2019/03/21

脳は専門化できても汎用化されない

勉強しかできない馬鹿というのは、脳の性質上、容易にありうる。その人は学校教育で行う何らかの知識の暗記や思考型に習熟したかもしれないが、それ以外の領域では全く役に立たない脳のままの人だ。
 脳は専門化できても決して汎用化されない。
 高い学位・学歴保持者が一般的な知能や人格に劣っていても何も不思議はない。彼らは専門性の中でも限られた領域の知識しか試験されていないし、またその学習課程が一般教養的でない限り博学さの証明にさえならず、万能の知能がないのは当然のことだからだ。
 政府や企業の人事考査が経歴書の中にある学位・学歴を差別の手段にしてきた文化慣習は、独学や教育課程の外にある学習を無視しているし、特定の専門知を他の知能と後光効果で誤認しているだけだった。だから一般人が賢さの目安にしている学位・学歴は基本的に誤った信念であり、ただの差別的妄想だ。
 或る領域での能力はその分野自体で試されねばならない。実地以前に何らかの別分野での成績を能力の類推にあてがうのは、能力間の共通部分が隣接性などで必然に因果づけられない殆どの場合、間違った判断をもたらす。

ぬるい陽気は脳が死ぬ

暖かい陽気は脳が働かない感じがするから嫌いだ。夏になると昆虫や細菌も活発になる上に暑くて不快だし。
 自分が住んでいる地域は日本では年中涼しい方だけど、できたら年中、秋から冬(関東の冬程度)の肌寒さが続くところがいい。租税回避地は南国ばかりみたいだし、国が潰れたら北欧か英仏に行く。

ネット右翼の本丸は自民党ネットサポーターズクラブに洗脳を受けたゆとり世代

2019年3月19日夜、韓国の金浦空港で日本政府の厚労省労働基準局の課長が泥酔し、「韓国人が嫌いだ」等といいながら空港職員に暴行を加えた事件について)
「ゆとり世代」というネット右翼の本丸が続々と世界中に恥をばらまくのはまだ先だ。自民党ネットサポーターズクラブが税金と企業献金で作り上げた差別主義者の大群が、日本を世界の反面教師にしていくはずだ。

詩はある意味を伝える為に最美の配列

綺麗な言葉を羅列できないというのは、詩才がない、凡愚だということだ。同じことは言葉という道具だけでなく、音の配列や、色の配置についてもあてはまる。
 恐らくこの人(ツイッター上の「ラテン語たん」アカウントの中身の人)が「或る綺麗な言葉の配列」を「お洒落感だけ」と非難しているのは、内容と形式を分けて考えているのだろうが、真に綺麗な言葉の配列というのは、言葉の本質が音や文字だけでなく意味を伴っている以上、内容の配列も含む。即ち、よい詩は意味の美を伴っている。
 意味を伴わない表面的な美辞麗句を修辞的に駆使する傾向の一部は耽美主義と呼ばれるが、これは単なる一形式であり、優れた詩の全体ではない。哲学も記述・筆写される限り散文詩だし、いかなる内容も形式なしに表現できない(どの様な思想も言葉を使う限りその文体・口述の形式を通じて表現される)以上、美辞麗句を道徳的意味より重視する耽美主義者の一部への嫌悪を以て、詩の全体を誹謗するのは間違えている。
「真によい詩は意味を伴う」が、修辞を伴わない詩は言葉の音声・文字面を無視しているから耳目を引くほど美しくない。
「辞は達するのみ(言葉は意味を伝えるだけのもの)」なら、或る意味を伝える為に最善最美の言葉の配置がある、といいかえることもできる。

某偽史書は単なる浅はかな小説

話題の本を手に入れてしまった。自分は幕末については自分の限界まで調べた経験があるからその記述を読めば大体どのくらいの史学水準の人かわかってしまうのだが、この人は作家であって史家ではないね。資料の記述がないのがそれを証明しているし、考証の態度ではない。当人の主観を記述している。一々下らない論争に巻き込まれたくないから具体的書名も挙げないけど、これは完全な俗書です。省みる価値は先ずないし、小説なのに史書の体裁をとるという悪質なものだね。目的は洗脳でしょう。
 案の定、文系学問に弱い某脳科学者が褒めていた。将来の日本人の子供がこれを規範にしたら悪影響だ。特定学位の後光効果と、知性の深さ・広さはまったく別のものだ。或る学問の博士号自体、当該分野について単なる論文執筆時に調べた専門知識の一部しか問われないのに(修士論文も院試も網羅的ではない)、その権威を悪用して万能ぶるから誤解を招く。通俗書を愛国的だとか言って褒めるのは余程馬鹿だ。
 何しろこの俗書、自分が書いたウィキペディア上の記述をそのまま載せてある。勿論、その記述を当人の妄想に都合がいい歪めた観点で、自説の補強の為に無断引用してある。根底にある史実には興味や理解を示さず、執筆者は当人の妄想を優先する、歴史の表面だけなぞる非常に浅はかな人である。

茨城から全世界の美術史を自分が革新する

日本って米英仏と違ってハイアートの市場が恐ろしくない(漫画アニメなどのサブカルか、ガラパゴス化した公募展美術、又は中世的な写実画が殆ど)。村上隆は日本市場での自分の評価はゼロだといっていた。この意味で、ハイアートで生活費を得られないから日本国内で我々は永久に職能を生かしえない。
 日本国民一般は欧米美術史の教育を受けていないから死ぬまで現代美術に追いつけないし、サブカルのよう無教養な商品市場で満足しているからハイアート側に関心すらない。専門家だけはそれができるが、今度は国内市場がないので、Kaikaikikiの人達のよう製造輸出業者になるしかない。前衛の死地だ。
 結局、国内で美術作品で生計を立てるには村上のスーパーフラット理論に則って中教養な中間芸術という中途半端なものに落ち着くしかないのかもしれないが(素人には漫画にしか見えない奈良美智のオールオーバー絵画のよう)、少なくとも自分は自ら馬鹿の演技をするのに耐えられなかった。自分を中心に日本国内にハイアート市場を作り出し、米英に追いつき追い抜くか、さもなければこの国を諦め、高尚な芸術を目指す人は米英仏に移民して欧米美術史の一部になるかだ。村上隆は後者であり、自分は今の所前者を試みている。それが不可能なら日本を捨てよう。
 自分の生前に日本で自分が米英の美術思潮から先に進んでいる芸術家として世界に名を轟かせ、死後は自分の作風を参照した日本人らが米英より進んだ前衛性を国内発で発揮していければ、自分の美術史に対する現代的意義は果たされたといえる。
 この国の美術界の問題点は、先ずハイアートの市場が全くないことに尽きる。なぜなら米英で確立済みの投資・売買対象としての前衛市場がない。クレメント・グリーンバーグの様な重要な前衛主義の批評家が未出現で(美術史学や批評水準が低いか、学問的でなく低俗)、法も作品寄贈や競売に不利すぎる。ただでさえ美術市場規模が巨大な米英仏で、しかも法や政府が前衛を後援さえしており、国民側に芸術への理解もあるのだから、言語の壁さえ乗り越えられれば移民または輸出した方が早い。だが自分は茨城県や北茨城市を中心に、世界美術を革命したいのだ。東京を潰し、米英を乗り越え、世界史を作るのだ。
 自分の地元、すぐ近所で(自分の祖父母の代に)大観ら五浦派の前衛画家らが重要な近代日本画の革新を行っていたのを間近に体験して自分は知っているし、唱道者の天心が日本発の世界美術を志向していたのも確かだから、自分は文化的にその後継者なのだ。彼らの大志は自分が確かに果たすだろう。全盛期の東京文化、サブカルチャー群がどれもこれも下らない偽美術だと知れ渡った未来において、自分の作品だけがこの時代の粋だったと、世界中の人達が知ることになるであろう。

絵画は同時代の全体的抽象でなければならない

古代、洞窟の中で壁画を描いていた人は私の先祖に違いない。私自身も今それと同じことを、YouTube Live上で、あるいはグーグルやアマゾンのサーバーに二進法で蓄積されたデータ上で行っているのだから。現代文明が滅びて後、私のこの仕事だけが現生人類の全記録になるのだ。
 自分が洞窟壁画を描いていた最古の画家の直系子孫だとして、自分が現代文明滅亡後の未来の何者かに、この時代を結晶させた情報を残すなら、それが最純最美の全体的抽象であるべきなことは明白だ。

美術表現は言語表現ではない

(会田誠のよう「アーティストは批評家でないので説明能力は重んじない」のが許されるなら、低学歴で伝統工芸内に胡坐をかいていればいい、というツイッター上の評論に宛てて)
 言語的説明と、絵画的・現代美術的説明は違う、というだけの話。言語的説明を重視する美術はコンセプチュアル・アートと呼ばれその中の一分野に過ぎない。また表現活動の全てを言語表現に還元できないのが事実だから、批評は批評としてのみ成立する。そして美術を専業にする人に決して説明義務はない。

(上記の評論への返信として書かれた、会田誠らのスタンスは「欧米で失笑される」もので、自分のやってることを説明できないのは現代美術だけでなく「どんな仕事でもやばい」上に、「(西洋人に媚びないで日本のアートをやっているにせよ、その説明責任を十分果たさないので)ずっと放置されている気がする」、というツイッター上の別の方による評論に宛てて)
 勿論、欧米人の美術家でも、伝統的にも現代的にも言語的説明を十分行わない人が過半である(言語的説明の方が得意なら文芸を選ぶから)。思うに、ロゴス中心主義をもっている人が、コンセプチュアル・アートや批評を美術全体の傾向と誤認しているだけでは?
 欧米各国の美術史の文脈と、日本を含む他国美術史の文脈は違う。各国・各地で評価にはずれがある。この意味で普遍美術史といったものはまだ存在しない。欧米で最も評価されている北斎の浮世絵(当人から言語的に説明されていない)は庶民向けの版画で、日本では高文脈な大和絵に対する脇役扱いだった。北斎の浮世絵は後期印象派が遠近法を崩す段階で参照にされた為に西洋美術の中で評価が始まった。しかし日本側としてはイタリア・ルネサンスでダビンチが確立した遠近法の伝統がなかったので浮世絵は平面構成の延長上に量産型の装飾品として作られただけだった。「放置」「評価」は普遍的ではない。
 因みに、コンセプチュアル(概念的、言語説明的)な現代美術家として村上隆がいる。彼は意図的に欧米側(特に近代アメリカ)の美術思潮と日本の伝統~近代美術思潮をすりかえながら、皮肉や揶揄を交えた流用的な作風をもっている。会田誠もその様な作品はある。つまり会田が説明的でないわけではない。会田が「(おそらく欧米から)放置されている(とここで批評されている)」理由は、彼の作品の多くの概念がローカルジョークに近い為で、この意味で欧米模倣に終始している他の美術家とはかなり違う、国粋的傾向だといえる(ラディンに扮した作品や、某現代ドイツの巨匠を喜劇的に模倣した作品など)。会田作品で最も説明的・コンセプチュアルな作品は、自分の知る限り殴り書きの様な書体で大きな布に書かれた文字のみの『檄』全文) かもしれない。ここでは絵画的表現は書道の文体だけしかない。内容は批判対象が日本の教育だから、ここでも国内的なコンセプトになっている。

社会科学は個別社会の分析なので自然科学の普遍性とは違った評価基準がある

「日本の社会科学が国際化できないわけ」渡辺敦子(2016/10/1、Japan In-depth)に寄せて)
論文の同時代までの、または他国での引用率がその論文内容の重要性の唯一の指標ではない(科学ポピュリズムに過ぎない)ことは明らか。また社会科学は自然科学と違い個別社会を分析しているから普遍性が必ずしも重要な価値とは言えないだろう(自然は全地球でかなりが共通)。ここでみられる精神的態度は自然科学の方法を他分野のものさしにしようとする「科学主義」であり、当然それは他分野にふさわしくないとき間違っているから、社会科学の重要な評価基準が引用率だという前提から普遍性への信仰まで、この評論の基本となる部分には科学哲学上の齟齬がある。

統計的手法は何れも真理の担保ではない

(二項対立(適当に決めたp値が有意水準aより大きい、より小さいの二分法)で標本分析を行う統計的有意差を撤廃し、確率として百分率化した信頼区間を使うべし、という2019年3月20日の雑誌「Nature」の評論、"Scientists rise up against statistical significance"について)
既存の統計的手法を信仰の無前提な根拠にしている人の知性はごく疑わしい。母集団や検定といった統計的手法の前提になっている条件が、人為的で、相当程度恣意的なものだと知らない訳でもないだろうに、なぜかそれを真理と意図的に誤認させているのだから。素人を騙す為にそうしているとしかいえない。

内向的な人は既存SNS上に居場所を見つけがたく田舎で孤独な楽しみをもつ方が良い

アメーバピグという匿名・偽名SNS、自分は2011年の大震災の中で、現地の情報を伝える手段として選び、中で色々な啓蒙活動を行っていたのだが、殆どの人達は被災地に興味などなく逆に犯罪行為を日常的に行っていた。中には被災者でありながら他の被災者を誹謗中傷して遊んでいる人物がいて驚いた。2ch(5ch)やアメーバピグという2つのサイト、そしてツイッターを観察してきた限り、日本人一般は、『菊と刀』の恥の文化論で知られている様、罪悪感というものが希薄で、社会から個人特定され集団制裁されない限り、匿名・偽名条件下では容易に群れて犯罪行為をする誘惑に先ず抗えないらしい。
 糸崎公朗 (@itozaki)氏はYouTubeチャンネルやツイッター上で、ソクラテスやラカンの概念を紐解きつつ、実名顔出しの現実的な存在として矢面に立つ覚悟で言論・表現活動をするのが貴族にとって自由に伴う当然の義務だという旨を述べている。「自由権を行使するなら必ず自らその責任を取らねばならない」。インターネットによるコミュニケーションが始まってまだ歴史が浅く、1999年5月に2ch(5ch)が始まり20年程度しか経っていない。その中で匿名・偽名系のサイトが日本国内の犯罪の温床となってきた事実は、日本人の集団制裁的な恥の文化と匿名・偽名系サイトの相性の悪さを実証していると私は思う。
 裏を返せば、個人特定が前提になったSNS上で、日本人特有の匿名・偽名犯罪が不可能なのは、フェイスブックやツイッターで部分的に実証されている。そこで悪意ある振る舞いはそもそも周囲の目があり難しいのみならず、実際行っても容易に個人特定されるので、規約に照らしてBANされるからだ。日本社会・日本人集団に特有の倫理規範の分析。これは社会学の領域なので専門にしている人達が更に研究して欲しいが、ルース・ベネディクトの時点で「(周囲の目による)恥」という集団制裁が彼らの行動規範になっていると考えられていた訳で、このことは現状も変わらないと思う。良心は希薄なのだ。日本国内のBBS(電子掲示板)やSNS等のインターネットコミュニティがこの国民性・民族性の良い点を伸ばし、悪い点を抑える様に作られるべきだとすれば、「恥」を感じさせる監視的な実の個人特定性を持たせるべきだといえる。つまり現状、フェイスブックが最善で、2ch(5ch)が最悪だといえる。
実の個人特定性が高い順(実名顔出しに近い人が多い順)で仮に配列すると、
Facebook>Tiktok>Instagram>YouTube>Twitter>ブログ>Ameba pigg(2019年で終了)>5ch(2ch)
となるのではないか。そして凡そこの順で恥を感じさせるため日本人で悪事する人が少ないのではないか? Facebookグループを利用してサロンコミュニティを作っているインフルエンサーらは、通常のフェイスブックより更に特定の個人接触の頻度が高い条件を作っているので、この論旨によれば極めて合理的で、悪意ある人が介在し辛く、日本人集団の間でさえ日々建設的なやりとりができるのではないだろうか? 「リア充(リアルで充実の略)」と「コミュ障(コミュニケーション障害の略)」、「陽キャ(陽気なキャラクター)」と「陰キャ(陰気なキャラクター)」という単純な対義語で、社交・内向の各々の性向をもつ人々は、SNS・BBSを使い分けてきた。ところが上記の理由でこれらのSNSには基本として社交的な人が有利な条件がある訳だ。現実には内向的な方がIQが高かったり他人の気持ちを読み取る能力も高い傾向があるので、社交的な人より商売に向いていたりリーダーシップの面でもしばしば成績がよかったりする。つまり、現状SNSは社交的な人が個人特定コミュニティで人気になり易い一方、内向的で能力の高い人は偽名・匿名コミュニティで悪意ある人々の生贄にされ易い。内向的な人(故に友達は少ない)が個人特定可能な条件で、善意の人達に囲まれる、という場所は既存のサイトでは先ず存在していないのである。
 サトシ・カナガワとノーマン・リーは2016年の論文で、多くの人々の幸福さは田舎(低人口密度)に住むほど上がり(つまり社交頻度は不幸を生み出し)、知的な人ほど友人といない時の方が人生に満足しているという。これは社交的な人の悪徳がもたらす負の影響によると思う。社交的な人は他人の気持ちを読み取る能力がより低く、それによって他人を傷つけたり空気を読まない傲慢な自己主張をし易く、目立つインフルエンサー(ネット芸人)となってIT企業の客寄せパンダになっている。しかも鈍感なほど高い頻度の社交でも他人の痛みを感じづらいので、東京に集まり易い。
結論を言うと、
1.匿名性が高い日本人コミュニティほど犯罪率が高くなる傾向があるので近づくべきではない(荒らしの嗜虐快楽に使われている)
2.内向的な人はネットでも居場所は見つけがたいので少数の友達とやりとりするか田舎で孤独を楽しむ方が良い
3.将来、内向的な人の為の実名SNSができるかもしれないが、そもそも高い知能(恐らく特別な知能)をもつ人はそれに劣る友達から学ぶこと少なく、他人の気持ちが分からない社交的な人と接する害は大きいので、実現しづらい(私的な連絡や、閉鎖的サロンの様な形になるだろう)

天使と名乗る人物による私への名誉毀損のこと

久しぶりになぜアメーバピグ上で「天使」というニックネームを使っている人が、私を突然、誹謗中傷(侮辱、名誉毀損)しだしたのかを分析してみた。以前からこのことには耐え難く思っているのでサイバーエージェント社に通報もしたのだが全く対応されない。当人に注意しても名誉毀損をやめない。それでこの人を色々観察し、改めて私を誹謗している記述について、記録がてら読み直してみた。そこに書いてあるのは自営業や自由業者を無職と同一視している記述だった。天使は自営業・自由業者を頭ごなしにある偏見で侮辱しているのみならず、無職に対して職業差別の記述をしていることがわかった。
 結論をいうと、この天使(又はデンデロリーナ)というニックネームを使って、ピグやツイッター、荒野行動などで私へ数年間、名誉毀損を繰り返している人物は、職業に関する差別をもっていて、その差別観に基づいて、私を一方的に名誉毀損しているのだった。天使(ツイッター上では@tenshipigu)という人物は当人のアメーバブログ中で、私がしてもいない(する筈もない)犯罪行為を妄想で捏造し、その冤罪の記述と共に職業差別により私(ピグ上のニックネームはレコナー)の名誉を毀損している。これは単にアメーバ利用規約に触れているのみならず刑法に触れるといえる。法的対応をとる為にはアメーバ上の活動が実名の人物とどの程度関連づけられうるか判例を辿るしかないので、これまで深慮の元にこの天使と名乗る人物のその後の犯罪的活動を注視してきた。そしてこの人物は、自分以外の人達に対しても、ピグやツイッターで名誉毀損・侮辱を繰り返しているのが分かった。自分にできる最善の対応はこの天使と名乗る人物の犯罪的な言動の記録をとり、証拠を集めておくことだったので、数年間その為に時間と手間を使ってきたのだが、アメーバピグは今年一杯で終了すると決まり、法的対応までの猶予も切迫してきている。それで今回この様な記述をするに至った。
 判例上、ニックネームでの掲示板・SNSでの活動でも個人特定可能なら名誉毀損罪が成立したことがあるので、天使と名乗る人物のそれも刑法に触れる可能性はあるが、警察は少なくとも規模から役所対応でお茶を濁す筈なので立件に至らないと考えられる。したがって可能性があるのは民事訴訟によるものだ。名誉毀損罪には時効があるので今後も証拠を集めながら当該人物の動向を監視しようと思っていたのだが、自分以外の人々も類似の被害にあっていることもアメーバピグの終了が近づいていることもあるし、自分は当該人物を殊更憎んでいるのでもないので(犯罪行為が迷惑だとは思うが)、今後を思案している。この天使と名乗る人物の職業差別的観念については当人の思想信条の自由の範囲ではあるが誰かの人格に対する名誉毀損として表現されるのは法的に認められない。また私がしていない犯罪行為に関する冤罪的な記述の理由は、当人のただの悪戯かそれ以外であるかを問わず私には窺い知れない。いいかえれば私にできる範囲にあるのは、天使と名乗る人物の名誉毀損の証拠を将来の民事訴訟の為に記録し保管して置くこと、そして専らこの人物の今後の動向を注視し、それ以上の犯罪行為が私に対して行われないかどうか、基本的に当該人物を無視しつつ当人を刺激しない範囲で監視することだと思う。
 以前、このことについてツイッター上で軽く議論が行われていたが、匿名・偽名を犯罪の為に用いる人というのは確かにいて、今回の天使と名乗る人物による私への再三にわたる名誉毀損・侮辱の罪もそれにあたるということは間違いない事実である。裁判所の命令による個人特定がプロバイダ責任法に基づいてひと手間かかる、というだけにせよ、そのひと手間を理由に、表面的に実名の当人が分からない匿名・偽名条件を悪用する悪意の人物というのはこの手の事件でわかる様はっきり存在しているのである。

風景

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2019年
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日本の幸福度は社民党が政権与党にならない限り先ず上昇の見込みがない

日本の国連幸福度の全6要素の順位(2019)
社会的支援(Social support)50位
自由(Freedom)64位
腐敗(Curruption)39位
寛大さ(Generosity)92位
一人当たりGDPの対数(Log of GDP per capita)24位
健康寿命の期待(Healthy life expectancy)2位

順位の高い順
健康>1人当たりGDP>腐敗>支援>自由>寛大さ

国連加入国中、日本の人口は10位だが、92位なくらい極めて不寛容で、自由度も64位とかなり低く、社会的支援も50位とあまり受けられない。また非腐敗度も39位と決して高いものではない。一人あたりGDPも24位と人口の割に低くて決して豊かとはいえず、かろうじて健康寿命だけ2位と非常に長い。
 総じて日本人は国連幸福度が58位と、他国と比べつつ平均してみて決して幸せな国民とはいいがたいが、その割に寿命だけが全体の2位と異常に長いので、簡単に言うと生き地獄の様な国という話だな。実体験としてもそう感じる。
 日本の自殺死亡率(OECD、2015)は7位と、人口が10位なのに比べ十分高い。政府によると、自殺と事故の死亡率で先進7国と比べると日本のみ自殺の死亡率の方が高いらしい(2017年版の自殺対策白書)。生き地獄的な国なのだからこうなるのは当然だと思われる。
 一人当たりGDPが低いのは個々人が無能(結果として教育の質が低い)ゆえどうしようもなく、寛容さや自由度が低いのは日本人特有の不安脳遺伝子(低セロトニン・トランスポーター数の遺伝子型)による同調圧力が関係している筈なので、先ず改善の見込みがないと思われる。
 そうすると、多少なり変えられるのは支援と非腐敗度だけだ。
 政府が社民党を中心にした北欧型になれば、福祉的支援が充実し、政治的腐敗度が改善される可能性がある。しかし日本国民はGHQのWGIPによる洗脳以後、社会主義を悪印象で捉えるのでこれを達成するには相当極端な啓蒙活動が必要だし、恐らく百年単位で見込まないと実現しないのではないか。少なくとも2100年代になる頃に、漸く社民国の美質に少しでも学ぼうとする新世代が米国政府の洗脳から抜け出し、日帝の延長でアメリカ譲りの拝金主義に明け暮れた戦後150年の清算を開始するかもしれない。しかしこれはゆとり世代が全員死亡し、今生まれていない子供が生産人口になる頃だ。
 我々現役世代が生きている間、日本の幸福度が劇的に改善する可能性は万に一つもないので、金持ちになれた者はより社会条件がよい国々へ移民すべきだし、なれなかった者は少なくとも日本人全般が同調圧力の生き地獄集団だと悟ってなるだけその悪影響を受けないよう都塵やSNSを離れてくらすしかないだろう。

沖縄のジュゴンは辺野古米軍基地を作る為の埋立土砂採掘船のスクリューにまきこまれ死亡した可能性がある

以下の4つの資料から、ジュゴンの生息地が沖縄県辺野古沖の米軍基地建設作業時の埋立土砂等の採取場所及び搬入経路に重なっており、2019年3月18日午後沖縄県今帰仁なきじん村の港で見つかった死亡したジュゴンには鋭利な切り傷がついていたことから、土砂運搬船のスクリューにまきこまれ当該ジュゴンが死に至った可能性がある。

資料1:「航空調査によるジュゴン確認位置」(平成20年2月)、(『シュワブ(H18)環境現況調査(その3)報告書』平成20年12月、沖縄防衛局)

資料2:北限のジュゴンを見守る会のチラシ、「沖縄のジュゴンはどこに消えたのか?」、2018年11月21日、WEBRONZA

資料3:「埋立土砂等の採取場所及び搬入経路図(2)」『埋立てに用いる土砂等の採取場所など』、環瀬戸内会議

資料4:newess @newess2h氏による、死亡したジュゴンについた切り傷のツイート画像

※このブログURLは2019年6月8日に
https://yuusukesuzuki.blogspot.com/
へ変更されます。