、はっと気づいた。気づきました。
 ははっとモンキー千葉千円、ふらふらみたいにゃ、全くな日比野の野郎。消せ。
 下らない世の中。下るヨの、さなか。束になって走り出すのが意図もミミもないしんがりかと、芝のはに、サブリミナルlanguage語ってみじゅじゅ。ハサミね。まさも、さかみもおなしくらしくしてますぞ。タコウ、多項目Theミットランresponceれたビリイヴあ変えて奏でる宙のウからきこえたます、なあんて。
 あとね、あとと。なもね、なもしか。
 あーきのゆーうーひーにいー てえーるてーるーもみーいじー。うたった! ちるちるミチルの密集があ、ランホテル三ツ星ミッテラン式な、意図も糸巻きも通ってQですな。カタチで。しもじものほうで、さぞ騒ぎまわるサルだら、ざるだらが、走り回ってます。つまぬ。略でっほ。あむいねえ。そうじゃ。そうなのじゃあ、びびびい。
 びびびび。ビビー。ジリジリ。
 んなんのビーム? びびび、びびびび。いたた、こりゃ。あたってますよ触覚。え、ありさんなのけ。くっ、ふっざけ。
 ふっざけ。と、二回目書いてありける、まじで。
 稼動中の文明系、あたかもさながらまことに不死身ぶって注意しろ。してろ襲い継ぐ位、名の有る下には虚ろな士なしだとか、どうせ真面目に言ってんであろいし? すぐに思いだ寸。雨に流れそうな山形の地方にかけられた、名前も忘れられし看板、看板と雨の色を。名も、名前も名字さえそこには。何れ目星をつけて探すんだった。一番星が西の空に瞬く頃。すべてが暮れきってしまうとき、街はいつものにた表情できみの目の前に覆いかぶさる。だから云っただろ? 口頭試問、大学院入試だかフェローシップだかでさまおい、さまようだけの人生でも学問がすすめられられ、られるのれすら。遊びなんですか? この世は。戦いだったんだ。いつならでしたか? ほとんど!
 フンボルトの卓球少女風。蒲団レベルかと思う。もうよむきすらなきにしぞ。
 下らない花袋の作文をすべて破り捨てやす。よんどころ、もとないけど。価値観、記録感、温泉のお湯であらわれるなんの魔術なんだってさ、なんたってみずからの、みつからの不磨、まきいろでもとめ、みなももさぶかれ、貴方もきづくのがおとすぎた。さぶかるれましたな。
 大根の川面の流れけり。ダイコの川もけり。ああ、はいはいplastic songsなヒットね、そうかいそうかい、会津稚内、めったにないいぽぽ、もっちゃクラジかとも、もほらぜるわ。貴様らの程度に、なにが真実だとか空前絶後のはっぴめっさもっさやんだか、なんか、くたらねえぐってられんのすか? そうてもなく、維持万能礫苔裁けて額の数も収支、収集つかぬ全体反応でごらい。振動乗数、ドイツもコイツもクオーツであられども、こちこちチカチカ鳴りやがるぜ、っとかはべめれば構うまいとぞ述べりたもうべ。たかせてました? はかさしめしてまさたす。大体、実証せられる問答が実情に即したととほとほと、くたくたのT型シーツかとなまじ反動されまし。はや就中されざれした雨のねにこそ、さっぱり喧騒の切り札らしげに響くのだ、ったら、おっとっとった、てやんでぃヌスットなスヌーピーキボでパパパっと花火じみて。強盗とんがり、強化にゃ守備のぬぬぬむ、そうじゃま、手につかずのく台、きこしめすらしき。
 ボクーそれとっちゃだめ。ちがゆもん、だもん、もってゆだけやもん。てつかずのジネン、だから? 広げられた遠足であれ、運動会であれゑいろとりどりのシートに横たえられるお弁当、それから。
 魔法瓶かされた水筒、手に入れられたルビー、まに落とされた亜麻仁油、順繰りに、はっとするほどかchat門地ゐの門出、門松ラガー少々、ハイ三分後どうぞ。
 かれらの殴りかかる、かれらの殴り限るカジキマグロが遁走中の稀代、裁判だか祝言だか。メラメラ燃え滾る流露だって甘露に属して、小児科のタナに並べ、られ慣れせられしそれらは近くの、薬局等でね子供らしい顔を輝かせて幼稚園だってね待っててねえ、まち続けるであられような。ラッパ吹きの再現も終始、土壇場でかざしたスカーフキッドらったらヴューの目の前にそ、お前かってこと。しゃらくせえ、これっれ、そなことゆな。サマー自腹なんてって回った地球の北側でさえも、半年ゆな、公転ダラーの配り損かとラッラーのたなごころによきみなものに。ちっちち、ナパームドムス。たたたた、走ってまちがう、混じってさぶらぶ、どこぞへきこしめすやまとうたぞと。のびびっつ楽そう、地層にうめられた梅、だから禁じ手はかのコースも目測LIVEからしなでんがな。イガイだなあ、よんどころかい黙祷ジャジャぶジャブなんぞ。かれは海辺にすわって、くりかえし打ちよせる波をながめて。ハムスターの気取りみたく、のみたくもないコーラをどぶに流すメリケン粉の塊、堅物、お地蔵様のおべべもあかみ。駄菓子やのさ、くったことないあのすももかとも思ったんだ、どぎつい色。プラムは光り輝く、いろどりに店られた梨農園だって、ブドウ狩りの技法だってかかわずらういとまもなく、いとまざえてなくてに。つきっきき、キキの乗り込むはジジの鈴もドラミでありましょうの、ドラソミではあろうとシュプールひこ描いて猫のスターも借りたい日暮れ小暮でごじゃりまぶるぅ。さ、だって、だってさなんだもんってにょ。何もない。だってしかない。っさっさ。
 デモンジトレーゾン。それがあなたの従順なんてそう、ぬ? とか金田一わだつみの似た、たたらフミのびた美もの、あのねえ、anonymousにあのニジマスつり以外あてられないんだよ。それでも、常軌を逸さないって、念じられた? なにをきいてるんだよ、なにがきこえてるんだよ。
 側転側転、ひた走る路面忠恕の網目。そのうちね、十戒もpickedメンマで、かなぐりすづる。アガサ・秩父人がしょーばい塩はゆ、ちょっばじれねぇなあ。さもありなん、カラーYMCB修士号にだってテクニック次第で、媚れれば安泰だからってほざくザコがえらぶって、ひとりのこらず死んでいくのを眺めてやした。やがて何もかも、この世から消え去るのも必定ならどうせね。だって。
 さめました。はるさめ直下、青りんごのね、ガム。うん、うんとね、まるいキャップのやつ。たべたんだっと。ガガガSP、天道説もひっくりかえったカントな進化とメタボ、自己侍従で沿道に旗振りマラトン戦士。本日も苦虫ふりきった顔でどこぞへ? どこにもだ。
 僕はだれでもない。ボクは。しもべでそうから。なんでそ? ちったら面相ずつ、バジルみたきゅ順応シュミ列そうパンダじゃん。 西高東低の気圧カモミールでまずいカニめしでも食おう、オランタンに賭博ロゴスありき、いつぶりなの、いつかごとなら、それも歩道橋にかきつけられたトルの足らぬトルソーにな手間取ってんだ、ってそ。運勢、粛々と経過する市民演説、あとは町、知らない街といえ、どこであれどこにぞあれ。かれらにもだれらにもね、過ぎ行くだけの世界、すぐさるだけのユニバースに尋ねられた真の祢、結晶になった記憶の様で、拾いきれないな。拭い去ることさえ。
 どこになくしてしまったんだっけ? いつかの。
 しまってある、と思ったんだが。既に、既存のあり送りはデリバチヴ、コニチワニイバオ。仕方あるまじき、クレクレの用水路ではねかえるだろうならば、合理化された倫理原則だって甚兵衛ブトンよりはまじでさろうし。あんねーモックアップに透かしたら、発見済みのティノチワカン遺跡、イシもミニシも仲人で解決ってんなのけわけ。
 カップぬーぼー。そんなのもなかったか、ウルトラ分かる上々、らぽーヌふんぎりってな感じ、だもねー。たもぬーめえ。
 そんなお言葉はな、ミタっぴちっとって伝えてくらばい。魂胆であえないな。カンタンなタンカにカーポートつけてCDの、minimumize気おこさんとおとなじみて今、来た道をたかめてほよ。タダノ偶像では? なんにせよ、移動お坐す神々の一元化もラッラーな、ぽぴぷぴっぽい一神教プライムで取引されがちでおま。Primitiveミュート押すのものぞむ一手なんあれ、コタツの上着に隠されてどっかいったのであった、丸々。書きかきなもなも、ねこなこなの。どすこいお堂、まちめにしまぞうぜ。
 四合院とか、中国様式ですよ。分かってますが。いまだに!だ。
 また日本風なんで、どうか読み飛ばしてみたら。しってます。しってまま。
 ふっふ、ふっふふふ、それ。と、テレビは言った。どこれも無駄である。どこれって。
 その蕎麦屋の上にある何だかアパートの一室で、きみは石神井ぶった空が曇っているのを見たことある。ほんの一瞬で、なんの特筆も躊躇もいりそうにない記憶で、殆ど過去の情報に過ぎないのだけれどきみは、それが単に18だった時間のゆえに貴くあかくも感じられる。実際その頃、きみらにはなにもかもが新鮮だった。街はどこへ出ても新しく、身をつつむ空気は底抜けに鮮やかだったので。けど、そのときに感じられた、本当にゆたかであふれるばかりの体験は、きっと僕の遺伝子が発現する途中の可能性のどこかで眠りこけてしまうのでしょう。そして誰にもその風景は見えない。二度と。
 僕にはすべてが完全にまばゆく感じられたものだ。それも気の所為、と言えばそうだが。ともあれ実際にです。
 でも思い出を語ることにどんな意味があるのか? 他人にとってのそれと照合させて同情を買うとかなのでしょう。小説家とやらはだれもそうしているのです。けど小説なんかに興味がありません。そんなものでも磋來の食じゃなし、お抱え運転手に頼んでおくほうが余程賢明だから。そもそも下らない出版社に投資するのも馬鹿げています。だからきみは、それをひっそりとノートに書きつけておくだけでした。ノートは風に舞い、ばらばらになって海へ消えていきます。まるで今日マチ子の絵みたいに、です。
 あとには波の音だけ。僕はそれを眺める。
 風が通り抜ける。波のをとを聞くかもめ。
 綺麗な思い出。今では? 知性に寄与する、貢献者が尊ばれる地表。だからというのでもないけれど、生まれては壊れるpopuralなシャボン玉だってキト「綺麗な思い出」に他なるまい。それは風のために空を飛び、この海の向こうに居る無数の花火を映して虹色に輝く。大胆に戦い挑む蟷螂の斧、ろくろが回るたびに整えられる型、ふわりとして東京から届く仏壇前のナボナ、でもね、運送されては消費される沢山の食べ物からそれが、成層圏をのりこえ、ウチアゲラレ星屑sunsetだって函館出身の証拠だろうわ。でっでで、足袋の信念、デデデジゥデガズ、さらば。きえてく。単にそれだけの。鷺んち、大地ごと浮いてはいたろうが。鉄棒でまわる。踏ん切りつくべきお餅つきの朝ぽらけってんにゃ月うさぎもいませんよ。だよーだ、織女ならちょっとは。たもてたもて、てぃもてな上等メラゾーマっし、んぱぱぱっパ。日暮れ。レッツEnglish?
 殆ど冗談じゃないですかゐ。ボぽんと砲台ちゃないぺすぽひ。発音が似てはいたが。だから? 宝? むぐむぐ。たべてんです、ちょこまん。だからあ、スパーでかうの。そこの。若狭にきいて。にて非なればこそ、だが。煮て佃煮ならばこそだが。ちがいます。
 そうです。両津では?
 すご。かえるおとじゃないよ。
 がえんずる義務すら。気配さえもが。関東バウム層ですらも知られざるケーキ屋じゃ売り切れです。そうかえ、テケテケきりたんぽキボの牧場ゲーム風であるな。うむ、よく並べられた単語だが。そいで?
 おしまい?
 マリオの三面とか、すぐに閉じられるループとかマリオネットされた土偶戦士のボミオスもまっとうだって願われてた。願掛けたって落ち葉公園ではベンチにぃビックリマンカードのヘラクレスとか裏に張ってありまし、街頭、念頭、毛頭さばさぱと遊戯王とか味意が分からんシャギーでしたね。テニスの王子やら様やらとか、どこに消えていったんでしょうかあ。あ海外か。あのねえ、あんた考えが杉なの。えっ、はっきのう並びすぎたビッグスプラッシュ・リバースの悪夢か。また二度と乗るか。
 こわすぎ。
 意味が分からない。さえ。
 危なすぎ。
 意味か、かからない。
 ななも、なもかない。
 クク81、タクボク詩人一、794うぐいすうぐいすもち、4989喧すしく照応。喧しく合同、反転16面体かけるヴィブラフォンZ。まるう。
 え、工具ふうらふらゼルダの回転斬りB長押してをにゃ、3Dキー回転させながら話す、上上下下左右左右AB、チャララララーン、実はそれが合図となって一斉に開いた向日葵畑だったんです、昔なら。
 校庭の、ほんのつまんない一角でした。
 その日は軽い雨で、しとしと窓ガラスをうちつけるくらいの。あの私なら、いつもの教室で魔法にかかった様な授業をなんとなく眺めていました。先生ときたら回転楕円体の体積を求める方法を論じておられる。てゆーかーチョべりッぱってゆうかあ、おほほ、わたくしのご機嫌あそばすカフェテラス燦々いかがかしらなもじ、ことばになってない。ことづてにすら。古河トーンずら、およよ、うっぽうっぽ、どっかで聞いたなあ、どっかで話したな、ソノシート。白く塗られたペンキてッド寒暖計入れだって池之端ジャズィ主義でゴマすり自在なら、酷くむごいジジツであらます。動詞句すら自作。まったくなってない。並みの小説家であるよ~ら~メンマちきちきもうー。混ざってるオテンバ姫、あっちよ。
 混ざりきってる。ふざけた巫THE化じゃとぞ。邪知奸佞で馬読んで圀府とか、それどころか。共産雷鳴 轟き青年期もウゾウムゾウのチミモウリョウ変。様変わりした人道指揮まと荒野におりたつ荒地のうだつ、ぱおぱお、薬やさん前の象さんのお頭サイレン、戦闘体制よーい、っンてれれれれ突如のびました大マジーン、マ人ごりらーの突撃体調どっど、どどどむめりめんぐどごーん、つくしの子がさっきにょきにょっきってね、野原で雑草でね、はえましたとさ。お芝居なの。ううん、それコクーン。
 タンタの冒険絵巻。はじまりはじまりい。
 そういうことなの。私がタタ多、テジジジ、私がね、バーチャロンより……私がバビグペパポパ突然ですのニュースでした。ツベルクリン反応ででで。再送再送、逆光ラベルに播磨のフ。どこぞのお姫しゃんかね、そうですわ。わたくしめが変な、ともうしあげますか辺アのあんみつじゃなしにぃんーと抹茶姫ですわよ。あ、やめたうんと、うえうゑ、キントン姫じゃなくてゑ、きつねとたぬきといぬねこわんにゃんかしら、あとどちらかともうしあげますとばうわうなワギャンランドにてバトル姫かブルースカイのかき氷シロップ姫とも存じます。少しちがいます。どれもです。わたくしはかさねてもジュリエッタ姫と申します。なんだつまんない。
 詩人に梔子、鼻向けの花言葉であります。霊魂鎮魂か、大分惑うのも、うどの大木さがしなジェジェの餞別でした。ジッタイ、鍵された扉、楔された箱のこと、ですぞ。わずらいなく暮らせてましたと古墳ピラミッダー交渉中にだってイッショウは、よう過ぎ去りんす。名もなき農道をこてこて歩く、ありく中みちにみた。とってもつもない緑ぃ田んぼ、夏の頃。あれより綺麗な世界がありんすでござんすか?
 あけいろの絨毯。でもそれも米の消費規制だか輸入制限だかではつぶれ消えてしまうんだってね。外人の侵略、国人の裏切り、集中豪雨な製品輸出、海外移転と産業階層に重なりおしつぶされてく見えない生物群が、叫ぶ。泣き喚く。君はそれを聴かない。君はそれがとるには足らない意見、だとすら思う。されど、必ずや因果はめぐって世を直しめすのであられようぞ。えりすぐれた秩序はどの階層であれど、腐りしものを消去す。だれであれ。どの栄華も消え去る。
 結びのみち。すべからく あてなきものぞとも、ラッタラッタtelescopeっぽい時貞で、のびゆく日々のさとり、つぎたすのも億劫なこっちゃて。デイジーさんがあからさまに平らかな やまと平野をたずねますからね。わらわらレック、イヤダナ、劣ったコンサート騒ぎも二本足虫のおまつりさわぎだからって、わめきちらすなおかしな人ども、あちこちへやさてもさても、リアリティです、うつしみですとや、なぞの。
 どんなに昔のことぶきでも、かみしろのやしろへたてまつられしジパングののりと。穂を刈るてに握られた石をこぼれおつる稲の粒、お日さまにかくれましてきらめきたもう、雨云のいずこへ、たべられた貝がらのすてられる穴ぐらへ、うみの声、と山おくのねいろ、うつし世へくべられたよりともよき思い出、だけれど。
 猫バスの走る街、月咲雫の追い駆ける白猫の辿り着く雑貨屋さん、どこにでもありそうな風景だけれど、日の本を隅々まで見渡してはいたが、いたとして、小話。ちいさくとかれしまことしやかな。噂。たれもなにゆえ語り草に過ぐる、一世のことづてであろうか。ダランベールであれ二宮金次郎であれ、現の象へのせられしとぞ本にはありぬ。
 レッツラゴーグル、とかつって世界侵略してましよ、あのやからさん。いいのいいの、おつかいでちょ。いーのいーうお。
 変な言葉遣い。もうやだ。ぷっ。
 タッタタタラタ、ラッタらタラタ、まじめに演じたカブキとはなんぞえ。これぇ、ちったあ勉強しなせえ、世の為人の為で御座ぁる。んだあ、ぜんまい侍のやつめ。日が暮れます。
 下らない、劣った授業列、まただ。また下らない下等の連中に試験あそびで付き合わされる。意味なき暗記の繰り返し、価値のない強迫観念がらみの反復行為に同じ、それだけの為のゲームに。忙事、忙しい事、businessビジネス、economyだって、誰に向けての信号なのさ? またカネ、カネ、カネ、時間をすべてカネに代えていくキカイの量産ゲーム下へ編入れ。気力? なんの? 叩け、叩け、闘って打ち負かすのだ。なにを? 神は君の前に立ちはだかるが。
 むなしい、なにもかも。連続した変化と永遠の冒険。むなしい。本気で? そこにはゲームが行われている。さあ、参加しろよ。本気になって「カネを奪い去る」んだ、社会の弱者から。法律というルールの中でならどうふるまってもいい。それが「現実社会」のすべてなんだろ? お前も。子供をどんどんと共食い地獄へ引きずりおろすゲームなんだ。
 経世済民術、まるで繕われた魔法の様にお前らを、とりかこみ内側から突き動かす原理。明日も、明後日も。未来永劫につづけられる人類どもの繁殖劇場。さあ、ここがお前の故郷だよ。再生産される畜生の一匹、君にも理由やら原因やらが知れたらなぁ。考えるだけの頭らしさもないお前には、永久の同種間競争がお似合いだ。SERVICEという名の仕え奉るたのしき技術にはいずれ演技力をとぎすまし、決まった崩壊までの∞ループ染みた儲け遊びを夢中でくりかえすのにも、いつか救いが訪れたらなぁ。現世利益、それが貴様らにゃ幸福の定義なんだったろうに。繁盛、繁殖、唯のサル以下の下劣さで次々にあふれる生き物を殺しつくし、利己心以外に特長がない大阪人並みの野卑な下品さ見苦しさにみちあふれ、なんでも煮て焼いて食い散らかし、お利口ぶってタダタダごみをあたりにまきちらす。偉ぶるだけがとりえの無能な生命体。人類であるが故に選ばれた? なんの思い上がりだ。
 星のまの屑の癖に。
 普遍の回転を前にして、お前など唯謝った情報エラー列に過ぎぬ。つぎの瞬間は再びもとの自然に帰る。あとになにがのこるだろう? 誰も覚えもしない、なんの役にも立たないお前ごときが。朝から晩まで金儲けしか意いにないサルが、なんの誇りに足るのだ? 仲間の繁殖をあとおしする振りをし、本当は自分だけ得すればいいと思うしかあれだけの教育にもかかわらず能がない下劣なお前ごときにも、一体、救済への道などがありようものか。何もない。あるはずがないのだ。
 すべての栄枯盛衰を越えてのこるのは神だけだ。それでなにが困るだろう? 元々この世にあったもの、この世のしくみをつくりだし、さいごまで運営しているもの、あるいは知識人どもが吼える大理想の如く神の名の下に見当づけられたそれがこの上のない考え方なのだとしてだ、人共がひとりのこらず消え去ってもかならずや神はそこに居られるであろう。なぜならば、人が居ない世界にはその様な理由づけすら無用なので。
 誰のための声?
 誰のための
 君は夢のどこかに歩く、一人の
 けどことわりもない。君は、
 閉じられる扉を探る、それで
 物語も終わる。すべては
 一時の、お遊びであった
 大体がはじめから嘘だらけ。この世は。それで満足して死んでければなあ。けど脳があったんだって。そいで騙され難く、決して人々を信じ込ませれませんでしたってさ。ハハおっしまい。
 そういうなんてこともない説話物で、たのしいんだかむなしいんだか何なんだかで、適当に今とか今日とか言ってさ、ほざいて旅行地図だか見てみてんの! 人間どもの乱舞を眺めろ、と命令されて閉じ込められた浮き世でねえ、たった一人で、雪の降ったあとの墓場でね、君は夢を見てたんだろう。
 赤い実、雪ノ下に竜のひげ、注意深く包み込まれた可愛お饅頭の売られる店先、ふわふわした雪ウサギの手袋、どこまでも透き通るあおぞら。でもそこにはひとときのなぐさめより他、まじめになにもおしえられてないので。
 まっすぐに延ばされた道路、アスファルトをきるシャリンの立てる音、雪解けのしばらくは。ぽたぽたと下水道へと、金網から落ちていく、音々。肌を刺す冷たい空気、草間から顔を出す黄色き花、コンクリートの上に落ちかかる影と、誰にとっても人生として感じられる瞬間がつらなり、重なってようやくは。田んぼの上をはしる一本の道を区切って、カラフルな三台の自転車が疾走した。ゲームセンターに向かう少年らにはそれも今ならという楽しみが魅せられていた。僕はギアを二番目にいれかえてアクセルを吹かすだけではあれ、風を切るからだはまったくちがうスピードによく慣れていく。あたりを取り囲む超高層のビルが「風景」を当たり前みたいに支配していっても、真夜中の生ぬるい風が君の現在をうす暗い灰色の絵の具で一色に染め上げるだけだ。海からの潮混じりの風、潮騒、国道の上を通り過ぎる数なきヘッドライト、途切れとぎれに、一人きりで電車の窓から眺める一組の目玉はなにをおぼえているの?
 その電車を見送る。ふみきりはしばらくぶりの復活をし、必要な量の車を、交通量をどこへ経過させるのだろう。なにをおぼえている? 大切なものは、なんだって忘れてしまえるもの。口に出さないせりふなら、どれもね。テレビを切る。下らないメロドラマに酔ってるどっかの中産階級の娘程度なら、地球中に吐いて捨てるほどいた。そして現実にかれらに対する共感もない。
 用意されたとおりにしつらえられる菊、菖蒲、壇家の為にいつの間にかとりさられるあの世へのみちしるべ。一つにのべられ回り続ける世界では、どこへ出かけようとも急度辿りつくのはおなじfloorでしょう。目の前で散り去る、数え切れない桜の花びらが教えていますよ。あなたはどこへ行こうともきっとかならず。
 説明書どおりに生きれば助けられます? 渦になってめぐる組織の片隅へ居場所をつくりあげるのに必死で、あの蟻さんたちは生きては死んでいく理由も、因果も決して見ようとせぬでしょう。あなたにはかれらとのダンスが生き甲斐なのですか? それもこれも、どれも。夏休み、海岸線。ありきたりな海水浴場で足の裏にひりひりした砂の感触をひとつ、自販機で買ったカップヌードルのシーフードのカニかまぼこへの突っつきで誤魔化す。ささやかな波の崩れる響き方。ビーチパラソルの原色の鮮やかさが唯一、人類への恵みなら? だれにとっても一生は過ぎゆくだけ。満点の星空へ祈るが穏当、だろう、キャンプで焼け残った薪が赤く、パチパチと火花をちらす。誰の為にでもない。神さまの声を聴けるの? ヒトにはもうそれが感じられるというが。この世ではすべて、あるがままでどのひとつも揺るがせにできない法りへ動いている。そして誰に対してであれ、地球は等しくこの温かみを与えてくれている。君は誰もいない真夜中の海岸線をなでる、聴くもののないとても清らな潮風を肌におぼえた。ゆっくりと地球が回り、ふたたび朝の訪れを告げるまでの間、穏やかな侭に、この星に住む無数の生物たちへおいとまを与える彼にとってもさて、幾許の優しさとやらがあったらしい。
 神戸の灯を統べるポートタワーの奇妙な光、少しずつ街が夕暮れどきに近づくにしたがって、人々は「今という日」を大気へと預けていく。それは、地面の奥深くへともぐりこみ、マグマになって徐々に地殻をつくり、やがてはみないれかえながら地軸を回し、あちこちへ渡り鳥を操作していくのだ。月に着いていく海水の素直さ。うなずく子はお釣りをもらう。いつものチャイムが鳴る駄菓子屋を出て、まっすぐに小学校へ向けて友達と走り出す。屋上からみればどこも等しい。かれらはポストにある双子の丘から、一個100円で二つはいった緑の入れ物のシャボン玉を飛ばす。風は虹色にきらめくそれらを街中へ届ける。からす、電柱から飛び立つ。くもりぞら、一斉に埋め尽くす。全世界の全てが回りつづけるのをその宇宙のひとすみから簡単に知ることができる。
 西から渡ってくる雷雲が見える。山あいに咲くわらび共のお辞儀から、次第に路面がくゆらせる新しき雨香り、ダムの水面が一度に踊りだす。軽トラックの泥をひとしく洗い流す様な通り雨。結論からいえば順応しておけ、と教室の上にはじっとりと出所なきあまぐもがかかっている。絶対に正しい真理であるみたいに説得されている、とるにたりないジジツの集積を先生と呼ばしめたどこかのショウジンへ語らせて、国民を作る。まるで順繰りに蓋されるホッピーみたく、君も出来合いのころを店頭であかく示すだけのアルコール飲料であればこそだ、このよからぬ連中とそろそろ仲良くしなきゃならないんだろう? 実際、年じゅうなにも理性というもの、知性というもの、精神らしさのかけらもみせぬサルがキャッキャあたりならまだしもだ、ギャアギャア騒ぎまわっては陰湿な虐殺もどき、犯罪以下の人権否定、暴力どころか拷問のIC、どんな悪業でも足りないほどつみかさねて一体、「学校」。学校と呼ぶこのサル山でなにを「学べ、まなべ」と教えるのだ。下層階級の労働者らには一切の教養も、一切の文化も一切の思想どころかすこしばかりの知恵とやらも、ただただ無意味。そこには永遠の地獄じみた愚劣さだけ。僕は吐き気を催しながら明日も、あさってもこのじめじめとした梅雨の下らぬ教室へ通わされる。君にはそれが「義務」なのだ。この無間煉獄へ何度でも何度でも叩き落とされ、最も感受性の鋭敏な9年間を徹底した苦痛と事実上の拷問学ともに気が狂いそうな抑鬱で、発狂の寸前まで追い込まれ、誰にも相談できず、できるわけなく、変わった口を公言すれば気違いと呼ばれ、あの悪しき王族のしるしをバカの一つ覚えで毎朝まいあさ仰がされては親は、平和でたどたどしい大人しげな子供よとお前らをみなし、教師はグルになってあらゆる陰湿な校内犯罪を隠蔽し、土方の殴り合い、遊女まがいのたえまない嫉妬合戦、何一つ正義も法も救いも求められない「学校教育」へ詰め入れられて最終的に魂ごと殺される。殺されなければ自殺するか、しかしそれすら。君はなんの罪を犯したの? この畜生界をつぶせ!
 どうして地獄に産み落とされたんだよと少年が言う。君は重いランドセルを背負わされ、真っ暗なうちから恐怖と精神の底抜けの不安の中でたたき起こされるのを夢見る。悪夢は続いている。
 現実に、それは君が息の根をとめる瞬間まではてなくつづけられる、現実という名の世界。次々に気がおかしくなって列車へ飛び込む、普段からさえ迷惑きわまりない発狂病人達。なぜもっとはやくしぬのを考えてこなかった? 君はそれらをつゆ空のどこかでなんとはなしに眺め、迷惑そうに屑どもの通う会社への満員電車のそこかしこで、息も絶えだえになってわめき叫びたがる。が声は出ない。君は何一つ話すこともできず、あらゆる知能を剥奪された牢獄の様な「天皇家社会」の一員なのだ。空気が悪すぎる。息もつけない。
 労働階級とか社員集団がそんなに嫌なら、さっさと脱け出せばいいんじゃないの? 国柄からね!
 カネが転がってればだ。俗悪の文明界。表面だけうそだらけでつくろった貪欲なゴミ生物の集団。動けば税だ。俗物がしらんぷりで繁殖する、生物学で道楽しつつ。報道の正義ぶって表面だけ装ったうそ化粧で星じゅうの感覚を汚染する。どれもお前のモンじゃないで!
 絶望を預けるの? どっかの適当な新興宗教へ救いのかけらを預け、満足げ銀行員でも安心ぷり続けていきますか? ほい、満点。ほら天下り。またかよ。受験地獄で闘争だ。やったる足の引っ張り合い、ウわア。
 絶望。絶望と嘔吐。「ダイジョウブ、大丈夫と述べよ」。誰も、誰にもこたえられない問いで君はずっと苦しめられつづける。上には頭の狂った官僚の渦が巻いており、発したすべての言葉、すべての意見を偽善法で盗聴しながら迫害し、ただの福沢諭吉の肖像を印刷した紙切れにかえポケットにどしどし入れていった。君はそれを学校の教室の一席から、真っ暗な外の光景へ投影されたいつもの写真映画として見る。お前ら偉ぶって……日本国、日本国と理想づけられた看板づらだけの真っ青な嘘を。だから? 言論の自由、それでなにが救える?
 少年は先生が居なくなった途端、友達とターゲットを壁に叩きつける。内臓が飛び出すまで脇腹を蹴り上げ、うめき声をあげる弱々しい子供をギャハハと見下ろす。はいはい、またやってる。僕はその仲間になって、「人生の特等席」からサルたちの虐待ゲームへ或る種の共感をもって参加する。実際、誰にも救えないだけこの世は誤っている。偽善でないものはないのだから。
 キリストをまつりあげて八つ裂きにした者の子孫へ配る、姦淫だかなんだか馬や鹿みたいな内容の書いてある本をただでくばる、どこかの怪しい風体のおかしな男が校門で、君らを待っている。どっちが正義なんだ? 君はとりあえず、ターゲットを血祭りにあげなくてはならない。さもなければ次は君が殺されるだろう。
 誰でもやっている真実から、どうして目をそむけたがるんだ? この世では。殺さなければ殺される、それだけじゃないか。なにをたべてきた? なんの理想を叩き込んだって、結果はいつも弱肉強食の中で出る。スポーツ万能、おひまなら成績満点、それですべては解決していく。
 サル山に聖人君子がいたところで、誰も見てない。誰にも気づかれない。仮にきづいてもサルにはそれがまるで標的に見える。法の裁きを加え、さっさとわすれてしまう。教科書に記述せよ、偉人変人と物語仕立てに笑い話のたねにして、ぬくぬくと俗悪な日々を謳歌できるってなもんで。それがサルでしょ? 愛、愛とか。しねばいい。
 虫が星にひっついて屁理屈をのべ、殺しあう。それだけの現実からなにを引き出そうっていうんですか? あるのは馬と鹿どもの自業自得だけ。
 ほら、出世山の頂きでも目指しな。階段なら作ってやるからよ。それでサル王様でもかつぎあげてまとまって粛清してろよ。どこに行ってもなんの救いもない。なんの救いもない。僕は友達とそのサルの中の一番弱いザコを追い詰め、苦笑いしながらサル同士の威嚇ゲームに、たのしみのための「イジメ遊び」へいやいやだが参加する。けどそんな才能しかないんでしょうから。所詮、知性であれ。使い道はそれしか。社会淘汰。
 どっかのサルが発情して運動バカの低級ザルを繁殖し、次々にこの光景がくりかえされる。学校、社会。往復ゲーム。トラックを走るいつものサル友がきゃーきゃー発情発狂させ毎日平和バンザイってな具合。僕は吐き気をおさえながら何一つたのしくない学校社会で適当に、順応してくしかないし実際そうした。一歩でもはみだせば気違い扱いで精神病院へ連れてかれるのだし。自由な言葉を制限され、天皇様天皇様と神棚へ必ず拝みなさい。実際、それ以外この世には何も、何一つすべきことも、できることもないんだ? 少年の知能にもこの世の救いがたさくらいは分かる。すでに産まれたこと、生まされたこと自体があらゆる観点から救われえない約束だった。サルの一員として、どんな理想も永遠に叶えられることはない。どれだけ現実をまともに見つめすぎても足りはしないよ。何一つ救いも、助けも、目の前に広がる愚鈍で、散々な下卑たゲームを止める方法もない。あるのは後ろ足で立ったサルの止まらない繁殖劇だけ。他には何一つないよ。こんな連中になんの救いようがあるって?
 僕は次々にかえられるターゲットをなるだけ巧妙に避け、ボスの手下になって最もおろかなサルを虐め尽くして過ごしていくだろう。本当の話、それ以外に自らの身を守る方法すらまったくない。誰にも救えない地獄の場では。自分の身を守るためなら何でもやるしかない。理性であれ、使い道は一つしかない。生ごみ連中を騙す為だ。
 僕は冷たい目でデカイ図体のサルがぶん殴り、蹴り飛ばす小さなよわザルをじっと見つめる。チクれば次は身が危ないのだから。教師も、親も、法律どころか神様さえそれを容認してきているという。すべては自然で、適者生存の規則に叶っている。いつかこの小さなサルは死んでしまうかもしれない。だが僕にはそれが当然にかんじられる。なにしろかれには身を守るすべがなにもないし、頭が底抜けにわるく図体の大きなだけのボス猿すら煙に巻けないほど下らぬ生命体なのだから。親の出来がわるすぎたのだし生まれる場所を間違えたのだ。この国そのものがあまりに低レベルすぎたのも生まれるまでに後悔すべきだ。
 帰り道にも小さな体をフェンスにおもいきり叩きつける光景。かれの上履きは捨てられ、あしたの学校にも通えないだろう。どうせ社会の縮図なのだから。一度ターゲットになれば二度と復帰できない。死ぬしかない。
 文明社会、平和で、誰も飢えはしない地獄の中でしたたかに生き残ること。一体それがどれだけ偉いというのだ? 僕はドラクエⅤをスーファミに挿しつつおもう。だが誰にもそれを止められもしない。既に賽は振られている。少年の僕は画面から冒険を始める。それで、なんの面白味もない学校にまたあした無心で通うまでは、低級サルの仲間と関わらずに済む。まじめにそれが最も賢明なのだ。安っぽい子供だましの娯楽で稼ぎまくる京都あたりの気色悪い公家っぽ会社員が、にこにこしながら賎しい株主どもにちょっとした配当をめぐらして再び、やつら馬鹿すぎる子供をあの学校へ送り込むだろう。無限ループを引き返せ、と勇者は指令を聞くものか? 冒険心がやむこともない。
 少しずつ町が更けていく。そしてすべてが真っ暗になる頃、君は音もない眠りに着く。おなじ朝が明けるまで、しばらくは何も聞こえず、何も見えない世界で休むのだ。